海亀の島へ



黄金の馬頭星雲
龍の落とし子・Sea Horse

オリオンの三ツ星に棲む漆黒の馬頭が位相変換してガラパゴスにやって来た。
1600光年の彼方で、蒼く輝く星々を生み出したように
ここでも沢山の海の星を生んでおくれ。

撮影場所:Bartolome Is Cousins Rock
撮影日時:2008年12月20日



瘤付きに黄線あり
メキシコ豚魚・雄


ガラパゴスに棲息する
魚類は他の海域に
較べると極端に少ない。
僅か289種である。

海水魚は約14550種
なので2%程である。
海は繋がっているので魚は
自由に行き来し
もっと多くの魚種が棲息
するはずだ。

なぜ繋がっている海が
ガラパゴスのみ
孤立しているのか?

その孤立した海へ
メキシコから君達の祖先は
やって来たんだね。

魚の世界では雌が雄に
雄が雌になったり
性転換は珍しくないけど
豚魚君は瘤まで付けて
これじゃ雌になれないね。

Mexican Hog Fish・male




Mexican Hog Fish・female
同姓同名だぞ・雌
メキシコ豚魚雌

そうこれが豚魚の雌。
雌雄で文様が異なるのは
良くあることだし
不思議じゃないけど
頭部の形状までが異なるね。
雌には頭の瘤が無いだろ。


瘤問題はさて置いて
繋がっている海なのに
なぜガラパゴスは孤立して
いるのかが問題。
君達は知っているの?

そりゃ知ってるさ。
婆っちゃんが教えてくれた。
昔むかしこの辺りは
海の砂漠だったんだ。
ここにやって来られるのは
砂漠の長い旅に
耐えられる大型回遊魚。



お前は誰だ?
パナマ牙銀宝

ギンポ(Blenny・銀宝)君!
そういえば君も
ラパスでお目にかかったね。

海底をこちょこちょ
いざるように泳ぐ君達が
どうして海の砂漠を超えて
此処まで辿り着いたか
不思議だな。

だが話が脱線する前に
ガラパゴスの魚種の少なさ
現在の孤立状態
海の砂漠だった3つの
関連を教えておくれ。

それでは豚魚君の
物知り婆っちゃんに
聴いてみよう
先ず魚種の少なさから。
Panamic Fanged Blenny



Blunt Head Triggerfish
蒼い胡麻紋柄
丸頭の引き金魚

「何々?」とやって来たのは
見たこともない
青いゴマモンガラ君。

いやー驚いたね!
まさか「青い銃の引き金」が
居るなんて
世界の海は実に広いね。

婆っちゃんは丸頭に語る。
「つい最近まで、そう5百万年前
までここは海の砂漠
だったのさ。

火山が陸を成し魚の棲息が
可能になったが
何しろ陸まで千kmも
離れているので
おいそれとやって来れる魚は
居やしないのさ。

つまり此処は海の砂漠に
孤立した
島なのさ今でもね」



ミゾレフグ
霙河豚
ギニアめんどりフグ

「でもさ、5百万年も
経てば
いろんな魚が流れ着いて
魚種が増えるだろ」

のっそりやって来た霙河豚が
イチャモンつける。
この超遅くて鈍間な河豚が
此処に生息してるなんて
それこそ奇跡。

果てしもない砂漠を
河豚が旅出来るとは
とても思えない。
どうして此処に居るの?

再び婆っちゃんは語る。
Guinea Fowl Puffer



三帯蝶々魚
東部太平洋蝶々魚

「海の底を這いずり廻る
銀宝にしても
泳ぎの遅い河豚にしても
勿論、海の砂漠なんか
越えられはしないさ。

多くの魚が越えらず
未だに魚種の少ないこの島へ
来られたのは多分
偶然と奇跡を手に入れた
河豚や銀宝の卵の
おかげなのさ」

「じゃ、小型で遠泳に向かない
蝶々魚の仲間も同じかい?」
と会話に加わる蝶々魚。
ココ島やガラパゴス界隈に
棲息する数少ない魚。
此処で逢えるとは幸せ。
Three Banded Butterfly Fish



床屋魚
掃除で食べてます

パンダのような目の
クリーニング魚もやって来ました。
「あら!ラパスの床屋さん。
あなたもこの話に
興味があるの?

あなた達の卵も
偶然と奇跡を手に入れて
此処に来たのかしらね」

「僕たちの卵は
生み出された途端に
直ぐ食べられてしまうことが
多いんだ。
だから沢山生んで
生き延びられる卵を1つでも
2つでも増やさねば」

此処で
またまた婆っちゃん登場。
Barber Fisf



キング蝶々魚

「その偶然と奇跡を
手にした生命がここで
500万年かけて
独自に進化を遂げ現在に
至っているのさ。

南米大陸から分離して
ガラパゴスが出来た
との説も最初あったけど
それならもっと
魚種が豊富なはずだろ

つまり逆に魚種の少ない事が
海底火山が
陸を生み出した証拠でも
あるんだよ」

口元に髭を生やした
キングが蛍光色の縁取り
を光らせて登場。
King Angel Fish



果てしなき群れ

「婆っちゃん、無理があるぜ。
この島には5つもの
海流が流れ込んでいるんだ。

深海から湧昇する
赤道反流のクロムウェル流は
別としても
南米大陸西沿岸を
流れるフンボルト海流なんか
多くの魚を運んで来るし
赤道直下をエクアドルから西に
流れる南赤道海流だって
大陸の魚を大量に運ぶ筈」

あれ、いつの間に凄い数の
キングが群がって
興奮して捕食中。

「我々キングはそのいずれの
海流とも関係ないんだ。
中米から流れるニーニョ流
に乗って来たのさ」
King Angel Fish



Burrito Grunt
トルティーヤ鳴魚

「そうそう我々だって
名前から分かるように
唐黍をこねて焼いた
トルティーヤだからね。

祖先はメキシコから
やって来たに違いないよ。
そうなるとやはり
ニーニョ海流だね。

でも結果として
魚種は少ないのだから
やはり君達は
偶然と奇跡の帰結と・・・」

と婆っちゃんは抵抗するが
流れはもう1つ。
南米大陸の沖を流れる
ペルー外洋流も島に
流れ込んでいるし・・・



黒縞セイラマ

こうなると偶然と奇跡が
実現する可能性は
5倍にもなるわけだから
やはり陸から遠隔の
火山隆起だけでは
魚種の少なさは説明不可だ。

イサキ科のセイラマが
群れを成して
突っ込んできて一言。

「問題は魚種の少なさより
むしろ固有種の多さに
あるんだろ。
何しろこの島の魚類3百種の内
23%に当たる約70種が
固有種なんだぜ」
(メルレン1988年調査結果)
Black Striped Salema



群遊・黄尾外科医魚

沖縄の海で見られる
魚のかなりの数が
フィリピンで棲息し更には
赤道を遥かに超えて
オーストラリアの海でも
多数見られる。

つまり海は1つで
魚はいつだって自由に
海流に乗って何処へでも
旅が出来るんだ。

それなのに何故
ガラパゴスだけ固有種は
とどまるのか?
これこそが大問題なんだ」

黄尾を閃かせ
メスを備えた外科医魚
肯く。「そのとおり」
Yellow Tail Surgeon Fish



黄尾外科医魚

「魚種の少ないのは
魚が海流に乗って入って
来ない事を意味し
固有種の多いのは反対に
魚がこの島々から
出て行けない事を示して
いるんだよ。

ほら、黄色い尾の根に
白黒のラインが見えるろ。
あれが我々の名の由来
外科医のメスさ。

切れ味は抜群で
敵が近づこうもんなら
必殺技をいつでも披露するぜ」

話を脱線させるなよ。
出入りが困難となると又
振り出しに戻って
この島々が海砂漠の
オアシスになってお終いだよ。
Yellow Tail Surgeon Fish



ガラパゴス天竺鯛

「おいら天竺鯛だけど
天竺ってどこだか知ってる?
インドだぜ。

我々の祖先はインドから
北赤道反流に乗って
中米まで来て
それからニーニョ海流に
乗り換えてここまで
来たらしいのさ。

凄い困難な旅だったと
言い伝えられているよ。
ここに定着し
何処にも出られぬまま
5百万年かけて
固有の進化を遂げ
我々だけの宇宙を形成
しているのさ」

Cardinal Fish





藤壷銀宝

Blennyには泣かされたぜ。
Blennyが銀宝(ギンポ)
分かるまでに
辞書やネットのサーフィンを
繰り返しやっと
お前さんにたどり着いたのさ。

勿論、原因は私の浅学にあって
「そんなことまで
知らねえのかよ」と
言われればそれまでだけど。

この棲家、藤壺だったんだ。
お前さんこそ
世界中の珊瑚海の
何処にでも居そうだけど
やっぱり固有種なのかい?
タイで見かけた銀河鯊
似てるけど。

それにしてもその恍け顔
いつ見ても楽しいね。

GP Barnacle Blenny



姫権兵衛

ゴンベと言えば
クダゴンベしか知らなかった。
確か最初に撮ったのは
エジプトの紅海。

あそこは海というよりか
細長い巨大な湖で
あそこから海流に乗って
此処まで旅するのは
至難の業。
きっと祖先は他の海から
来たんだろうね。

お前さんも殆ど泳がず
じっとしていて
時たま跳ねるように
ぴょんと場所移動するだけで
よくここまで来たね。

きっと卵か稚魚が
流れ着いたんだね。
Coral Hawk Fish



星の羽太
Starry grouper

ニューカレドニアで
逢った赤羽太だったら
赤道反流に乗って
来たのだろうし
ラジアン・パッドの黒斑の
更紗羽太
なら
赤道直下だからやはり
赤道反流だろうな。

でもあの流れは深海流
なので
卵や幼魚にとって
とても厳しい旅になるから
この星羽太の祖先は
他の海かな?

藤壺銀宝の白点も
星の羽太の白斑も宇宙を
肌に染めているようで
実にいいね。

Flag Cabrilla



鬼笠子の湖瞳

オニカサゴは英名で
Scorpion Fish(蠍魚)だぜ。
こんなもんどうやって
海流に乗って来るんだ?

海底にへばりついて
岩と同化して動かない奴まで
この島に流れ着くとは
驚きだね。

だが、どうだ、この瞳
吸い寄せられはしないかい?
ボルネオ島北端の
ランカヤンで見た時は
まさかこんな宇宙のような
瞳をしているなんて
全く気がつかなかったよ。
Scorpion Fish



大鷹魚の金環瞳

瞳の周りが金色に
縁どられている魚なんて
他にも居るのだろうか?

魚の瞳を追って
画像を撮り続けているが
この瞳に出逢った瞬間
《サファイアの瞳》
同じ衝撃に襲われた。

2009年2月10日
《かぐや》が半影月食時に
撮った地球の金環
思わせるね。

この大鷹魚もラパスで
逢っているけど
金環の瞳だとは露程にも
思わなかったな。
Giant Hawk Fish




Marbled Ray
大理石エイの霞瞳

黒いマントを
ひっそりと海底に広げ
保護色のような虹彩の
目立たない目をぎょろり。

マダラエイの仲間の
瞳はいつ見ても
焦点の合わない不気味さを
秘めている。

青いヴェールで覆われた眼が
ぽつりと語る。
「流れ込む海流が5つと
流出海流・ペルー沿岸反流
があって
それでも尚この島への
魚類の出入りが無いのなら
答えは1つしか無いだろ」

えっ!知ってるのかい?



色彩変異・達磨虎魚

眼の縁の文様が
鬼笠子とよ〜く似てるけど
このダルマオコゼ
瞳の色が全く異なるね。

両方共、カサゴ目だから
眼だけでの同定は
ちょっと難しいね。

で大理石エイのように
海底にへばり付いてるけど
もしかして
答えを知っているのかい?

「この眼は節穴ではないぜ。
海底でじっとして
来る日も来る日も海流を
見ていると
どうもおかしいんだ。

海流に乗って遠くまで
旅する無脊椎動物の幼生や
魚の稚魚が
見当たらないんだ」

Stone Fish



珊瑚の兆し

つまりここの海流には
生命の旅人達が
極めて少ないということ?

それなら更に何故
少ないかが問題になるね。
そうか,もしや
2年から10年周期で
この海域にやって来る
あのエルニーニョが
関係してるのかな?

「ふ〜ん、視点はいいね。
だがちょっと違うな」と
話に割り込んできたのは
なんと造礁珊瑚の
オレンジカップさんでは。

驚いたね。
どうしてこんな冷たい海に
珊瑚が居るんだい?
Orange Cup Coral



海底の絨毯

君達の棲息に適した水温は
25〜30℃で
これ以下だと生育しないし
以上だと白化現象を起こして
死んでしまうし・・・

ガラパゴスの海が25℃以上に
なるなんてとても稀で
君達は育たないと
思っていたのだけれど・・・

「そりゃ誤解だね。
ガラパゴスには20種もの
珊瑚が居てね何と
その内の13種は固有種
とウエルズ(1982年)は報告
しているよ」と
薀蓄を傾けるのはAstroidoとも
呼ばれるヒトデ。

人手がStarなのは肯けるけど
別名が火星と木星の間を
漂う小惑星とはこれ又驚き。

Star Fish




Star Fish
海のチーズケーキ

ほんとう?
13種だと固有種は65%に
達し益々孤立した
神秘の島になるね。

又々振り出しに
戻るけど
何だか火星と木星の間に
存在したかも知れない
惑星の残骸と重なり
ガラパゴスの固有種には
興味をかきたてられるな。

で、一体どうして
ガラパゴスはそんなに
孤立しているのさ?

「そう焦るなよ。
ヒトデと言えば此処には
世界最大の
Giant Sea Starが居るの
知ってるかい?
24インチにもなるらしい」
約61cmか、大きいな。



言語としての生命

もしかしてその最大の
人手とはこいつか?
いや違うな。
ジャイアントは青い宝石を
沢山身に着けているが
こいつは文様だけだ。

ウエリントンは1975年の
海洋生物調査報告書で
人手は23種が棲息し
その内の6種が
固有種と述べているのだ。

よく見てごらん。
左側に青い海牛が2匹
見えるだろ。
こいつも凄く大きくて
どうもここの固有種らしいぜ。

なにやら複雑な文様が
全身に鏤められてるけど
なんだか文字のようだね。

Star Fish

The Giant sea star, Pisaster giganteus is a species of sea star
that lives along the western coast of North America from
Southern California to British Columbia. It makes its home
on rocky shores near the low tide mark. It preys on mollusks.
It can grow as large as 24 inches in diameter.
Its color varies form brown to red or purple.




Star Fish

この超銀河団は板状になっていて、ネットのように連結しあい
ちょうど、泡の表面の膜のように存在しているといわれています。
これが泡宇宙と呼ばれる宇宙の大規模構造です。

生命のネットワーク

この画像の1辺が
10億光年だと告げられたら
あなたは信じるだろうか?

つまり端から端まで
光の速さで
10億年かかる距離である。

このヒトデの皮膚を
カメラで覗いた瞬間に
見えたものは生命の彼方
超銀河団であった。

その構造の類似は
単なる偶然なのだろうか?
必然なのだろうか?

神秘の島
ガラパゴスの謎解きは
世界の生物学者
地質学者等が挑んでいるが
未だ未解決である。

謎解きの最終ステージは
無数の紆余曲折を経て
宇宙と生命構造の類似性に
帰着するのであろうか。



《H》 ノースセイモア島での死
ガラパゴスの激しい潮流に呑まれる

このHPの記録にあるノースセイモア島で23歳の若いダイバーが死んだ。私の潜水した1年2ヶ月後の事故。
ココ島ほどの激しい潮流ではないがダイバーにとってガラパゴスは世界で最も難しい海の1つある。
ココ島に較べガパゴスには未熟なダイバーが訪れ常に事故の危険性を孕んでいるので、敢えて事故記録を転載した。
以下そのレポートである。
(Diving.Commuより)

スキューバ・ダイビング死亡事故
(ガラパゴス - 2010年2月12日 - 犠牲者E.G.)
※2010年2月14日ジョン・ビスナー記

ガラパゴス・アグレッサーII号に乗船していた14名のダイバーにとって、本格的ダイビング・アドベンチャーの一本目は、23歳のテキサス
州ガルベストン生まれ・ニューヨークで保母さんとして働くE.Gの死で終わった。何が起こったのか、E.G.がどのように死亡したのかについ
てのより詳細な情報について、数多くの要請に答えるために以下の状況描写を提供したい。

最初にE.G.の家族や友人に心から哀悼の意を表しておきたい。私には、あなた方の痛みを和らげたり、失ったものを元に戻してあげる言
葉さえない。しかし、E.G.は私たちの心と記憶の中に生き続けている。しかし、運命のいたずらによってE.G.は今でも、私の妻キンバリーと私と共にある。

第二に、E.G.は先生だった。彼女が愛したスポーツが元で命を失った彼女の最後の行為を、私たちすべてのための、特にスキューバ・ダ
イバーの教訓にしよう。E.G.の名のもとに、彼女へのオマージュとし
て、彼女の悲劇からなんらかの教訓を私たちが学べることを願って、自分自身の幼稚園の先生やダイビング・インストラクターから学んだ
時のような謙虚な精神で、この記事のあとにあるコメントセクションで、何が起こった可能性があると考えるのか、そしてどうすればこの
ような悲劇を将来的に防止することができるのか、皆さんのお考えをお聞かせいただきたくお願いします。

2010年2月11日の木曜日。サン・クリストバル島の空港の荷物のピックアップ場所でキンバリーと私はE.G.、デニーズ・フリオ、ダイブマス
ターのジェイミー、パトリシオおよびアドベンチャーを共にする他の10名のダイバーと出会いました。E.G.とデニーズはすぐに仲良くなり、
旅を共にする二人組の女性になりました。彼女たちはすぐに二人ともテキサス出身であることを発見したのです。

私たちはガラパゴス・アグレッサーII号までバスで運ばれ、直ちに乗り込みました。 短いブリーフィング、部屋の割り当て、荷物の積み込
みを終えた後、すべての乗客ダイバーが短い「チェック・ダイブ」のために水に入り、器材チェックと器材慣れを行ないました。そのダイブは
約20分間で、深度は6m未満でした。 E.G.は、私たちの多くがそうであったように、中性浮力をとる適正ウエイト量を見つけるのに苦労し
ていました。ウエット・スーツが重く、また塩分濃度が高かったからです。それでも、すべては順調であるように思えました。

翌日2月12日の午前6時30分をちょっと過ぎたくらいに私たちは朝食をとり、引き続きジェイミーのダイビングに関するブリーフィングがあり
ました。ジェイミーはホワイトボード上に描かれた地図を使ってポイントと潜水計画を説明しました。地図で見る限り私たちはノースセイモア
島の最東部あたりにいました。インストラクションの中で、ジェイミーは、透視度は約18m、最大深度27mより行かないよう指示しまし
た。複雑な流れがあり、潜水時間は最長1時間とも指示されました。彼は安全にポンガ(小型ダイビングボート)周辺に浮上するにはどうし
たらいいか、どのように水からポンガに上がるかについていくつかのコツを私たちに説明しました。キンバリーと私は、特にそれが今回の
旅行の事実上、最初のダイビングであるのに、ブリーフィングがあまりに素っ気ないことに驚きました。

私たちは器材を装着し、7名ずつの2つのグループに分かれてポンガに向かいました。 E.G.、キンバリー、他の4人のダイバー、そして私
は2番目のポンガで、ポンガの船長とダイブマスターのパトリシオが同行しました。私たちがポンガに乗り込む前に、ダイブマスターが器材確
認、あるいはバルブが開いているかのチェックを行わなかったのに私は驚きました。以前に私たちはアグレッサーで二度旅行をしましたが、
その時にはそうしたチェックを経験していたからです。その時点で、私はポンガの船上で、水に入る前にパトリシオが潜水計画のブリーフィン
グを行い、セーフティ・チェックとバルブが開いているかチェックを行うのだろうと思い込んでいましたがそれは誤りでした。

ダイビングスポットまで、アグレッサーから約90mの移動でした。パトリシオは私たちに、彼のかけ声で一斉にバックロールで水に入るよう
指示しました。そうしなければポンガが不安定になり、ポンガに残された人たちが転げ回ることになるからでした。その時点で、キンバリ
ーと私はバルブが開いているか確認するためにレギュレーターを再チェックしました。パトリシオのかけ声で、私たちは一斉にバックロール
で水に飛び込みました。

水に入るやいなや、私はキンバリーの位置を確認し、私たちはお互いに「OK」サインを出しました。私はマスク・クリアを行い、マスクに水が
入り込む原因となっていたフードを調整し直しました。パトリシオと他の人たちは6m前後下方にいて、移動を開始していました。私は通
常、早朝ダイブでは他の人たちより耳抜きが遅いので、キンバリーと私はスタートからグループの大部分の後ろにいましたが、パトリシオ
が先導するグループについて行くために、通常よりかなり急速に潜降しました。私はその時、E.G.がどこにいたのか知りません。私は安全
に潜降し、私のバディであるキンバリーから離れないことに集中していました。

私のダイブコンピュータによるとその時の分単位の深度は次の通りです。1分後7m、2分後13m、3分後16m、 4分後27m、5分後
30m、6分後32m、7分後31m、 8分後30m、9分後27m、10分後26m、11分後26m、12分後26m、13分後24m、14分後19m、
15分後 16m、16分後16m、17分後15m、18分後16m、19分後15m、20分後 13m、21分後11m、22分後11m、23分後10m、24分後10m、25分後13m、26分後13m、27分後9m、28分後5m、29分後5m、30分後4m。

潜降中、パトリシオは常にキンバリーと私より深場の、島から離れた位置にいました。ジェイミーが指示していた27mよりもパトリシオが深
場に私たちをガイドして行こうとするのに私は驚きました。どの時点かで私は流れに必死で耐えていたことを覚えています。私の推定が間
違っていないかぎり私のコンピュータが記録している3分から5分のあたりだったと思います。

私は過呼吸寸前で、意識的にスローダウンしました。私はキンバリーのボディランゲージから、彼女も苦しんでいることがわかりました。9
分を記録した辺りでパトリシオは島に近づき、傾斜した水底につかまり、匍匐前進で流れに逆らって移動するよう私たちにサインを送ってき
ました。キンバリーと私は流れと闘っていましたし、二人とも水中で快適感を味わうどころではありませんでした。

キンバリーが言うには、彼女が苦しんでいた3分後から7分後までの間が、彼女が、彼女のすぐ後ろでより深場に向かっていたE.G.を見
た最後でした。私たちは二人ともE.G.やデニーズが傾斜した水底をつかんでいるのを見た記憶がありません。キンバリーの記憶では、デ
ニーズは彼女や私の目の前にいましたが、E.G.はキンバリーの後ろにいました。

キンバリーと私が岩にしがみつき呼吸を整えている時(私のダイブコンピュータが記録している10分後から15分後くらいの間)、私は皆が
どこにいるのか確認するために周囲を見回しました。私はこの時点でE.G.やキンバリー、私が140barをかなり下回るエアしか残していな
いとはわかりませんでした。これは非常に早いエアの消費です。私がE.G.を特定して探し始めたのは、デニーズとパトリシオが「誰かがい
ないようだ」と交信しているように見えたからです。そしてパトリシオがデニーズに「他の者たちと岩にしがみついたままとどまり、パトリシオ
がE.G.の後を追う」よう伝えたように私には見えましたし、彼はまさにそうしたのです。これは、13分後から17分後と記録されているころで
す。

私たちは水深10mから15mあたりを旋回している一群のサメを見るため深度を上げました。キンバリーが、最終的にエアが少ないと伝え
てきたのは(私も少なかったのですが)、23分後から24分後の時点でした。私はジェイミーに、私の残圧が50barであるとシグナルを送り、彼は浮上するよう私にシグナルを返してきました。

私はキンバリーのところまで戻り、浮上すべく彼女の手を取りました。私は中層に出るため岩から手を離したときに流れの中で離ればなれ
になることを心配していたのです。キンバリーは彼女が流されてしまうと恐れているかのように私が彼女をきつくつかんでいたと言っていま
したが、実際、私はそれを恐れていました。私たちがダイビングした中で、彼女をそんなにきつくつかんで離さなかったのは初めてで、嬉
しかったと彼女は語りました。キンバリーもまた、流れの中で流されてしまうのが怖かったのです。

私たちは、3分間の安全停止を行ない、その後30分の時点で浮上しました。私はE.G.がすでに浮上しているものと思っていました。パトリ
シオにとっても彼女にとっても流れに逆らってグループの所まで戻ってくる方法などないと考えたからです。他のメンバーが上がってくるの
を待ちながら、私たちはE.G.の姿を求めて水面を探しました。私の妻も私も、ダイバー・ホイッスルを聞いたと思ったので、別のポンガの船
長にそう伝え、彼はそちらの方向に船を走らせました。私たちに誰かの姿が見えたわけではありませんが、その時はそれがE.G.だと思っ
たのです。今となっては、私はホイッスルを鳴らしたのはパトリシオだと思います。というのも、次に件のポンガを見たとき、パトリシオがそ
れに乗っていたからです。(そのポンガがホイッスルの鳴った方向に向かう前に彼が乗っていなかったかどうか、
私は自信がありませんが)私には彼が心配しているのがわかりました。

ダイバーたちが上がってきたときも、私たちはE.G.を探し続けました。私は150本程度の経験しかありませんが、E.G.が岩までたどり
着けなかったとき、私には嫌な予感がありました。彼女は若く、非常にきゃしゃな体格でした。彼女は我々がやったようなやり方で流れと
闘うには体力が足りないように見えました。彼女が受けたトレーニング(ダイブマスターのコースとレスキューのコースを受けたと聞きまし
た)から考えて、彼女は流れにつかまって流されてしまっただけで、私たちと離ればなれになった後、ゆっくりとポンガまで浮上したにちが
いないと思っていました。それがバディと離ればなれになったときの標準的手順だからです。

E.G.は発見されやすくするため水面で用いるようデザインされたダイバー・フラグを持っていました。私たちはアグレッサーとポンガの双方
から数時間、件のフラッグを探して水面上を捜索しました。ある時点で、アグレッサーからの水面捜索とは別に、パトリシオとジェイミーが
一隻のポンガからE.Gを探して水中に潜ったのだと私は思いますが、成果はありませんでした。その間に、空中からの捜索も行われまし
た。他の多くの船やエクアドルの沿岸警備隊が捜索に参加しました。捜索がすすむうちに、ジェイミーはE.G.探しの潜水で「心が折れた」と
言ったように思います。彼は明らかに動揺していました。

捜索のある段階で、ジェイミーは私たちの数名に対して、午後に計画されていた上陸遠足の時間が迫っていると語りました。彼は何をする
べきなのか、助言やなんらかの指示を求めているのだなと私は感じました。私は、あいまいな表現で、E.G.が見つかるまで行けないと彼
に言いました。結局のところ、自分たちが脳天気に水中で楽しんでいるときに、拾い上げてもらえるかどうか分からないままの行方不明に
なったダイバーをほったらかしにして、休暇のダイビング旅行を誰が続行などできましょうか。

最終的に、4時間以上の水面捜索のあと、私たちはダイビングを行なった元の場所に戻りました。デニーズとパトリシオがE.G.が最後に目
視された場所に予備のタンク(ナイトロックス)を装備して戻りました。

E.G.が最後に目視された場所まで潜り、その後、流れに身をまかせ流れに乗ったとデニーズは私たちに語りました。深度46m地点でデ
ニーズは51mの海底にE.G.が横たわっているのを発見しました。彼女は、どこか胎児のような格好で、眼を閉じ、安らかで静かな感じで、
マスクを付けず、レギュレーターを口から放した状態だったと語りました。

E.G.を水面まで引き上げ、検死が行われたとき、E.G.のタンク内の空気の残圧は140bar残っており、水を飲んだ徴候は見られたもの
の、彼女の肺には水が入っていなかったようだったとデニーズは語っていました。彼女は、器材の故障や損失の兆候は見られなかったと
言っていました。E.Gが発見時に両方のフィンをはいていたかはデニーズには定かではないが、少なくとも浮上させるときに片方が脱げた
ことは確かだそうです。

この時点で、乗員や他のダイバーたちは様々なショック状態にありました。私たちのほとんどは気分が悪くなり、数時間、食べ物を受け付
けなかったのです。エクアドルの当局者が乗船してきて全員ではないが私たちの何人かに質問を行ないました。彼らは最終的にはE.G.の
遺体を運び出しました。

現時点で、私はダイブ・タイム6分目から9分目の後、E.G.を救うために彼らが何かそれ以上のことができたかどうか分かりません。彼女は
この時間帯に亡くなったと私は信じています。そう信じる根拠はキンバリーが最後に彼女を見た時間と彼女のタンクに残されたエアの量
です。それ以後のすべてのことが無駄だったわけです。私は、デニーズがE.G.の遺体を見つけてくれたことにとても感謝しています。そう
でなければE.G.が救出を待ち焦がれている反面、彼女を見つけられないでいる自分たちという思念に取り憑かれたままでいたことでしょ
う。ご家族にとってもE.G.の遺体を取り戻せたことで、疑念の余地が
ないと確信しております。

ジェイミーは、ガラパゴス・アグレッサーI号およびII号のオーナー、ピーター・オルシェル氏が、別の機会に再訪する補償も含めて、旅行を
続行することを望まない誰に対しても宿泊を提供するつもりのあることを私たちに伝えました。私たちのうちの7人が興味を示し、私は船の
携帯電話を介してピーターと話をしました。さまざまな理由から、3名だけ、つまりデニーズ・フリオ、キンバリー、私だけが実際に船をあと
にし、帰路につきました。ピーターは非常に融通のきく人物で、私たちのために何でもする用意があるように見えました。彼は動揺し、泣き
明かしたように見えました。

続行するのが正しいとは思えない。私たちはパーティーに浮かれ、楽しい休暇をすごす気にはなれなかったのです。私たちはこのダイブマ
スターと潜っても大丈夫だと感じませんでした。私たちは、彼らがなすべきことについて、私たちが遭遇する可能性のある事態に対して準
備ができているとは感じませんでした。しかしこれは私たちの経験不足のせいである可能性もあります。

ピーターとはバルトラ島の空港で会いました。彼がE.G.の家族とダイバーのためにできることはすべてやる気があるように私たちは感じま
した。私たちは帰宅するためにありとあらゆる追加料金を負担するはめになりましたが、ピーターのスタッフはグアヤキルに戻ることができ
るよう手配する際に大きな助けとなりました。

この時点で、私たちはデニーズ・フリオとかなりの時間を共にしました。彼女は自分を責め、もっとできることがあったはずだと自問してい
ます。彼女はパトリシオが、彼がE.G.を捜索している間、グループの人たちととどまるよう指示したことに従った自分の判断を自問してい
ます。彼女は運命的なダイビングの詳細、救助ダイビングとそのすべての詳細を何度も私たちと話し合ってきました。

私がこの記事を書いた2月14日に、私たちはエクアドルのグアヤキルに戻ることができました。私たちは帰りの便の空席待ちをしていま
す。たまたまエクアドルからアメリカに戻る旅行の混雑期で席を確保することが難しく、また間際でのチケットは極めて高価です。旅行の予
定を取り止めさせないためです。私は30年間もこの旅行を計画していましたが、ガラパゴス諸島に到着した約24時間後にそれは終わっ
てしまいました。自分たちの休暇を続行することができませんでした。事故の後、E.Gの家族や友人が、私たちのこどもと同い年くらいの、
悲劇的に命を失ったこの若い女性のことをどう感じ、考えるだろうかを知った上で、自分たちだけが楽しむことはできませんでした。

私たちは毎晩悪夢にうなされています。私がこの報告書をしたためたのも、悪夢が実際に起こったことについての私の記憶を歪めないよう
にしたいということです。

それでは、この悲劇を防げたでしょうか? 以下は私の提案です。私は経験豊富なダイバーであるとは言えないことをこころにお留め置き
ください(10年以上の経験がありますが、その間150本で、そのうち100本は最近6年間のものです)。何か助言やお気づきの点があれ
ばお聞かせください。それが私たちの誰かを救う可能性もあります。

1. ダイビング前のブリーフィングは、どのような事態が生じうるか、どういう潜水計画なのか、もっと詳細になされるべきであっただろう。
2. パトリシオは、グループが実際にそうなってしまったように散り散りになってしまわないよう、もっとゆっくり潜降することができたはずだ。
3. あまり深くまで潜降せずに、激流を回避することができたはすだ。第一グループのダイバーたちは明らかにそうしていた。
4. アグレッサー・フリートは、ガラパゴスでのダイビングが上級者限定であることを十分に周知徹底させる必要がある。
5. 体調を整え、このような難しい水域でのダイビングに悪影響を与える可能性のある薬を服用しないようにする。
6. バディから離れてはならない。7. 一本目のフル・ダイビングを行うことのできる易しいポイントを見つ
けること。そうすればダイバーは周囲環境や自分のダイビング・バディとより慣れ親しむことができるだろう。
8. すべてのダイブで衛星による位置確認装置を用いること。9. 水中でも容易に聞き取ることのできる音源を携行すること。


【デニーズ(事故者のバディ)の追記】
ジョンの記していることに対して、ダイビングの安全を考える際の助けになる可能性のあるいくつかの洞察を付け加えたいと思います。

まず、E.G.と私はここに記されているコメントがそう匂わせているほど離れてはいませんでした。そのように描写されるのは私としては心外です。

事故の前日、私たちの最初のチェック・ダイブの間、E.G.は彼女のすべての器材を正しく組み立てて、ギアにも非常になじんでいるように
見えました。彼女は、新しく購入したスントのゲッコーというダイブコンピュータを持っており、潜水ベンチの上で彼女の隣に座っていた男性
にその操作方法を尋ねていました。

彼はそのボートにいる中で最も経験豊富なダイバーで、私でも、たぶんコンピュータのセットアップに関するアドバイスなら彼に尋ねたでしょう。

私たちが潜水を始めたとき、彼女はウエイトを増やすためにボートに一度戻らなければなりませんでしたが、その後はOKサインを出して、
潜水準備は完了していました。一回目のダイブで特筆するべきことは何もありませんでしたが、ひとつ気になった事があります。E.G.は私
のすぐ後ろについて泳ぐのですが、その彼女の潜水パターンを私は好みません。私たちがボートに戻ったとき、私は、今回のダイビング
に関してどのように感じたかを彼女に尋ねました。適正ウエイトの問題を除けば、彼女はそのダイブが簡単すぎて退屈だったと考えてい
ました。私は、彼女が私の直後につくのは私にとって難しいと述べました。その位置取りでは私は彼女にシグナルを送れないし、彼女も私
に送れません。彼女は「私のすぐ後ろについて潜った方が安心できる」と述べました。私は、「そうしたければ後ろにいてもいいけど、私
の直後につかれるよりも左右どちらかにいる方が私は助かるわ」と返答しました。

2番目のダイブで水に入ったとき、ボートからバックロールでエントリーするダイバーの最後のグループに私たちがいました。彼女が位置取
りをした後、OKかという私の問いに、彼女はOKシグナルを返しました。私たちが潜水グループに加わるために反転した時には、彼らは
すでに潜降を始めており、私たちはグループの末尾に加わりました。

前日の会話がありましたから、E.G.が私の後ろについたことに私は驚きませんでしたが、彼女はまた、私が求めたように、できるだけ私
の右にとどまりもしました。

潜水過程の次の局面では、流れに乗った形でのドリフト・ダイビングのようなものでしたので、あまりキックの必要はありませんでした。E.G.
はグループから離れる方向でより右側に移動しましたので、私は自分のドリフト・ダイビングのスピードを落として彼女に近づきまし」た。私は
再びOKか合図を送り、彼女はOKと合図を返しました。

私たちが左に旋回し、流れに真っ向から向かわなければならない領域にさしかかったとき、私は岩につかまろうと必死でした。他の大部
分のダイバーが同じようにしていました。振り返るとE.Gがいません。私は、私の後ろのキンバリーが、着底して岩をつかんでいなかったの
で流れと必死に闘っているのを見ました。私は岩をつかむ手を離し、流れに身を任せ、つかむことのできる最後の岩まで戻り、さらにキン
バリーに向かって戻りました。それでもE.G.は見つかりません。キンバリーの後ろにいて私の視界が妨げられているから見えないのかと
思っていました。

私はグループを任せていたパトリシオと連絡をとり、E.G.に追いつくためにそちらに向かおうとしました。彼は行かないよう私に指示しまし
た。私は自分が有能なダイバーであり、彼よりも彼女のいた場所の近くにいたので、彼の指示を無視しようかと考えました。彼は、自分が
代わりに彼女を連れ戻しに行くから第一グループと一緒にそこにとどまるよう私に指示しました。

ジョンの記事はほぼすべて正確な報告に近いと思いますが、ひとつだけ誤りがあります。E.G.はダイブマスターのコースは受けていません。
デニーズ 2010年2月18日午後3時6分


【事故の起こる前の週に乗船していたダイバーから、ジョン・ビスナー氏宛に届いたメール】
親愛なるジョンへ。

極めて詳細な説明、ありがとうございました。私はアグレッサーに私が乗船していた週に経験したことに基づいて思うところを述べさせて
いただきますが、誰かを非難するつもりありません。重大事故が生じるにはいくつかの理由があります。私はPADIのレスキュー・ダイバー
で乗船する前に170本ほどの経験がありました。私の妻はPADIの OWSI(インストラクター)で200本以上の経験があります。

私たちが休暇を計画していたときに、私たちは二人ともガラパゴスのダイビング・ポイントに潜れるだけの十分な経験が私たちにあるか不
安でした。とは言え、私たちはそれまで、いろんな場所で、非常に冷たい水温で、透視度ゼロの中でのドライ・スーツ・ダイビングなど、あら
ゆる器材を用いたダイビングを経験していました。リスクを軽減する次のステップは、乗船三日前にプエルト・バケリソに滞在するということ
でした。ですから私たちはすでにレック・ベイ・ダイバーズでのダイビングを一日こなし、6ヶ月のブランクからウォームアップして、今回の旅
行のために新しく購入した器材をどう使いこなしたらいいか、徹底的にチェックすることができました。

もちろん、私たちもまた、強烈な流れという壁に遭遇しました。インストラクターの私の妻でさえ、彼女にとって流れが強すぎるとの理由で1
ダイブが中止されてしまいました。私はよもや私たちのために準備しているガイドがそのようなことを言うとは予想だにしていませんでし
た。大物のサカナは流れの強いところに多い。だから、本当にタフなダイビングになると初めから期待していました。パトリシオがやったの
は、それを実現するために最良の方法を見つける、とてもすばらしい仕事ぶりだったと思います。ジェイミーのグループはパトリシオより、
ずっと流れに対して多くの問題を抱えていました。

私が言いたいのは次のことです。私は200本に遙かに満たない人で激流の経験のない人へのガラパゴス行きはお勧めしません。問題は
次の点にあります。こうしたことをビジネス上の理由から公言してはならないということです。私たちは4000本以上の経験のあるプロと一緒
に潜らせてもらっているのであり、通常の場合、どこでも広告上での上級者ポイントの必要要件は50本以上でいいとされているのです。
これは間違いなく十分とは言えません。

PADI関係者は、あなたがおっしゃっているように、大部分が湖やプールでの、60本ないしは120本程度の経験しかないような人をダイブマ
スターやインストラクターに認定しているのですから、事態を悪化させています。私の妻のインストラクター認定は、ダーウィンズ・アーチで
あったような流れに値するものではありませんでした。そこでの流れは、私たちが使っていたカレント・フックをねじ曲げてしまうほどのもの
でした。あてにすることができるのは経験だけです。そして、これはダイビングのガイドが提供できるものではありません。しかし私はこれま
で、生徒ダイバーに現段階での能力をはっきりと伝え、彼らが自己過信しないようにつとめているインストラクターをほんの数名しか見たこ
とがありません。同じ理由からですが、真実はビジネスには都合が悪いのです。

これは非常に悲しい話です。すべての休暇気分が吹き飛んでしまった、やめるというあなたの反応はよく理解できます。しかし、亡くなっ
た女性と彼女のバディだけでなく、パトリシオも今、苦しみのどん底にいると私は察します。彼が責められるべきだと私は思いません。
敬具






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