1821ー2021年  睦月


 アイベックスの迎春


山荘龍2021年元旦


謹賀新年2021 

右肺下葉手術後22日目の元旦初日出は
雪富士と対峙する三つ峠山の頂で迎えました。
大きなダメージを受けた右肺に感謝!
生きて在ることへの想いを新たにしました。

画像は手術12日後の山荘氷瀑に出現した時空仙人。
【長阪Dr、泉Drの人間性の深さに救われました!
有難うございました。】

撮影地:山荘奥庭の瀧 
撮影日:2020年12月22日 
登攀者:時空2017からの仙人 撮影者:栗田陽介
山荘は今年も年じゃ!

 丑年だって!
とんでもねえ、山荘はオイラが居る限り
いつだって龍年に決まってるだろうが!


中川隊員碑に詣でる
2021年元旦 三つ峠山



山荘発7時52分→登山口発9時00
→毛無山中川碑着10時50分→
三つ峠山着11時20分、
発11時40分→登山口発12時40分→
山荘着13時30分


ドジの連続。
デジカメ撮ろうとしたら電池切れ表示。
いつもならカメラケースに予備電池を
入れているので問題ないが、
今回に限りケースにカメラを入れず
裸でザックに詰めると云う
無神経な入れ方をしたので替え電池無し。

仕方なく望遠カメラで撮ることにし、
スイッチオンにしたら、
これまた電池切れ。

 36年・時空の記憶
ヘッドランプの電池を4本取り出し、
カメラに入れてみたが、使用中電池で
既に電圧が低下しており、
スイッチ入らず。

山荘出がけに小倉山から初日の出が、
居間に差し込んだのでデジカメと望遠で
シャッターを切っていたが、その時
電池切れ表示に気づかなかったのだ。
ドジなのはそれだけでなく、
山荘に戻りドアを開けて吃驚!

風が部屋の中から吹き出したのだ。
締めきった部屋の中から何故、
風が吹き出すのか?

竜ヶ岳からの復活

あり得ない。
居間に入って更にドッキン!
背の高い観葉植物が倒れ、
辺りに土が飛び跳ねているでは!
朝、初日の出を撮る時に硝子越しだと
鮮明度が落ちるので、
シャッターを切る前に
ガラス戸を開けたが、閉めるのを忘れ、
開け放したまま、ドアに鍵を
閉め、出かけてしまったのだ。

元旦からこの調子では、
よっぽど注意しても
1年間ミスの連続になる懼れ充分あり。
笑い飛ばすしかないかと
甘受するか、
はたまた緊張せよと叱咤激励するか!


肺手術からの復活

冬蝉になって復活をうんじゃ!




元旦の宴

細やかな肴に笹と松葉を添えて

珈琲を差し貫く光

イオの朝食

朝焼け雲の美しさに見惚れていると
「よし、今朝の朝食はイオにしよう」
と仙人の一声。
テラスでこたつテーブルの登場だと
思いながらお盆を運び上げると、
なんとイオの室内が
素敵なレストランに変貌。

丸テーブルには濃紺のクロス、
出窓の下にはサイドテーブルとして
ガラステーブルが整えられている。
なるほどこれなら真冬でも寒くない。
その上、部屋の中からでも、
葉を落とした森は広々と遠くまで開け、
斜面には一面の落ち葉絨毯が
敷き詰められ、
朝日を浴びて何とも暖かそうに視覚に響く。

反対側に座れば、
紅葉の梢の彼方に富士山が美しく、
山並みのグラデーションが続く。
ビッグツリーも葉を捨てて、
すっきりとその幹の
美しさと力強さを誇示している。


ミニ美術館に注ぐ光
どちら側に座るかで
随分雰囲気が変わるのだが、
それぞれに捨てがたい魅力があり、
途中で場所を
チェンジしてみるのも贅沢な楽しみだ。

こじんまりとした空間だが、
2
方向の窓がそれぞれに
空と森と山脈を描き出し、壁面には
大きな木星の油絵が掛かり、
その画面に呼応するような
赤い実の弦梅擬が、枝を大きく張り出し
空間にアクセントをつける。

棚や壁には異国から
運ばれた様々なオブジェ、
何処を観てもミニ美術館だ。
南側の出窓から朝の陽ざしが
さんさんと注ぎ込まれ、
部屋の中はまるで温室だ。
コーヒーのいい香りが漂い、
摘みたての緑の野菜たちが
生き生きと大皿を埋める。

プチ画廊イオ




 辺境の彼方への旅立ちと対峙
回廊に流れる悠久な歓びと絶望の追想

翡翠と見紛うほどに美しい切り口の山荘キウイが山盛りの硝子皿、林檎や苺や干し柿の赤、
真っ白なミルクとヨーグルト、こんがり狐色のトースト、すべての色彩が調和して眼にもハートにも栄養満点。
こんな素敵なレストランで摂る朝食が美味しくない訳がない。
イオには観るものすべてが美しく、味わうもの総てを美味しくしてしまう魔法がある。
この空間で時間に追われることもなく、ゆったりと朝の食事を摂ると、体も心も上質なエネルギーに満たされて、
山荘活動へと向かうのだ。
幸せな食卓が幸せな一日を約束してくれるに違いない。




―6℃の朝に咲いた花
睦月の奇跡

 熱帯の花ハイビスカスが、
厳冬期の山荘で
咲くなんてある筈がない。
室内に置いてはあるが、
外気最低気温が
ー10℃を超える山荘では、
室内とはいえ過酷な環境にある。

ハイビスカスの置いてある
カリストの部屋で暖房を点けることは無い。
従って冷え込みの激しい
夜明けの部屋は、例え二重ガラスと
カーテンに護られていても
零下になるのは間違いない。

そんな劣悪な条件下で、
本当に歓喜の聲を上げて、
花弁が開き、花芯が光を浴びて
夜明けを迎えることが可能なのか!

 
ハイビスカスが真冬に咲いた!

真夏の花サンパラソル3鉢、
ハイビスカス2鉢を、
室内に入れて冬越しさせてみようと
ふと思ったのが晩秋11月。

もうそろそろ夏の花も終わりだなと
温室に移したり、廃棄したり
庭に移植したりしたが、
サンパラソルとハイビスカスだけは、
寒さにへこたれず次々と
蕾を着け葉も繁り、
凛として熱い視線で仙人を見詰める。

寒い朝は零下になる11月に、
テラスに出し放しのハイビスカス。
それでも蕾を着けるなら、
もしや室内に入れれば、山荘の厳冬期を
乗り越えるかも。

 
 
凍てつく寒さに凛として!


寒さの増す12月になると、
ハイビスカスの1鉢が葉を落とし、
やはり駄目かと具に観察すると、
大きな葉は落ちたが、
新たな小さな葉が、春の新芽の如く
出始めているでは!

もう1鉢は葉が縮緬の如く、
皺を寄せ、必死に寒さに抗いながらも、
枝にしがみ付いている。
大きな葉の数枚は黄ばみ、落ちたが、
殆どの葉は青々とし、ありゃ、
なんと幾つもの蒼い蕾を出している。

もしやと期待に胸を膨らませ、
ー6.5℃に冷え込み、
やっと太陽の出たカリスト部屋を
覗いて観たら、咲き出したのだ。

うーん、こりゃ感動もんじゃ!

 
豊穣な乳房に連なる真の花弁
1月4日(月)晴 満月の膨らみを残し森に沈む月が真紅の花弁に!

厳冬期の寒さの中で咲くことの出来た理由があるならば、それは唯1つ。
夜から夜明けに掛けて忍び寄る鋭い寒気に耐えさえすれば、やがて太陽が山稜の彼方から昇り、
2重ガラスに覆われたカリスト部屋を暖め、25℃もの高さまで室温を上げハイビスカスを、熱帯に誘うことなのだ。 
真紅の花弁は熱帯の光を飽食し、花芯にたっぷり蓄え、熱い光への想いを懐いて夜の寒気に立ち向かう。

繰り返し繰り返し光を求めて登り詰め花芯を温め、想いを深めていく。
その深い想いがあればこそ、
冬のハイビスカスは歓喜の聲を上げることが出来るのであろう。
決して結実しない花弁の歓びは、
神々の意図する種の生殖を超越した、存在そのものとのコミュニュケーッション。



闇を突き破る最初の光を点灯

次にシヴァを導く

シヴァの果実が蠢く

蒼のトランペットが微かに響く


闇を掻き抱き、あらぬ方に
指を差し伸べ、
肉感を放つ小さな石をまさぐろうと
何度か試み、
暗中模索の果ての邂逅。

滑らかな小さな石をそっと押す。
闇に潜んでいた石が、
光に刺し貫かれ肉感を放つ。
闇と寒気の呪縛から
解き放たれ、小さな石が蠢き始める。

破壊と創造の神シヴァが、
闇の彼方で叫ぶ。
≪あたしにも光を灯して!≫
翳に閉ざされたシヴァの顔の右半面が、
蒼の光を帯びると、
蒼の光からトランペットの音色が
紡ぎだされ、
夜明けの交響曲が幕を開ける。


『宇宙の中に
存在するものは、
全て偶然と必然の果実である』
デモクリトス


音色は緩やかに登り詰め、
花弁を開き
新たな生命を生み出す儀式を整え、
爆発的な邂逅に備える。
偶然は必然の果実となって、
撓な実りへの回廊を開く筈なのだ。

だがフーリエ変換された音の
スペクトルは苛酷な実像を示す。
≪雄蕊を良く観てごらん!
黄金の花粉を光に曝してはいるが、
直角に折れて、垂れ下がり、
最早偶然を必然の
果実に高める能力を失っている。
雌蕊を抱え込み、真紅の花弁に触れ、
花弁と同化している様に
観えないかい?
音のスペクトルの基音は死んだ。
ハイビスカスは上音のみで
開花したんだ!≫



やがて音色は登り詰め

シヴァを高みへ誘う

歓喜が存在の彼方から忍び寄る

最も周波数の低い基音を
取り除いてしまって、
夜明けの交響曲は、
撓な実りへの回廊を開くことが
出来るのだろうか!

そうか、、結実という近未来との
コミュニケーションを超越した、
実り無き
回廊が開かれるのだ。


 

偶然が必然となる刹那! 
 必然は偶然に解体され、
あらゆる偶然は必然から導かれる。
偶然は必然となり
必然は偶然となり混沌に回帰する。
その刹那、爆発し生命は、
回廊から存在そのものに触れる。


決して結実しない花弁の歓びは、
神々の意図する種の生殖を超越した、
存在そのものとの
コミュニュケーッション。




 
実在しないイオテラスの
1月9日(土)晴 二重画像はペアガラスの創り出した幻像

存在していないのに確かにイオテラスには、宴のテーブルが整えられている。
皿もカップも料理もすべてデュープされ、幻像が複製を伴い存在そのものに疑いのヴェールを掛ける。
雲海を見おろす欅の大樹を、垂直に駆け登る登山靴が時を止め、
恰も記憶だけは存在していたかの、擬態を為す。

空間を光の反射によって幻像し、更にペアガラスによってデュープし、空間そのものが虚空であると宴は告げる。
ヒマラヤで酷使され最早登ることさえ出来なくなった登山靴は、抜け殻となって欅大樹に曝され、
ヒマラヤの記憶をとどめるが如く、時間を停止させ記憶の擬態を謀る。
停止された時間から刻まれた記憶を読み取ろうとする仙人は、虚空の宴の席に坐り、虚空の記憶を探る。
実在しない仙人と、時の流れをを停止し、時を失い記憶を漂白した登山靴。

 



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