山荘日記

その62冬ー2011年睦月

 

1月1週・・・・謹賀新年

謹賀新年
2011年元旦

そうか、明日は新年だ!
忙しくて昨年のように
森から竹や松を切り出して
門松を造る余裕が無くて
何もしていない。

こんな山奥まで賀状を届けてくれる
郵便屋さんには
せめて感謝の気持ちを込めて
《謹賀新年》を
伝えねば・・・・。

と昨夜急遽X’masリースに
《謹賀新年》をつけてゲートに。
さあ、これで
2011年を迎えられるぞ。

でも考えてみると
忙しかったのは山ばっか
登っていた所以(ゆえん)
当然の報いではある。

自由に山々を駆け巡る
ことの出来た
2010年は手の届かぬ
遙かなる永劫の過去へ瞬時に
去ってしまった。

さて山積する仕事の何から
着手すべきか?
よし、先ず長年の懸案、
広い畑の防獣用万里の長城を
築き始めるとしよう。

2m×1mの重いワイヤーメッシュを
55枚、長さ1.8mの直管パイプを
58本、うんやこら運び上げ
元旦早々
万里の長城の築城開始。
さてさて、どうなることやら!
  哀しき賀状
2011年元旦

《膝と腰が痛くて
山へは登れなくなっています》
(H・I)

《膝の使い過ぎで膝を
ダメにしてしまいました。
ステッキをついて「一人三脚の
一年間でしたが元気です》
(N・T)

《老いをザックに入れて背負い
空を仰いで 稜線を歩く・・・
そんなことを思っています。
山に誘っていただいてよかったと
老いてつくづく感謝です》
(K・T)


嘗て一緒に頂を目指した岳友からの
哀しい賀状。
若かったヒマラヤの隊員も
次々に山に倒れた。

ブータン遠征隊員の中川
岩壁で墜落
ナンガ・パルバット隊員の大谷は
落石を受け共に死亡。
ナンガの頂を目前に中島は疲労凍死
K2隊員の成田、ナンガ隊員の小口は
甲斐駒で雪崩岩壁宙吊りで落命。
大宮はナンガの荷上げ中に滑落死。

5回の遠征を実施した
ナンガでの隊員の死はその後も続く。
山荘に来るたび
溢れる笑顔と活力で
畑仕事に励んでいた高橋も
氷河に落ちて死んだ。
待てど暮らせどその七隊員からの
賀状は届かない。



ガザニアの元旦(書斎にて)

 
焼きたてカップ
追想の香り

七隊員への追悼を込めて
彼らの好きだった
コーヒーを呑むことにした。

それには先ずコーヒーカップを
焼かねばと土をこねた。
エスプレッソの好きだった
中川隊員には
小さめのカップに織部の
黒釉薬を掛けてみた。

中川君がわざわざ京都から
贈ってくれた
イノダのコーヒーカップセットの
横に並べたら
なんだか照れてる。
あいつはいつも
そういう奴だったなと
思いだしながら
沸騰してきたサイフォンに
挽いた豆をいれる。

下のフラスコから
上のフラスコへ山荘の
美味しい地下水が
ボコボコ音を立てて昇り詰める。

アルコールランプを消すと
コーヒーをたっぷり吸いこんだ
地下水が追想の香りを
伴って再び
下のフラスコへ回帰する。

こんな洒落たサイフォンを
クリスマスに
プレゼントしてくれた
サンタさんに感謝!





1月2週・・・・シシュフォスの長城万里

 懲りないシシュフォス
1月9日晴 林檎畑&葡萄畑

懲りないのだ!
毎年、毎年畑のぐるりに防獣網を
張り巡らし
毎年、毎年喰われてしまう農作物。
それでも懲りずに
作物を作り防獣網を張り続ける山荘主。
闘いは2011年も続くのだ。
いやシシュフォスのように永劫か?
 ハーケンで固定

だが今年は違うぜ!
軟な網じゃなくて金属様の登場さ。
その名も《ワイヤーメッシュ》。
お前達の歯なんか
てんで受け付けないぜ。

石垣に金属は固定出来ないって!
おい、忘れんなよ。
山荘主は岩壁登りの名人。
ハーケンを打ち込んで
ほら、御覧の通り。

これで石垣と金属の隙間から
侵入しようたって
とても無理な話さ。
どうだ、驚いたろ。参ったか!
もう降参しろ。
 蝶番はカラビナ

それじゃ、出入りが出来ないって!
そこまで見くびるか。
まさか、金属相手では
扉も出来ないと侮っているな。

そりゃ熔接の器材は無いけど
登山用具には
岩壁登攀に使うカラビナと云う
強靭な武器があるのさ。

墜落する人間の衝撃体重を
受け止める金属だから
メチャ頑強。
こいつを蝶番に使えば
観てみろよ、簡単に出来ちまったぜ。
立派な金属扉。



敵は土中の石&岩に在り
果てしなき杭打ち

問題はだな、石垣や扉だけではないんだ。
《ワイヤーメッシュ》を取り付ける杭を
どう固定するかだ。
土中に打ち込めばいいと思うだろ。
その通りさ。

だが土中と云うのは土だけで
出来てるんじゃない。
石や岩が混じっているんだよ。
そこに打ち込んだらどうなるか解るだろ。

そう、打ち込んでる途中で鉄杭が
ビクリとも動かなくなって
その後が悲惨なんだ。
出来たぜ!108mの長城
トラックで資材運び、雪の来ぬ内に

岩や石が在る限り打ち込む力を
強くしたって鉄杭が曲がるか
掛矢が折れるだけ。
鉄杭を抜いて穴を掘って石や岩を
取り除かねばならぬのさ。

1メートル近くも土中に打ち込まれた
ピクリとも動かぬ杭を
抜く作業が如何に大変で腰を傷めるか
知ってるかい?

更に巧く抜けたとしても
石や岩の在る深さまでスコップで掘り進み
敵を捉えて拉致せねば。
それで一件落着と思ったら大間違い。
更にその下に敵が潜んでいたりするのさ。
 獅子奮迅の掛矢
雌猪の嘆き

「杭打ちの場所をずらせば!」
と云いたいの?
あのね、《ワイヤーメッシュ》の長さは
2メートルと決まっているんだ。
土中の岩の大きさも判らないのだから
少し位ずらしても徒労なだけ。

その上ここ連日の寒波襲来で
ー8.1℃の今朝の山荘地面はカチンコチン。
泣き面に蜂とは正に
このことだぜ!

なんぞと嬉しそうに愚痴を零しても駄目さ。
闘いを共にしボロボロになった
掛矢を見つめて
頬が緩んでいるのが見え見えだぜ!

ほら、先々週硫黄岳
腰までのラッセルに苦しみながら
微笑んでいた
あの時とまるっきり同じだぜ。
  えっ!何故鉄のハンマーを使わず
掛矢をわざわざ使ったのかって?
煩いね、少しは頭を使えよ。

そりゃ大きな鉄ハンマーで打てば
ハンマーは痛まないよ。
けどそれじゃ鉄パイプの接合部が変形して
後からパイプの接合が
出来なくなってしまうのさ。

あーでもこれが完成してしまうと
乳飲み子を抱えた
母猪は畑から美味しい農作物を
取れなくなって途方に暮れるのかな!

なんぞと早くも山荘主は
《ワイヤーメッシュ》の過大効果の幻想に
浸っているのであるから
なんともおめでたい頭脳である。

2011年夏の或る日
《ワイヤーメッシュ》のフェンスに囲まれた
畑に立って叫ぶのだ。
「くそー、また喰われちまった!」



1月3週・・・・マイナス8.2℃は半端じゃないぜ!


湧き水の造形
1月16日晴 寺平の森


朝トレーニングを終えて
汗でぐっしょり濡れたTシャツや
ズボンなど洗って
2本目の竿に干していると何やら
背中をベニヤ板がパタパタと叩く。

おかしいな1本目の竿には
シーツを干したのだが・・・。
振り返ると先程干したばかりのシーツが
バリバリに凍ってベニヤ板に変身。

と驚いている間に
Tシャツが巨大スルメになってガチンガチン。
マイナス8.2℃は半端じゃないぜ!
森の湧き水だって
湧き出した瞬間にほら、ご覧の通りさ!
チビ、オバ犬小屋占拠
1月16日晴 寺平の森


フックでしっかり固定し 
犬小屋の扉はビクとも動かない。
にも関わらず朝になると
扉が開いている。

風の仕業にしてはどうも
手が込み過ぎていておかしい。
とは思っていたがまさか
チビ、オバマが夜な夜なやって来て
扉を抉じ開けているとは。

ー8.2℃の未明の奥庭に
ひっそりと蠢く影。
寒さに耐えきれず犬小屋の扉を
開けんと必死に体当たり。
僅かに開いた扉の
隙間からするりと侵入したでは。
 



四十雀の寒中水浴
1月16日晴 山荘の池


何処もかしこもカチンコチン
四十雀も山雀(ヤマガラ)
毛繕いする水場がなくて
やっと見つけた
山荘池の小さな流れ。

いつも太陽の光に包まれていて
この流れは
寒くても凍らないと
知っているんだ。

十数羽の四十雀が一斉に
降り立ち嘴で
水を全身に掛け毛繕い。
ー8.2℃の寒い朝でも
水を浴びるなんて山荘主と同じだね。



2階からの300㍉望遠画像
えっ!山荘主は
この寒い朝でも水を浴びるの?
そうなんだ。
と云ってもトレーニング直後で
体が熱い時だけさ。
目白の冷水は未だ耐えられるけど
山荘の水は冷たくなくて
痛いんだよ。

皮膚がキーンとして
筋肉が針で刺されたように痛んで
アーこのまま外に出て
ー8.2℃の外気に曝されたら数分で
凍え死んでしまうだろうなと実感。

人間は実にひ弱だね。
ひ弱になって知能を発達させ
氷河期を生き残ったんだ。
小川の氷滝
1月16日晴 寺平の森


湧き水だけでなく
小川の垂直に落ちる滝も
凍りついてしまった。

問題はだな、これ程寒いのに何故
炬燵に潜り込まずに
敢えて冷水を浴びるような馬鹿をするかだ。
そりゃ、肉体に突き刺さる冷水の
鋭い痛みを堪えた後の、全身が燃え上がるような
あの快感に在るだろうとは
何となく想像がつくけど、どうもそれだけじゃないような。

ひ弱な哺乳類が最終氷河期を生き延びて
樹上から地上生活へと
新たに大胆な一歩を踏み出し
2足歩行を開始し人類へと進化した
遠い過去が限りなく匂うな。
 最終氷河期への追想
1月16日晴 寺平の森


気温が低いだけでなく
風が盆地を吹きあげ森が騒めき
寒いのなんの!
山荘の日中の最高気温がー1℃。

そんなにも寒い山荘は春まで放っておけば
いいのに酔狂にものこのこ出かけて
おまけに水まで被るなんてマゾヒスト以外の
何者でもないね。

そんなの断じて最終氷河期の哺乳類とは関係ないね。
そうかな、でもさ恐竜を始めとして
大量の生物を絶滅させた氷河期は何故
哺乳類の一部だけをリセットしなかったんだい?

そうなんだよ、気が付いたかい。
哺乳類の叡智を生み出したのは逆に
正にあの氷の冷たさだったのさ。
生命のリセットを繰り返す氷河期こそが
知の産みの親であったが故に
精神の深奥で氷河への回帰願望が疼くんだよ。
きっと!
 



 
遥かなりK2氷河
1月16日晴 玄関


ナンガ・パルバット(8125m) の北壁に襲いかかる雪崩と
氷河に聳える巨大なアイスビルディングに
共通する《永劫の刹那》を見出し
山荘の顔としてここ数年間、交互に玄関を飾って来た画像。

お別れすることにした。
新たな2011年の顔はゴドオースチン氷河の奥に聳える
氷を纏った地球最大のピラミッド・K2(8611m)
1メートル近くある画像パネルが山荘に吸い込まれ小さく見える。
K2遠征は1994年なのだが、画像は1989年の
ブロードピーク遠征の時のもの。

最終氷河期への熱い追想を込め、題して《遙かなりK2氷河》


 
白菜を新聞紙で巻いて
蕪と大根を総て掘り出して
新たに畑に穴を掘って埋め直す。
これで野菜の凍結を
防ごうと意図してるのだが
これが通用するのは下界の畑。

垂直に落ちる水が凍ってしまう山荘では
気休めに過ぎないが
まっ、何もせず
手を拱いているより益しか!
  め




    
  寒くてこれじゃ
とても森や畑の外仕事は無理。
そこで思い切って
暮れにやり残していたアマルテアの
大掃除・ワックス掛けを決意。

先ずこの蛸足の迷路のように
入りく組んだコンピューターの配線を
総て外してモデム、タワー
ディスプレイ、キーボード、プリンターを
廊下に出して大きな机、
ベッドを解体して運び出してと・・・。
寒波のお陰でどうにか大掃除終了。  








 

1月4週・・・・凍てついた羊水のギロチン




黄昏れる生命の奔流
1月23日晴 竹森川片栗谷


迸る激しい流れが動きと音を失い
静かな眠りについた。
そんな風に意味の喪失は不意に
眼前に結像し、生命の本質を脅かす。

ふと青臭い大学生が
『マックス・ウェーバー宗教社会学論選』と
『職業としての学問』を抱えて
氷の谷をひょいひょい飛び跳ねながら
意味の喪失について呟き始める。

そもそも意味の喪失は近代社会の産物だと
M・ウェーバーは云うんだ。
もっと正確に文章を引用するとね
近代社会を「破滅的な意味喪失」の社会
我々がこの世を生きていくための目的と方向性とを
全面的に剥奪させる絶望的な
「現世の価値喪失」の社会だと
特徴づけるんだ。
突き刺さる意味の喪失
1月23日晴 竹森川・氷のギロチン


その「破滅的な意味喪失」
「現世の価値喪失」何処から齎されるかと云うと
そもそもは宗教改革まで遡るんだって。

ローマ・カトリックに対し《救いの手段は魔術だ》と
プロテスト(抗議)して
「世界の全面的な魔術からの解放」が実現し
近代社会が生まれたのは
プロテスタントでなくても御存じ。

これをウェーバーは合理化過程の完結として捉え
訳のわからん魔術でなく
知と理性を重んじる「主知化」,「理性化」が主役となり
法則、科学が社会、個人を支配する
近代社会になったと云う訳。

だがそこに氷の牙を?いて潜んでいたのは
「破滅的な意味喪失」だったのさ。


羊水の戦慄の眠り

総ては凍結する「絶対的物象化」
1月23日晴 竹森川座禅草公園


「主知化」,「理性化」は近代資本主義経済として花開き
「峻厳なまでに自己の規則性を貫徹する法則」
に人間は支配されてしまうとウェーバー。

まーここはちょっと飛び過ぎてるので勝手に補足するとね
まー会社勤めが始まって時間に縛られたり
ノルマを課せられ生き延びるための経済的淘汰が為されたり
資本主義経済に固有の法則には
適応する以外にはないとウェーバーは云ってるのです。

でもこれでは未だ未だ意味の喪失には
行きつかないよね。
そこで更に彼は近代資本主義経済も又自然現象と
同じ厳格な法則に支配され
「絶対的物象化」が生じると2番目の理由を述べてるよ。
曰く《社会現象が「物」Sache のようになる》
M・ウェーバーの研究家である徳島大の吉田浩は
こう続けてるのだけれど・・・。
それゆえこの事態をもってウェーバーは,
「絶対的物象化」とよんでいるのである。
つまり社会現象が,
石ころと同じような物となってしまったというのである。
自然現象が,とりわけ石ころのような物が,
それ自体において何か意味を含んでいるとい
うことはありえない。


何だかとても無理があるようだけど
なんとか意味の喪失まで辿り着いたかな。
でM・ウェーバーはどうするかと云うと科学を宗教と
対比させてこう述べている。

「合理化された近代社会では,
世界の意味を否定する科学が支配的となり,
この科学は自分だけが
世界観察のただ一つ可能な形態だと主張して,
世界に意味を見出す宗教を
非合理として社会の片すみにおいやりつつある」


慈愛に満ちた優しさで包みこんでいてくれた羊水が      氷の刃を剥き出しにし私に迫る。

輝き甦る意味の喪失
1月23日晴 竹森川・氷のギロチン


「世界の意味を否定する科学」なんて表現を
勿論断じて容認する訳にはいかないが
その後に続く文章
「神もなく預言者もいない時代に生きることが
人間の運命であるという,根本的な事態」

鋭く正鵠を射ているね。

それではあの中世を支配していた魔術としての
宗教を彼は復活させるのか?
不可解なことにM・ウエーバーはこう述べているんだ。
学問を神へ至る道とする見解を根本的に
否定すると共に,
世界には意味があると考える意味信仰さえも,
科学の名の下に根底的に否定する。


ここで初めて《意味の喪失》に対する
M・ウェーバーの光が見えてくるような気がするね。
その光は以下の彼の言葉に秘められている。

「もしこれらの学問がなにかこの点で役立つとすれば,
それはむしろこの世界の『意味』と
いうようなものにたいする信仰を根本から
除き去ることである」


知は自らの肉体と精神にこそ《世界の意味》
従って存在の意味は内在し得ると
告げていると穿ってみてはどうだろう。

《世界》には客観的な意味は存在しない。
勿論、人間にも何処を漁っても
生きる意味なんて存在しないのだと。

《意味の喪失》は存在の誕生以前から
渺々と広がる事象の深奥に秘められた壮大な虚無。
知は凍てついた羊水のギロチンに怯えつつ
《意味》を模索し続けねばならないと
凍てついた谷を逍遥しつつ、独りごちたのです。





22今週のLivre №22 ・マックス・ヴェーバー宗教社会学論選                          

著者:マックス・ヴェーバー
他の作品:

『遺稿集 経済と社会』
以下は日本で出版された部分訳の邦訳名の一部
  • 『社会学の基礎概念』
  • 『経済行為の社会学的基礎範疇』
  • 『支配の諸類型』
  • 『経済と社会集団』
  • 『種族的共同社会関係』
  • 『宗教社会学』
  • 『法社会学』
  • 『権力と支配』
  • 『支配の社会学』
  • 『都市の類型学』
  • 『国家社会学』
  • 『音楽社会学』
発行所:みすず書房
訳者:大塚久雄、生松敬三
発行日:1972年10月25日
定価:2940円
読書期間:山荘主の大学時代
(つまみ読みで完読してない)
評価:★★★☆☆
(学術書としては★5つ
面白さでは★3つ)

23今週のLivre №23 ・職業としての政治、職業としての学問                          

著者:マックス・ヴェーバー
発行所:日経BP社
他の作品: №22参照
訳者:中山元
発行日:2009年02月23日
定価:1680円
読書期間:山荘主の大学時代
(つまみ読みで完読してない)
評価:★★★☆☆
(学術書としては★5つ
面白さでは★3つ)




今週のCinema     マークスの山
               
№10            劇場:WOWOW 
                          
 鑑賞日:1月20日
                              評価:★★★★☆

15年前の1995年に制作された中井貴一扮する合田雄一郎の映画「マークスの山」は
原作に忠実であった為とても判りずらい作品になってしまった。
救いの無い底知れぬ暗渠を抱えた合田と重度統合失調症の水沢の心象を、映像に実現しようとした試みは完全に失敗。
中井貴一の醸し出す雰囲気は正に合田雄一でありぴったりであったが、ぐいぐいと惹きつけられる原作とは裏腹に
映画は退屈で意味不明に思える場面が続き、改めて高村の作品を映像に変換する困難さを実感。

高村作品に理解を示す意欲的な監督が出てくれば、この作品はリベンジされるであろうとは確信していたが
それまでに15年の歳月が必要だったのだ。
今回の作品は前作より遙かに面白いので、半分位はリベンジが果せたように思える。
だが合田の上川隆也は完全にミスキャストである。
どっからどう捻り出そうにも上川には《底知れぬ暗渠を抱えた合田》が匂わせる虚無感は出てこない。
水沢を演ずる高良健吾は前作映画の萩原聖人より深くマークスに迫る好演。

山荘に何度か顔を見せた《ゴン》に高良の風貌や滲みでる性格が何処となく似ていて、ドラマを観ながら
《ゴン》と高良がしばしばオーバーラップした。
《ゴン》もまた、心象の深奥に秘められた壮大な虚無を匂わせる高村作品の登場人物の1人なのであろうか。




TVドラマ名:マークスの山

制作:wowow
公開日:2010年11月14日(全5話最終日)
監督:水谷俊之、鈴木浩介、原作:高村薫、
出演者:上川隆也、石黒賢、高良健吾、石橋蓮司、大杉漣、他

上映時間:3時間45分(全5話)




 

1月5週・・・・凍死した日雀の葬送



痛みとの闘い本社ケ丸  
   コースタイム
実施日:
1月30日(日)晴寒風強し 
山荘(24km)  9:10 
駐車地点 10:00発 
骨折地点 10:25   
黒野田林道 11:20  
1541m峰   12:30    
本社ケ丸 12:50 13:10出
駐車地点   15:22
計  5時間22分    
山荘  16:00 

出逢い人・全く無し
渡来巴土の使用




  




カーナビに追分が無い
1月30日晴 笹子登山口


おかしいな、追分が無い。
最新情報を入れたカーナビに
甲州街道からの林道分岐点・追分が
記されていないと云うことは
何を意味しているのか?

仕方なく笹子駅から黒野田林道へ出る
ルートにナビをセットし出発。
硫黄岳以来1カ月ぶりの冒険に犬達はそわそわ。
笹子駅を過ぎると直ぐに本社ケ丸の道標。
これじゃ駅に近すぎる、ルートが違う。
更に林道を走るが、冬期ゲートで止められ
車がユーターン出来なくなる可能性あり。
そこで、道標まで戻り登山開始。
ところが暫く谷を詰め
丸木橋に出ると登山道が消えてしまった。

凍りついた谷の中から地形を観察。
ピンクのテープを巻きつけた3本の檜が
行く手を示している。
このルートで間違いないと更に進む。

凍りついた滝が前進を阻み
両岸は急峻な崖となりルートが観えない。
左手の尾根へ活路を見出そうと
急登を試みるが登山道どころか杣道すら無い。

戻って作戦を立て直すしかないな。
が、此処から引き返すとなると
この枯葉の積もった急斜面を下らねば。
先ず犬達がずるずると落ち始め
落ちてはならずと犬が走り出す。



倒木に激突
1月30日晴 丸木橋


2頭の強烈な力に突然曳かれ
瞬間的に木を掴むが
ぼっきり折れそのまま落下。

苔生した大きな倒木に右脇腹から
突っ込み何とか停止。
一瞬、呼吸が止まってしまう。
《やっちまったぜ!》

2本か、いや3本かも知れない。
最も長い第7、第8肋骨辺りがやられてる。
右脇腹を触診する。
折れた肋骨が肺や臓器に
刺さると致命的になるが、異常はなさそうだ。

ゆっくり小さく呼吸してみる。
おー、大丈夫呼吸出来るぞ。
瞬間的な痛みはあったがその後急速に
痛みは退きはじめている。
βエンドルフィンが分泌されたのだ。
モルヒネの6.5倍もの鎮痛効果を秘める
βエンドルフィンが骨折と同時に中脳腹側被蓋野の
μ受容体に作動し、A10神経のドーパミン遊離を促進させ
いつものあの手で緊急事態による錯乱を
回避させてしまうのだ。

何故そんなこと知ってるかって?
そりゃ不名誉ながら肋骨骨折のベテランだからさ。
最近の山での骨折を挙げると
ブロードピーク(8047m)での1989年の2本に始まり
1994年は3月に地蔵岳で2本、8月には
K2(8611m)2本と計4本
更に1996年にはアイランド・ピーク(6169m)2本

さてそれではドルフィンちゃんの好意に甘えて
本格的な痛みに襲われる前に
なんとか本社ケ丸の頂に立たねば!



黒野田林道出合

本社ケ丸(左)笹子雁ケ腹摺山(右)
《 いつも、そんな風に甘い判断をして
後で痛みに泣くのだ》
とぶつくさ云いながら丸木橋に戻る。

うろうろ探してみると№49へと書かれた
白ペンキの道標を発見。
送電線鉄塔の巡回路と無視してたが
どうもこれしか道は無さそう。

この道いきなり急な尾根登り。
痛みの少ない内にとガンガン飛ばす。
と林道に飛び出す。
黒野田林道か、となるとこの登山道は
標高差、距離共に
予定ルートの3倍はあるぞ。
そうなると、とてもじゃないが
骨折ほやほやの身では
風のように駆け抜ける訳にはいかない。
断念して一刻も早く下山し
病院に行くべきか?

いや、考えてみれば千載一遇の
チャンスと捉えられなくもない。
若し痛みを押して登ることが出来るなら
意味を喪失しつつある世界は
一気に熱を帯びてくるぞ。

と又々無謀な思慮に取り憑かれ
山荘主は唯一人突き進むのであった。

笹子雁ケ腹摺山(左)、米沢山(右)
 
三つ峠山(御巣鷹山)



エンドルフィンが切れた!
1月30日晴 1541m峰


長い、確かに長い。
当初予定していたルートなら稜線に出れば
直ぐに清八山で、隣に本社ケ丸が続くのである。

が、笹子駅近くから登るこのルートは
1377mの稜線に出てから未だたっぷりアップダウンが
続き骨折者にとっては無限の長さ。
千載一遇のチャンスなんぞと阿呆な事ほざいていたのは誰だ!

1377mの峰を下ると宝鉱山に下る鞍部に出る。
初めて立派な道標が2頭の犬を迎えてくれ
現在位置が明瞭になる。
だが左の道標には本社ケ丸まで70分と書かれている。
ここから1541mの峰を超えて2つ目の
ピーク迄70分もかかったら下山は真っ暗になってしまう。
明るくてもルート・ファインディング出来ない
このルートをヘッドランプだけで下ることは不可能である。
ビバークを覚悟せねばなるまい。
非常用にトランシーバーは持ってきてはいるものの
ビバーク装備は無い。

記録的寒波が襲来している上に
体感温度を容赦無く奪う寒風が吹き荒んでいる。
例え犬を抱えていても凍死の恐れあり。

実はこの日、近くの二十六夜山(972m)
地元の70歳代の登山者2名が行方不明になり
2日後に凍死体で発見されることになる。

勿論そんなことは知るよしもなく
切れてしまったエンドルフィンを恨めしく思いつつ
ハムレットを気取って犬に話しかける。
「To go up or not to go up , that is the question」

この救い難き愚か者を、どうにかしておくれ!



 立ちこめる苦痛
1月30日晴 本社ケ丸

遠い頂、迫りくる日没、鋭い痛みと寒風。
萎えてしまう意欲に従う前に
もう1つだけピークを超えようと
1541m峰を目指して登り始める。

黒い合成樹脂を埋め込んだ
巡回路の階段に繰り返しリードが絡む。
その都度痛む肋骨に
呻きつつリードを解き尚も前進。

と、最高地点と思しき小高い
森の中央に赤い道標。
頂上標識にしては誠に奇妙奇天烈。
中央に小さく《本社ケ丸1630米》とは
書かれているが
上下の方向指示の方が主役である。

この先に見晴らし台はあるが
此処より標高は低いので頂ではない。
この地点が頂であるが敢えて
山でなく《丸》と名づけたのは
山顛に相応しくないとの判断か?。
地獄の痛みは下山から始まると、もっと早く思い出すべきであった。
肋骨の骨折は肉体に掛る僅かな衝撃に鋭敏に反応し
痛みを増幅させるのだ。

《ヒマラヤの度重なる骨折で一体お前は何を学んだのだ》と
何度も自らを罵りながら下山の苦痛の一歩を際限も無く繰り返す。
一歩に体重を掛けて下ってはいけないのだ。
先ず足先を静かに着地させてから、徐々に体重を移し次の一歩を踏み出す。

急斜面の枯葉に足を取られ転倒した時の肋骨痛たるや凄まじい。
飛び交い立ちこめる痛みに圧倒され、もう何も考えられない。
今、私の人生の究極の目的は登山口に置いてある車に辿り着くこと以外に無い。
そう確信を持って断言出来る時間が永劫の長さで続くのだ。
 




ー9.2℃の凍てついた死
1月31日晴 山荘池


その夜、今冬の山荘の最低気温が記録された。
ー9.2℃、本社ケ丸でビバークしていたら
生きては居られなかったかもしれないなと思って
ふと山荘池に目をやると
厚く凍てついた氷の上に何やら鳥の影。

いつもの山雀、四十雀が水を呑みに来たのだろうが
ピクリとも動かない。
水を呑みに来て必死に氷をつつきつつ、水を得ることも叶わず
そのまま寒気に捉えられ息絶えてしまったのだろうか?

望遠レンズで覗くと四十雀に似ているが、どうも日雀(ヒガラ)らしい。
四十雀の胸に広がる黒いネクタイが殆ど見られない。
苦しみの極値で死に至ったのであろうか?
それとも死が顔を見せた頃から
痛みからは解放され、静かで平穏な終焉を
迎えたのだろうか?

日没前に何とか車まで戻ることが出来
ハンドルを握って唖然!
たかがハンドルを右や左に切るだけで
痛みが走る。
こりゃ今夜はどうなるかと過去の骨折後の
記憶を辿る。

椅子から立ち上がれない、ベッドから
体が起こせない。
そうだった。特に咳やくしゃみは超特大の痛みで
飛び上がってしまう。

昨日の無謀な決断が齎した苦痛を噛みしめ
同じ夜に苦痛を共にした日雀が
平穏な死を迎えたことをひたすらに願う。



日雀の葬送
1月31日晴 シクラメンの棺


そうだ必死に氷を突きつつ、水を得ることも叶わなかった日雀を
山荘に入れて花の国へ送り出してやろう。

そうしてお前は意味の喪失した世界の氷を叩き続け
若しかしたら厚い氷が割れて
迸る羊水に巡り逢えるかも知れないと、荘厳な願いを失わなかった。
さあ、森羅万象に還れ!




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