その95の2のAー2013年神無月 |
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10月2週・・・紅い林檎と赤い山 |
さてどの林檎を山に持っていこうか? 10月11日(金)晴 林檎畑 |
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よしこいつに決めたぞ! 林檎畑 |
その2 来年は無いと思わないと・・・ 「来年は無いと思わないと・・」とは隊長の行動原理だ。 毎朝のトレーニングを欠かすことなく、更に畑仕事で鍛え抜いている隊長にとってさえ(だからこその自覚だろうが)、 年齢の齎す体力の衰えからは逃れられないのだという。山に登るのは8月の槍ヶ岳以来ということになる。 ・ ほとんどアップダウンの無い生活しかしていない今の私に、どう考えても無理だと諦めかける。 だけど、まさに<来年>はあるかどうかわからない。 もし私が行くなら・・あれやこれや考え、千枚小屋〜赤石小屋を1日で歩くのは難しいが、 赤石小屋2泊で赤石岳を往復、千枚岳から縦走してきた隊長と合流という形なら可能ではないか。 動いてみてそれも無理ならリタイアして、椹島で停滞ということだっていいではないかと覚悟を決めたら、 俄然南アルプスへと気持ちが飛ぶ。金曜日、山荘へ向かう。 ・ 食料品の買い出しの後、急だったので買いそびれた地図を買う。 食糧を最低限にして、なるべく荷を軽くするが、それでも3日分の行動食は少なくない。 ザックは何とか10キロ以内に収まっているようで、夏の縦走に比べれば3分の2の重さだ。 カーナビでセットすると、目的地まで3時間半くらいとのこと。天気予報も次第に良くなってくるとの予報。 |
赤石岳山頂に輝く山荘林檎 10月13日(日)晴 赤石岳山頂 |
風雪に侵食されて 時間を剥き出しにした年輪の 衣を纏った山頂標識。 鮮やかな紅玉を載せて厳めしく 天空の蒼に屹立する時衣。 ・ ほら、これが山荘の畑で 育った林檎だよ。 実はね、山荘の小倉山から この赤石岳は、よーく見えるんだよ。 ・ つまり逆に此処から 山荘の前に聳える小倉山が 見える筈 なんだけど、小さすぎて とても同定することは 出来そうもないね。 |
遂に山荘と赤石岳の山頂が 結ばれたね。 晴れた朝、小倉山の頂に立つと 山荘背後の幾つもの 重畳たる山脈の彼方に いつも輝いていた赤石岳。 ・ 冬には何度かトレーニングで 訪れたんだが ヒマラヤから遠ざかるに従い 赤石岳もすっかり ご無沙汰してしまってね。 雪の無い赤石岳にも是非 登ってみたいとは 思っていたのだが 何しろ山荘からのアプローチが 長くて、今回やっと 実現に漕ぎ着けたのさ。 ・ 山荘はあの辺に在るんだ。 覚えておいておくれ! |
富士をバックに林檎を掲げる村上 10月13日(日)晴 赤石岳山頂 |
その3 標高差を一気に2000m登って 8時半の畑薙ダムからのバスに間に合うよう、早朝3時に目覚ましをセットして、早々に眠る。 真っ暗な中を4時前に出発。さすがに道路は空いている。しかし、カーナビが選んだ雨畑林道は、 昨夜隊長がパソコンで確認したところ通行禁止中とのこと。 設定を変えてもどうしても雨畑林道へと連れて行かれる。 ・ 実際この道が使えれば、山中を通り畑薙ダムへと直結しているのだから最短距離となるのだ。 早川町で設定目的地を井川に変えることで、新たなコースが示された。 しかし時間は大幅に増え、到着予定時間が9時半。 予定の8時始発バスには間に合わず次の12時発になってしまう。 となると、本日中に赤石、千枚の各小屋へ入ることも無理なのでは、椹島泊りになるかもしれない。 明日は標高差を一気に2000m登って赤石岳に登頂しないと、14日中に下山が難しくなってしまう。 そうなるとやはり強行コースとなってしまい、不安が増す。 車は走れども少しも目的地への距離を縮めるどころか、遠ざかってさえ行く。 |
3120m迄達した林檎 |
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林檎色の標識の右横にちょこんと |
その4 秋の海の色彩を傍らに 中央アルプスの麓から一気に太平洋を目指している。 ずいぶん走って清水港の横を通り、秋の海の色彩を傍らに走る。 長いドライブのあと林道へと入っていく。すれ違うのがやっとの急カーブ続き、時々大型工事車両がやってくる。 いきなり目の前に巨大な車輪が迫り、急ブレーキと共に山腹ぎりぎりに止まった時は心臓が飛び出しそうに驚いた。 カーブを曲がりかけた時ダンプが迫ってきたのだ。まさに間一髪、同乗者以上に運転者は胆を冷やしたに相違ない。 ・ 暗いうちにこの林道は走れないと、意見が一致。初めからカーナビの案内がこの道を示していたら、 山荘を午前2時ころに出なければ間に合わない訳で、マイカーは使用しなかったかもしれない。 だが、この時期だと静岡からのバスも無いので、タクシー利用となると費用があまりに高くなってしまう。 おそらく、今回の出発は見合わせ、来年に持ち越されたのかもしれない。 その方が良かったのか、今回の山行の行方がどうにも予想し難い。 長い長い林道が続き、やっと畑薙ダムの駐車場へ到着したのが、9時半。 |
近くて遠い山なのだ! 10月11日(金)晴 山荘にて |
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ふふーん、1018hpから1024hpにも発達する 高気圧が西から張り出して 明日から3日間ほど晴天が続くらしい。 その上、赤石岳周辺の山小屋は 連休の終わり、10月14日(月)で営業終了。 ・ となるとこの週末を逃すと 来年の夏まで南アルプスの深奥の山々には 登れないと云うことになる。 最もテントを担いで登るぶんには いつだって登山可能だが 重い荷を背負って果てしもなく長い林道を 延々と歩かねばならない。 ・ この老いぼれた肉体ではとても無理。 そこで何としても明日から 南アルプスに行くべしとアクセスを調べる。 カーナビをセットしてみると 所要時間3時間で距離も僅か67km。 よしこれなら山荘を夜明けに出れば 畑薙第一ダム始発の8時のバスには 充分乗れるな。 ・ 夜中に突然気づいたのだ。 あのカーナビの地図、下部温泉の先で プッツンと切れて椹島と繋がってなかったけど 若しかすると、その先には カーナビの地図に無い林道があるのでは。 となるとその林道が現在通行可能か 調べねば。 ・ むっくり起きだしてPCのスイッチを入れて 雨畑林道を調べると、がーん! 通行止めじゃ! それじゃカーナビのルート選択を変えてと ありゃら、おんなじで変わらない。 まっ、行ってみっか! |
その5 えっ?乗れるかも! 停車中のシャトルバスと、並んでいる登山者の列。えっ?乗れるかも! と、最後尾の人に尋ねたところ、このバスはもう満員なので次のバスに乗るために並んでいるとのこと。 バスはどうやらピストン運行するらしい。 一瞬の期待は裏切られたものの、周りの人たちの話によると、8時20分発に間に合うように到着した人も、 最初のバスには乗れず待っているとのこと、どうやら我々は、 最小限の時間のロスでバスに乗れるという幸運に恵まれたのかもしれない。 広い駐車場はほぼ満車。かなりの入山者が居るのだろう。 昼食用に持参したサンドイッチや焼きそばを食べて、時間を潰す。 ・ 1時間半後、戻ってきたバスに乗る。最後尾だったが幸いにも座席が確保できた。 車窓から眺められる景観は、少し黄色みを帯び始めてはいるがまだ紅葉には早い明るい緑の森と川。 本来はもっと透明度の高い碧い水らしいが、白濁しているのは台風18号の名残らしい。 途中路肩の崩壊も見られ、台風の爪痕の深さを知らされた。 こんな山深くまでも、紅葉と碧い川の景観を求めて、10月後半には観光客がやってくるそうだ。 ・ 12時前に椹島ロッジへ到着。この時間なら、赤石小屋へ日暮れ前に到着可能であろう。 隊長も赤石小屋からの縦走に変更するという。今夜の千枚小屋は200人ほどが入るらしい。 反時計回りの千枚小屋からのコースを選ぶ人が圧倒的に多いからだ。 12時7分椹島のバスターミナルを出発。林道を越え、登山道へと入る。 私達を含め、10人前後の登山者が赤石小屋コースへ入る。初めからけっこうな登りが続く。 |
感度ありますか?こちら現在悪沢の山頂 10月13日(日)晴 悪沢岳山頂 |
解かるかい、間ノ岳の背後に 北岳が隠れているんだ。 昨年の誕生日記念に 登った北岳、間ノ岳にも 山荘林檎を持っていったんだけど あの時の林檎は もう何処を探しても居ないんだね。 ・ その前年の11月には 仙丈岳で雷鳥に出会ったね。 確かあの時も 山荘林檎を持っていって 食べたような記憶があるんだけど。 どうしてこんなにも 山荘で採れた林檎を山に 連れて行きたがるのだろうかね。 ・ やっぱり、この林檎は 賢治のあめゆじゅなのだろうか。 |
「スビダーニェ、 スビダーニェ感度ありますか? こちら現在、悪沢の頂上。 そちらの現在位置をどうぞ!」 ・ 南の赤石岳本峰に向かう村上と 小赤石岳山頂で別れて 北方の悪沢岳を目指し3時間半。 見はるかす限り全く人影は無い。 ・ 12時17分の定時交信にも その後の13時17分の 呼びかけにも村上の 応答なく心配していたのだが・・・。 赤石の東尾根と荒川岳稜線の間には 電波を遮る尾根は無いので 感度は良好な筈。 ・ 「感度有ります。前回の交信も こちらでは受信出来たのですが 東尾根の影に入ったらしく こちらからの発信が 伝わらなかったようです。 こちら現在赤石小屋に向かってます」 |
さてそれではガブリといくか? 10月13日(日)晴 小赤石岳山頂 |
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コースタイム 10月12日(土)晴〜14日(月)晴 山荘、椹島(登山口)間のアクセス 10月12日(土)4時山荘発→ 畑薙第一ダム9:20着、11:00発(シャトルバス)→椹島着12:00 10月14日(月) 椹島発11:00→畑薙第一ダム11:55着、12:00発→静岡IC→御殿場IC→須走IC→大月IC→山荘17:10着 登高コースタイム 2台のカメラを用いて3日間で約500枚の撮影を行った。撮影をしながらの行動なので実働時間はもっと短い。 |
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10月12日(土) 晴
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10月13日(日) 晴
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10月14日(月) 晴
3日間総計 59875歩、49299m、1653kcal |
その7 稜線上で風で動けず 今日のマイナス点だと隊長に指摘される。 自立した登山を志すのであれば、山に入ったら、 どんな時も油断することなく、些細なミスも許さない緊張感が必要であることを忘れてはいけない。 それは小屋泊まりであっても、未登峰でもあっても基本的な心構えは変わらないということだ。 本日の寝床はB3、1階だ。一人で1畳分くらいのスペースは確保できるので、窮屈ではなさそう。 夕食は5時40分からということで、荷物を置くとすぐに食堂へ。 ・ 豚肉の生姜焼きとたっぷりのキャベツがメインディッシュ、 大きなお椀にたっぷりの味噌汁にはサトイモやウズラの卵も入っていて美味しい。 おかわり自由でお腹いっぱい食べた。隊長は大盛3杯くらいもご飯をおかわりしていた。 小屋の従業員はとても親切で、明日の行動のアドヴァイスも親身になってしてくれる。 私は千枚岳まで足を延ばすのはきつそうなので、赤石岳の往復で明日の晩も此処で世話になりたい希望を伝える。 早い人で9時間くらい遅い人は14時間超えることもあるとのこと、無理をしないでおこう。 今日は日中稜線では強風が吹き荒れたらしい。 ・ 途中で2組ほど下山者に会ったが、一組は赤石小屋から登頂を目指したものの稜線の風に阻まれ赤石の山頂を諦めたそうだ。 別の登山者は荒川小屋を朝出て稜線上で風で動けず、倍近い時間をかけて椹島へ下山する途中だった。 早々と寝床に潜りこんだが、ときどき小屋を揺るがすような激しい風が押し寄せる。 夜中に外へ出ると、満天の星がまるで手の届きそうな近さできらきらと輝いていた。明日の晴天が約束されているようだ。 |
熊が出るぞ! 聖岳登山口 |
奥聖岳(2978m) バス車窓から |
さて聖岳に登ったのは いつだったかな? 25年前、1988年1月の記録を見ると この聖岳登山口から 聖沢に入り冬ルートである聖東尾根に 取りついている。 ・ 出だしからルートを失い 東尾根に出るまで 悪戦苦闘した記憶は残っているが まさかアンザイレンまで 強いられたとは! ちょっと記録を覗いてみようか。 |
1987年12月〜’88年1月 メンバー:坂原、田村、中島、栗田 ルート:聖沢→東尾根→ケーブル跡→聖平 →聖岳→上河内岳→茶臼岳→畑薙 聖沢コースに入った直後 杣道に入り東尾根末端の崩壊壁に 突きあたる。 激しい落石の中をアンザイレンしつつ 抜け、正規な東尾根ルートに出る。 出会所小屋まで下山し 再び登り直す。・・・ 昨年の荒天と異なり今冬は連日快晴で ラッセルも捗る。 ・・・・・略 |
さあ!明るい内に着くか 赤石岳登山口 |
急登5時間15分だ! 赤石岳登山口 |
その8 鯵の干物や納豆、みそ汁 山小屋の朝は早い。午前3時過ぎころには起き出す人の気配が伝わってくる。 長い距離を歩く人は暗いうちに出発するのだろう。 我々は5時からの朝食を摂って出ることにしているので、ゆっくり起きるが、 すでに半分以上の寝床はかたずけられている。実際朝食を食べる人は多くないようだ。 食卓に並んだのは鯵の干物や納豆、みそ汁となかなか贅沢で美味しい。朝からしっかり腹ごしらえをする。 本日の行程を確認。隊長は予定通り赤石岳から悪沢岳を経て千枚岳へと向かうロングコース。 ・ 私は赤石岳までの調子で決めようかなと一瞬欲が出たが、 小屋の人のアドヴァイスもあり、マイペースで赤石岳往復として、 余力があれば椹島へ降りてもいいということにする。必要ない荷を一部小屋に置かせてもらうことにした。 5時40分出発。もう樹林帯を歩くのにも充分な夜明けの明るさで、楽に出発できる。 登るに従い、樹幹の彼方に浮かぶ富士の肩より今朝の太陽がゆっくりと確実に深紅の光を投げかけてくる。 |
左腕を一杯に延して自分撮りじゃ! 東尾根上部 ゆっくり登っていたのだが、 いつしか同じバスで来た登山者は総て後方に去り 誰も居なくなった。 やがて前方に2人の登山者が現れたので 訊いてみるとどうやら 1本前のバスで入山した先行者だとか。 ・ その先はもう誰も見当たらず 折角の新品標識を入れて写真を撮りたいが 自分で自分を撮るしかない。 左腕を伸ばせるだけ延し親指をシャッターに掛け さあ、撮るぞ! |
小気味良いほどの見事な急登。 殆ど下降無しでぐんぐん高度が稼げる。 標高1120mの椹島から2564mの赤石小屋まで 標高差1444mの登高時間は5時間15分。 ・ しかしこの無駄の無いルートなら 飛ばさなくても3時間半もあれば登れるとの 判断は正解であった。 12時10分に椹島を出て3時間半後の15時40分に 赤石小屋に着いた。 聖岳に夕陽が沈む前で、紅く染まった ラオフェンをじっくり堪能出来た。 |
奥聖岳に架かる残照ラオフェン 赤石小屋前から |
遙かなり東尾根 赤石岳稜線からの小屋 |
3時間半で着いたぜ! 赤石小屋 |
太陽光パネルを屋根に載せ 紅葉真っ盛りの森に 輝く赤石小屋。 赤石稜線から見下ろすと 天空に浮かぶラピュタを連想させる。 ・ 赤石岳の赤い石が シータの碧い石に代われば ペンダントの赤い石は突然光を放ち、 ラピュタ人が使っていた といわれる伝説の石になって ラピュタの在りかを指し示すのだ。 ・ さあ、天空のラピュタに着いたぜ! |
夕食に焼肉が出たので 「えっ、山小屋で焼肉とは贅沢な」と 驚いたがまさか朝食で 下界の和風旅館と同じ鯵の干物 納豆等が出るとは更に驚き。 ・ さてそれでは今日一日の エネルギーをたっぷり詰め込もう。 丼3杯の飯と3杯の味噌汁を お代りしたら 隣のトトロが吃驚して じーっとこちらを観るではないか。 本当はもう一杯 食べたかったのだが・・・・・。 |
あれ、鯵の開きだ! 赤石小屋の朝食 |
天空に浮かぶ山小屋 赤石稜線から |
その9 一度限りの邂逅 夜明けの薄明が一気に眩しい光の洪水へと変わる。 薄い紗の緞帳が上がり、<今日>という舞台のファンファーレが奏でられる瞬間だ。 富士見平に到着すると、まさに360°の大展望、東の雲海には富士山が輝く光輪を掲げ美しいシルエットを浮かべている。 その神々しさに圧倒される。この瞬間この場所に在ることでしか出逢えないものがある。 暁色の雲海も富士の真上に高らに昇る太陽も、澄みきった蒼穹と清々しく凛とした大気も、一度限りの邂逅である。 それらを構成する粒子の一つに私自身も含まれて、今というこの瞬間を共に生きている。 ・ 眩しさを増す太陽の光を浴びながら、椹島に下るという選択肢は無しだと決めた。 山懐に抱かれるこの豊かな時間を思う存分味わわなければもったいない。 隊長と私のペースは異なるので、此処から先は自分のペースでゆっくりと登ることにする。交信は偶数時間で。 風が強いので寒いだろうと着こんでいたが、稜線までは風もきつくないし、暑くなるので2枚も脱いで身軽になる。 |
残照を浴びて輝く赤い岩 赤いラジオリヤチャート岩盤で 形成された赤石岳。 この赤い石は赤石岳稜線では 殆ど見られない。 ・ 悪沢岳から千枚岳へ連なる稜線で 赤い大きな岩峰に出っくわし あーこれが赤石の由来である 赤いチャートかと 初めて驚くのである。 ・ これ程までに巨大な チャートの岩塊にお目にかかる ことは滅多に無い。 雪と氷に覆われたこの赤い岩峰を 初めて観た時の驚愕は 今も鮮やかに残っている。 ・ 水晶のような氷に覆われ 陽光を浴び内部から 血の様な赤い光を発する岩峰は 恐ろしいまでに荘厳であった。 |