パラオ・ダイビング
珊瑚海其の30・・・・・・・もう1つのヒマラヤ
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Palau Is | 撮影日:2014年2月 場所:パラオ諸島 撮影&編集:坂原忠清 |
《A》 TIDAの入港
双胴ヨットCatamaranTIDAの入港 2月27日(木)晴 ドルフィンズ・パシフィック海上施設の港 沖縄の言葉で太陽を意味するTIDA号がイルカの研究施設であるドルフィンズ・パシフィックにやって来た。 4日間かけて宮古島から、この双胴船ヨットを操って来たのは祐太青年29歳。 「今日のイルカとのダイビングは 僕が海中にお供しますので宜しくお願いします」 |
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初めてのイルカとの邂逅 2005年11月29日(火) 撮影:吾郷あすか 被写体:坂原忠清 |
パラオ人擬の祐太青年29歳 ヨット上 |
どうですかこの祐太青年の表情。 パラオの古代石像・ストーンフェイスも吃驚! イルカと共棲し交感し 歓びを分かち合うあすかさんの笑顔に 惹きこまれて Tシャツの鮫もワクワク。 ・ 現地人も吃驚するパラオ人擬の 祐太青年が撮影を引き受け 8年前に撮影とガイドを引き受けてくれた Head Trainerのあすかさんが イルカ3頭をリードしてくれることになったのだ。 |
あすかさんとの再会 陸事務所前 |
ちょっくらヨット見学といくか 2月27日(木)晴 ドルフィンズ・パシフィック海上施設の港 「格好いいねこの双胴ヨット! ダイビング専門のクルーズ船なの、どのくらいするのかな?」 「僕のじゃないんですけど、1億円とか云ってましたね。 それじゃ船を曳いて近づけて、乗ってください。案内しますよ」 |
広いキッチンもいいね ヨット上 |
どうもこのヨット17年前に造られ 宮古島周辺のダイビングに使われ パラオ、サイパン、北マリアナにも遠征し 大活躍をしているらしい。 ・ 1997年、周囲の猛反対を押し切り クルーズ専用の大型カタマランヨット 「グリーン・フラッシュ」(現在、TIDA ageinに改名)を建造。 (24°Northより) |
画像処理も出来る机 ヨット上 |
どうです今度この船でダイビングに出ませんか? 2月27日(木)晴 双胴ヨットTIDA号の船上 後方:マラカル島 「うーん、いいね、双胴船だから安定してるし高速走行も可能だし」 「いつでも連絡してください。一緒にダイビングしましょうよ」 「4月は甚平鮫を追ってフィリピンのオスロブに行く予定なので、その後なら行けるかな?」 |
リビンングの書籍 ヨット内部 |
ごろり寝転がってみる。 こうするとクルージング船との相性が 一目瞭然。 いつも乗っている船より随分小さいが オーナーの感性が滲む造り。 ・ さて処で此処暫く クルージングもご無沙汰してるが 前回はえーと、セレベス海で パヌニー・ヨットに乗ったんだったな。 TIDA号で外洋に出るのは ちょっときつそうだが 沖縄周辺なら乗ってみてもいいかな。 |
ベッドルームの天窓 ヨット内部 |
《B》 追想のイルカ&パラオまっぷ
胸弾むイルカとの再会 2005年11月29日(火) 撮影:吾郷あすか 被写体:坂原忠清 |
追想のイルカ 地球生命史で最多の神経細胞を授けられたイルカ。 あらゆる楽器・音楽・歌を好むイルカはギリシャの歌人・アリオンを救った。 人間の神経細胞は150億個、 イルカは200億個。その50億個の神経細胞の差が アリオンを救った。 ・ 「何故、私よりイルカは神経細胞が多いのか」 アリオンはイルカの微笑にその解を見つけた。 蘇我入鹿は自らをイルカと名乗ることによりイルカの知能への接近を試み 覇王たらんとしたが、殺されてしまった。 ・ |
パラオ共和国 パラオ観光局図を編集 |
この島が嘗て日本に占領された 植民地であり 人口の75%を日本人が占めていたとは 驚きである。 ・ 1943年6月の記録によると 居住者3万3,960人の内訳: 内地人(内地出身日本人)2万5,026人、 朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、 パラオ人先住民6,474人、 他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人。 (wikpediaより) となっている。 つまり現地人の約4倍もの日本人が 住んでいたのである。 ・ 1885年にスペインの植民地下に入り その14年後 グアムを除くスペイン領ミクロネシアを スペインは450万ドルでドイツに売却し パラオはドイツの植民地となった。 ・ その後 第一次世界大戦が開始(1914年)されると、 ドイツに対して宣戦を布告した日本は パラオに海軍を派遣。 ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領したのだ。 ・ 更に第一次世界大戦の戦後処理をする パリ講和会議によって、パラオは ドイツの植民地支配を脱し 日本の委任統治領になった。 ・ 1944年にはパラオの南端にある ペリリュー島での戦いなどで 連合軍、日本軍に多くの戦死者を出した。 が、現地人のパラオ挺身隊の ☆死者は無く パラオ人の日本人への反感は少なく現在は 友好的で親日家も多いとか。 ☆ 参照: 『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』船坂弘著(1967年) |
世界最大規模を誇る ドルフィンズ・パシフィックを訪れたのは 8年前の2005年11月。 ・ それ以来すっかりイルカの魅力に 取付かれ世界の海に出かけたが イルカとのスキンシップをしながら一緒の ダイビングをするのは難しく、 再び此処に戻って来ることになった。 さてイルカ君は 暖かく迎えてくれるかな? (山荘日記より) |
コロール島周辺図 パラオ観光局図を編集 |
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さあ、一緒に泳ごうぜ! 2005年11月29日(火) 撮影:吾郷あすか 被写体:坂原忠清 |