1612ー2019年  卯月

見仙人のシエスタ
 満開の日米交配種の李(ソルダム)の花に眠る

とうとうくたばったか仙人め! いや待てよ、微かに息してるぜ。
それどころか何やらぶつぶつ独り言ちているぜ!

孟春 草木長じ 屋を遶りて樹扶疏たり 衆鳥は託する有るを欣び 吾も亦吾が廬を愛す
既に耕しては亦た已に種ゑ 時に還りて我が書を讀む
 窮巷は深轍を隔て 頗る故人の車を迴らす歡言しては春酒を酌み 我が園中の蔬を摘む

抜粋編集:陶淵明、讀山海經其一

不在なる桃源郷の宴
2019年 1411時山荘集合
になり草が延び樹木が茂り鳥が巣作りし山荘はいいな!畑を耕し山荘では読書を愉しむ 車も来ないし
畑の野菜を摘まみに酒を酌み交わす≫

中国の魏晋南北朝時代の詩人・陶淵明(365~427年)は「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれ、
優雅なる隠逸者であるかの如く思われていましたが、決して存在しないと知りつつ敢えて桃源郷を謳ったのです。
仙人も不在と知りつつ≪桃源郷の宴≫なんぞを夢見ているようです。
さてこの仙人の≪お便り≫を馬車別当は、いったい誰に届けてくれるのだろか!


ザイルで確保しつつより高みへ!

2連梯子を最大迄延ばすと
3.7m×2=7.4mとなるが、それでも
欅の中段までしか届かない。
雪の穂高で亀裂が入り使命を終えた登山靴を、
中段から更に上の幹に取り付けるには、
2連梯子の最上段に乗って
そこから木登りせねばならない。

前庭から西畑迄段差が2m程在るので
欅の木登り中に墜ちると落差は10m以上になり、
重傷もしくは死に至ると覚悟せねば!
事故を防ぐにはセルフビレーをとることである。

宴の準備は前庭アートから

ヒマラヤ遠征登山で仙人が散々使い古した2重登山靴
2年前に栗田陽介君が雪の穂高を登攀中
バリリンと割れてしまった。
こいつを棄てるなんて忍びなくて、とても出来ない。

そこで山荘で一番高い前庭の欅に固定し、
いつでも眺められる様にオブジェにしたが、風でブラブラ。
宴開催を機に思い切ってより高みへ再固定しようと
危険な作業に着手したのだ。

 
雲に迫るぜ!

チェーンソウを引き上げ

ビレー支点は当然ながら
登攀者の上部でなければならず、
そうなるとその支点までどうやって登るか?
先日目白細川庭園で庭師は
パチンコを使っていた。

鉄砲玉に細紐を付けて
上部の幹の間に打ち込み、
二股幹を潜り抜けた細紐にザイルを結び、

エンジンを掛けて!
反対側の細紐を引いて
ザイルを通しビレー支点にするのだ。
山荘にはパチンコを打ち込む

発射装置が無いので、
ザイルに石を結び着け
投げ上げたらどうだろうか?


先ず枝を切り落としから靴を固定 

と梯子の最上段に
乗ってザイルを結んだ
石を投げようと試みた。

僅か数メートルの高さでしかないが、
とても危なくて右手を振り上げただけで
バランスを失い落下しそう。 

更にもっとみへ
 固定具を外してから新たに靴を固定
 
落下防止のビレー支点をとる作業で墜落しては目も当てられない。
直ぐ断念し解決策を模索。
曲がった棒があればその先にザイルを結び、梯子の最上段から棒を延ばし
曲がった先からザイルを引けるのでは?

仙人瀧のアーチに使った3m程の塩ビ管を思い出し、
やってみたら一発でクリア。
これで当分の間、登山靴は風なんぞにビクともしない。




あらまあ、いつの間にかテラスが!

朝の汽車に乗って駅に着くと、
別当さんは待っていてくれました。
その上、手を合わせ「いらっしゃいませ」と言うのです。
えー暫く会わないうちに
随分感じが良くなっているな。

その上私の荷物に気付いた別当さんは
鼻をクンとさせ「荷物は後ろに。」と
入れてくれるのでした。
大事に持ってきたサザエに
気が付いたのかもしれません。別当さんはご機嫌です。
カーナビが2台も付いた青いジープ
お気に入りなのでしょう。
青いジープは細い道をぐんぐん上っていきます。
懐かしい山荘への道です。


この場所にまたどうして来たのでしょう。
別当さんからのお手紙は
きっかけにしか過ぎませんでした。
どうして来てしまったのかを探りたい。
これが今回来訪の目的のような気がしてきます。
ようこそ仙人テラスへ!

ずいぶんと暖かくなってきました。
ところが、私が庭で桜の木を見上げていると、
急に冷たい風がビュと吹いてきました。
それと一緒にお便りが届きました。

「明日来てくさい。忘れ物しないでくさい。
駅の道で待てます。」
このへなちょこ文字は
久々に別当さんからの手紙です。
明日っていつ?忘れ物って?どこの駅の道?
相変わらずわからない事ばかりです。

でも私が行かなければ別当さんは
ずっとそこで待っている事になるのかもしれません。
いくら感じの悪い別当さんでも
それでは可哀想に思いました。
私は明日行ってみることにしました。



ガンダーラが迫りますね!



一番来たがったのは足でした。
正確には足の裏。
森の土を踏みたがって踏みたがって
止められません。

足の裏の反乱です。
他の森も歩いてはみましたが、
何か物足りません。
私の足の裏は肥満した本体を無視し、
山荘の森を渇望するのです。


ティンプーの修羅か!

だからといって
(はい山に登れるように
訓練いたしましょう)とい
うようなヤワな本体ではありません。
足の裏の渇望を知らぬふりして
日々呑気に暮らしていたのです。

それなのに反乱軍は勢力を伸ばし、
サザエをカバンに詰め、
駅の道までの
切符を購入し来てしまいました。
ここまで来たならもう本体は
どうにでもなれの心地です。


タキシラの遺跡だったな!

ベナレスの壺か!

像の下の壺はサールナートだったか!

もう一つ気になることも・・
山荘主さんはどうなっているのか。
混沌となって
HPが開けません。
それに風の便りではなにやら
山荘には仏陀がいるらしいのです。

混沌の中で山荘主さんも
仏陀もどうなっているのか気になり
足を踏み入れます。
山荘は長らく不義理をしている私を
以前のように迎え入れてくれました。
でも何かが変わっている。
と思っていると、
山荘主さんがやってきました。


ペシャワールか!

黄色の僧衣を身に着けています。
「山荘主さんご無沙汰しています。」
と声をかけると、
「私はサマタキッティクンです。」
と手を合わせて言うのです。
「はい?申し訳ありません。

もう一度おっしゃって下さい。」
すると、
(やはりこいつは1回ではだめなのか。)
というような顔をして今度は
「私は仙人のサマタキッティクンです。」
と言うのです。






山荘下は桃と李の春爛漫!
直立不動人と
跳ね上がる躍動人が共に
春爛漫を謳う
4月14日(日)曇 山荘下 

あーめんどうくさい、
サマタ何とかに仙人まで
付いているではないか。
これ以上聞くと、名前は
ますます長くなりそうなので、
私は「はい、仙人様
よろしくお願いいたします。」

と言っておきました。
(やはりこいつは物覚えが悪い)
と烙印を押されたようですが、
さすが僧衣を
纏っているだけあります。
優しく微笑んで山荘内を
案内してくれます。
わー、何もかもスッキリしている。

 
春爛漫の海に漂う山荘

日常的なモノの少ない山荘は
元々魅力的だったのですが、
今はモノの一つ一つが
美しく存在し無駄がありません。
その上イオにもベランダが出来て、
部屋から直接裏の森が見え
気持ちのいい事
といったらありません。

イオの壁を見ると、仏陀が
掛かっています。
(これかな、山荘に
仏陀がいるというのは。)
仏陀がいると聞いた時は
庭に石でできた座像でも
設置したのかな。


と思っていましたが、期待が
大き過ぎたように思いました。

ところが、リビングに通され、
いつものように窓から
外の景色を堪能しようと思った時、
もの凄い存在感で
私を引っ張る物がありました。
仏陀でした。


法蓮草収穫中(この拓真君(手前)のアングル中島修隊員にそっくりでは!)



花見散歩に出発!
想像を遥かに超えた仏陀でした。
六角ナットでできた
大きな仏陀の頭、
こんなモノがあるなんて
誰が想像できたでしょう。

そしてそれはタイから
遠路やってきたらしいのです。
いつも驚くばかりの山荘ですが、
これには驚愕!!

何があったのか?
HPを見れば
わかるのですね。
という事で見てみましたよ。


未だ3分咲きかな!

タイは仏像国外持ち出し禁止の国です。
にもかかわらず何と
税関では不問に付されて、
重量制限に引っかかっただけ
というおかしな対応。

これも仙人様の法律の目をかいくぐる
という修行の賜物なのでしょうか。
当の仏陀はそんな事は
なんでもないのだよというように
微笑んでいます。


仏陀サマタキッティクンの前で!

チベットの絵の前で
ここに来たかったのだと言っています。
この二つとも主題は
仏教であるはずなのに既存の
仏教の臭いが全くしません。
仏陀の頭もチベットの絵も更には
木星の絵も山の石も・・・

全ての物がここに来るべくして
来たのだと実感します。
昔からそこに居場所が
あったかのように居るのです。


昼飯抜きで待ってた宴じゃ!

そしてどう見ても
統一感など無さそうなのに、
総てから原始の力を感じさせてくれる。
不思議な空間。


そんな贅沢な空間で
仙人様はお茶を出して下さり
「どうぞ御心のままに
ごゆっくとお過ごし下さい。」
というではありませんか。


寒いし雨模様だし室内へ




熊蜂出現!(山荘ぶどう畑の菜花)

あんなにスリムなのは霞を食べて生きてるの?
これは幻?そもそもホントに仙人?
そんな事を想いながら仙人と書かれたカップのお茶を飲み干し、
龍の居る池を見るとそこには
仙人とはっきり書かれています。

やっぱり仙人なんだ。
そんな山荘で過ごし、日頃使わない筋肉を使ったせいで
身体のあちこちに思い出が残りました。
私の足は裏山を踏みしめる事が出来て喜んでいます。
それなのにご自分は庭へ、畑へ、2階へ・・
時間を惜しむように動いていられるので
声をかける事もできません。
なんだか異空間をワープできるアリスの白うさぎのようです。

動き続ける、これも仙人修行の一つなのか。
しかし修行が終わったから仙人になったのではないのかな。
黄色の僧衣の裾を翻しアチコチに現れるのは、
雲に乗って移動してるの?


 
今春最初の黄揚羽蝶(村上撮影:小倉山頂直下)


嘗ての遠征隊員も膝や足首の手術で登山は難儀
 4月13日(土)晴 小倉山頂14時47分 よくぞ登ったね!とても嬉しいと手放しで歓ぶ仙人

何という穏やかな優しい眼をしているのだろうか!
下山中に踝を複雑骨折しヘリ救助され、難しい手術を余儀なくされ、復帰までに数年も掛った村上さん、
同じく下山中に膝を傷め手術後の登山は殆ど出来なくなり、山荘に来ても
ハイキングコースのような大菩薩嶺にも登れず、登山口で皆の下山を待っていた岩本さん。

その2人が山荘から桃源郷を逍遥し長い途を歩んで、小倉山の頂に立ったのだ!
手術後に≪もう山には登れないかも知れない≫と思った時の2人の哀しみを想うと、この穏やかな優しい眼が解る様な気がする。
揺らぎの無い確たる熱情と想いさえ抱き続ければ、山荘の山・小倉山は待っていてくれる。

不在なるユートピア・桃源郷が在るとしたら、美と安寧が誘う歓びを描く、眼下に広がる桃源にでは無く、
苦しみを超えて登りつめた山巓にこそ、在るのではないか!
と、語っているかの様な2人の微笑みであった。

 

らの≪ゆーとぴあ≫を叩き壊せ!


西畑の菜花と麗峰

座禅草も青々と!

山荘下の桃はこれから開花

ゆーとぴあ(utopia)とは
ギリシャ語でou()とtopos(場所)
組み合わせた単語で、
何処にもない場所を意味するとか!
トマス・モアがラテン語で著した
「ユートピア」ではEutopiaとも


久々の座禅峠です

表記されているので、
接頭語eu(良い)の意味も含ませ
≪良いけど何処にも無い地≫と
wikipediaには記されている。
序にwikipediaを拾い読みすると
以下の文章にぶつかる。


法蓮草の収穫
 
ユートピアの崩壊後に
姿を現すものが桃源郷

西洋のユートピア思想は
悲惨な管理社会を生み出し潰え去った。
また東洋も二千年以上前に、
韓非子の思想に支えられて現れた
帝国の専制支配とその崩壊によって、
同様の道を辿った。

モアのユートピアは「夢想郷ではなく、
普通の人々が努力して
築き上げた
社会主義国家」なのである。
一方で桃源郷は、
「理想社会の実現を諦める」という理念を示す。
ユートピアとは、結局のところ、
唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による
全体の知と富の共有は、
たしかに反するものが存在しないという意味で

平和で理想であるだろうが、その実現には
人間的なものや
自由をすべて完全に
圧殺
しなければ実現しえないことを
明確に表したものであり、
理性以外のすべてをそぎ落とした
果てにあるものの
機械的な冷酷さを表したものである。


茹でて宴の菜に!
 
拓真君大活躍!

あたしらも畑しようか! 


ユートピア崩壊後の桃源郷を微睡む
 為すこともなく大地を耕しては眠る仙人

仙人のお便り≪不在なる桃源郷≫とは、そんな処に人は棲んでなんか居ませんよ!との意味を超えて、
自らの≪ゆーとぴあ≫を叩き壊せ!悲惨な管理社会から強要される他者思考を殲滅し大地に還れ!
とでも云ってるのか!
どうにも困ったもんで、仙人の≪お便り≫を届けた馬車別当にも意味が解らんとか!

でさ、≪お便り≫は誰に届けたんだろうかね!
門一ぱいに当たっている、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶった紗しやの帽子や土耳古の女の金の耳飾や、
白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れていく
洛陽で
一瞬の眠りから覚めた杜子春にだろうか?
それとも進士の試験を受けるために郷里・湖南の田舎から都・開封へ上がってきた趙行徳に?
開封で一瞬の眠りから覚めた趙行徳は全裸の西夏の女を買い、敦煌の莫高窟へと連なる西夏に向かう。

そうか、ユートピアの崩壊した仙人の遠い記憶に届けたのか!
つまりこの桃源郷の須臾の眠りには、杜子春や趙行徳が旅した峨眉山や西夏が背景を為し、
仙人が目覚めると入口を塗り込められた莫高窟や≪とても仙人にはなれはすまい≫とのお告げが待っているんだ!


 遠い記憶・仙人の旅した地



 或春の日暮です。
 唐の都
洛陽らくやうの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。
 若者は名は
杜子春とししゆんといつて、元は金持の息子でしたが、今は財産をつかつくして、その日の暮しにも困る位、あはれな身分になつてゐるのです。
 何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来わうらいにはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。
門一ぱいに当たっている、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶった紗しやの帽子や土耳古の女の金の耳飾や、
白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れていく
容子ようすは、まるで画のやうな美しさです。
 しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を
もたせて、ぼんやり空ばかり眺めてゐました。
空には、もう細い月が、うらうらと
なびいた霞の中に、まるで爪のあとかと思 或春の日暮です。

 その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでゐるのでした。
霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になつた所が、
とても仙人にはなれはすまい。
片目
すがめの老人は微笑を含みながら言ひました。
(芥川龍之介:杜子春より抜粋)


趙行徳が進士の試験を受けるために郷里・湖南の田舎から都・開封へ上がってきたのは仁宋の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった。
・・・その時、趙行徳は夢から覚めた。・・・行徳の眼に最初に映ったのは、木箱の上に置かれた分厚い板の上に横たわっている、
1人の女のむき出しにされた下半身であった。・・・・・女は一糸まとわぬ姿で横たわっているのであった。

(井上靖:敦煌より抜粋)


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