山荘日記

その18春ー2007年皐月

 


皐月1週・・・アンブラスマン





5月4日(金)晴 奥庭にて
微笑む林檎

林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


藤村の呪われた血は
凄まじい。
父、長姉は狂死し
自らの3人の娘と妻を
病気で失い
母の過ちによって生まれた
種違いの兄の娘の
『こま子』と
近親相姦し渡仏する。

父も近親相姦の過ちを
犯したと知り藤村は
呪われた血を強く意識。

『夜明け前』は帰国後
13年を経て執筆開始。

春になって林檎の花の
紅を目にすると
微笑みに隠された藤村の
呪われた血を
見てしまう。



太陽5時33分

南回帰線から太陽が
還って来た。

冬の太陽は
小倉山の山頂から更に
西の水晶峠に昇る。
7時36分になってやっと
山荘に届く。

今朝は
それより2時間も前に
高芝山頂稜から
光が溢れ出し山荘を
炎で包んだ。

カーテンを開けたまま
眠りにつくと
最初の炎が目覚まし時計。
                      

炎が肉体に燃え移り
炎の陰影が壁に映る。
朝トレーニング前の
いつもの腹筋103回と
全身のストレッチ開始。

この炎の紅は
林檎の
花弁をも染めるのだ。
 5月4日(金)晴 最初の光



雌蕊の寂寥

洋梨が林檎に負けじと
清楚な白銀の光を
散らし始めた。

高芝山頂稜から昇る
太陽光を見つめながら
肉体を躍動させる。
汗が滴り落ち
太陽が生まれたばかりの
水滴に飛び込み
白銀の光を放つ。

窓直下の洋梨の雌蕊が
水滴に捉われた太陽を
呑み込み
妖しく揺らめく。

太陽を呑み込んでも
林檎のように
紅に染まらないのは
どうして洋梨さん?
5月4日(金)晴 奥庭にて



観葉植物幻想

アキレス腱のストレッチ
で筋を律動させながら
振り返ると
西の壁に影絵が浮かぶ。

林檎や洋梨の
花弁は太陽を捉えて
彩を発し結実を
予感させるが
白黒の明度だけの影には
生殖を喪失した
実像無き死が踊る。

出窓に置かれた
壷と観葉植物が重なり
影人を演出し
死のアンブラスマンを描く。

ふと確信に捉われる。
藤村は
《死のアンブラスマン》を
薄紅の秋の実に
見てしまったのだ。
Embrassment 5月4日(金)晴 アマルティアにて



さあ!語れ

『呪われた血』への
激しい嫌悪と
血から逃れられぬ絶望に
拮抗せんとする
凄まじいエネルギーは
「夜明け前」に収束される。

実現したはずの王政復古
は夜明けではなかった。
前でしかなかった。

打ち破られたのは
『呪われた血』
では決してなかったのだ。
あるはただ生殖の虚像
《死のアンブラスマン》

林檎の花びらが
光を浴びて託宣する。

DNA陰謀への
反逆者よ
時空を超えて真実を語れ!
5月4日(金)晴 奥庭にて



春竜胆

『うあー!すごい
あっちもこっちも
青紫の宝石がいっぱい!』

どうして今まで
気がつかなかったの?
こんなに沢山咲いて
山荘の森の底を青紫に
染めているのに。

そうか解かったぞ!
君は太陽が大好きなんだ。
早朝に森を駆け抜ける
山荘主には
見えないんだ。

だってその頃には
未だ太陽が君を
目覚めさせていないもんね。
5月4日(金)晴 椎茸の森にて



春の耕作

どっさり野菜の苗と種を
買ってきて
よく耕した西畑に運んだ。

山側の一段目の畝に
茄子とトマト
二段目に胡瓜とピーマン
それから西瓜、メロン、パセリ
鷹の爪、オクラ、南瓜。

人参、枝豆、小松菜、蕪
ほうれん草の種を蒔いて
そこで花梨の木に
ぶつかってしまった。

春にはこんなに優しい
ピンクの花を咲かせ
冬には金色の大きな実を
たわわに着けるのに
ちょっと邪魔だな。
5月4日(金)晴 西畑にて



花梨受難

風に聞いてみた。
「畑の隅の花梨だけど
南にあるんで
野菜が陰になって
少し切ってもいいかな?」

「畑は唯広いだけで
つまんないけど
一本の花梨はなかなか
いいぜ。
花梨に吹き付けると
好い匂いがするし
梢の音も素敵だぜ。
でも少しならいいかな。」

山荘主はせっせと
鋸で枝を切って。
あれあれ少しどころか
こんなに切ってしまった。
5月4日(金)晴 西畑にて



薇(ぜんまい)

前庭、奥庭の芝が
あおい芽を噴いて来た。
同時にたくさんの雑草と
蕨がにょきにょき。

新しい芝を20枚買ってきて
雑草に負けてしまった
芝を剥がして植え替える。

この芝生に蕨が出だすと
森にも山菜が
顔を出し始める。

鉄塔稜線の鞍部にも
薇の綿毛が出る頃。
朝トレで東の森を抜けて
鞍部に出てみたら
生まれたばかりの薇が
にっこり!
5月5日(土)晴 鉄塔稜線にて



水仙月の四日

一斉に芽を吹き出した森で
よく冷やした
赤ワインを呑んでいたら
賢治に逢いたくなった。

2階フロアの書架から
賢治の童話を一冊選んで
森に戻る。

さて何を読もうかな?
『狼森と笊森、盗森』も
いいけど
久々に水仙月を読もう。

山荘では最後の水仙が
咲き終わってしまったけど
北国のイーハトヴでは
未だ咲いているに
違いない。
5月5日(土)晴 森のテーブルにて



雪童子(ゆきわらす)

雪婆んごは、遠くへ
出かけておりました。

・・・
ひとりの子供が
赤い毛布にくるまってしきりに
カリメラのことをかんがえながら

・・・
すると
雲もなく研きあげられたような
群青の空から、真っ白な雪が
さぎの毛のようにいちめんに
落ちてきました。


森の中で賢治を読むと
精神のカプセルである肉体が
ゆるゆると解け出して
存在の重さや森羅万象との
境界線である肉体感覚を
失ってしまう。

赤い毛布(けっと)にくるまって
水仙月のこどもであった私は
白い本のページに溶け込む。
やがて本は森の木々に同化し
新緑の葉先から天空に流れ出す。
消えてしまった
私の意識のみが森に漂う。

6日前4月29日の森を見てご覧。
同じ森とは思えないほど
たくさんの葉が繁って・・・!
雪童子はもうこの森には
還って来られない。
遠くへ行ってしまったんだね。
5月5日(土)晴 北の森にて





皐月2週・・・春野菜の発芽



無数の細胞が激しい
新陳代謝を繰り返し
やがて
湿り気を帯びた皮膚から
透明な天体が
次々に生み出される。

透明な天体に
朝の光が差し込む瞬間に
無数の細胞は
歓びの声をあげ山荘の
プロローグを宣言する。

東の森を駆け抜け
山稜で南アルプスの
白銀の光を浴び
落葉松の森で
鹿の一群に遭遇し
再び森のテーブルが待つ
北の森に帰る。
さあ、朝食にしよう!

生命が激しく降り注ぐ
森のテーブルに
惹きつけられて3週間も
通い続けた朝のレストラン。

熱帯の果実・ドリアンで
ワインを楽しみ
賢治に逢い
去ってしまった雪童子に
想いを寄せた森。
最早遥かなる遠い過去。

遠い過去が僅か2週間前
でしかないと
熱帯で黒く焼けた顔が
告げる。
5月12日(土)晴 北の森にて




森の空が
無くなってしまった。
あれから1週間しか
経っていない同じ森とは
とても思えない樹木の繁り。
愛しい森のレストランも
今朝をもって閉店である。
葉が鮮やかな彩に
染まる秋まで
暫くのお別れ。
来週からの
朝食レストランはここ
前庭の石テーブルに
替わる。

左側の牡丹は終わって
しまったけれど
右のアイリスはこれから
最も美しく咲きそろう。

晩春の強い日差しも
楓や沙羅の木が
遮って木陰を作ってくれる。

それに何よりも花崗岩の
石テーブルが
『ひやっ』とした清涼感を
齎してくれる。
5月12日(土)晴 北の森&前庭



牡丹の嘆き

山荘を去る日に
最初の牡丹が咲いた。
急いで週間天気予報を
見てみると何と
2日後に雨とある。

『百花の王』・牡丹は
花が大きいので雨に弱く
雨の重さで倒れてしまう。
次の週末には満開の
牡丹が鑑賞出来る筈だが
雨にやられ無残な
姿しか見られないかも。

不幸にして予想は
的中してしまった。
牡丹を散らした雨が
富士を雪で覆い
銀の輝きで花弁を抱く。

テラス下の昨年と同じ位置の
牡丹と比べると何とも
無残な姿である。

だがもう牡丹は美しくある
必要はないのだ。

静かにお休み!
・・・

隣のアイリスが瑞々しい
花弁を開いた。
紫に黄の文様を施し
高雅な彩を散らす。

萎び始めた牡丹の花弁
と余りにも対照的な容姿。


アイリス詠嘆
5月12日(土)晴 前庭にて



芝の張替え

やっと芝の芽が
出てきたけどそれより
ずーっと前から
『雀の帷子』や『蓬』『蕨』
等沢山の雑草が生えて
芝刈りならぬ
雑草刈りに追われる日々。

果樹の陰になって
僅かでも日当たりの悪い
場所の芝は
雑草に負けて芝芽無し。

そこで毎年この時期に
芝の張替えを行う。
先ずカッターで交換場所の
土を方形に切り込み
厚さ5cm程にして剥がす。
面倒な作業である。
次に西畑で造っている
有機肥料に窒素、燐酸
カリュームを加えた黒土を
均して新芝を乗せる。

それから連日たっぷり水を
やらねばならぬが
週末通勤の身では難しい。

つまり中央5枚の左3枚は
ご覧のように水不足で
枯れてしまったのだ。

残念である。

庭のみならず中畑、西畑の
雑草との闘いが晩秋まで
これから延々と続く。
山荘の下僕となって
唯ひたすら汗を
流さねばならない。
5月12日(土)晴 奥庭にて



茶枝豆

発芽した新たなる生命に
出逢う瞬間は
いつでも嬉しいもんである。

芝の張替えと異なり
種蒔、苗植はその場で
直ぐ出来るわけではない。

先ず種蒔の2週間前から
耕作、石灰による土の
中和を行い土を寝かせる。

良く寝た土を畝起こしし
種蒔となるが
春は日射が強いので
畝を造ると土の乾燥が
激しく発芽しない。
そんな初歩的な事も知らず
最初は失敗続き。

で、どうするかと言うと
平らな高原のような畝を造る。
この平地面に孔を掘る。
これが春の種蒔には
欠かせない。

ここに有機肥料と
窒素、燐酸、カリュームを入れ
土とよく混ぜる。
この孔にたっぷり水を注ぎ
小さな池にする。

更にこの孔に黒土を被せて
やっと種蒔きとなる。
この種に土を乗せて散水。

その後朝晩散水し
発芽に漕ぎ着けるのだ。

ほうれん草
5月13日(日)晴 西畑にて



春蒔大根

この写真の土の違いに
気が付いたら
有機農業に
関心のある人である。

この土は地元農家が
剪定し持ってきてくれた
桃、ソルダム,葡萄の枝
と枯葉、鶏糞を混ぜて
造ったものである。

剪定枝をシュレッダーで
チップにするのが大変。
チッパー機を購入し
有機農業を始めたのが
12年前。
このチッパーはエンジンの
故障が多く、チッパーの
刃の交換も頻繁に
行わねばならず
維持費が嵩む。
枝をチップにする作業が
又重労働で1ヶ月はかかる。

この有機肥料は金と労働力の
結晶で原価が高い。
こんなもん使っていたら
とても商売にはならないのだ。

多々失敗もあるが
お店で売ってる野菜とは
味が根本的に異なる。
人参などは香りが抜群で
一度山荘産の人参を食べたら
虜になってしまう。

さて、茶枝豆は虫食いに
やられず育つかな?
ほうれん草、大根、蕪は
いつから食べられるかな?

小 蕪
5月13日(日)晴 西畑にて



ブラック・ベリー

庭の樹木に8個も
取り付けてある巣箱に
鳥が卵を産まない。

四十雀や山雀がやって来て
盛んに巣造りしていたのに
卵を産まないのだ。

四十雀は神経質で
巣が清潔でないと卵を
生まないのかも知れない。

きっと前年度の残された巣が
気に入らなくて
産卵を躊躇してるのだろう。

そこで思い切って
8個の巣箱全部の残り巣を
取り除く作業開始。

梯子を掛けて巣箱を
綺麗にしていたら
真っ赤な薔薇が2輪
その赤に対を成して
ブラックベリーの白が2輪
眩しく顔を覗かせる。

作業を中断して
思わず見とれてしまう。
牡丹や芍薬、アイリスの
華やかさに隠れて
ひっそりと
咲いていたんだね。

何だか貴重な宝物を
見つけたような気がして
嬉しくなってパチリ。


ミニ薔薇
5月13日(日)晴 西畑&奥庭






皐月3週・・・鬱の襲来



壊れた海馬

脳の蓋を開ける。
右脳も左脳もひび割れ
破壊された
神経細胞の破片が
飛び散っている。

特に右側の脳碗に散らばる
破片は破壊の凄まじさを
如実に物語る。

海神ポセイドンが乗る
4頭立ての海馬
機能を失い
最早何処への旅も不可能。

最近の研究では海馬の
神経損傷を鬱病の
原因とする仮説が
有力だとか。
5月19日(土)晴 陶房の窯



・襲来
頭上の雪富士

酷く落ち込んだ。
最早回復不能な鬱病に
捉われてしまった。
とさえ思ってしまったのだ。

きっかけは2ヶ月かけて
成型した大物作品を
4点も割ってしまった事。

大皿2点は素焼き窯詰の際
不注意で破損。
轆轤挽きした大器2点は
素焼きの温度上昇速度が
早すぎて破裂。

そんな時はログテラスで
雪富士を見つめながら
じっくり呑むに限る。
5月19日(土)晴 ログテラス



朝焼富士・山荘

雪富士を見つめていたら
鬱病の治療薬が
見つかった。

その治療薬は山頂にあると
富士が告げる。
『よし、それじゃ
明日のトレーニングは
富士山にしよう』

早速村上に連絡する。
富士登山常連の木村、大田
に山頂でひょっこり
逢うかも。

快晴の空に朝焼富士が
くっきりと浮かぶ。
山頂はー9度Cとのこと。
山荘5時40分出発。
5月20日(日)晴 テラス





五合目残雪

早朝のスバルラインは
車影無し。
80kmで快適に飛ばし
山荘から1時間20分で
五合目着。

例年5月になると
五合目終点から佐藤小屋
まで除雪が終わり
道路は開通。しかし
今年は既に20日を過ぎて
尚道路閉鎖。

積雪量は例年の4月並。
5月に入ってから
やや寒冷な日々が続き
富士では雪がどっさり
降り積もったのだ。
5月20日(日)晴 富士山五合目



アイスバーン

昼近くなってやっと
気温がやや上昇したものの
堅く凍りついた雪面には
トレースが付かない。

吹き溜まりの雪が
辛うじて靴跡を許した。
一人だけのトレースが
細々と続く。

バナナ2本、大福餅2個
ビスケット20枚、煎餅1枚
を一度に腹に詰める。
山荘でたっぷり
朝食を摂ったので更に
これだけ詰め込めば
標高差1500mの山頂まで
熱源は充分。
5月20日(日)晴 吉田大沢



左脚弁慶泣処激痛
おかしい!
プラブーツが当たる。
そういえば新しい方の靴は
前にも左脚の脛に当たり
登高不能になった事があった。

斜度が急になり
前傾姿勢をとると痛みは増す。
下降姿勢にすると
脛に掛かる圧が減少し
痛みは和らぐ。

足の接氷位置を様々に
変えて騙し騙し登るが
痛みは増すばかり。
古い方のプラブーツなら
決してこんな事には
ならないのに
クッソー!
登高断念か?
累積された痛みは
激痛に変わる。
しかし痛みは何処かに
飽和点があるはず。
問題は飽和点に
達する前に壊れないかだ。

だがこのまま下降すれば
山頂の鬱治療薬は
手に入らず
病状は進行し
脚の激痛より深刻になるかも。

気楽な山荘トレーニングとの
認識を変えて
激痛との真摯な対決を
覚悟せねば登頂は無理。

それでも登るか?
それとも下るか?
5月20日(日)晴 八合目



死の滑り台
300m滑落

九合目で西風が更に強く
吼え始めた。
耐風姿勢をとっても
時々体がふわっと
宙に浮く感じ。

左前方で鋭い叫び声が響く。
『落ちたぞ!』
縦一列に登っていた一群
の1人が加速しながら
落下していく。

此処で落ちたら
六合目近くまでノンストップ。
先週も六合目で
滑落遺体が発見された。

未熟な雪氷技術は
雪富士では即、死に繋がる。
5月20日(日)晴 吉田大沢下降



雷雲急接近

300m程滑落して
奇跡的に止まった遭難者は
右額を血に染め
蒼ざめたまま小刻みに
震えている。

『骨折、捻挫は無いか?
一人で下山できるか?』
声をかける。

『大丈夫です。
降りられると思います』

山頂を目指していた数人が
事故を目前にして
撤退を始める。

山中湖上空から雷雲が
迫って来る。
脚の激痛、遭難事故
雷雲接近と下山条件は揃う。
富士山巓火口
山頂直下の木の鳥居は
潜ったものの
強風に恐れをなしてか
山頂に向かう者は居ない。

一人山頂稜線に出ると
火口が眼下に広がる。
向かい側の剣が峰が
見慣れぬ容姿を晒す。
何か足りないのだ。

数十年も雪富士に
登り続けて
見慣れた山頂ドーム
そのド−ムが無いのだ。
撤去されて久しいのに
未だもって違和感を感じる。

この方が自然ですっきりして

気分いいのだが。
5月20日(日)晴 火口を望む



体感温度ー30度
激しい西風が右手袋を直撃し
手の甲を痺れさせる。
まさか5月下旬の富士が
此れほど寒くなるとは
思ってなかった。

手袋はアラスカ犬橇で使った
古いアクリルボア1枚。
右手の甲の冷たさより
左手の指5本の先端が
強風を受けて痛む。

久しぶりの凍傷の危機に
ヒマラヤが甦る。
この程度の痛みでは
指先は白くなるが精々
凍傷一度。
どうと言うことは無い。
とか言っても体が
耐風姿勢で傾いてるね。
風速36m
Tシャツの上に長袖とセーター
羽毛ベスト
更にゴア上下を着ているが
強風が体温を奪う。

5月下旬の強烈な太陽が
燦々と降り注ぐ中で
これだけ着ても寒い。

山頂では風を遮る山稜も無く
寒風が吹き荒れる。
山頂石柱に身を寄せて
写真を撮る。

体感温度は
風速1mで1度下がる。
現在の山頂気温が零度近く
上昇していても
体感温度は−30度Cより低い。
5月20日(日)晴 山頂石室



1人だけの山

どんなに強風が
吹き荒れようと誰も居ない
山巓はいいもんだ。

山頂ケルンは氷の鎧を纏い
厳めしくぶっきらぼうに
立ち尽くし無愛想。

あんまり無愛想だから
ピッケルを氷の鎧に架けて
アクセントをつけてやった。
そしたら
『ふん!
脚が痛いだの何だの
ごちゃごちゃ泣き言並べて
やっぱり来たのか!
それですっきりして
鬱病ともおさらばか!』
凍てつくモノリス
『甘く見るなよ。
加齢と共に鬱病は増えて
15〜7人に1人は鬱病に
なるんだぞ。
あの野性的な作家
ヘミング・ウェイも鬱に勝てず
猟銃自殺しただろ。
英国首相チャーチルも
自らの鬱を
《私の黒い子犬》と呼んで
苦しみ抜いたのさ。
創造性と鬱は紙一重
なんだぞ』

おいおい!
この凍てつく
山巓にも
生き延びられる鬱病菌が
居るって言うのかい?
5月20日(日)晴 山頂ケルン



雪童子の刻印
雪焼

《鬱は希望の喪失》

駄目だ!こりゃ!
この眼は最早
遠い世界を彷徨って
心此処に在らずだ。

折角あの雪童子に逢って
富士山頂で抱き合って
再会を喜んだのに。

自分の顔を鏡で見てご覧。
雪童子と
抱き合った跡が顔に
くっきりと残っているだろう。

これが鬱病の
治療薬だったのに
最早効かないのかい?
夕焼富士・山荘

13時33分下山開始。
1時間10分で吉田大沢を
一気に下降。

それから3時間後には
テラスで山荘ビアを傾け
村上と乾杯!

つい数時間前
残照に映える雪の
山巓に
立っていた肉体を追想。

あの左の影と右の光が
抱擁した頂点で
途方に暮れて佇んでいた
小さな肉体が
いとおしい。

海馬に神経損傷を負い
迷いつつ悩みつつ
小さな生命の旅は続く。
5月20日(日)晴 山荘テラス
来月のヒマラヤ計画は
潰れたが

一週間後の27日には
珊瑚海で
マンタを追っていると言う。

きっと山荘主は
鮪のように動きを止めたら
死んでしまうのであろう。










明日からヤップ島まで、ちょっと出張です。
      マンタの島とも言われるヤップでマンタの交尾を追ってみます。






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