ボホール・ダイビング

珊瑚海・生命への旅

            珊瑚海・・・・・・・もう1つのヒマラヤ

其の23

Bohol Panglao Is

撮影日:2009年3月
場所:パングラオ島  
撮影or編集:坂原忠清

手の平に乗る小さな猿が居ると言う。
ターシャと呼ばれるその眼鏡猿はインドネシアやボルネオ島にも
棲息しているらしいがボホール島では身近で見られるらしい。

進化論の島ガラパゴスでの《時に閉ざされた生命》との邂逅を果たし
その後3ヶ月近くをHPの編集に費やした。
ガラパゴスの資料を漁り撮影した画像とにらめっこし、HPでの興奮の旅は続いた。

さてそうなると次なるDVは、やはり陸上での珍しい動物や遺跡がないと物足りない。
イースター島かマダガスカル島もいいが、ちょっと遠い。
ボホール島なら近い上にターシャにも逢えるし、大理石で出来た摩訶不思議な
チョコレート・ヒルを訪ねることも可能である。

ボホール島に発つ当日にガラパゴスHPの編集を終え《ページの公開》を
クリックして慌ただしく東京・目白の家を飛び出した。
さてどんな旅になるのだろうか?


DV Site
原図:Marine Jack

3月2日:
パングラオ島 @アルコ(Arco)、ABBC(Bohol Beach Club)
  Bノバハウスリーフ(House Reef)、
3月3日:
パングラオ島 Cノバハウスリーフ(House Reef)、Dカリバヤン(Kalipayan)
Eサンクチュアリ(Sanctuary)
3月4日:バリカサグ島 Fノバハウスリーフ(House Reef)、Gブラック フォレスト(Black Frest)、
Hサンクチュアリ(Sanctuary)
3月5日:パングラオ島 Iノバハウスリーフ(House Reef)、Jロック ヴュー(Rock View)
Kホオヨ ホイ(Hoyo Hoy)
《A》 ターシャの島へ    
《B》 珊瑚の森で
《C》 リーフエッジにて
《D》 ドロップオフ

         
 
相対評価・・・《5》最高、《4》良い、《3》並、《2》やや悪い、《1》悪い

珊瑚の成育 透明度 魚影 静けさ(ダイバー数) 4 周辺環境(汚染等) 4

総合評価・・・《


海亀の島へ


双眼球は脳の2倍の重量
Tarsier 2009年3月3日 Loboc River地図の4

体重100g程の世界最小の小型霊長類。
双眼球の重さは6g、つまり体重の6%を眼球が占めているのだ。
体重60kgの人間にすると目だけで3.6kgにもなるのである。
夜行性にしても何故、これほどまでに大きな眼球が必要なのか?



世界最小の猿

夜行性動物の多くは
網膜裏側にある
タベータムと呼ばれる
反射膜・輝板を持つ。

輝板は弱い光を反射し
視神経を再び刺激し
視力を補強する。
どうもこの補強システムが
ターシャには無いらしい。

つまりターシャの祖先は
嘗て昼行性だった時期があり
その時に輝板を失ったのだ。

従って再び夜行性に戻った
ターシャは眼球を大きくするしか
なかったのだろう。
この大きな眼球は
ターシャが生きていく上で
脳以上に重要な役割を果たす。

夜の闇の中での
目にも止まらぬ速さは抜群で
他の動物の追随を許さない。

Roboc River (Tarsier 地図の4)




Roboc River (Tarsier 地図の4)
暗黒のハンター

昼は明るすぎて
何も見えず
唯、夢見るように在らぬ
空間を見つめている。

川岸の金網小屋に
入って居るのだが別に
ここに閉じ込められている
訳ではないらしい。

小屋の戸は開かれていて
夜になると自由に
暗黒の熱帯林に飛び出し
俊敏なハンターに変身。

飼育員が細い棒の先に
コオロギを付けて
手渡してくれた。
旨そうにぼりぼりと貪る。

肉食とは言っても何しろ
体が小さいので
精々コオロギ程度しか
獲物にならないのだ。



薄明の物乞い

漸く空が白み始めると
音もなく小さな
バンカーボートが集まる。

どのボートにも
乳飲み子や裸ん坊を乗せて
母親が船の乗客に
手を差し伸べ硬貨をせびる。

2本の棒に黄色の布を
巻きつけて広げ
投げられた硬貨を見事に
キャッチする。

昨夜は空港から
ペンションへ車で移動し
そのまま未明に宿を出たので
殆ど何も見ていない。

ボホールへの旅は
この高速船から見下ろす
乳飲み子と母親の
ボート光景から始まった。

Cebu Pier(地図左上セブ市





Tagbilaran Pier(地図左下タグビララン市)
豊穣なる海の貧困

まるで、ひと風呂
浴びに行くかのように桶を
乗せているが
勿論これは風呂桶ではない。

これで硬貨をナイスキャッチ
せねばならない。
大切な商売道具なのだ。
だが悲壮感など無く
明るく微笑んでさえいる。

この国フィリピンでは
数十人しか居ない地主が
国土の半分以上を
所有し農村部では1日
1ドル以下の生活を
強いられる農民が半数以上。
確かに貧しいのだ。

でも1年中暖かいし
豊かな海に囲まれ自然と
調和して生きている。
世界から貨幣が消えたら
きっと彼らは我々より
豊かなのだろう。



血盟記念碑

 ボホール島の北西に
位置するマクタン島で1521年
マゼランは戦いに破れ
ムスリムの領主ラプラプに
殺された。

44年後スペイン人の
探検家・征服者のレガスビが
金とスパイスを求めて
ボホールに寄港した。

マゼランのように
殺されては堪らんとレガスビは
「我々はポルトガル人
マゼランと異なり
スペイン人である」と説得。

説得に成功し
領主シカトゥナとレガスビは
互いに腕をナイフで傷つけ
ワインに血を落とし
飲干して友好を誓い合った。

Blood Compact Marker(地図の1)




Map By Nova BC

大岡昇平の「レイテ戦記」に記された10月20日は
強烈な印象と共に深く刻み込まれたのだ。

食糧や武器どころか更に指揮系統まで失った日本軍は
ボホール山地に敗走し
散発的に戦い島の露と消えた。

ボホール島は日本と無縁ではないのである。

フィリピンの初代総督と
なったレガスビの
上陸はその後のボホールに
過酷な試練を次々と課す。

日本軍がタグビラランに
上陸したのは
1942年3月17日。
その2年後の’44年10月20日
米軍と日本軍の
熾烈な戦いが東隣の
レイテ島で開始されボホールも
戦場となるのだ。

何故そんなこと覚えて
いるかというと
偶然にもレイテ開戦日
1944年10月20日は
私の生まれた日。

この日を境に
食糧も武器の補給も途絶えた
日本軍は悲惨な戦いを
余儀なくされ10ヶ月後の
敗戦へと唯無意味な
死を積み重ねていくのである。



ターシャ生息地
熱帯森の川を遡上

チョコレートヒルの南山麓
から流れいずる
ロボック川を遡上した。

ボホールの地図に
記された唯一の川で
辺り一帯は
鬱蒼とした熱帯ジャングル。

ターシャがこの森を
飛び回り豊かな水は稲作を
発展させ実りをもたらす。

嘗て敗走した日本兵が
逃げ込んだであろう
深い森もよく見ると道が走り
所々電線さえ見える。

素朴な水上食堂もあり
観光客がボートでやっ来る。
何処を探しても
64年前の悲惨な戦争の
影はもはや無い。

Loboc River(地図の7)



Chocolate Hills(地図の6)

数と造形の解読が
ナスカを凌駕する驚愕を
もたらす日はそう遠くはないかも。

一方海洋プレートの隆起から推察すると
海中の巨大生物が貝や珊瑚を食べた後の貝塚の
ようなものが海流に削られ形成されたとも考えられる。
それにしても30〜50mもの丘の高さの説明がつかない。
余りにも大き過ぎるのだ。

どだい、どんな仮説を立てても世界中で
この島でしか見られないことを証明するのは至難の業。
最初にこれを解明するのは地質学者か海洋学者か?
方解石結晶質岩石
1268個の円錐大理石


島の半分は大理石で
出来ているという。
その為家を建てるのが大変で
その大理石を掘るのに
1立方mあたり千ペソ(二千円)
の費用がかかるとか。

途轍もなく安い賃金であるが
これで一家を養えるので
むしろ硬い大地は貧困層に
とっては恵みなのだ。

それにしても1268個も確認
されているこの巨大円錐は
いったいどうして出来たのか?

海底に積もった石灰が
熱圧力変成で方解石の集合塊
つまり大理石になったらしいが
問題はこの円錐形にある。

又どうしてこの島でしか
見られないのか?

遥か地平線の彼方まで続く
1268もの大理石の丘は
実に壮観であり
ナスカの地上絵さえ思わせる。

知的存在のメッセージ
である可能性もゼロでは無いと
思わずニンマリ。

1268個の描く造形と
数の持つ意味に想いを巡らすと
わくわくゾクゾクと
体も脳もやたらと騒ぐのだ。



バクラヨン教会
夜のヒッチハイク



DVに欠かせない
ビーチサンダルを前回の
ガラパゴスDVで島に
忘れてきてしまった。

バイクにリヤカーを
くっつけた様なタクシー
トライシクルに乗って
アロナビーチまで通い
名入りの手製サンダルを
造ってもらう。

バクラヨン教会も見学し
土地勘も出来たので翌日
ヒッチハイクで
タグビラランの街まで出た。

乗せてくれたのは
32歳地元の青年実業家。
秘書を送りがてら
帰宅する途中でわざわざ
我々の目的地
ICM(ショッピングモール)まで
案内してくれた。

帰りは例のトライシクルに
乗ったのだが
先ず運ちゃんが英語通ぜず
我々の宿がわからない。
バイクはのろのろで
故障するし日が暮れて
街を出ると真っ暗。

Baclayon Church(地図の2)
 
“血の同盟”記念碑から間もないところにある。
バクラヨン教会は1595年建造の、フィリピンでも最古の部類に入る教会。
外観もさながら、歴史の重みを漂わせる内部を見学してみると
ステンド・グラスを通った柔らかな光が
古びて静ひつな空間におごそかな彩りを添えている。
 また、教会に隣接して小さなミュージアムがあり
スペイン時代の貴重品や資料が展示されている。
マルコス政権当時、イメルダが2、3度ここを訪れたことがあり
貴重品を持ち出し、なかには亡命先のハワイへ持ち去ったものもあるとか。
欲の権化イメルダらしいエピソードだが
ボホールではいまだにマルコス支持の島民が多いと言われている。(By nova BC)




Map By gotosun

料金の200ペソ(4百円)では可哀そうと部屋から
ゲートに戻るが最早、森の闇に消えて
運ちゃんの影はありませんでした。

何処を走っているのか
我々も運ちゃんも
全く分からず迷走が続く。
我々の宿は道路から離れた
暗い森の奥に在る。

小さな島なのでまさか
パングラオ島縦断の道が
3本もあるなんて
考えてもみず1本と信じ
左側に在る筈のホテル看板を
探すが見つからない。

見つかる訳が無い。
車は島の南側の道でなく
反対の北側を走り
更に中央の道を突っ走り
出た処は何とアロナビーチ。

でも此処からなら
通い慣れた道、どうにか
ホテルゲートに着くが
運ちゃんはぐったり車に
寄りかかったまま動かない。
よっぽど疲れたんだね。



山荘ワインで乾杯!

20kgを1kgでも越えると
1kgにつき1400円も
容赦なくふんだくり其の上
機内荷も7kgまで。
つまりフィリピン航空は
計27kgがリミットなのだ。

これではDV・撮影機材
だけでも収まらない。
しかし高い超過料金を払うより
スポーツカードの付いた
マイレージ会員(68ドル)になると
40kgまで無料。

帰国便では会員になり
どうにかクリアーしたものの
往路では
山荘ワイン3本を含め
多くの荷の通過に悪戦苦闘。

しかしその甲斐あり
こうして美味しい山荘ワインで
豊穣の海に乾杯!

Nova Beach Club(地図左下)

ノバBCの大理石の崖上に張り出すようにして造られたテラスは
我が山荘テラスの海バージョンの如く素晴らしい景観。
で早速苦労して持ち込んだワイン味わいながら
オーディオのスイッチを入れる。
海で聴くシューベルト弦楽四重奏は海そのものが弦になり
時として現世を超えた音色を紡ぎだすのだ。




Nova House Reef(DV MapのB〜I)
竹筏でDVへ出発

急な崖の下に
小さな砂浜がありそこから
遠浅の海が南東の
レイテ島方向に広がる。

遠浅なのでハウスリーフで
DVするには
水上移動距離が長くなる。
そこで至れり尽くせりの
イカダが登場する。

DV機材を乗せて
ついでにダイバーも乗せて
いざ、DVポイントへ!

朝飯前6時半の早朝DVは
山荘での
トレーニングタイムと同時刻で
体のリズムにピッタリ。

山を駆け巡る代わりに
海中で魚を
追うのも悪くはない。



《B》 珊瑚の森で




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