仙人日記
   その70秋ー2011年長月

9月1週・・・・たいむ・とらべる



二十年の時空を超えて
 ボブからのメール

I climber from Lithuania, in 1991, participated in the
ascent to the peak of POBEDA (Victory) on the territory of the former USSR,
together with the climber from Japan. His name is TADAKIYO SAKAHARA.
I hope that he was still alive.

「平穏に生きていると願っている」とも訳せるが、どう観てもこの尋ね人の
文面からすると
「未だ生きていることを・・・」との意味である。
何と云うことを書きゃがるんだ!

だが考えてみるとあのポベーダ遠征前後からヒマラヤ遠征は
益々激しさ、厳しさを増し僅か数年で
七人の隊員が壮絶な死を遂げることになったのだ。
その中の一人が私であっても何の不思議もないとすると
ボブのhe was still alive.もそう的の外れた文言でもないかな?

 ボブの写真が掲載されてるポベーダの報告書を送ってやったら
即メールが届いた。

Dear TADAKIYO SAKAHARA.
I have received yesterday your book.
Big to you thanks for your attention to my modest person.
I hope that Federations of mountaineering of Russia of it will be enough.
 
With best regards, Vl. Yakovlev


リトアニアから送られてきた画像
1991年8月17日 ポベーダ山顛(7439m) 
左:坂原 右:ボブ(
Vladimir Yakovlev
 

リトアニアのボブ
1991年8月15日 ポベーダ西稜6900mの雪洞にて

雪洞の入り口に立ち「ニカー」と笑った男が居る。
「何だ。リトアニアのボブじゃないか」  「うん、また会えたね。1人かい?」
「いいや今回は3人のソ連チームと組んでいるんだが、消えちまったのさ」  「何処へ行ったんだい」  「ここにいるはずなんだ。まー飲めよ」

やっと沸いてきた紅茶を2人で飲みながら、暫く話をした。まさか再びボブに会うなんて考えてもみなかった。
ボブに初めて会ったのは、6日前の8月9日の夕方であった。
ハンテングリ(7010m)をソロで登る為、キャンプ3(5900m)の雪洞に入ったら、唯1人ボブが居たというわけだ。
名前を聞いたら「ヴォー」とか「ヴェー」とか「ヴィー」とか言うので真似したら全然違うらしく、第1声音からニエット(だめ)であった。
やがて彼は正確な発音を私に教えるのを断念し、「アメリカ流に呼ぶとボブだ。ボブと呼んでくれ」と英語で言った。

リトアニアのコンピューターセンターのチーフで、これまでにコムニズム峰(7495m)、コルジェネフスカヤ峰(7105m)、レーニン峰(7134m)をソロで登ってきたという。
31歳、独身。「リトアニアの独立は?」と聞いたら 
「250万のリトアニア人は、もうすぐ達成するよ」と答えた。
その10日後にモスクワでクーデターが起こり、ゴルバチョフ大統領がクリミアに軟禁され、戦車がモスクワ市内を蹂躙した。
クーデターは3日で失敗し、ゴルバチョフはモスクワに戻った。共産党は解党され、リトアニアを含むバルト3国は、その後承認されたのである。
・・・・・
やがて肉体は上昇し、高まり炸裂し、千々に砕け散り、宇宙の海に回帰する。
ロシア人のざわめきと私の肉体が、宇宙の潮騒と化した瞬間、ポベーダが静かに燃え始めた。

(POBEDA1991 第T部 燃ゆるポベーダ 22&37ページより)



四十年の時空を超えて
 《虚無》でもって《空虚》を充填すること

今週のLivre  31 不可能

三島由紀夫事件・・・切腹あらまし  

切腹を演ずる三島由紀夫



切断された三島由紀夫の生首
(フライデー創刊号に掲載)



切断された胴体と二人の生首
 1970年(昭和45年)11月25日、
作家・三島由紀夫(45)が
東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面
総監部の総監室において割腹自刃した。
その際、三島と行動をともにした楯の会会員四人のうち、
森田必勝(25)も、最後には古賀浩靖の手を借りたとはいえ、
三島を介錯したのち割腹し、
その森田の首をさらに古賀が刎ねた。


当日の朝、彼は軍刀と、二振りの短刀を収めた
アタッシュ・ケースなど、必要な品々を揃えた。
「豊饒の海」第四部である「天人五衰」の長篇の結びを書き終え、
編集担当
小島千加子宛ての封筒に入れて、自宅の広間に置いた。
二人のジャーナリストに再び電話をかけて或る会館の名を挙げ、
そこのロビーで待っていてほしいと頼んだ。
そして、楯の会の会員四人とともに自宅を出た。

三島は東部方面総監益田兼利陸将に午前十一時に
面会を申し込んでいたので、一行は到着すると直ちに総監室に通された。
二、三分雑談したあと、前もって打合わせておいた合図に従って、
三島の若い部下たちは、なんの疑念も持っていなかった益田総監に
飛び掛って縛りあげ、机や椅子などで部屋の入口を塞いだ。


正午直前に、三島は総監室の外のバルコニーに姿を現わした。
彼は定刻になるのを待って歩き回り、一方、森田は
要求を書いた垂れ幕を広げた。
十二時きっかりに、三島は足下に集まった隊員たちと、
ふくれ上がってきた報道陣に顔を向けた。
隊員たちに向ってマイク無しの肉声で、興奮した身ぶりをまじえつつ、
真の「国軍」として目覚め、われわれの決起に参加せよ、と訴えた。


戦力放棄を謳った憲法を否定し、自衛隊に対して
「共に起ち、義のために死のう」と呼びかけた「檄」がバルコニーから撒かれたが、
隊員の誰一人として、三島のもとに駆け寄ろうとはしなかった。
彼らは、作家の熱烈な訴えに嘲笑で応えただけだった。
三十分間予定されていた演説は、七分間の茶番劇で終わった。
三島と森田は、型通りに「天皇陛下万歳」を三唱し、総監室に姿を消した。

三島は長靴を脱いで上着のボタンを外し、
ズボンを押し下げて、床に坐った。
鋭い短刀を腹に刺し込み、右へ向けて横一文字に引いた。
名誉ある介錯人に選ばれた森田は、主人の背後に立ち、
刀を振り上げて、三島の首を打ち落とす瞬間を待った。
内臓が床の上に溢れ出、三島の体は前方か後方のどちらかに傾いた。
森田は二太刀打ち下ろしたがうまく切れず、目的は果たせなかった。
彼より大柄な隊員の一人が
軍刀をもぎ取り、力をこめて正確に振り下ろした。
三太刀目かに首は離れた。

(三 島 由 紀 夫 割 腹 余 話より抜粋) 


その日の私の三島

水曜日午後の授業は数学だったろうか、いや白衣を着ていたから化学だったかもしれない。
最後の紅葉が僅かに残る中庭の渡り廊下を通って職員室に戻ると、
いつもと異なる妙に上ずったような興奮した空気が部屋を満していることに気づいた。
隣の席の英語科の出産後間もないマドンナと呼ばれていた女教諭が「三島が自衛隊で切腹したらしいの!」
と言ってはいけないことを云うように囁いた。

甘酸っぱい乳の匂いのするマドンナの体臭から発せられた切腹と云う単語は、
血に塗れたエロティシズムに止揚され、その余りの生々しさに思わず私は息を呑んだ。
40年前のその時の衝撃は余りにも大きく、だがしかし同時に「やっぱり・・・」との想いに打たれ
血に塗れたエロティシズムの海の中で為す術もなく沈黙したのを鮮明に覚えている。

「存在の悲劇」と題する未熟な哲学的思索を書いてみたり山に登ったりして、どうにか生き繋いできた大学時代を終え
26歳、数学と化学を教える新米教師は相も変わらず存在が本質的に持つ暗鬱な重さに曳きずられていた。
暗鬱な重さを湛えた心象風景に三島の作品が影を落とし、当時の私にとって三島は単なる作家以上の意味を持ち始めていた気がする。
だが多くの秀逸な作品と三島の思想や奇異な行動原理が何処でどう結びつくのか掴めず
三島が仮面を被っているのならば、その仮面を引っぱがさなければとの思いに突き動かされていた時期でもあった。
切腹を聞いた瞬間、衝撃と同時に三島は仮面など被っていなかったのだとストーンと納得してしまった。

《私は無益で精巧な一個の逆説だ。
この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考えるが、もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。
詩そのものは人類の恥部
(セックス)に他ならないかもしれないから》
「仮面の告白」の上梓後に三島は作品についてそう語った。
福田恆存はその三島を豊穣なる不毛と解説していたが、豊穣なる作品群の背景に救いがたき不毛を観ていた
当時の私としては福田の言葉は正に至言であった。
救いがたき三島の不毛性こそが、いかにも不安定な美しい音色を紡ぎ出していたのだ。
 



31 不可能
著者: 松浦寿輝
受賞: 三島由紀夫賞(折口信夫論)、芥川賞(花腐し)、読売文学賞(半島)
萩原朔太郎賞(吃水都市)
他の作品: エッフェル塔詩論、幽、川の光
発行所: 講談社
発行日:2011年6月21日
定価(各巻):1800円+税

読書期間:9月3日〜9月8日
評価:★★★★

還ってきた三島

その三島由紀夫が実は死んではいなかった。
咽喉元に醜い二筋の瘢痕は残ったが首の切断を免れ、27年間の服役を終えて三島由紀夫が還ってきたのだ。

「自分が年をとることを、絶対に許せない」
「自分が荷風みたいな老人になるところを想像できるか?」
「年をとることは滑稽だね、許せない」・・・
新潮社の担当編集者だった小島千加子などにも語りかけた執拗な三島の老いへの反逆。
そして言葉通り英雄的自己犠牲に対するマゾヒスティックな憧れを《切腹》に昇華させ
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とばかり葉隠を気取り45歳で三島は死んだ。

その三島を墓場から引きずり出し荷風より更に老いた衣を着せ86歳の老人に仕立て、
さて三島は老いた自身をどう語りどう行動するのか?
と萩原朔太郎賞を受賞した詩人・松浦寿輝は三島に成り替わって動き始める。

「薔薇刑」と題する自らのヌード写真集を出版し、「わが肉体は美の神殿」と自称し、
倒錯した性と美に耽溺し、戯曲『サド侯爵夫人』発表前後にはノーベル賞候補として注目された三島由紀夫。
反共,天皇制支持,暴力是認を表明していた三島の老いた肉体と精神はどう動きだすのか、
『折口信夫論』で折口の同性愛を描いた松浦寿輝であるからこそ初めて表出できた老後の三島由紀夫とは?

自らの首を再度刎ねる三島

「その頃の俺は自分は感受性の過剰という魔に取り憑かれていると信じこんでいたのだった。
その過剰を抑制するための何らかの鎧が必要なのだと。
観念の、知性の、筋肉の鎧・・・・・・。
だがその鎧とは、俺が自分にあると信じたかったそんな感受性など本当はちゃちな紛い物で、鎧で護っていなければ
たちまち摩耗してしまう程度のものにすぎないという事実を俺自身の目から秘匿するための、
つまりは自己欺瞞のための遮蔽物の謂いではなかったのか。

その筋肉の鎧ももう剥げ落ちた。ああ、摩耗も剥落も何とこれほどまでにすみやかで自然だとは!
感受性の摩耗、筋肉の剥落、かくして残るものは----骨だ、骨だけだ」
・・・・(4章 塔より)

一瞬目を疑い再び読み直した。老いた三島由紀夫が確かに還ってきたのだと思わせる文章である。
松浦寿輝はいともあっさりと三島の感受性の摩耗、筋肉の剥落を告げ
「それにしてもあんな大掛かりな舞台をしつらえた挙句の果て、結局あの研ぎ澄まされた鋼さえこの骨を切断できなかったのだ。
・・・・骨は残った。そしてこの先も残るだろう。俺が死んだ後まで残るだろう」
と述べる。
「月の光がわたしの躯に、骨に、直接沁みこんでくる。そのとき、もう距離はない」と残された老骨は若き日の三島に語りかける。
若き三島は切腹の瞬間と老骨に沁み入る月の光を対比させ、老いた三島にこう反論する。
「あんただって知ってるはずだろう?あのとき、距離は完全に零になった。
あの研ぎ澄まされた硬い刃は俺の首にたしかに喰い入った。距離どころか、俺の躯は世界に激突した」


驚くことなかれ残った三島の老後の骨は、自らの首を再度刎ねるのである。
6章 ROMSで悔悛老人クラブに入会し、7章 判決で耀くような美青年の陰茎切除の刑を宣告し、老いた三島は血を滴らせ勃起した陰茎を切り落とす。
最終8章でついに自らの首を刎ね生首を東京西郊に在る自宅の地下に、胴体を西伊豆の《塔の家》に曝し
死亡時刻と遺体の発見場所の時空をずらし、不可能な事象を演出しマスコミを踊らすのだ。
マスコミの1人はこう語る。
「《虚無》でもって《空虚》を充填すること、それこそが《無頭人》の弔いの、喪の儀礼の意味なのであり、その充填によって
《空虚》は不意に《充実》へと転じるのだ、そしてその逆説的な《充実》の秘蹟こそ、平岡という《存在》の、
−−−この世に在ること自体が一個の途方もない逆説であったかのごときその《存在》の、異形の本質にほかならないのだと。
いずれにせよ、
不可能なことが起きたとしか考えられなかった」

1か月前8月5日の朝日新聞のインタビューで松浦寿輝は著作の動機をこう語っている。
「そこで三島を借りてきた。僕は三島の熱烈な愛読者ではないが、謎を秘めて劇的に死んだその人生に興味があった。
本音なのか演技なのか区別がつかない言動を発信し続け、二・二六事件のパロディーのようなドラマで自らの死までも演出した。
老いを憎んで40代で亡くなった奇態な作家が、仮に生き延びていたら、という思考実験です」

と云う訳でこの思考実験、兎に角メチャクチャ面白いのである。

今週のBigニュース bQ6 

台風12号襲来
 9月4日(日) 63人死亡33人行方不明(9月13日現在)

台風12号の中心気圧は9月1日現在965ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は
35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心から半径220キロ以内が
風速25メートル以上の暴風域。
山梨県山中湖村で1時間に69・0ミリ(観測史上最多)、山口県周南市で66・5ミリ、
島根県吉賀町で63・5ミリ、群馬県伊勢崎市で54・5ミリ
(9月観測史上最多)、
岩手県一関市千厩町と埼玉県寄居町では49・5ミリ
(いずれも9月史上最多)を記録した。

紀伊半島では、8月30日17時からの総降水量は
広い範囲で1000ミリを超え、奈良県上北山村にあるアメダスでは
72時間雨量が1652.5ミリとこれまでの国内の観測記録である
1322ミリ
(宮崎県神門(みかど))を大幅に上回り、
総降水量は1808.5ミリに達し、
一部の地域では解析雨量で
2000ミリを超えるなど、
記録的な大雨となった。
 このため、土砂災害、浸水、河川のはん濫等により、
和歌山県、奈良県、三重県などで多数の死者、行方不明者が発生した。
(気象庁2011年台風12号の概要より)
山荘は小さな尾根の末端に位置しているので
鉄砲水や土砂崩れは無いかな等と
楽観していたが、そりゃとんでもない間違い。

観測史上を上回る台風12号の豪雨は
深層崩壊をもたらし尾根を切り崩し
村を襲い川を堰き止めダムを造り死者63人、不明33人と
未曾有の被害をもたらした。

豪雨の前には安全地帯は存在しないのだ。
朝トレの途中で竹森川の支流を覗いたら増水した激流が
牙をむいて吼える。
グランもオバマも腰が引けて近づこうとしない。
 

それにしても2000ミリの雨量とは
なんとも凄まじい。
そのまま溜めておけば2メートルの
深さになる水量なのだ。

こいつが山に降ったら
数千トン、数億トンを超える
超巨大で鋭利な彫刻刀に変容する。
それが如何に恐ろしい
破壊力を発揮し山を切り刻むか
推して知るべし。

今後堰き止められたダムの崩壊による
2次被害の畏れもある。
自然の脅威の中で人は辛うじて
生かされているにすぎないのだ。







9月2週・・・・すっかりデブに逆戻りの雲取山


すっかりデブに逆戻り
9月11日(日)晴 小倉山頂

あの機敏で行動的な悠絽は何処へ行ってしまったのか?
脂肪をたっぷり付け腹を突き出し
丸太ん棒のようになった重い胴体を揺らしながら
一歩登る毎にゼイゼイ、ハーハー。

勿論、嘗てのように自らトップに出て山荘主を引っ張って
登るなんてことは決してない。
失われたのは体力だけではない。
あれ程、森や山に示していた旺盛な好奇心もすっかり失せ
散歩の時間になっても動かないのだ。

以前は奥庭に出ると散歩の時間に関係無く飛び着いて来て
前脚を伸ばしストレッチを始め
「さあ、準備運動をしてますから連れてって!」と訴えたのだ。
だが準備運動どころか犬小屋から出ても来ず
「えー山に行くんですか?」とばかり
恨めしそうな目でじーっと見上げるのみ。

デブを悔いる悠絽



日帰り駆の雲取山

    コースタイム
実施日:
9月10日(土) 晴曇 
山荘発(45km)  5:30 
鴨沢登山口 6時40分着   6:50発 
七ツ石小屋 11:00着 11:10出   
雲取頂上 12:30着 13時出   
鴨沢登山口 15:45着 15時50分出
計  9時間    
山荘着  17:05 

標高差
鴨沢ー雲取山・・・1517m
実際のコース標高差・・・約1700m


日帰りで往復するには
距離が長すぎてうんざり


同行犬:悠絽




湧水発見!

マムシ岩分岐

七ツ石小屋主・雲取サスケと
短時間で登れる
後山林道はここ数年閉鎖されているので
雲取へのアプローチは
何処から登っても結構長い。

山荘から登山口までも柳沢峠を超えて
山荘より更に低い
標高500mの鴨沢まで下りねばならず
意外にも雲取は
山荘からは遠い山なのだ。

従って山荘建設後から18年間
雲取にはご無沙汰している。

一群の銀竜草のみがポツンと
標高差も1517mと大きく
距離もたっぷりあり
1泊2日で登るのが一般的だが
それでは面白くない。

デブで鈍感で意欲無しの悠絽が
道ずれでは
足手まといになるだけだが
それも新たなる試練とばかり決行。

築60年になる七つ石小屋では
小屋主も代わり
今は雲取サスケと名乗る
先代の息子が出迎えてくれた。

水場だぞ!

やっと稜線に出た

山ガールのテントにお邪魔


昨年の夏の終わりに登った黒岳で
沢山の高山植物
乱舞する華麗な蝶に迎えられた
記憶があるので森や山稜を
きょろきょろウオッチング。

ところが何にも無いのだ。
薄暗い森の奥に一群の銀竜草を
見つけたのみで
見事に何も咲いていないのだ。

せめて秋を告げる竜胆くらいはと
目を皿にして探したが無し。
余りの暑さに夏の花が死に絶え
秋の気配を感じられぬ秋の花は咲かず
殺風景な森が続く。
若しかするとこの山腹には
高山植物は育たないのか?

稜線のお花畑を観ながら昼食
稜線に出て初めて丸葉岳蕗の
目映い黄金が視野に
飛び込んできた。
幅広の稜線一面に群生してるのだが
残念なことにこれも殆ど
咲き終わり残っている花弁はほんの数輪。

いつもなら渡り蝶の浅黄斑が
飛び交っているのだが全く影もなく
緑豹紋蝶と一文字セセリが
忙しそうに黄金に潜む最後の蜜を
漁っている。

さあ、それでは昼飯にしようか?
と話しかけてもあの嘗ての
食いしん坊の悠絽は何処へやら。
「ぼく疲れてあんまり食欲ない」とでも
言ってるような目つき。

緑豹紋・ミドリヒョウモン(♀)と丸葉岳蕗&一文字セセリ・イチモンジセセリ



工事中の町営奥多摩小屋

頂の避難小屋見ゆ

綺麗な避難小屋
森から稜線に出ると夏の陽射しが
ガンガン照りつける。
帽子を忘れてしまったので頭に
バンダナを巻きサングラスをかけ稜線漫歩。

ヘリポートを過ぎ奥多摩小屋に出ると
カラフルなテントが数張り出現。
今流行りのストッキングに短パンの
山ガールが悠絽に声を掛ける。

山ガールが
テント泊の登山をするとは驚き!
軽装ハイカーを脱皮して
いよいよ本当の山の愉しさ発見か?

雲取山頂(2017m)
2017mの山頂に
立派な避難小屋が建っている。
雲取では山頂直下に雲取山荘と
雲取奥多摩小屋の2つの
有人小屋を抱えているのに敢えて
何故もう1つの立派な
避難小屋が必要なのか?

その理由は冬にある。
都心から近い為厳冬期でも気軽に
雲取山は登られる。
が、山頂付近の積雪は時に2mを超え
長いアプローチに体力を奪われ
遭難者は後を絶たないのだ。


最も寒い2月、土曜の午前の授業を終え
慌しく学校を出て雲取山に向かった。
後山林道の奥で真っ暗になり
ヘッドライトで三条の湯を目指すが
雪で途は消え着の身着のままのビバーク。
翌朝の山頂避難小屋が
何とも眩しかった1974年の想い出。

なんて悠絽に話しかけても
「ふーん、おバカな事ばかりやって
いたんだね」とばかり相手にされず。
そっぽ向いて何やら
新たな気配に意識を集中する悠絽。

やって来たのは2頭の立派な甲斐犬。
首輪に発信器を付け
鉄砲撃ち数名を引き連れ
堂々たる風格。

雲取山頂に立つ悠絽
発信器を着けられた犬が
鹿を追い
猟師が犬の位置を確認しながら
追い詰められた鹿を仕留めるのだ。

しかし此処まで登って来るのは大変。
そこで登場するのがヘリコプター。
先程通過したヘリポートには
息抜き用の窓の付いたケージが
幾つか置いてあったが
きっとあれに犬を入れて雲取山頂と
下界を往き来しているのだろう。

つまりあの堂々たる風格をした犬は
実は麓から登って来たのではないのさ。
悠絽はよろよろしてたけど
一応奥多摩湖の湖畔から自分の脚で
登ってきたのだから
大したもんさ!

どうだい見晴らしは?

5か月ぶりの悠絽登頂



山頂を下る

広い稜線

ザックを背負う犬に遭遇
さすが東京都の最高峰だけあって
たくさんのハイカー。
宿泊装備が詰まっているのか。
どのハイカーのザックもやや大きい。
今夜の月は十三夜。
2000mの稜線にテントを張って
月見酒と洒落るのかな。

積雲の湧き上る広々とした稜線を
下り深い森に入ると
驚いたことに
ザックを背負った犬が登ってくる。

「えっ!犬用のザックなんてあるの?」
と思わず問いかけると 
 
甲武信岳・金峰山
 「えーネットで探せば簡単に
手に入りますよ」と飼い主は答える。
実によく訓練されていて
飼い主の言葉通りに動くのには感心。

重い荷を背負っているのか
歩き方も一歩一歩しっかり大地を
踏みしめベテランの風情。
悠絽が近づいて吠えても
恰も悠絽を嗜めるかのように軽く往なす。

おーこれぞ理想の登山犬じゃ。
と見とれてしまい、うっかり
写真を撮るのを失念してしまった。
残念!

シオ沢支流

小滝を警戒する悠絽

朽ち果てた小屋






9月3週・・・・空から秋が降って来た!


扇山から緩やかに北上する稜線に
2つの彩が大きなアーチを描いた。
2つの虹の間に
挟まれた白い山荘が、
緑の漣を蹴立てて進む
帆船のように森の海に光を投げる。

グラン、2つの虹をよーく観てご覧!
左の虹と外側の副虹は
彩の濃淡だけでなく
根本的に異なるものがあるんだけど、
解るかい?
「うー、ワンワン!」

 ほー、凄いね解ったの!
 
 山荘(右の白い家)に懸る二重の虹
9月17日(土)雨 竹森川左岸から
そうだよね、
副虹は外側にあってより大きく彩が
薄いだけでなく
確かに赤と紫の色が逆転してるよね。
主虹はアーチの外側が赤で
内側が紫だけど、副虹は外側が紫で
内側が赤になっているだろう。
どうしてだろうね?考えてごらん。

何も調べずに自分に蓄えられた
知識のみでその答えを導き出せたら
君は風の又三郎にだってなれるぜ。

それでは正解を
このHPの3週末尾に載せておくから、
どうしても解らなかったら見てごらん。



氷の雲・巻積雲(北峠の入り口)

萩と秋の高積雲(山荘下)
 天空からの秋
9月18日(日)晴 石卓上の胡瓜

《ギャッホー!》
空を見上げて思わず叫んでしまった。
まるで氷の粒が見えるような
巻積雲や高積雲が、鱗になったり
蜂の巣から羊の毛になったり・・・
あーそんな風にして
いつだって突然、
秋はやって来るんだね。

ほら、山荘の森や庭、畑の
何処にでも咲いている
萩だってとっても嬉しそうだよ。
わくわくしてどうしていいか
解らなかったので
取りあえずキッチンの入り口に
山と積まれている
収穫したばかりの胡瓜を持ってきて
うーん、どうしようかな?

そうしたら風が嗤うんだ。
「おやおや、胡瓜なんぞを持って
ウロウロとあちこち
歩きまわってさ・・・
そんなに秋に逢えて嬉しいのなら
いっそのこと《秋》とでも
書いて空に見せておあげよ!」

梅もどき(山荘池)

ガマズミ(山荘居間)
 小さな秋、観ーつけた!
9月18日(日)晴 山荘

「ふーん、その胡瓜で書いた字、
なんだか、とっても様になってて
気になるんだけど・・・」と
いちゃもんをつけてくるのは
どうやら池に注ぐ疏水横の梅擬き。
どうやら山荘主の悪筆を
知ってるような素振り。
やべー!

そこへガマズミまでもが
しゃしゃり出てきて

「そうなんですよ。
その悪筆ぶりは半端じゃありません。
何しろ自分で書いた字が
自分で読めないのは日常茶飯事」

更に秋桜、曼殊沙華までもが
図に乗って騒ぎ立てる。
「あたしら生徒にとっては
黒板に書かれた字を読み取るのは
そりゃ大変でしたよ」

その悪筆の山荘主に
あの胡瓜の《秋》が書ける筈がない
とでも言うのか?梅擬きさん!

コスモス(西畑)
 
彼岸花(前庭)


秋来讃頌

折角、空から秋が降って来たのに
《小さな秋》どもが
生徒に変身していちゃもん
つけるもんだから
すっかり気分を損ねた山荘主。

今度は何やらログハウスの
大きなチベット密教仮面を
取り外して
テラスにウンヤコラ運んでいます。

あんまり空が碧くて
嬉しさをどう顕わしていいか解らず
《秋》なんて書いてみたものの
嗤われてしまったので
どうやら次のリプレゼンテーションを
仮面に託そうと
しているのでしょうか? 
《私は無益で精巧な一個の逆説だ》
先週の「仮面の告白」で
取り上げたた三島の言葉が
ぐるぐると山荘を駆け巡っていたけど
ついにこの仮面と対峙したのかな。

そりゃ勝手にログハウスの密教仮面と
対峙するのはいいけどそれと
秋来讃頌とどう結びつくの?
あれ大体、秋来なんて辞書に無い
言葉を勝手に造ったりして
全くしっちゃかめっちゃかだな。

と盛んに嘆くのは左奥に以前から
棲んでいる蒼の仮面。
澄ました顔して山荘主は語る。
「ほら、やっとこれで2対の仮面が揃った。
仲良くしておやり。
今夜は秋来讃頌の宴を催してやるからね」



名はねえずら!

オイラもみーつけた白鬼茸!
茸狩りの達人に逢う
9月18日(日)晴 北峠

そうだったのか!
空から秋が降って来たと
盛んにはしゃいで仮面なんぞを
テラスに掛けたりしてたけど
本当の狙いは
秋の夕空を眺めながらテラスで
秋来讃頌の宴を開きしこたま
ワインやビアを呑もうとの魂胆だな。
見えみえだね。

が、となると宴に森の茸があるといいね。
 
唐笠茸かな?
 
お馴染み美味な卵茸
 
解けてる唐笠茸

「布袋占地、違う?あー犬の名前か
名はねーずら!」
と云って連れのセッター犬を撫でながら
森の中から現れたのは茸狩りの名人。

犬の名にしては布袋占地は変だと
思ったが犬の名が無いのには
もっと吃驚した。
この布袋占地は実に美味いのだが
不思議な茸。

お酒を飲みながら食べると
酔いが深くなり酔いの回りが加速し
顔面の紅潮、呼吸困難、激しい動悸、めまい
に襲われるらしい。
さて名人は何故敢えてホテイシメジを?

これぞ達人の布袋占地か?

こんなに沢山採れました




犬とのツーリング 柳沢の頭1671m
    コースタイム
実施日:
9月18日(日) 晴 
山荘発(45km)  13:10 
亀裂現場 14時10分着  
登山口 14:30着   
引き返し点 15:20着 
亀裂現場 15:50着
山荘着  16:27 
計  3時間17分    

標高差
山荘ー柳沢の頭・・・941m


犬をバイクに乗せて
林道を走った。が道路亀裂部を
ジョックさせたら足から出血。
ごめんグラン!


同行犬:グラン




林道の面影無し(1550m地点)

ユンボの工事人は語る
3・11大地震での崩落現場
9月18日(日)晴 柳沢の頭直下

朝トレーニング、前庭での朝食を終え森で撮った茸をネット図鑑で調べていると、何やら奥庭でグランが吼える。
どうも山荘主と同じで、空の蒼が気になってじっとして居られないらしい。
「そんなら目の前に聳えるあの高芝山のもっと奥に在る柳沢の頭にでも行ってみるかい?」
とグランに声をかける。
グランの歓び様ったらそりゃ見せてあげたいくらいだね。

で、バイクに跨り長駆なのでグランは伴走させずバイクに乗せて竹森川を北へと向かう。
平沢千野線から竹森林道に入ると直ぐに閉じられたゲートにぶつかる。
バイクならどうにか通過出来る隙間が在るのを知っているので、その隙間を抜けて更に遙かな柳沢峠を目指しひた走る。
高芝山を超えると林道には大きな亀裂が走り、崖崩れで道路は完全に塞がれているでは。

ヤベーぜ!

バイクは走れるか?

深すぎるぜ!
台風12号も亀裂拡大か?
9月18日(日)晴 高芝山直下

「こりゃね、3月11日の東日本大震災で
割れちまっただ。
県からの予算が降りねえで
あの日からそのまんまさ」
と工事人は語る。

亀裂の底に石がゴロゴロしてるのは
亀裂が生じた後に
激しい水が流れた事を示している。
きっと先週の台風12号が
亀裂の中を流れ
更に深くえぐったのであろう。
「車がつっぺっちまって
柳沢峠のゲートから歩いてきたずら」
だぶだぶのニッカ・ボッカを
はいた工事人の若い衆が手に
2つの缶ジュースを持って
息急き切って登って来る。

つっぺる?はて、暫し考える。
そうか滑って
道路脇に落ちたと云うことかと
何とか理解したが
この状態ではバイクでさえ無理なので
当然四輪車では事故っても
不思議は無い。

ユンボ(油圧ショベル)で作業中の
仲間の居る現場まで登り
ユンボを事故現場まで降ろし
事故車を引き上げるのだろう。
3・11大地震での亀裂
9月18日(日)晴 高芝山直下

「おい!グラン、どのくらい深いか確かめるから亀裂に降りてみろよ」
歓んでグランが降りる訳は無い。
「厭だよ、もし又地震が起きてこの亀裂が閉じてしまったら、オイラはどうなるんだい?」
「そりゃ心配ないよ、そんなこと起こる訳ないだろう」
「そんな無責任な、どんな根拠に基づいているんだい。3・11の大地震だって誰も予測しなかったんだからね」

「ほらこの間だって焼却炉に入れられる直前に救ってやっただろ。危ない事なんてやらせる訳ないじゃん」
「この亀裂は水の流れた跡が全く無いよ。つまりこの亀裂は地震だけの力で裂けたので、ちょっとした地震で閉じるかも知れないじゃないか」
なんぞとぶちぶち文句を垂れながらも良い子のグランは裂け目に降りてくれたのでした。
では貴重な大地震の現場写真をハイ、パチリ!




富士と高芝山

高芝山と山荘の盆地
高芝山の裏顔
9月18日(日)晴 柳沢の頭直下

古い朽ちかけた道標に
「行き止まり」と書いてある方向が
竹森林道を経て山荘へ向かう道。
よく観るとその表示板の下に
直角に交差するもう1枚の表示板があり
ここには「柳沢峠へ」と記されている。

入り口には丸太の階段もあり
如何にも歓迎されている感じがするが
騙されてはいけない。
この先数メートル進むと
地獄の藪漕ぎが延々と続くのだ。
2メートル以上の熊笹が
完全に行く手を遮り笹の海の中で
溺れてしまう。

幾ら目を皿にして踏み跡を追えど虚し。
遂に見失いギブアップ。
今来た道を戻るのさえ難儀。
しかし林道に出た途端、眺望抜群。
山荘からいつも見上げている
高芝山を上から見下ろす
気分はなんとも爽快。

猛烈な熊笹に消えた途

先週登った雲取山遠望




散策途を塞ぐ倒木2本

壊されたレストラン
台風12号森のレストランを破壊
9月19日(月)晴 山荘の森

朝トレで扇山に登ろうと山荘の森に入って吃驚!
先日切り拓いた森の道に大きな古木が2本倒れ、完全にルートを塞いでいるではないか。
「グラン、こりゃ大変だぜ!又チェーン・ソウを持ってきて樵にならなくちゃ」
と語りかけながら森を進むと、ありゃら!
もっと大変!森のレストランが倒木に襲われテーブルは切断され脚は4本とも折れ、椅子も壊れてしまった。
先週の台風12号の仕業に違いない。

仕事が又増えちまったぜグラン。手伝っておくれよ!




愛美ちゃんのお父さん

分けて頂いたピオーネ
贅沢三昧・秋の味覚
9月18日(日)晴 

「駄目さ!台風と雨で
病気が出て収穫は激減だし
味もよくねえし
それでも葡萄持っていくかね」
そう語るのは愛美(エミ)ちゃん
お祖父さん。

「あー、あのいつか娘の写真を
届けてくれた登山家の方ですか?
今年のピオーネは出来悪いですが
どうぞ持って行ってください」
と愛美ちゃんのお父さん。
 
甘酸っぱい山法師の実
 
西瓜大好きなグラン
 
クレソンの嫁入り

朝トレーニングの後には
前庭の石卓に
採れたての葡萄、山荘の無花果
山荘の西瓜、メロン
冷凍保存しておいた干柿と
唐黍が並び、胡瓜、ゴーヤー
茄子、オクラ、ピーマン、海老の
サラダがテーブルを飾る。

池の疏水の流れが止まり
枯れてしまったクレソンの代わりを
目白の元大名屋敷から
嫁入りさせたので、こいつも
サラダに加えてやろうかな。

大豊作の無花果

採り切れぬ秋胡瓜


1億5千万kmもの彼方から
遥々とやって来た太陽光が
地球に浮く
小さな水滴にぶつかる。

直径140万km、表面温度6千度の
巨大な燃える星から放たれた光は、
小さな水の星の表面で
2つに別れる。

水滴の表面で弾かれた光Aは
水の星の彼方へ新たな旅を開始し、
光Bは屈折し星の内部に進む。

光Bは星の出口で屈折し
光CとDに分かれ、
星の内部を進む光Dは
星の出口で3度目の屈折をし
光Fとなるか
星の外へ飛び出して
光Eとなるかの選択を迫られる。

光Eとなって水の星の外へ
飛び出すと光は波長の長さ別に
分光され虹になる。
これが主虹なんだ。 
2つの虹(主虹と副虹)の帯の色が逆になる理由






 

 光の旅
 左のスペクトル画像が
主虹が生まれる様子を表している。

2度目の屈折で更に星の内部への
旅を選んだ光Fは、
星の出口で4度目の屈折をし
光Gとなって星の外へ出るか
再び水の星の内部を流離うか
2方向に別れ、外に出た光Gが
スペクトルに分光され副虹になる。

左のスペクトル画像をよーく観てご覧!
ほら赤と紫が
主虹と逆になっているだろう。
つまり副虹は4回の屈折を経て
虹となって水の星の外部へ出るので、
主虹より彩が薄いんだね。

仮に1度の屈折で光の量が
半分になるとすると、主虹は
最初の太陽光の8分の1、
副虹は16分の1となってしまう。

屈折毎にスペクトルの帯は逆転し
副虹は主虹の半分の明るさ
となって薄く見えるわけさ。
(画像:wikipedia)




9月4週・・・・山荘で初めて収穫した葡萄を仕込んではみたが・・・?

幽玄なる森への旅


何処に目が在るのか
解らないけれど、
目が合った瞬間
とても大きな強い力が
発せられ
それはもう、
どうにも動きが
取れなくなって
ズーズーと
引きずられるように
大木に合体して
しまいました。

するとどうでしょう、
脚なんか勝手に
大木の枝になって
グランも妙に神妙にして
まるで木になって
しまったのです。

森に擬態する生命2つ
牛王院平の森にて 
太い幹はほぼ直角に
折れてしまった
にも拘らず、
東方へ逞しく伸び続け
数百年の時を超えて
生き延びてきたことを
語りかけます。

何だか数百年の生命が
樹幹から滲み出して来て、
ほら、僕達の体に
じわじわと馴染んで
時間が
繋がってしまった
ような気がします。 

こうして僕たちは
森になって
しまったのです。


[1]  唐松尾山〜笠取山へ

3連休である上にばっちり晴れるとあって、本来なら北アルプスを目指しても良い筈なのだが、先週膝を痛めてしまった私が同行では、
さすがにアルプスはきついので、奥秩父主峰の一つである唐松尾山2109mを目指すことになった。

台風15号が去ったばかり、まだ爪跡も生々しい山間部への車乗り入れは不安もあるが、もし通行止めならまた考えようとの前提で出発。
つい先週までの残暑が嘘のように、早朝の空気はきりりと引き締まり、寒いほどだ。台風が夏の名残を洗い流して、地上もすっかり秋の気配だ。

甲府盆地は低い雲に覆われ、天気予報が当たっているのかどうか定かではない。
しかし高度があがり始めると、雲は眼下となり、見事な秋晴れの空が清々しい青さで広がる。

三の瀬への林道は片側の崖が驚くような急角度で立ち上がり、よくもこんなところに道が作れたものだと感心する。
網の目の柵が崖を覆っているのだが、その上の急斜面を転がり落ちてくるものがあれば、とても防ぎきれないだろうと思う。




 玄なる森・唐松尾山
    コースタイム
実施日:
9月24日(土) 晴曇 
山荘発(35km)  5:50 
三ノ瀬登山口 6時55分着   7:05発 
将監小屋 8:50着  9:00出   
唐松尾頂上 10:50着 11時出   
笠取山頂 13:00着 13時30分出
笠取小屋  14:00着 
作場平  15:30着 
三ノ瀬登山口  16:05着  16時10分出
計  9時間    
山荘着  17:02 

標高差
三ノ瀬ー唐松尾山・・・859m
実際のコース標高差・・・約1200m


山が深くとても静か


同行犬:グラン


将監峠の「将監」とは一説に北条氏家臣の横地将監のことで、八王子城落城で追われた彼がこの地に至ったと伝えられている。
将監の由来については以下の三つがあげられる。
1、北条氏家臣の横地将監
2、小菅氏のある代の官称
3、武田氏の家臣の名
(山名由来:日本山岳ルーツ大辞典より)


ムジナの巣かな?

台風15号後の補修(将監小屋主の田辺)

将監小屋にお邪魔

秋陽を浴びる将監小屋
谷を埋め尽くす巨岩が
杉苔に覆われて実に美しいね。
ここを棲家に選ぶなんて
随分と風流なムジナ。

ムジナって穴熊のことなんだよ。
穴を掘る代わり
苔生した巨岩の隙間を利用して
丈夫な石の家に棲んで
数千年の時を刻んできたのかな?

1500年もの昔の日本書記には
「春2月、陸奥国に狢(ムジナ)有り。
人となりて歌う」 と記されてるとか。
その頃には既にムジナは人を化かす
との民話が
各地で語られていたんだね。

なんぞとムジナに想いを巡らせて
歩いていたら目の前に
突如現れたムジナ色した生命体。
「こんにちは!」
と声を掛けたらムジナが喋った。

どうも将監小屋の主が
ムジナ色のセーターを着て
台風15号の直撃で崩された林道を
補修しているらしい。

将監小屋の周りには
「ムジナの巣」を始めに
「山の神土」とか「牛王院平」とか
武田信玄が軍用金を埋蔵した
という伝説が絡んだ
意味深な地名が散在している。
ムジナは軍用金の守護神か?

きっと将監小屋の主ならその意味を
知っていて山小屋の囲炉裏を
囲みながら時には
登山客に語るのだろうかね。

で、小屋主の居ない将監小屋に
お邪魔してのんびりと
長閑な将監峠を散策したのでした。

長閑な小屋の水場

秋空の将監峠

雲取山への導標
 
さあ稜線だ!将監峠
 
山の神土



[2] 弥勒&日光

登山道入り口先に民宿があり、そこに駐車場もある。駐車料500円を前払いしながら、台風の影響を尋ねたら、雨は降ったものの風は強くなかったので、
被害はないとのことだった。向かいの民家の庭先から、そのまま登山道へと進める。

将監小屋を目指して、林道を歩く。何回か地図で確かめながら、気持ちの良い広々した林道を愉しむ。
こんな歩きやすい道なら、帰りは一人で下山しても大丈夫だろうと、膝の不安を宥める。連休真っ最中というのに驚くほど人が居ない。
途中の七つ石尾根を通る人が居るのかもしれないが、結局将監小屋までに出会ったのは、小屋まで僅かの処で、
台風の後始末で道の整備をしていた小屋主の田辺さんただ一人。

立派な猟銃を車に積んでいたので、隊長が【なんていう名前ですか】と問いかけると「ミロクだね」との返事。
だがすぐに訂正され「いや、ニッコウだったね」。そうか、獣を仕留める銃の名が弥勒とか日光とか・・菩薩の名前なんだと妙に感心した。

明るく開けた草地にこじんまりした小奇麗な将監小屋が建っていた。ここなら宿泊してもなかなか快適そうだ。
小屋の先から緑の絨毯を敷き詰めたようなきれいな斜面が伸びあがって、澄み切った空へと続く。
やっと登りが始まったという感じで、のんびり登る。
ここまでは、足の具合は快調であり、このまま唐松尾山の山頂までは行かれるかもしれないと期待が膨らむ。


腰掛けて脚を降ろしても
未だ巨木の下まで届かないぞ。
高さ35m、幹の太さは
80cmを超えているし樹齢は
300年以上だね。
となると水楢しかないかな。

楢も幹の太さは1mにもなるけど
標高1500m辺りが限界。
ここは2000mの稜線だから
楢の生育は無理だし
どう考えてもやっぱ水楢だな。

極め付けはこの倒れている様な
スタイルにあるね。
枯れて折れた訳ではないんだ。
伏臥と云って高木なのに
低木状になって豪雪の森でも
雪の重さから逃れて
生き延びられるんだよ。

すげー大木! 
それにしても2000mもの高度に
位置する稜線が
これ程までにゆったりとした
豊かな森に覆われているとは
実に驚きだね。

おや、この倒木は空洞になってる。
グラン中に入ってごらんよ。
厭だって、そう云わずにさ・・・。
ほら、まるで巨木から
生まれた森の妖精みたいだよ。

村上もグランに負けじと
伏臥した2つの水楢の間に入って
少女のようなキラキラした
微笑みを浮かべVサイン。
あーこんな風にして
みんな森になってしまうんだね。

稜線の森を往く

大木の穴からひょっこり

大木に囲まれて



[3] 手書きの山頂札

朝は気が付かなかったが、富士山に初冠雪が望まれる。峠を過ぎ、分岐に着くが立派な道標には何故か、唐松尾山の名は記されていない。
笠取山・雁坂峠方面としか書かれていないのだ。少し外れた大木の幹に、手書きの古い道標が掛けられ、かろうじてそこに唐松尾山の文字が記されていた。

せっかく雲取から雁坂峠に抜ける山稜の中で最高峰でありながら、訪れる人が極端に少ないのであろうか。

交通の便が悪い故か、おそらく山頂からの眺望が全くないところも人気がないゆえんなのかもしれない。
とにかくマイナーな山らしく、相変わらずほとんど誰にも会わない。
森は深く豊かな木々に囲まれ、静かで穏やかな実に贅沢な山だと思う。
森のオブジェに出会う度に写真を撮ったりして、遊びながら登るせいか、気が付いたら
2000mを越えていると言うではないか。労せずして高度を稼いだ気分だ。


[4]

苔と倒木や岩も交じる
鬱蒼とした道となってくるが、
歩きにくいことはない。
何人かの単独行の人にすれ違う。

笠取から逆コースで
下山してくる人や白岩山で
テント泊予定の人などである。
膝のことを考えると、取りあえず
唐松尾山頂まで行って、
一人で元の道を引き返せば
何とかなりそうだと、考えつつ、
足運びは慎重に。


シャクナゲの群生地らしく、
小灌木が隙間なく続く道は、
シーズン中はさぞ見事だろうと想像する。
ほぼ3時間で唐松尾山山頂へ到着。

唐松尾山頂(3等三角点標示)
[5]

周りはすっかり高い樹木に囲われて、
残念ながら眺望は望めない。
ここにもささやかな手書きの山頂札が
木の幹にぶら下がっているだけである。

写真を撮って小休止してすぐ出発。
此処まで来たからには、
引き返すより、このまま笠取山を
目指そうと決定。


降り始めるが、暫くは岩場が続き、
道も不明瞭になり、やや不安が萌す。
引き返した方が良かったかと
迷いながらも
,しばらく進むと
急に歩きやすい登山道となり、
ほっとしながら進む。

遙か雲取山を望む

小さいので岩場は登れず

大菩薩(左)と初雪富士(右)




笠取山中央峰(3つの峰の最高峰だが展望無し)
笠取山のてっぺんで食べようと
朝4時に焼き上がった
人参パンにたっぷりポテト・サラダを
載せて作った今日のお弁当。

さて、どんな味かなとパクリ。
うーん、パンが
雲みたいに柔らかくて
山荘で採れた人参とポテトが
蕩ける様な美味しさ。

山荘の太陽と大地をそのまま
調理したようなお弁当を
見てはいつもなら
グランもドッグ・フードなんか
見向きもせず
サンドイッチが欲しいと
騒ぐのです。
 ところがいやに静かなのです。

 笠取山西峰
あれまー
こっくりこっくり船を漕ぎ出し
寝てしまったではありませんか!
やっぱり未だ子供なんだな。

そこへやって来た単独の登山者。
ほらグラン起きろ!
折角だから写真を撮ってもらおう。
寝ぼけているグランを
抱き上げてハイ、パチリ。

懐かしの笠取小屋に寄ってから
更に下ると
左右に振り分けたリュックを
背負ったコギー犬にバッタリ。

雲取山の犬より
小さなリュックだけれどどうも
今夜はこれでテント泊を
するらしいよグラン。
グランもリュックどうだい?

 疲れて山頂で居眠り

 笠取小屋の田辺さん

おや!リュックを背負っているぞ



初めての葡萄収穫とワイン

山荘に戻ってきたよ!(ゲートのムースとグラン



豊饒な光に包まれて
甲斐ブランの収穫

幽玄の森から山荘園へ

9月25日(日)晴 山荘葡萄畑

小倉山の混沌とした闇の稜線を突き破って光が爆発する。
1億5千万kmもの彼方から遥々とやって来た太陽光が、葡萄棚に浮かぶ1房の小さな葡萄にぶつかる。

直径140万km、表面温度6千度の巨大な燃える星から放たれた光は、
1粒の小さな葡萄を突き抜け
、淡い緑の虹となって散乱する。
先週、山荘に架かったような虹が葡萄からも生まれるなんて、それも緑の虹様になるなんて、何と云う淡い美しさ。
混沌を突き破ってやって来た光が葡萄球で屈折し、コスモスとなってビッグバーンしたこの瞬間。
この瞬間に巡り逢えた歓びをワインに出来たら嬉しいな!

頬の傷痕・葡萄蔓によるヤクザの陰影   光溢るる朝・3年目の小さな幸を収穫




僅か11kgの収穫でした

熊ん蜂までやって来て!

粒が小さいので大変!
何しろ今年は葡萄が
超不作なのだ。
先週、葡萄農家の愛美ちゃんの
お父さんが言ってた通り
台風や雨にやられ
病気が発生し収穫量は半減とか。

例年ワイン用の葡萄を
納入してくれる業者も今年は
どうにも良質な醸造用葡萄が
手に入らないらしい。
従って例年の赤ワインは仕込めず。

1995年から続けてきた
山荘ワインは17年目にして
念願の自家栽培葡萄でのワイン
仕込みが実現。
しかし葡萄不作の年にあたり
僅か11kgの収穫。

これでは数本のワインしか出来ず
いや、試飲している内に
終ってしまう可能性もありで
なんとも寂しい。

初めての収穫なので
比較出来ないがきっとこの葡萄も
本来の糖度まで熟成せず
美味しいワインは先ず無理か。

なんて思いつつ虚しく葡萄を
1粒ずつもぎ始める。
直ぐやってきたのはでっかい熊ん蜂。
せわしく葡萄を巡り
果汁を吸い込んでいる。
と云うことはこの葡萄の糖度
満更でもないのかも?
西瓜やメロンはともかく
ゴーヤーまで食べるグランが
黙っているはずはない。
でっかい熊ん蜂に負けじと早速
しゃしゃり出て来る。

「ねえ、ねえ何だか美味しそうな
匂いがするんだけど
何してるの?」

「これはね、酸っぱい葡萄で
グランには食べられないのよ」
「とか云ってさ、
本当は西瓜より美味しいんだろ?
試しに1つ食べさせてよ」
 ・
勿論、口より手のほうが早い
グランですから
会話と同時に葡萄にかぶりつく。
「駄目駄目!」
と手で押さえつけるが効果無し。

そこで選手交代。
「お前、優しい人だと思って
おちょくっているな。
こりゃワインの材料で食べたら
口がひん曲がるぞ」
「お願い、じゃ試しに1つだけ」と
それでもしつこいグラン。

そこで潰した葡萄の皮を
あげると暫くクンクンと匂いを嗅ぎ
「食べるのやーめた」
とばかり、やっと納得顔。
  ちょっかいを出すグラン
9月25日(日)晴 前庭
 

ねえ、食べてもいい?

1粒ずつもぎます

ふーん、これがワインになるの?




ぼく、閑だなー
ほら、こうしてちょっと
黒ずんでいるような葡萄粒は捨てて
美味しそうなのを選んで
このボールに入れるんだよ。

グラン、閑だって!
そりゃ手伝ってもらいたいけど
まー無理だね。

でさあ、次どうするの?
その次かい?
葡萄の粒を潰すんだよ。
粒が小さくて
中々潰れないんだけど
1粒残さず全部、完全に潰すこと。

沢山あるから大変で
例年は助っ人が参加して
わいわい、がやがや
賑々しくやるんだけど今年は
量が少ないから2人さ。

さあ、どうにか全部潰れたぞ。
そうしたらこの潰した葡萄を
柄杓でプレス機に入れ
ハンドルを回して
徐々に絞っていくんだよ。
 
 ワイン仕込み開始だ!
 圧力がかかると
ステンレスの籠の目から
葡萄液が飛び出すので
アルミフォイルで
カバーして飛び散らぬようにして
下の樽に落とすんだ。

ほら少しずつ樽の中に果汁が
溜まってきただろう。
で、プレス機の籠には葡萄の皮と種が
残るんだけど
安いテーブル・ワインなんかは
これにアルコールを加えて
ワインと称して市場に出してるね。

絞り滓は砂糖を入れてジャムにしても
いいんだけど
面倒だから捨ててしまおうかな。
 
潰した葡萄をプレス機に
 
さあ、絞るぞ!

ほら、果汁が出てきたぞ 
 
何だか随分少ないね
 で次に比重計で糖度を計って
アルコール度数を決めて
その度数に合わせて
補糖する砂糖の量を計算するんだ。

ワインは14%が一番美味しいと
云われているけど
山荘ワインはいつも17%になるように
補糖している。
でも今年は目分量で砂糖を加えたら
多すぎて度数20%を超えそう。
 
搾り滓をジャムにするかい?



 白卓がやって来たぞ!
9月25日(日)晴 山荘森

  台風12号で壊された
森のレストラン。
テーブルは修理不能なので
新しいのを買うことにしたよ。

でも前のと同じ深緑のテーブルが
見つからなくて
仕方なく白にしたんだけど、どう?
ちょっと眩しすぎて
森の動物たちも警戒して
暫くは近づかないかな?
グラン、乗ってごらん!
そうそう、そうやってテーブルにすっくと立つと
なんだか森の新しい王子様みたいでかっこいいな!
体の白とテーブルの白のアンサンブルがとってもいいね。
さて森の皆さんにご挨拶出来るかな?

「今年生まれたグランと申します。
舞瑠がこの森を駆け巡り、森のレストランで会食を開いては
皆さんと愉しい日々を過ごしていたとか。
舞瑠は天国へ旅立ちましたのでこれからは不肖、私グランが
皆さんと森のレストランをやっていきたいと思います。
宜しくお願いします」

ふーん、やれば出来るじゃないか!

わー嬉しい!山荘に白曼殊沙華が咲いた



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