山荘日記その38冬ー2009年睦月

 1月1週・・・謹賀新年

本年も宜しく!

謹賀新年・2009
三つ峠頂稜1月1日(木)晴(撮影:村上映子)

鋭く突き出した岩峰に墜落しないようフィクスロープを張って
2頭の犬と共に三つ峠の頂稜に立つ。
山頂から西へ延びる頂稜は訪れる人も無く、静寂の天空に光が飛び交い
凍てついた富士が迫る。
豊穣な光に満たされた天空で雪富士、愛犬と共に迎えた
2009年の序曲に耳を傾ける。

本年も宜しく!




1月1日(木)晴 御坂登山口
半月板断裂

師走の初旬に
左膝の半月板を損傷。
ケアにケアを重ね
やっとの思いでガラパゴスへ。

DV・無重力の世界で
痛みの取れた膝に気を許し
サンタクルス島の
サボテン・ジャングルを
ジョックし右膝激痛。

しかし元旦に
山顛に立たぬ訳には
いかない。
サポーターと痛み止めで
右膝の痛みを抑え
三つ峠に向かう。

山荘主には通いなれた
山だが犬達にとっては
初めての山。
嬉しくてグングン飛ばす。



記憶無き巨木

1月に入ると三つ峠は
雪に覆われ
山稜への登山道は
白く輝く。

だが今年は晴天が続き
雪は日影に残るのみ。
明るい冬枯れの
林道の傍らに巨大倒木。

この倒木に記憶は無い。
少なくてもこの木が
倒れてからはこの山に
来ていないのだ。
通いなれていたのは
岩登り訓練に通った昔。

明けても暮れても
ヒマラヤのことばかり
考えていた二十数年前。
その時の仲間が
ここに眠っている。

1月1日(木)晴 巨大倒木




1月1日(木)晴 中川君の碑前
中川君への弔辞

人影の絶えた山稜の
絶壁に
23年前に
建てた中川君の碑が
ひっそりと冬の陽を
浴びていた。

舞瑠、悠絽この岩壁で
私の大切な山仲間が
墜死したんだ。
耳を澄ましてご覧よ。
哀しみにくれた私の弔辞が
聴こえてくるだろう。


1986年1月元旦
中川君、君は素晴らしい
1年のスタートを切った。
その日、飛ぶ鳥さえ
越せぬと言われている
難しい岩壁・北アルプスの
北穂高滝谷第4尾根の
登攀に君は成功した。



1月1日(木)晴 中川君の碑
滝谷は標高3千mの高さに
位置し冬はマイナス20℃
から30℃の冷たく
硬い氷に覆われ雪崩と
激しい風が荒れ狂う
日本で最も困難なルートの
1つである。

君はいつものあの優しい
微笑みを絶やさず
まるで初めてピクニックに来た
少年のように愉しそうに
登っていたね。

白く凍りついた睫の奥で
瞳がキラキラ輝いていたね。
あの小柄で細身の
肉体の何処にかくも激しい
強靭な力が秘められているのか
感嘆しつつ新しい仲間の
誕生を私達は喜びあった。

・・・・
困難な山に挑む者は臆病なまでに神経質で慎重である。
あらゆる危険を想定し1つ1つの危険から
脱出する術を考えトレーニングで身体を鍛え続ける。
中川君、君も実に慎重な努力家であった。
君に関しては山でのトレーニング中の事故の可能性など
私は考えてもみなかった。

今でも君の死が信じられない。
ザイルをたぐるとその先に君が居るような気がする。
又何処かの山で逢おう。
それまでしばらくお別れだ。さようなら、中川雅邦君!

1986年5月29日 スビダーニェ同人代表
日本教員登山隊隊長 坂原忠清




1月6日(火)晴 順天堂医院

その後、魔の山ナンガ・パルバット(8125m)で
中島、大宮隊員を失いインドヒマラヤで高橋隊員を国内トレーニングで
成田、大谷、小口隊員を無くし短期間に私は7名の隊員を失った。
私がこうして生き残っているのは奇跡に近いのであろう。
自らの半月板

初めて自分の
右膝半月板を見た。

大腿骨が二股に分かれた
関節部分を上から
MRIで切断した画像である。

2つの白い長方形の
ようなのが二股に分かれた
大腿骨でその周りを
囲んでいる黒い帯が
半月板である。

画像の右が内側半月板で
ここに酷使老化による
断裂があるらしい。
医師によると半月板は
決して修復されず
手術をしても元には戻らない。

この足がヒマラヤの山顛に
立つことはもう2度と
ないのであろう。
足だけが逸早く中川君の
世界へ旅発ったのだ。



生誕と同時に
約束される唯一確実な
未来は死である。


そして5月、富士山。
吹雪に襲われた山頂テント。
本年夏のブータン計画
来年度のナンガ・パルバット
を語り厳しい登山の持つ
意味について
君と語り合った。

あえて困難と危険を求める
厳しい登山には
鮮やかに生きているという
強烈な実感があり
私は猛烈に生きたいという
欲求に襲われる。

生きていることは何て
素晴らしいんだ!
人を愛し酒を酌み交わし
本を読み宇宙の彼方へ
想いを馳せる。

優しい緑の山はやすらぎを与え
困難な岩と氷の山は
生きる意味を教えてくれる。

1月1日(木)晴 碑の山稜から




1月2日(金)晴 テラス
ささやかな新年会

若手が来たら
犬のオーナーと一緒に
新年会でも
やろうかと思っていたら
幸子さんから電話。

「明日お伺いしても
宜しいでしょうか?」
朝のトレーニングを終えて
テラスに新年会準備。

焼きたての山荘パン
山荘の野菜をふんだんに
使ったシーフードサラダ
山荘コロッケ、山荘で採れた
キウイ、干し柿の
ヨーグルト添えフルーツ
K2と名付けたスイートなど
いつもの簡素なメニュー。

白と赤の山荘ワインで
「Happy New Year!」
あっ!忘れた
山荘ご自慢のカクテルグラス
に乗せたコーンを。
次に来た時は是非
食べてもらおう。



侑生君の探検

さあ!侑生君
探検にでかけようか?
先ず2階に昇ってみよう。

ほらお父さんが
手を振ってるの見える?
悠絽も侑生君を
見上げているね。

もう直ぐ
2歳になるんだって!
何に興味を持つように
なるのかな?
ロフトにあるプチ天文台に
行ってみよう。

ほら沢山の蝶も居るだろ。
世界の蝶が集まってるよ。
これは先週エクアドルから
持って来た赤道直下の
蝶達だよ。
さあ、次は
屋根を開いて森を見よう。

1月2日(金)晴 2階テラスから




1月2日(金)晴 テラス下
未来の侑生君

キーボードでお母さんに
大好きな
『きらきら星』を弾いて
もらったりして
室内の探検を終えてから
今度は庭の探検。

テラスに寝そべっていた
悠絽がもっそり起きて
侑生君の白いほっぺを
嘗めてご挨拶。

そうだこんな風にして
悠絽に跨って
一緒に散歩出来たら
どんなに愉しいだろうね。

犬6匹猫10匹も飼っている
動物好きな両親に
育てられたら
侑生君はきっとアラスカで
犬橇使いになって
雄大な氷の大地に夢を
追うのかもね。

それともアフリカで
野生動物のレンジャーに
なるかな?
楽しみだね!



山荘土産

お父さんの直樹さんは
地元日川高校ラグビー部で
鳴らしたスポーツマン。
この美しい玉宮の里で
育ち山荘下の
玉宮小学校に通ったとか。

さてそれでは
山荘のお土産を持って
いってもらおうかな。
やっと甘くなったキウイと
今最高に甘い枯露柿
そうそう畑の野菜も
沢山持っていって!

あれっ!
いつの間にか無花果を
見つけて。
でもそれ食べられないから
この小松菜とか春菊とか
持っていって。
南米で手に入れた
タイガーストーンもあげよう。

1月2日(金)晴 中畑




1月2週・・労働の歓び



雪景色山荘

昨日都内で雪混じりの
雨が降り
初雪のニュースが流れた。
さて問題は山荘の積雪

多ければ山荘には
車では近づくことすら
出来ない。
幸いにも塩山市内は
殆ど残雪無し。

何とか冬用に造った
東の森駐車場に車を入れ
山荘まで歩いて登る。

陽に溶けて積雪は
僅かだがこれでは
建設中のテラス資材を
車で運び込む事は
出来ない。
1月10日(土)晴 奥庭



犬の不在続く

雪が降ったら
犬達と走り回ろうと
心躍らせていたのだ。
だが犬の受け渡しは
山荘路の凍りつく
夕方か朝なので迎えに
いくことは出来ない。

一度雪が降ると山荘路は
昼でも溶けず
凍りついたままで山荘は
陸の孤島になるのだ。

犬の迎えがせめて昼の
時間帯なら
犬と共に山荘に上がれるが
オーナーの都合で
そうもいかない。

残念だが当分
犬達ともお別れである。
1月10日(土)晴 テラス




1月10日(土)晴 西畑
畑の野菜達

野菜達はどうなって
いるだろうと畑に降りる。
ブロッコリーが
雪をものともせず
美味しそうにつんつん。

寒さに強いほうれん草や
青梗菜は
雪を被っても益々元気。
驚いたことに
サニーレタスが凍りつき
ながらも未だ食べられそう。

流石に春菊は保温シートの
下でもしょんぼり。
うん、未成熟大根、冬菜も
蕪も小松菜もまだまだ元気。

新聞紙で包んでおいた
白菜と土中に
埋めておいた大根と
沢山の野菜で鍋物にするか
それともモツ煮込みでも
作ろうか?



週末未熟大工の奮闘記・T

建設の歓び

やはり建設中の工事を
中断する
訳にはいかん。
ツーバイフォー(2×4M)
12フィートの
重い角材をトラックで運ぶ。

といっても車は山荘まで
上がれない。
下の駐車場まで運搬し
そこから人力で
10往復して何とか運ぶ。

一緒に購入した5mの
鉄パイプは流石に重くて
荷揚げに汗を流す。
山荘で4番目になるテラスが
だんだん形を成してくる。

嬉しいね!
試行錯誤しながら
物を造っていく歓びが
甦って来る。
ログ建設以来の歓び復活。

1月11日(日)晴 東の森背景




1月11日(日)晴 北の森背景
労働の歓び

こんな風に森の中で
汗を流し働くことに
憧れて半世紀!
まさかこの日が来ようとは
夢にも想っていなかったので
何だかスキップでも
したいような気分。

畑で野菜を作り
土を捏ねて陶芸作品を成し
果物を育て
ワインやビアを造り
森や山を走る。

自給自足に近い生活を
することに
これ程の深い歓びが
潜んでいるとは驚き!

疎外された労働は
苦しみと人間性の喪失を
生み出すが
労働は本来歓びなのだ。



人間性の喪失

切断用グラインダーで
鉄パイプを切り
ハンマーの代わり岩で
鉄パイプを打ち込む。

久々に浮かんだ
ヘーゲルからマルクスに
継承された《疎外》が
不意に青臭い時代を
映し出す。

自らの労働によって
生み出された物や制度に
逆に支配され
労働から歓びが失われ
利益追求の果てに
人間性の喪失に至る。

正にその通りと
夢中で読み漁った
『マニフェスト』
『哲学の貧困』の文言が
森を飛び交う。

1月11日(日)晴 第4テラス




1月11日(日)晴 高芝山

氏は『社会主義』はベルリンの壁崩壊と共に去ったという。
『自由市場』と『リベラル民主主義』の結びつきは新たな夢を
90年代のグローバル化を通して世界に広めた。

しかし9・11同時多発テロで新ユートピアの夢も終わり人々や国々を
隔てる新しい壁がイスラエルとガザに米国とメキシコに
アフリカのマリと欧州等に生み出された。
更に金融危機は『市場万能の資本主義』の破綻をもさらけ出した。


世界システムは米国の一極支配から多極支配へと変わりつつあり
国際社会には政治決定による信頼性の回復が必要と結んでいる。
高芝山満月

労働の汗に感謝し
ビアの栓を抜いたら
いきなり大窓から
満月が昇った。
この満月を寒い夜に耐え
見ている人々が居る。

百年に一度と言われる
経済恐慌が世界を
襲い日本でも
派遣社員や正社員までもが
大量に解雇された。

年末には日比谷公園で
年越し派遣村なるものが
出現し仕事を失い
会社の寮から追い出された
人々が集い
ボランティアが対応した。

疎外された労働どころか
労働そのものが
金融危機によって
失われてしまったのだ。

何故なのか?
旧ユーゴスラビアの哲学者
スラボイ・ジジェク
12日の朝日で
『政治の再生』を語った。


知性のけつじゅう
山荘主モノローグ


つい最近までは世界経済は国家を超えて成長し
やがてコングロマリット(複合企業)が世界を支配するであろうなどと
言われていたが再び経済への国家の介入が不可欠となったのか?

生産性の向上により氾濫する剰余価値が金融経済を生み出し
実体経済を狂わせ世界を恐慌に陥れている構造に
メスを入れられるのは果たして国家であろうか?
最終的に国家が決断するにしてもその内容を政治家に
委ねる訳にはいかないだろう。

国民の75%(1月13日現在)が好ましくないと反対する定額給付金
財政が逼迫し3年後には消費税を大幅に上げようと企む一方で
唯単に均一に金をばら撒くだけの愚策・定額給付金支給を
敢えて強引に実施しようとしている国。
愚作は一応策ではあるが、これはとても策とは言えない愚行である。
総理大臣の支持率が20%を割っても尚愚行を押し通さんとする
何処かの国家に世界恐慌を解決する能力があるとは
とても思えない。

世界に溢れる失業者、世界各地でのテロの横行、各国政治の破綻
むしろ超国家による知性のけつじゅう(結集)こそが今求められて
いるような気がしてならない。






1月4週・・凍てつく存在・危うい拮抗



冬将軍の息吹

冬将軍が近づくと
肉体がざわざわしだして
雪を踏み固め
山稜にテントを張る日が
待ち遠しくなる。

重い荷を担いで
汗を滴らせラッセルに励む。
やがて目指す岩壁や山稜に
至り冬将軍の声を
聴きながら垂直の空間に
身を躍らす。

激しい吹雪でさえ
好ましく感じられた躍動する
生命は
今静かに山荘の森の
冬将軍の息吹を見つめる。
肉体はもう騒がない。
1月26日(月)晴 平沢の集落




危うい拮抗

芥川や太宰とは
又異なる
高橋の『憂鬱なる党派』
の暗さに
救い様の無い存在の重さ
を感じ続けた学生時代。

存在の重さに圧倒されつつ
躍動する生命力は
肉体と精神の限界の彼方
ヒマラヤに光を追った。

その危うい拮抗は
例えばこの冬将軍の
息吹と水の流れ。
小川の流れは
将軍の息吹に怯えながら
それでも活動を止めず
流れ続けようとする。

だが実は水の流れを
可能にする
一気圧での0℃から
100℃程の環境条件は
宇宙の中では
奇跡以上に在り得ぬ
状態なのである。

どんなに流れ続けようと
抗っても
宇宙の極寒を背負った
冬将軍の前には
為す術は無い。

拮抗は破られるべくして
破られるのだ。

流れを止めて凍るがよい。
若しかすると
凍ったまま破砕された地球の
破片・彗星となって
永劫の旅に
出られるかもしれない。
1月26日(月)晴 寺平の小川



氷の小川へ

嬉しくて嬉しくて
繰り返し立ち上がって
抱きついて来る。

「解ったよ」
と言って胸に掛けた
前脚を下ろすと又直ぐ
飛びついて来て
甘えた声を出しじっと
見つめる。

山荘に連れて来てから
もう2日も経つのに
未だ同じ歓びを表現し
2週間もの別離を埋めよう
と触れたがる。

さあ、それでは今朝は
氷を見に行こう。
1月26日(月)晴 寺平の小川




1月26日(月)晴 北の森
氷のアラカルト

森のテーブルは
全くお客さんが途絶えて
しーんとしています。

それでも未だ
お皿の水が凍ってない時は
小鳥や森の動物が
訪れてオアシスになって
いたのですが・・・

こうなっては
もう駄目です。
何しろカチンカチンになって
まるでガラスなんです。

針のような松葉や
椎の枯葉、あれ団栗まで
閉じ込められて
こんなお料理は誰にも
食べられないね。

さて悠絽と舞瑠のお皿は
どうなったかな



あれっ!又呑めない

やっぱり!
散歩の前に入れたばかり
なのにもうバリバリ。

でも一応悠絽は
前脚で氷を叩き引掻き
努力はしたんです。
氷はひび割れもせず
悠絽の努力を
嘲笑うだけでした。

もっともっと寒い
南極の冬を乗り越えた
タローとジローは
氷を齧って
水分を摂ったのだろうか?

散歩の前に割った
氷が散乱して
すっかり山荘は氷点下。
1月26日(月)晴 奥庭の犬小舎




1月26日(月)晴 福生里山麓
厳寒に凛と!
蝋梅開花


マイナス6℃なんて極地
やヒマラヤの寒気に
較べたら
寒さの中に入らないが
都会からみれば
中々大した寒さである。

大した寒さに
花を咲かせる蝋梅
実に大した生命力。

小川の留った流れに
冬将軍の脅威を感じるより
この寒気の中で
尚生殖を試みる美しく
強靭な生命に
讃歌を贈るべきである。

ろうたけた美しさとは
正にこの花。
と思ったが字は異なる。



たった一輪の孤独

うっそー!
この里で梅が綻びるのは
3月に入ってから。
山荘の紅梅はその白梅の
後からやっと開く。

未だ2ヶ月も早い1月。
一体どうしたんだろう。
それも無数にある蕾の中で
咲いているのは一輪。

無限に広がる虚空を
背景に何ら
畏れる素振りも見せず
微かな香りを散らし
蝋梅の隣に並ぶ。

きっと蝋梅の強靭な
生命力が花粉に乗って
流れ紅梅を
いざなったんだろうね。

そして一輪の紅梅だけが
敢然と冷酷な虚空に
開花したんだ。

1月26日(月)晴 福生里山麓




1月26日(月)晴 平沢の集落
追記:『3月22日にアップされてるよ』
と教えて貰いました。感謝!感謝!
迎春花
黄梅


蝋梅、紅梅に較べると
花弁に気迫が無いが
オウバイも開花。
花弁が白いのはきっと
凍り付いて脱色
してしまったんだね。

しかしおかしいな。
昨年も厳冬期に見つけて
HPに載せた記憶が
在るのに見つからない。

確か蝋梅、黄梅と
撮影してHPにアップした。
これで紅梅が
撮れれば梅3景になるが
やはり未だ咲いてないな。

と落胆したのまで
覚えているのに。
何処へきえたの?
老化による錯誤症進行中か!



三椏のふくらみ

氷の芸術品を巡って
上条の森の入り口から
鉄塔山山麓に向かった。
途中に小さな建物がある。

嘗て里の子供達を
集めたであろう
可愛らしい図書館。
その名も一坪図書館。

小さな庭にはシーソーや
ブランコがあるが
今は全く人影が絶え
忘れ去られた図書館。

凍てついた庭の
何処かで春の気配。
くんくんと鼻をひくつかせても
匂いはしない。

あれだ!
ミツマタの蕾が膨らんで
きっと今年も
子供達が還って来ないかと
待っているんだ。

1月26日(月)晴 一坪図書館庭




1月25日(日)晴 扇山山頂
注連縄奉納

村のどんど焼き
1月14日である。
その夜に正月の注連縄を
持ち寄って焼く。

2年前のどんど焼きは
週末だったので
参加出来たのだが残念
今年は木曜日。
注連飾りはゲートに
残されたまま。

焼けなかった注連飾り
いつも扇山山頂に
奉納している。
だが考えてみると奉納
はおかしいかな?

そもそも注連縄は
不浄なるものの侵入を
禁じる印である。
その役目を終え注連縄には
不浄が着いている。
だからこそ焼くのだ。

それを山頂に置いて
神に還すのは
正しいのだろうか?
そうか神が清めてくれれば
リサイクルされて
再び山頂で不浄を
追い払ってくれるのかな?



工事も一緒に!

工事現場で作業してると
山荘主の姿が
見えないので犬達が
とても寂しがる。

犬が自由に動けるように
木々の間に長い
ランニング・ロープを張って
現場を共にする。

床板の厚い角材は
径6ミリ長さ100ミリの
6角ボルトで鋼管に固定。
この穴開けが難しい。

角材の穴と鋼管の上下に
開いた3つの穴が
一直線上に来ないのだ。
上から点をA、B、Cとすると
直線ABとBCが出来て
一致せずボルトが
通らない。

悪戦苦闘しつつ下に
降りると犬達が
興奮して
「さあ!今度こそ散歩」
と騒ぐ。

1月25日(日)晴 北の森



鵞鳥張り完成

12フィートの角材43本を
張って床が完成。
角材は微妙に反っていたり
曲がっていたりで
ずれが出来る。

その上ボルト固定が
2ヶ所だけなので
歩くと啼くのだ。
京都知恩院の板張りは
『鴬張り』と
呼ばれているが
このテラスはとてもそんな
粋な音ではない。

精々鵞鳥かアヒル。
そんならいっそ
鵞鳥張りと命名して
大いに愉しんでやろう。
1月25日(日)晴 ログテラス






週末未熟大工の奮闘記・U



轟音の渦中に一つの沈黙が冴えて、意識のあらゆる地表に
凄絶な火花が炸裂した。
(平野啓一郎:《決壊》の末尾文より)
鋼鉄への試み
1月26日(月)晴 テラス工事現場

緊張に手が震える。
なにしろ鋼鉄の切断なんて生まれてこのかたやったことはない。
そうそう鉄糸鋸での牧歌的な手動切断はしたがあれとは較べものにならない。
あの絶望的なまでに堅い鋼鉄を瞬時に切断する途轍もない暴力的な力に恐れ慄く。
切断刃が鋼材に食い込む瞬間に、経験したことの無い恐ろしい力が加わる。
火花が激しく飛び散る。

さしあたり《決壊》の末尾文を載せる事しか出来なかった。
私の心象風景の核心に触れながら、この一連の画像と《決壊》との
乖離は絶望的で
繋ぎの言の葉を紡ぎだすことは出来なかったのだ。
せめて今週のタイトルを『凍てつく存在・危うい拮抗』することで
読み続けたこの2週間、私の存在そのものを激しく敲いた《決壊》に対する書評としよう。



ログへの通路

この鋼材の手摺りを
切断しないと
テラスはログに通じない。
どうしても切らねば。

だが鋼管の径は
切断刃の半径より長い。
反対側からも切り込まないと
切断出来ない。

しかし反対側はログ壁が
邪魔して
切断機が使えない。
このまま刃を下に回し
下部を切断し
更に上に回し上部を
切るしかない。

それでも一部
未切断部分が残る。
どうするか?
残したまま先にログ壁を
切ってその後
反対側から鋼管を
切り落とせば良い。

それには今度
鋼管が邪魔になり電動鋸が
使えない。
ログ壁と鋼管が互いに
邪魔しあって
どちらの切断も難しい。

進退窮まって奇策に出る。
未切断部分に
岩を打ち下ろし強引に
ぶっ千切るのだ。
1月26日(月)晴 工事現場



切断機の叛乱

堅い鋼材を切るには
鋼材より更に堅い金属か
石の粒子を使う。
削り取る瞬間に途轍もない
摩擦熱を生じ
金属が火花を吐き燃える。

火花に強烈な力が加わり
切断機が
跳ね飛び左腿に飛んだ。
ズボンが発熱で溶かされ
僅かに太腿に接触。

危機一髪で
大事は免れたが太腿には
血の滲んだ切断機の
キスマークが残された。

しかしこれで難関突破。
ヤッター!
1月26日(月)晴 工事現場



やっと開通!

鋼材の切断が終われば
ログ壁の切断は
簡単と侮っていたら
これまた大変!

ログ材は上下に組合わせ
固定しているので
電動鋸でそのまま切ると
ばらばらになってしまう。

先ず離れないように
ログ材を別の角材で固定し
それから切り込んでいく。
厚いログ材は
電動鋸の刃を受け入れず
緊張が続く。

両側と底部を切ると
ついに通路が開く。
1月27日(火)晴 ログテラス



パノラマ回廊

開通した通路の
入り口の柱取り付けが
4度も失敗。
鋼管と柱を結ぶ
『垂木止』のボルト穴の
位置が微妙で
僅かにずれてしまうのだ。

最初の柱で失敗。
上下を反対にして穴位置を
変え更に裏表を逆に
し3度穴を開けなおす。

それでも駄目でついに
新しい柱に換え
どうにか回廊の完成。

いやいや素人の
試練は実に多くの
教訓を与えてくれますね。
1月27日(火)晴 ログテラス



トーテム・ポール
チベット・ヤク


《神話的な過去において
神秘的・象徴的な
関係で結びつけられている
自然界の事物》

となれば当然
山荘のト−テム・ポールは
ヒマラヤを象徴する
事物でなければならない。

連年のチベット遠征で
多くの未踏峰登山の基地
として機能し
チベットのアンチークや
絵画が置かれ
チベットハウスと化した山荘。

遠征キャラバンを共にした
ヤクこそが
トーテム・ポールに相応しい。

標高6千mの
チベット高原に棲息。
体重5百kgの
体は蹄の辺りまで達する
黒く長い毛に覆われ
長い角は1mにも達する。

チベットのヤクは
正にヒマラヤの主なのだ。

1月27日(火)晴 ログテラス




2006年9月29日 チベット高原
撮影:大田正秀 人物:村上映子
ヤク・キャラバン
カンペンチン(7293m)


ヤク無しのチベット登山は
考えられない。
この巨体に登山装備を
積んで登山基地まで
キャラバンを続けるのだ。

ヤクの画像を載せようと
チベット隊員に
頼んだら即メールが届いた。
2年前の遠征画像だ。

目標の山への
ルートが見つからず
チベット高原をヤクと彷徨った
あの日が昨日のように
ありありと甦る。

山荘のトーテム・ポールは
その時持ち帰ったヤクか
それとももっと前だったか
最早定かでは無い。

いずれにしても
天空に限りなく近い
チベット高原を走り回って
いたヤクなのだ。


ヤクさんログへようこそ!
チベットの澄んだ碧空とは
比べ物にならないが
山荘の空も中々綺麗だろう。



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