仙人日記
 
 その1221ー2016年  睦月

1月1週・・・ヘリコプターによる竜ヶ岳山頂直下の救出作戦

ホイスト救助山梨県消防防災航空隊≪あかふじ≫出動
竜ヶ岳山頂直下にて負傷・脛骨、腓骨複雑骨折&脱臼
 2016年1月1日 9:06 晴

時間も早いし天気もいいし、このまま帰るのは勿体無いから、
次は三つ峠に登って、じっくり富士山を愉しもう!
と竜ヶ岳山頂から下り始めたが、動き出すと羽毛のベストを着ていては
流石に暑くて堪らん!
山頂でダイアモンド富士を撮影するには欠かせなかった羽毛ベストを脱いで、
先行した村上を追う。
あれ、凍てついた登山道に人が倒れ、人垣が出来ているでは!



携帯の位置GPSで確認しました

降下します
まースニーカーは未だしも、
明らかに登山に適さない
街靴を履いて、
ザックも背負わず手ぶらな輩が
うようよ登っているのだから、
氷道で滑って怪我人が出ても、
然もありなん!
と怪我人を覗いて吃驚!
倒れているのは、
アイゼンを始め冬装備に
身を固めたベテランの村上では!
既に他の登山者により
ヘリの救助要請が
なされている最中で、
現在山梨県警は
ヘリの手配中だとか。

県警、レスキュー隊と交信しながら

8:09救助ヘリ要請後40分で到着



救助ヘリにストックを振り合図
 
「左踝が全く動きません。
明らかに捻挫程度では無く、
骨折してると思います」との村上。
そこに都立広尾病院の
若い整形外科の医師が通りかかり、
靴を脱がせ診断。
「骨折してますね。
脱臼もしていて手術
しなければならないでしょう」
とのこと。

ホバーリングし隊員降下
 

骨が剥き出しになっていれば即、
緊急手術が必要だが、
幸い骨は露出してないので、
医師が出てくる4日まで
応急処置だけで
このまま待つことに決定。

従って入院せず一旦家にに戻って、
都内の病院で手術をすることになる。
差し当たり
脱臼のみ引っ張って元に戻す。
・ 
劇的な2016年の幕開けじゃ!
外科医と同行してる
看護師らしき女性が手際よく
添木となるプラスチック製の板を
ザックから出し手当。
携帯で県警と連絡を取ると、
この今使っている携帯には
GPS機能は付いてるかとの質問。
直後に、県警応答。

「解りました、そちらの携帯の
現在位置を捉えました。
竜ヶ岳山頂直下ですね。
今即ヘリをそちらに向かわせます。
10分後の8時50分頃には
そちらに着きますので、
ヘリが観えたら
大きく手を振ってください」 
7分後には機体が現れ、
上空に、ぴたりホバーリング。
ヘリから1隊員が降下し
状況を観て更に応援要請し計2名で
左足を副木固定し吊上げる。
一緒に乗って欲しいと云われるが、
下に車があるので
搬送先病院を教えてくれれば
駆けつける
とのことで了解をとる。

 搬送先の県立甲府中央病院の
救命センターで村上と再会。
脛骨と腓骨を骨折、
踝の脱臼で手術せねばならぬが、
元旦なので
手術スタッフを揃えることは出来ない。

左脚に副木を当て吊上げ準備

コースタイム
1月1日(金)晴

竜ケ岳(1485m)、本栖湖から東尾根
18045歩.12km631m、 503kca
l(1日の計)

山荘発4:35→竜ヶ岳登山口5:50、登山開始6:15→山頂7:40、発8:05
→ヘリ救助要請8:09→ヘリ赤富士発進8;40、現場着8:50、救助終了9:05
県警への報告9:07→下山開始9:15→駐車場着10:05県立甲府中央病院着12:15、発12:55

山荘着13:35
 山荘竜ヶ岳登山口迄57km、復路67km(往:1時間15分、復:3時間30分)



 
土に覆われ氷の観えぬ斜面で転倒し左脚骨折


櫓を組むような形と言われました。
脱臼したところがズレてるので
骨が重なった状態。
それを元に戻すらしい。
骨折状態もかなり細かく砕けてるようです。

また踵の骨もバラバラで一部が飛び出してる。
つまり粉砕骨折とでもいうのでしょう。
  本日の手術は
切り開くのではないので、
却って難しい部分あり、神経や靭帯、
骨そのものも
割れるなどそういう損傷を受ける
可能性も排除出来ない。

でもこの手術避けて治しようはないみたい。
また、これで牽引状態からは解放され
松葉杖で動けるようになりそう。
1、2週間後に現在の
腫れと水疱が治ってから、
改めて本格的に
骨を繋ぐ手術になるでしょう。
5日後の遭難者は語る
村上映子
1月6日(水)曇 8:20警察病院からのメール

今朝は夜明けの月は見えたものの、
今は空が薄く雲に覆われてます。
午後1時から手術です。
今回は4本の金属棒のようなものを通して
両側に突き出る形にし、
そこへワイヤを止め引っ張るような感じらしい。


レスキュー隊員もう1名を要請 



どうしました?整形外科医です
 
脛骨、腓骨が折れてますね
すぐ入院できてたら
ここまで酷く
ならなかったのでしょうが、
新年だったのは不運でした。
どちらにせよ、
骨折の状態の酷さから、
元通りにはならないことも
覚悟せざるを得ないと思いました。


どんな形にせよ、
自力で歩けるようになりたいと、
今は手術が少しでも
良い結果になること祈るだけです。
勿論上手くいけば、
夏のアルプスを目標
にしたいところですがね。
 
脱臼もしてます

とても動ける状態ではありません 



その心を覗くと苦痛と不安に苛まれ、生の不条理に押しつぶされそうな悲鳴すら聞こえてきます。
生きてることが不条理であるなんて、
頭では理解出来ていても、自らの肉体が直面すると、どんなに狼狽えることか!
しかし、であるからこそ、苦痛と不条理を超克した時、
歓びは深く心象に刻み込まれ、生きることの意味が,鮮やかに甦るのかも知れません.
クレバスへ落下し、雪崩に襲われ、岩壁から墜落し、
それでも山巓を目指した日々が、重なります。


OK間もなくヘリが来ます
○○○○病院の△△△△です、携帯に私の番号入れておきました

実は拒否されたのだ。
「いや、医者の義務ですから、名前など訊かないでください」
「いやそういう訳にはいきません、是非名前だけでも教えてください。」
と数回押し問答し、やっと私の携帯に△△氏の携帯番号を入れてもらったのだ。
医師としての誇りと歓びに溢れた若々しい素顔が、きらきら煌めいていた。

我が隊のヒマラヤ遠征に隊員として同行した京大の医師も、慈恵医大の医師も
それなりにヒマラヤへの夢を持ち、
そん所そこらの医師とは比べ物にならない輝きを秘めていたが、
この若者の放つ光とは異なっていたように思う。
村上氏の遭難に哀しみながらも、この若者の放つ光との出逢いに心打たれたのである。

(ネットに実名が曝されたら如何なる災厄に見舞われるか、一度被害にあった者なら
身に染みて理解できる。しかし今回の若き医師の善意は、
実名で伝えることによって、信憑性に裏打ちされた事実として共感を生み、
人間い対する新たな希望が見いだせるのでは!
なんぞと相も変わらず能天気な希望的観測を抱いたが、医師本人から拒絶。残念ならら○と△にせざるを得なかった。
これこそが本物の善意なのであろう)
 


△△△△様
人間関係が益々希薄になり、互いに不信感を募らせ、
アパシーや憎悪の蔓延る昨今で、
△△様の心からの善意を目の当たりにし、
人間未だ捨てたもんじゃないな、と嬉しく思いました。
医者の義務と言い切り寒い中、
ヘリ到着まで面倒みて戴き心底感謝してます。
ありがとうございました。

山荘の太陽がいっぱい詰まった枯露柿を贈ります。
夏の太陽で育ち、冬の陽で蕩ける蜜になり
とても甘くなりました。
2016年1月3日第2回収穫)

山に興味おありかと序に当隊の山の報告書を同封しました。
ご笑覧ください。詳しくは以下のHPでご覧ください。

http://www.geocities.jp/upiter4773/20150606/
検索:
新仙人日記でも開けます
2016年1月4日 坂原忠清


竜ヶ岳山頂からのダイアモンド富士
2016年1月1日7:45快晴 雲は飾りフレーム 

山梨県消防防災航空隊様
富士吉田警察署地域課長・清水一人様

1月1日午前8時50分、竜ヶ岳山頂直下で救助していただいた村上の同行者・坂原と申します。
その節は真にありがとうございました。
膝骨、腓骨骨折と診断され現在手術待ちの状態です。
お蔭さまで命に別状なく、素早い対応に感謝しています。
心ばかりのお礼に山の仲間達で作った枯露柿を送らせていただきます。
皆さんで召し上がって戴ければ幸いです。

2016年1月4日 坂原忠清



初日の出近し 6:57
冬山登山であっても
出来る限りアイゼンを着用せず、
氷や雪とのバランス技術を
肉体に刻む訓練を課してきた。

アイゼンを失った時、
生きて帰るには欠かせぬ
バランス感覚を、常に
身に着けるよう努力してきた
筈なのである。

僅かに染まる 7:43

山頂を覆う熊笹の彼方から初日 7:45

雪雲の後ろから光が 7:45
アイゼンは持参したが、
今回の土を被って摩擦係数が、
大きくなった氷斜面では、
当然アイゼンの使用は控え、
培ったバランス感覚で
登下降するのが、
我々にとっては当然の行為であった。

2016年最初の太陽 7:45




山頂の古木に寄りそう村上

従って村上も転び慣れていて、
滑落転倒しても、
反射神経が作用し瞬時に最も安全な
防御態勢がとれる筈なのだ。
 山荘での朝夕の山トレーニングでも
敢えて急斜面を選び、
急に滑り落ちるときの、肉体の反射神経を
養ってきた。

 
古木に跨り高く脚を上げる坂原



北岳 竜ヶ岳山頂より

仙丈ケ岳 竜ヶ岳山頂より
いったい村上に
何が起こったのだろうか?
捻挫くらいなら未だしも
脛骨、腓骨を折り、脱臼し
更に折れた骨が粉砕状態あるとは
半端ではない。
如何ほどの圧力が
村上の足を襲ったのか?
全体重が掛ったとしても
村上の体重では、
高が知れている。

それとも圧力だけでなく
足の曲がり具合が、
骨折し易い最悪の位置に
在ったのだろうか?

赤石岳&小赤石岳 竜ヶ岳山頂より

南アルプス 眼下本栖湖



娘の恭子さんがお迎えに
1月2日(土)晴 山荘ゲート

看護師の娘の恭子さんが
昨日は夜勤明けで、
昼間は車の運転は危険。
そこで翌朝つまり今朝
迎えに来ることになり、
昨夜は足を氷で冷やしながら
村上さんは一夜を過ごす。

幸い右足は無事なので
ストックを突いてちょんちょんしながら、
どうにか動ける。
明日3日の陶芸活動を
期待していた馬淵達には悪いが延期。


後部座席をベッドにして

突如差し込む曙光が生み出した明と暗
1月2日(土)晴 7:47(竜ヶ岳山頂からの初日の2分後) 山荘テラスから

凍てついた大地に触れて涙するかのように、大気中に霧を放ち、
秘かに雲の海を成していた谷間の闇が目覚めた。
小倉山の水晶峠を越えて夜明けの光が突如、放射冷却による霧を切り裂く。
闇と光の世界が、刹那の生と永劫の死を鮮やかに描き出す。
いつだって、そんな風に遍満する永劫の闇を知りながら、一筋の光が敢然と立ち向かっていくんだ。
一筋の光になりたいね。



山頂はい人だかり

左足がしっかり大地を踏みしめ、
再び山巓を目指す日が来たら、
どんなにか嬉しいだろうか!
その一点だけを見つめて、
苦痛に耐え苦難を乗り切って!
1月7日(水)晴 目白から

やっと復活への途が切り拓かれ始めたね。
自然の治癒力を頼りに
今ある医術の限りを尽くして、
再生への闘いが展開されるんだ。

 
テントも彼方此方に



再生への長ーい旅

1月4日(月)東京警察病院入院、6日(水)第一回目手術(創外器固定)、1月21日(木)第二回目手術(粉砕骨の結合),2月8日(月)退院


自らの足のイリザロフの創外固定器を撮影した村上 撮影:村上

従来の骨折治療

骨が折れたら、ギプスやネジ、
ワイヤなどで外側あるいは内側から、
患部をくっつくように固定するのが通常のやり方です。
骨が欠損した場合は、別の骨を移植します。
イリザロフ法は、
こうした従来の常識とは
まったく違う発想から生まれた治療です。

創外固定器
1月8日(金) 東京警察病院から 村上映子

凄い写真が送られてきた。
骨に金属ボルトを埋め込み、手術後に創外固定器と云う
このとんでもない櫓を組み立て骨を引き離すらしい。
引き離された骨は、仮骨を造り
やがて失われた骨が再生されてしまうと云うのだ。
おー、何という術じゃ!コペルニクス君も吃驚!

 
左右をボルトで固定し牽引し仮骨の育成を待つ 撮影:村上



健気に前向きであろうとしてる姿が、観える様で嬉しくなりました。
確かに拭っても拭っても拭い去ることのできぬ闇が、
ここぞとばかり損傷した肉体を衝いて襲い掛かって来るのですから、
一瞬の怯みが、闇との拮抗を瓦解させてしまう恐れあり。
時には闇なんて存在しないかの様な、なりふり構わずの過剰演技も辞さずに
闘い続けねば。

と云うかもっと積極的に、これぞ絶好のチャンスと肉体と精神の総力を結集して、
今の自分に何が出来るのか、果敢に挑戦してみるべし
唯一人、交信も脱出も出来ず、あの山巓直下の絶望的なクレバスの中で、
何度も自分に言い聞かせた言葉が甦ります。

 今日、今、こうして生きていることに感謝し、健気に休むことなく活動し続けている 60兆の我が細胞戦士たちを
路頭に迷わせぬ為にも、作戦を展開すべし!

まさか身長すら伸ばしてしまうあの奇跡の手術法を編みだした
ガヴリル・アブラーモヴィチ・イリザロフ君が作戦に加わっているなんて、驚きだね!




骨をボルトで固定し隙間を作る創外固定具

骨を再生させる「イリザロフ法」

患部を固定しつつも少しずつ引っ張ります。
すると骨が徐々に再生されて伸び、
血管や筋肉、神経など周りの軟部組織も形成されます。
開発は意外に古く、
ロシア・西シベリアのG・イリザロフ医師(故人)が
1951年から治療に使い始めました。

当初は効果が疑問視され、長らく埋もれていましたが、
イリザロフ医師が
スポーツ選手の治療などで積み重ねた実績が、
欧米の整形外科医らに伝わり、
80年代以降、世界的に広まりました。

 

イリザロフ法のメカニズム

骨折が治る時には、
骨のもとになる細胞や骨形成を促進する物質が
血流に乗って患部に集まり、
柔らかい「仮骨」という「骨の前段階」を作ります。
イリザロフ法は、折れた部分を少しずつ引き離すことで
仮骨をどんどん作らせ、伸ばしていくとみられています。

金沢大助教授の土屋弘行さん(整形外科)は
「小さな骨折をわざと繰り返し、骨を作る反応を
持続させるようなもの」と説明しています。
骨が伸びるメカニズムは未解明の部分が多く、
国内でも専門医が1995年から
「日本イリザロフ研究会」を作り、研究を進めています。
(最新の医療医学・情報サイトより)

 
円型にを組み骨と骨の間に隙間を作る


ステンレスを埋め込み3か所で固定
第2回目の粉粉骨結合手術
(整形外科長 原口直樹 執刀) 1月21日 

東京警察病院整形外科は10人の整形外科医師を揃えている。
1回目の手術から若手の医師が村上を担当。
しかし医師のカンファレンスの結果、2回目の手術はかなり
難しいと判断され整形外科の2名居る部長の1人、原口直樹医師が
執刀することに決定し21日朝一番に実施。

主治医から手術の説明を聞きました。
詳しいこと知るほど、
最悪の部類の骨折の様です。
外側はプレート固定、内側は
2本のネジ、踵もネジ1本で固定予定。

3ヵ所の切開。
術後、足首はかなり頻発に
感染症のリスクあるそう。
また傷口の治りが悪いことも。
いずれも傷が塞がらないと、
金属がむき出しになり、
再手術が必要。

他の部分に比べ、肉がない、
血流が滞りやすい、
汚れやすいなどの理由で
術後のリスクが起こり易いそうです。

第1回目の創外器固定手術 1月6日
将来のリスクとして、
関節の磨耗や疲れ易さなど。
改めて写真見ながら説明受けたら、
一瞬にして足首の骨が
破壊されたのだとわかりました。


その場から離れて、
初めてその場の真の輝きが観える。

入院生活の何処に輝きがあるんだ!
と叫びたくなるけれど、
少なくてもそこには余儀なき
真摯な闘いは有った筈。

自分の意思ではどうにもならぬ、
避けようの無い連綿と続く苦痛との闘い。
闘い続ける自らこそが、
輝きなのです。


手術後3か月の縫合跡と傷口 3月17日


だんだん慣れてくると、
確かに僅かでも体重掛けられると歩き易くなるのが分かる。
特に階段が断然楽に!
未だまだ練習重ねないと、上手くは歩けないけど、
これで電車にも乗れそうな気がしてきました。
駅まで歩ければ、来週から仕事復帰が可能になりそう。

僅かでも体重掛けて歩けると、
足の筋肉も付いてくるとのことです。
次回の診察は4月1日、きっとその時には
半分の体重が掛けられるようになるのかも。

未だ足首は硬くてある一定の所からは
なかなか可動域が広がらないけど、
1カ月以上もギブスで固定されていたのだから、
今の時期この程度に柔らかければ
充分に回復してるとのこと、ちょっと安心しました。
リハビリは週1で続けます。

リハビリ開始
3月17日(木)

今日から左足に体重の3分の1(17㌔まで)の
重さを掛けて歩いて良いことになりました。
ところが此れが意外に難しいのです。
リハビリ室で体重計に足乗せて、
どの程度が限度なのかを実感させられてから、

まずはバーに掴まって歩く練習。
感じが掴めたら、
2本の松葉杖を使って両足で歩く練習。
初めは恐る恐るで、なかなか体重が掛けられない。

 
紅から炎が噴き出し、その先端の漆黒に星


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