仙人日記
   その73冬ー2011年師走

12月1週・・・・December のDはDespairのD



薔薇アーチの彼方に
雪富士のモルゲンロート
12月4日(日)快晴 テラスより

《December のDはDespairのD》
あれほど華麗な色彩で
アーチを彩り富士と愉しく語らっていた薔薇
呟きを聴いてしまったのです。

限りなく枝を伸ばし続け
薔薇が遙かなる無窮を目指し深紅に耀いたのは
薔薇の深奥に潜む
虚空の為せる業だったのですね。

一切の希望が虚妄であると暴露する虚空を抱えて
それでも薔薇が生きるには
深奥に潜む虚空を気取られぬよう
虚空の云うがまま華麗に光り輝かねばならなかった。
だから葉の落ちる12月になると
貴女は呟くのですね。
 1ケ月前のアルプスに想う
12月4日(日)快晴 テラスより


1か月前の 11月4日、富士を見つめつつ
甲斐駒ケ岳山頂直下の
花崗岩のスラブに張り付いていたのだ。

この間も太陽は
南回帰線に向かって旅を続け
北半球の闇は広がり
広葉樹の森は葉を落とし山々は
雪化粧を厚くしていった。

食後のコーヒーの膨よかな香りを愉しみながら
薔薇に染まる雪富士に見入る。
山荘もまた虚空を抱えた薔薇であると
雪富士は雄弁に語る。
 
薔薇に染まる富士
横浜エトランゼ
12月4日(日)快晴 小倉山頂より


新雪の穂高岳でも
南アルプスの仙丈、甲斐駒でも
快調に機能した足を
試してみようと医者に禁じられている
ジョックをしてみた。

なんせ底抜けの快晴で気分はいいし
山荘から小倉山なんて
アルプスに較べれば屁の河童。
とばかり軽いジョックで
小倉山へ。

甲斐駒ケ岳と摩利支天(左)
驚いたことに山頂の四阿に人影。
座禅草のシーズンには
極稀に山頂で人を見かけることもあるが
早朝のこの時期に
人に逢うことはない。
「何処から来たんですか?」と問う。

「横浜です。いやーここからの眺めは
素晴らしいと聞いたので。
それにしても凄い景観ですね。
この辺りの詳しい地図や情報
ありませんか?」
 

仙丈ケ岳(左)と栗沢山(右)

農鳥岳3051m

荒川三山(右)と赤石岳(左)
「HPに出てますよ。《山荘主》で
検索すればヤフーでもグーグルでも
トップで出てくるので
インデックスから開けば地図ありますよ」

と答えるとポッケよりスマホを取り出し
その場で横浜人は即検索。
画面には見慣れた山荘がばっちし。
「ありました。わー素敵な山荘ですね」

北岳バットレス
「ほらあそこ、
扇山の山麓に見える白い家が
このHPの山荘ですよ」
スマホの画像と眼下の山荘を
見較べお互いに驚き。

横浜人と別れゆっくり軽いジョックで
山荘迄戻ったが
途中から左脹脛が肉離れを生じ
未だジョックは無理と判明。
回復までに1か月はかかりそう。


さあ忙しいぞ!
12月4日(日)快晴 


森がめらめらと音を立てて
燃えているね。
来週には炎の1枚1枚が風に舞い
山荘の庭に敷き詰められ
それは見事なタピストリーを織るんだ。

右のログハウス正面に
先週干した大根が見えるかい?
ついでに母屋1階右の
窓を観てご覧。
オレンジの簾が掛っているだろう。
あれは干してある枯露柿。

山荘が紅葉に覆われ
大根や枯露柿の首飾りを纏うと
冬仕度に追われ
猫の手も借りたいくらいさ。

森の炎に包まれる山荘(小倉山頂より)
そうだな先ず師走になると
森が必ず用意してくれる贈り物・ルビーを
受け取りに行かなくちゃ。
と思い立って東の森へ出かけると
いつもの場所に
無数のルビーを鏤めた蔓梅擬の枝が
手招きしているでは。

早速居間の大型油絵に掛けると
どうですか、チベット鳥葬の鷹が興奮して
カンバスから今にも飛び出しそう。
それから先週窯出しした
大皿にシクラメンを入れて卓上に飾って
そうそうそれから
百個もある水仙とチューリップの球根を
庭に植えて・・・と。

森からの師走の贈り物・ルビー

目白窯の窯出し

シクラメンにぴったり
今夜のスイートが無いから
ガスオーブンで焼き芋も作らねば。
で、出来あがった焼き芋は
ご覧の通り。

外側の皮はしっかり焦げて茶色になり
中身は黄金に
甘みたっぷりの白い斑が入り
まるで黄金の洋羹。
ちょっとだけ味見してみると
おー洋羹なんて目じゃないぜ。
このほかほかの甘さ。

横浜からのエトランゼ(小倉山頂)
畑も忘れて貰っては困るぜ!
悪りーわりー
そういやー里芋の収穫を
すっかり忘れていたんだ。

ありゃ、あんまり放っておいたので
芽が出て葉まで伸びて
こいつは来年の種芋にするしかないか?
でも折角だから衣被ぎにでもして
食べてみるか。

とまあ次々と限りなく仕事が出てきて
猫の手が欲しいのです。

水仙とチューリップを沢山

収穫芋をオーブンで焼いて

忘れていた里芋収穫




永劫のカオスを演出する雲海

雲海に呑まれるログ
カオスの中で
12月3日(土)雲海 テラスより


December のDはDespairのD
であると知っていても
認識の総てを奪い
白い虚空を演出する
初冬12月の冷たい雲海は
激しく私を捉える。


谷を昇る雲海
ポール・ディラックは
「物理学的真空」である虚空に
希望と絶望を見出し
《虚空にはプラスとマイナスのエネルギーが
等しく存在するので、
結果的にゼロに見えるだけ》
だという考えを発表した。

1930年、ディラックは
相対論的波動方程式の解を基に
虚空から電子と陽電子がいかに現れるかを
概念的に示した。

森の炎もひと呑み
負のエネルギーの状態すべてがディラック粒子で
満たされているとする
《ディラックの海》
はあたかも
絶望の海であるが如く
若き日の私の心象に誤って投影された。

初冬の冷たい雲海に山荘が覆われる度
《絶望の海》であった
若き日の 《ディラックの海》
鮮やかに甦る。
虚空から森羅万象が生み出されるなら
12月のDespairは出発点なのだ。



突然の倒木・洋梨

美味しい洋梨を沢山

18年間との決別
決別洋梨と収穫キウイ
12月4日(日)快晴 


沈んだ紅色の洋梨の実を
沢山実らせたものの
なんだか木のように堅くて
敢えて食べてみたが甘くもないし。

放っておいたらぼたぼた落ちた。
何の気なしに
その実を食べたら実に美味しいでは。

山荘キウイの収穫
洋梨はキウイのように
収穫してから柔らかくなるまで
寝かせて置かないと
甘くならないことを初めて知った。

春に山荘が完成しその秋から
18年間も美味しい実を
届けてくれた大切な洋梨の木が
根元から折れた。

もう再びあの蕩けるような甘さに
逢うことはないのだろう。

大きな実がどっさり
凍りつく前に山荘キウイも
収穫せねばとキウイ棚に梯子を掛けて
棚の上に登る。
先週収穫した野生キウイより
ずーっと大きくて
うん、丹精込めて育てただけのことは
あるなと独りごちる。

だが手が行き届かず剪定せず
摘果もしなかった枝の実は
小さいまま。
遠くで雪富士が嗤う。
「手抜きはいかんぜよ」

雪富士と共に



12月2週・・・・生まれて初めての雪に興奮するグラン

雪でござんす ヒュルルルルルルン



前庭も石卓も雪化粧

奥庭のラッセル

テラスも雪の絨毯

雪帽子の太陽光灯 
 山荘の遅い初雪
12月10日(土) 快晴 
 
畑も雪でまっしろ 


新雪と紅葉がお見事(奥庭)
 
初めての雪と戯れるグラン(奥庭)
 生まれて初めての雪に興奮
12月9日(金) 雪後晴 
山荘奥庭

もうとっくに紅葉した葉は落ちて、雪だって2,3回くらい降って池も凍りついて山荘はすっかり冬なのだ、いつもは。
ところが今年は暖かいので紅葉は未だ残っているし雪も降らないし冬を忘れている。
車で山荘に向かうと驚いたことに、前方に広がるはまっしろ白の山と畑。
こりゃまずい、未だ雪用のスタッドレス・タイアに替えてないので山荘まで登ることは出来ない。

ところが車の中のグランは後部座席から運転席に乗り込み、興奮して頻りに外の雪景色をきょろきょろ。
里に車を駐車しグランを引き連れて山荘へ向かってスニーカーでラッセル開始。
東森の急斜面を登って奥庭に出ると新雪に覆われた見慣れぬ山荘をじーっと見つめ暫く動かないグラン。
やがて雪の中に頭を突っ込み懐かしいいつもの山荘の臭いを嗅ぎつけたのか安心して大燥ぎ。



雪山への準備運動開始(奥庭)

森のテーブルも雪と枯葉(山荘の森)
 雪の森を散歩
12月11日(日) 快晴

ハイハイ解ったよ。
そんなに何度も準備運動して
ストレッチを繰り返しても
山荘のお仕事が終わらないと
散歩には行けないんだよ。

そんな言訳なんぞ
全く聴こえない振りして尻を突き出し
前脚を延して散歩をアピール。

暖かくて落ちるのを忘れていた紅葉が
遅刻した雪と一緒に積もって
森のテーブルは賑やか。

常緑樹に覆われた森が
雪帽子を被り
林道の雪は少ないけど
それでも初めての雪道に
グランは興味津々。

稜線に出ると枯葉が
雪面に点描を描き木立が朝の
長ーいシルエットを落とす。
《哀しいほど静かだねグラン》

林道の浅いラッセル(鉄塔山)

稜線の新雪と枯葉(扇山)



新雪燃ゆる高芝山(居間から)

大根も染まるような夕暮れ(2階テラスから) 
高芝山の残照2題
12月11日(日) 快晴 

ペーター!ペーター!山が燃えてるわ! 
山がみんな燃えてるわ!


1日の肉体労働を終えて東の山に目をやると最後の紅葉に火がつき高芝山が燃えだした。
そんなにも太陽がいっぱいなのだから信じて疑わなかったのだ。
が、ふと善からぬ胸騒ぎを覚え風呂のデジタル表示を観ると風呂焚きサインが停止しているでは。
急いで風呂場に直行し浴槽を覗くと全くの空っぽ。
もしや水道管の凍結防止ヒーターのコンセントが抜けて水道管が凍りついたのではと、前庭に出て点検するが異常無し。

サインが停止したと云うことは水が浴槽に流れ込まないことを意味している。
そうか、屋根に取り付けたソーラーパネルに積もった雪を、冬の太陽は1日中照らし続けても解凍出来なかったのだ。
つまり風呂焚きスイッチをソーラーからボイラーに変えねば風呂に湯は満たされないと云うこと。
山荘の太陽は終日いっぱいなのに凍結を解くことが出来ないなんて信じられないな。

勿論それからボイラーに切り替え肉体労働の汗を風呂で落とし、ビアを呑みながら
「アルプスの少女ハイジ」の原題は確か何かへんてこりんなタイトルだったような気がしたがと
パソコンのキーをチョコンと叩いてみた。
そうしたら驚いたことに出てきたのはドイツの文豪ゲーテではないか!
和訳タイトルはハイジの修行時代と遍歴時代、原題はHeidis Lehr- und Wanderjahre』。なんじゃこりゃ、確かに変だ。
ゲーテの教養小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を読んでスイスの作家ヨハンナ・シュピリは
どうもこの「アルプスの少女ハイジ」を書きあげたらしいのだ。

あれれ、残照からペーターになり風呂の話しになりゲーテが出てきたり、こりゃついに仙人も救い難き分裂症に陥ったか?


ついに動けなくなった

里まで降ろして新品油圧ジャッキーで
 車はギブアップ
12月11日(日) 快晴

 まったくノーマル・タイアでは
歯が立たない。
僅か15度程の傾斜なのに車輪は
空転を繰り返すのみで
ピクリとも動かない。

仕方なくスリップせぬようそろりそろり
雪の無い里まで降りて
冬タイアに交換。

と云うと実に簡単に聴こえるが
その雪用スタッドレス・タイアは車に
積んである訳ではない。
山荘の倉庫脇に保管してある
あの重い4本のタイアを
ここまでどうやって運ぶかが問題。

重くて転がすのも大変なので
短気を起こして山荘から
里の車に向けて落としてみた。
上手く車まで落ちる訳はない。
谷に落ちタイアは行方不明。
捜索に30分もかかり
《短気は損気》としみじみ実感。

冬タイアに交換

急斜面の氷を砕かねば






神の粒子

 《超光速》と《神の粒子》
高芝山の皆既月食に想う
12月10日(土) 快晴 山荘テラス

酷く圧倒され唯うろたえ天空を仰いでは溜め息を漏らし、山々を見つめては意味不明の呟きを発する。
《素粒子ニュートリノは光より速い》
9月26日,スイスの欧州合同原子核研究機関(CERN)の国際研究グループOPERAが名古屋大で開いたセミナーで
「あらゆる否定を試みたが、否定出来なかった」と超光速の存在を発表。
スイスのCERNからイタリアのグランサッソ国立研究所に向けて発射されたニュートリノは
約730kmを飛ぶのに光速より1億分の6秒速かったらしいのだ。

それから僅か1か月ちょっとの12月13日CERNは続けて神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子についても
《光速で飛び交う素粒子に質量を与えるヒッグス粒子の存在の兆候を掴んだ》と発表。
2チームの観測結果での存在確率は98.9%と97.1%で存在発見とされる99.9999%に王手を掛けた。

超光速の世界に 酷く圧倒され唯うろたえ為す術なく山や森をうろうろし
天空を仰ぎ皆既月食なんゾを観ていたら次なるビッグニュース・神の粒子が透かさず飛び込んできたのだ。

月食の黒い蝶になって高芝山麓の山荘から遙かなる異次元へ飛び立つのは、唯うろたえる私の心象か。

超光速





12月3週・・・・白い凍結に潜む生命


鹿の襲撃・僅かに残った白菜を干す

ぴかぴかガラスに映った欅
白菜と鉄砲撃ちと放射能
鹿の襲撃ー根こそぎ喰われた西畑
 12月17日(土) 快晴 

山荘始まって以来18年目にして初めての鹿の襲撃に遭い、西畑の作物はほぼ全滅。
大根、小松菜、白菜、人参、蕪、茄子、ピーマン、果ては夏の名残りオクラの枝まで殆ど喰い尽されてしまった。
林檎畑、葡萄畑、中畑はワイヤー・メッシュで万里の長城を築いたので被害は無かったが・・・。
西畑だって西側には網を巡らし南はコンクリートの壁、東は石段とチェーンに護られ北側は石積の高い壁を成し
そう簡単には侵入出来ない筈なのだ。

薩摩芋を作った年はコンクリートの壁を飛び越えて猪が西畑に侵入し、ブルドーザーで掘り返したように芋を
喰い尽したが白菜や小松菜、人参には手を出していない。
勿論、猪より臆病な鹿は西畑には侵入せず、今まで18年間芋以外の作物が食い荒らされることは無かった。
にも拘らず鹿が西畑に侵入したのは何故か?

山荘葡萄畑の贈り物
あれこれつらつら考えてみるに
どうも3.11の
東日本大震災と関係がありそうな。

12月に入ると土日には
鉄砲撃ちが山に入り
鹿、猪、熊などの害獣駆除が始まるが
今年はさっぱり姿を見ない。
その所為で鹿は恐れる者無く
自由に山や森を走り回り
夜には畑にまで降りて作物を荒らすのだ。

では何故鉄砲撃ちは出撃しないのか?
噂では野生の鹿の放射能が
心配で鹿肉を食べる鉄砲撃ちが
狩猟に逡巡してるとか。
早速調べてみるとこんなブログ発見。

先だって、山梨県の担当部署に野生動物の
放射能検査をしないのか?
また、狩猟登録者に対しての注意喚起等はないのか?
と問い合わせた。
県の担当部署からは、狩猟時期までには何かしらの
インフォメーションを狩猟者向けに発する。
と言われたのだげど
・・・・今日現在、なしのつぶて。
私自身、、、明日出猟予定ですが、獲物があったとして
、、、それをどうするか決め兼ねている


たった6本のワイン完成
12月18日(日) 快晴 


御供え・神棚の代わりに

沸騰してきたぞ

珈琲の良い香り

西畑はやられたって
醸造中のワインや軒に吊るした
枯露柿はご覧の通り
1日毎に美味しさを増して今や旬。

ワインは初めて山荘で収穫した
葡萄で作った完全自家製。
18年目に実現した汗と涙の感動もの。
神棚が無いので
キーボードの上に載せ
輪廻転生の髑髏の輪と祈る乳房を
描いたチベッチ絵画に捧げ
神の恵みに感謝!

頬の落ちる美味さ
さて、それではワインを堪能した後は
グアテマラの豆を挽いて
サイフォンでコーヒーを沸かそう。
スイートには採り立ての
枯露柿をスライスしてカマンベールを
厚めに切って載せてと・・・。

サイフォンの背景の高芝山が
涎を垂らして
「うーん、オイラも食べたい!」
そうだね、それなら昔一緒に山に登った
山仲間に豊饒な
山荘の秋を贈ってあげようかな。




冬の畑焼始まる
白い凍結に潜む生命
12月18日(日) 快晴 

太陽の光を全身に孕み
大きく育った夏の野菜が命を終え
一筋の白煙となって天空に還る。

森には氷の花が咲きだした。
生命にとって絶望的な
白い凍結の中に
それでも一縷の希望は在るのか?
山荘の月食の黒い蝶は
エウロパに向かうのだろうか。 



拡大・死の花に織り込まれた虫引虻

初冬の風物詩・白い煙

氷の花・エウロパ生命体か

雌雄が存在するのか
 
死の花に織り込まれた虫引虻
 
凍結生命の交合か
 
凍結生命の語らい

減数分裂への試み 
 
凍結外界への胎動





12月4週・・・・体験・人類初の光速計算への旅

体験・人類初の光速計算への旅
前 編
酷く圧倒され唯うろたえ天空を仰いでは溜め息を漏らし、山々を見つめては意味不明の呟きを発する。

いつまでもこんなことではいかん!
《ニュートリノの超光速》や《神の粒子》のニュースに混乱しオタオタする前に、335年前の衝撃・《人類初の光速の測定成功》にでも
想いを馳せその衝撃の大きさをしっかり受け止め知の未来を見据えよ。
なーんちゃって山荘主は、意味の喪失が齎す鬱からの儚い脱却を画策しているのでしょうか。

そう云えばレーマが1676年に木星の衛星の食を利用して光速を計算したことは知識として知っていたが
具体的にどう算出したか考えたこともなかったな。
ガリレオが振り子時計を人類にもたらしその数年後イタリアのアルチェトリの別荘で死んだのが1642年。
その僅か34年後にガリレオの発明した望遠鏡で、これまたガリレオが発見した木星の衛星を使ってオーレ・レーマは
事も在ろうか光の速度を計ると云う、とんでもないことを考え実行し光速22万km/秒を得たのである。

性能の劣る出来たてほやほやの望遠鏡と振り子時計から生み出された光速22万km/秒が人類に与えた衝撃は
如何ほどであったかと思いきや、天動説の罷り通る当時にあっては黙殺されレーマは孤独であったとの噂も・・・。
「地球が動いている」と口にするだけで罰せられる時代にあり実際ガリレオは異端審問所審査で
有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。死の9年前ガリレオ69歳であった。
この終身刑宣告後、有罪をものともせずガリレオは振り子時計を考案,作製し自ら光の速さを測定する実験を行っているのだ。
それでは先ずガリレオの実験から入ってレーマの偉大なる挑戦・光速計算への旅に出発しよう。


  {A} 測定の概念図・・図T



{B} ガリレオの実験・・・図U

何とも牧歌的、のどかなる実験である。
これが望遠鏡や時計を発明したり木星の衛星を発見した、かの偉大なるガリレイ・ガリレオのマジな実験か!
と思ってしまうが、当時は光に速度があるなんて考えてもみなかった時代。
光の速度は有限なのではないかと疑問を投げかけたことそのものが衝撃的であった。

 
さてどうしたかと云うと実験は極めて単純でローマ市街を挟んだ2つの山のてっぺんからカンテラの光を投げかけて
光が往復する時間を計ったのである。
当然光は速すぎて往復に要する時間は計測されず0であり光速は無限となりガリレオ爺さんガックリ。

名古屋から富士山まで約150kmあり計算し易いのでAを富士山、Bを名古屋にしてこの実験をあてはめてみよう。
富士山頂上から発した光を名古屋で捉え確認光を送ると300kmの距離を光は進んだことになるので光が要した時間は
光速30万km/秒から計算すると300km÷30万km/秒=0.001秒。
つまり1秒間に富士山と名古屋の間を1000回往復してしまう速さ。
現代の電子時計なら容易だがガリレオの発明した振り子時計ではとても計測出来る時間ではない。

だが冒頭で述べたようにその僅か30数年後に、A、Bを地球の公転直径3億kmに置き換え
カンテラの光を木星衛星イオからの僅かな光に変えシャッターとしてイオの食を用いレーマは見事、光の速度を捉えたのであった。
それでは[A]測定の概念図だけを見てもよく理解出来ない人のために、或いは理解しすぎて
実はこの方法では合の部分が観測出来ないと見破ったあなたと共にレーマの光速計算を検証してみよう。



{C} イオの公転周期が延びたぞ・・・図V


地球と木星の衝の位置

地球と木星の合の位置 


木星の衛星イオの食の時間が異なるという現象が観察されていました。
原因は上図に示すとおりです。上図でピーンとくる人は、以下は必要ありませんが、私はしばらく戸惑いました。
食が始まる時刻が地球に伝わるのに時間がかかり遅れるが、終わる時刻が伝わるにも同じ遅れががあり、
差し引き 0 で
食の時間には差がないと錯覚していました。(科学散策編集者より)

ふーんそうか、やっぱり科学散策の編集者であっても錯覚したのか!
そうなのだ、実は山荘主もそこに引っ掛かり衝の位置でも合の位置でもイオの周期(公転時間)は変わらないのでは。
と、ふと思って以下の作図をしてみて一目瞭然。
なんと明確な作図であろうかと自画自賛し独り悦に入ってニタニタと眺めている次第である。
と云っても数字と丸と三角だけでとっても理解する気にはならないだろうな?

それでは老化した山荘会員の頭脳にはちと酷だろうが、若しかすると1人くらいは目にとめてくれる人が居るかも知れぬと
希望を持って詳しい解説を試みてみようか。

 
 {D} イオの公転周期の変動発見から光速計算に到る旅

A》  ガリレイが望遠鏡を発明し木星の衛星を見出すや否や世界の数学者、天文学者は宇宙への扉を激しくノック。
B》  イタリアの天文学者・ジョヴァンニ・カッシーニが木星の衛星のイオの食の変動を観測し発表。
C》 食の変動は 木星から地球に光が到達する時間の差によるものとして、カッシーニのデータを使って光の速度をデンマークの数学者オーレ・レーマが計算。
つまり上図はカッシーニの観測結果とレーマの計算を現代のデータを使って表したものとなるのである。

《1》
カッシーニは300年の時を超え2010年9月22日に出現し望遠鏡を木星に向け影から出て来るイオを見つけストプォッチを押した。00時00分00秒
《2》 42時間後に再び望遠鏡を木星に向けると今、正にイオが木星の影に隠れようとそているでは。時計は42時19分16秒を示している。
ふーん、そうかイオの公転周期は42時間19分16秒なのか。
《3》 同じ観測を2011年4月7日に行う。何と公転周期は42時間35分56秒に延びているではないか!(実はこの観測は木星が太陽と同方向に在る為不可能であるが話しを解り易くする為に捏造しよう)
《4》 カッシーニは考えた。16分40秒も周期が延びるとはこいつおかしいぞ、きっと軌道を変える衛星に違いない。(そんなことはあり得ない)
《5》  レーマは考えた。9月から4月か、約半年の時間が経過しているな。と云うことは地球は太陽の周りを半周したのだから木星との距離は3億kmの違いが在る筈。勿論その間、木星も公転してるが地球の12分の1の遅い速度なので9月も4月もほぼ同じ方向に木星は位置していると考えてもいいな。どれどれちょっくら計算してみるか。197日間で地球は197日÷365日×360度≒194度、木星は197日÷11.86年×360度≒16.4度。  つまり地球は半周以上太陽を回っているのに木星は未だ16度しか動いていない。ほぼ同方向に木星は位置しているな。するってーとこの周期の遅れは3億kmと関係あるのかも。 
《6》  そこでレーマは3億kmを16分20秒で割ってみた。3億km÷980秒≒30万km/秒 
うーん、こいつこそ光の速さだ!(勿論こんな簡単には出てこない。このデータは光の速度を30万km/秒として算出してるので当然こうなるのである)
実際には衝の9月22日から合の4月7日までにイオの食は111回生じておりカッシーニは可能な限りこれを記録し、
レーマはこれらの記録の合算から以下の計算を試みる。 
《7》  えーと、イオの公転周期は42時27分36秒だから111回の食で4713時03分06秒となる。 
《8》   実際には雲が観測を邪魔したり木星が太陽方向に在る時は観測不能であったりで在り得ないが、仮にカッシーニが111回総てを観測したとして、その合計時間との差が1382秒(約23分) だったとすると図Tで示した3億km÷1382≒21万7077km/秒なる式が出て来るのだ。実際の観測データはもっと遙かに少ないのであろうがそのデータは入手出来なかった。そこでせめて現在の木星の衝から合までの観測データが手に入らないかと国立天文台に問い合わせてみる。
《9》  「調べてみますが時間がかかりますので暫く時間を下さい」との返事に期待。だが数時間後の電話での返事にガックリ!
「天文年鑑で調べましたが合に近い4カ月間のデータは載っていません。執筆担当者の鈴木充広さんに訊いたら如何でしょうか?」
天文の大御所・国立天文台がまさか天文年鑑を頼りにしてるなんて考えてもいなかったのでただただ驚く。最早、木星衛星の食現象などの観測は時間の無駄、無意味でしかないのか?算出出来るなら観測に意味は無いとの判断なのだろうか?
  最早《木星の衛星の食現象》は観測対象ではないのか? 
《10》  鈴木充広さんは和歌山県に在る海上保安庁の下里水路観測所の所長であり水路記念日には観測所を公開しているとのこと。天文年鑑に載せてある《木星の衛星の食現象》は算出したもので観測結果は国立天文台に訊いてみたらと、堂々巡り。 
《11》  そこで最後の望みをかけて《木星のこよみ》を担当している日本水路協会にアクセス。水路協会とは海洋調査に関する技術の研究や普及、水路測量およびその成果である水路図誌の頒布などを主な業務とする海上保安庁所管の財団法人とのこと。(wikpediaより) 
そうか考えてみれば星の位置や動きの観測を最も必要とするのは船乗り達であり当然、海洋を司る海上保安庁が木星の動きに関心を示すのは当然。だがこちら日本水路協会も木星の食など観測せずもっぱら算出。
  旅の挫折
 あっけなく此処で現在の観測データから光速を算出する試みは潰えてしまったのである。
だが全く望みが無い訳ではない。
木星に魅せられた優秀なアマチュア天文家が今夜も木星にカメラを向け、秘かにイオを狙っているかも知れない。
そしていつかそのHPとの邂逅を果し《光速計算に到る旅》は再開されるかも!
勿論自分で観測しそのデータを使って光速計算が出来ればベストなのだが・・・・・。
後篇へ



その後のモノローグ

木星から地球を観ると地球は木星の内側になり(内惑星)常に太陽方向にあるため観ることは難しいが
逆に木星から地球とその衛星である月の食を観察してみよう。
月が地球の裏側から現れ一周し再び地球の裏側に隠れるまでの時間(27日7時間43分6秒)を計測してみる。
その時間が木星の位置によって最大で16分40秒も変わるというのだ。
何処から観たって月が地球を回る時間は同じ筈である。
であるからこそ人は月の動きから太陰暦を作り、農耕や日々の営みを行っていたのである。
断じて月の周期は変わらない。従ってイオの周期も変わるはずが無い。
そう思ってしまったら人類初の光速計算は出来なかったのだ。

先ず地球の月の周期は変わらないのに木星イオの周期は変化していると言うカッシーニの事実を認めねばならない。
この周期変化が何によってもたらされるのか?
その周期変化と光速を結びつけた瞬間のレーマが、ガリレオのローマ郊外の2つの山での実験を
思い浮かべたことは間違いないであろう。
腑に落ちないのは聡明なカッシーニが何故2つの山を木星と地球に置き換えなかったのか? 



氷の天狗岳に挑む幼犬 2011年最後の山

《A》 氷の森へ


さあ、雪の森へ(7時10分出発)

樹氷が眩しいぜ!

昨年は此処まで雪さ!

犬の顔やリードから
氷柱が下がったり氷玉が出来たり
そりゃ大変であったのだ。
昨年12月の硫黄岳では!

寒いだけではなく豪雪で
急斜面ではラッセルは腰から
胸にまで及び
2頭の犬は先頭に立って
リードするどころか
沈み込む雪に恐れを成し
後方に逃げ回る始末。

そこで今年は出来る限り
猛吹雪は避けたいと連日
天気図、天気予報と
睨めっこ。 

12月30日に決行を決めたものの
移動性高気圧は29日には
東に去り
天気図は完全な西高東低。
愚かな最後の望みを賭けて
出発前夜PCを開く。

さて体感温度ー33℃に耐えられるか?

PCの気象庁八ヶ岳天気予報によると
明日は3000mの上空で
マイナス11℃、北北西の風22m/秒
とあり激しい雪も在りそうな。

こりゃ駄目だ!
奥庭のグランの犬小屋に出向き
「どうするグラン、
明日の八ヶ岳は体感温度は
マイナス33℃で
どうやら吹雪らしいぜ!」

グランは尻尾を振って大喜び。
早速いつものストレッチを始め
いつでも準備OKと
盛んにアッピールする始末。

あー言葉が通じないと云うのは
げに恐ろしきことなり。
こうなったら犬の凍傷覚悟で
行くしかない。

ところがどうだいこの青空!
風だってせいぜい10m程
やったねグラン!


《B》 八ヶ岳・天狗岳まっぷ
     コースタイム
実施日:
12月30日(金)晴 
山荘発(167km)  4:35 
唐沢鉱泉 6:40着 7:10発 
第一展望台 9:20 10:10出   
天狗岳山頂 11:20 11:40出  
東天狗岳  12:00 12:30出
黒百合ヒュッテ   13:30
唐沢鉱泉   15:10 15:30出
計      8時間    
山荘着  17:25 
標高差
唐沢鉱泉ー天狗
岳・・・750m
実際のコース標高差・・・約1000m

体感温度マイナス33℃の
氷の稜線を生後10カ月の幼犬が
凍傷も恐れず完走!



幼犬・グラン



《C》 快晴の展望台

ばてたぜ!とグラン

樹林帯から突然稜線へ

お座りして朝食だよ
夜がやっと白み始めた頃
唐沢鉱泉駐車場に着くが
駐車してる車は1台。
どうやら今日も昨年と同様
新雪のラッセルを覚悟せねば。

鉱泉前の谷を渡り森に入り
浅いラッセルを開始。
樹氷を透かして空を観るが
晴れているのかガスっているのか
薄明なので解らない。

が、やがて後方の空が僅かに
薔薇に染まり
太陽の上昇と共に群青が深みを増し
空が真っ青な海になった。

「やったぜグラン!
だが、天気予報を甘く観てはいかん。
吹雪も覚悟しておけよ」
と語りかけてると
嬉しいことに後から2パーティが
ラッセルを追ってやって来たでは。

早速ラッセルを任せて
こちらは撮影に専念。
この先も追いつ追われつ登れば
シャッターも押してもらえるし
云うこと無し。

樹氷が薔薇色に煌く
「ラッセルの後を登るのは
随分楽だぜグラン!」
と声をかけるがグランは何だか
思い詰めたような顔して
必死にリードを引っ張る。

まるでアラスカの犬橇レースに
出場してるが如く
唯ひたすら前方を見据え先行者に
負けじとばかり全力で跳ばす。
犬橇レースの犬達は
氷で足が傷まぬよう足袋を履かせるが
グランには履かせてない。

果してー33℃の体感温度に
耐えられるだろうか?
心配になって肉球を観察するが
網目状になっている弾性線維には
異常ないようだ。
スピードを緩める気配も無い。
どうやら速度を落とすと
激しい寒気に負けてしまうと
自覚しているようだ。

朝一番の太陽が
森に差し込むとグランが足を止めた。
振り返りこちらをじーっと見て
何か言いたそう。
そうか、お前もこの雪の森の
美しさが解るんだね。

沈む雪に怯えるグラン

吹雪予報に反し嬉しい快晴

鼻が凍っているぞ!(右:阿弥陀岳、左:赤岳)


《D》 遂にやったぜグラン!


尻尾を下げ寒さに耐えるグラン(後方東天狗岳山頂)
幸いなことに天気予報が外れ風速22m/秒の風は
何処へやら、冬山にしてはそよ風のような
風速10m/秒ほど。
それでも体感温度マイナス21度はグランにしては驚きの寒さ。

ラッセルで汗をかくからとセーターで登り始めたが
高度が上がるに連れて寒気は鋭くなり
フリースのコートを羽織り更にウインド・ヤッケを重ねたが
グランは裸のまま。
なにしろ今年2月に生まれたばかりの僅か10ヶ月の幼犬。
果して山頂まで達することが出来るのだろうかと
危惧を抱いていたが、遂に登頂。

「やったぜ!グランこりゃギネスもんだね」
しかしグランは少しも嬉しそうではない。
グランはきっと、こんな凄いところを登るんだから
てっぺんには美味しい何かが在るのではと
秘かに期待していたに違いない。
それじゃザックに忍ばせてあるビーフ・ジャーキーを上げようか!

 目の前に迫る硫黄岳火口壁

 互いに写真を撮り合う

昨年のラッセルルート見ゆ 

腰から胸までの猛烈ラッセルに苦しめられた硫黄岳の稜線が
目の前に迫る。
山頂の大きなケルンもはっきり見えるでは。

ほらグランあれが硫黄岳だよ。
去年のクリスマスに舞瑠、悠絽と云う2頭の犬と
頂を目指したんだけど
稜線の凄いブリザードで舞瑠が飛ばされそうになって
あの大きなケルンの手前でギブアップしたんだ。

とっても勇敢な犬で顔や体形はお前にそっくり。
賢くて木目細やかな感性の持ち主でいつも一緒に
山に登っていたんだ。
でも今年の冬に死んでしまった。

まるでその生まれ変わりであるかのようにお前は
その直後に生まれた。
初めてお前に逢った時は余りにも舞瑠に似ているので
嬉しくて哀しくてうろうろしたもんさ。
だからお前とこうして一緒に登れたことがとても嬉しいんだ。

グランとのお話し (天狗岳山頂)



《E》 失われし逆光する山たち 


主峰赤岳・2899m

阿弥陀岳(右)と赤岳(左)

阿弥陀岳・2806m

東天狗の鼻・2640m
幾ら目を皿のように開いても
虚空の影が忍び寄り
かつて駆け巡った山々は
存在の輪郭をあやふやに滲ませる。

それでも北に位置する西天狗の頂と
遙かなる北アルプスの槍ヶ岳が
南回帰線からの太陽を満身に受け
光の存在を知らしめる。
光は既に
北回帰線への旅を整えたのだ。

西天狗岳・2646m
まさか北アルプスの槍までが
見えるなんて
昨夜の天気予報からは予想外の
展望に夢中で望遠レンズを
構えシャッターを切る。

穂高連峰はガスに巻かれ
頂稜は姿を見せぬが
槍は北鎌尾根を明瞭に浮かばせ
その奥に潜む硫黄尾根さえ
透かし見せるかのように峨々たる
山容を晒す。

足繁く通い詰めた雪の槍。
何度かヒマラヤに同行した
教え子の博夫君と冨美代さんと
登攀した雪の北鎌尾根が
不意に甦る。

槍ヶ岳と北鎌尾根
冬籠りの熊が空腹に耐えかねたか
未だ4月だと云うのに
豪雪を掻き分けて北鎌尾根P2の
我々のテントまでやって来た。
恐ろしさに眠れぬ夜。

どうにか北鎌尾根を登りきり
槍の肩で幕営。
その夜は激しい雪の雷に襲われ
びりびりと体に電流が走る。
3人で遺書までしたためた
恐ろしい夜を
ふと思い出したのである。

何故たくさんの北鎌尾根や
硫黄尾根の記憶から
この熊と雷だけが甦ったのだろう。
総ては逆光の影に
呑み込まれてしまったのに。
 
中央アルプスとパラグライダーのゲレンデ

 1995年-May-6(Sat)
10回目のHF
(高高度飛行)で離陸後2分、サーマルに入り出る時、前方のエアーインテークがつぶれ落下。
地上に激突する直前に回復。
下から観ていたグライダー仲間が「完全に潰され山の影に消えた」と証言。


西に目をやると南回帰線の光を斜に捉えた中央アルプスが深い翳の中から雪の山稜を浮かび上がらせる。
その手前の2000mの黒い山脈に懐かしいパラグライダーのゲレンデが見える。
入笠山(1955m)の稜線までゴンドラで上がり離陸点から飛び立ち、目の前の八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、更には遙かな北アルプスまで広がる展望を
豪快に眺めつつ天空を駆け巡った日々。当時の飛行ログブックを覗いたら上記のメモを見つけた。

パラグライダーではサーマルと呼ばれる上昇気流を如何に早く見つけ、その気流に乗って何処まで高くまで昇るかが腕の見せ所。
しかしサーマルの出口は当然ながら下降気流が待っており、時にはその下降気流が機体(キャノピー)の前に在る空気の取り入れ口・エアーインテークを潰し
機体への空気を遮断してしまう。
そうなると流入する空気によって維持されている翼は機能を失い瞬時に落下を開始する。

回復するには先ず潰れた翼のブレーキコードを引いて風上(アゲンスト)に機体を向け、更にゆっくり大きくブレーキコードを引いてエアーインテークを広げる。
それでも回復しない時は左右両方のブレーキコードを引いて回復操作を続ける。
その操作を続けながらも落下していくあの日の絶望感が北鎌尾根の熊や雷の追想に重なり、ログブックから飛び出してきたのだろうか?

それにしても先月再訪したばかりの南アルプスの山々・仙丈、北岳、甲斐駒は逆光の翳の中で黙して一言も語らぬ。
このまま存在の輪郭をあやふやに滲ませ,もう再び光を放つことはないのであろうと,ふと思う。

仙丈岳・3033m 
 
北岳・3192m
 
甲斐駒ケ岳・2966m



《F》 さらばグランの山 


さあ、降りるぞ!

さらば、山頂(東天狗頂)

天狗の鼻にもお別れ
標高の高い西天狗岳は
低い東天狗岳から一度鞍部に下り
登り返さねばならない。
黒百合ヒュッテから来た登山者は
つい敬遠し東天狗まで来ると
満足し引き返してしまう。

殊に冬山となるとこの傾向は
強くなり西天狗はガランとし
逆に東天狗は人影が絶えないようだ。
互いに写真を撮り合い
東天狗の人影に別れを告げる。

少し下ると頂とは異なる景観が
南の空に展開する。
南北に連なる八ヶ岳の盟主が
一望に見渡せるのだ。

絶景かな絶海かな!(天狗岳頂直下より)
尻尾をピーンと立て颯爽と下降する
グランの影がくっきりと
雪面に刻まれる。
負け犬は尻尾を下げるがグランの尾は
高々と上げられ意気軒昂。

岩と氷の剥き出しになった山稜を
更に下ると
北八ヶ岳がぐーんと迫り
雪森に黒百合ヒュッテが見え隠れし
たおやかな山容が北へ続く。

森林限界の内に入り風が止むと
グランの足取りがいっそう軽くなる。
「此処まで下れば
もう安心だねグラン!」

静かな森を下る
夕陽が木々のシルエットを
雪面に投げかけ
満ち足りた1日の終わりを描く。

太陽と雪と森が
生命の揺り籠となって優しい音色を奏でる。
太陽に溶かされた雪は
やがて樹木に吸い込まれ新たな命を謳い
森となって太陽と語らう。

「ほら聴こえるだろうグラン!」

林道に出たぞ!


《G》 ひたすら肉球を甞めるグラン


凍てついた山小屋(根石山荘)

岩と氷の登攀で肉球は大丈夫?

テン場に着いたぜ(黒百合ヒュッテ)
 
登山靴を履かないのに
何故グランの足は凍傷にならないのか?
その秘密は肉球に在る。
断面図に示したように肉球は
表皮と脂肪球、末端骨から成っている。

南極や北極に棲む動物達と同じ脂肪が
肉球に蓄えられ
外界の低温を完全に遮断し
凍傷から身を護っているのだ。

とは云え肉球が冷たくなったのは
確かで下山後は頻りに
足を甞め続けるグランでした。

どれ肉球見せてごらん! 
 困難を乗り越えた人は強くなると云うが
どうやらそれは
犬にも当てはまりそうだ。

生後6カ月にして
稜線で激しい雷雨に叩かれたグラン。
その鳳凰稜線での体験
グランを大きくしたが
今回の雪と氷の山が更にグランを
鍛えた事は間違いない。

さて一段と逞しくなったグラン。
次は何処へ行こうか?

此処まで来れば安心

肉球を甞め続けるグラン




さらば2011年
大晦日の大掃除 2011年12月31日

岩と氷の山稜の余韻が奏でる音色を愉しみながら
燦々と部屋に差し込む陽を浴びて
のんびりと大掃除。
開かれたドアが時空の通路となって薔薇の虚空へいざなう。

グランがテラスから覗いてドアをじっと見つめる。
こうして2011年のDespairさえもドアの彼方に消えていくのだ。
《おいグラン!ところで君にはDespairなんて在るのかい?》


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