仙人日記
 
 その1174ー2015年  葉月


 Contents [E] 第5日目 8月6日(木)晴午後曇
新穂高温泉へ
活動データ:28471歩、
19km929m685Kcal
《A》 荘厳なるガイアの夜明け
《B》 笠から槍、南岳への稜線図
《C》 双六岳へ 3日目
《D》 小鑓幻想 4日目
《E》 新穂高へ 5日目


終焉を孕んだ光 燕から昇るअमिताभ Amitābha阿弥陀如来)  
8月6日(晴)5時05分 南岳より
 撮影:村上映子

<光の中で>  村上映子

3つの頂近くで、3回の夜明けを迎えた。
それぞれの高みから、闇を分け、散乱する夜明けの光に照らされた。
光りの中で、いつ知らず、祈りの形が自分の中に自然に宿っていた。
祈りとは何だろう。散乱する光りの中で自ずと示される、己の生の証だろうか。
無防備に晒される光の洪水の中にあって、人は己の内にある声なき声を、
生きたいという生き物として当たり前の叫びが、
木霊のように繰り返し響くのを、ほんの一瞬感じることが出来るのかもしれない。



モルゲンロートに染まる穂高連峰
8月6日(木)5時10分 稜線背後にジャンダルムの影 

太陽に向かって祈る形を無意識にとるのは、命の真であるのかもしれぬ。
だからこそ、嚇奕たる夕陽が闇に融け入ろうとする時もまた、
敬虔な祈りをささげずにはいられないのだ。
自らを供物として、光りの中に散乱すること、もしかしてそれこそが究極の祈りなのかも。
光に融け入り、やがては闇に吸収され消えてゆく。
命はきっとその瞬間を渇望しているのだ。
生き切るということはそういうことなのではないか。



アルプス最後の夜明け

さてこのまま前進しキレットを超えて
北穂高に出て上高地に下るか、
それとも
予定通り南岳西尾根を下って
新穂高に出るか?

笠ヶ岳から槍を経て穂高山塊まで
足を延ばすのは些か愉快だが、
問題は上高地の都会並の混雑である。
梓川の林道からハイカー、観光客が加わり、
上高地に至ると団体客の人の渦。
小屋の食事は5時半と遅いのと、
行動食が未だたっぷり残っているので
小屋の朝食無し。
持参コーヒーと葡萄パン、草大福餅
チーズ蒲鉾、ソーセージなどで朝食を済ませ、
4時過ぎに小屋を飛び出す。

常念平と名付けられた
小高い丘に陣取り夜明けの撮影。
心配していた左脚の痛みは
殆ど耐えられる状態でラッキー!

 
常念岳に三角影を刻む曙光

南岳小屋 5:30 新穂高(温泉入浴) 11:10
救急箱デポ地点 6:40 新穂高バス発 13:30
南沢雪渓出合 7:40 松本駅発 15:55
槍平小屋 8:00 小淵沢着 17:04
滝谷出合 8:50  小淵沢発  17:10 
チビ谷出合  9:20  東山梨  18:06 
白出出合  10:00  山荘着(途中買い物ソーメン等)  18:30  



ほんのり朱を帯びる槍

あの時、南岳西尾根を登った教え子の
トモこと藤森知晴は遠征後カナダで
犬橇のマッシャーになった。
その2ヶ月前の1月、一緒に前穂北尾根を登った
栗田陽介は宇宙飛行士を目指し、
1次試験受験者864人から
合格者の1人に選ばれ
筑波宇宙センターで1週間の合宿。

宇宙飛行士の毛利さんには面接で
「ヒマラヤ登山と有人宇宙開発の共通点は?」
と問われたとか。

下山後に汗を流す温泉もなく、
追い立てられるようにして
バスに乗るのは何としても避けたい。
となると最早結論は明白。
新穂高に降りてのんびり
温泉に浸ってから帰るのがベスト。

3月の雪の最も多い雪崩シーズンに
ガッシャブルム・トレーニングで登った
南岳西尾根を下る。

 
大キレットの光と影


淡く薔薇に染まる前穂高北尾根 懐かしき冬の定番合宿ルート
8月6日(晴) 4時53分  南岳より

 



笠ヶ岳の夜明け 手前南岳小屋

あの時の仙人の年齢を超え
栗田は50歳、藤森は48歳となった。
堂々たる中年である。

厳冬期の槍穂山塊の
厳しい岩場を駆け抜けたあの日々は、
彼らの心象に
どのような翳を落としているのだろうか?
残念ながら最終選考には残らなかったが、
今は米国シリコンバレーで
コンピューター技師に収まっている。
 
24年が一瞬にして過ぎ去った。
1992年冬の槍穂山塊で、
藤森知晴24歳、栗田陽介26歳、
坂原忠清47歳であった。

 
影に沈む滝谷


遥かなり笠ヶ岳
5日間の過去が長い軌跡となって眼前に展開する


結構険しい南岳西尾根

南沢上部のガレ場を左にトラバースし
西尾根に取りついてみると
岩が剥き出しになったかなり険しい登山道に出る。
無理して登山道を切り開いたものの
利用者が少ないので
登山道の整備まで手が回らず、と云った感じ。
「まー怪我何ぞしたら、この救急箱を
使ってください」とのことか?
下り始めて直ぐ、上高地に降りなくて良かったと実感!
後から単独行者が来たものの
他に人影無し。
5日間の豊かな山旅の終わりに相応しい静けさ。
 
西尾根にある救急箱デポ



滝谷の岩壁

槍平小屋

南沢の残雪
 
白山石南花 (ハクサンシャクナゲ)
 ≪南岳の夜≫と題した
1992年3月の報告書より。

絶頂と存在を結ぶ
一瞬の軌跡
必然であったことの驚愕
知っていたんですね
ほら 氷結した時の粒子が
乱舞してます
 
4弁の千手岩菲? (センジュガンピ)
 
深山沙参 (ミヤマシャジン)
 
静かな右俣谷

葉まで白い白山石南花か? 
 
玉川杜鵑草 (タマガワホトトギス)
 
 山鳥兜 (ヤマトリカブト) 
 
兎菊 (ウサギギク) 


玉川杜鵑草 (タマガワホトトギス) 撮影:村上映子

花弁の先が幾つにも分かれて
まるで千もの手があるようなので
千手岩菲と名付けられた白い花は確か5弁。
おかしいな?と思って他の花を観たら
やはり4弁。
変だな、こいついつから4弁になったんだ?
遅れている村上との距離が開かぬよう
高山植物の写真を撮りながら
ゆっくり逍遥するのは、何ともはや贅沢。

山荷葉の実 (サンカヨウ)  撮影:村上映子


12万8368歩の一歩
8月6日(晴) 小鍋谷出合
の案内図

3千メートルを超えるピークが4つ、2千メートル峰が5つ、この計9つの頂を踏むのに
12万8368回も脚を動かし続けたと、歩数計は告げる。
その一歩一歩に、若き日には有り得なかったような細心の注意が払われていたことは言うまでもない。
単独行登山中に脚を挫いても骨折しても、若き日には自力で生き延びる術と体力を確信していた。
しかし今は、登山者の少ないアルプスの山域で骨折なんぞしたら、自力で生還出来ないとの
明確なメッセージを我が肉体に聴くことが出来る。



内出血しれ上がった足首
最後のピーク南岳 (足首拡大)


だからこそ一歩一歩を慎重に大切に踏み出し、9つ目の最後のピーク、南岳までやってきたのだ。
平坦な南岳稜線は小石の敷き詰められたガレ場になっていて、5日間の全コースの中でも
最も楽で安全な登山道であったと云っても過言ではない。
その登山道で左足(画像では左足を反転し右足に合成)が踏んだ小石が、跳ね上がり左脛を直撃し、予期せぬ損傷を負ってしまった。
そのたった一歩が致命傷になり、行動不能になっても不思議ではない。

何故そんなへまを仕出かしたのか?
幾ら自分を責めても、明快な納得できる解答は出てこない。
《お前にはもうアルプスを登る資格は無いのだ》 との木魂が時の回廊に反響を繰り返すのみ。



硫黄泉の中崎山荘 風呂から笠遠望

しかしよくぞこの足で、南岳から新穂高へと
標高差2000メートルを、
一気に下りて来たもんだね。
いつも登山靴に閉じ込められ、唯黙々と歩むだけで
報われない足。

そら観てごらん笠ヶ岳が観えるだろう。
あの長大な稜線の総てを、その足が踏みしめ
仙人に新たな命を吹き込んだんだよ!
新たな命は、ほんのちょっとだけ
仙人の五衰を引き延ばすのだろうかね。
にょきっと足を湯から突き出してみる。
内出血した赤紫の帯が、腫れ上がった踝に沿って走り
見るからに痛々しい。
昨夏はアキレス腱を傷めたままジャンダルムに登らされ
1年近く掛けてやっと機能回復。
回復を歓ぶ暇もなく、再び南岳で負傷した左足。

 
お疲れさん!
負傷した左足に感謝!


 
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