161の2ー2019年 卯月
花見仙人のシエスタ 満開の日米交配種の李(ソルダム)の花に眠る とうとうくたばったか仙人め! いや待てよ、微かに息してるぜ。 それどころか何やらぶつぶつ独り言ちているぜ! 孟春 草木長じ 屋を遶りて樹扶疏たり 衆鳥は託する有るを欣び 吾も亦吾が廬を愛す 既に耕しては亦た已に種ゑ 時に還りて我が書を讀む 窮巷は深轍を隔て 頗る故人の車を迴らす歡言しては春酒を酌み 我が園中の蔬を摘む —抜粋編集:陶淵明、讀山海經其一 不在なる桃源郷の宴 2019年4月 14日11時山荘集合 ≪春になり草が延び樹木が茂り鳥が巣作りし山荘はいいな!畑を耕し山荘では読書を愉しむ 車も来ないし 畑の野菜を摘まみに酒を酌み交わす≫ 中国の魏晋南北朝時代の詩人・陶淵明(365~427年)は「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれ、 優雅なる隠逸者であるかの如く思われていましたが、決して存在しないと知りつつ敢えて桃源郷を謳ったのです。 仙人も不在と知りつつ≪桃源郷の宴≫なんぞを夢見ているようです。 さてこの仙人の≪お便り≫を馬車別当は、いったい誰に届けてくれるのだろか! |
ザイルで確保しつつより高みへ! 2連梯子を最大迄延ばすと 3.7m×2=7.4mとなるが、それでも 欅の中段までしか届かない。 雪の穂高で亀裂が入り使命を終えた登山靴を、 中段から更に上の幹に取り付けるには、 2連梯子の最上段に乗って そこから木登りせねばならない。 前庭から西畑迄段差が2m程在るので 欅の木登り中に墜ちると落差は10m以上になり、 重傷もしくは死に至ると覚悟せねば! 事故を防ぐにはセルフビレーをとることである。 |
宴の準備は前庭アートから ヒマラヤ遠征登山で仙人が散々使い古した2重登山靴は 2年前に栗田陽介君が雪の穂高を登攀中に バリリンと割れてしまった。 こいつを棄てるなんて忍びなくて、とても出来ない。 そこで山荘で一番高い前庭の欅に固定し、 いつでも眺められる様にオブジェにしたが、風でブラブラ。 宴開催を機に思い切ってより高みへ再固定しようと 危険な作業に着手したのだ。 |
雲に迫るぜ! |
チェーンソウを引き上げ |
ビレー支点は当然ながら 登攀者の上部でなければならず、 そうなるとその支点までどうやって登るか? 先日目白細川庭園で庭師は パチンコを使っていた。 鉄砲玉に細紐を付けて 上部の幹の間に打ち込み、 二股幹を潜り抜けた細紐にザイルを結び、 |
エンジンを掛けて! |
反対側の細紐を引いて ザイルを通しビレー支点にするのだ。 山荘にはパチンコを打ち込む 発射装置が無いので、 ザイルに石を結び着け 投げ上げたらどうだろうか? |
先ず枝を切り落としから靴を固定 |
と梯子の最上段に 乗ってザイルを結んだ 石を投げようと試みた。 僅か数メートルの高さでしかないが、 とても危なくて右手を振り上げただけで バランスを失い落下しそう。 |
更にもっと高みへ 固定具を外してから新たに靴を固定 落下防止のビレー支点をとる作業で墜落しては目も当てられない。 直ぐ断念し解決策を模索。 曲がった棒があればその先にザイルを結び、梯子の最上段から棒を延ばし 曲がった先からザイルを引けるのでは? 仙人瀧のアーチに使った3m程の塩ビ管を思い出し、 やってみたら一発でクリア。 これで当分の間、登山靴は風なんぞにビクともしない。 |
あらまあ、いつの間にかテラスが! 朝の汽車に乗って駅に着くと、 別当さんは待っていてくれました。 その上、手を合わせ「いらっしゃいませ」と言うのです。 えー暫く会わないうちに 随分感じが良くなっているな。 その上私の荷物に気付いた別当さんは 鼻をクンとさせ「荷物は後ろに。」と 入れてくれるのでした。 大事に持ってきたサザエに 気が付いたのかもしれません。別当さんはご機嫌です。 カーナビが2台も付いた青いジープが お気に入りなのでしょう。 青いジープは細い道をぐんぐん上っていきます。 懐かしい山荘への道です。 この場所にまたどうして来たのでしょう。 別当さんからのお手紙は きっかけにしか過ぎませんでした。 どうして来てしまったのかを探りたい。 これが今回来訪の目的のような気がしてきます。 |
ようこそ仙人テラスへ! ずいぶんと暖かくなってきました。 ところが、私が庭で桜の木を見上げていると、 急に冷たい風がビュと吹いてきました。 それと一緒にお便りが届きました。 「明日来てくさい。忘れ物しないでくさい。 駅の道で待てます。」このへなちょこ文字は 久々に別当さんからの手紙です。 明日っていつ?忘れ物って?どこの駅の道? 相変わらずわからない事ばかりです。 でも私が行かなければ別当さんは ずっとそこで待っている事になるのかもしれません。 いくら感じの悪い別当さんでも それでは可哀想に思いました。 私は明日行ってみることにしました。 |
ガンダーラが迫りますね! |
一番来たがったのは足でした。 正確には足の裏。 森の土を踏みたがって踏みたがって 止められません。 足の裏の反乱です。 他の森も歩いてはみましたが、 何か物足りません。 私の足の裏は肥満した本体を無視し、 山荘の森を渇望するのです。 |
ティンプーの修羅か! |
だからといって (はい山に登れるように 訓練いたしましょう)とい うようなヤワな本体ではありません。 足の裏の渇望を知らぬふりして 日々呑気に暮らしていたのです。 それなのに反乱軍は勢力を伸ばし、 サザエをカバンに詰め、 駅の道までの 切符を購入し来てしまいました。 ここまで来たならもう本体は どうにでもなれの心地です。 |
タキシラの遺跡だったな! |
ベナレスの壺か! |
像の下の壺はサールナートだったか! |
もう一つ気になることも・・ 山荘主さんはどうなっているのか。 混沌となってHPが開けません。 それに風の便りではなにやら 山荘には仏陀がいるらしいのです。 混沌の中で山荘主さんも 仏陀もどうなっているのか気になり 足を踏み入れます。 山荘は長らく不義理をしている私を 以前のように迎え入れてくれました。 でも何かが変わっている。 と思っていると、 山荘主さんがやってきました。 |
ペシャワールか! |
黄色の僧衣を身に着けています。 「山荘主さんご無沙汰しています。」 と声をかけると、 「私はサマタキッティクンです。」 と手を合わせて言うのです。 「はい?申し訳ありません。 もう一度おっしゃって下さい。」 すると、 (やはりこいつは1回ではだめなのか。) というような顔をして今度は 「私は仙人のサマタキッティクンです。」 と言うのです。 |
山荘下は桃と李の春爛漫! |
直立不動人と 跳ね上がる躍動人が共に 春爛漫を謳う 4月14日(日)曇 山荘下 あーめんどうくさい、 サマタ何とかに仙人まで 付いているではないか。 これ以上聞くと、名前は ますます長くなりそうなので、 私は「はい、仙人様 よろしくお願いいたします。」 と言っておきました。 (やはりこいつは物覚えが悪い) と烙印を押されたようですが、 さすが僧衣を 纏っているだけあります。 優しく微笑んで山荘内を 案内してくれます。 わー、何もかもスッキリしている。 |
春爛漫の海に漂う山荘 |
日常的なモノの少ない山荘は 元々魅力的だったのですが、 今はモノの一つ一つが 美しく存在し無駄がありません。 その上イオにもベランダが出来て、 部屋から直接裏の森が見え 気持ちのいい事 といったらありません。 イオの壁を見ると、仏陀が 掛かっています。 (これかな、山荘に 仏陀がいるというのは。) 仏陀がいると聞いた時は 庭に石でできた座像でも 設置したのかな。 と思っていましたが、期待が 大き過ぎたように思いました。 ところが、リビングに通され、 いつものように窓から 外の景色を堪能しようと思った時、 もの凄い存在感で 私を引っ張る物がありました。 仏陀でした。 |
法蓮草収穫中(この拓真君(手前)のアングル中島修隊員にそっくりでは!) |
花見散歩に出発! |
想像を遥かに超えた仏陀でした。 六角ナットでできた 大きな仏陀の頭、 こんなモノがあるなんて 誰が想像できたでしょう。 そしてそれはタイから 遠路やってきたらしいのです。 いつも驚くばかりの山荘ですが、 これには驚愕!! 何があったのか?HPを見れば わかるのですね。 という事で見てみましたよ。 |
未だ3分咲きかな! |
タイは仏像国外持ち出し禁止の国です。 にもかかわらず何と 税関では不問に付されて、 重量制限に引っかかっただけ というおかしな対応。 これも仙人様の法律の目をかいくぐる という修行の賜物なのでしょうか。 当の仏陀はそんな事は なんでもないのだよというように 微笑んでいます。 |
仏陀サマタキッティクンの前で! |
チベットの絵の前で ここに来たかったのだと言っています。 この二つとも主題は 仏教であるはずなのに既存の 仏教の臭いが全くしません。 仏陀の頭もチベットの絵も更には 木星の絵も山の石も・・・ 全ての物がここに来るべくして 来たのだと実感します。 昔からそこに居場所が あったかのように居るのです。 |
昼飯抜きで待ってた宴じゃ! |
そしてどう見ても 統一感など無さそうなのに、 総てから原始の力を感じさせてくれる。 不思議な空間。 そんな贅沢な空間で 仙人様はお茶を出して下さり 「どうぞ御心のままに ごゆっくとお過ごし下さい。」 というではありませんか。 |
寒いし雨模様だし室内へ |
熊蜂出現!(山荘ぶどう畑の菜花) あんなにスリムなのは霞を食べて生きてるの? これは幻?そもそもホントに仙人? そんな事を想いながら仙人と書かれたカップのお茶を飲み干し、 龍の居る池を見るとそこには 仙人とはっきり書かれています。 やっぱり仙人なんだ。 そんな山荘で過ごし、日頃使わない筋肉を使ったせいで 身体のあちこちに思い出が残りました。 私の足は裏山を踏みしめる事が出来て喜んでいます。 |
それなのにご自分は庭へ、畑へ、2階へ・・ 時間を惜しむように動いていられるので 声をかける事もできません。 なんだか異空間をワープできるアリスの白うさぎのようです。 動き続ける、これも仙人修行の一つなのか。 しかし修行が終わったから仙人になったのではないのかな。 黄色の僧衣の裾を翻しアチコチに現れるのは、 雲に乗って移動してるの? |
今春最初の黄揚羽蝶(村上撮影:小倉山頂直下) |
嘗ての遠征隊員も膝や足首の手術で登山は難儀 4月13日(土)晴 小倉山頂14時47分 よくぞ登ったね!とても嬉しいと手放しで歓ぶ仙人 何という穏やかな優しい眼をしているのだろうか! 下山中に踝を複雑骨折しヘリ救助され、難しい手術を余儀なくされ、復帰までに数年も掛った村上さん、 同じく下山中に膝を傷め手術後の登山は殆ど出来なくなり、山荘に来ても ハイキングコースのような大菩薩嶺にも登れず、登山口で皆の下山を待っていた岩本さん。 その2人が山荘から桃源郷を逍遥し長い途を歩んで、小倉山の頂に立ったのだ! 手術後に≪もう山には登れないかも知れない≫と思った時の2人の哀しみを想うと、この穏やかな優しい眼が解る様な気がする。 揺らぎの無い確たる熱情と想いさえ抱き続ければ、山荘の山・小倉山は待っていてくれる。 不在なるユートピア・桃源郷が在るとしたら、美と安寧が誘う歓びを描く、眼下に広がる桃源にでは無く、 苦しみを超えて登りつめた山巓にこそ、在るのではないか! と、語っているかの様な2人の微笑みであった。 |
自らの≪ゆーとぴあ≫を叩き壊せ!
西畑の菜花と麗峰 |
座禅草も青々と! |
山荘下の桃はこれから開花 |
ゆーとぴあ(utopia)とは ギリシャ語でou(無)とtopos(場所)を 組み合わせた単語で、 何処にもない場所を意味するとか! トマス・モアがラテン語で著した 「ユートピア」ではEutopiaとも |
久々の座禅峠です |
表記されているので、 接頭語eu(良い)の意味も含ませ ≪良いけど何処にも無い地≫と wikipediaには記されている。 序にwikipediaを拾い読みすると 以下の文章にぶつかる。 |
法蓮草の収穫 |
ユートピアの崩壊後に 姿を現すものが桃源郷。 西洋のユートピア思想は 悲惨な管理社会を生み出し潰え去った。 また東洋も二千年以上前に、 韓非子の思想に支えられて現れた 秦帝国の専制支配とその崩壊によって、 同様の道を辿った。 モアのユートピアは「夢想郷ではなく、 普通の人々が努力して 築き上げた社会主義国家」なのである。 一方で桃源郷は、 「理想社会の実現を諦める」という理念を示す。 ユートピアとは、結局のところ、 唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による 全体の知と富の共有は、 たしかに反するものが存在しないという意味で 平和で理想であるだろうが、その実現には 人間的なものや自由をすべて完全に 圧殺しなければ実現しえないことを 明確に表したものであり、 理性以外のすべてをそぎ落とした 果てにあるものの 機械的な冷酷さを表したものである。 |
茹でて宴の菜に! |
拓真君大活躍! |
あたしらも畑しようか! |
ユートピア崩壊後の桃源郷を微睡む 為すこともなく大地を耕しては眠る仙人 仙人のお便り≪不在なる桃源郷≫とは、そんな処に人は棲んでなんか居ませんよ!との意味を超えて、 自らの≪ゆーとぴあ≫を叩き壊せ!悲惨な管理社会から強要される他者思考を殲滅し大地に還れ! とでも云ってるのか! どうにも困ったもんで、仙人の≪お便り≫を届けた馬車別当にも意味が解らんとか! でさ、≪お便り≫は誰に届けたんだろうかね! 門一ぱいに当たっている、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶった紗しやの帽子や土耳古の女の金の耳飾や、 白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れていく 一瞬の眠りから覚めた杜子春にだろうか? そうか、ユートピアの崩壊した仙人の遠い記憶に届けたのか! つまりこの桃源郷の須臾の眠りには、杜子春や趙行徳が旅した峨眉山や西夏が背景を為し、 仙人が目覚めると入口を塗り込められた莫高窟や≪とても仙人にはなれはすまい≫とのお告げが待っているんだ! |
遠い記憶・仙人の旅した地 |
或春の日暮です。
唐の都
若者は名は
何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、
門一ぱいに当たっている、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶった紗しやの帽子や土耳古の女の金の耳飾や、
白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れていく
しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を
空には、もう細い月が、うらうらと
その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでゐるのでした。
霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目
(芥川龍之介:杜子春より抜粋)
趙行徳が進士の試験を受けるために郷里・湖南の田舎から都・開封へ上がってきたのは仁宋の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった。
・・・その時、趙行徳は夢から覚めた。・・・行徳の眼に最初に映ったのは、木箱の上に置かれた分厚い板の上に横たわっている、
1人の女のむき出しにされた下半身であった。・・・・・女は一糸まとわぬ姿で横たわっているのであった。
(井上靖:敦煌より抜粋)