その66春ー2011年皐月 |
神変自在の法術も使えないのに心象は66個もの月を抱え 肉体は太陽を66回も輪廻し その66が1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11の三角数だからと云って お前はカオス未然の仙人に回帰するのだね。 |
5月1週・・・・まるで厳冬期の輝き連続11時間の闘い
日帰り強行雪の八ヶ岳 |
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コースタイム 実施日:5月4日(水)晴
凍雪の上に昨夜の新雪が積もり まるで厳冬期の輝き 阿弥陀岳はぼくの大好きな山だよ。 清八山の頂から観た あの尖ったヒマラヤのような姿。 ぼくの写真を胸ポッケに入れて 一緒に連れて行ってくれたなんて とっても嬉しいよ! (舞瑠の呟き) |
《A》 静寂の山顛
後方は赤岳 プチ・ヒマラヤ 阿弥陀岳山頂直下 5月4日11時40分 新雪さえ降れば日本の春の雪山は ヒマラヤの如く煌き 一年で一番美しい瞬間を迎える。 雪のしろがねと黒々とした岩肌が壮大で 神秘的な神々の居城と化す。 正にプチ・ヒマラヤである。 ・ 雨がしとしと降る山荘で3日夜 TVの天気図を観ると、この雨は夜中に上がり 明日は移動高に覆われ 中部山岳は晴れるとの予報。 つまり山荘の雨は今この瞬間に 高峰では雪となっており 明日は新雪晴れが期待出来るのだ。 ・ 苗植え、種蒔き直後の畑は今が大忙し。 朝晩の散水を欠かすと種は発芽せず 野菜苗も枯れてしまう。 だがこの雨で畑仕事の手間が省ける。 その上この雨がアルプスや 八ヶ岳ではたっぷり新雪を齎している。 ・ 神が与えてくれたこの素晴らしい1日を 見逃すなんて天罰が下るに 違いないと一瞬にして決断を下す。 明日はプチ・ヒマラヤへの 日帰り散歩を大いに愉しむべし。 |
山頂での初めての邂逅 |
阿弥陀岳頂稜雪庇 御小屋尾根 5月4日 さーてそれからが慌しい。 ヒマラヤで常用している二重靴や アイゼン、スパッツ、ピッケル、目出帽子等 冬装備を倉庫から引っ張り出し 明日の長時間行動に耐える食糧を準備し ザックに詰め作戦を練る。 ・ 果して山荘から日帰りで 雪の阿弥陀岳から赤岳を縦走することが 可能であろうか? 問題は今降っているこの雪の量。 積雪が20cmを超えれば 表層雪崩の規模は大きくなり ラッセルは深くなり体力を消耗する。 ・ だが湿った雪となり降雪後の低温化で 新雪がアイスバーンになれば ラッセルは不必要となり 表層雪崩も日の出後の9時頃までは 静かにしている可能性あり。 ・ その判断は正解だったね。 どうだい,この新雪の煌き! 正にプチ・ヒマラヤ!実に気分爽快。 |
《B》 凍てついた新雪をスニーカーで
スニーカーで飛ばす後方は横岳 |
昨夜の新雪標高2千mから |
夜中3時に起床し たっぷりストレッチ、筋トレをしてから朝食。 山荘を4時15分に出て 中央高速道を120km/hで飛ばし 1時間25分で赤岳山荘着。 ・ 重い二重靴や冬装備を背負って スニーカーで柳川南沢に入る。 標高2千m辺りから 森が新雪で白くなり白檜曽が 朝日に光る。 ↓ |
森の中の新雪に踏み込んでも スニーカーは殆ど沈まない。 白檜曽の森が不意に開け 森の高みに 拒絶的な岩と雪の神々の居城が出現。 ・ ヒマラヤ登山のゲレンデとして 毎冬通い続けた懐かしい横岳の 岩場ルートが迫る。 「やあ、久しぶりだね。 逢えて嬉しいよ。もうすぐテント場だね」 ↓ |
新雪のラッセル |
予期したように新雪は凍み付き 恐れていたラッセルは無し。 新雪に踏み込んでも深くは沈まない。 撮影しながらぐんぐん飛ばす。 ・ 老化した肉体に掛る負荷が小気味いい。 この小気味良さが 10時間以上続けば今日中に 山荘に戻れるであろう。 さて、老いぼれた肉体・疫病神が 何処まで動けるか。 今日は大いに疫病神を ← |
《 えっ、ウソー》と 思わずミーハーのように叫び出しそう。 大型連休だと云うのに テントが10張り程しかないのだ。 ・ 例年ゴールデンウィークの行者小屋には テント場を探すのが難しいくらい びっしり、時には 数百のテントが犇いていた。 ・ そうか近年登山人口が増えたと云ってるが 増えたのは百名山詣でのハイカーで 本格的雪山登山者は 逆に減ってるんだ。 なんて独り言ちスニーカーを 登山靴に履き換え阿弥陀岳に向かう。 |
横岳見ゆ:大同心(左)、小同心峰(右) |
登山靴に履き替え行者小屋テント場 |
《C》 表層雪崩を避けルート変更
正面奥に中岳見ゆ(中岳沢左俣にて) |
中岳沢右俣はラッセル無し さてどうしようか? 脱いで用の無くなったスニーカーを 行者小屋にデポし 先ずは阿弥陀岳を目指して中岳沢に入る。 ・ 新雪の上に付けられた浅いラッセルが暫く続き やがてラッセルは左の中岳沢左俣に折れて 文三郎尾根へと合流し阿弥陀岳へのルートは消える。 さてどうしようか? ・ このまま文三郎尾根を詰め赤岳と中岳のコルへ出て 阿弥陀岳をピストンしてから赤岳に登るか ラッセルの痕跡すらない中岳沢右俣を直登し最短ルートから 阿弥陀岳に迫るか? |
安全第一でラッセルのある文三郎尾根を選べば 中岳を2度登らねばならず 時間のロスと不必要な体力の消耗が強いられる。 ・ 一方ラッセルの無い中岳沢を登るなら 表層雪崩の危険を甘受せねばならない。 時刻は9時半を回り 真夏のような陽射しが新雪を直撃し 表層雪崩がそろそろ騒ぎ出す時間帯なのだ。 ・ 暫く中岳沢の新雪にラッセルを切ってみる。 ラッセルの深さはせいぜい10cm程度。 雪は軽くこの状態が沢の源頭まで続くなら 阿弥陀岳のコルまで40分で達する。 ・ 文三郎尾根経由で行くなら阿弥陀のコルまで 2時間半は掛るであろう。 |
左が文三郎尾根(中岳沢左俣にて) |
文三郎尾根へ |
横岳(右)硫黄岳(左) |
表層雪崩を避ける 文三郎尾根を選ぶ 積雪期の中岳沢は雪崩の見極めさえ しっかり出来れば 登下降には最適なルートである。 阿弥陀岳北壁登攀後の 下降にグリセードで一気に下るのは なんとも愉快である。 ・ 中岳山頂にはこの沢で雪崩死した 遭難者の碑が建っている。 判断を誤れば中岳沢は雪崩から 逃れる術が無いと云うことを 無言で語っているのだ。 ↓ |
と、文三郎尾根へ出ると 目の前に懐かしの赤岳の西壁が 度アップで展開する。 右の南峰リッジと左の主稜に挟まれた 右ルンゼの氷瀑が迫る。 ・ 更に左にショルダー第1リッジ、第2 第3、第4リッジが続く。 特に冬の赤岳主稜には足繁く通い 数々の想い出が在る。 垂直な8mの凹角に打ち込んだ 黒モリブデンのハーケンは未だ残って いるだろうか? ↓ |
懐かしの赤岳主稜 |
すっかり忘れていたが そう云えば確か一度この沢で私も 雪崩に流されたことがあった。 幸い沢の下部を登り始めたばかりで 直ぐに雪の中から這い出し 事なきを得たんだったな。 ・ まあ天候も安定しているし 危険を甘受し 40分最短ルートで時間稼ぎするより 2時間半かけて遠回りして のんびり文三郎尾根を行くか? ← |
決して取り出せぬ深い記憶の層から ふと浮かび上がった 黒モリブデンのハーケンと共に 17歳の高校生が現れた。 ・ マニラ麻のザイルが凍り付き 回収出来なくなり 県界尾根で初めてのビバーク体験。 手指に凍傷を負いながら 赤岳に達しどうにか下山したものの 両手の小指は切断の危機に。 ・ 切断は免れたがそれ以来 手指の毛細管機能が減少し 凍傷にかかり易くなり 何度ヒマラヤで泣いたことか。 |
阿弥陀岳(右)中岳(左) |
赤岳と文三郎尾根の分岐 |
《D》 中岳から阿弥陀岳へ
阿弥陀岳への稜線 |
新雪に覆われヒマラヤのように 荘厳な雪と氷の雄姿を見せていたが、夜明けの太陽と共に 黒々とした岩肌が現れ、なんだかピントの呆けた春山に戻ってしまった。 ・ それにしても、すっきり延びあがる右の北稜と左から 台形の山顛で邂逅する容姿は、未だ未だ棄てたもんでは無い。 |
中岳山頂阿弥陀岳を背景に |
頂に立てたピッケル |
連休なのに人影無し テントの数が少ない分 小屋泊りが増えて連休の稜線は 登山者の行列が出来ているのかと思ったら 尾根で2,3パーティーに逢ったのみ。 ・ 阿弥陀への稜線を見上げても 全く人影は無い。 仕方なく中岳の雪のピークに ピッケルを立てて一人ハイ、ポーズ! |
中岳から阿弥陀岳へ(後方は赤岳) |
阿弥陀岳からの権現岳 |
ピッケルを山頂標識にして雪庇の阿弥陀山頂 |
阿弥陀山顛の雪庇が黒い影を落とし 頭上に圧し掛かる。 うーん、なかなかいいな。 山頂標識は雪に埋もれているから この雪庇にピッケルを刺して 一枚撮ろうか? ・ それには山頂から一度下って 再度写真を撮らねばならず大変面倒。 人が居ない静かな頂は大歓迎だが 他の登山者が居れば 気軽に撮れる写真も撮れないのが 難点ではあると、勝手にぶつぶつ。 |
阿弥陀岳山頂標識は雪の下(後方は横岳) |
阿弥陀岳山頂直下 |
《E》 阿弥陀岳から赤岳へ
赤岳の北稜線 |
雪と氷を纏った赤岳東壁はマッターホルンの北壁を想わせる。 左稜線の下にツェルマットの村が在り 左稜線上には登攀基地となるヘルンリ小屋さえ見えるような趣がある。 ・ マッターホルンに登ったのは一体何年前だろうか? 本棚の報告書を捲ってみると・・・あった、1975年だから36年前だ。 登頂記録の冒頭を読んでみる。 頂には誰もいなかった。 十字架があった。その向こうにイタリアのピークがあった。 ザイルをたぐる。 ・・・ |
赤岳の南稜線 |
誰も居ない赤岳山頂 |
十字架の代わりに丸太ん棒が 蜻蛉の目玉のような標識を付けて 赤岳に突っ立っていた。 誰も居ないことだけはマッターホルンと同じ。 ・ 決定的な違いは頂に立つ肉体。 老死と遙かな時間で隔てられていた 若い肉体は 内から爆発するエネルギーに 身をを委ね 逆に死を求めるかのように危険な ヒマラヤ未踏峰への旅を夢見ていた。 ↓ |
同じ肉体とは到底思えぬ2つの肉体が 何れも死の臭いを嗅ぎつつ 生きていることに今更ながら吃驚。 生は死の反転なんだ。 なんてつまんないこと考えながら 山頂小屋まで行くと 小屋から従業員が出てきて雪掻き。 「太陽光発電はいつから始めたの? コンデンサーはあるの?」と問うと ・ 「設置して7年になります。 コンデンサーがあるので夜も何とか これで間に合います」 |
赤岳山頂小屋の太陽光発電 |
今、頂に立つ肉体は 限りなく死の影を宿す老化した組織細胞。 この老化細胞は扱いが超難しい。 疫病神だとか云って 突然いとも簡単に死と摩り替わってしまう。 生への生理的執着力が無いのだ。 ・ かと云って刺激を与えず 放っておくとぶくぶくと怠惰に膨らみ 生きたまま死んでしまう。 さてこの疫病神を騙し騙しどう操って 活動を続けるか? ← |
ナンガ・パルバット(8125m)で 死んだ隊員の大宮秀樹が アルバイトしていた山頂小屋も 太陽光発電の時代になったのだ。 ・ 秀樹のことを訊ねたが 従業員の出入りが激しいので 記憶にないらしい。 ・ 秀樹の働いていた小屋を ちょっと覗いてみるかと窓辺に寄ると 伝所鳩が雪解の水を頻りに 貪り飲んでいる。 |
山頂パフォーマンス |
数年ぶりの山頂 |
山頂小屋窓辺に憩う伝書鳩 |
雪解の水を求めて 山脈を超える鳩 近づいても逃げようとしない。 レースで放たれた鳩なのだろう。 右脚に赤文字を刻んだ脚環が見える。 通信管を兼ねているのか。 ・ 巣から1000km以上離れた地点で 放たれたレース用伝所鳩は 帰巣本能に従って天空に高く舞い上がる。 ・ 優秀な鳩ほど高く駆け昇り 体内に含まれる強い磁性を持った マグネタイト(磁鉄鉱)を コンパスにして回帰すべき方角を探すとか。 この鳩も高度3000m迄達したが 赤岳山頂で力尽きてしまったのだろう。 |
更に昨夜の雪で完全に方向感覚を失い途方に暮れ 一夜を山荘の窓辺で過ごしたものの 最早回帰すべき場所を失ってしまったのだろう。 ・ ふと秀樹と伝所鳩が重なる。 やっとヒマラヤのレースに加わり、初めて自ら隊長として 遠征隊を組織し挑んだナンガ・パルバットで あっけなく死んでしまった秀樹。 ・ 帰るべき場所を永遠に失い秀樹は今もヒマラヤの高峰を 彷徨っているのだろうか? 秀樹がこよなく愛した遠征登山基地である山荘に 大宮秀樹が 再び戻って来ることは決してないのだ。 |
展望小屋の風力発電 |
《F》 赤岳から地蔵尾根、美濃戸へ
赤岳の北稜線を下る 右下は赤岳展望小屋 |
登山者発見! あんまり人影が無いと、なんだかこの広大な惑星に唯一人取り残されたような気分になるが 同じ生命体を見出すと嬉しいもんである。 |
地蔵尾根分岐 |
小同心峰クラック(中山峠より) |
地蔵尾根上部は急峻なので 積雪期の下降は大変危険である。 アイゼンが雪を団子状に着けると当然 簡単にスリップし滑落する。 ・ ほんの僅かアイゼンを引っ掛けるだけでも 体が宙に飛び出し 一気に急峻な雪稜を落下してしまう。 ・ 勿論ピッケルとアイゼンの テクニックが身についていれば問題なし。 ピッケル、アイゼンのコンビネーションが 威力を発揮するルートなのだ。 |
硫黄岳ケルン遠謀 |
横岳(右)硫黄岳(左) |
赤岳鉱泉小屋の人工氷滝 |
行者小屋にデポしたスニーカーを回収し 中山峠から赤岳鉱泉に下り吃驚! 小屋の前に巨大な氷瀑。 噂には聞いていたがまさかこれ程 どでかい人口氷滝を造るとは! ・ 受付事務所があって ここでアイスクライミングを希望する クライマーを募集しているでは。 ・ 八ヶ岳は昔から小屋ヶ岳と呼ばれ 小屋間の営業競争が激化し 露骨な客集めが有名であったが ここまでやるとは驚きだね。 |
大同心峰(中山峠より) |
ここまでやるか!小屋の客集め |
森での出会い(柳川北沢) |
旅のフィナーレ 画像:300ミリ望遠(左) 北沢を渡る林道に出る手前で 重い二重登山靴を脱ぎ スニーカーに履き換える。 なんだか脚が随分軽くなって勝手に 走り出しそうで鼻歌気分。 ・ すると右の森から群を成して鹿が出現。 林道をゆっくりと横切り 大きなお腹を抱えて左の森へ消えて行く。 5〜6月は鹿の出産期。 山を下りて子鹿の隠れられる藪の繁る場所を探し 出産し子育てをするのだ。 |
山荘周辺の鹿は農作物の害獣として 犬に追われ猟師に撃たれ、罠に掛けられるので 人の気配に敏感で人前に姿を晒すようなことは滅多にない。 ・ 従って鹿に囲まれ、しょっちゅう畑の作物を 喰われているのに鹿の姿を見ることは極めて希である。 ここの野生鹿は登山者に追われることもないのか、おっとり。 しかし20m程の距離が許容範囲らしく それ以上近づくと逃げ去る。 ・ 急いで望遠レンズを出してカメラを向けると 今にも生まれそうな大きなお腹を見せたまま黒い瞳で じーっとこちらを見つめる。 ・ 《そのお腹には新しい命が宿っているんだ。 夏には鹿の子斑の子鹿が この森を元気に走り回るんだろうね》 |
妊娠鹿の大移動 |
bQ5
5月2日(月): 国際テロ組織アルカイダ指導者オサマ・ビンラディンが米政府によって殺害された。
殺害2日前の4月29日ホワイトハウスの外交ルームに集められたのは、側近のドニロン、大統領首席補佐官のデイリー、大統領補佐官のブレナン
大統領次席補佐官のマクドノーの4人。午前8時10分オバマ大統領は4人にこう言った。「It's a go」(作戦を進めてくれ)
しかしその日の午後、《パキスタン現地の天候不順の為作戦は1日延期》との連絡が大統領の元に入り作戦は延期。
2日午前1時(日本時間同日午前5時)、パキスタン北部アボダバードで米海軍特殊部隊は戦闘開始、40分にわたり作戦を展開。
ヘリコプター3機総勢80人程で急襲、ビンラディンと息子、側近者計5名を射殺した。(5月2日〜8日までの朝日新聞、ウエブサイトから)
それにしてもまさかパキスタン軍のお膝元とも云うべき アボダバードに潜んでいたとは驚き! 考えてみれば追手の真っ只中が一番安全なのであろう。 最も追手であるべきパキスタン軍が追手ではなくビンラディンと 内通していたとすれば世界は回教と耶蘇教との 全面対決にも成りかねないが。 ・ アボダバードはパキスタンの首都イスラマバードの 北50km程に位置し首都から北のヒマラヤに向かう遠征隊が 往復に必ず通る街であり 我々も何度も通過し、チャイハナ(レストラン)を利用したお馴染みの街。 ・ 世界で最高の諜報機関を持つ米国がビンラディンを捕え 殺害するまでに何故10年もかかったのか? 2001年9月11日の米国同時多発テロ発生直後の15日 米国ブッシュ大統領は早くもビンラディンを 「主要な容疑者」と名指し、米国の諜報能力の総力を上げて 追い求めてきたが、 居場所を突き止め捕えるまでに10年とは余りにもお粗末。 ・ いずれにしてもこれでテロとの戦いが終わったのではなく 新たに始まったことだけは確かである。 ビンラディンの殺害により解決された事は何もない。 相変わらず、ほんの一握りの富める人々と その人々を支える圧倒的に多い、貧しさを強いられる人々の 格差世界の構造は何も変わらないのだ。 |
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犯人はお前か? 水神池の鼬 5月6日曇 なんと云うことだ! 悪戦苦闘して張り巡らせたワイアー・メッシュの フェンスをものともせず突破。 林檎畑の馬鈴薯が根こそぎ掘られ喰われてしまった。 ・ メッシュは15cm四方なので 小型の動物ならば簡単にすり抜けることが出来る。 しかし、まさか鹿、猪のみならず小型動物までが 畑を襲うとは考えてもいなかったのだ。 完全に敗北である。 ・ それにしても君,可愛いね! 生後3ヶ月くらいかな、顔の黒毛と白毛が はっきりしてないな。 未だ子供だから総てに興味津々で 人を恐れたりせず昼間でも出てくるのかな。 君たちは肉食だから犯人ではないよね? |
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最後の砦を築く 中畑に二重のフェンス 5月7日曇 最初は諦めた。 これ程までに完璧なフェンスを張っても 危険を冒して侵入してくるのは 余程深刻な食糧事情があるのだろう。 まー、今回は彼等にプレゼントし 今後は山荘での芋作りはきっぱり断念しよう。 ・ と思ったがこの中畑にも僅かだが 馬鈴薯が育っている。 更にじゃが芋よりもっと彼等の好む薩摩芋の苗も 既に池畔の苗床で育っている。 ・ この薩摩芋の苗を無駄にせず 現在未だ喰われていない中畑のじゃが芋を護るには 中畑に最後の頑強な砦を築く以外にない。 性懲りも無く山荘主は再び 延々と杭を打ち、 防獣フェンスを張り続けるのでした。 まるでシシュポスだね。 |
春竜胆 椎茸森 |
ベツレヘムの星(大甘菜) 東山麓 |
碇草 池の石垣 |
森の朝食 山荘の森 5月8日晴 庭や木立で朝の光を浴びて きらきら輝いている 森の宝石達を見つめていたら 《あれ、ベツレヘムの星だ!》 ・ ベツレヘムの星の群落に 囲まれて「ミレニアム」の読書に 熱中していたのは 4月14日の小石川植物園。 ・ 世界の植物を集めた 小石川植物園だからこそ見られた ベツレヘムの星と 想い込んでいたがまさか 山荘の森にも在ったなんて驚き。 ちょっと遅いけど 3週間待てば小石川の宝石も 山荘で耀くんだね。 |
注文の多い料理店序 山荘の森 5月8日晴 わたしたちは、 氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、 きれいにすきとほつた風をたべ、 桃いろのうつくしい朝の日光を のむことができます。 ・ ベツレヘムの星を見たら きれいにすきとほつた風をたべ たくなったので 随分久しぶりに森のレストラン開業。 ・ 山荘の人参をたっぷり入れた パンを焼いて 冷凍保存しておいた 山荘とんもころしを暖めて サラダは畑で採り立ての冬越しレタスを つかってと。 コーヒー豆はキリマンジャロを挽いて これに山荘ワインがあれば 朝の日光を呑むことが出来るかな。 |
木蓮 前庭 |
林檎 奥庭 |
石楠花 奥庭 |
大根の芽 西畑 |
黒西瓜の苗 西畑 |
ほうれん草の芽 葡萄畑 |
朝も夕も心込めて水を撒くのです。 それだけが堅い殻を割って新たな生命を導くことが出来るのです。 何日も散水を続け、穴のあくほど大地を見つめても出て来るのは雑草の芽ばかり。 そうなると最初の不安が首をもたげ、「うーんやはり週末農業の限界かな」と少し哀しくなって 散水のホースを握る手に元気がなくなるような気がします。 ・ でも1週間後に畑にやってきて、小さな小さな萌芽に出逢った時の歓びったらありません。 観てください左の緑葉をハート型に切り抜いたのは誰だと思いますか? 右のほうれん草の葉を剣のように造形したのは誰ですか? 7本の指を刻みこれから大きな黒い星を生み出させようとしているスターメイカーは何処に居るのでしょう? 総てはあの微小な種の中の精緻な意思に在るのです。 ・ 地球も無窮な宇宙に撒かれた種子だったんですね。 |
アケビの雄花 西の森入り口 |
アケビの雌花 西の森入り口 |
新しい発見はベツレヘムの星 だけではありません。 森を貫く山荘への小径を18年も 歩いていると云うのに この赤紫の花に気づきませんでした。 ・ 紅のルビーを着けて 雄蕊のように突き出した8つの柱。 てっきり雄蕊と思いましたが どっこい、これはアケビの雌蕊でした。 ・ それじゃ雄蕊はどれかと云うと 同じ株でありながら別花で 蜜柑の房のようになった左の花です。 |
問題は何故アケビの雌花は 雄蕊のような柱を幾つも 付けているのかである。 ・ と思って当HP2007年の10月1日を 開いたらなーんだ! ちゃーんと書いてあるではないか。 ・ つまりだね蜜を出さないアケビには 虫が来ないので受粉出来ない。 そこで雌花が雄花に擬態する。 擬態雄花の花粉を目当てに飛来した 小型のハナバチ類は すっかり騙されてべとべとのルビーに 受粉させてしまうらしいのだ。 |
満天(どうだん)躑躅 テラス横 |
スミレ 前庭 |
ちょっと一休み森のベンチ 山荘の森 5月8日晴 若しもだよ 地球が宇宙に撒かれた種子だったら せっせと水を撒いて 微小な種子の中の精緻な意思を 発芽させようとしているのは いったい誰なのさ? ・ 森のレストランで パンとサラダだけのささやかな朝食を 摂りながらワインを片手に そんなことをつらつらと想ってました。 ・ 朝の日光が生まれたての 若葉の間から揺らめき光の束となって 森の静寂を撹乱し すきとほった風とお喋りを始めます。 |
《どうやら3年前の 松の老紳士が再就職を希望していて 今度は誰でも気軽に座れて 本を読んだりワインを傾けたり 森の音楽を聴けたり・・・ そんな場所になりたいなーなんて 言ってるらしいのよ》 ・ 「いったい誰なのさ?」と 考えていたら光と風のそんな お喋りが聴こえたので もう、山荘主はじっとして居られません。 ・ もう一人のジョバンニに手伝ってもらい あの大きな松の老紳士を うんこら、やっこら転がして森の中央に 据えてとうとう立派な 長椅子とテーブルにしてしまったのです。 ・ さしあたりワイングラスを載せてみたら 若葉の間から 光の束がさーっと差し込んで とっても嬉しそう。 |
アイリス 前庭 |
チューリップ 前庭 |
いくら耳を澄ませても ちょっと、はにかんだ様な低音で 啼き始める春蝉の声が 聴こえません。 ・ チューリップが咲き終わって アイリスの群落が 風に靡いて漣のように揺れると 春蝉が必ず通奏低音を 流すのに 春を忘れてしまったのかな。 |
ほら池の畔、石卓の丸太椅子の傍や 奥庭の果樹園に咲き誇っている 牡丹だって もう散ってしまいそうなのに 未だ春蝉は啼きません。 ・ 最後まで残っていた 山吹の花弁だって白っぽくなって 1枚又1枚と池面に散って もう来年まで逢えないと云うのに・・・。 ・ でもいつかはこんな風に 突然、春の欠落がやって来て 永劫の輪廻に亀裂が入り 砕け散ってしまうんだろうね。 |
山吹 池の上 |
牡丹 奥庭 |
甦った世界の高峰 居間 5月7日曇 「先生、このエベレストの石 俺の持ってるのと同じです」 そう云って彼の車の中から 持ってきた石を観ると確かに 白い石英の混じった石。 ・ 台座奥左のはチベット側の氷河で 手に入れた石。 司のはネパール側で拾ってきた石。 それがまるで同じ場所の石 であるかのようにそっくり。 ・ チベット側はユーラシア大陸で ネパール側はインド亜大陸なので 当然岩の組成は異なると 思っていたが浅はかであった。 ・ インド亜大陸を載せたプレートが ユーラシア大陸にぶつかり |
台座・世界の高峰の石 |
褶曲し隆起しヒマラヤの 大山脈は形成されたのだが そのままプレートが露出して山々が 生まれた訳ではない。 ・ 2つの大陸の間には 浅いテチス海があって その海の底が褶曲の造山活動で 持ちあげられ山々を成したのだ。 ・ だからこそ山々は堆積岩から成り 台座手前左のようなアンモナイトの 化石があちこちで見つかるのだ。 すっかりそのことを 失念していたので意外に思ったが 同じであることが 寧ろ当然なのだと改めて認識。 ・ 数年ぶりに石の台座の掃除をしながら 今エベレストに居る筈の 司をふと思い出す。 5月12日には尾崎隆が エベレスト山頂直下で死んだ。 司は無事だろうか? |
瞑想から覚めるキビタキ(♂) 奥庭 |
意味の喪失 前庭 |
そんな小さな体で渺漠たる大海原を 4000kmも飛んで やっと山荘に辿り着いたと云うのに 死を受け入れてしまったのかい? ・ そう話しかけたら 堅く瞑っていた両瞼が僅かに動き やがてゆっくり右目を開いた。 その目はもう何処も観てはいなかった。 ↓ |
少し震えているね。 寒いのかな? 巣箱に入って暖まるかい? ・ うーん、違うって? 寒さを齎しているのは気温でなく 忍び寄る死の気配だって。 でもそれは南の海を旅立つ前に 気づいていたんだろう? ・ もうすぐ死ぬと判っていたのに どうして4000kmもの旅を 決意したんだい? 暖かく餌の豊富な南の島に居れば もっと長生き出来たのに。 ・ ほら巣箱を握り締める脚指からも 力が徐々に抜けて 今にも落ちそうじゃないか。 あー無窮の空を自由に翔け抜けた 強靭な翼さえ力無く垂れて 本当にもう直ぐ死んでしまうんだね。 |
意思の死 前庭(春楡の木) |
冬を過ごしたのは 珊瑚の煌くボルネオ島だろうか? それともセレベス海の北に在る ミンダナオ島だろうか? ・ あー若しかすると 豊かなマングローブが繁り 透明な海が広がるメナドから やって来たのかも知れないね。 ・ セレベス海の南端に位置するメナドは 私のお気に入りのダイブサイトで 日がな一日海の中で過ごし 夕刻にはサンチカメナドの森で 鳥の声に耳を傾けたもんさ。 ・ ビッグツリー知ってるかい? そうか、あの木は多くの鳥たちの お気に入りだから 君達も火焚石のような高い声で 囀っていたかも知れないね。 ← |
再び胸毛の黄橙が 一際光を放ち黄火焚は冷たくなった。 ・ 瞑想から覚め 意味の喪失を悟り、意思が死を受け入れ 死への最後の飛翔が整うまで 胸毛の黄橙は光を失っていた。 が今、枯葉に横たわる黄火焚は再び 光を放ち始めた。 ・ 胸の火を鮮やかに焚いて 静かに眠る黄火焚。 さようなら!遙かなる旅人 |
死への最後の飛翔 前庭 |
キビタキの死 前庭 |
bQ6bQ6 ・空とぶ絵師その1
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発行日:2011年4月23日 定価:1200円+税 読書期間:4月15日〜5月25 評価:★★★☆☆ |
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この宇宙は、物質、反物質、そして真空の三つの要素で構成されている。
物質と反物質は相互作用し、エネルギーと真空を生み出す。真空はエネルギーを消費して、物質と反物質を生成する。
(wikipedia反物質より)
そして物質と反物質は瞬時に結合し無に回帰する。
《生まれた、山に登った、死んだ》
若し死後の直近に最後の記憶が私の脳細胞に一瞬インプットされるなら、たったのそれだけであろう。
山と云ったって大した山に登った訳ではない。
アンデスやアルプスに足を運びヒマラヤの未踏峰に夢中になっただけで、寧ろカットしてもいいくらいである。
となると《生まれた、死んだ》となり私の一生は極めて明快な無から無への回帰となる。
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脳細胞に刻まれた筈の記憶を幾ら思い出そうと辿ってみても、《生まれた、死んだ》の間を埋めるシナプス細胞部位のスパインに
目印は着けられておらず、私の脳細胞は深い沈黙を保ちタダタダ雄弁に無を語るのだ。
ところが本年70歳の誕生日を迎える竹久野生の脳細胞はスパインに図中のような緑の記しを沢山持っているらしい。
平成21年5月15日科学技術振興機構(JST) |
シナプスタグ仮説 ある記憶に対応するシナプスが使用されると、
そのシナプス部位のスパインに 目印(シナプスタグ)が付される。一方、 細胞体で合成された 記憶関連たんぱく質(星印)は樹状突起全体に 輸送されるが 目印の付いたスパインだけで
機能することができる。 ・ シナプスタグ仮説は あくまで電気生理学的な観察結果を うまく説明するための仮説にすぎず、 まだ実証されていなかった。 また、この図ではシナプスタグが 記憶関連たんぱく質をキャッチするイメージで 描いているが、タグの実体が どのようなものでものであるのかは不明であった。 |
赤星で示される記憶関連たんぱく質はスパインに着けられた目印と結合し記憶として再現され
《生まれた、死んだ》の僅かな間隙を満たす。
老化と共に目印着きスパインは減少し、輸送された記憶関連たんぱく質は機能せず生と死の間隙には無が渺々と広がっていくと
思い込んでいたが、「空とぶ絵師」や「草の記憶」を読むとその執筆者である竹久野生や椎名誠の老化はどうも違うらしいのだ。
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「空とぶ絵師」は7章から成っている。
「2章:センチメンタル・ジャーニー」で語られる北海道での中学時代の想い出なんぞ実に克明であるが
やや混乱させられる文章表現もあり中々愉しい。
《私が子供のころ、「ばくろう」と呼ばれる子供の目から見ると、いかにも恐ろしげなカーキ色の乗馬ズボンをはいた人物が
数人橋のたもと辺りにたむろしていた場景がおぼろげながら記憶に残っている》
「ばくろう」と呼ばれる子供に面喰った。
ふーん北海道には子供のばくろうが居たのかとその先を読むと、どうもこの文節は子供では無く人物に掛っているのだ。
「ばくろう」なんぞと云うインパクトの強い懐かしい言葉をどうしても先に持ってきたかった気持ちが
ひしひしと伝わってくるのだが読者はやや混乱する。
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「最終章:富士のふもと鰍沢展」では老年の星に畏敬を込めてと副題し、望月百合子との交流を描く。
2001年、101歳の誕生日を迎える少し前に他界された社会運動家、望月百合子さんの意思を継いだ「現代女性文化研究所」の
運営にあたっている坂原冨美代さんの言。
として冨美代さんや義母の笠井千代さん、「ギャラリーゆめじ」も登場し、竹久夢二の永遠の恋人・笠井彦乃にも触れ
竹久野生が生み出された時代背景ダダイズム、アナーキズムの匂う望月百合子を語る。
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とまあ、驚くことに竹久野生のシナプスタグは鮮やかに記憶を再生し《生まれた、死んだ》の間隙に無の介在を許さないのだ。
(あ、そうそう竹久野生の実父・辻まことは山岳雑誌「岳人」の表紙絵を連載して描いていたので
私には馴染み深い画家であった。ほっこりと暖かみのあるルノワールのようなタッチがよかったな)
『空とぶ絵師』―アンデスから雲に載って 竹久野生著 (オフィスK 1200円+税) 本誌でもすっかりおなじみになったコロンビア在住の画家竹久野生さん、 “出会い”これが彼女の旅のキーワードだ。行脚は少女時代を過ごした北海道から始まった。 コロンビア、ラキラ村で土器に魅せられたイギリス人との親交が、遠く離れた一関で筆者と支援者を結びつけた。
彼女の旅はまだまだ続く。続編も大いに期待したい |
劇場:BD(目白放映) 鑑賞日:5月24日 評価:★★★★★ |
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チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 を弾くジャケ・メラニー・ロラン |
ハチャメチャなドタバタ劇1時間47分の後に、正視出来る場面がたった12分間だけ続き終わる。
此の世のものとは思えぬ燦然たる煌きと哀しみを湛えたヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35が、最後の12分間に流されるのだ。
この12分間の映像とヴァイオリンの音色で、メラニー演じるジャケの出生と生い立ちの秘密が明かされていく。
チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲の演奏を中絶させられ、ユダヤ人だと云う理由だけで、共産党に狩り立てられ
シベリア流刑地に送られ生涯を閉じた父イツハクと母レア。
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生後6カ月の娘アンヌ=マリー・ジャケは両親逮捕の直前に楽団員達の手によって秘かにフランスに逃された。
それから二十数年後、パリのシャトレ座。
母とは知らぬレアの書き込みを入れた楽譜を渡され、出生の秘密を解く為ジャケは一度は断った舞台に立つ。
雪の舞う極寒の流刑地で幻のヴァイオリンを腕に抱えチャイコフスキーを弾く母レアが、メラニー(ジャケ) の映像に重なる。
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楽器も揃わず一度もリハーサルしなかった偽ボリショイ楽団がハチャメチャな演奏を始める。
余りにも酷い絶望の旋律の中で、メラニー(ジャケ)は第一楽章の緩やかな独奏旋律を厳かに奏で始める。
楽団員達の驚愕の表情がアップされ、やがて驚愕に歓びが交差する場面が続く。
嘗てレアとヴァイオリン協奏曲を奏でた仲間達はメラニー(ジャケ)の旋律に紛れもないレアを見い出し、奇跡を予感する。
そう、メラニーの素晴らしい旋律に合わせてハチャメチャな音色がレア時代にフラッシュバックするのだ。
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いよいよ曲は高まり第3楽章後半からオーケストラの総ての楽器が熱狂的に協奏し、哀しみを湛えたヴァイオリンと絡み合い
チャイコフスキーの魂が昇華した、かの565小節へと流れフィナーレを迎える。
滂沱として流れる涙に気付いた時には、既に映画は終わっていた。
何故溢れる涙に気づかぬほど深く心が揺さぶられたのだろうか?ジャケと母レアの生き別れの哀しいストーリーは涙の導火線でしか無い。
深く心を抉ったのは物語ではなくチャイコフスキーの魂が昇華した、かの565小節の旋律そのものではなかったか!
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と気づかせてくれたのはクラシック音痴の私が数十年前に買ったチャイコフスキーのCDであった。
指揮:サー・コリン・ディヴィス、ヴァイオリン:サルヴァトーレ・アッカルドによるBBC交響楽団のCDを磨り減るほど聴いた日々。
若き日に私はこの協奏曲に魂を奪われ、神々の山顛にのめり込んでいったのではなかったかと、ふと思ったのだ。
雪の舞う流刑地シベリアにて 幻のヴァイオリンでチャイコフスキーを弾く母レア |
5月4週・・・・カオス未然とはお前の事か?
咲いたぞ!碧紫のアイリス |
雨に濡れての種蒔き 5月28日(土)雨 林檎畑、葡萄畑、西畑 先ず居間の花瓶に庭の花々を生けて畑に出動。 石灰、鶏糞をたっぷり撒いて、総て野生動物に喰い尽され1つもじゃが芋の残っていない 嘗てのじゃが芋畑に耕運機をかけ 明日の種蒔き準備完了。 ・ 予報通り夜半から雨で朝もしっかり降り続いている。 この雨こそ種蒔きには絶好のチャンス。発芽率がぐーんと高くなるのだ。 先週、鉢に種蒔きしておいたが未だ発芽してないトンモコロシをじゃが芋畑へ定植。 それから葡萄畑、西畑に苗を植え、各種の種を蒔く。 さあ、これで夏野菜の種蒔きは総て終わった。雨よ沢山降っておくれ。 これでやっと陶芸に専念出来るかな? |
カオスからコスモスへ 5月28、29日(土日)雨 陶房 外界からの侵入を頑なに拒否するかのように、あの時のまま固まってしまって時を捨てた大地の片鱗。 ありゃ、こりゃカオス未然でとても使いもんにならん。 更に粘土保存容器の下を調べると出て来たのは外界の水分を取り入れ過ぎてどろどろに溶け自己を失い 何処にでも流れ出してしまいそうな危うい大地の片鱗。 ・ 時を捨ててしまった大地と自己を失ってしまった大地の片鱗を目前に、改めて山荘陶房の冬眠の長さに唖然! 目白窯で作陶し作品を焼くようになってから全く活動を停止してしまった山荘陶房。 活動を停止すると肉体や精神と同じく土そのものも時を失い、自己さえ流れ出してしまうんだね。 ・ さてそれでは先ずこの時と自己を失った大地の片鱗をカオスの状態に高め、 それから轆轤に載せてコスモスへといざなうことにしよう。 |
右指にほんの少し力を加える |
瞬時にカオスは広がる |
創造されるカオス 5月28、29日(土日)雨 陶房 時を失った土を薄くスライス。 とても堅いので切り針金を使って ゆっくり時間をかけて切断。 これに自己を失ってどろどろに溶けた 土を両面に塗る。 ・ このスライスを数十枚作り 暫く時間をかけて放置しておく。 自己を失った土は 受け入れを拒否し続ける頑なな土への 侵入を始めカオスに向かう。 |
カオスは1つの自己の原型。 自我に目覚め 自らがカオスであると認識した状態。 つまりカオスとは自己の 原始的萌芽としての認識の所産なのだ。 ・ 先ずその状態にせねば 何も生み出すことは出来ない。 頑なな土と自己を失った土が 程良く馴染み始めたのを見計らって 菊練りをかけて一気にカオスに 仕上げ、轆轤に載せる。 カオスが無数の星々を内包し 銀河のように回転し 1つのコスモスを志向し始める。 |
左指でカオスの暴発を抑える |
両指で挟みコスモスへと導く |
大地のフォルム 5月28、29日(土日)雨 陶房 カオスからコスモスへのこの土の感触が堪らん! あの時を失った頑なな土と自己の認識すら溶け出してしまったどろどろの土が混ざり合って 適度な可塑性を獲得したカオスが胎動を帯び、そうその胎動が 土から指に伝わってくるのだ。 ・ 胎動するカオスに指総てを使って語りかける。 「2か月ぶりだね。3・11の東北大震災で目白窯が閉鎖され作陶が出来なくなって ずーっとこの土の感触を忘れていたよ。 さあ、このカオスから一体何が生み出されるのだろう。 大きな壺かい?それとも穴を沢山開けた星空のような洒落たランプシェードにでも成るのかい?」 |
中核を押さえた指に星々の粒子が囁く |
末端まで指を上げ無数の星の旋律を愉しむ |
妙なる潮騒 5月28、29日(土日)雨 陶房 どうしても器にならないと いけないのかい? 銀河のようにぐるぐる回りながら 土の塊が発する 宇宙の音色を 愉しんでくれると嬉しいな。 ・ そうか、未だ窮屈なフォルムに なりたくないんだね。 そんなら思い切って銀河の渦を 幾つも幾つも描いて カオスからコスモスへの ワクワクするような 胸躍る瞬間を大いに愉しもう。 |
両手でしっかりカオスを包み 右脚でペダルを踏み込み 回転を加速する。 ほら、耳を澄ましてごらん。 カオスの囁きが始まるよ。 ・ 囁きを追ってカオスの山顛に 指を差し込んで カオスの中心を空洞にするんだ。 囁きが管楽器の旋律になって 生命の潮騒が 聴こえてこないかい。 ・ 親指でバランスを取りながら 4本づつ8本の指で 銀河を両面から押さえると 宇宙の渦巻きがぐんぐん大きくなって やがてシンフニーの響きに 満たされて、あー 何だか指揮者にでもなった気分。 |
部分修正して不協和音を除く |
星々の粒子は揺らぎつつやがて均整を夢見る |
カオス未然とはお前の事か? 5月28、29日(土日)雨 陶房 それにしても少しも 愉しそうな表情をしていないね。 この左の画像はカオスと対峙しつつ 何だか思いつめたような顔。 ・ 最初のやや力んでいるような表情は なにかに耐えているような 銀河の誕生に祈りを込めているような どう観ても愉しさなんて見い出せないな。 ・ 2番目の画像なんてまるで苦行僧が ぶち切れる寸前みたいで 笑っちまうぜ! 口をへの字に曲げて 額の深い皺からは脂汗が滲み出そう。 ・ 土に呟いているような3番目の全体像は まるで自分自身の深淵を 覗いているようで、とても妙なる潮騒を聴いてる 風情ではないな。 ・ そうだったのか・・・。 時を失った頑なな土とか 自己の流失してしまった土とか云ってるけど あれは仙人自身か? |
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大地からの創造 5月28、29日(土日)雨 陶房 で、あの大きな器は何処へ消えたんだ? 代わりにぽこぽこと 可愛らしい器が幾つも生まれたようだけど これが今回の成果かな? ・ 未だ柔らかくてふにゃふにゃしてて 本当に生まれたての赤ちゃんだね。 これから半乾きにして 再び轆轤にかけて高台を削ったり 把手を付けたりして 森のレストランでデビューさせるのかな? ・ 悩めるオーケストラ指揮者 にでもなった気分の 独り善がりの仙人が 雨の週末に お届けした拙い仙人日記でした。 じゃんじゃん! |
山荘の劇的な5月 皐月のプロローグは雪の八ヶ岳、そして花々の咲き乱れる山荘森のレストラン開店。 回帰すべき場所を失って途方に暮れる伝書鳩との出逢い 新しい生命を宿し森を下る鹿群との遭遇、 若々しい森の殺し屋・鼬との在り得ぬ昼の邂逅と続き、 やがて4000kmもの遙かなる旅路を経てやっと山荘に辿り着いた黄火焚の死。 ・ 心象の深奥に潜んでいたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲との再会 頑なに固まっていた土と対峙し語りかけ轆轤で回し 耳を傾けたカオスとコスモスの潮騒。 ・ 生命に満ち満ちた山荘の劇的な5月は一瞬にして過ぎ去ってしまった。 さようなら、愛おしく素晴らしかった皐月! |