仙人日記
   その72秋ー2011年霜月

11月1週・・・・壮麗なる花崗岩の宮殿



《A》 壮麗なる花崗岩の宮殿

花崗岩スラブに遊ぶ
 11月4日(晴) 撮影:村上映子:300ミリ望遠使用

直登コースを登り始めたが
這松と小さな岩峰が何処までも続き
登っていてさっぱり愉しくない。
右手には実に優美な白い花崗岩のスラブ。
幾重にも重なる荘厳な城壁が
私を招いている。

この華麗な花崗岩の宮殿を登る者は居ない。
登攀が禁止されていると言う話も
聞いたことがないので
登られない理由は激しい風化に在るのだろう。

ヨーロッパアルプスの花崗岩は若く
登山靴と花崗岩のフリクションは抜群で
かなりの急角度であっても
靴はぴったりと岩を捉える。
ざらざらの岩肌も手の指に掛けた力を
充分に受け止め素晴しい
夢のような登攀が可能になる。
甲斐駒岳山頂直下 
2800mあたりか 

だがここ甲斐駒の花崗岩は
激しい風化により表面は砂のようになって
フリクションは殆ど効かない。
爪先のビブラムをスラブに立てても
体重を掛けた途端に岩は崩れてしまう。

時にはスラブそのものが
フレークとなって剥がれ落ち極めて危険。
危険は登攀者だけでなく
当然、落下地点を通る登山者にも及ぶ。

その為登攀を挑む者が居ないのであろう。
が、北沢峠までの交通機関が
閉鎖される直前のこの時期は
登山者の影も僅かなので
登山道に見張りを置けば登攀のチャンスは在る。

村上に見張りと撮影を頼み
壮大な花崗岩の宮殿に足を踏み入れてみよう。
とよからぬ想いを抱き
登り始めた直登コースをさっさと下り
スラブに取り付く。
うーん、なんとも贅沢な登攀!


 撮影スラブを登る村上(甲斐駒)
スラブでの戯れ

さて先ず目の前の大きなスラブを選び
漆黒の影を落とすU字クラックを目指す。
スラブの中央に出て
広大で寡黙な無機質に身をゆだね高度感のもたらす
心地よい緊張を堪能する。 
 
拡大画像 
スラブの末端まで達しフレークの縁を掴み
次の美しいスラブを見つめる。
ルートの選定は山頂に捉われない。
心魅かれるスラブがルートを決定するという
勝手気ままな登攀。

右のスラブから直上したかと思うと左に下降し
新たなピラミダルなスラブに移る。
村上の構える望遠レンズの要望に応えつつ
静寂に満ちた花崗岩の天空宮殿を
唯無心に彷徨う。 



さあ、くぜ!(上部画像の人物拡大300ミリ望遠)
山巓のニードル 
甲斐駒岳山頂 11月4日(晴)






山巓から天空へ 


臆したか友よ
展望がひらければそれだけ
ぼくら ひとりで満員の
あの小さな場所へ
近づいてゆく


(ロッククライミングの唄より抜粋 山本太郎)

この肌触り、堪らん!

U字クラックへ

渺漠たるスラブ 

深淵な静寂に酔う 

天空の高みへ
 
目前に迫る山巓
 
スラブからスラブ 




 天空の絶頂に迫る
 
甲斐駒山頂に至るコース
 
山巓に憩う
 スラブ登攀を満喫し
甲斐駒の山頂に立つと標識より高い
ニードルが天を突いているでは。
最高点がこのニードルの天辺であることは
間違いない。

だが何処も急角度でそそり立つ
ニードルは登攀者を拒む。
どうしたら登れるだろうか。
ニードルを一周し具に観察すると
北側に僅かに浅い溝が刻んであるでは!
一般登山者には無理でも
クライマーにとっては容易に登れる。

鋭く尖った岩峰の先端は
正に針の先でお尻を置くのも難しい。
痛てて、岩が尻に食い込むぜ!



[T] 夜明けの薄明の中
                                   
11月3日  記録:村上映子 

朝というより真夜中の2時に起床。軽い朝食を済ませ、行動食の朝食として焼きそばとサンドイッチを別に詰め、
山荘を出発したのが
35分。
真っ暗ではあるが、寒くはないので楽である。それでも、万一のためアイゼンの用意も怠らない。
さすがに真夜中なので、道路が空いていて、一般道を走っても高速並みの速さで走れる。芦安にはほぼ1時間で到着。
ところが、芦安の市営駐車場が分かりにくく迷う。狭い地域なのだから、公営駐車場なんてすぐ分かるはずと思ったのが間違い。
真っ暗な道をウロウロしていると、何処からか現れた後続車が「ついて来い」との合図。
半信半疑ながら先導されるままに着いて行くとうねうねと登ったところが駐車場。

既にかなりの車が止まっている。先の車が声をかけてくれていなかったら、たどり着けなかったかもしれない。

バスの時間まではまだ1時間以上あり、車の中で待機かと思っていたら、
「乗合タクシー」という大型ワゴン車が、通常のバスと同じ料金で乗れるとのこと。
早く着いたのだから、まずは広河原まで行こうと、乗り合いタクシーに乗り込む。
荷を積み込む時ドライバーのおじさんに「高校生並みのおっきな荷物だネー、女性にゃ大変だな」と笑われる。

途中の夜叉神峠では、ゲートが開くまで15分ほど待機させられる。525分開門。先頭で出発。

夜明けの薄明の中でも、切れ落ちた深い谷が見え、よくぞこんなところに道路が造れたもんだと驚く。
チベットやパキスタンの渓谷沿いの道を想い出し、人間のすることは無謀なほど大胆なのだと、妙に感心しつつも、
崖際の道はやはり怖くもある。
広河原に無事到着。
ここから先はタクシーは入れないとのこと、650分までバスを待つ。
広河原にはびっくりするほど立派なログハウス造りのインフォメーションセンターが建っていて、中は快適。
二階には座り心地の良い木製テーブルと椅子がいくつも置かれ、ここで焼きそばを食べ、朝食に。センター員に尋ねたところ、
山頂まで何処も雪はないとのことだ。
早く着いたおかげで、バスにも一番乗りでき、北沢峠へ向かう。



《B》 手作りガイドまっぷ

 スラブの宮殿甲斐駒南アの女王仙丈 

標高差
駒仙テント場ー仙丈岳・・・1053m
3日間の実際のコース標高差・・・約3200m
    コースタイム
実施日:
11月3日(木) 曇 
山荘発(50km)  3時05分 
芦安駐車場 4時08分着   4:45発 
駒仙テント場 7:25着   8:20発   
小仙丈岳頂上  11:10着   11:50発 
仙丈岳頂上  12:50着   13:25発 
駒仙テント場 15:30着      
登高時間・計  7時間10分    

11月4日(金) 晴 
駒仙テント場 6:45発      
双児山頂 9:15着     9:30発 
駒津峰頂 10:35着  10:45発  
スラブ登攀 11:10〜12:30   
甲斐駒山頂 12:52着 13:25出
駒津峰頂  14:20着  14:30出
仙水峠  15:20着  15:40出
仙水小屋  16:00着  16:20出
駒仙テント場 16:40着      
行動時間・計  9時間55分    

11月5日(土) 曇 
駒仙テント場 6:50発      
栗沢山頂 9:00着     9:20発 
駒仙テント場 10:20着  10:55発    
北沢峠 11:05着 バス無し13:05発  
広河原 13:30着 タクシー  
芦安駐車場 14:20着 14:30発
行動時間・計  3時間30分    
3日間総計  20時間35分    
山荘着  15時50分 

[U] 本日の目標は仙丈岳へ

25分の乗車で北沢峠に到着、バス停からテント場まではほぼ10分。下り気味の道なので、久々のテント用重荷でもなんとか歩ける。
駒仙小屋の前にかなりの広さのテント場があり、すでに何張りかのテントが並ぶ。一段下がった渓流のそばを我々の定住地と決定。
平らに均された地面は小石を少し除ければ、すぐにテント設営にかかれる。
小さな木のベンチも手に入り、朽木を椅子に格好の食事用テーブルが出来上がる。
テントの支度が整い、本日の目標は仙丈岳と決まる。1時間後の820分にテント場を出発する。

空はこの時間になっても雲で埋まったまま、残念ながら晴れそうにはない。
しらびその大木が生い茂る原生林の森へと入山。しんとした森には人影も無い。
ほぼ30分登ると2合目地点で、北沢峠からの道と合流する。更に30分森を歩むと、3合目へ。
そこからは急に傾斜がきつくなり、その分あっという間に登れ、
15分で4合目の標識が。

木の根や岩を伝い、ぐんぐん高度を稼ぎながら進むと、馬の背方面との分岐へ出る。
多分ここが
5合目なのだろうが、ここより先には何合目かを記す標識はなかった。
森林限界を過ぎ岩稜帯となると這い松がへばりつくように斜面を埋めている。
ずんずん登っていくと、間もなくテント場が遥か下方に見える。


《C》 我らがベースキャンプ


渓流沿い・食卓付き最高のテント場

豪華レストラン・後方に摩利支天を望む
我らがベースキャンプ
北沢渓流の畔・標高1980m


久々のテント設営

おでん、焼きそばが出来たぞ

続けてシーフードサラダと枝豆も

から我らがベースへ帰還

すっかり高校生になってしまって
久しぶりのテント合宿に
どきどきワクワク。
山荘を建ててから山荘が
登山基地となったので
泊まりは山荘が基本となった。

そんでもってちょっと遠くても
八ヶ岳や鳳凰などは日帰り。
仙丈も甲斐駒も積雪期でなければ
充分日帰り可能だが
それではもったいないと今回は
ベースを北沢峠に構え
のんびり山旅を愉しむことにした。

仙丈の遥かな高みから眺める
テントのなんと愛しいことか。
山頂からテントを目指して下るあの
心弾む想いはまるで
母の胎内への回帰にも似た安らぎ。

テントに帰り着くや否や
先ず山荘ワインで喉を潤す。
僅かな行動食と水分しか
摂ってないカラカラの肉体に
沁み込むワインの旨さ。
細胞の1つ1つが生命の歓びに
打ち震えるのだ。

まあ、それじゃ乾杯!

帰ると真っ先に赤ワイン

次は仙水小屋主)さんからのビア
 
テントは
天国だ!
 
夕陽に燃える摩利支天
 
山小屋より遙かに快適だぜ!
 
初めて観る黄道光に感激!

摩利支天が紅く燃え出すと
 遅れた村上が
頬を上気させテントに帰還する。
河原で拾ってきた板で
作った食卓に蛸ワサや明太子サラダ
酒蒸しスルメなど並べ
再び乾杯をしあい今日の幸を祝う。

やがて夜の帳が降り満天の星が
一斉に謳いだす。
山荘のシンボルでありテーマである木星が
恒星のように輝き
黄道光が天空に大きな輪を描く。
普通観られる地平線近くの三角形の
黄道光とは
比べ物にならぬ壮大な光に
唯息を呑む。
 
さんざめく星のお喋りを聴きながら


[V] 「雷鳥がいる!」と叫ぶ

とりどりのテントが可愛らしく、出発時より数が増えているような気がする。
ときどき雨粒がぱらぱらと落ちてくるが、本降りとはならず、空の色もやや明るさを増しているようなので大丈夫だろう。
フードを被ってやり過ごしたが、初雪が混ざって舞っていたようだ。
隊長に10分ほど遅れて小仙丈に到着。仙丈まではまだかなりありそうだが、大きな山容がぐんと近づいた。
若い二人組の登山者が「雷鳥がいる!」と叫ぶので、隊長がカメラを持って追う。

若者は「写せなかったよ」と言いながら、引き返してきたが、隊長は粘って、親子の雷鳥をしっかりカメラに収めて来た。

私も見たかったが、うっかり近寄ると臆病なライチョウは逃げてしまうかもしれないと思い、
隊長の写真に期待して、腹ごしらえの方へ精出した。

十分休息した後は、稜線上を一路仙丈の頂を目指す。思いがけず、青空が少しずつ広がりはじめる。
青い色の透明感はまるで空に湖が潜んでいたかのようだ。
陽の光が天空から注がれると、甲斐駒ケ岳がその白さを際立たせ輝く。
山頂で写真を撮ってもらい、十分に景観を堪能してから、二手に分かれて下山開始。


《D》 邂逅・氷河時代の生命


岩陰母雷鳥に遭遇(小仙丈ケ岳頂上直下)

朱色の肉冠が眉毛みたい300ミリ望遠

這松の実を食べている
チベットの未踏峰で遭遇した
日本雷鳥の2倍以上もある大きな雷鳥や
大日岳、立山、剣を山スキーで
駆け巡っていた頃、一緒に雪面を転げ回った雷鳥とか
雷鳥との想い出は尽きない。

が、どれも追想の遙か彼方にあり
セピア色の心象は既に
存在そのものを曖昧にしつつある。
その中に在って1枚だけ鮮明な光を留めている像がある。
雪稜に佇む真っ白な雷鳥。

3月、吹雪の明神岳東稜から前穂高へ出て
奥穂へ向かう吊り尾根。
雪壁を1ピッチアップザイレンしコルに降り立つと
待っていたのは全身真っ白な冬雷鳥。
雪庇の先端に立ちじーっと私の瞳を覗いているでは。

あの時の雌雷鳥と同じなんとも優しい慈愛に満ちた瞳が
小仙丈の這松の影から現れ私の心象を貫いた。
「やっと逢えたね!」
思わずそう呟いてしまった。

白い冬羽が生え出す10月末には
親離れする筈の大きくなった雛3羽と母鳥1羽。
小仙丈の遅れている雪が降り出せば
この雷鳥親子は別れを余儀なくされるのだ。

足の爪まで羽毛に覆われている

3羽の子供白毛の冬仕度開始

石楠花の実も美味しいのかな?
・紅い実を食べたのは雷鳥かオコジョか?

甲斐駒ケ岳と七竈&飛行機雲

見事な仙水峠の七竈(ナナカマド)

摩利支天七竈


[W] カモシカみたいな勢いで

隊長は薮沢方面を下り、村上は登ってきたルートを戻る。
小仙丈への稜線を歩きながら見下ろすと、隊長が豆粒人形みたいで、ずんずん下っているのが良く見える。
同じ道を引き返しても、登りと下りでは見える風景が異なるので、それがまた楽しい。
小仙丈までは登りとあまり時間も変わらないが、さすがに午後のこの時刻になると、登山者の姿はもうない。
下りにかかると、眼下深くの谷間にテント村がよく見える。
迷う筈も無いのに、交信直前に這い松帯に迷いこんで、一瞬道が分からなくなった。

隊長の方は、
氷や凍結が結構あるとのこと、
やはり日陰はこの時期
当然ながら凍っているのだろう。
晩秋の午後の日差しは
急激に弱々しくなり、
誰もいない山稜は
寒々と感じられる。 
 
藪沢は氷結し立ち入り禁止(隊長のザック)
少し飛ばしての下山で、
五合目に到着。
馬の背方面へはロープが
張り巡らされ、
立ち入り禁止らしい。
登るときは気が付かなかった。
ということは、
この道は危険なのかなと思うが、
隊長に関しては
問題ないだろう、  
 
私がこのルートを選ばなかったのは正解かなと納得。少し先を三人連れの下山者が見え隠れしている。
途中で追いついたら、山頂で写真を撮ってもらった人たちだった。
「連れの人に、『待ってあげないの?』って聞いたら、
待たない!て言ってカモシカみたいな勢いで降りて行っちゃたよ。ひどいねー。」と話かけられる。



《E》 山巓の道しるべ

 
雷鳥棲息の峰(後方は甲斐駒)
 
3つの山小屋は冬仕舞
 
初雪・後方の雪雲から

初雪と雷鳥に逢った小仙丈

伊奈谷から湧き上がる雲は
一瞬にして小仙丈の稜線を包み
それまで遠望出来た
重畳たるアルプスの山稜は消えた。

白いガスに閉ざされた視界に
舞い始めたのは
今シーズン初めて目にする私の初雪。
こりゃラッキー!
予期せぬ新雪登山が愉しめるかも。

だが、1032hpaの強い移動性高気圧は
ほんの気紛れをみせただけで
翌日は空を海に変えた。
脳天に太陽が突き刺さるかの快晴。
空の海に合わせてブルーのバンダナを
帽子代わりにしよう。

蒼いバンダナを頭に巻いて
スラブを登り
甲斐駒の頂に立ちじっと見上げるは
山頂中央にそそり立つニードル。

何度も甲斐駒の頂に立ちながら
さっぱり記憶にないニードルが気になり
蒼いバンダナは
のこのこニードルに登ったり大はしゃぎ。

3033mの頂に雪無しとは驚き(仙丈岳頂)

見事な快晴・双児山頂

駒津峰の山頂
 
以来4度目村上の甲斐駒

摩利天の壁に通った峠(仙水峠) 
 
山巓のニードルを睨む(甲斐駒頂) 
 
雲海に沈む伊奈谷(栗沢尾根) 
勿論、ヒマラヤの未踏峰には
《道しるべ》なるものは存在しない。
それでも未踏峰のベース・キャンプまでは
遊牧民の生活の痕跡が
僅かに残っているので地元ポーターの
ガイドが期待できる。

しかしその先は全くの未知の世界。
雪崩の少ない谷はどれか?
ヒドンクレバスを避けるルートは何処か?
固定ザイルが最も少なくて済む
尾根ルートはいずこか? 

下山日の朝トレーニング(栗沢山)  

それらの選択を誤れば
登頂出来ないどころか
時には隊員の死をも招きかねない。 

波乱万丈の闘いを繰り広げた結果
辿り着いた山巓に
当然のことながら山頂標識は無い。
従って日本の冬山で
ヒマラヤのトレーニングをしてても
《道しるべ》にはいつも
ジロリと冷たい一瞥を投げるだけ。
雪で登山道の消えた山に
《道しるべ》は意味を成さないのだ。
ところがどうだ!
 
合宿最後の頂・栗沢山

この蒼いバンダナを巻いた
GK67を履いたじいさんはまるで
高校生のように大はしゃぎして
《道しるべ》に抱きついたり足を上げたり。
蒼いバンダナが
嘗ての未踏峰クライマーだったとは
とても思えない奇態な行動。

蒼いバンダナはきっと本当に
初めてハイキングに来た
高校生に戻ってしまったに違いない。
となると中学生、いや小学生に戻る日も
そう遠くはないのだろう。
 



[X] とても豊かなのである

さもありなんとおかしくなった。
「カモシカみたいに速い人なんで、待たれる方が辛いんですよ。」と笑いながら答えると、
「俺たちもそうだねー」と大笑いしながら、道を譲ってくれた。
しらびその森は、ゆっくりと闇を呼び寄せつつある。秋の日は釣瓶落とし、最後の下りは急いで、
テント場へと到着したのは4時過ぎだった。

既に帰幕した隊長が、野外レストランのシェフよろしく、つまみを並べて、乾杯の用意をしていてくれる。
山荘ワインが実に美味しく喉をうるおし、渓流の流れと、摩利支天の眺めを楽しみながら、久々のテント生活に心が躍る。
信じられないことに、この季節なのに、日が沈みきるまで外で食事が楽しめた。
テントに入ってから、恒例のラーメンを作り締めとする。片付け終わって、寝袋に潜り込んでも、まだ6時。

夜明け前から行動してたのだから、一日が長かったとはいえ、なんと贅沢なんだろう。
テントの中で過ごす時間の形は何故かとても豊かなのである。夜中に見上げた星空のあまりの豪華さにしばし佇むと、
思いがけず山の端に流れ星が大きな尾を引いた。
こんな星空は、ヒマラヤ以来かなと思いながら、明日の天気を期待した。



《F》 冬仕舞いの山小屋



登山道氷結で閉鎖(藪沢小屋)

太陽光と風力発電の小屋(仙丈小屋) 

冬の避難部屋のみ解放(仙丈小屋)

泊れぬ山頂祠甲斐駒山頂)
  
鉄柵で閉鎖(馬の背ヒュッテ) 

ビアをご馳走に(仙水小屋主矢葺氏と)
「65歳になりました」
そい云いながらビアを差し出した。
黒戸尾根七丈小屋で
初めて出逢った小屋番の矢葺氏は
25歳の肉体を発熱させ
ピンク色に耀いていた記憶が在る。

その後約40年、矢葺氏と私は
シルクロードの聖山
ムスターグ・アタ峰(7546m)を介し
又ガッシャブルムU峰(8035m)遠征の
木村隊員を介し
互いの消息を共有し合うことになる。
国を閉ざしていた秘密の国・中国が
中国領ヒマラヤを
外国登山隊に解放すると衝撃的な
発表をしたのは1980年。

我らが登山隊は即、中国との交渉を始め
ムスターグ・アタ北峰の初登頂を
実現したのが翌1981年。
その後矢葺氏はシルクロードを車で
走破しムスターグ・アタを目指した。

更に矢葺氏の経営する仙水小屋に
入り浸っていた木村隊員が
当隊の ガッシャブルム遠征に加わり
矢葺氏の話題はいつも身近に在った。

仙丈からの駒仙小屋 
週末には相変わらず仙水小屋に
入り浸っているとのことなので
久しぶりに木村隊員の顔でも見てやろうと
仙水小屋に寄ってみたのだ。

豊かな白髪を蓄えた柔和な笑顔が
小屋からヌボーと現れた。
「あー木村君からいつも噂は聞いています。
明日木村君が上がってきますから
一緒に夕食を摂り飲みながら
お話を伺いたいですね」 
 
沢畔のテント場(駒仙小屋)


[Y] 世界が彩色され
                                  
 11月4日甲斐駒ケ岳
快晴!4時半に起床予定だったのに、起きたら5時だった。朝食のカレーヌードルを美味しく食べて、6時45分出発。
今朝もしらびその原生林に入り、大木の香気に包まれながら、登り始める。
澄み渡った空気の何という清々しさ。昨日よりはるかに体が軽く、一歩一歩が快調。
昨日あれだけたくさん山を歩いたというのに、今日また山に向かえるのが何とも嬉しくてたまらない。
体中の筋肉が喜んでいるようだ。

山に登る、そのこと自体が無性にうれしいのは、ひょっとして、生まれながらに組み込まれたDNAのなせる技なのか。
赤ん坊が二本足歩行を獲得した瞬間の歓びようは、まるで世界中を手に入れた如く溢れ輝き自信に満ちた笑顔を生む。
その次には、何の目的も無いのにただ一歩ずつ階段を上ることに夢中になる。
もしかしたら、山をひたすら登り続ける心地は、
あの赤ん坊の日の記憶にも繋がる無上の歓びなのかもしれない。
登り始めてほぼ一時間、樹間越しに朝日が溢れんばかりの光を投げかけて来た。

世界が彩色され、全身がその温もりに浸される。空の青さが一層増す。
ひっそりと隠されていた喜ばしいものたちが全て光の中に露わにされるようだ。
誰もいないこの大自然を、光と共に過ごせるのは何と言う幸せだろう。
双児山の山頂に到着、まぶしいほどの光があふれかえり、昨日登ったばかりの仙丈岳が眼前で大きく挨拶してる。
緑の駒津峰と白い甲斐駒の威容が美しいコントラストを成すが、山頂はまだはるか彼方である。





《G》 まどろむ巓たち

南アルプス
駒津峰山頂より

重畳たるアルプスの山稜とは
正にこのパノラマ。
何処までも清々しく広がる山並。
一体幾つの山脈が
重なっているのかと数えてみる。
おー8つものシルエットが
妙なる音色を湛えているではないか。

嬉しくて蒼いバンダナの
老いた高校生はさっそくポーズ。
あれ!快晴なのに
恰も雲間から差し込む光のように
右のストックに一条の光が。

間ノ岳・農鳥岳の山稜から
発した光が右ストックを走り左太腿を切断し
大地に突き刺さっているでは。
うーん解けないなこのメッセージ。
誰か解いておくれ!
鳳凰三山
甲斐駒山頂直下より

 「右のルートから登り直してくれないかな」
「えっ!右は急な岩場で登れそうもないけど」と答える村上。
ぶつぶつ云いながらも岩峰の間から
体を覗かせた村上にカメラを向けシャッターを切る。

後方に鳳凰三山を従え花崗岩の急峻な回廊に浮く村上が
戸惑いを見せつつも軽快な足取りで近づいて来る。
《天空の回廊と鳳凰三山》と題するには
やや迫力に欠けるが右膝に致命的な傷を負っている村上に
これ以上無理な要求をする訳にはいかない。

「いいよ、左の尖った地蔵のオベリスクも右の薬師の岩峰も
バッチリ入っているから」

[Z] 蒼穹に聳える甲斐駒のま白い岩肌

写真をたくさん撮り、一息入れる。駒津峰へ向かい樹林帯へ入ると一旦大きく下る。
鞍部へ出るとそこからは樹林帯を抜け、細かい岩の斜面の急登となる。富士山が見えた。
駒津峰へ到着。ここが仙水峠との合流点になる。
いよいよ甲斐駒ケ岳の山頂を目指す岩稜帯。ストックはしまって岩を攀じる。
岩の直登と巻き道との分岐では当然直登だと思い登り始めたら、別な方向から「トーオッ!」の声が。

「右の方へ回れ!」との指示で、巻き道コースなのかと意外に思いながらも指示に従い、登りかけた岩を降り右へ。
風化した細かい白い岩が砂地のようになっていたりして急にきれいな白い花崗岩の大地となる。
前方の隊長からコールが掛かる。
「そこで少し登って、スラブに入って!いいアングルだから」言われるままに登ってはみたものの、
岩の上部は細かい砂礫に覆われ、とても登れない。

指示の棚までは足場を移せないので断念。
昔、摩利支天を攀じたときのザレた岩肌にフリクションがまったく効かず恐かったのを思い出す。
隊長の待つ場所まで進むと、素晴らしい景観が待ち受けていた。
蒼穹に聳える甲斐駒のま白い岩肌、累々たる花崗岩の堆積は実に美しい。

隊長がスラブに乗り込む。それを、望遠レンズに付け替え撮影。
夢中でシャッターを押す。生き物も樹木も無い、無限に壮大な白い岩を攀じる小さな登攀者は
生命のドラマを繰り広げているようだ。
ザックの赤が眩しい。充分岩と戯れ、再び山頂を目指す。滑りやすい砂状の斜面をゆっくり登り、登頂が12時52分。
山頂に着くと同時にガスが湧いてきて、視界が一部途切れたが、しかし広大な風景の大きさは損なわれることなく、
山頂の贅沢を存分に楽しんだ。



朝焼けの仙丈ケ岳(双児山より)
朝の起きがけの食欲ゼロでも
美味しくてお代りしたくなる
カレーうどんに豚肉を入れ極上のスープ
に仕上げ、たっぷり腹に詰める。
さあ、これで1日中飲まず喰わずでも
充分動けるぞ。

エスプレッソを2杯飲み
ルンルン気分で白み始めたテントを出る。
昨日の登山で体が慣れ
羽が生えたように肉体が軽い。

中央アルプス宝剣岳(中央)と木曽駒(右)(双児山より)

森林限界から淡い薔薇に染まった
仙丈ケ岳がいきなり
背後に現れる。
右に目をやると中央アルプスの
宝剣岳カールも
淡いバーミリオンに微睡んでいる。

ふと昨日逢った雷鳥親子が
どうして居るかと頭をよぎる。
不意に降り出した雪に慌てて子雷鳥は
母から離れる決意をしたのか?
それともこの朝の
薔薇の光を浴びて未だお母さんと
一緒に居るのだろうか?

駒津(右)甲斐駒(双児山より)

甲斐駒ケ岳は何処から見ても
南アルプスの異端児である。
雪かと見紛うばかりの
白い花崗岩から成る壮麗な宮殿。
堆積岩で形成される
北岳や仙丈とは出生が異なるのだ。

産総研地質調査総合センターの
資料によると約1400万年前、堆積岩の
地層に花崗岩のマグマが
熱いまま入り込み冷え固まり
甲斐駒は形成されたらしい。
そう云えば確かに侵略者としての
荒々しさに満ちているかな。
 
摩利支天(右)甲斐駒(栗沢山より)

富士(中央)鳳凰(甲斐駒より)  

栗沢(右)と甲斐駒(仙丈より) 



[[] 浮石に足を取られて前のめりに転倒

出逢った二人連れの年配者は、目の下の日向山の麓に住むそうで(後で知ったが養蜂家とのこと)友人に合図を送ったら、
鏡の反射で合図を返してくれたと楽しそうに語ってくれた。
この二人とは下山中も抜きつ抜かれつで、休憩を楽しみ山を満喫している様子だった。
今日も下山路は隊長は仙水峠経由、村上は来たルートを戻るという形で、毎時17分の交信を交わしながら、別々に下る。
駒津峰からの下り口で、眼前に広がる下山ルートに見とれていたら、
浮石に足を取られて前のめりに転倒、両膝や脛を打ち付けてしまう。
以後は注意深く降りる。秋の陽射しを全身に纏い西日に向かいまぶしさをこらえて降りるが、前にも後ろにも人影無し。

交信で腰をおろしていると山頂で一緒だった二人連れが私を追い越して行く。
順序が時々交替しながらも、一組の登山者が近くに居ると知っていると心強い。
双児山からは一気に下れると思っていたが、意外にも長い下りで、樹林帯に入ってからが予想外に時間がかかった。
急速に訪れる夜の気配が森の中では加速され、闇がひたひたと追いかけてくる。
下山時間が少し遅かったので、この道は私がきっと最後の一人。
真っ暗になる前に何としても下山したいと、心が急く。最後は小走りで、闇が支配する前に北沢峠へ出た。後は心配ない。



北アルプス
栗沢山頂より
 


駒仙小屋なんて聞いたことが無い。
それもその筈、北沢長衛小屋が
改名して駒仙小屋になったのは3年前。
1996年に旧芦安村に譲渡され
合併後南アルプス市が
NPO芦安ファンクラブに管理を委託。
現在は取り壊しが始まり2年後に再開予定。
山小屋も目まぐるしく変わりつつある。
八ヶ岳
栗沢山頂より
 


壊されつつある北沢長衛小屋前の
小さな橋を渡り
今合宿最後の栗沢山へ向かう。
昨日の快晴下でもガスに巻かれ頂を
見せなかった八ヶ岳連峰が
高曇の空に姿を現した。

甲斐駒の左には北アルプスが
薄墨のシルエットを描く。
1か月前、頂で一夜を明かした北穂高岳が
妙にしんみりと語りかける。
これから長い冬の眠りに入るのだ。


[\] 求めるものにしか与えられない真に美しい宝石

テント場へ戻ると、もうシルエットになりかけた広場で隊長がビールを手渡してくれる。
仙水小屋の矢葺氏からのプレゼントとのこと。
美味しく飲み干す。摩利支天の天辺がまだ赤さを残し暮れ残る。
今日もまた、贅沢な天気とテントへ戻って来ての渓流を望みながらの乾杯、なんと満ち足りた山行だろうかと、
体の隅々にまで流れ込むビールの美味しさと共に一日の幸を味わう。

夜は解放感と共にテントの中で楽しいおしゃべりが弾み、時には歌声も混ざり、なかなか寝る気分にならない。
外に出たら星空の中不思議な白い帯が空の傍を廻っている。天の川にしては違うし、巨大な飛行機雲にしては変と疑問に思って、
隊長を呼ぶと「あれ!?すごく珍しい現象だと思う!」と驚いている。
この幻想的な白い帯は<黄道光>という太陽の珍しい現象らしいが、隊長も実際に見たのは初めてだと感激している。

昨夜の流れ星も、今宵の黄道光も宙が私たちにプレゼントしてくれた貴重な宝ものに違いない。
星空も朝の光も、山巓の夕陽も求めるものにしか与えられない真に美しい宝石。
これらの宝物に巡り逢うために私達はきっと旅をしているんだろうな。
余分なものが何もないテント生活だからこそ、どんな小さな宝石の輝きも見逃さずいられるのかもしれない。





氷と森にお別れ

巨樹にかれて(北沢峠バス停)
 凍結した藪沢(藪沢小屋)
 
山旅のわり(北沢峠)
氷初体験のGK67(仙丈小屋) 



苔生した大きな老木にいだかれる。
遙かな時を超えた老木の静けさがひたひたと私の渚に打ち寄せ
やがて渚は迫上がり存在を呑みこみ、無数の小さな泡を暫く漂わせ消えた。
 
静けさだけが真実の総てであるかのように
静けさは凍てつき音を失った谷と森の深奥に満たされていた。

仙丈の深い森と甲斐駒の壮麗な花崗岩の宮殿で過ごした72時間を想い返しても
心象に刻まれた残像は透徹した静けさだけ。
何処までも限りなく透き通った極上の静けさとの邂逅をもたらしてくれた山旅。
この透徹した静けさこそ私の求めていた宝石なのかも知れない。







11月2週・・・待ち望んでいた黄金の首飾り


燃える躑躅にたなびく富士雲と里の煙(前庭)

曙光を孕む山法師(石卓)

ヴィーナスも紅葉(居間)
紅葉する山荘
11月12日(土)晴

標高1545mの高芝山から
815mも駆け下りて山荘に紅葉が
降りてきた。
高芝山が燃えていたのは
山荘主が森からGK67の靴を
プレゼントしてもらった10月下旬。

あれから2週間ちょっと。
高芝山の森もそりゃ華やかだったが
どうでえ!この山荘の紅葉。

山荘の森が紅く燃え出すと
野生キウイの収穫時。
この時期を逃すと
山荘より標高の高い東森の
キウイは凍てついて
ぐちゃぐちゃになって甘さを失ってしまう。

ほんのちょっとだけ採ってきたのだが
計ってみたら5.2kgもある。
林檎と一緒にして1週間寝かせて
食べてみる。
小粒ながら程よい酸味を伴った野生の
甘さは山荘のキウイとは
一味違うエトランゼ。

野生キウイの収穫(テラス)

遅れたレポート


[]] なんと命の時間の儚いことか
                                           115日栗沢山・錦繍の帰路

合宿最終日は、昨日とは打って変わって寒々とした空模様。1115分のバスで帰る予定で下山してくることとして、栗沢山を登ることに。
650分出発。駒仙小屋の前を通り過ぎ、小さな木の橋を渡ると、深い森へと登山道は続く。
駒仙小屋の周りには大量の資材が運び込まれており、老朽化した現在の小屋はこのシーズンで閉鎖、取り壊され新しく建て替えられるそうだ。
80年の歴史を刻んだ小屋は、多くの登山者のさまざまな物語を見聞きしてきた貴重な場所だったのだろう。

80
年前、まだ私たちはこの地上に存在しなかった。80年後、むろん私たちはもうこの地上に存在しない。そう思えば、なんと命の時間の儚いことか。
地上に私たちが生を刻めるは、僅かな時間の隙間に過ぎない。ほんの一瞬葉先に留まる朝露のように。

南アルプスの森は、樹齢を重ねた巨木を多く抱え、森の深さを感じさせる。
栗沢山は静寂の山、落ち葉の降り積もった道を森に融け入るような気分で歩く。


今日は最初から隊長は飛ばして山頂を目指し、私はゆっくりと森を愉しみながら、時間がきたら下山にかかる。
深い森を彷徨う愉しさを、存分に味わいたいと思うと、たちまちあちらからもこちらからも、巨木のささやきが聴こえる。
荒々しい木肌や、苔生した幹、繊細な枝、複雑に蔓延る根、倒木や洞、森の物語が広がる。
赤い実をたっぷり食べた誰かさんの糞、見上げたら真っ赤な実が鮮やかに中空を彩っていた。




遅くなったぜ!柿採り(奥庭)

べるグラン?(奥庭)
グラン初めての柿採り
11月12日(土)晴

さてそれじゃグラン
柿採りにでも行くか?
と云って放ったらかしにしてある
山荘原野に出てみると
背丈を越える雑草に覆われて道無し。

例年なら今頃原野の雑草は
綺麗に刈られているのだが今年は
薄の生えてる原野上部が
刈られているのみ。

刈り取った薄を桃や葡萄畑の
マルチにすると果実の甘さが増すので
是非刈らせて欲しいと頼まれ
昨年までの秋の原野は
綺麗に刈られていたのだ。

「へい年食っちまってどうやっても
もう体がうごかねえ、今年は
薄は刈れねえずら」
とわざわざ下の里人が山荘まで
登ってきて高齢化した農業を語ったのが
1ヶ月前。
だから覚悟はしていたのだが
それにしても凄いぜこの原野。

随分れたな!(奥庭)

西瓜より美味しいぞ!(奥庭)



[11]
 百年前ぼくはここにいなかった

葉を落とした木々の向こうには、仙丈も甲斐駒も威風堂々と鎮座する。
高曇りの空は不思議な明るさと透明感を持っている。何故か詩人のことばが胸に去来する。

 百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ
  
 (略)
 今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
 ぼくに人間とは何かを教える
 魚たちと鳥たちとそして
 ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
 その水をわかちあいたい      
谷川俊太郎・朝)

誰もいなかった森に、数人の登山者がやって来た。朝のバスで着いた人達らしい。一人で登ってきた年配の女性がいろいろ教えてくれた。
毎年、登山シーズンの最後にこのバスで来て栗沢山に登るらしい。
山頂からの景色、ことに甲斐駒が素晴らしいと言われ、頂上へと心が動かされる。
けれども、予定の時間に間に合いそうにないので、山頂への未練を残しつつも下山にかかる。
10時前にテント場へと引き返し、テントを撤収する準備にかかる。
下段の広場は、今朝までは渓流のほとりに
2張りしかなかったテントが大小さまざま凄い数になっていて驚く。

隊長が戻ってきたのは
10時半過ぎ。何とか総て片付け終え、大慌てで北沢峠へと向かったのが既に11時。
大きな荷物で、上り坂を急ぐのは非常に苦しい。
ようやく到着、バスが見えてほっとしたのに、実はそのバスは行く先が違う。
我々が乗るつもりだったバスは、本日はないとのこと。
昨日まででその時刻のバスは終了してしまったのだそうだ。
1305分まで次のバスは出ない。




初めての硫黄燻蒸(セラー)
枯露柿作り
11月13日(日)晴

そんな訳で柿採りは先ず原野の道造りから。
エンジン式の草刈機を調整し
新品の円盤刃を取り付け原野に出陣したものの
刈れども刈れども原野は果てしなく
いつまで経っても柿の木までの道は完成せず。

道を造るだけで半日を費やし夕刻になって
どうにか柿を収穫したが干し柿作りは翌日に持ち越し。
柿を剥いて吊るすだけなら
テラスで秋の陽射しを浴びジャズを聴きながら
のんびり愉しめるのだが
今年は硫黄燻蒸を試みたので大忙し。

燻蒸するには燻蒸室が必要だが
山荘にはそんなもん無い。
そこで煙の逃げないワインセラーを使ったが
テラスから西畑のセラーまで坂道を
行き来し再度テラス軒下に吊り直すのは予想外に大変。
日没直前まで作業は続き
もう柿を見るのも嫌になり柿恐怖症に罹りそう。

てな訳で今年の干し柿作りは散々な目に。
だが翌朝、朝日を浴びて黄金に輝く
柿簾を見て2日間の苦労が一編に吹き飛んだ。
この美わしき柿簾こそ山荘が
待ち望んでいた1年に1度の黄金の首飾り。

柿簾と高芝(テラス)

4列×14本×5個の柿簾(テラス)

熟し柿は柿ピューレ(テラス)



{12]
 華麗な色彩に圧倒

頂上を諦めて、死に物狂いで辿りついたというのに、なんという失策。仕方がないので、バス停周辺で昼食を摂って、時間を潰す。
バスの時刻が近付くと人が増え、なんと先ほど栗沢山で一緒になった女性も下山してきていた。

バスは補助席まで満員で、運転手さんは「いや~驚いたね、こんなにたくさん山ん中に入ってたんかい」と何度も繰り返していた。
広河原からは待っていた<乗り合いタクシー>に直ぐ乗れた。来るときは、まだ未明の薄暗がりの中で、ほとんど色合いが分からなかったが、
下山路の車窓の景色は息を呑むような艶やかさだった。


切れ落ちた崖の真下、清らかな渓流野呂川を基軸に上へ上へと伸びあがっていく紅葉が今ちょうどまっ盛りに全山を染めつくしている。
揺られる車窓越しに繰り広げられる大絵巻は、錦を綾なし、その華麗な色彩に圧倒される。
車がカーブを切る度に、新たに繰り広げられる錦織模様。赤、黄、代赭色をベースに複雑に織りあげられた色模様が全山を覆う。

これほどまでに壮麗で大胆なタペストリーを目にするのは初めて。瞬きするのも惜しい。
散るために木々の葉はあのように美しい色合いを見せるのか。
一枚一枚の葉は小さな言の葉そのもののよう。ならば、その言の葉たちにかくも華麗な言葉を語らせることができたら・・
この
3日間の掛け替えない時間をどんな色模様に織りあげて語ってくれるのだろう・・・
そんなことを夢想しつつ、旅の終わりを惜しんだ。





11月4週・・・・大根屋敷になったログハウス




赤シャツ颯爽と山荘に登場

さあ、先ず芋蔓を採らねば!
赤シャツ4歳児の大活躍
晩秋の収穫活動に挑戦 11月26日(土) 山荘中畑

ボールに蒸かし立ての薩摩芋と栗を入れ摺子木で潰す。
バターを薄切りにして載せると芋の熱で溶け、乳飲み子のような甘ったるい香りを漂わす。
パプアニューギニアで手に入れたバニラ棒を浸した黒ラムをたっぷり注ぎこむ。
乳飲み子の香りに熱帯の噎せ返るような刺激が加わり、うーん堪んない!
一口味見をしてみる。舌に甘さと香りが残っている内に新酒の山荘白ワインをごくり。やったぜ、この絶妙な味。
秋が届けてくれた太陽と大地の恵みが、体内で再び太陽と大地に還元されるような至福な味覚。

で、この美味しい薩摩芋を独り占めにしてはいかんと、声をかけたらやって来たのは4歳児の赤シャツボーイ・侑生(ゆうせい)君
黒ラムと新酒ワインを味わうにはちと若すぎるが、まぁ、いいか。
「おい、ゆう、先ずこの芋蔓を全力で引っ張ってこうやってずるずる引き抜くんだ。
ほら、そうすると土の中から紅い芋が顔を出してくるだろう。そう、そいつだ」

さて芋は何処だ?
「これかなーでもすごくでっかいし
とても抜けそうもないし」

鹿や猪、笹熊に喰われぬよう防獣柵を
張り巡らし数年ぶりに
収穫まで漕ぎつけた薩摩芋。
この感動を分かち合うには少年の
あの無垢な瞳こそ相応しい。

「そう、そこでちょっとこっち向いて!」
煩いカメラマンの注文に
応えてハイ、Vサイン。
掘り出した芋の大きいのは1つ4.5kg。
こんなに大きい芋を生み出した
太陽と大地に感嘆!

出てきたぞ、でっかい芋!

抜けないなー

蕪のチャンピオンだ!

それじゃ2人でどうだ!

洗ったら巨大ルビーになったぞ!
さて次は大根だぞ。
途中までスコップで掘ってやったが
大根はピクリとも動かず。

最初から大根では無理だから
それじゃ小さな蕪で練習しようと蕪畑へ。
抜いた蕪がまたお化けの如く巨大。
なんだか、ゆうの顔の半分くらいありそう。 

さてもう一度、
今度はお母さんと一緒に、よいしょ。
あれ失敗、折れちゃった。
せっせと収穫した芋や大根を洗って
秋の短い1日は終わりました。

役立たずなのは僕だけ



イエーイ!沢山採れたぜ」

薩摩芋のスイートと干し柿のティータイム
俺は赤しゃつマイケルJr
舞瑠の面影を抱きしめるマドンナ 11月26日(土) 山荘前庭

宇宙へ突き抜けるような秋天にいだかれての収穫作業は、なんとも贅沢の極み。
少年は葉の間から蝶を見つけ土の中に虫を発見し、まるで宝石を探し当てたかのように「これ図鑑で見たよ」と興奮。
スキップする少年と共に犬は畑を飛び回り、収穫物を手にした大人からは笑みが絶えない。
それじゃティータイムにしようか!

カクテルグラスに盛られて登場したのは、黒ラムのたっぷり入った山荘主手作りのスイート・ポテト。
それに製作2週間目のピューレをたっぷり含んだ甘ーい干柿。
さあ少年はこの黒ラム入りのスイートに舌鼓を打ち、マイケルJrに変身してあの夜のように踊り出すかな。




三層の雲海と紅葉(テラスから)
やって来た冬の雲
 11月27日(日)


 収穫した薩摩芋を
圧力釜に入れて蒸かしているのを
すっかり忘れていた。
朝トレ後にシャワーを浴び風呂に飛び込み
窓から見える真っ赤な満天星の紅葉や
咲き誇る山茶花を見つめていたら
「ぴー、ぴー」と激しい叫び。
そうだ!圧力釜を火にかけたままだ。

ひたひたと冬雲(テラスから)
裸で飛び出し
火を止め水分を発散させる為に
笊に芋を移し急いで浴槽に戻る。

僅かに目を離した間に
浴槽から見降ろす雲海は里を覆い
紅葉の森を呑み込む。
冬雲の上には先週まで黒々としていた
富士がすっかり雪化粧。

さあ、冬仕度を始めねば。 

すっかり雪化粧した富士(小倉山から)
あんまり野生のキウイが
美味しかったので冬の保存果実にと
再び森のキウイを訪ねた。
未だ堅くて鳥達は食べないらしく
たわわに実を付け
どっさり稔っているでは。

見向きもされず放ったらかされている
花梨も収穫して
花梨酒を仕込んだりしたいけど
時間が取れないな。
このまま凍りついて大地に落ちて
土に還るしかないか。
 
野生のキウイも収穫(東森)

呑み込まれる里の秋(テラスから)

熟れた花梨と雪富士(ゲート前から) 





大根屋敷になったログハウス
 11月27日(日)

毎年食べきれぬ大量の大根を土の中で腐らせ、冬越しに失敗している。
今年は干し大根にして在る程度水分の取れた状態で、凍結せぬようワイン・セラーに入れての保存を計画。
と、口では簡単に言えるが行動に移すとなるとこれ、半端じゃなく大変。
先ず大根を吊るす軒下を何処にするかだが、テラス下は既に柿が吊るしてあるし母屋の軒下は2階なので作業は不向き。

となるとログハウスしかないが、さてロープをどう張り巡らせるか?
数十本の大根の重量に耐えるロープを選び、強力フックをダブルでセットしどうにか大根を吊るしてみた。
大根と格闘すること数時間。
大根足に囲まれて孤軍奮闘しているとすっかり大根と馴染んで、親しみ以上の親愛の情をいだいてしまう。
うん、大根足なんて云って馬鹿にしてるけど、どうして中々色っぽくて美しいもんだ。


大根足のライン・ダンス

富士に向かって大根足をエイ!

ようこそ!大根屋敷へ




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