1634ー2019年  水無月

  Contents  
《A》 ヤスール火山・陽のあたる修羅
《B》 黒魔術・緊縛裸婦彫像の謎
《C》 エイとの戯れ・海の独白
《D》 サント島、タンナ島・消された緊縛
≪ C≫ エイとの戯れ海の独白

エファテ島からタンナ島へ向け離陸 
一気に7千km飛行
8時間ノンストップで
 

常に活動し続けていないと
仙人の肉体労働組合は
直ぐ不満を訴え
ゼネストをも辞さぬと脅す。

司令塔であるお粗末な脳も
呼応して、≪このまま
動かずにいたら痴呆症になって、
その上狂ってやるからな≫
なんぞと仙人に
激しく活動することを迫る。

そんな状況下に在る仙人が
飛行機の小さな座席に
縛り付けられ
離陸から着陸までの時間を
入れると9時間にも及ぶ
拘禁に果たして
耐えられるのだろうか!


せめて給油の為に
途中で他国の飛行場に立ち寄り、
2時間程拘禁から
開放されれば
トランジットルームで筋トレ、
ストレッチなどして
労働組合やお粗末な司令塔を
騙くらかすことも出来るが・・・。

懼れていたその飛行機も
小型の12人乗りYJ-AV12で
飛行時間も50分となり、
晴れていればれば大違い。
低空で珊瑚礁を
掠めて飛ぶとなればこりゃもう、
飛行機大好き人間に変身。

輝く積雲を掻い潜りながら
南太平洋のサファイアを
睥睨し、島々をホッピングする。
実に愉快だね!


島そのものがサファイアの如き光に!



ニューカレドニアからバヌアツへ

落日と共に1時間の飛行
僅か1時間のフライトであるが
国際線なのでビア、ワイン、食事も出る。
地元ワインを傾けながら、
夕焼けを観ていたら最早バヌアツ。

メラネシアン・ホテル2階の
部屋に入ると窓から
生バンドでバヌアツのダンサーが、
踊っているのが丸見え。
日曜日には特別ショーが開かれるのだ。


さてショウを愉しむ前に
19時30分で閉店となるスーパーで
食料の買い出しを・・・。
とポートビラで最大つまりバヌアツで
最も大きなAu Bon Marcheに出かける。

ホテルを出て左に進む。
未だ陽が落ちたばかりなのに
通りに人影はなく暗い。
野菜、果物の序に地元ビアでも買って
呑もうかと冷蔵庫を覗くと
ドアに鎖が掛けられ、販売時間終了とか。

南太平洋諸国では
地元民のアルコール依存症を
防ぐため販売制限してるんだったっけ!

エファテ島へ

首都ポートビラ上空


エファテ島からはセスナ機で島々へ飛ぶ
スピリチュアル・サント島へはYJ=AV73、定員73人

メラネシア人は友好的な人々が多いが、特にバヌアツの人々はとても人懐こく親切である。

スーパーで地元ビアが買えなかったので、生バンドを聴きながら日本から持参した大吟醸とワインを愉しむ。
翌日は朝一番のフライトでサント島に向かうので、特別ショーが終らぬうちにベッドに飛び込んだ。
翌朝ホテル5時出発、髭剃りの間もなく国内空港に駆け付けたが、チェックインしてからの待ち時間に髭剃りでもと・・・。

剃刀を取り出し剃り出すと、図体の大きなメラネシア人が寄ってきて手招きする。
何処へ行くのかと着いていくと、照明もない暗い通路を通ってズンズン奥へ奥へと進む。
何と着いたところはトイレ。確かに待合室近くにもトイレはあるのだが、国内空港のトイレには鏡が無い。
鏡の在るトイレはそのトイレのずーっと奥に在り、一般の観光客には解らないのだ。有難う!



タンナ島へは小型YJ-AV12で

パイロットに宜しく!(座席左1、右2で定員12人)
サント島を案内してくれた
運転手サム・ウエルにも驚いた。
これからカヌーに乗ると云われ
靴を脱いでボートに乗ることになった。

ボートに乗るには当然ながら
川に入らねばなぬが、
サンダルなんぞ持ってこなかった。
アレっ、そんなの聴いてないな。
空かさずサム・ウエルは自分の
サンダルを脱いで、どうぞと差し出す。


 と此処までは良くある話し。
実はこれから川を遡って行く
ブルーホールは出発点で、この先も
サンダルは必需品。

次のブルーホールへ向かう時、
サンダルを返そうとしたが、
履いてていいと云う。
だって車を運転するのに裸足では
ブレーキもアクセルも
踏み難いのではと押し返したが、
頑として受け付けず。

結局ホテルに戻るまで裸足で、
サム・ウエルは
ジープを運転し続けたのだ。 
 
隣の仏人女の子は日記に熱中
 
今日の乗客は8人か!


ようこそバヌアツへ!
空港の猪牙:国旗、国章に描かれる富と繁栄のシンボル

ふーん、こいつが国旗に描かれている猪の牙か!と牙に登った。
どうやったら牙と調和のとれるポーズになるかなと、あーだ、こーだ、彼方此方に足を掛けたり手でぶる下がってみたり。
遠く離れた芝生の向こうから女の子が走って来る。
「何してんの!すごーく面白そう。一緒に登ってもいい!」

フランス語で喋りまくりながら駆け寄って来たのは、≪You and me Nronger together≫と書かれたTシャツの女の子。
≪ぬざろんじゅらんさんぶる≫Nous allons jouer ensemble.と言ったのだろうが、聴きとれたのはアンサンブルだけ。
 ≪あんさんぶる≫といやー、一緒に遊ぼうに決まっていると仙人も大歓び!
でも≪あなたと私、一緒に≫は解るがNrongerが解らない。rongerだけなら仏語で齧るとかしゃぶるとかだけど
Nなんて着いたら英語にも仏語にもないぜと、電子辞書をチェックする仙人。

どうですかこの女の子の、ちょっと得意げな嬉しそうな笑顔から零れるスペクトル。
視覚可能な虹を超えて宇宙の彼方まで届きそうなスペクトル!



早速トライ!進んでるね(ヌメア)

空港に携帯充電用のペダル卓あり(ヌメア)

13年前の滞在先Casaだ!
 
ヌメア市内図

今回はCasa近くのボーリバージュ泊 



浜辺のバニアンに登って、さて何処に行くか!

 
観えたのは水族館だ!



村雨紋柄(ムラサメモンガラ)
Lagoon triggerfish

熱帯蓑笠子 ネッタイミノカサゴ
Spotfin Lionfish 

小波奴 サザナミヤッコ
Pomacanthus semicirculatus

紋花蝦蛄 モンハナシャコ
Mantis Shrimp 

五色海老 ゴシキエビ
Painted Spiny Lobster

眼鏡持の魚 ナポレオンフィッシュ
Humphead wrasse

眼鏡持の魚 ナポレオンフィッシュ
Humphead wrasse

眼鏡持の魚 ナポレオンフィッシュ
Humphead wrasse

尾黒目白鮫 オグロメジロザメ
Gray reef shark 
 
   
霞鯵 カスミアジ
Bluefin trevally 
 
皮剥 モガラカワハギ
Clown triggerfush 
 
亜細亜胡椒鯛 アジアコショウダイ
Spotted sweetlips

スティングレー
Southern stingray
 
浪人鯵 ロウニンアジ
Giant trevally
 
スティングレー
Southern stingray



でかい!ナポレオンの瘤
 

ラグーン水族館は珊瑚も見事!


 
サント島の中心街ルーガンビル
リーフは波荒くミリオンダラーへ

巨大沈船目指して出発! 

上下逆の沈船ラダー

ひっくり返ったトラック!

大きなタイア


巨大沈船:プレジデント・クーリッジ号(全長201m、幅25m、総重量22000トン) 


タイアの装甲車?

錆びついた鉄砲

キャタピラー!

小判鮫載せた海亀
DVサイトのマップは無いのか?
と問い合わせたら
コーラルキーがグーグルマップに
サイト名を記して
メールで送って来た。

1カ月程サント島のDVサイトを
ネットで漁ったが出てこない。
これじゃ潮流の方向、
速度、潜水深度、水温、位置情報も
事前には解らぬまま
潜ることになる。

今までそんな情報を
要求するダイバーは居なかったのか、
急遽サイトマップを
作成して送ってくれたのだ。

2本目はシンディ-ズリーフを
予定していたが
リーフの在るアオア島に打ち寄せる
波が高いので、
ミリオンダラーに変更してくれないかと
イスキオが申し出る。

で、2本連続して戦争の傷跡DV
となったのである。

 

沈船を棲家にしてるのかな!
 
沈船の食器樽から食器拝見!

ワインの瓶もあるぜ! 




機雷で沈んだプレジデント・クーリッジ号

1942年10月25日の真夜中、クーリッジはニューカレドニア国のヌーメアから5500人の兵士と乗員を乗せて出発した、
海は凪、晴天、戦争中とは思えない静かさ、兵士達にとって平和そのものに見えていただろう。
サント島近く自国の駆逐線が日本の潜水艦の存在を匂わせてきた
身方の船が1隻も近くにいないクーリッジの船長はただただ早くサント島に船を連れて行きたかったに違いない。
5500人の命と基地とソロモン戦に必要なありとあらゆる機材、ジープ、トラック、大砲、ライフル、マシンガン、爆弾、食料に薬品などが
隙間無く積み込められていたのだった。

其のときのクーリッジの船長は軍人では無く、クーリッジが進水されてから勤めていた民間の船長だった。
船会社は思わしくばクーリッジが戦争に生き残れば無事に帰ってくるようにと彼を船長にすることを軍に約束させたのだ、
しかしこの決断がクーリッジを悪運に導いてしまった。
前にお話したとおりサント島は最前基地になっていたが当時100隻もの船が留まっていたそのサント島の港を日本の潜水艦から守るため、
サント島と近くの島をつないだ機雷の網がはぐりめらしてあったのだった。
1箇所だけあった安全な水路の場所はいつも変えていたが民間人であったクーリッジの船長にはその機雷網があることが到着前までに伝われていなかった。
安全な水路の入り口でクーリッジを待っていたパイロットボートはそんなこととは露知らず
、クーリッジが15ノットの速さでまっすぐ機雷網に突っ込んでいくのを見て、
すぐ無線で「待て、今あなたの船は、、、」、遅かった、無線連絡が終わることなく
機雷にまともに当たってしまったのだ。
船長はすぐ後進させたが2万トンの船が15ノットで走っていたらそう簡単には止まれない。
そのまま進み
2発目の機雷に当たってしまった。船長は船が沈むのを食い止めようと岸に乗り上げた。

最初の兵士への命令は「船を放棄しろ!」だった、そして次の命令は「船は沈まないから明日帰ってきて個人物を取りに来い」だった。
残念なことに彼らはクーリッジが乗り上げた岸は水深3メートルから40メートルのなだらかなドロップオフだったのだ、
乗り上げていた部分は船の船首分4分の1でしかなかった。
オーダーを聞いた兵士達は冷静にライフジャケットを着て自分の降りる順番が来るのを待っていたが,機雷で開いた穴からどんどん水が入っていき
救助の船が来ていたが、船が傾き始めると兵士はオイルだらけの海にどんどん飛び込んだ。

クーリッジは左舷を下に船尾から沈み、最後の最後まで救助に当たっていた軍のキャプテン・ユーウッドと共に
最初の機雷に当たってから
45分で水中へ消えていった、
残るのは水面に上がってくるたくさんの泡、水面に広がるオイル、救助された兵士を乗せた船だけだった。
あともう少しで港だったのに。クーリッジの船長とアメリカ軍の悔しさが思われる。
Ads by Yahoo! JAPAN より




深いので予備タンクを左脇に抱えて

計3本のタンクで潜降

エア減少しタンクが浮く

イスキオは背中に2本のタンクを背負い
更に左に1本抱え、計3本もの
空気タンクを持って潜降。
今までレジャーDV限界の
水深40mを超えるダイビングを
数回体験したが、
潜水中にタンク交換したことは無い。
2本もの予備タンクは、
何を意味するのか?


コーラルキーのイスキオ(ezequiel)

深くなればなる程、
空気の消費は増し深度40mでは
5気圧(kg/㎠)となり
1分間に5倍の空気を要する。

1気圧下で毎分20ℓの空気を
消費するので
水深40mでは100ℓもの空気が
必要となる。
200気圧、12ℓのタンク1本では
2400ℓとなり、単純計算すると
24分間生きていける。


タンク交換じゃ!

しかし潜降、浮上、安全停止で
10分以上の時間が必要となり、
更に42mでの最大無限圧潜水時間は
10分となっており、
実際は10分程度が潜水限界となる。
したがって深い潜水には予備タンクは
不可欠なのだ。

ヤバイ!背中のタンクが外れた。
空に近づきタンクの浮力が増し、
ベルトから離脱してしまった。
焦る!空かさずガイドが予備タンクを
仙人に渡す。
予備タンクのオクトパスを咥え、
新たな空気を吸い込む。

2本もの予備タンクを
ガイドが抱えていた理由は
これだったのか!
しかし仙人のダイブコンピューターは
デコ・ストップを告げていない。
残留窒素もレベル5で
警告段階まで達していない。

つまり潜水そのものは問題無かったが、
タンク・ベルトの締めが甘かったと
云うことなのか!

やばい!赤マークに近いぜ!


エイとのは何処へ
巨大沈船プレジデント・ク―リッジ201mの翳から突然巨大エイが現れぬかと期待してたが・・・!

1万名もの米海兵隊員を載せた巨大エイは、バヌアツから何処へ向かうのか!

幼い頃の耳に残っている、救い難き絶望的な響きを伴った昏い戦争単語に【ガダルカナル】がある。
1941年の真珠湾奇襲攻撃、太平洋戦争突入、その7か月後の6月には早くもミッドウェー海戦で大きなダメージを受け、
更に2か月後の8月には、ガダルカナルで米国海兵隊員の奇襲攻撃が行われ島は壊滅へと向かう。
既にミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻と搭載機290機を失い、更にガダルカナルで兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失った。
【ガダルカナル】の戦いは攻守の転換点となり、以後日本軍は3年後の敗戦へと虚偽の報道を重ね国民を欺きつつ、
軍人230万人、一般人80万人の屍を累々と重ねつつ、墜落していく。
(この太平洋戦争での他国の死者は総計で2000万人以上。バヌアツの人口24万人の100倍以上の人々が死んだのだ。)


バヌアツのサント島は米兵の最前線基地として10万人近くの米人を迎え、1晩で2倍にもなったと云う。
ソロモン諸島の制空権を確保すれば米国とオーストラリアの連携を遮断出来ると、日本軍はガダルカナル島に飛行場を建設。
アメリカ軍上陸直前の1942年8月5日には滑走路の第1期工事が完了したが、その2日後8月7日には、
オーストラリアの支援を受けた米国海兵隊第一海兵師団の10,900名の海兵隊員が、ガダルカナル島テナル川東岸付近に上陸。




この作戦にガダルカナル島南東800kmに位置するサント島は、欠かせない島であったのだ。
クーリッジ号が自国の機雷に掛かって沈没したのは、ガダルカナル攻撃の2か月後の10月。
最初に潜水したのは5500人が乗船していたこのクーリッジ号。
2回目のダイビング・サイト≪ミリオンダラー・ポイント≫は、クーリッジ号が沈んでから3年後の1945年の戦争終結後に、
米国がサント島に放棄したブルトーザー、トラック、作業機器などの捨て場。
当時のバヌアツ政府に米国は購入を持ち掛けたが、断られたとか。その交渉値段が百万ドル(ミリオンダラー)だったのか!

度量が小さいと云うか汚いと云うか、散々利用させてもらったのだから無償で提供してやればと思うが、
バヌアツが独立したのはそれから35年後の1980年で、当時は英仏が統治。
無償で提供すれば英仏の利益となり、米国としては面白くなかったのであろう。
巨大エイの眼を観よ!明らかに嘲笑っているぜ!



Next