山荘日記

その58秋ー2010年長月

 

9月1週・・・・再び天空の森へ


黒岳・・・再び天空の森へ1793m  (36km)


び天空の森へ
9月4日(土)晴 緑豹紋蝶 黒岳山顛標識にて

蝶の乱舞する時空から切り離されたような、あの天空の森は実在したのだろうか?
心象風景にふと紛れ込んだ幻想でしかなかったのでは?
アリスのようにほんのひと時、うとうととして見た夢なのかも知れない。
それならもう一度兎の穴に落ちてみなければならない。


で、再び私は天空の森へやって来たのです。
なんと、先週の緑豹紋蝶が天空をひょいと丸めて掴んで
《さあ、よーくご覧!これが天空だ。お前にあげよう》
と云いながら橙色の複眼をギョロリとさせたではありませんか。

それで初めて気付いたのです。
《私が欲しかったのは天空だったのだ》と。
一瞬の迷いも無くむんずと天空を鷲掴みにして、天空を更に丸めて
森と共に急いで呑みこんでしまいました。
もうこれで黒岳の天空の森は私の肉体に実在し続けるしかないのです。




 赤山鳥・アカヤマドリ
 
黒岳山顛

 山鳥兜・ヤマトリカブト
「日向坂峠なんて知らんよ。
どんべえかえ?
ほんなら金井商店の先
50mほどを右に
曲がれば行けるずら」

最新カーナビにも
インプット出来ぬ日向坂峠。
そうだ確かどんべえ
とか云ってたな。

人っ子一人居ない
御坂道でやっと見つけた
一人の老農夫。
どうも誰も日向坂峠なんて
呼ばないらしい。

カーナビに入れても
石和ルートを示すばかり。
老農夫のお陰で
どうにか登山口へ。
ずいぶん大きいね!
この超大型茸
猪口の仲間で赤山鳥と
云うんだ。

最初は普通の茸(下)
見えるけど大きくなると
罅割れて傘が
全体を覆い隠して丸く
なってしまう。

だから地方では
あんぱん、あかでかぱん、
あわたけ、あみこ、
おいらん、おおぐそ、でかぱん

なんて呼んでいるよ。

森ではよく見かけるけど
これ程までに
大きなのは初めて。
舞瑠もびっくり!

松虫草・マツムシソウ

節三郎(中藤)岳展望台

 赤山鳥・アカヤマドリ




 釈迦ケ岳分岐点
愉快だぜ、溢れる汗は! 
9月4日(土)晴 どんべえから大石峠ピストン

39.9℃だなんて信じられる?
京田辺市では9月5日に体温を遙かに超えた
39.9℃を記録したんだが
此処甲府盆地だって負けてはいない猛暑。

この暑さの中で終日山を駆け巡るのは実に爽快。
汗が全身から止めども無く湧き出して
肉体が入れ換わり生まれ変わったような気分。

でも汗腺が足の肉球にしか無い犬は
激しい呼吸で口から汗を吐きだすしかなく
暑さには無抵抗である。
おまけに地面は大気温より高いので犬にとって
猛暑日の散歩は大変危険なのだ。
黒岳北面の大きな森に包まれた
どんべえ峠(1370m)に降り立つと
静けさと爽やかな冷気が迎えてくれる。
犬も喜々として森に飛び出す。
9:40、帽子、サングラスを腰バンドに付けて出発。

甲武信岳で落としたので気を付けていたが又々紛失。
探しに戻ったり出発からドジ続き。
 稜線の釈迦ケ岳分岐点に出ると直ぐ黒岳山顛。
ここから長ーい稜線が西へ延びる。
果して何処まで行けるか?

黒岳を少し下ると鈴蘭峠に出る。
どうやら此処を下ると
どんべえ峠に続く林道に出られるらしい。
帰路のルートに使ってみよう。

破風山を越えて新道峠に出ると節刀ガ岳まで
3時間30分との表示。
往復6時間とみるとこれからでは暗くなってしまう。
よし今日は節刀ガ岳の取り付き・大石峠までにしよう。
悠絽はハーハーゼーゼーしながら
《そうしよう、もうオイラ駄目だ》と云ったとか。

大石峠(引き返し地点) 




冬野菜準備・白菜
山荘の夜明け・22℃
9月5日(日)晴 

どんなに暑くても
山荘の夜明けは涼気に包まれ
実に清々しい。

おや、先週種蒔きした白菜が
芽を出して
降り注ぐ朝の光に眩しそう。
扇山への朝の散歩をして
ヨーグルトとパンの朝食を山荘主と
愉しんだ舞瑠は
石テーブルに飛び乗ってゴロリ。

右の珊瑚海からやって来た
唐冠(トウカムリ)
左のヒマラヤの針峰を思わせる
黒御影の石に挟まれて
舞瑠は考えているのです。
《さて、次の冒険は何処かな?》
 
山荘は涼しいな!



隅田千倭子・・個展
ドローイング展
9月6日(月)〜11日(土) 於 銀座・井上画廊




隅田千倭子氏(左)
チベットのチルー
9月9日(木)晴 井上画廊にて

自宅前の目白通りに出来た地下鉄の雑司ヶ谷駅。
偶にはチャリンコでなく
地下鉄にでも乗ってみるか。
と雑司ヶ谷駅から池袋に出て丸の内線で銀座に出る。
地下鉄から銀座通りに出ると
目映いばかりのギンギラの太陽に直撃。
闇から光の世界へ。

松屋前の井上ビルの3階まで朝トレ宜しく
駆け登り、ドアを開く。
山荘に飾ってあるチルーと目の前で
不意に鉢合わせ。
ななな・・何だ!
どうして此処に山荘のチルーが居るんだ?


良く観ると何やら数式が天空の星々の如く
画面背景に煌いている。
超越数eを i乗し
さらにそれを超越数π乗した答えが-1と云う
最も美しい数式・
 e=-1オイラーの公式
銀河の中核にしチルーが永遠の沈黙を語る。

チベットのチルー、山荘、数式イマージュが
鏤められた無彩ドローイング。
一瞬にして魔術を掛けられたように
釘付けにされ
画面の前から動けなくなってしまった。

その異様な宿命的な邂逅を
逸早く察したのか
隅田氏が恐ず恐ずと話しかけてくる。
「あのー、それ良かったら山荘に
飾って下さい。プレゼントします」

隅田氏は山荘のチルーを見てはいない。
数式を背景に鏤めた瞬間
数学の教師であった私のことをチラとでも
思い出した訳でもない。
にも拘らずこの絵は誕生したのだ。

チベットのチルー




宴の序章
・・・喧騒と沈黙
宴の序章と終章 

「つまり超越数の方が
代数的数
(整数、有理数、代数的無理数)より遥かに多いんだ。
にも拘わらずだよ
人類が見出した超越数は
eπだけなんだ」

と、つい数年前まで授業で熱く語っていた
あの懐かしい孤独なe(ネイピア数)π(円周率)
宴の準備を始めた。

フルーツ、ワイン、皿、グラス、スプーンが
処狭しと集められ、沈黙がそこに実在するはずの
未だ見ぬ客の不在を語る。
果たしてeπの仲間は実在するのか。


喧騒の宴は終った。
無数に交わされた心からの微笑み
熱く語り合った熱情の彼方。
eπは決して孤独ではなかった。

確かに宴の高揚の中で一瞬、
微笑みも熱情も
偽りではなかったと信じられたのだ。
だがこの脱ぎ捨て去られた
虚ろな仮面、倒されたグラスは
何を物語るのか?

あれ程沢山集まった客の総てが
eπの偽りの仲間でしか
なかっただなんて!

沈黙の支配する幻想の超越数に
戻らねばならない。
この偽りのドレスを脱げば
孤独なシュルレアリスム(超越世界)の静寂に
回帰出来るのだ。

宴の終章




夜の色
夜が光りに身を委ね
白昼さえも夢を見る

沈黙がそこに実在するはずの
裸婦たちの不在を語ることによって、そこには
ひとつの謎に満ちた詩情が生まれてくる。


―松村和明「デルヴォー、夢の彼方に……」
『ベルギーの巨匠5人展カタログ』より――




敢えて共通点と云えば卓上のガラスでしか
無いのに、この淡彩を
目にした途端にポール・デルヴォーの
《沈黙》を連想した。

隅田氏がデルヴォーの影響を受けたかと思い
「デルヴォー御存じですか?」と
問うたが《沈黙》は知らないと云う。

絵について何かを知って居る訳ではない。
むしろ私は無知に等しい。
デルヴォーの沈黙も偶々リンジーの「夜の色」
使われたので記憶にあるだけ。

い立つような沈黙に満ちた詩情が
松村和明のデルヴォーの評と
重なり合い
刹那に「沈黙」とパルスを通じたのかも知れない。

宴の終章で虚ろな宴を脱ぎ去るが如く
ドレスを脱ぎ捨てた女は
デルヴォーの裸女になるに違いない。

銀座・井上画廊





 

9月2週・・・・eとπの封印された幻想




Chiru & Clematis terniflora
俺がチルーだ!
9月12日(日)晴 山荘にて

山荘のゲート前に沢山生えている
白い花の名は仙人草。
人間界を超越し不老不死の法を修め
神変自在の法術を操る仙人。
その仙人の名をとった花が只者で無いのは
云うまでも無い。

クレマチスの美しさを秘めながら
有毒成分・ポロトアネモニンを含む毒草。
食べた牛の歯がボロボロに
なってしまうので別名・牛の歯零れ。
同時に威霊仙と呼ばれる
鎮痛生薬としてその名を馳せる薬草。

仙人草の花こそ
天空と大地の渚・標高5千mを駆ける
チルーに捧げるには相応しい。
そう思ってチルーの前に白い花を飾った。

永遠の沈黙を語るチルーの
白骨と仙人草の白が払暁の光を浴びて煌く。
チベットの画家・Ang・Sangが描いた
輪廻の髑髏が白い花の間から
2つ顔をのぞかせケタケタと嗤う。
「おい!何が可笑しいんだい?」


《チルーの生息地域は、
標高5000m級の高山地帯の秘境と言われる場所で、
なおかつ、政治的にも孤立した地域ということから、
詳しい生態や生息数はほとんどわからない状態です。
この生息地域以外の場所に持ち出されたこともありません。
昔から、毛は「シャトゥーシュ(shahtoosh)」とよばれる
世界で最高級の毛織物になり
チルーの肉は味がよいということで人間に狩られ、
非常に臆病で用心深い動物になり、
生きたチルーを間近で撮った写真はほとんどありません》

(まうごてんより)
「そりゃ可笑しいぜや。
鬼灯が死者の霊を導く提灯であると知りつつ
敢えてその鬼灯でチルーの口と眼を覆い
更に毒草の仙人草を
眼前に着き付けてまでチルーを封印せんと
狼狽する山荘主がさ」

「折角、隅田氏が超越数eπをチルーに与えて
解いた封印を何故
山荘主は逆に閉じようとするんだ?」

実はねこの封印を解いてしまうと
勝手にeπ
山荘を駆け巡り仙人草をそそのかし
鬼灯を使者にして
シュルレアリスム(超越世界)の死の沈黙に
宴の参加者を牽き込んでしまうんだ。

カントールが現れるまで無限の超越世界は
神々の領域であり数学とて
例外ではなく近づくことも出来なかった。
カントールは神を侵犯しこう言った。
「無限には大きさがある。
一番小さい整数集合の無限をアレフ0と呼ぶ」

それはeπの仲間が無限に存在するとの
証明に繋がりeπは歓喜し宴を開いては
シュルの死の沈黙へ客を誘い始める。
最初の犠牲者がカントールとの噂もあるけど。
こんな噂を聴いたことないかい?

彼の大学での師クロネツカー(1823〜1891)は
「数学を気違い病院へ入れるつもりか」
といって激しく攻撃しました。
 カントールは自分の研究に対する攻撃が
あまりにはげしいのをみて、
自分の研究を疑ったりするようになり、
精神病院に入院するようにもなり、
失意のうちになくなりました。

Chiru & Clematis terniflora

 


テラスで朝食を共に(褄黒豹紋
《アレフ0》と云う言葉聞いたことある?
大学1年最初の数学の講義だったか
2番目の講義だったか
この言葉を耳にした時の
冥界を覗くような感銘は忘れられない。

アレフ1は実数の濃度で
これがアレフ0より大きい、つまり
濃度が高い、との証明に
かの有名な対角線論法が登場。

実にわくわくしたね。
 
山荘の赤葡萄3房実る(カベルネ・フラン)

それではeπの正体を明かしておこう。
eは自然対数の底で約2.7
π は御存じ円周率で約3.1。
正確には
e=lim

なにも恐れることはない。
nに好きな数を入れてごらん。
例えば5にすると
(1+0.2)の5乗だから2.48832
n=10だと2.5937423・・・
nを大きくしていくとe=2.71828・・・に
徐々にそして無限に
近づいていくのが実感できるよ。

巨峰よりスペアリブがいいな

次はπ。
半径1の円の方程式が
ピタゴラスの定理から
実に簡単に+y=1と導かれる。
この簡明で素朴な数式の
美しさに出逢い
数に魅せられた高校生は
時としてどよめく。

  ∫

授業が進みこの円方程式を
ー1から1まで
定積分し2倍して円の面積を出す。
S=πrのrが1なので
S=πとなりこの数式がπを表す。
この瞬間の生徒の反応も
愉しみだったね。
《世界は簡潔なまでに美しい》
 
山荘の白葡萄2房実る(甲斐・ブラン)


最大の問題は無限に存在する筈の
超越数が2つしか無いこと。
人類の知のレベルが
低くて2つしか超越数は
見つからないのか?
それとも我々の認識出来る世界は
2つの超越数しか
必要としないのか?

eが超越数であると証明されたのは
1873年、πは1882年。
カントールが無限集合について
革命的な論文を発したのが1875年。
僅か135年前のことである。
(因みに日本では明治8年、52歳になった
勝海舟が活躍していた時代)


攻撃され精神を病み、残した彼の言葉は
数学の本質はその自由にある」

そろそろ山荘のチルーも封印を解き
超越世界へ自由に放そう。
それから大きな欠伸をして
チルーの齎す永遠の沈黙と静寂を
私は徐に受け入れるのだ。
 
秋空に舞う(褄黒豹紋





 

9月3週・・・・忍び寄る芸術&思索の秋




節刀ガ岳・・・忍び寄る秋1736m (37km)






思索の森から天空の無限へ
カントールの山・節刀ガ岳へ 
9月18日(土)晴 大石峠

なにしろ割れた右膝蓋骨を繋いた
チタンが、膝を曲げると
ギシギシと
呻き声を上げるようで
どうも、巧く歩けないのです。

そこでもうこれ以上ゆっくり歩けないくらい
ゆっくり、ゆっくり登るので
閑でしょうがないのです。
せめてお話をしながら登りましょうか!

「でね、先週のカントールの無限問題の続きはどう?
では先ず最初に1つ質問。
さて部屋数が無限にあるホテルが満室に
なりました。
そこに1人の客が泊めてくれとやって来ました。

勿論、満室だと断られました。
さて、この客は相部屋無しで
1部屋を空ける方法を知っていると云います。
さあ、具体的にどの部屋をどのようにして空けるのか?
と生徒に投げかけると面白いんだ。
で、生徒になって自由に考えてみて!」
「そんなの簡単よ。
だって無限なんでしょ、だったら1人くらい
泊れるに決まってるでしょ。
無限の先にもう1部屋加えたって無限なんだから」


「うーん、無限の先に1を加えても無限と
いう発想はその通り正しいね。
だが、具体的にどの部屋を空けるか
示して欲しいんだな。
何かもっと巧い方法無いかな?」

あれれ・・・早いな、もう大石峠に着いちゃった。
確か麓の登山口には120分とか
書いてあったけど70分で来てしまったぞ。


峠には先客が居ました。
8歳になる雄犬のラグビー君です。
悠絽が大喜びでラグビー君を追いかけるので
おとなしいラグビー君は困惑顔。


「その1部屋を前にもってくると、すっきりするよ。
つまり1号室の人は2号室へ
2号室の人は3号室へと移れば1号室が空くだろう。
それでまんまとその客は1号室で
泊ることができたんだ」

森のルビー(耳形天南星)との語らい




森のルビー・ミミガタテンナンショウ
「実はこれ準備運動でね
考えて欲しい本当の問題は次なんだ。
そのホテルにやって来たのは
1人ではなく無限の人々。
はたしてその無限の人々は
泊まれるか?」

つまり無限の部屋に無限の人が
泊っている部屋に更に
無限の人々を入れることは可能か?」

ほらほら森の住人達が
聴き耳を立てて会話を聴いているぞ。
黄揚羽の幼虫なんぞ
しゃしゃり出て来て一席ぶって

「おほん、そりゃ無理ですな。
無限に無限が入るわけないでしょう」
 
森の真珠・森のマッシュルーム


「うーん困ったわね。
わたし自慢じゃないけど高2の
数学テストで0点とって
担任の数学教師に呼ばれて
そうそう、椎名誠の《岳物語》にも
出て来るあの名物教師スイッチョン
なんだけど・・・その先生にね

《東大卒のお父様もさぞ
お嘆きでしょう》
なんて言われて家族で大笑いした
想い出があるくらい数学は駄目。
ただ何となく無限に無限は
入るような気が・・・」


そう答えは確かにその通り。
そのホテルに無限の人々は泊れる。
さてどうすればいいか?

森の宇宙船・キアゲハ(5齢幼虫)
 

大石峠から暫く
小さなアップダウンの森が続き
緩やかに節刀ガ岳へと
登り詰めて行きます。

あちこちから森の住人達の
囁き声が洩れてきます。
森のルビー耳形天南星
話しかけていた
村上さんが突然叫びました。


「解った!1号室の人を
2号室に移して2号室を4号にして
3号を6号に・・・・と移して
そうすれば奇数の部屋が
総て空くでしょう。
奇数は無限に続いているから
それで泊れるでしょ」

 樹のリボンサルノコシカケカ


驚いたのなんの!

慎ましやかな花火が森の木陰で
パチパチと白い火花を散らし
倒れた樹木からは
勲章のリボンが飛び出し
その見事な解答を祝福しました。

 だって0点だぜ。
取ろうたって中々取れない0点だぜ。
信じられないよね。
その人がかくも見事な解答するなんて!

でも意地悪な数学教師は
追及の手を弛めません。
うーん正しいんだけどねそれを
もう少しすっきり表現出来ないかな?
 
線香花火カラマツソウ




遂に明晰な山顛に
節刀ガ岳山頂 
9月18日(土)晴 節刀ガ岳山頂

とても不思議なんです。

森は鬱蒼としていてまるで見晴らしなんて無くて
何処を歩いているか
さっぱり解らないくらい仄暗いのです。

三つ峠大菩薩に較べると
嘘のように登山者が少ないのは、この暗さ
見晴らしの悪さにあるのでしょう。
ところが永遠に続くこの暗い森が
突然大きく開けたのです。

そこが節刀ガ岳の山顛でした。
ねえ、これってまるで
数学0点だった人の仄暗い頭脳が
突然明晰な世界に飛び出たのと同じじゃない?
なぜ突然?

それがとても不思議なのです。
若しかすると有限の世界で繰り広げられる
小さな数学を遥かに超越した
無限世界の住人なのかな、村上さんは?


「すっきりした表現ですか?
あー紙に書けば直ぐ解るのになー。
そんなら頭の巡りの悪い人のために
(あーそれって数学教師のことだな)
こう言ったらどうかしら。

無限に連なっている部屋に泊っている人に
1から番号を付けて
その人に2を掛けてしまえばいいのよ。
そうすればその人達は総て
偶数番号になってしまうでしょう。

その人達を偶数番号の部屋に入れてしまえば
ほら、奇数の部屋が総て空っぽに
なって、勿論奇数は無限に続くから
無限の人々は総て泊れるのよ」


いったい本当に村上さんは数学試験で
0点を取ったのでしょうか?
疑いの目で
じーっと元数学教師は見つめたのです。

疑いの目でじーっと



 

秋本番・思索の山   

山に登ると、季節の頁が確実に繰られたことを実感できる。

大石峠から節刀ガ岳へと向かう山道は、トリカブトの鮮やかな紫が途切れなく咲き続き、
芒の穂が儚げに揺れている。
地上より早く訪れた秋があたりをすっかり支配している。

つい2週間前に出逢った、蝶の群れ飛ぶ幻想的な光景は、もうどこにも見られない。
出逢いというのはその一瞬でしかあり得ないのだという、
無常を思い知るのはこんなときだ。

大石峠でばったり出くわした中年の夫婦連れには、
ボクサー(実際はラグビー)という名の犬が同行していた。
悠絽と舞瑠は興味しんしんで、ボクサー君の周りをうろうろ。一緒に写真を撮ったり、
犬同士のおやつを交換したり、思わぬ場所での犬交流だった。出逢った登山者は、
この夫婦と、単独行の男性の二組だけという、今回も静かで贅沢な山の時間。

私のスローペースに付き合ってくれる隊長は、ときどきとんでもない難題を持ちかけて、
答えを待たずして、今度はホイホイ登って行ってしまう。

<無限に無限が入るか?>しかもそれを数学的に説明せよなんて、考えれば考えるほど訳が分からず、
一人放り出された不快な荒野で右往左往している気分だ。
もともと学生時代は数学落ちこぼれ人種、何を今更、こんなことで頭を悩ませなくちゃいけないんだと、
怒りながらも、不思議なことにこの問題から離れられない。

先回の失敗を繰り返さないように、登りも降りも足の運びに気を使う。
一歩ずつ真剣に足を動かしていると、時として頭の中も心の中もは空っぽになる。
難問題も一回空っぽになった頭と心で、もう一度挑戦してみると、不意に開けてくることがある。

自分で解を得た時の驚きと喜びは、登山での登頂と似たところがある。苦しい行程の後で、
思いがけない新しい景色を目にした驚きと喜び。
尤も私の解はせいぜい校庭の築山に登った子どもみたいなものなのだが、
そこで開けた地平はそれでも、
確かに新たな地平に違いない。山に登ることと、
数学との類似性の一端が僅かに理解できたような気がしたのは、錯覚かな。

何の役にも立たないことに、情熱をかけるのが数学者であり、その精神を支えるのは、
数学は美しいという真理だということを、読んだことがある。数学とか芸術とかは、
美を追い求めることで感動を得るからこそ、
人間にとって一番贅沢なことなのだ。

カント―ルは数学の本質はその自由にある」と云う。
自由であるからこそ最も美しい真理を求めるのであり、究極の自由は永遠の真理と結びつくのかもしれない。
天才数学者の孤独も求める山の高さも、想像するにはあまりにも遠い世界だ。
それでも、山鳥兜の深い紫に誘われるように、日常を離れ思考を遠く巡らせてみたくなるのは、
秋の山の静寂のせいかもしれない。

節刀ガ岳の頂からは、真正面に富士が位置している。
残念なことにそこだけがすっぽりと雲に覆われ、富士の姿こそ見られなかったが、
なんだかそれ以上に大きな真理の山が見えたのかもしれないと,下山してからふと思った。






芸術の秋・ノブドウ
 小さい秋見つけた
9月19日(日)晴 山荘奥庭

節刀ガ岳から戻った翌朝
庭の石テーブルによく冷やした
ワインを運んで
朝食の準備をしていました。

そしたら森の中から
馬車別当のような配達人が
突然現れて
「はーい、絵が届きました」
 ふむふむ、何だか
何処かで見たような絵だな。
そうか山荘のピアノの上に
飾ってある鹿の骨だな。

鹿の骨とあっては俺様の
大好物。
どれ、どんな味か舐めてみるか?

う、変だな味がしないぞ。

悠絽、芸術を舐める 




我想う故にわれ在り
舐めてみたけど美味くないな! 
9月19日(日)晴 山荘前庭

悠絽は舐めて名画を鑑賞しましたが
舞瑠はなにやら深刻な表情。
どうやら画面に書かれた
数式に気付いたようです。

「これかな、昨日、節刀ガ岳の森で
お喋りしていた無限の話しは?
だが、なんだよな
あの話って解ったような胡麻化されたような。

どうも山荘主はペテン師の
一味で、この調子で30年間も生徒を
だまくらかしてきたような
気もするんだけど」
「ペッペ、まじー!
これどうなってんの?
ありゃ、こんなとこに絵を飾っておいて
山荘主達はワインを呑み始めたぞ。
おいらにも呑ませてくれないかな。

畑で採れたメロンや林檎にたっぷり
ヨーグルトを掛けて美味そう!」

「実はね無限に近づくと
未だ未だ訳の解らぬ恐ろしいことが
起こるんだ。
例えば1=2の証明だって
無限への接近をつかえば簡単に出来るんだよ」


「ヤベー、又始まったぜ。
こりゃ、ワインの仲間に加わらん方が
無難だな。くわばらくわばら」
と悠絽のモノローグ。

ペッペ!まじー!




枇杷に腰掛けて
森のギャラリー 
9月19日(日)晴 山荘前庭

「これだもんな。
とても付き合えないぜや!
こんな処に絵を飾って
どうするつもりなんだ?」

悠絽の嘆きは最もです。
無窮の空に絵を放ってどうやら
1=2の証明が
始まりそうなのです。

薔薇のアーチで
仮定)  ab 
結論)   1=2
    証明) abの両辺にaを掛けるんだ。
aab 
となるよね。

次に両辺からb2を引くんだ。
ab2abb2
これを因数分解すると
a+b)(a-b)=(a-b)
此処までいいかな?

因数分解って覚えてる?
忘れていたら実際
a+b)(a-b)を展開してみると
納得できるよ。
abーab=0 になって
確かに
ab2になるだろう。

ヴィーナスが恋人
次に両辺を(a-b)で割るんだ。

(a+b)(aーb)=b(aーb)

すると(a-b)が約せるから

a+bb となるね。
ここでab だから左辺のab
すると
bb となって
両辺をbで割るんだ。
すると
2=1となるだろう。

さてこのペテンの鍵は
何処に在るか?

秋珊瑚との対峙


優秀(?)な生徒は直ぐ気付いて
「先生!a-b=0だから
a-bで割っちゃいけないんだよ」
としたり顔で答える。
そこで
「どうして0で割っちゃいけないんだ?」
と問うと
「小学校で教わったから」で終わり。

実はここから始まるんだ。
2=1
このnを無限に0に近づけてごらん。
右辺も左辺も大きくなって
やがて無限大になり
等号=が成立すると理解出来るだろう。

この証明は0の世界と無限の世界に
abを紛れ込ませ
でっちあげたペテンなんだよ。
でも同時に無限や0の世界から
見れば真実でもある。

つまり0で割ると大小関係が破壊され
総ての数は等しいとなり
有限世界での長さ、面積、体積
角度等が意味を失い
四則計算なんて不要になってしまう。

だからその無限問題を扱った
カントールに
クロネッカーはこう云ったんだ。
「数学を気違い病院へ入れるつもりか」

糸杉に包まれて




 

9月4週・・・・森からの秋の宝石




森の宝石・野葡萄
森からの秋の宝石・T 
9月26日(日)晴 居間
 
わたしたちは、氷砂糖を
ほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった
風をたべ、桃いろのうつくしい朝の
日光をのむことができます。

またわたくしは、はたけや森の中で
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かわっているのを
たびたびみました。

わたくしは、そういうきれいなたべものや
きものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな
林や野原や鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、
ひとりで通りかかったり
十一月の山の風のなかに、ふるえながら
たったりしますと、もうどうしても
こんな気がしてしかたないのです。


(童話集・注文の多い料理店の序より)


知ってるかい? 
この生きている宝石はとても短命なんだ。
折角の森のプレゼントだからと
どんなに大切に持ち帰っても
切り取られた瞬間から彩を失い始め
翌日になるとほとんど輝きは消えてしまう。

《森の中で
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かわっているのを
たびたびみました》


森の中でしかほんとうの宝石は見られないんだ。
森を離れるやびろうどや羅紗や宝石は
ひどいぼろぼろのきものに
かわって生命の輝きは失せてしまう。

でも、それでもいいからヴィーナスは
一度その宝石を身に着けたいと
頻りにせがむものだから
とうとう、山荘主は森にお願いして
プレゼントしてもらったんだよ。
どうヴィーナスの嬉しそうなポーズ。
 
秋燦爛・秋桜と野葡萄




前庭の宝石・小紫 
うっすらと雪化粧 
9月26日(日)晴 鉄塔山頂近くより

 たった1日で長く続いた猛暑が去り翌日には冷たい雨。
富士山頂はどうしたかな?

やっぱり雪だったんだ。
昨年10月6日の初冠雪より12日も早い9月25日の観測。
記録的猛暑から劇的に冬の世界へ。
 
池の彼岸・万殊沙華  
どうしようか、愚図愚図と
 迷っていた
前庭の小紫が急いで
色付いて
「みなさーん!秋ですよ」

その小紫の声を聴いて
蕾のまま暫く
池のほとりで悩んでいた
万殊沙華
紅と白銀の花弁を一気に
開いた。

 
西畑の彩・秋桜 
さてそれでは、幻想の黒岳思索の節刀ガ岳がよく見える
鉄塔山の山頂から初冠雪の富士にちょっと挨拶を。

と思って悠絽と舞瑠を連れて久々に鉄塔山に登った。
この寒さでは黒岳で乱舞していた蝶も
死に絶え、節刀ガ岳の黄揚羽の幼虫も凍え死んだであろう。

猛暑に騙されて常しえの夏を夢見ていた生命は
夢の甘さに気付く刹那さえ与えられず
瞬時にして未来への途を絶たれたのだ。

森の宝石・野葡萄 




生命の産声・蕪、小松菜、春菊・・・ 
秋野菜の発芽・収穫 
9月25日(土)晴 西畑

ペンキ屋になって
ログハウスの干乾びた
テラスにオイルステンを塗りながら
「あっ!イケネー
明朝のパンが無いんだったな、
人参パンを仕込まなくては。

それには先ず人参を畑から
掘り出さねば」と
西畑に出る。 
どうだい蕪も小松菜も春菊も
芽吹いて美味しそう。
もうすぐ緑の
びろうど絨毯のようになって
大地を覆いそれは美しいぜ。

それでは人参を抜こうかな。
うーんいつの間にか
こんなにも大きくなっていい香り。
こいつを摩り下ろして
強力粉に混ぜて焼いてごらん。

このパンを食べたら
パンへの認識が変わるぜ!

人参パンだ!・人参 




オイラも宝石着けて・舞瑠と甘蔓
森からの秋の宝石・U 
9月26日(日)晴 テラス&奥庭
 
可笑しいんだ。
ヴィーナスに森の宝石を着けてやったら
テラスからじっとヴィーナスを覗き込んで何やら
ものほしそうな顔してる舞瑠。

そうかいそうかいお前も宝石が欲しいのかい?
さてと、それじゃー宝石は
どれにしようか?

山荘の敷地からは一歩も出ない舞瑠が
中庭の石段を駆け下り
鎖のゲートを潜り抜け案内してくれたのは
西畑の下の農道。

黒ずんだ蒼紫の小さな実を
たわわに実らせたアマヅルがあちこちに。
一粒口に含むと独特な甘さ。
そうか、この臭いを嗅ぎつけてたが
山荘の外なので
今までためらっていたのか?
早速アマヅルの宝石で
飾ってやり「はい、ポーズ」と云うと
横向きの顔を見せて
「ヴィーナスより綺麗?」と舞瑠が
視線で問いかける。

食いしん坊の悠絽が
黙っている筈在りません。
しゃしゃり出てきてアマヅルの
臭いをクンクン。

どうも甘い果実には興味が無いらしく
視線をアマヅルからそらし
ビーフジャーキーのしまってある倉庫に向ける。
解った解ったそれじゃ
アマヅルのかわり大好きな
ビーフジャーキーをあげよう。

「ふん、なんだか変なもの頭に載せたな。
でもこれでビーフが食えるなら
お安い御用だ」
やっぱり悠絽は色気無しの喰気のみかな。

どう似合う?・悠絽と甘蔓




今週のCinema     13人の刺客
               
bW            劇場:池袋HUMAX 
                          
 鑑賞日:9月29日
                              評価:★★★☆☆

『IZO』を6年前に渋谷の小劇場・シアター・イメージフォーラムで観てから三池崇史の作品を気にかけてはいた。
その後、鑑賞意欲の湧く作品が見当たらず三池作品からは遠のいていたが『IZO』の印象は強烈であった。
土佐勤皇党首領・武市半平太に操られた『人斬り以蔵』こと岡田以蔵が、位相空間を超えて現代の東京にホームレスとなって甦り
権力の中枢・貴族院に属する僧院で大虐殺を開始。

「奥の院に踏み込み大僧正を刺殺し、こともあろうに現世全地球人共通の大地母神の股間に魔羅を突き立てた。
位相はIZOの怨念のカオスと化しつつあった」

いぞう》と《いそう》を重ね幕末と現代を時空で繋ぎ、凄まじい殺戮が繰り広げられる『IZO』は正に《三池崇史ここに在り》
との作品で鑑賞後は暫く興奮が冷めやらず、誰彼となく三池崇史を語った記憶がある。
さて6年の星霜が三池崇史をどのように育て上げたか、わくわくする思いで中央正面の最高席を予約しHUMAXに足を運んだ。

内野聖陽の演じる間宮図書(明石藩江戸家老)が、老中・土井家の門前でただ一人切腹する場面から「13人の刺客」は始まる。
内野聖陽の表情だけで展開する切腹場面は、超リアルで「こりゃ凄い作品になりそう!」と大いに期待。
だが徐々に杜撰なドラマツルギーとなり黒沢明の《七人の侍》との差が顕著になり、
三池の本領を発揮すべき戦闘シーンなぞは冒頭の切腹シーンの迫力は全く見当たらず、ひたすら陳腐で目も当てられなくなる。

例えば300の敵を村に誘い込み屋根の上から矢を射て圧倒的に有利な攻撃を仕掛けている場面で
未だ矢が残っているにもかかわらず、矢での攻撃をやめてしまう。
何か意図があるのかと思ったら、何と無謀にも敵のど真ん中に飛び降りて斬りかかるのである。
飛び降りた瞬間、強いショックが脚にかかり戦闘態勢を取り戻すまえに斬られてしまうのは明白であり、何とも杜撰な場面。
13人で300人を相手にするには1人でも多くの敵を飛び道具や仕掛けで倒し、敵の数を減らさねばならない。
そのような緻密なリアリズムがあって初めて迫真の映像が可能になるのだが・・・。

セットにも手を抜かず《宿場町を再現したセットは東京ドーム20個分の広さを誇り、2008年8月より2億円をかけて製作された》と云う。
役者も金に糸目をつけぬ豪華陣を揃え、最高の制作条件の元で作られた筈なのだが・・・。
プアーで無くなり名声と力を手にした三池崇史は、
最早『人斬り以蔵』になって、絶望のどん底からエネルギーを掻き立てる熱情を失ってしまったのだ。


公開2日目にして巷の評判は悪くは無い。
全国312スクリーンで公開され、2010年9月25,26日初日2日間で興収2億2837万5200円、動員は18万8986になり
映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位となった》とか。

因みに『IZO』はたいして評価されず、小劇場で公開されてからも場末の映画館のレイト・ショーで上映される程度であった。
で、4日目の29日の「13人の刺客」はどうであったかと云うと水曜日のレディース・デイであったにも拘らず
ガラガラで5分の1程度、劇場もサンシャイン通りのど真ん中に在るのでこの観客数は巷の評判とは一致しない。
マスコミ操作に踊らされてはいけない。




映画名:13人の刺客

制作国:日本
(配給:東宝)
公開日:2010年9月25日
制作:「十三人の刺客」製作委員会
監督:三池崇史
三池崇史の主な作品:『殺し屋』・カンヌ映画祭出品
『極道戦国志 不動』・ポルト国際映画祭審査員特別賞
『オーディション』・ロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞
出演者:役所広司、内野聖陽、平幹二朗、松本幸四郎、松方弘樹
上映時間:2時間10分





16今週のLivre     アルジャーノンに花束を


山荘に現れた小説家の卵がBBCにきんにくのびょうきがあまりひどくならなければ、またでかけることができるかもしれません。
でもそれは
あるじゃーのんにきいてみてもわからないことです。せんせいありがとうございました」と
記していたので気になってアルジャーノンに聴いてみようと、ダニエル・キースを開いた。


《知》もまた《肉体》と同様に哀しみと苦痛に満たされた小さな宇宙。

原題:Flowers for Algernon
受賞:
ヒューゴー賞(1960年)、ネビュラ賞(1966年)
著者:ダニエル・キース
(Daniel Keyes)
他の作品:《24人のビリー・ミリガン」、「五番街のサリー」、「眠り姫」

訳者:
小尾芙佐

発行所:早川書房
発行日:1999年10月
定価:861円(アマゾン価格)
読書期間:9月11〜25日
評価:★★★★☆


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