|
その114の5ー2015年 皐月 |
|
||||||||||||||||
Con Dao 撮影日:2015年5月9日~15日 場所:ベトナム・,コンダオ諸島 撮影&編集:坂原忠清 村上映子 |
《E》 サイゴンぶらりふらり |
サイゴン・スカイデッキ 68階建ビテクスコ・フィナンシャル・タワー(Fタワー) どっからどう見ても平和な大都会ではないか! これが本当に、あのベトナム戦争の最後の戦場であったサイゴンなのか? ・ 48年前の1967年10月21日、23歳の誕生日を迎えた翌日、清水谷→米大使館→新橋へと 向かう3000名のデモ隊の中に未熟仙人の卵も加わっていた。 40の市民団体による「10・21ベトナム反戦国際統一行動市民文化団体集会・デモ」とかで 国内各地44都道府県での10・21デモには20万人が参加したと記録に在る。 ・ 10月8日、米国の傀儡となって日本の佐藤首相が、サイゴンのゴ・ディン・ジエム傀儡政権を支援せんと出発。 佐藤首相を羽田で阻止しようとした学生、反戦青年委と機動隊が衝突。 京大生山崎博昭が死亡。 10月16日には米30都市で1,400人の青年が徴兵カードを焼き、ベトナム反戦運動は米国でも高まる。 ・ しかしサイゴン解放までには、更にそれから8年もの歳月を必要としたのだ。 この煌めきを、独立を夢見ながら死んでいった300万のベトナム人に見せたら何と云うのだろうか? (参照:べ平連年表) |
サイゴン川畔に建つ高層ビル群(北方) |
高層ビルの屋外プール(北西直下) |
街の中心サイゴン川(南方) |
コンダオ島を後にしてホーチミン市へ再び戻ってくると、都会の大喧騒と湿気の多い暑さに、しばし体が馴染めない。 |
|
||||||||||||||
|
市内はバイクの氾濫 |
路上にはパンク修理屋も |
ポリス出動、当然バイク事故多発 |
セオムと呼ばれる バイクタクシーまであるのだから 正にバイクの街である。 その数300万台。 ホンダのスーパーカブが大人気。 故障せず燃費がいいので 安物の中国産とは 比べもんにならぬとか。 ・ 赤信号で交差点に車が止まると 辺り一面隙間なく バイクがぎっしり埋め尽くす。 |
4月30日(1975年)解放記念日を祝し |
信号無しの横断歩道を 渡る時は命懸けと云っても 過言ではない。 手なんぞ上げても全く止まる 素振りはない。 ・ どうするのか地元住民を観ていたら びゅんびゅんぶっ飛ばす バイクの流れに平然と乗り込む。 バイクが直前で 避けてくれるのに賭けるのだ。 恐ろしや! |
ホーチミン人民委員会 |
フエ王宮のようなニャーハンゴンで晩餐 |
4月30日から今夜14日までの照明 |
【3】 3人4人が1台のバイクにまたがって 走りだすとイナゴの大群。今までの何処の国でも見たことのない光景で驚かされた。 |
旧大統領官邸内閣会議室 |
旧大統領官邸 |
旧大統領官邸宴会室 |
セオムに乗って高額料金を せびられ財布に手を掛けられたと云う 日本人女性2名と この旧大統領官邸を巡った。 ・ 解放軍が無血入城したと云う 旧大統領官邸より そのセオムとのやり取りの方が 余程面白かったようで 詳しく熱心に語る。 |
68階建ビテクスコ展望台 |
セオムは外国人をカモにして 法外な料金を要求したり 連んでいるホテルや店に連れて行き 紹介料をせしめたりと悪評が高い。 ・ 敢えてそのセオムに乗って ホテルを紹介され 支払い時に財布に手を出されたが 何とかふんだくって 危うく難を逃れたとかの武勇伝。 うん、日本女性も強くなったもんだ。 |
中央郵便局19世紀末の仏統治時代の建築 |
大統領官邸ヘリポート |
1975年4月30日無血入城した広場 |
|
人形劇演奏楽団 |
水上人形劇ゴールデン・ドラゴン |
左右の劇団員が演奏し語る |
3夜目、最後の夜は 晩餐前に水上人形劇場へと。 水面に簾を垂らし その裏で人形師が長い竿の先に 付けた人形を操る。 ・ 大変高度な操作でその技術は 世襲制で人形師は 人形の操作方法を 部外秘にすることを誓わねば ならなかった。 ハノイのお家芸であったこの劇が ホーチミン市で上演される様に なったのは最近である。 |
劇団員の出迎え |
海外公演も盛んで 日本でも「ベトナムフェスティバル2014」 として代々木公園で 行われる予定であったが デングウイルスを持つ蚊が発生し中止。 急遽、横浜赤レンガ倉庫の イベント広場で上演したとか。 ・ 内容は民話、伝説が主で 内容を記したパンフレットが渡されるが 筋はあって無いようなもん。 猫の鳴き声のような柔らかな ベトナム語を愉しめばいい。 |
舞台はプールになっている |
夜のビテクスコ・フィナンシャル・タワー |
人形は舞台裏で操作 |