未知なる頂へヒマラヤ17・・・17日間の短期速攻記録

                                                               記録:坂原忠清

最後の氷壁が
降雪の中でゆらめく
激しい息づかいが
静寂の中で
一つの孤独な生命の存在を告げる

1979年8月15日午後4時31分
未知なる頂
ビンドゥゴルゾムⅡ峰に登頂
天気 雪

海外登山記録

Contents  
   ヒマラヤ登山記録  チベット 1998~2006年
《A》 ヨーロッパ・アルプス(アイガー、マッターホルン、モンブラン) スイス、フランス 1975年7月~8月
《B》  コーイダラーツ初登頂(5578m) アフガニスタン 1977年7月~8月
《C》  ムスターグアタ北峰初登頂 (7427m) 中国 1981年7月~8月
《D》  未知なる頂へ (6216m) ビンドゥゴルゾム峰 パキスタン 1979年7月~8月
《E》  ヌン峰西稜登頂 (7135m) インド 1985年7月~8月
《F》  ナンガ・パルバット銀鞍 (8126m) パキスタン 1983年7月~8月
《F2》  ナンガ・パルバット銀鞍 (8126m)  その2 パキスタン 1983年7月~8月
《G》  ナンガ・パルバット西壁87 (8126m) パキスタン 1987年7月~8月

     中央アジア遠征峰


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ヒマラヤ17

 ビンドゥゴルゾムⅡ峰、この山に近づいた者はいない。山裾をえぐる急峻な二つの氷河はいずれも登攀困難な幾つかの氷瀑帯を連ねアプローチを閉ざす。1938年英国隊、49年、50年ノルウェー隊、64年アメリカ隊・・・etc。

幾多の踏査隊は早くから果敢に執拗な攻撃を氷瀑帯に挑んできたが、氷河をふるわす雪崩の音は常に一方的な絶望を宣告し続けた。我々の出発直前にポーランドとユーゴスラビアの合同隊が、ようやく氷瀑の一つを苦難の末に突破した。

山容は極めて絶望的で、北壁はスラブ上部に胸飾りのような巨大な懸垂氷河まとい登攀を拒否する。Ⅱ峰南側の垂壁はほとんど雪や氷さえ止めず、不気味な岩なだれの音を断続的に響かせクライマーを恫喝する。

私はこの困難性の上に更に「登攀日数17日間」という厳しい条件を加えねばならなかった。全遠征日数は夏休みの40日間のみである。フライト日数、登山手続きや、キャラバンの必要日数を差し引くと攻撃のために許される時間は、わずか17日間である。高所順応の時間がないどころか、悪天による停滞さえも許されない。

低いながらもヒマラヤの困難な未踏峰を17日間で落とそうという無謀な計画「ヒマラヤ17」は絶望だけを予感させつつ紅蓮となって私の胸に宿った。際限もなく不可能に近い困難を前にして、追いつめられた動物が極度の緊張に全神経を燃焼させる瞬間の不条理なエクスタシーを私は久々に味わった。

 安住が「死せる生」であることを知りながら、より高次元での安住を求め内なる荒野へ第一歩を踏み出した知的存在は、多くの犠牲を払い不毛の地に未来を語り継いだ。未来とは安住を求め安住を拒否し続ける生の自己運動によってもたらされる壮大な生命の軌跡であり緲々たる時空の彼方への終わりなき飛翔である。

生の自己連動は常に困難を選ぶ事によって命脈を保つ。困難はしばしば精神と肉体の多大なる苦痛を要求する。しかし苦痛を恐れ現状に安住し、新たなるテリトリーを求めるための困難を破棄してしまった生物は、その瞬間からより大きな救済不能な代償、滅亡を強いられる。

苦痛しかプログラムされていないとは、生とは何たる不条理であろうか。私がこの不条理に最初の親しみを感じたのは、厳冬2月の谷川岳で一人ビバークした夜であったろうか。激しい吹雪に耐えきれず倒れるようにして掘った小さな雪洞に、17才の多感な精神が一夜を過ごし困難と対峙した。

  私には自分の選んだ苦痛が理解できなかった。一刻も早く安住の地へ逃げ帰りたかった。しかし私は確かに選んでしまったのだ。鋭い寒気と寂寥が、私のカオスの上に形成されつつある内なる荒野を鮮やかに映し出した。それはもう一つの世界とのスビダーニア(めぐり会い)であり、新たなる私のテリトリーであった。

 アルプスをさすらい樹木や岩や氷雪の声を聴き、オクサスの未踏峰に立ち、沖積土のもたらす豊饒と氾濫の描くゆるやかな生命の波紋の広がりを見つめ、テリトリーの地平線上にかすむ困難な山、ビンドゥゴルゾムを私は追い続けた。

そして今、私はやっと麓にたどり着いた。8年間を費やして自分の選んだ不条理を私は間近に見上げるだろう。17日間という、ほんの一瞬の微睡(まどろ)み「ヒマラヤ17」の中に熱い想いを込めて「壮大な生命の軌跡」を私は見るであろう。




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1 未知なる頂へ
〔1〕  キャンプ1
C.1D.P

 8月7日 雨雪氷の上に寝ていると氷河の呻き声が聞こえる。遥かなる氷の深みの中で、とてつもない圧力が、出口を求めて悶える。その声は決して逃れることのできぬ、呪縛力を共なって、氷の上の住人を怯やかす。氷河の軋む音に、遠雷のような雪崩の音が重なる。

雨がテントをたたき、憂鬱なリズムを醸しだす。今日も又雨だ。朝の交信タイムには、まだ早い5時であることを確認して、再びまどろむ。6時17分の定時交信を寝過ごし、7時17分、今日初めての連絡をベースキャンプと行う。

雨の中で昨日キャンプ1への最終荷揚げが行われ、300㎏の登攀具。食料、ガス等が荷揚げされたが、岩野は身体の調子悪いとのことで荷揚げを行わず、ベースキャンプに止まる。現在キャンプ1には4名が集結

し第二アイスフォール突破を目指し、意欲を燃やしている。ところが雨は相変わらず降り続き氷河の崩壊を早め、岩なだれを誘い我々の前進を拒む。

昨日もベールキャンプとキャンプ1間の固定ザイルが雪崩の直撃を受け切断された。ザイルの先端は氷のブロックと共にクレパスに落ち込んでおり、強く引いても「びく」とも動かない。ベースキャンプに下るハイポーターのシュルワリにザイルを渡し、補修するよう指示しておいたが、多分あのルートも長くは持つまい。


岩野の荷揚げ分30㎏のバッゲージがベースキャンプに残っている。荷揚げには登攀具を優先したため、残った岩野の荷は欠かすことのできない高所食が、たっぷり詰まっている。どうしても荷揚げしてもらわないと困る。シュルワリと
2人で分ければ、1人15㎏の荷で済むのだが、朝の交信では、「今日は下痢が止まらないので、荷上げは明日

にしたい」とのこと。この雨じゃ誰だって危険な氷河に身をさらしたくない。キャンプ1でもさしあたり停滞と決める。

2時間かけて朝食のおかず納豆を作る。フリーズドライの納豆をぬるま湯につけてもどるまで、熟と待つのである。久しぶりの日本食だ。実にうまい。いくらでも飯が食える。

せまいテントの中で4人の男が良い年こいて「納豆がうまい」としきりに喜んでいる様は、何ともユーモラスだ。伸び放題の髭に納豆の糸が絡みつき、雪焼けした真黒な顔をより一層,美しくひきたてる。

 雨が洗ってくれることを期待し、食器を氷河に放り出し将棋をすることにした。博夫が納豆の包み紙で駒を作る。一度起きるとせまくてテントの中では、再び横になることはできない。それぞれの姿勢で、ただ黙って博夫の作業を見つめる。思い出したように、大きな雪崩が氷河全体をふるわす。


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 調子に乗って岩なだれがコーラスし、雨音がやかましく騒ぎたてる。 午後になって、5日ぶりの青空を「チラッ」と見た。我々のスケジュール「ヒマラヤ17計画」に停滞日はない。行動あるのみ。

 3時過ぎザイル、スノーバーを等を持ち、キャンプ1を出る。キャンプ1の横を流れる氷に刻まれた小川を飛び越え、ゆるやかな氷丘を登り、右氷河第二アイスフォールに出る。3日前にセットした固定ザイルを登ると、大きなクレバスに行手を阻まれる。

 高所順応のうまくいている林田と岩野が、トップをきってキャンプ1入りし偵察したルートはここまでである。
 固定ザイルの終了点から、大クレパスの前に、小さいがやっかいなクレパスが1本走っている。

 段差が大きく、これを簡単に飛び越えることはできない。反対側の氷に飛び移ると同時に、ピッケルを氷にぶち込み滑落防止をしなければならない。失敗すればクレパスの中に落ちてしまう。
ピッケルとアイスバイルを

両手に構え、おもいきりジャンプする。「ガリリ」とアイゼンとピッケルが氷を食む。- 止まった! 成功 -次は大きなクレパスだ。亀裂のせばまっている地点までトラバースして観察すると、そこはスノーブリッジの壊れた跡であった。

 クレバスの中間にひっかかっている氷塊に飛び下れば、何とか反対側は登れそうである。ジッヘルを博夫に託し、ピッケルを構えて飛び下る。
反対側のクレパスの出口は予想外に悪い。氷の壁が氷河の圧力によって押し出され90度以上の角度で手前に倒れている。

 そのため体重を支えるアイスバイルが氷壁に「がっちり」食い込まぬ限り、身体を上に引き上げることは出来ない。
渾身の力を振り絞って、ピッケルとアイスバイルを打ち込む。氷が砕け、首筋から氷片がもぐり込む。

 「ヘルメットに当って「カチン」と跳ね返る。サングラスに飛び散り、視界をくもらす。「だめだ博夫!横になれ。アイゼンをはいたまま背中のザックに乗るぞ。中身は大丈夫か?」

アイゼンをはいたまま背中に乗られると聞いて、博夫は一瞬、痛みを感じたようである。安心しろ。背中に穴はあけはせん。背中に乗って、おもいきり身体をのばし、ピッケルをクレパスの縁に打ち込む。確かな手応えが返ってくる。

 モンブランのボソン氷河の氷の手応えを思い出す。あの氷河の氷はピッケルが実に良く食い込む。オーバーハングした氷の壁でさえ全体重をかけて、乗越すことができる。ピッケルを打ち込んだ瞬間「スカッ」とした感触が腕に伝わる。

 あの時と同じ手応えだ。
 安心して身体をずり上げる。続いて博夫を上げる。ここにもザイルを張っておかないと、帰りに通過できないし、今後の荷揚げも無理である。

 100mのザイルと我々手製の70㎝のスノーバー1本を、その場に残し、林田、日下部にザイルの固定をまかせ、更に前進する。
「チラッ」と見えた青空も、ほんの一瞬で、みぞれ混じりの雨が振り出し、ヘルメットの縁から雫が落ちる。セーターも湿っていて気持ちが悪い。


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 セーターは我慢できるが、何としても靴だけは濡らしたくない。一度濡らしたら、ベースキャンプに下らない限り、乾かすことはできない。またキャンプを進めるにしたがって、どんどん高度も上がるので濡れた靴では、凍傷にかかり易くなる。だがそんなことにはおかまいなく無情にもヘルメットの雫は靴の上に「ポタリ、ポタリ」

 大きなクレパスを右の端から通過すると、すぐに再び大クレパスに行く手を阻まれる。これは左の端までトラバースすれば渡れそうだ。氷河の左で、亀裂の幅が小さくなっているのだ。何とかとびこせそうではあるが、足場が悪い。

 クレパスの手前の氷は、わずかな幅を残し、再び垂直に切れ落ちているため、助走のスペースが無いどころか、立っているのがやっとである。だが氷の裂け目に引っ掛かっている氷塊を落ちないものと信じ、利用すれば通過できそうである。
祈りを込めて一気に飛び越すー

 ここから上は、しばらく凹凸の少ない氷河が続く。小さい氷の亀裂が、かなりたくさん走っている。ヒドンクレパスに注意しながら一つ一つ飛び越える。 今超えた大クレパスを見下ろすとすさまじい景観である。

 荒涼たる氷の世界を押し包む白い霧を、クレパスが水平に断ち切る。その切断のシルエットは、宙に漂う、不気味な暗渠となって、希望の総てを飲み尽くすかのようである。

 先程セットした赤旗のマークが、氷の絶望の突端に「ポッン」と立ち、無彩色の漠とした世界に、毒々しい朱を注いでいる。クレパスの反対側からは、ザイルを固定している林田と日下部の声が、時たま風に乗って聞こえる。


 
55分、氷河中央部、4750m地点到達。まだ先に進めそうであるが、雨も降り続いているし時間も遅いので、ここを第一デポブラッツとし、マークを立て荷を下ろす。マッターホルンのような、大きな氷塔の下なのでここからならば遠くからでもよく見えるし、荷が雪崩に流される心配もないであろう。

 今日は大分濡れたが、第二アイスフォールの本格的な攻撃を始めることが出来たので、明るい気持ちでキャンプ1にもどる。闇に包まれた氷河の上に星々が煌き出す。明日は晴れるかも知れない。

(2)雪霧の中の絶望
.1→仮C. 8月8日 雪

 9時15分、第一デポブラッツ着。やっと晴れたと思ったのに、再び雪である。朝方、Ⅰ峰の頂だけに、赤く焼けた雲がかかり激しい雲の動きを示した。不安定な天気だとは思っていたが、こうも早く深いガスに包まれ雪にとっつかまるとは不運である。

 デポブラッツの荷をザックに詰め込み、氷河の迷路を右に左に縫いながら、高度を稼ぐ。

 11時、大きなアイスビルディングにぶつかる。標高4900m。右側はアイスビルディングの裾を深く抉るクレパスが口を開け、通過不可能。 左は良く見えないが、Ⅰ峰の下部岩壁とアイスビルディングの間に、巨大な亀裂が走り絶えることなく、氷塊が落ちているようだ。


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 ルートはアイスビルディングの直登以外に無さそうである。しかし、この氷壁は、ほとんど垂直にそそり立っている。5m程ダブルアックスで登るが、身体が空中に出てしまい、バランスがとれない。

 小柄な博夫にやらせる。
 氷の上に乗った新雪を払いのけ、脆い氷壁にピッケルをたたき込み、博夫は少しずつ身体をずり上げていく。―今にも落ちそうである。
 
 ギリギリのバランスで身体を支えている緊張感が、直接伝わってくる。先程、私の打ったスクリューハーケンが1本効いているだけである。
「博夫!無理するな。」
「うっ」小さな叫び声を博夫が漏らす。

 落ちると思いザイルを握りしめるが、良く見ると博夫は鼻をおさえている。アイスバイルで鼻を打ったようだ。博夫のアイスバイルは、ピックが急角度で曲がっているため、氷壁にはしっかり食い込むが、なかなか抜けないのである。力一杯抜いたとたんに鼻を打ったのであろう。

 

 やがて氷壁の上部へ姿を消し、ザイルの動きが止まる。
「どうだ、その先可能性はあるか?ルートは拓けそうか?」

「解りません。上ってきてトップを変わって下さい。」

「よし、行くぞ、ジッヘルしろ」
 

 固定用の100mザイルを引きずりながら、アイスビルディングの上部へ出る。 氷塊が複雑に絡み合っていて、ルートが延びる可能性は判断できない。更に先に進むため博夫にジッヘルを託し、2人を結んでいた40mのメインザイルをはずし、100mの固定用ザイルで身体を結び直す。

 ザイルの延びる限り前進し、何とかキャンプ2建設の見通しをたてなければならない。だが、ここからアイスフォールは一変して、すさまじい様相を見せる。


 上部プラトーから流れ落ちた氷が、この4900m地点で津波のように盛り上がり、砕け散り、巨大なアイスビルディングを形成しているのだ。
―我々は、これを城砦と呼んだ。

 まず、氷塊が互いにぶつかり合ってできた氷のトンネルにもぐり込む。4m程進んだ途端に、突然クレパスに落ちる。新雪がたっぷり詰まっていて、もがけど身体が上がらない。

 しゃにむに、ピッケルを氷にたたきつけてクレパスの反対側に這い上がる。クレパスから抜け出た視線が、白濁した宙をさまよう。雪の降りしきる空間を、真二つに切る仄黒い直線が「ぼう」と浮かぶ。

 それはまるで、地上の終焉を告げるかのようであった。近づいてみると、とんでもない馬鹿でかいクレパスが底知れぬ深さで口を開き、横たわっていた。

「ザイルがありません」博夫の声が、雪の乱舞を縫って、きれぎれに聞こえる。私は間違っていたのだろうか?第二アイスフォールを真正面から、突破しようとの試みは、無謀なのだろうか!

 
ポーランド、ユーゴスラビアの合同隊が採ったように、Ⅱ峰西壁の下部岩壁にルートを採るべきであったのか!


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 際限もなく降り続ける雨の中で、私はクレパスを凝視したまま、しばし立ちすくんだ。気が付くと顔から雫がたれていた。手袋も靴も、かなり濡れている。

 寒さが急激に身体の芯を貫く。 時刻は午後1時。まだまだ時間的余裕はある。だがもう一歩も進めない。縦横無尽に走るクレパスと、乱立するアイスビルディングのため、右や左へのトラバースも不可能である。

 悪天を跳ねのけ、アイスフォールに屈せず、何とかして希望をキャンプ1に持ち帰りたかったが、もうだめだ。
 私が持ち帰るものは、疲労と、濡れて冷え切った肉体と、絶望だけだ。 しかし私は彼らに対しては、希望を語らねばならないだろう。
絶望なんて何の役にも立ちはしない。

 行く手を阻んだクレパスの縁を削り、茸雪を作りザイルを茸雪にしばりつけ固定する。アップザイレンで一息に、城砦下部まで、アイスビルディングを下りる。しばらくすると荷揚げの林田、日下部がマークに導かれて、氷河を登ってきた。

  

「ごくろう」
「すげえな、良くルートファインディングできたな」
「ザックからテントを出してくれ、標高4900m、ここを仮のキャンプ2とする。雪もやまないし、今日はここまでだ」

 アイスビルディングは、氷河の圧力で谷側に傾いており、今にも倒れそうであるが、数日間はまだ保つであろう。大きな氷柱が何本も氷壁から垂れ下がり、先端から落ちる雫がヘルメットを「ピタピタ」とたたく。

 このアイスビルディングの氷壁基部だけがわずかに平らになっている。ここ以外にテントを張ることは出来ない。5人用のドームテントを組み立てる。

 3月、穂高のジャンダルムに張り、5月に富士山頂に張って、氷壁トレーニングに使用したまだ新しいテントからかすかに日本の香りが漂う。

 奥穂から光満ち溢るる雪の海、涸沢へ一直線に切ったラッセルが、昨日の事のように鮮かに浮かぶ。 誰も居ない山であった。あの冬の日のように、ここにも我々以外、誰も居ない。

 テントの中にザイル、ハーケン、ガスバーナ等を収納し、2時、城砦を後にした。この次、このテントと再び会うことがあるだろうか?

 アイスビルディングが崩壊しないように、テントが雪崩に襲われないように祈りつつ、キャンプ1へ向かう。 途中、何度も城砦を仰ぎ見る。

 下から見ると、アイスビルディングの右側は大きなクレパスのため、明らかに通過不可能だが、左側はⅠ峰下部岩壁とアイスビルディングの間の雪崩道に、ルート開拓の可能性がある。

 
雪崩道は下部氷河から観察する限り、雪崩で(なら)された比較的凹凸の少ない氷の急斜面のように見える。この雪崩道は、うまくすると城砦上部のあの絶望的なクレパス帯を、埋め尽くしているかも知れない。

 「よし」明日は極めて危険だが、この雪崩道を攻めてみよう。
 キャンプ1に着いてからも、プリズムで城砦周辺の観察を続ける。


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 特に氷の崩壊と雪崩の起こる場所、頻度、規模について、注意深く調べたが、ひっきりなしに起こる雪崩は、キャンプ1に3本流れ込んでいる氷河の1つ、中央氷河にほとんど集中しており、右氷河のアイスフォールは静かである。

 時折、右岸のアイスフォールが崩れ落ちるか、又は左岸西壁のガリーから、雪崩やものすごい落石がある程度である。どうやら第二アイスフォール中央部の雪崩の頻度は周囲に比較すると少ないようだ。

 多分、城砦左側の雪崩道も、雪崩の定期便の通り道であって、周期も2,3日に1度ぐらいなのであろう。上部氷河の巨大なアイスビルディングが崩壊すると、この雪崩道に出口を求めて、氷塊が殺到し雪崩道が甦えると考えられる。

 
雪崩の頻度が少ないとはいえ、ここにルートを求めることに、はたして希望があるのだろうか? テントの中は静かなり。暖房用のガソリンバーナーの音のみが響く。テントの天井に吊るした、濡れた二重靴のインナーブーツが時々ゆれる。 音もたてず、疲れてみんな眠りこけている。

 重い荷、高度での激しい行動、希望のない天気。先の見えない疲労の中で、ただひたすら眠りこくっている。
「6時17分だ」 ぽつりと日下部が、誰に言うともなく語りかける。 沈黙が続く。 アンテナを延ばし1人、日下部がベースキャンプの岩野と交信を始める。 明日の荷上げについての岩野の声が、テントに響く

(3) 氷瀑帯突破 
C₁→C₂ 89日雨曇雪

又、雨だ。
6日間連続して雨。この地域はモンスーンの影響を受けず、砂漠気候に支配され、夏はほとんど雨が降らないはずなのだ。1975年すぐ隣のロアティリチ氷河に偵察にきた東京学芸大隊は、7,8月中1日も雨に降られていない。

それなのにいったいどうしたことだ。この連日の雨は。いくら雨が降り続こうと我々は休むわけにはいかない。攻撃に許された日数は17日間なのだ。荷を担ぎ、再び危険なアイスフォールへと行動を開始

 1時30分、仮のキャンプ2城砦下部着。遅れている林田、日下部を待つ。キャンプ1で作ってきたリンゴジュースを飲む。
「うまい」 ポリタンから口を離すのがつらい。いくらでも飲める。実際、身体は水分と糖分を要求している。

―もっと飲みたい―
 しかし、あとは氷をかじって、我慢しよう。2リットルのジュースを、4人で1日持たせなければならない。もう1本、2リットルのポリタンにジュースを詰めてくれば良いのだが、そうすると荷の重さが2㎏増える。2㎏といえば6mmザイル100m分に相当する。我々はジュースよりも、ザイルを選ばなければならない。

 2時、赤旗マークを付けた竹竿だけを持った空身の私がトップに立ち、ザイル、スノーバー、をザックに詰めた博夫を従え、荷上げ隊より一足先に、城壁下部を出発する。昨日、キャンプ1で観察した雪崩道に向かって、城砦下部を左へトラバースする。


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 「ルート開拓の可能性を見出すことが出来ない場合、我々は同ルートをもどる。出発して30分たって、もどるという我々のコールが無かったら、ルート工作は成功していると判断して、仮キャンプ2の荷を持って、我々のルートを追ってきて欲しい」と伝えて、荷上げ隊の2人と別れてきたがふと不安がよぎる。

 この先はだぶん最悪のルートであろう。雪崩に圧しつぶされるか、ヒドンクレバスに落ちるか、あるいはアイスビルディングの下敷きになるかもしれない。
そうなったら荷上げ隊の2人はどうなる。知らずに同ルートを登りつめ、同じ運命をたどる危険性がある。

―荷上げを焦りすぎたか―

 やはり我々ルート偵察隊がルートを確かめてから「O.K」のサインをだすべきであった。今からもどって、そのことを2人に伝えるべきか?

 思惑から醒めると、私は雪崩道の急な氷の斜面で、立往生していた。右手にマークのついた竹竿を持っているためアイスバイルが使えない。アイゼンを強くけりこんでも、氷が硬くて、爪はわずかしか食い込まない。しかたないので、不安定な姿勢のまま右手をおもいきりふるいピッケルでステップを切る。

 ピッケルが「ピーン」という音をたてて撥ね返る。2度3度、振りおろす。やっとわずかな凹みができる。緊張感に我を忘れ、無心にステップを刻み続ける。

 左へのトラバースの途中で、博夫との間のザイルが、いっぱいに張ってしまう。ここで博夫を上げなければならないが、全くジッヘルの仕様がない。ピッケルを打ち込むことも出来ないし、身体の向きを変えることも出来ない。左手で持っている竹竿が、邪魔なのだ。しかし、マークを捨てるわけにはいかない。この先、危険な氷のルートが続くのだ。


不安定なまま博夫を上げる。
「博夫!落ちたら止められないぞ、慎重に来いよ」
「はい。解りました」

 1歩1歩、ステップの跡を辿り、博夫が近づく。ほんのわずかスリップすれば、雪崩道を博夫は、矢のように落下するであろう。ザイルがいっぱい延びきったところで、次に私の落下が始まる。

 堅い氷の滑り台を、2人はザイルに結ばれたまま場外下部へと突進し、やがて氷塊に激突し、砕け散るだろう。
 「博夫このまま先に行けここで立ち止まると危険だ」
「はい」

 博夫に従順に「はい」と応えられると、いつも幽かな胸の痛みに襲われる。彼は自分の意志で、ヒマラヤを選んだはずだが「彼を危険な世界に追い込んだのは正しく私である」という意識が、痛みを生み出すのであろう。

 その意識は、彼が私の教え子であり、かって数学を教え、岩登りを教え、冬山を教えたという事実に根ざしている。
 「はい」と彼が従順に応えた瞬間、私は彼の教師であったことを、反射的に思い出してしまう。

 彼が私の教え子である限り、私は彼を危険な目にあわせたり、遭難させたりすることは出来ないのだ。
 
それは教師に内在する宿命的な感覚かも知れない。

 博夫と困難な山行を共にする度に私は、この胸の痛みに苦しめられる。しかしもちろん、そんな私の心配をよそに、博夫は充分に逞しいのである。

 雷鳴と風の唸る富士に、ためらいを感じつつ、3度目の高所順応テストのため、博夫と2人で山頂に向かった。予想通り、9合目で猛吹雪に襲われた。

 雪が弾丸のように突き刺さり、進むどころか、立っている事さえ困難な吹雪であった。ビバークを決意し、テントを取り出している最中に、強風で次々とポールが折れ、いたしかたなく、テントを突破ぶって氷の上で横になった。

 やけに寒くて、身体が脹らんで重い。アタックコートのチャックを開くと、びっくり。内側に大量の雪が詰まっている。あまりにもすごい強風が、コートの繊維のわずかな隙間を突き抜け雪を運んだのであろう。オーバーズボンの中もたっぷり雪が詰まっている。

 寒いはずである。面白い程、震えが止まらなかった。2人で「ガタガタ」音をたててふるえた。

 翌朝快晴、山頂の気象台で、私を知っているという職員に会い、コーヒーとトーストをごちそうになり、ビバークの後の豊かな、満ち足りた気持ちで山頂を後にした。

「谷川岳衝立岩正面壁に続いてのビバークだったな。次のビバークは、たぶんヒマラヤだろう。死ぬかも知れんぞ」
 「ヒマラヤで死ぬなら良いですよ。」

 寡黙で、気取ったことを言わない博夫がさらりと言ってのけた。博夫は、私の宿命的感覚を超えて、充分に逞しいのである。

 雪崩道は、アイスビルディングを削り取りながら城壁上部へと続いていた。予想していた通りであったが、目の前に展開された世界は、まるでクレバスの展覧会であった。 至るところが「ズタズタ」に裂けていて手の出しようがない。

どだい、アイスホールのど真中を突破しようなんて、無理な話なのだ。しかし日数的に、ルートの変更は不可能である。1度、ベースキャンプまで降りて、ルートの偵察から、やり直すには最低、2週間はかかる。

―「ヒマラヤ17計画」最早これまでか。

 乱立する氷塔と底知れぬ深い口を明けたクレパスの一つ一つを、丹念に目で追う。その一つ一つを突破するのに必要なザイルの長さ、スノーバーの数、ワイヤー梯子の長さ、時間、労力を直感的に読み取る。

 「だめだ。とてもじゃないが、これ以上の前進は無理だ」・・・・・・・もう一度、極悪な相を呈し、拒絶する氷の津波群に目を向ける。キャンプ1で、しっかりと瞳に焼き付けた第二氷瀑帯を思い起こす。

 ― 城壁上部はどうなっていたか ―
右だ!
 右の西壁下部が、わずかではあるが、なだらかな雪田を形成していた。キャンプ2を設営するとしたら、あそこ以外にはあるまい。

 しかしどうやって右へトラバースするか。右側は、大きな氷の裂け目に、巨大な氷塊が「グズグズ」に割れ、大小無数のクレバスを作っている。 「ヒマラヤ17計画」を放棄するか、迷路を選ぶか?迷路を選ぶことによって私は、博夫をそして他の隊員をも、殺すことになるかも知れない。


 私はこの時、迷うことなくすでに、今夜のビバークを決意していた。全員、羽毛服、シュラフ無しのビバークである。だが、キャンプ2の設営可能な、わずかな平坦部を作り出せば、荷上げ隊が、ガスとテントを持っている。命を脅かされることなしに、ビバークできるであろう。

 何とか明るいうちに迷路を抜けよう。『博夫、やはり次のビバークは、ヒマラヤになりそうだ』 無言の語りかけをしてみる。

 氷の迷路は、全体がクレバスの巨大な空洞の上に浮かんでいるのをしめすかのような、不気味な深い穴と亀裂が、至る処に走っている。一歩踏み出すと同時に、迷路そのものが轟音と共に奈落の底へ落ちてゆく不安に襲われる。

 ピッケルを氷にたたき込み、わずかな凹みを作り、マークを立てる。マークを立てた前の地点から、かならず次のマークが、何処か見えるようにセットしないと、荷上げ隊は迷路で動きがとれなくなってしまう恐れがある。

 又、もし1本でもマークが倒れると我々は引き返すことさえ出来なくなってしまう恐れがある。3本目のマークを氷塊に突き刺した時、再び前進不能になる。このまま更に右へトラーバースを続けるためには、剃刀の刃のように研ぎすまされた氷稜に、ルートを求める以外にない。ひどく尖っていて足を置く場所なんて、ありゃしない。

 氷そのものも極く薄いもので、体重を支えてくれるかどうか危うい。この氷板が崩壊すると我々は間違いなくクレパスに落ちる。氷板の右も左も「ぞくっ」とする程、切れ落ちている。

 二度と逃れることのできないであろうあの氷の迷路へ足を踏み込む勇気さえ持てば雪田への可能性は生じる。アイスバイルとピッケルを交互に打ち込み、良く効いているのか確かめ、氷の刃にまたがる。
―尾底骨に氷がぐりぐりあたる―

 我々はこの氷の刃を「馬の背」と呼んだ。氷からピッケルを抜き、手の届く限り遠くの位置に再度ピッケルを打ち込む。強く引いて見る。 「びく」とも動かない。

 安心して、力をピッケルに集中し身体を前方に「じりじり」とずらす。足の裏を内側に向け、両足のアイゼンを氷にひっかけ、木登りするようにして、氷の刃を登る。

 冬の前穂北尾根や鹿島槍北壁の雪稜で、良くこんなことをした。アイガー頂上付近の細い雪稜では、落ちないのを不思議に思いつつ、立って「スポスポ」歩いたこともあった。

 それ等の思い出と共に、私の内部から不安感が拭い去られ、登攀の喜びが肉体の深奥から「こんこん」と湧き上がってくるのを感じた。今まで恐れを持って、氷の迷路を見つめていた瞳は、一変して大胆な挑戦的な光さえ、宿し始めたような気がしてきた。

 



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