山荘主

坂原 忠清

山荘主プロフィール・・・世界の山稜で手にした石と点描報道写真
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プロフィール
知る人ぞ知る登山家


八千メートル峰を夏(モンスーン期)に無酸素・短期速攻で登る
という独自のスタイルを編み出し三十年以上に亘り
毎夏ヒマラヤを中心に世界の高峰登山を継続してきた。
登山家としても特異な存在である。



世界の高峰
で拾い集めた石が
いつしか山荘の一郭
を占領し始めた。

今春(2005年)の
チョモランマ合宿で
34回を数える
遠征登山が齎した

大地・晶

との出逢い。
山荘主
木星衛星イオの大型油絵の
前に立つと
ガイアの晶を透して
《ゆぴてる》の囁きが聴こえる。
このイオの部屋が大好きで
山荘主はこんなメモを
山荘日記に記している。


北極圏から冷たい大気の
塊がやって来て
山荘が透明になった。
ヌーボでほろ酔いになって
イオのドアを開けると
突然異空間に放り出される。
透明な大気の彼方に
2つの銀河が揺らめき
イオの部屋は
深遠な宇宙そのものになる。
光を消した部屋の2つの大きな
出窓だけが
遥かに遠い
甲府盆地の灯
漆黒の闇に浮かび上がらせる。
 
朝日新聞「ひと」欄
[初登頂に挑み続ける高校教師]

2004年9月9日
 
教師として中、高校で
数学を教える傍ら
山岳部顧問や父母らの
登山愛好者の会を
率いるなど
生徒や父母らが
山へ親しむ機会を多く作った。

同時に海外遠征を通じて
教員ならではの
ユニークな文化活動を
繰り広げ

辺境の地の子供たちと
日本の子供たちを繋ぐ
役割を担ってきた。

山稜の石
ナンガ・パルバット 8125m



山稜の石
チョモランマ 8848m

三十年もの間
欠かさず高峰登山を
続ける為には
体力、技術、それにも増して
精神力は
並外れたものが
なければ不可能だ。

いわば超人的な
そのエネルギーはいったい
どこから来るのだろうかと
考えたとき
隊長の場合は

「生命の本質」への
飽くなき好奇心(探究心)と
知的渇望なのではと
感じさせられることが
しばしばある。

一方で、登山は頂上を
極めることが究極の
目的ではなく
登山を通して何と出逢うか
こそが大切であることを
共に登山する仲間に
問いかけ
伝え続けている。

そういう視点で表わされた
登山報告書は
読み応えがあり
思索するクライマー
と呼ぶに相応しい
独自の哲学が
展開されている。

 
山稜の石
K2 8611m


 
朝日新聞[飛翔]欄
「外国の山に挑み続けて27回

1999年12月7日

その視線ははるか
宇宙の彼方へと向かう。
知的生命は
宇宙のどこから生まれ
いずこへ
還ろうとしているのであろう。

我々人類はいつか
銀河系を脱し
宇宙の何処かへと
旅立つことが
可能なのだろうか。

孤独な生命
別の何かと出逢う可能性は
あるのだろうか。
隊長と共に山に在るとき
私たちもまたかような
思いに心を馳せる。


山稜の石
Mt・Saka 6380m



     中央アジア遠征峰


 山稜の石
ブロード・ピーク 8047m

近年隊長のフィールドは
山に止まらず
空(パラグライダー)
海(ダイビング)へと
広がりを見せ
いまや
地球上の全て
対象だと言えそうだ。

しかも宇宙を内包している
のであるから
そのスケールたるや
半端ではない。

神奈川新聞
「未踏峰アタック成功
」[ヒマラヤのチョー・サブ]

2004年8月28日


 
神奈川新聞
「未踏峰にアタック」[教え子とヒマラヤ
へ]

2004年7月7日
「来る者は拒まず
去る者は追わず」

という隊長の信条に則って
この会は組織の型にはまらず
自在な精神を
持つ者たちが集う
ところに特徴があり
隊長の個性と
そこに参加する隊員たちの
個性が響きあうことにより
作られていく
面白さがある。

当然ながら参加する者は
‘お客様’意識
の持ち主ではなく
自立した個人
である必要がある。

山稜の石
ムスターグ・アタ北峰 7427m


 
山稜の石
ヌン峰 7235m
素顔の隊長はといえば
やはり
エネルギッシュで
アクティブである。


身長170センチの
細身の体のどこに
そんな
エネルギー
潜んでいるのかと
驚くが
トレーニングで
鍛えられた
無駄の無さこそが
身軽なフットワークに
繋がるのかもしれない。

神奈川新聞
未踏ルート単独登頂 チベットから帰国
2001年9月1日


 
THE MUSLIM
「Successful Assault On Bindu Gol Zom」

1979年9月4日
酒を愛で
音楽や詩を
こよなく愛すること
バッカスの如し

故にヒマラヤでも
音楽テープ、本
そしてアルコールは必需品。
肉体的弱点がアキレス腱
というのも
神話の英雄の如しか。

山男のイメージとは裏腹な
隊長のきれい好きは
つとに有名である。
また人使いが上手い
(荒いという声も・・?)
なことでも評判。

山であれ山荘であれ
隊長のプログラムに
参加する人は
体力、精神力を
問われること必至。


山稜の石
コーイ・ダラーツ峰 5578m


 
山稜の石
ビアンゴU
 6210m
しかし
一歩がクリアできれば
その先には確実に
面白い世界が
待っている。


長が
少年のような
好奇心で
次々に新しいことに
挑戦する姿勢
はすごい。
その最もよき例が
山荘だろう。

東京新聞
「インドの児童画300余点

[多様な生活を描く]
1987年1月17日


 
読売新聞
「日本ーウルドー語辞典出版

パキスタンの高峰登山のお供に}作成に取り組む
1983年1月31日


密かに
「進化する山荘」
と名づけているが
訪れるたびに
新しい発見に
出逢う楽しさがある。

HPもその進化の先に
生まれた産物だ。
HPの訪問者は
その扉を開く度に
そこにある
新しい出逢いに
ワクワク
させられることだろう。


山稜の石
ポベーダ&ハンテングリ峰
7349m・7010m




山稜の石
レーニン峰
 7134m

読売新聞この人と・金曜インタビュー
「ひと味違うヤマ男

1983年9月9日

「ゆぴてるは山荘主(隊長)を船長とする
精神の宇宙船でもある。

HPという新しい手段を手に入れた「ゆぴてる号」は
まさしく時空を超えてどこまで飛翔し
得るのかと期待が膨らむ。


《文責:登山隊事務局》 


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