山荘日記

その60秋ー2010年霜月

 

11月1週・・・・放物線を描く巨樹



 
  放物線を描く巨樹塩地
11月4日(木)晴 雁ケ腹摺山

永劫のカオスから一気にアートマンまで上り詰め
やがて強烈な永劫の重力に再び捉えられ、ブラフマンの未来へと落下する放物線を
3Dの絵筆にたっぷり苔の緑を含ませて
森のカンバスに描いたのは誰だ?

魅せられてふらふらとカンバスに分け入り
放物線の頂点に座すと、
虚空に放り投げられた自らの生命の軌跡が鮮明に浮かび上がるではないか。



自我と
山との邂逅までに
数年かかり生命指数が
975になって登山開始か。

モンブランやマッターホルン
南米の山々を
登り出したのが、x=30で
指数が1500。
生命指数が同じ1500の時に
山荘を造って
山荘活動を始めたんだね。

指数1159〜1600の間に
ヒマラヤの未踏峰
22座も登って
K2峰(8611m)、
ナンガ・パルバット、
ブロード・ピーク、
ガッシャブルム等の
8千m峰や
チョマランマ(8848m)
ノースコルにも
遠征してるんだ。
でこの放物線を
読むと何が解るんだい?
自我活動としての
登山活動に
要する生命指数の
数値かな。

それとも
永劫の過去と未来に
一刹那光を見せた
生命の余りの
儚さかな?

苔生した巨樹と
肉体を同化させたら
滝子山の霧の森で
逢った《森の神口となって
私を呼んだあの女》に
再び逢えるかと
思ったのに・・・。

逢えたのは
無味乾燥な放物線
だけだとは
哀しいね。

 





最後の竜胆・姥子山
標高1560mの大峠から
暫く登ると
森の中に小さな沢が現れる。
その左奥の仄暗い
木々に囲まれて放物線は
ひっそり在った。


煌く真弓・大峠
枯葉に覆われて
沢筋は見えないが歩くと
ずぶずぶと沈み
確かに小さな沢であると解る。

木犀科の落葉高木である
塩地(シオジ)の好む
山の湿地帯になっている。

この辺りは塩地の森が
在ると聞いたが
さてはこの放物線巨樹も塩地か?

雄山火口の結実・雁ケ腹摺山
紅葉を終えた木々の葉は
殆ど散ってしまい
裸木の森は
木の葉の波打つ海に漂う。

極稀に荒涼とした
枯葉の海の森に蒼紫や紅が輝く。
生在る葉が落ちて
初めて
苔生した放物線は
姿を現したのであろうか?



緩やかな森・吹切尾根 

やや猫背の男がイーゼルを背負って
描きかけの5号のペイサージュを右手に持ち、ゆっくりゆっくり
森の彼方を横切って行く。



雁ケ腹摺山頂・1874m
《3Dの絵筆にたっぷり苔の緑を含ませて》
如何にも
《永劫のカオスから一気にアートマンまで上り詰める》
放物線を描きそうな気配を秘めていたので
その絵描きに追いつき
声を掛けようとしたのだ。

だが絵描きの後ろ姿は余りにも寡黙で
明らかに生ぬるい狎れあいを
頑に拒否していた。

出かかった言葉を呑み込み
狭い山道で重なるようにして無言のまま
追い越し雁ケ腹摺の頂へ向かった。
チョモランマの北麓に
ティンリと云う小さな村がある。
チベット登山で私と一緒に何度もザイルを組んだ
ピンゾーもタシもこの村の生まれである。

この村はずれの遠征隊用のチョモランマホテルで
トレーナーを買ったのだが
暫くは買ったことすら忘れられ
衣料箪笥の奥で数年眠っていた。

まさかその2つのトレーナーが偶然にも
この山頂で出っ食わすとは
思いもよらなかったな。

そうだったね。
チョモランマに向かうキャラバンの途中で
泊ったこのホテルが暖房無しで寒くて
このトレーナーを着て寝たんだ。

五百円札の富士・雁ケ腹摺山頂から
 

晩秋の雁ガ腹摺山

 村上映子  

もう総ての葉を落としてしまっているだろうとの予想を裏切って、
森にはまだ金色の葉が隠されていたのである。落葉松の金褐色に染まった樹間に覗く大きく秀麗な富士。
空は何処までも青く、惜しげない光を降り注ぐ。
もちろん多くの木々は、すでに裸木となり、そのおかげで山道は明るく、一層心を伸びやかにさせる。
裸木の所どころにのぞく、楓の黄金色が目を奪う。


晩秋の一日、山の大気と日差しに全身を洗われて、なんとも清々しい気分である。
解け始めた霜がきらきらとまるで雲母のようなきらめきを見せるが、足元は滑りやすくなっている。
気持ちの良い登りを楽しみながら、やがて、雁ガ腹摺山の山頂に到着。


雁ケ腹摺山南東面


秋の黒岳&姥子山  
    コースタイム 
山荘(46km)  7:15 
大峠 8:30 
雁ケ腹摺山 9:50 10:00出  
姥子山頂 11:00  11:25出
雁ケ腹摺山 12:30 12:45出 
大峠 13:15   
黒岳山頂 14:10 14:15出
大峠 14:50 15:10出
計  6時間20分    
山荘  17:00(買い物) 






有名な五百円札の富士を望み、写真に収まる。
出来上がった写真には、チョモランマの白き頂が二つも並んで、はるかかなたの富士へ挨拶しているのがおかしい。

山頂から少し下って、萱との原を左に分け姥子山へと向かう。

低い山を目指すのだから、当然とはいえ、帰路が心配になるほどぐんぐんと下っていく。
空の一隅を摘みとってそっと形作ったような深い青さの小さな竜胆が、
一輪だけ置き忘れられたかのように咲いていた。

 


山頂パノラマ・姥子山頂から南西面
 


姥子山の東峰は岩場になっていて、雁ガ腹摺山よりもはるかに大きな眺望の展望台だ。
岩の天辺に、まさに空中に飛び出した灯台みたいな小さな灯台躑躅が
深紅に燃えている。

はるばる三重県から、姥子山の眺望に惹かれてやってきたという
年配の夫婦と遭遇、他にはだれもいない、天と地を一望するこの素晴らしい山頂を共に堪能した。


白樺平に広がるシオジ(塩地)の
混じる森を下ると
雁ケ腹摺山と姥子山の峠を通る
林道に出る。
ここを横切って登り返すと
東峰、西峰の双耳峰のある姥子山頂に出る。

見向きもされぬマイナーな山である。
当然人影は無いと思って
東峰に立つと先客2名。
驚いた。
三重県の鈴鹿から来たと云う。

姥子山から観る富士山に魅かれ
遠路遥々ドライブし昨夜は
富士吉田の道の駅で泊ったとか。
早速写真を撮ってもらう。

姥子山頂1503m

黒岳山頂・1988m

山荘を7時15分に出て4つの頂を駆け抜け
山荘に戻り夕食をとる18時まで
11時間、
一滴の水も飲まず食わず。

登山での飲まず食わずはいつものこと。
この空っぽになった肉体の空虚感が
時として荘厳で神秘的な
恍惚の一瞬を演出することがある。

恍惚の一瞬は
滴る汗と共に不意にやって来る。
そんな時ふと思う。
《精神は肉体を超越して永劫の彼方への
旅を企てているのかも知れない》
さてこれからもう一度
雁ケ腹摺山を登り返して
大峠に下り
標高1988mの黒岳に登って
明るい内に大峠に戻れるだろうか?

リハビリ中の村上を置いて
落下する太陽と競って
黒岳の頂を目指す。

黒岳の東面は赤岩の丸(1792m)辺りまで
背の高い隅笹に覆われ
前方が見えず唯ひたすら登るのみ。
悠絽も面白くないらしく
時々立ち止まっては振り返り
「未だ登るのー?」

晩秋のこんな遅い時間に
誰も居ないと思って
山頂に駆け上がると
老登山家と孫娘らしき風情の二人組が
夕陽を浴びて
頂に立っているでは。

すっかり葉の落ちた森

下山は一人のんびりと写真を撮りながら、森の恵みを心行くまで味わう。
大峠まで戻り、待っているには時間がありすぎそうなので、黒岳への登山道をゆっくりと登ってみたが、
行けども行けどもクマザサに阻まれ、何も見えない。
30分後、熊に遭うのも困るので、大声で歌いながら下山した。

登山道の入り口に小さな四阿があり、
その周辺には檀の大木が空を染めんばかりに濃いピンクの実を鈴なりにつけている。
四阿に座り檀の枝振りを眺めているのもいいものだ。

山を半日歩き続けたからか、体の芯の部分が空洞になって、そこに懐かしい音楽が流れ込んでくるような、
不思議な感覚がやってきた。

余分なものが、みんな失せて、心地よい音色に満たされ、幸福感と呼んでいいような、
形容しがたい充実した心地の自分に気がつく。

暫くして、悠絽を呼ぶ隊長の声が響き、今日の登山の幕が降りようとしている。
次の予定だという、雲取山にも行かれたら嬉しいだろうな(でも無理かな?)と、現実に思いを馳せながら、
遠い日、ヒマラヤに憧れを抱き始めたころのときめきと、
不安な気持ちが思い出されたような気がした。



見つけたぜ!絵描きのイーゼル・雁ケ腹摺山頂
 

《イーゼルを背負って描きかけの5号のペイサージュを右手に持ち、ゆっくりゆっくり
森の彼方を横切って行ったあの絵描き》

何処へ行ったのだろう?

その解答が帰りに登った雁ケ腹摺山の頂に在りました。
山頂標識の隣に、使いかけの絵具や筆、タオルがイーゼルに掛けられ富士山と対峙していたのです。

ところで肝心の絵描きは・・・・と辺りを見渡すと・・・・居ました、居ました。
森の中で長々と寝そべって、すっかり森に成りきってすやすやと眠っていたのです。

ははーん、《3Dの絵筆にたっぷり苔の緑を含ませて森のカンバスに》放物線を描いたのは
やはりこの絵描きだな。
間違いないさ、億万円賭けたっていいぜ!


山荘の秋



原野の恩返し
山荘原野 11月6日(土) 快晴
自由な鳥になるのも
なかなか大変なもんさ。
なにしろ両手を離すと
落ちてしまう情けない鳥だから
大空に居てもヒアヒア。

そこでお得意なザイル登場。
ハーネス着けて
ザイルで幹にビレーを取れば
もう落下の心配無し。
山荘原野の真ん中が
防獣用の金網柵で区切られ
遠回りしないと
山荘には行けないのだ。

仕方なく山荘に近い柵迄運んで
網を潜らせて柿を置いたら
何だか鶴の恩返し。
さて鶴に何か良いことしたかな?
  ザイルで柿採り 



天空に秋の味覚を追う
山荘原野 11月6日(土) 快晴


いやはや何とも愉快!
体中から翼が生えて天空に羽ばたき
大きな鳥になったよう。

さてそれでは1年かけて
天空が育ててくれた太陽の実
頂くことにしよう。
光を孕む415個の柿すだれ
透明カーテンの試み

もっともっと光を孕んで
世界で一番美味しい枯露柿になって
山荘の秋を讃えておくれ。

そうそう昨秋は
鳥に襲われて折角の太陽の実で
造った柿簾
さんざんな目に遭ってしまったけど
今年は光を透す透明な樹脂カーテンで
護ってあげよう。




中庭のテラスから
薔薇のアーチを眺めると
富士がこんな風に見えるんだ。

雁ケ腹摺山の頂からの富士と
較べてごらんよ。
なかなかのもんだろ?

こっちの方がいいって!
嬉しいこと言ってくれるね。
呑みねえ、呑みねえ
山荘の絞り立てヌーボワイン!
 
雪富士と薔薇アーチ


夜明けの人影と犬影 
  解るかい?
今正に北の峠を超えて
太陽が森に差し込んだところさ。

中央の長ーい影が人で
その影に寄り添う影が悠絽さ。
この瞬間は
とても厳かな静寂に満たされ
犬だってほら、
敬虔な祈りを捧げているような。 

 






山茶花(サザンカ)

4月中旬の大雪と
夏の猛暑で果実は大打撃。
山荘赤ワインの葡萄
ベリーAも、
あの引き込まれるような
深い紅に実らず。

出来上がった今年のワインは
どうみてもバンロゼ。
だが味は悪くは無いかな。
猛暑に負けず山茶花だけは見事。
梅擬(ウメモドキ)

池の疏水の横で
秋になるとルビーの実を着ける
この灌木は何だろう?

「赤い実」で検索するが
どの写真とも一致しないのだ。
そんな馬鹿な!

万策尽きて植えてくれた造園業者に
訊いたら「梅擬」とのこと。
「梅擬」なら何度も観て
知っている筈なのにおかしいな?

採りたて柿ゼリー

ゆぴてるヌーボ
 でも確かに「梅擬」だな。
未だ未だ山荘の庭には未知が
いっぱい。
 



柿で描いた日輪に憩う
やっと治ったね!
11月7日 前庭


夜、車に乗せられて
舞瑠が山荘に戻って来た。
舞瑠の快気祝いに
作っておいたスペアリブを
与えたら大喜び。

明日からまた一緒に
森を走ろう。
でも山荘脱出の前科犬だから
夜はリードを着けたままだよ。

その夜は舞瑠、「自由にしてくれと」
一晩中吼え続けました。
さて、リードを着けた理由を
どう教えたら理解させられる?


どれどれ重傷を負った肉球を
見せてごらん。
うおー凄い回復力だな。

すっかり削り取られて剥き出しになっていた筋肉
しっかりした皮膚がついてるね。
僅かにピンク色が残っているけど、もう大丈夫。

前庭の銀杏、欅や朴も色付き、めっきり寒くなって
陽溜まりでないと震えてしまう。
回復後の舞瑠の最初の登山は雪山になってしまうかな。

舞瑠の治癒した肉球 



 

11月2週・・・・心象の自己は何処に!


発見された銀河系外惑星は木星の少なくとも1.25倍の質量を持つ巨大ガス惑星で、地球から約2000光年離れた恒星を周回している。
巨大ではあるが地球から遠いため、直接観測することはできない。
しかしセティアワン氏の研究チームは、チリにあるヨーロッパ南天天文台(ESO)のラ・シヤ天文台で観測した恒星の光のわずかな揺らぎから、
惑星の存在を推定した。この光の揺らぎは巨大ガス惑星の重力が親星の光を引っ張ることで起きる。

 研究チームはHIP 13044bの親星についても研究した。
この親星は約80億年前に誕生し、かつては今の太陽のようだったが、現在は太陽型恒星の進化過程で終盤の赤色巨星の段階にある。
赤色巨星は最大で元の大きさの数百倍に膨張し、近い軌道を周回する惑星は親星に飲み込まれ蒸発するのが普通だと考えられている。
地球も約50億年後にはそのような運命をたどると予測されているが、HIP 13044bはどうにか破滅の危機を免れているようだ。

銀河系外で惑星を初めて発見:ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 11月19日(金)17時54分配信


永劫のブラフマン
太陽の赤色巨星化(HIP 13044b)


永劫の彼方ブラフマンからの光が無数の矢になって アートマンを突き抜け 究極の真理となり放物線の肉体に激しく照射される。  ウパニシャッドの洗礼を受けた肉体は ブラフマンの光の矢を 総て1本も漏らすことなく 心象に収斂させ静かなる胎動を開始する。  やがて自我が芽生え心象は 肉体と等距離にある肉体を超越したもう一人の自己の存在に気づく。 心象の自己を求める永劫の旅が始まったのだ。




《で、この放物線を読むと何が解るんだい?
自我活動としての登山活動に
要する生命指数の
数値かな。

それとも永劫の過去と未来に
一刹那光を見せた生命の余りの
儚さかな?》


先週さり気なく記したが実は
肉体の内側にある心象から肉体までの距離と
それと等距離にあって
肉体の外側へと果てしも無く広がる
心象の自己が
求められるのではないかと思ったんだ。

ほら肉体を通して心に映る像は
いつも現実との埋めようの無い乖離があって
もう一人の本当の自己の予感に
打ち震えるような瞬間があるだろう?

心象と云う1点から発した意識は肉体を脱して
何処で本当の自己を結像するのか?
若しかすると放物線をモデルにすれば
見つかるかも知れない。

放物線という肉体の軌跡は
心象(1つの焦点)と心象の自己(1本の準線)から
等距離にある点の集合と仮定すると
埋めようの無かった乖離の意味が
はっきり観えてくる。

山荘の森を歩き、千頭星山に登りながら
定点である放物線の焦点(40、aを心象に重ね
心象と心象の自己の位置を示す
aの値を求めていたんだ。

まあ、まあ、馬鹿な試みと嘲らず
その計算結果をちらっと
観てみないかい。
中学数学程度の数学知識で充分
理解できる筈だからさ。



森で拾った枯葉&木の実
11月15日晴 居間

まあ云って見れば
放物線という肉体の軌跡も
雁ケ腹摺山の森からの贈り物だし
ならば森の木の実や
紅葉した枯葉が心象の在りかを
知っていてもおかしくはない。

そこで山荘に連れて来て
枯葉や木の実とじっくりお話しながら
久々にピタゴラスの定理を共に味わったのさ。。

先ずPを放物線の頂点Sまで移動する。
FP=PHよりSF=SNとなる。
SF=L−a=SNだから
準線はy=L+L−a=2L−a
=2L−a
さて次にaを求めるのだが
この直角三角形FPMで直接ピタゴラスを
使ってもいいのだが面倒なので
yx2 の焦点を求めてその値を使おう。

朝日に輝く赤岳(2899m)
直角三角形PFNで
(y+a= (yーa+x
これを展開して整理
+2aya2= yー2aya2+x
ay=
a=/4y ここでを代入
a=1/4=0.25
つまりの焦点は放物線の極値から
1/4離れた対象軸上に在ると
解ったのでSF=1/4 となり=−+80Xの
焦点は(40.1599.75)となり
準線は
Y=3200−1599.75=1600.25=L+1/4と判明。

最大生命指数とほ同じ距離の
天空に心象の自己は存在して
居るということ。
肉体の極値から離れれば離れる程
心象の自己は遙か彼方へ遠のく。

変化が激しく生命指数の最大値が
大きく成る程、つまり
の係数の絶対値が大きくなる程
心象と心象の自己の位置は
肉体の極値に接近する。
例えば最大生命指数が2倍の3200になれば
心象の位置は1/8まで極値に近づき
心象の自己も同値だけ近づく。
つまり肉体の極値周辺で心象と心象の自己は
限りなく一体化され
自我の頂点に達し無我を垣間見るのだ。

生命指数を高めることによって
心象の自己に限りなく接近出来るとは
予期してはいたが、こう数値で
示されると大変愉快である。

愉快ついでに朝日に輝く赤岳に
「やあ、久しぶり!今年の冬には行くから宜しく」とか
山荘で朝晩見つめている富士には
「やはり山荘で観るほうが美人だな」とか
目の前に迫る鳳凰三山には
「初雪とは云ってもその程度じゃ
かえって汚らしいな!」なんて悪たれついて・・・。

でだ。
千頭星なる奇妙な山名の稜線で
千頭の獣の霊気に想いを馳せながら
更につらつらと考えた。

準線としての心象の自己は
何故時間を超越しているのだろうか?
X軸に平行であると云うことは
時間の流れに関係なく
常にその場所に存在し続けるのだ。

そこではたと気づいた。
 
雲海の富士(3776m)

初雪の鳳凰三山(2840m) 
 

永劫の過去と未来の宇宙根本原理を表す
ブラフマンと生命原理の
アートマンが一瞬の邂逅で火花を散らす。
心象の自己の背景にあって
火花は限りなく《梵我一如》に近づける
触媒となり
心象の自己を究極の真理へといざなうのだ。

だからこそ心象の自己が
肉体の彼方に予感出来た時には
荘厳で神秘的な
恍惚の一瞬が訪れるのではないか?

そうなると話は俄然面白くなり
稜線を歩きながら
一人興奮して村上に話しかける。
「実は先週の放物線で書きたかったのは
放物線を造っている点と直線の
意味についてなんだけど・・・」

山や森を歩きながら
こんな馬鹿なことを考えているとは
思ってもみなかったであろう村上は唯々
呆れたに違いない。
山荘主は途方もない有閑人なのだ。


雪の千頭星山2139M   
  コースタイム
実施日:
2010年11月13日(土)曇 
山荘(53km)  7:40 
広河原 9:20発 
甘利山 9:40   
千頭星山頂 11:00  11:20出
甘利山 12:40   
広河原 13:00 13:20出 
計  3時間40分    
山荘  15:00 





 


千頭星山
   村上映子

この季節には28年ぶりだと云う黄砂の影響が残っているのか、この日も晴れてはいるものの、
空は青さに薄い紗を掛けたように、どこか遠い頼りない青空。
それでも、地上二千mの高さからみると、甲府盆地全体が柔らかな薄靄の中に見え隠れして、
裾野を隠された富士山がより巨きく高く美しい姿で佇むのは心象風景のようだ。

千頭星山への登山道は雲上のハイキングコースともいえそうな穏やかな起伏、
落葉松落ち葉に覆われた道はふかふかと足裏に心地よく、展ける景色の雄大さには何度も足を止めたくなる。



素晴しい展望

甘利山までは、
完全に人の手の入った道が作られ、
ただ広い山頂である。
躑躅が植林されていて、
花の季節は
さぞ見事だろうと想像される。
360度の景色を堪能、
何よりも、
空の大きさに魅かれる。
甘利山頂

枯れ草色の大地と、
淡やかな空色との狭間に佇み、
深呼吸するだけで
生きているのが嬉しくなる。

千頭星山直下の笹海

奥甘利山頂


三々五々、登山者が登っている。笹原を抜け、ぐんぐん歩けるのは快適だ。
いつもみたいには大幅に遅れないので、隊長が話しかけてくれる。
ブラフマンとアートマンの関係を放物線から説明したいのだという。
隊長の精神活動は膨大な広がりを持ち、正直私には実感できないほどの遠くを見ているのだろう。
私に見えるのは、今ある目の前のこの自然の風景の大きさが精一杯なのに。
2mを越えたあたりから、雪がところどころ残っている。

千頭星山を通過点として、鳳凰三山へも行かれるようだ。屏風のような山肌がすぐ傍らに聳えている。
もう雪を纏い、冬将軍へ向き合っている姿が見て取れる。
地蔵に登り、鳳凰小屋で吹雪のビバークをした日があったなと、懐かしい山行を思い出す。

思ったよりも、ずっと簡単に、早々と山頂に到着。
既に昼ご飯を食べているグループもあり、悠絽のリードを外した途端、
人のお弁当に突進して行くので、あわてて呼び戻す。


昼食用にサンドイッチを
たくさん持ってきたものの、
こんなに簡単に
着いてしまったので、
食べるまでもない。

帰路は奥甘利山に立ち寄り、
眺望を楽しみ、
のんびり下山。

帰りの林道ドライブは
見事な落葉松の黄葉と
赤く染まった紅葉が
印象的でカーブを
曲がる度に
歓声を上げながら、
往く秋を惜しんだ。
昨秋の雁峠からの下山時に
出会った燃えるような
落葉松の残照風景
胸の奥に蘇る。

不意に季節の繋がりが
昨年と今年を一括りに
したような錯覚に陥る。

去年の秋の毎週を
山で過ごした時間が、
そのまま今も
続いているかのような、
奇妙な感覚。

春も夏も無く、私の山は
晩秋だけが連続している。
けれどもそれは、
断絶した膝骸骨に等しく
真に繋がることは
無いのだろう。

黄金の山が真っ白な雪に
包まれたとき、
再び山に分け入ることが
できるかどうか
それは未だわからない。

だからこそ、
一歩一歩が歩けた喜びを
大切にしなくてはと、
振り返る山に
感謝の言葉を呟いてみた。
 
もう頂上に着いたの?







 

11月3週・・・・そんなら降参しろ!




  
太陽への感謝!
11月21日(日) 森のレストラン

嬉しくて
太陽にワインをかざす。
燃える葉から
零れる小さな空に頂が見える。

今、登ってきた、
あの頂と太陽をそっくり
グラスに入れて
さあ!呑みほしてしまおうぜ。

 
 





何やっとんの!
11月22日(月) 西畑のキウイ棚

 
大きなキウイの葉が
冬将軍の微かな息吹を浴び
黒と褐色に変身し
ハラハラと舞い始めた。

葉の上に蛙がちょこんと乗って
「何やっとんの?」

「キウイを採ってるのさ。
冬将軍がやって来る前に
収穫しないと凍って
食べられなくなっちゃうからね」





何やねん、これ!
11月23日(火) 前庭&奥庭  

胡散顔して悠絽が
いつまでも
じーっと見つめているのは
収穫したばかりのキウイ。

《太陽のうんちだ!》
といきなり吼えたので
可笑しくて
笑い転げてしまったぜ!
大きくて艶々しているのが
山荘のキウイで
石卓の上に乗った小さな
毛むくじゃらが森のキウイ。

山荘キウイが36.6kg
森では23kgも採れたので
これから感謝祭さ。

感謝祭は11月の第4木曜だから
未だ2日早いって。
まあ、そう云わずに盛大に
呑もうぜ!
 




燃ゆる山荘の庭!
11月19日(金) 前庭

ストーン・ヘンジのようなゲートのスリットに陽が落ちて
前庭に敷き詰められた欅の紅葉が再び燃えだす。
テラスの満天星(ドウダンツツジ)が正面から残照を受け炎を上げる。
石卓から西畑に幹を延した楓が天空に朱を振りまく。

一年に一度、よく晴れた落日の一瞬にだけ見せる炎の祭天。
炎に潜む哀しみに胸が痛む。 





 標高差千mの毛無山1946m 

快晴に恵まれた小春日和はまさに山日和。ということで、3週連続週末登山を続行。
今回は山荘から見える一番遠い山と言うことで、毛無山が選ばれた。
暗いうちに東京を出発したが、予想ほど空模様は良くない。
しかし、甲斐の空は雲ひとつなく晴れ渡り、すがすがしい空気が満ちている。
車で精進湖、本栖湖を過ぎ朝霧高原へと走り、東京農大の広大な敷地を抜け麓の駐車場へ到着。
一台止めるスペースがやっとあったが、かなり広い駐車場は満杯。


朝霧高原からの毛無山







  コースタイム
実施日:
2010年11月20日(土)晴 
山荘(64km)  7:40(犬、村上迎え) 
朝霧高原・麓 9:25発 
六合目(1550m) 11:00   
毛無山頂 12:00  12:40出
朝霧高原・麓 15:00 15:20出 
計  5時間35分    
山荘  17:20(渋滞) 





 



麓宮で安全祈願

小さな神社に参り、
嘗ては金の採掘場だったという
名残を見て、
登山道入り口へ。


落差100mの不動滝


金が採れたそうな

歩きやすい登山道が続き、
やがて一合目
という白い立て札に出合う。
この札は九合目まで
立てられているのだった。
標高差約千メートルなので
100メートル登るごとにあるわけだ。

ヘリポート

6合目1550m




この山はひたすら
高度を稼いで
登り一辺倒である。
葉を落とした木々の
向こうに覗く富士は
圧倒的な大きさで迫る。


初冬の狂い咲き(はさみ石)
ミツバツツジ

小さな岩の登りが続くので
足元ばかり見ることとなり
変化の乏しい
登りに感じるが、その分
どんどん高度があがる。

岩が階段状を成し、
通常だと歩きやすいのだが、
金属入りの膝には堪える。

 えっ!標高差千mも登るの?
11月20日(土) 毛無山 

だんだんペースが
スローになるが、
道に迷うこともないので、
マイペースで登り続ける。
ほぼ3時間
休むことなく歩を進め、

 
野薔薇の実(山頂)
ノイバラ

やっとたどり着いた頂上は
広場のようで、
かなり多くの人が
思い思いに寛いでいた。
目の前に開ける富士山は
裾野から頂上までを
惜しげなく見せ、
圧巻である。


写真を撮り、悠絽に水をやり終えると、休む暇もなく出発だという。
隊長は30分も私を待って、すっかり退屈してきた上に、このくらいの登りでは休むまでもないと思っているのだ。
ゆったりと風景に抱かれながら、のんびり山頂の風に吹かれたいというのが私の本音なのに。
それでも
10分後には下山開始。下山にまた時間がかかる私を、隊長は一合下る度に岩に座って待っていてくれた。
すぐに置いてきぼりを食って、やっと追い付いた時には隊長は所在なさげに座っている。
つまり私が見る隊長はほとんど休憩だけみたいで、私としては内心羨ましい光景であるのだ。


眼下にパラグライダー舞う頂
毛無山頂


下山の方がよほど神経を使い、疲れる。
往きには見えなかった長大な不動の滝がごうごうと音を立てて岩を滑り墜ちる優美で豪壮な様が見える。
ここで、一瞬道を間違えたかと登り返したが、間違えではなさそう。
なぜ、これほどの滝に往きは気付かず素通りしてしまったのかと、不思議だ。
登山道まで戻り、まだ真っ赤に燃える夕映えの木々を仰ぎながら、林の道をたどり駐車場へ。
もう車の中の人となっている隊長に20分遅れで追いついたことになる。
往復5時間半をたった10分の休憩で歩き通したのだから、2本の足を褒めてやってもいいかな。

帰路は朝霧高原を隔て登ってきた山頂がよく見える。
並んだ雨ヶ岳の周りをたくさんのパラグライダーが舞っている。
裾野から伸びあがる圧倒的な富士の夕景を車窓に楽しみながら、きょう一日の幸を振り返った。






麗しき峰高芝山1540m 

トレーニングルートの末端に聳える最も高い峯となる。
山荘から観る中秋の名月は、高芝山の山頂鉄塔を呑み込みながら昇って来る。壮観である。
盆地から霧が流れれば、その姿を半分隠し、一層その大きさを際立たせる。

夏には平沢や福生里の里を越え、大きな虹の橋を渡すこともある。
(高芝山ルート解説より)

  コースタイム
実施日:
11月21日(日)晴 
山荘(バイク)  7:10 
上条峠 7:30発 
P6(鉄塔手前) 8:10   
高芝山頂 9:00  9:20出
上条峠 10:30   
計  3時間    
山荘(バイク)  10:50 





  



山荘からの高芝山
11月21日(日)


  漆黒の額縁はどう?
気に入ってくれたら嬉しいな。

知ってるよね。
この出窓は君を観るために
拵えたんだよ。
春の芽吹きから緑なす森へ。
やがて森は
黄や紅に燃え白銀に閉ざされる。
生きている絵画。
昨日標高差千メートルを
登って天子山塊の
山々を堪能したが、今朝も空の蒼が
山へと誘惑する。
よし高芝山南西尾根へ行こう。

南西尾根から俯瞰すると
扇山の麓に
山荘の母屋とログがひっそりと
森と調和している。

山荘の裏山が扇山で
その直ぐ後ろが小楢山の山塊。
更に千頭星山、北岳の
南アルプスへと幾重にも
山脈が連なっているね。
まるで小さな山荘がよいしょと
山脈を背負っているよう。

高芝山南西尾根より山荘俯瞰
11月21日(日) 




夜明けの稜線・人
南西尾根

2人乗ったバイクを
犬に曳かせて
夜明けの里で風を切る。

車も人も絶えて無く
静寂のみが
大地から天空から
際限もなく湧き出し揺蕩う。

静寂の森に分け入り
高芝山の頂を目指す。
目の前に立ちはだかっていた
漆黒の静寂が朱を帯び
紅葉した木々が
燃え上がる。

漆黒の静寂に
これ程までに美しい
夜明けが訪れることは
最早在るまいと
思っていただけに暫し戸惑う。

我想う・故に我あり
瞑想する悠絽・
高芝山頂
夜明けの稜線・犬
南西尾根

森を透かして
最初の小高い丘を
赫奕たる太陽が昇った。
薔薇の光が
漆黒の肉塊に激しく迫る。

薔薇の光に透過され
生命が漆黒から
解き放たれ脈動を始める。
脈動は森の静寂に
波紋を描き
憂愁に満ちた森羅万象を
揺り動かす。

そんなにも
薔薇の光が眩いのに
犬の悠絽は動き出さない。
犬の絶望が
それ程までに深いことを
誰も知らない。





絢爛豪華なる森の絨毯
高芝山南西尾根

どうだい、こんな見事な絨毯
見たことないだろ?
ペルシャ絨毯だって、とってもとっても
かないっこないさ。

この絨毯が麓の上条峠から
高芝山のてっぺんまでずーっと、ずーっと・・・
途切れることなく
何処までも続いているんだぜ。
(そりゃ、てっぺん近くでは
岩場も少しあるけど)


どうだ、凄いだろ。
参ったか。
そんなら降参しろ!
枯葉のグリセード
高芝山南西尾根

どっさり積もった枯葉に
ストックをかざして
山の急斜面をグリセードで
一気に滑り降りるのは
とても愉快だぜ。

ズボンや袖、体の中まで枯葉が
入り込んで来て
全身枯葉塗れになっちゃうんだ。

やがて香ばしい枯葉のかおりに
すっかり染まって
人間まで枯葉になっちゃうなんて・・・
それがどんなに愉快か
教えてあげたいな!






 

11月4週・・・《耳が火事だ!》、参上仕り候!



bQ0今週のLivre                           

題名:望月百合子さんと私
著者:笠井千代

発行所:現代女性文化研究所
 望月百合子さんと私
夢二・彦乃の縁に導かれて

発行日:2010年10月29日

頒価:700円
読書期間:11月20日〜29日



おばあちゃん90歳の出版
望月百合子・竹久夢二・彦乃を語る

おばあちゃんが本を出した。
山荘にも何度か来たことのある望月百合子さんとの想い出を語ったものだが、中身は実に濃い。
大正浪漫を代表する美人画家・竹久夢二の
想われ人・笠井彦乃の妹であるおばあちゃんは夢二をコアにして様々な人々と触れ合ってきた。
その一人が婦人解放、人間解放を目指して活躍した望月百合子さんである。

読売新聞記者を経て1921年に国費留学生として3年間フランスに滞在。
帰国後、評論、翻訳、著作,講演などと幅広く活躍した望月百合子は
生前自ら「NPO現代女性文化研究所」の設立を提唱し、死後意思は引き継がれた。(扉解説より)

百合子留学中に有島武郎心中、関東大震災、大逆事件発生。
第一章「百合子さんの思い出」では大逆事件発生で殺された伊藤野枝の孫であり夢二の孫でもある竹久野生が語られ
百合子とおばあちゃん・笠井千代が共に歩んだ日々が綴られる。
第2章「夢二と彦乃」で彦乃(山)への愛慕をつづった夢二の歌集「山へよする」の出版前後の様子が述べられ
夢二研究家にとっては興味あるブックレットとなるであろう。


夢二57回忌画像等

夢二の傑作《黒船屋》と彦乃








美女持参の凄い奴・突如参上
或る日の出来ごと

ゲートの車も前庭の石卓も
枯葉に覆われて静かな眠りを愉しんでいるのに
鳴り響くインターフォンのコールチャイム。
目を見張るような美女(?)持参で玄関に
突如出現した凄い奴。

何しろ凄いとしか言いようのない奴なのだ。
十数年前の或る日の出来ごとを
ちょっと述べるだけでその凄さが解ると云うもの。
耳が火事だ!

人気者で人を愉しませるのが大好きな
色白で小太りの《うりょう君》。
ティッシュペーパーを丸めて長くし
両耳に突っ込み「はい、白耳のロバさんだよ」
とか言って友達に受けていたのだろうか?

いつも澄んだ瞳がきらきらしていて
世界の規範から超越した
妖精のような少年・司君が白耳のロバさんを
見逃す筈がありません。

この白耳に持っていたライターで
火を点けたのですから
《うりょう君》は堪ったもんではありません。
「大変だ!耳が火事だ!」
 
 




花ちゃんと司 11月28日(日)晴 葡萄畑
ヒマラヤ撮ってます
プロカメラマンに変身

突拍子もない行為に思えるが
司にとっては
仲良しの《うりょう君》の白耳に魅かれて
更に愉しく場を盛り上げるため
火を点けただけ。

耳が火傷する前に消せばいい。
と本人は思っているのだが
当然大騒ぎになり
教員に見つかりパンチの嵐。
でもケロリとしている。
何しろ本人は
悪いことだとは思っていないのだから。
確かに発想は面白いが
とても規格人間には真似出来ぬ行為。

「先生に殴られましたね」
とけろりとして語る嘗ての教え子・魚住司は
どうやら今メディアで騒がれている
登山家・栗城史多の
チームカメラマンとして活躍しているらしい。
「先月エベレストから戻ってきたんですが
来春はアンナプルナ(8091m)で
その後再びエベレスト(8848m)に行きます」

「それにしてもよくこの山荘が解ったな?
地元業者だって迷って中々
辿り着けない農道と森の迷路なのに」

「最初はHPの山荘アクセスで開こうと思ったら
パスワード無しでは開けない。
そこでネットのマップで調べ、後は勘ですよ」
山荘ワインで十数年ぶりの再会を
祝って乾杯し畑に出動。
蔓草が絡んだ二重に張った防獣網撤去は
畑仕事の中でも最も大変な仕事。
さてどう出るか?

美女・花ちゃんが絡んだ網を引き
司が留め具を外し蔓草を切り
快刀乱麻を切るが如く
なんとも見事なチームプレーである。

防獣網撤去  葡萄畑



星の数ほどの生徒と接してきたが
瞳の美しさで記憶に
残っている教え子は司だけかな。

一体あの瞳は何だったのか?
司の話を聴いていて
ふーん、そうだったのか、と
十数年来の疑問がやっと解けた気分。

小さな肉体に押さえきれぬ
溢れる生命力を抱えて
寡黙な司少年は地平の彼方を
見つめていたのだろう。
その生命力が光りとなって瞳に燦爛
していたのかも知れない。
花ちゃんシェフデビュー

そうなんだ。あの少年・司の
キラキラした瞳が
観ていたものは本当の生命の輝き。
生命がぶつかり合い
激しく燃え盛る世界こそが彼の棲家。
呑んでる時も熱く語る時も
大型カメラを離さず
プロカメラマンそのもの。

花ちゃんは突然山荘シェフを命じられ
有り合わせの食材で
御覧の通り宴の卓をセット。

明日はロバート・キャパか?  ログハウス

燃える男32歳  ログハウス
 テラスでジンジャエル・自ビールの食事を愉しんだ後はログハウスに移り
山荘特産・花梨酒を呑みながら更に山から級友へと話しがはずむ。

「クラスの女の子が2人ニューヨークで活躍してますよ。
1人は服飾デザイナーでもう1人は美容院やってて年収が1億数千万とか。
この間逢ったときも英語ぺらぺらで電話かけまくってて、大活躍してます。
親父がプロカメラマンだった小松男、覚えてますか?そうあのでかい図体のダンですけどダンも山荘に来たがってます。
今度、この山荘でクラス会やりませんか?」




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