ムスターグアタ北峰初登頂・・・シルクロードの白き神へ
  心象スケッチ(報告書・シルクロードの白き神へより抜粋)
長い鎖国状態を解き1980年中国政府は、遂に中国奥地の登山解禁を発表。
但し登山隊には北京駐在代表事務所を北京に設置し、医師を同行することが義務付けられた。
翌1981年5月、坂原は北京に飛び5日間かけて議定書を調印し、
その2か月後の7月に、解禁されたばかりの中国奥地へと、登山隊を組み乗り込む。

                                                               記録:坂原忠清


果てしもなく広がる死・・・タッキリマカン、
ウイグル人はタクラマカン砂漠をそう呼んだ。
天を突く大山脈によって囲まれ、わずかな水分が海から旅して来ることさえ拒否する。
あるは、ただ流沙、そして死。

≪果てしもなく広がる死を≫を超えて、洛陽からローマを目指したシルクロードの旅人が、
流沙の彼方に白く輝く慕士塔格(ムスターグアタ)の山脈を発見した時、
彼らはどんなにか狂喜したことであろう。
死の旅の終わりを示すと同時にオアシスの存在を示す白く輝く峰は、彼らにとっては
正しく生命そのものであった。

オアシスの民はこの白き峰を
≪氷山の父・ムスターグアタ≫と呼び、聖山として崇めたのである。

海外登山記録

Contents  
   ヒマラヤ登山記録  チベット 1998~2006年
《A》 ヨーロッパ・アルプス(アイガー、マッターホルン、モンブラン) スイス、フランス 1975年7月~8月
《B》  コーイダラーツ初登頂(5578m) アフガニスタン 1977年7月~8月
《C》  ムスターグアタ北峰初登頂 (7427m) 中国 1981年7月~8月
《D》  未知なる頂へ (6216m) ビンドゥゴルゾム峰 パキスタン 1979年7月~8月
《E》  ヌン峰西稜登頂 (7135m) インド 1985年7月~8月
《F》  ナンガ・パルバット銀鞍 (8126m) パキスタン 1983年7月~8月
《F2》  ナンガ・パルバット銀鞍 (8126m)  その2 パキスタン 1983年7月~8月
《G》  ナンガ・パルバット西壁87 (8126m) パキスタン 1987年7月~8月

カット:笠井冨美代



     中央アジア遠征峰



スキタイ BC7世 紀に南ロシア草原に成立しBC6世紀~BC4 世紀、黒海北岸を中心に史上初の遊牧国家を建設した騎馬遊牧民。
匈奴 スキタイの影響を受けBC3世紀末、騎馬遊牧民をまとめてモンゴル高原で一大勢力 を成した遊牧国家
快く受けましょう


《1》 五月の北京

ゴーゴーと風が吹き
空が黄色くにごる
遥か西方のタクラマカンやゴビの砂漠が
北京を襲う
匈奴は流沙の中にスキタイを見
そして自ら中央アジアの流沙となった

窓の桟に積もった流沙を指にとり
息を吹きかける
外から差し込む光の中で
二度三度身を翻し
陰影の中に音もなく消えた

消えた流沙を求めて
私は北京にやって来た
漢人は私の西方への旅に
こう答えた

「快(カイ)」


 
《2》 万里の長城

黒海のほとりに
シュメールとは異質の
騎馬による新たなる文明が誕生した
騎馬はジュンガル盆地を貫き
匈奴を跋扈させ
万里の長城を作らせた
張騫を出現させ
サカ族をインダス河に追いやり
バクトリアを壊滅させた
シルクロードの細い糸を東西にかけ
糸の上を自在に疾駆する
ジンギス汗を生み出した

荒れ果てた長城の一角に立ち
地平線の彼方に匈奴を追う
赤茶けた隆起に砂塵が舞う
乾いた砂の臭いがツーンと胸にしみる
漢の武帝の命を受け
今、私は西方への旅を決意した
目指すは大月氏ではなく
聖なる山、ムスターグアタ北峰

シュメール 最古の都市文明・初期のメソポタミア文明を築いたとされ、バビロニアの南半分の地域、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。。
張騫 中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。
サカ族 紀元前6世紀頃から中央アジアに現れたイラン系遊牧民族。匈奴に撃退され、パミールを越えてアム川北に移動。
バクトリア ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間に位置する中央アジアの歴史的な領域の古名。現在はイランの北東の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、および、トルクメニスタンの一部にあたる。かつてその領域にはグレコ・バクトリア王国などが栄えた。 
大月氏  紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた


北緯飯店 北京での我が隊の宿泊ホテル。天安門の南3kmに位置する。
大汗フビライ: フビライ・カン(ハーン)はチンギス・カンの孫で、三代目モンゴル帝国の皇帝。今の北京(大都)に都をおき、マルコポーロの「東方見聞録」や日本の元寇で有名。
マルコポーロ ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』を口述した冒険家フビライが亡くなれば重用された自分たちは政敵に狙われ無事にヨーロッパに戻れなくなるのではと危惧し、中国を去りたいという申し出をしたがフビライは認めなかった
《3》 払暁の天安門

北緯飯店を飛び出し
払暁の北京を走る
鳥籠をさげてゆっくり歩む老人
太極拳をする人々
二輌連結のバスに乗るため走る人
長い行列を作り朝食のパンを求める人
仕事に向かう自転車の大群

大汗フビライやマルコポーロが
夢を描いた都市・北京
今は世界最高の人口をかかえ
静かなる胎動を続ける漢人の都

天安門の広場で大の字に寝ころび
汗の吹き出るがままに
荒々しい呼吸に身を委ねた
さあ西方への旅の準備をせねばならぬ
物資と人を集めるのに
許された時間は
たったの二か月
《4》 崑崙へ

中央アジアにロマンを求めて
四人の男が集まった
ムスターグアタのプロジェクトを伝える
崑崙通信が発行された
隊の北京事務所が決定し
後援が決まり
カンパニア活動が始まった

高所順応のため
富士山を駆け上り
低圧室に入る
装備・食料の寄付を仰ぎ
会社や商店を飛び回る

苦労してやっと入手した
スタインの地図と
陸軍参謀陸地測量部の地図も
今こそ生命を取り戻した

さあ崑崙へ

スタイン 中央アジアの探検調査で知られるイギリスに帰化したハンガリー出身の探検家。1906年には第2回の中央アジア探検を行い、敦煌の仏画・仏典・古文書類、いわゆる敦煌文献を持ち帰った。1900年オーレル・スタインはムスターグアタ南峰に試登し6100mまで達した。(中央アジア探検史より)
 低圧室 名古屋大学環境医学研究所の8千mの低圧シュミレーター。高山病対策として自転車(エルゴメーター)を漕ぎ肉体に負荷を掛けながら、4日間低圧下に肉体を曝した。 




《5》 ゴビ

広大な不毛の大地を見つめていると
恐ろしい程の絶望を感じつつも
妙に親しい
生命の起源への本能的な
意識が働くのであろうか
数十万度の灼熱から生み出され
真空の海を漂流してきた生命
生命にとって絶望的不毛は
遥かなる過去への追想

無数の条を描く赤茶けた
隆起を追っていくと
強烈な白光に瞳を射られる
祁連山脈の頂稜部だ
玉門関も敦煌もロプノールも
ただ赤茶けた大地

私は?斗雲のパイロット
斉天大聖孫悟空
《6》 ウルムチ

果てしもなく続く褐色の死に
緑の染一つ
やがて
オアシスは眼下一杯にひろがり
私はゴビ砂漠の旅を終えた

アルタイと天山の山脈に囲まれた
ジュンガル盆地の東端・ウルムチ
ウルムチは天山の雪解の水で
生きるオアシス
褐色の大地に緑の平行線を描くポプラ
車は水路にそった平行線の中を進む
白緑の幹は驚くほど素直に
ただひたすらに空に延びる

ポプラは熱砂の大地に
木陰を与え
砂漠の家の骨組みとなる
ポプラは干からびた大地の女神
私は女神に導かれて
ウルムチの崑崙賓館に入った

ハザク族 カザフ族に同じ。中央アジア西北部のカザフステップに広がって居住するテュルク系民族。15世紀に南シベリアからカザフ草原あたりに遊牧していたムスリム(イスラム教徒)の遊牧民集団ウズベクから離脱した人々が新たに形成した集団。ソビエト連邦の解体によりカザフスタン共和国として独立。
《7》 少女

天山の森でハザク族の少女に会った
緑の中で真珠のように光るパオの前に
少女は立っていた
目はブルー 髪は金色
その昔 彼女はアレクサンダーの血に混じり
東方への旅に出たのであろう
いやもっと昔 ステップを走る
スキタイと共にやってきたのかも知れぬ

パオの横の干し棚から
黄土色の塊をとり
ほほ笑みを浮かべ
少女は差し出した
ひどく堅い
石のようなチーズであった

チーズをかみ砕く
新しい破片から
動物臭が拡がる
羊 駱駝 馬 ヤク 驢馬
そしてスキタイの体臭





万里の長城もまた蜃気楼か!
《8》 蜃気楼

あきれるばかりに
生命の影がない
熱射と干からびた大地
想いだしたように舞い上がる砂塵
意味もなく褐色の隆起が現われ
突然とぎれ
再び地平線が大気にゆらめく

地平線の上に青みがかった
木立が続く
いくら車を走らせても
木立は近づかない
玄奘のように
マルコポーロのように
今 私はオアシスの
蜃気楼を見ているのだ
《9》 シシカバブー

北京の空気は重い
強いられた禁欲と諦観
唯一の救いは自由に買える
一本二角のアイスキャンディー

王府井を歩きながら
貧しいがゆえに陽気な
ペルーのメルカードを想う
アフガニスタンやパキスタンの
バザールの騒音に心を寄せる
王府井にあるのは
重い空気と人々の暗鬱な影だけ

ところがどうだ
北京より西へ三千キロも飛んでみると
空気が軽いのだ
路上のバザールに人が群れ
人びとは影を持たない
少年が炭火をあおぎ
声をからして叫ぶ
「シシカバブー うまいぞ うまいぞ」
羊肉の焼ける臭いが
喧噪とハーモニーを醸し
自由のシンフォニーを奏でる
カシュガルのバザール

王府井:
(ワンフーチン)
北京中心部東城区にある繁華街。巨大デパートや飲食店が立ち並ぶ。かつてここに王府(皇族の屋敷)の井戸があったことに由来。解禁されたばかりの王府井は閉ざされた家ばかりで、飲食店も勿論デパートも無かった。
メルカード: スペイン語で市場。バザールは中東諸国・中央アジア・インドなどの市場。 
シシカバブー: 中東地域とその周辺地域で供されるローストした肉類(ケバブ、カバーブ)を、串(シシュ)に刺した串焼きをシシカバブー云う。トルコではシシュ・ケバブ、アラビア語圏ではシーシュ・カバーブ、インドではシーク・カバーブと呼ばれる。北京で自由に買えるのはアイスくらいしか無いのに、カシュガルの市場には溢れる食材! 

アントノフ アントノフ24は、ソ連初のターボプロップ双発機で、日本のYS-11よりやや小型の機体は最大52人の乗客を運ぶことができる。1959年10月20日には初飛行が成功し1962年10月から路線に就航している。
? 天山の白日夢

双発のアントノフはうなる
北側だけに雪をまとった天山山脈が迫る
一つの山を越すと新たな谷が現われる
わずかな雪解の水が谷間に緑を生み
緑は遊牧民のパオを集める

二千年前そうであったように
遊牧民は羊を追う
タクラマカン砂漠という
とんでもない死のほとりで
ほんの少しの緑を求めて
遊牧民は羊に寄生する

谷間のオアシスに
私はサカ族を見る
彼らの愛した有翼馬に乗って
私は二千年前の流浪のドラマを追う
匈奴が敦煌の月氏を西へ追い
月氏はサカ族を西へ追い
更に匈奴は月氏を追い
月氏は再びサカ族を西へ追い
サカ族は天山から
インダスの上流へ逃れた

カシュガルへ着陸するまで
悠久な時の海に
しばし 身を浸すことにしよう
? 疎勒

まるでパキスタン
まるでアフガニスタン
なつかしい砂の香り
舞い上がる土の煙
チャドリの女
バザールのハルブザや西瓜
驢馬のいななき
裸足の子供達
日干し煉瓦で作った
四角い土の家
モスクのナマーズ
「サラマレイコム」と言って
抱き合う男達

アラビッシュのウイグル語が町にあふれ
ウイグル人 タジク人
ウズベク人 キリギス人がひしめく
砂漠のオアシス都市・カシュガル
生きていた疎勒
カシュガルにカンペイ
カシュガルの中学生の描いた素描

疎勒: 喀什(カシュガル)の古名。紀元前・前漢の時代から「疎勒」という国は続き、コーカソイドの人々が暮らしていた。7世紀に経典を求めてインドまで旅した玄奘三蔵も「疎勒」の人々は「碧眼」と記す。欧州とアジアを結ぶ文明の十字路であり、多くの人種が入り乱れ人種の坩堝とも言われた。
チャドリ: 中央アジアのイスラム圏における女性の頭から全身までを、すっぽり覆う一般的な衣装。イスラムの教義では女性は夫や父親などを除く一切の男性に容姿をさらすことを禁じており、とくに髪を見せることを戒め、全身を覆うことが強制される。アラビア語ではハバラ(habara)英語では ブルカ(burka)サウジアラビアではヒジャーブなどと呼ばれる。
ハルブザ: 中央アジアで食されるメロンの一種。ラグビーボールのように長円形で、肌は黄色と緑色がある。重さは1個3~4キロから10キロ以上にもなる。果肉は 白くややしゃきしゃきしており、食感はふつうのメロンと梨の中間。砂漠地帯の人々、旅人にとって欠かせぬ貴重な果物。
ナマーズ: カアバ神殿の方角へ向かって祈ることで、イスラム教の五行のひとつで、礼拝は1日5回行う。日の出の1時間以上前には起きて礼拝の準備をしなければならないためイスラム教徒は早起きせねばならない。 
サラマレイコム 「アッサラーム アレイクム」と同じ。「あなた方の上に平安あれ」という意味の挨拶言葉。サラームはアラビア語で「平和」を意味する。 


? 五千年の郷愁

黄土の丘の上に
黄土の家が連なる
驢馬を追い越し
赤い水の運河を渡り
朝の光に浮かぶ
土の家を目指し走る

土ぼこりの中に浮かぶ
土の家の集落は
たとえばブハラ
たとえばシャングリラ
白いランニングシャツに汗がしたたり
汗が土ぼこりを吸いとり
褐色のしみが白地に拡がる

モスクの前でベールをかぶった女達が
好奇の目を向ける
白髭の老人が微動をもせず
瞳だけでランナーを追う
裸足の子供たちが走ることの
意味を計りかねつつ
ペタペタと私の横を伴走する
土の家の迷路で何度か行きづまり
不意に郷愁に襲われる
確かに私は五千年前に
ここで生まれたのだ
ブハラ 中央アジアの乾燥地帯の中に位置しながら水資源に恵まれたオアシスに位置するオアシス都市。ブハラに人々が集落を建築し始めたのはきわめて古く、紀元前5世紀には城壁を持つ要塞都市が成立。現在のウズベキスタンの都市。
 シャングリラ ヒマラヤ奥地のミステリアスな永遠の楽園、外界から隔絶された地上の楽園。イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称。ここから転じて、一般的に理想郷と同義。小説の設定ではチベットの未知の地域に建つ僧院の名称。
 


? ゲズ溪谷

経典を求めて玄奘三蔵が通り
ローマからやってきたマルコポーロが歩み
ムスターグアタの登頂に失敗した
スタインが通過した谷 ゲズ

一木一草も無い世界を南へ走る
大地は徐々に隆起し
やがて
崑崙山脈頭部を形成する

少しも違和感がない
巨大な無機質と精神が呼応する
無機質の叫びが津波のように襲いかかり
日常性のヴェールをむしりとる
今 再び私は不毛な空間に
確かな現実をみる
光彩となって精神が拡散する
無機質の反射によって増幅され
光彩は肉体を刺し貫き
私を根底からゆする
ゆすれ ゆすれ
もっと もっと ゆすれ


? 再生

午後になると
氷河の融解が激しくなる
谷は午後の洪水に襲われ
道は寸断される
山肌を削り取った細々とした道は
常に落石の危機にさらされている
大小の岩塊は
走行中の車体を突き上げる

通勤電車 新宿発七時四十六分
準急江の島行
こいつが無数に氾濫し
私は七時四十六分の海で溺死した

人影の絶えた荒涼たる谷に
昨日と今日はない
去年と今年もない
一千年も経て
せいぜい七時四十七分

むき出しの大地が
荒々しく肉塊をゆする
車がうめく
肉塊がさわぐ
荒涼たる無機質の激しい愛撫

今 私は鮮やかに欲情する


? 聖なる山

限りない不毛の連続
舞い上がる不毛の粒子
太陽のスペクトルは
茶褐色の波長を散乱させ
不毛を描く

つい手が滑って
ぺインターは隆起の突端に
白を一滴落とした
白はわずかな水を生み
水はささやかな緑を生んだ
限りない不毛空間に
氷雪をまとったムスターグアタが現われ
小さな草原が出現した

ヤクが悠然と草を食む
駱駝がゆっくり走る
羊の群れがゆるやかに移動する
黒服のキルギス人が佇む

一滴の白が不毛な大地に
奇跡を創造した
オアシスの民は
孤高なる白を
ムスターグアタ
《氷河の父》と呼んだ
キリギス人 古代中国の歴史書によると、彼らは南シベリアのイェニセイ川上流域で遊牧生活を行い、匈奴に服属し、彼らの風貌は、背が高く、白い肌を持ち、青い目を持つと記されていた。回鶻(ウイグル)に服属していたが、840年に決起してイェニセイ川から南下し、回鶻を滅ぼした。しかし、回鶻に代わってモンゴル高原を支配することはできず、13世紀にチンギス・カンがモンゴル帝国を建てるとこれに服属した。



カラクル湖 高所キャンプから見下ろしたカラクル湖。後方雪山はくコングール山(7,649m)。中国新疆ウイグル自治区クズルス・キルギス自治州にある湖。南正面の眼前にムスタグ・アタ山(7,546m)、が見える。
? シャングリラ

アフガニスタン、ソ連
中国、パキスタン、インド、
五か国の国境が近接し
天山、崑崙、カラコルム
ヒンズークシュ、アライ
六つの山脈が集結する世界の屋根

世界の屋根を貫く一筋の絹
絹に宿った水滴、リトルカラクル湖
水滴のほとりに土の家が幾つか集まり
小さなオアシス集落、スバシが生まれた
流沙の舞う空間に突然浮かび出た緑
旅人はスバシに桃源郷・シャングリラをみた

私も又、シャングリラにやってきた
ローマや長安を目指してではなく
白き神、ムスターグアタに登るために

雲の上で白き神が光彩を放つ
幾筋かの光が湖を貫き
湖面を妖しく染める
緑の帯が褐色の大地に生命を描く
駱駝が吠え驢馬がいななく
羊が弱々しいコーラスを奏でる

煌け シャングリラ


ムスターグアタ北峰(7427m)北西稜初登頂ルート
カラクル湖から望むムスターグアタ北峰(画像:wikipedia)  1981年8月7日初登頂



? 静寂なる闇

闇がひたひたと打ち寄せる
徐々に高なりやがて総ては漆黒に没す
稠密な漆黒はゆるゆると体内に浸透し
私は古代の闇に還る

有史以来
決して引き裂かれなかったスバシの闇
沈黙せる広大な夜の西域
静寂は時と存在を解体して
あまねく宙に満つ
静寂のキャンパスに時と星を用いて
創造主は幾多のコスモスを描いた
一瞬の煌きの後
コスモスは沈黙の闇と化した
静寂
存在や時間さえも超越した
不滅なるエーテル

闇の中で私は肉体を失いエーテルになる
時間が机上の糸屑になり
コスモスが小さなビー玉になる
不意に私は認識の彼方に在る
孤立性に襲われる
同時にやっと私は
ほんとうの場所にきたと感ずる
敦煌壁画 敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1,600mに渡って掘られた莫高窟・西千仏洞・安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置されている。壁には一面に壁画が描かれ、総面積は45,000平方メートルになる。(wikipedia)




人民解放軍宿舎
? 人民解放軍

二弦琵琶・ツゥダをかき鳴らし
若き兵士が歌う
「オペラチャオ」を合唱し
「四季の歌」を共に歌う
蛮声に合わせ蝋燭の灯がまたたく

五か国の国境に隣接するスバシ
国境守備隊の任は重い
だが兵士は明るく陽気である
馬に乗り草原を走る
鉄棒や平行棒で汗を流す
岩山に標的を立て
射撃訓練を行う
トラックで運ばれた手榴弾をチェックする

土の兵舎に泊まった
筆談で語り
一緒に銃を撃ち
馬や驢馬でベースキャンプまで送ってもらった
強烈な酒「イリ大曲」を酌み交わし
何度もカンペイを繰り返した
蝋燭の灯が燃え尽きると
今天息休明天再会


驢馬でベースキャンプまで送ってもらう


? 時の無い村

ヤクが来ない
荷が運べない
時間だけがいたずらに消費される
荷の上に座り
標高3800メートルの
乾燥した大気に身を委ね
ヤクを待つ

時間の無い悠久な集落に
時計を持った男がやってきて
時間が無いと叫んでいる
「ヤクはどうした 八時の約束だ
もう十二時だ」
キリギスの長老はニカッと笑い
赤茶けた山の上を指す
さっきからそればかり
日本語対キリギス語の勝負は
キリギス語の勝ち
ヤク 我々の隊荷はベースキャンプまではヤクを使って運んだ。ヤクは標高4,000-6,000メートルにある草原、ツンドラ、岩場などに生息する。8-9月は万年雪がある場所に移動し、冬季になると標高の低い場所にある水場へ移動する。高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると心臓は約1.4倍、肺は約2倍の大きさを有している。(wikipedia)



小さなキリギス人
? 奇妙な人種

赤い岩壁が空の青を奪う
トラックは瀕死の重病人のごとく呻き
死んだ谷を登る
谷が曲がりトラックがカーブする
赤い岩山の左に群青と白光が飛び出す
巨大な氷雪の隆起が
果てしも無くせり上がり
頭上に聳える
白き神・ムスターグアタ
谷の終わりに草原があった
白いパオが散在し
ヤクが遊んでいる
白き神にいだかれた標高四二〇〇メートル
キリギス人の村

突然の侵入者の回りに
キリギスの子供がやって来る
遠巻きに見つめる黒服の少年達
やがてスカーフをつけた女達もやって来る
ただ押し黙り我々の動作を追う
変な服を着
変な物質を大量に持ってきた異邦人
雪と氷と風だけの山頂に立つため
やって来た奇妙な人種


21 オクイ

パオは駱駝に乗ってやって来る
羊に食べさせる草が無くなると
遊牧民はパオを折りたたみ
新たな谷に向かう

キリギス人はパオをオクイと呼ぶ
羊の毛をつむぎフェルトや毛布を作り
染色し円形の木組みに巻く
組み立ては簡単だ
数時間で草原にオクイの村が出来る

スキタイは穴を捨て
動く住居を考えた
動く住民は東へ走り
匈奴を生んだ
やがてオクイは動く城となり
ジンギス汗の登場を待って
世界を制覇する
オクイはモンゴル帝国の
生きた化石
オクイ




ナンを焼くキリギスの女
22 キリギス人の一日

石のような堅いチーズを一つ
土くれのような堅パンを一つ
お弁当を持って日の出に
少年はオクイを出ます
百頭ほどの羊と共に
わずかな草を求め乾いた山を登ります

地面に杭を打ち
十数メートルの毛糸を渡し
女達は毛を織ります
一日に数センチずつ
気の遠くなるような仕事
かたわらでは地面に二つ溝を掘り
むしろに包んだ羊毛を交互に落とし
フェルトを作っています
包みに何本もの綱をかけ
歌をうたいながら
十人ほどで綱を引きます

乾燥したヤクの糞を燃やし
堅パンを焼くおばさん
石組の台の上に
チーズを干す少女もいます
夕暮れにオクイの村は羊であふれます
少年が帰ってくるのです
女達はいそがしく乳をしぼります
陽が沈むと羊もキリギス人も寝ます


23 ヤク

みぞれ
集まったヤクはたったの十一頭
濡れそぼり寒さにふるえ
淋しいキャラバン
二頭分の荷がヤクの腹をしめつけ
皮が破れ肉が出る
遅れるヤクに岩をぶつけるヤク工人
高山病で倒れるヤクは
額に鉄串を刺すという
血圧を下げるために

ヤクは雪原も恐れない
反芻をしつつ終日ラッセルを切る
長い毛で覆われた大きな肉塊が
一日中何も食べず荷を運ぶ
肩の盛り上がった精悍な黒い肉塊
黙して進む雪上の孤独なシルエット

自由なる高山の野牛・ヤク
今は自由を生活保障とすり替えられ
去勢され
ただひたすらに荷を運ぶ
淋しいね
寒いね
ベースキャンプのヤク



北壁直下ベースキャンプ
24 ベースキャンプ

城ができた
メステント   一
隊員テント   一
中国人テント 一
荷物テント   二
全人口は六人
標高四八00メートルの丘の上

水源はかわいらしい氷河湖一つ
庭は丘の下のお花畑
エーデルワイス シオガマ ベンケイソウ
お客様は時たまやってくる遊牧民の羊
おとなりはオクイに住むキリギス人
目の前にそそり立つ
ムスターグアタ北壁
西は黒い氷河そしてパミール
東は広い谷そしてタクラマカン砂漠
北はコングールの白き峰々
あとは空ばかり


25  回帰

西の空に赤いオーロラを描いて
パミールに陽が沈む
目の前に直立する巨大な氷壁が
オーロラを映す
山巓に舞う雪煙が炎と化し
暗黒の高みで白き神が燃える

キリギス人の住む広い谷が眠る
コングール山脈が最後の光を失い
北の空に没す
果てしもない広大な闇が下界を覆う

はかりしれぬ深淵
白日の造型は幻影ですらなかった
かき消えた大地
冷たい光の点が無数にただよい
海の音を運ぶ
くり返し海がささやく
むき出しの宇宙にさらされ
私は天空の海に落下する
パミールに陽が沈む



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