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その114の4ー2015年 皐月 |
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Con Dao 撮影日:2015年5月9日~15日 場所:ベトナム・,コンダオ諸島 撮影&編集:坂原忠清 村上映子 |
《C》 ゲリラ作戦のベトコン拠点・クチトンネルを訪ねて |
森の枯葉を払うと現れた小さな穴(Ventilation Shaft) 5月14日(木)晴 全長200kmに及ぶクチ地下壕入口 ベトナムから帰国したらカーター米国防長官の、思わず漏れてしまった本音が報道されていた。 「我々は訓練や装備を提供できるが、戦う気を与えることはできない」 これだけで大いに嗤えるのに、これに更に追い打ちをかけたのがその翌日のバイデン米副大統領の焦った発言。 「戦うイラク軍部隊の≪多大な犠牲と勇気≫を高く評価する」 |
えっ!こんな狭い穴で戦ったの? |
本日は1日コースでクチトンネルとホーチミン市内観光、更に夜は水上人形劇鑑賞と、盛りだくさんの予定。 |
枯葉に隠されたさり気ない穴 |
それじゃちょっと入ってみる |
米軍空爆に勝利した穴 何が嗤えたか言うまでもない。 近代兵器を 大量に持ち込んで戦った米国が 戦う兵器も食料さえも満足にない 貧しいベトナムに 敗れた理由を、そのまま カーター米国防長官が 述べたからである。 |
更に捧腹絶倒したのは その翌日 慌てふためいたバイデン副大統領が 即、その発言を否定し 「イラク軍部隊の ≪多大な犠牲と勇気≫を高く評価すると いけしゃあしゃあと 述べたことである。 |
うわーこの穴、深い! |
どれどれ何処まで続く? |
カーター米国防長官は語る カーター氏は、ラマディでのイラク治安部隊について「敵より人数が勝っていた。 |
バイデン米副大統領は語る ワシントン(CNN) 米ホワイトハウスによると、バイデン副大統領は25日、 イラクのアバディ首相と電話で会談し、 過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と戦うイラク軍部隊の「多大な犠牲と勇気」を高く評価すると述べた。 カーター長官の発言については、米国側がこのほかにも修正の動きをみせている。 米政権のある高官は、長官が言及したのは「ラマディに限定した話」だと説明した。 |
落とし穴じゃ! |
穴底には竹槍じゃ! |
此処はキッチンか? |
米軍の空爆や高性能マシンガンに 対し落とし穴や竹槍で 戦うとは 月とスッポンどころの話ではない。 それなのに何故 ベトナムは勝てたのだ! |
屋根の付いた入口は罠か! |
答えは明明白白である。 いみじくもカーター米国防長官が 述べたように 祖国独立の為の 戦う気力があったからだ。 ・ 米軍兵士は地球の裏側まで しゃしゃり出て 戦う理由も無く無意味に戦った。 |
ベトコンとポーズ |
何やら井戸のような |
何書いてんの? |
【19】 極限の苦しみを誘い出すための仕掛け 枯れ葉の下に在るトンネル入り口は、入ってみることが出来る。 |
米国M41戦車は1970年地雷によって爆破された 地下トンネルの張り巡らされた地上に この馬鹿でかい戦車の残骸が横たわっていると、頗る愉快である。 戦車の下の穴で蠢く小さなベトナム兵士が、愛らしい土竜になって策を巡らし この途轍もなく硬くて、でかい奴を、やっつけるのだ。 |
M41の巨砲 |
最上部ハッチ |
戦車の出入り口 |
とても敵うはずのない 鉄で出来た巨大戦車をやっつける為 拾ってきた敵の兵器を 利用するのだから、 こりゃ堪らなく愉快である。 |
M41内部 |
本物の戦車なんぞ 勿論、見たことも触ったこともないが 正に恐るべき鉄の塊 そのもの。 ・ あの小さな愛らしい土竜達が 戦車をやっつけた後 誇らしげに敵国の言葉で白文字を 書き付ける様子が目に浮かぶ。 |
45年前の戦闘遺品 |
キャタピラーは跡形もない |
Mineとは地雷のこと? |
【20】 轟音の凄まじさに飛び上がり クチでは様々な体験をできるのだが、強烈だったのは実弾を使っての銃の実射体験だ。 |
落とされた爆弾を再利用し攻撃に使う 10発で15㌦程で試射出来る。 我が人生に於いて 人殺しの為の銃を撃つことがあろうとは 思ってもみなかったので、 撃ってみた。物凄い衝撃におったまげた! |
密林での機敏な動きを考慮し 銃身を短くしたカービン銃も、米兵から奪った戦利品。 一旦奪ってしまえば ベトナム兵の為に作られたような便利な銃。 |
カービン銃、マシンガンの実射体験 |
捕獲作戦に使われた罠 |
不発弾の火薬を再利用 |
米国防長官カーターは、 ラマディでのイラク治安部隊の戦いぶりを 嗤ったが、 そのイラクを生物・化学兵器等 大量破壊兵器を保有しているとし 攻撃したのは12年前の 2003年のこと。 ・ 化学兵器、大量破壊兵器等 何処にも無かったのは 既に世界中の誰もが知る事実。 |
ブッシュ大統領は開戦前後の |
踏み込んだ足を捕える罠 |
トンキン湾事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/07 14:00 UTC 版) トンキン湾事件(英: Gulf of Tonkin Incident, 越:Sự kiện Vịnh Bắc Bộ/事件灣北部)は、 |
地下壕の病室 |
男が穴を掘り女が土を運ぶ |
作戦会議室 |
大量破壊兵器を保有の 言いがかりでイラクを攻撃し フセイン元大統領を処刑し 更なる混沌へとイラクを 追い詰めた米国。 |
再生された砲弾 |
ベトナム戦争も 米国の言いがかりで一気に拡大した。、 南ベトナム政府の支援と云う 仮面をかなぐり捨て 米国そのものが戦争に直截参加する 手だてとしてでっち上げた ≪トンキン湾事件≫を 忘れる訳にはいかない。 |
春巻に使うライスペーパーを作る |
古タイアで生活具を作る |
主食のタロイモ、笹茶、豆 |
【21】 300万人もの血の意味を忘れまい 私達のガイドは、戦争博物館で「此処では案内は何もしない。ただ自分の目で観て、感じて欲しい。 |
結局、ソ連・中国と米国の闘いだったのか? 確かに、写真に写る少年は ひどくおびえた目をしている。 村で母親のバー、8歳だった妹のリエンの3人暮らし。 一緒に川を渡った2歳のフエと 母親のダオも近所に住んでいた。 村はベトコンの拠点と目され、 米軍の先兵となっていた韓国軍の 激しい攻撃を何度も受けた。 ・ アンの兄は南ベトナム軍との戦闘で戦死、 姉は韓国軍に撃ち殺された。 「朝9時か10時ごろだった。 初めての米軍地上部隊の攻撃が始まり、 米兵に銃を突きつけられて 『川に入れ』と脅された」 「深い所は大人の胸くらい。浅い所は歩いて、深い所は 泳いだことを覚えている」とアン。 (47NEWS > 47トピックス > 世界川物語より) |
ベトナム戦争さなか、世界の目を くぎ付けにした戦火を逃れる母子の写真。 そこで考えたのが 生命を根底から破壊する枯葉作戦。日本人カメラマン、 沢田教一の「安全への逃避」だ。 1965年9月6日、ベトナム中部 クイニョン郊外ロクチュアン村で 撮られたこの写真は、 ピュリツァー賞など数々の賞を受賞した。 ・ 「向こう岸に銃のようなものを 構えた男が見えたから撃たれると思った。 それが、カメラを構えたサワダさんだった」 当時14歳の少年だったアンが語る。 |
≪安全への逃避≫沢田教一 1966年ピュリッツアー賞受賞 |
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枯葉剤の犠牲者
トンキン湾事件をでっち上げ 激しい空爆を行い 延べ650万人の若者を動員した米国。 ベトコンは地下に潜り 地上戦に打って出た米兵は ジャングルでのゲリラ戦で苦戦。 ・ 近代兵器は密林では 役に立たず 米兵の死者数は増えるのみ。 |
脚と腰が未発達 |
そこで考えたのが 生命を根底から破壊する枯葉作戦。 悪魔の所業としか言いようのない この枯葉作戦は 一体誰が発案し実行したのか? ・ 密林で米兵が殺されるなら 猛毒の枯葉剤ダイオキシンを空から 撒いて密林を無くしてしまえ。 |
首だけになった少年 |
繋がって生まれたベト&ドク |
腕の無い子を抱く母親 |
1958年にウサギが極微量のダイオキシンで死んだことが、ドイツの学者により最初に報告されました。 ダイオキシンは何が問題か? ダイオキシンの1日の摂取許容量は、農薬の100万分の1です。つまりダイオキシン類の毒性は農薬より100万倍強いのです。 |
下半身の無い男性 |
脚も生殖器も未発達 |
顔以外は未成長 |
アメリカにとって史上最大の戦争 ベトナム戦争は、物量の規模からいえば第二次大戦をしのぐ史上最大の戦争でした。 現在も正確な統計は出ていませんが、およそ300万人近くのベトナム人が死亡、400万人のベトナム人が負傷しました。 この戦争のあいだに、アメリカは785万トンの爆弾(銃弾は含まない)をベトナムに落とし、 小学校から大学までの各学校2923校、病院、産院、診療所1850ヶ所、教会484ヶ所、寺、仏塔465ヶ所が灰燼に帰しました。 (道AALA副理事長 鈴木 頌) |
枯葉剤を散布したヘリか! この悪魔を生み出した米国が今でも 正義や民主主義を 振りかざして尤もらしく、世界のリーダーと 叫ぶ度に 怒り心頭に発するのは私だけだろうか! |
つまり枯葉作戦は地上の生命が総て 本質的に破壊される危険性を熟知しての作戦であり 同じ母や子を持つ知的生命の 為せる所業とは思えない。 |
狂気に駆り立てる兵器 |
千年、百年、三十年ですよ 2人の幼子の母ガイドがポツリと語った言葉。 ベトナム人なら誰にでも理解できる数字。はて何のことだろう? それではヒント。三十年とは1945年から1975年4月30日まで。 そうこのヒントがあれば、ベトナムに興味ある者なら三十年がベトナム戦争による米国支配期間、 ディエンビエンフーの戦いなどで重なるが百年がフランス支配期間、 千年が中国支配期間と直ぐ解るであろう。 ・ つまりベトナムは計1130年もの長い期間、他国に支配され搾取され続けてきた国であり、 祖国独立への願望は如何なる国よりも強く、独立こそ民族の悲願であったのだ。 だからこそあの強大な圧倒的軍事力に勝つことが出来たのであろうと、結果論を述べるのは容易い。 市場に群がる小柄で笑みの絶えないベトナム人に接し 中国、フランス、アメリカと戦い続け遂に勝利したベトナム人の強さを探したが 笑顔の奥に、その痕跡を見出すことは出来なかった。 ・ 近代兵器対竹槍を連想させるベトナム戦争で、竹槍が勝利したなら人類には未だ形而上的希望があるのかも知れない。 片や近代兵器で敗北した米国資本主義に内在する形而下的欲望は、 やがて米国をのっぴきならない決壊へと追いやるのであろう。 と、ふと思ったベトナムの旅であった。 |