コンダオ・ダイビング

珊瑚海・生命への旅

            珊瑚海其の33・・・・・・・もう1つのヒマラヤ

仙人日記
 
 その114の32015年  皐月
 
 Con Dao
 
撮影日:2015年5月9日~15日
場所:ベトナム・,コンダオ諸島  
撮影&編集:坂原忠清
       村上映子


《B》  拷問の島・コルソン島へ


VN300便寝台後部座席38をゲット

ホーチミン上空の積乱雲
突然の豪雨で
機外に出られず

いつものように
シャンパン、ワイン、ビアを
しこたま飲んで
誰も居ない最後部座席38列を
独りで占領し
特性ベッドに仕立て熟睡。

突然機体が激しく揺れ
「シートベルトを閉めてください」
とアナウンス。
すっかり目を覚まされ
さて、そろそろベトナムかなと
機外を観ると
ありゃ、積乱雲がムクムク。

積乱雲の下にサイゴン川が
観えたかと思う間もなく
再び機体は真っ白な入道雲に突入。
着陸はしたものの
、機体とタラップ車の間に
激しい雨が吹き込み機外に出られず。

13:40ホーチミン着予定が
離陸で1時間、着陸後に1時間遅れ
サイゴン川の畔に在る
リバーサイドホテルに着いたのは
夕刻5時で辺りは最早
夜の賑わいを
見せ始めているでは!

早速、市内でも人気の高い
ドンコイ通りへ繰り出す。
ベトナムと云えば世界中の
グルメ達から熱い視線を
浴びている美食の国。

ドンコイ通りにあるフォー24で
先ずはゴイ・クォンと呼ばれる
海老、生野菜等を
ライスペーパーで包んだ生春巻を
食べねば!
そうそうこの店の自慢料理、
レア牛肉をたっぷり入れた
フォー・ボー・タイもとばかり意気込み
フォー24ヘ。

あれ!評判の割にはイマイチ。
香草の生野菜が堅すぎ
ライスペーパーと馴染まず、
レア牛肉も米麺と敵対し
しっくりこない。

サイゴン河が眼下に

積乱雲に突入

リバーサイドホテル(手前)とFタワー(左)



【2】 メコンデルタの肥沃な大地

出発当日、朝930分発の予定なので、612分の日暮里発京成電車の快速に乗る為、5時半前に家を出る。
飛行機は予想外に混んでいて、座席は最後部だったものの、幸いにも空席があり横になって休めた。
ホーチミンへ近づくと、メコンデルタの肥沃な大地が広大な広がりを見せている。
泥色の大きな川が蛇行しながら大地を走る。国土の3/4は山岳地帯とのことだが、地平線の彼方にも山の姿は見えない。
如何にメコンデルタが広いか想像がつく。

無事に着陸したが、飛行機を降りる段になって、いきなり大スコールに襲われ、しばし機内から出られない状態に。

離陸の際も何が原因か分からないが1時間近く遅れ、着陸時もこのありさま。さらに搭乗荷物が出てくるのにもかなりの時間を要した。
空港にはオレンジのTシャツを着たガイドが出迎えてくれた。
ガイドは日本語が上手なので驚く。日本には研修で東京に数週間行っただけとのことだが、日本語で上手に領収書も書いてくれた。
3組くらいの観光客が同便で到着、車で30分程でホテルへ・・・の筈だが、交通事情が凄い。
びっくりするほどのバイクの数。車線の半分をバイクが何列も並んで走る。
交差点などで停止しているさまは、まるで何かのレースが始まるのかと錯覚しそう。




ホーチミンから小型機で

コンソン島見ゆ
革命戦士2万人の死

以前、コンダオ島は
地獄と呼ばれたが、今は、
祖国の海の中にある場所として、
美しい海岸、珊瑚、波と風が溢れる
森に囲まれた素敵な「宝」となった。

地獄から観光の天国へ
コンダオ島はヴンタウ市から
180km離れ、
バリア・ヴンタウ省にあり、
16の島からなり、
ヨーロッパとアジアをつなぐ
航路の上にあるため、
ヨーロッパの多くの人々に知られる。

1924年、イタリア人の
マルコポーロは
中国から帰国する時、
台風にあったため、
コンダオ島に停泊した。
その後、15世紀-16世紀まで、
ヨーロッパからの多くの
観光者が島を訪れた。
 
1862年、フランス殖民が
南部の東側の3省を占めた後、
コンダオ島に
凶悪者の監獄を建てた。
その後、1975年まで、
113年間の中、
コンダオ島は地獄島と知られ、
フランス殖民当時の
サイゴンの政権に
反対する人を監禁した場所となった。

ここで、フランスはベトナムの革命の
兵士の意志を廃絶するために、
最も残虐な拷問にかけた。
1940年、フランスは
チョンコップ(トラケージ)を、
1930年、アメリカは
チョンボー(牛ケージ)を、
1971年、アメリカ風の
チョンコップ(トラケージ)と
呼ばれるフービン監獄を建てた。

2012年5月、コン監獄は
「島にある最大の監獄の遺跡」として
アジアの記録に認められた。

(ベトナムフォトジャーナル より)

コンダオ空港

監獄島とは思えぬ美しさ

ホーチミンから45分



【4】 世界で最も神秘な島トップ9

いずれも華やかなショウウインドウが並ぶ。豪華なホテルや、レストランも目立ち、外国人客も多い。
ガイドブックにフォーの美味しい店として紹介されていた<24PHO>に入って夕食。
ガイドブックを広げて確認の上、この店の名物と言われる牛肉入りフォーと春巻きの盛り合わせ、そしてビールを注文。
隊長は生春巻きは口に合わないとのこと。確かにこの生春巻きはぼそぼそして美味しいとは言えない。揚げ春巻きは美味しかった。
フォーはあっさりしたスープで、別盛りの野菜類をのせて食べる。
癖のある香草や生のもやしなど。此処では海鮮料理は提供されていなくて残念。
食後はウインドショッピングをしながらホテルへ帰る。

翌朝、6時から朝食が摂れる。
ガイドに教えてもらった小さな瓶入りのフローズンヨーグルトがとても美味しくて、おかわりしてしまう。

730分にピックアップされ、空港へ。空いているとのことだったが、小型のプロペラ機はほぼ満席。
飛び立つと、約45分、あっという間にコンダオ島の上空へ。
一部が国立公園にも指定されているそうで、大小の島が点在している。一番大きいコンソン島だけ人が住んでいるらしい。

嘗ては地獄の島と言われ、囚人たちを閉じ込めた島だったそうだ。
この島に4年前シックスセンシズが5ツ星リゾートを造り、海外のセレブ達が利用し始めたらしい。
その後、<世界で最も有名な旅行雑誌、ロンリープラネットの選ぶ「世界で最も神秘な島トップ9」に見事選出され>たそうだ。
これだけの情報を見ると、やはり世界のセレブが利用するホテルなるものに興味と期待が高まる。我々にとって初めて体験する5ツ星ホテル。




Gem Ivyのメッセージ

部屋にはエスプレッソが

オーディオ、映画セット
ヴィラ玄関には部屋付きメードの
アイビーからの伝言。
2階のバーコーナーには
各種の飲物を
揃えた棚にエスプレッソマシンが
でーんと構えているでは。

日本語理解出来ないアイビーが
3日目に恥じらうように
そっと渡してくれた手紙には1行だけ
日本語が書かれているでは。
アイビーの心からの持成しが
感じられた一瞬。

部屋付きのGem Ivy
オーディオコーナーには
果物と並んで
大型のTV、映像器を兼ねた
画像パネルがあり
映画やCDミュージックが自由に
愉しめる。

ブランコ椅子の図書館バーも
椅子だけの浜辺も
悠久の時との
会話を目論んだ仕掛け。

ブランコバー

浜辺のレストラン

部屋のプールサイドの食卓



【5】 入口の前には自転車が用意

迎えに来ていたホテルの車で30分たらず。何処が入口かわからないほど目立たない入り口をくぐり、すぐのところがレセプション。
奥にはオレンジとライムグリーンのカラフルなクッションが並べられたソファー。
ここで、ホテルの説明や部屋の担当者などを紹介される。
部屋の担当はアイビーと言う名の若いベトナム女性。華やかさは無いが、誠実で可憐な印象で、実際、滞在中は親切に気配りして接してくれた。
ウエルカムドリンクは小さなグラスに入ったスイカジュース。スイカとドラゴンフルーツが添えられて、爽やかできれいな色彩。

リゾートの雰囲気は何処にも派手さは無く、むしろ自然の中に溶け込んで、砂の色と同化しているような感覚だ。
レストランもオープンカフェタイプが基本、ケータリングできるショップや
作りたてのものを食べられる店なども並んでいるが、いずれの建物も自然素材で造られてる。

部屋まではカートで送ってくれる。人の気配の感じられない静かなリゾートで、かなりの距離を走ってやっと部屋に到着。
すべて独立して建てられたビラで、我々の部屋は海岸からは一段高い位置の2階建てオーシャンビュウタイプ。
入口の前には自転車が用意されている。


外観は古い竹材が中心で、古色蒼然と云った風。階段を上ると、可愛らしいプールが目に飛びこむ。
これがプライベートプールか。
広いプールサイドの奥に2階建てのビラ。
この一階二階が実は室内では通じていない。
一階はバスタブが窓辺に在り、後はクローゼットや洗面施設などがゆったり取られ、裏の扉を開ければ屋外シャワー。
床は石造りになっているから裸足で気持ちよく歩ける。一部屋が巨大なバスルームと云う訳だ。

外階段を上がって2階はベッドルーム兼リビングルーム。此処も広々。



DVサイト 
     ホンカウ島 ①バイコーバン  ②バイユー
ホンバイカン島 ③ホンブン  ④バイダク

いずれのDVサイトも手つかずの見事な珊瑚に覆われ、美しさに魅かれ毎回1時間を超えるダイビングとなった。
が、お馴染みの珊瑚海の魚は居るものの魚種には乏しく、ベテランには物足りない。



拷問の島コルソンの監獄
2012年5月12日(火)


トー・ティ・ビンさんはこのように語りました。
フランス植民地主義者がこの監獄を建設してから、コンダオ島が解放される時までのおよそ100年の間、
ベトナムの革命戦士およそ2万人がここで命を落としました。

この歴史遺跡のガイド人を勤めているグェン・ティ・タムさんは次のように語りました。
「これは「虎の檻」と呼ばれる牢屋です。共産主義者が裸体で入れられた牢屋です。
フランス植民地主義者の軍はこの地の過酷な気候を利用して、拷問しました。
夏の暑い中、収容者は、足に重りをつけられて6~8人を1部屋に入られました。
反抗する者には、檻のような格子天井から生石灰を水と混ぜたものが落されました。
熱くなった石灰水で肌を焼くためでした。

(ベトナム文化・スポーツ・観光省HPより)



監獄の入り口

ヴィラでは全く気にせず、ヴィラ専用の車を
運転手、ガイド付きで出してくれた。
途中でお茶出来るように
フルーツやケーキ、珈琲までガイドは持参。

うーん最早、地獄島と呼ばれたコルソン島は
監獄そのものが観光になっているのか!
コルソン島の東17kmに位置するホンカウ島で
午前中2本ダイビングし
午後2時からのんびり島巡りでもしようかと
予約を入れておいたが、
ダイビングが遅れ、ヴィラに戻ったのは2時過ぎ。
 
今も立ち続ける監視人形



【13】  状況を再現した拷問道具

ダイビングを終えた後の予定として、午後は
リゾートのオプションで行かれるプリズン跡地の見学を含むコルソン島めぐりを2時から予約していた。

ところがダイビングの時間がかなり遅れ、大慌てで帰る羽目に。
しかし、その日の島めぐりは我々だけで、スタッフは時間が遅れても嫌な顔するどころか、
ゆっくりシャワーを浴びて来てから出発すればいいとのことで、着換えてさっぱりしてから出かけられた。

冷房の利いた車に、飲み物やおやつまで用意してくれている。

先ずは2か所の監獄跡地へ。ここは現地の案内人が同行しなければ見学できないようだ。
同時に団体客が来たが、その数はかなりのもので、一緒にならないようルートを変えて巡った。
一見すると南国の太陽に屋根瓦が輝き、大きな立派な寺院のような建物にしか見えないが、
開かれた扉の内側は、当時の状況を再現した拷問道具や人形が再現され、実にリアルな様子を描き出していた。



女囚は着衣男は裸
トイレは木箱1つ
天上格子からの拷問
を行う虎の檻




鉄格子錠は外壁にも設置

冷たく堅いコンクリートのベッドに
裸で鉄環に繋がれたら、眠るなんて出来そうもない。
それがいつ果てるとも知れず続く。
にも拘らず
決して侵略者に屈しない崇高な理念を如何にして
ベトナム人は維持したのか!
ベトナム独立の為に闘った2万人の政治犯が
この島で殺されたと云う。
圧倒的な強さを誇るフランス軍、アメリカ軍をバックにした
サイゴン政権を相手に
113年間も闘い続けたベトナム人の強さにただ感嘆!

鎖で足を繋いで寝る囚人ベッド



【14】  まさに地獄の島

体育館ほどの広い部屋は、小さな明かりとりの窓のみ、
壁面に添ってコンクリートの台が作られ、そこに隙間ないほどの裸の男たちが並んでいる。
総勢
200人ほどが、足に鉄枷を嵌められ、座ったり、寝転んだりしている。
一人ひとりの表情までが細かく再現されていて、この空間にいるのが息苦しくなるほどだ。


コンダオ島の監獄では、フランス統治時代からベトナム戦争下まで100年にも亘って、
政治犯を中心に拷問を加えられ命を落とした人が
2万にも上ると云うことだ。
まさに地獄の島であったのだ。
この寝室?はまだ手始めで、その後に見学した別の監獄も含め、
囚人にとっていかに悲惨な日常が繰り広げられていたかを見学させられた。

有名な<トラの檻>も再現されている。

コンダオ島の自然がこれほど美しく保たれている理由が、
実はこの監獄島と云う事実に在ったのだと改めて慄然とした思いに囚われる。
監獄を後にして寺院に寄る。ハス池が広がる島の道では、林の中に真っ黒なリスが走る。
自然が豊かに調和して、監獄島は今、ベトナム最後の秘境と言われるパラダイスなのだ




拷問と使役の後は
再び鉄棒に足を括られ
コンクリートのベッドへ
虎の檻では石灰と
水を混ぜ発熱した泥を
落とし拷問する






政治犯への拷問

 


コンダオ博物館にも当時の
監獄島の生々しい様子が
記録されている
フランス軍の後から
アメリカ軍がやってきて
更に投獄、拷問は続く



平和を願って鳩が飛ぶ博物館

コンダオ博物館入口の壁画



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