山荘日記

その15冬ー2007年如月

 


如月1週・・・遅すぎた氷の花




2月3日(土) 晴 北の森にて

暖冬の氷の花

とっても楽しみにして
待ってたのに・・・
11月の下旬から
森に入る度に
どきどきして
見つめていたのに・・・

2月になっても暖冬続きで
氷の花は咲かず
もう駄目かと
諦めかけていました。

昨冬より2ヶ月も遅れて
やっと
咲いてくれたんですね。

昨冬の12月には
大きな指輪のような
氷の花を開いたのに
今冬は小さくて
随分可愛いね。

茎に氷の羽を付けて
天空へ飛び立つ
ロケットのようだよ。



2月3日(土) 晴 北の森にて

氷の羽衣

おや!
こちらは天女の羽衣?

絹の繊維の1本1本が
きらきらと光って
透けてみえるよ。

まるで山繭で織った衣の
ように見えるけど
紫蘇科の植物《霜柱》の
作品なんだろ?

勿論、冬将軍の
冷たーい氷の息吹無しには
織れない羽衣。

でも枯葉色に染まった森で
誰がこれを着るのだろう?
誰が氷の羽衣を
鑑賞するのだろう?

狐や狸の子供?
それとも猪の家族?
いやいやもしかすると
枯葉色一色に染まって
退屈している
森そのものかな?



2月3日(土) 晴 北の森にて

維管束の創造

植物の茎や葉には
生命を維持し活性化させる
維管束が血管のように
走っている。

主に水分を運ぶ木部と
栄養素となる
光合成産物を運ぶ師部
から維管束は成っている。

《霜柱》の四角い茎が
霜枯れ
縦に断裂すると維管束が
露出し外気に触れる。

そこに冬将軍の
冷たい息吹が掛かると
木部の水分が凍結膨張し
亀裂から射出される。

亀裂が1本で
亀裂面が平行であれば
左画像のように
平板となって射出する。

亀裂面が平行でなければ
カールし
スパイラルを描きしばしば
上画像の造形を成す。

氷の花が咲くと
維管束は破壊され
2度と花は造形されない。

つまり一冬に
たった1度だけの造形であり
初冬に開き
直ぐに散ってしまう。
この時期に見られるのは
稀である。

天人草やサルビアも
寒冷地では氷の花を
咲かせる。



2月3日(土) 晴 北の森にて

猪浴場は閉鎖

どうするんだろう?

森の中に幾つもある
猪浴場は何処もかしこも
バリバリに凍りつき
風呂場の壁は
霜柱でいっぱい。

その霜柱が剥がれて
風呂場に重なり
ご覧のように氷風呂。

これじゃ大好きな
お風呂にも
春までは入れない。

春一番に浸かるお風呂を
猪君はどんなにか
心待ちにしてるか
知ってるかい?



2月4日(日) 晴 牧丘の里

遥かなりヒマラヤ

急傾斜の岩場を登りきり
鉄塔ピークに立ち
振り返ると
眼前にヒマラヤが展開する。

この瞬間が堪らなくて
冬の朝トレーニングはこの
鉄塔ピークを選ぶ。

鳳凰三山の背後に
千丈岳、甲武信岳、北岳
間ノ岳、農鳥岳、塩見岳
悪沢三山、赤石岳、聖岳と
南アルプスの名峰が
雪と氷の壁となって
展開する。

先週雲海に覆われていた
牧丘の里が今日は
すっきりと広がる。



2月3日(土) 晴 竹森の里

果樹枝の焚き火

左の南面に目をやると
山荘の在る竹森の里が
焚き火に煙る。

葡萄、桃、ソルダムの
枝の剪定が始まり
その枝の焚き火が
そこかしこの畑で煙を
出し始めたのだ。

山荘ではこの枝を貰って
チップにし有機肥料を作る。
しかし今年は
チッパーが故障し枝不要。

そのせいか例年より
焚き火の数が多いような
気もするな。

いずれにしても
この煙が立ち昇ると
春は近いのだ。



2月4日(日) 晴 東の森にて

森の高層住宅

《猿の腰掛》は
木を腐らせる白と褐色の
腐朽菌を持っている。

こいつは褐色腐朽菌で
癌のように木の生命を蝕む。
穴が無数に開いていて
中に子供を蓄える。
管孔状の子実層托と
呼ばれている孔だ。

この高層住宅から
子供達は森へ飛び出し
木々に転移し腐らせ
大地に還す。
その大地の養分を食べて
森は再び豊かに繁る。

木々にとって癌のような
《猿の腰掛》が
人間の癌治療剤として
近年注目を浴びている。

癌には癌を!



2月3日(土) 晴 ピーク2南稜

心象の屈折

先週拓いた新ルートの
ピーク2の南尾根で
奇妙に捩れ曲がった
赤松に出逢った。

どんな事情があって
こんな風に互いに絡み合う
ことになったのであろう。

余りにも近過ぎてしまい
光を共有出来ず
互いの天空を目指さざるを
得なかったのか?

それとも風や雪による
骨折が原因で
曲がってしまったのか?

屈折した心象風景の
なせる業かな?



2月4日(日) 晴 上条の森入り口

もう春かな?

わー見つけた!
柳の芽だ。暖かそう。

こんな風にして
モヘアのような衣を纏い
寒さから芽を守って
光を沢山孕んで
春を待つんだね。

このモヘアを自ら
創り出すまでに何万年もの
試行錯誤があって・・・

そうして誰よりも早く
発芽に成功したんだ。
虫達の卵が孵る前に
葉を繁らせてしまえば
若芽は食べられないで
済むものね。

新たなるテリトリー拡大は
時間と試行錯誤の
膨大な累積によって
成し遂げられるんだね。




如月2週・・原初への回帰


2月10日(土) 晴 奥庭にて

コロポックル

コロポックルが
居ないかと
先週、眼を皿のようにして
探したのに影無し。

ところがどうだ。
今週の奥庭には
コロポックルの家の屋根が
ニョキニョキ。
早速コロポックルも登場。

コロポックルは
山荘の先住民で何しろ
新石器時代から
竪穴式住居を建てて
ここに住んでいたんだから
たいしたもんだ。
1万年も前からだぜ!

枯葉をそっと持ち上げて
数枚の蕚を
おずおずと開くや否や
太陽をいっぱい吸って
蕗の蕚は数時間で全開。

そりゃコロポックルは
大歓びさ。
蕗のの下で
枯葉のチュニックを着て
得意の石槍でリズムを
とりながら
えいほえいほ踊りだして。
手の甲に蒼い刺青をした
女のコロポックルは
宴会の準備で料理に
おおわらわ

じっと見ていたら
其の中の1人と眼が合って
『どうぞ、持っていって』と
獲ったばかりの
鹿肉や魚を放り投げて
くれたんだ。
きっと山荘の森で捕まえた
鹿や猪
下の川で獲った山女だろうね。

コロポックルは人には
姿を見せないのに
よっぽど
嬉しかったんだね。

それでもって
その夜の山荘料理は
コロポックルにあやかって
実に豪勢で
山荘ワインを
しこたま呑んでね
すっかり蕗の薹に感謝

そうだ今度
コロポックルにも
山荘ワインを呑ませてあげよう。



2月10日(土) 晴 奥庭疎水路にて

美味Cresson

陶房の横に蕗の薹のある
小さな庭園があって
そのてっぺんから水が
ちょろちょろ流れて
そこにクレソンが沢山
生えているんだ。

コロポックルが出てくれば
クレソンだって
黙っちゃいないさ。
『肉料理、魚料理に
何かお忘れでないかい?』

そうか考えてみれば
このクレソンは
漁に出たコロポックルが
下の川で見つけて
山荘の疎水に植えたんだ。

1万年前も昔の石器人にも
グルメが居たんだね。

冬のクレソンは寒さで
葉が茶色になって
高貴な香りに満ちて最高!



2月10日(土) 晴 前庭にて

枯葉海の芽吹き

コロポックルの騒ぎは
厚い枯葉の絨毯から
凍りついた大地に伝わり
地中のあらゆる生命に
呼びかけるのさ。

『いつまで寝てるんだ!
太陽はとっくに
南回帰線から旅立ったぜ』

この水仙の葉の伸び方
「はーい!」
と言う返事に聴こえない?
どれもこれも
褒めてもらいたくて競って
手を挙げている小学生。

水仙が真っ先に
コロポックルの呼びかけに
応えたんだね。



2月11日(日) 晴 座禅草公園にて

大地を破る仏焔苞

えばるなコロポックル!
俺はな、お前達みたいに
蕗のが出てくるまでは
引っ込んでいるような
腰抜けとは違うのさ。

大地がかちんかちんに
凍り付いていても
俺は硬い大地を突き破って
出てくるのさ。

芽が出てくるだけじゃない。
ご覧のように花まで
見事に咲かせてしまうんだ。
去年も話したが
俺様は氷を溶かす発熱体を
持っているんだ。

その名は
肉穂花序(にくすいかじょ)
ほらワインレッドの仏焔苞
真ん中にある疣疣ランプさ。

哺乳類と同じ発熱遺伝子を
持っていてこいつで
自らを暖め発芽し開花し
誰よりも誰よりも早く
春一番を宣言するのさ。

俺様の名かい?
アメリカなんぞでは
『すかんくキャベツ』と
臭い名前をつけてるけど
日本では
座禅草』と呼ばれているよ。

静座して精神を一点に集め
時間と空間に
楔を打ち込み宇宙の意図を
解く行法のあの座禅さ。
俺に相応しい名だね。



2月11日(日) 晴 陶房にて

原初への回帰

闇の中に鮮やかな火焔。

植物にとって『炎』は
死の執行人そのもの。
植物を食べて生きる
動物達にとって『炎』は
単なる死の執行人に
留まらず生きる糧の
略奪者にもなる。

『炎』は生命にとって
対極にあり恐るべき死の
臭いを常に撒き散らす。

その恐るべき『炎』を
神として崇めつつ
生活手段として取り入れた
ホモサピエンス。

窯に火を入れ
炎の噴出しを眼にすると
いつもホモサピエンスの
恐るべき決断に感動する。

今年初めての火入れ。
太陽のほんのひとかけらを
窯に入れて
大地の一掴みを形にして
太陽とアンサンブルする。

炎によって大地は
原初へ回帰し灼熱に輝く。
嘗て大地はこんな風に
炎に煌き何処にも
生命の影すら
見出せなかったのだ。

その灼熱に40億年の
時間を加えて撹拌し
ガイアは生命を生み出した。

『炎』こそ生命なのだ。



2月11日(日) 晴 小倉山山頂にて

太陽との惜別

山荘空間には
時空の割れ目が存在する。

ふとそんな気がする。
時間と現実規範に捉われた
すべての日常事象が
時間と規範から開放され
位相空間に放たれる。

事象が悠久な時に晒され
無窮空間に放り出され
限りなく透明になり
日常事象が
透けて見えてしまう。

一日の山荘活動を終えて
山の頂に立ち
夕日を浴びると
時空のあまりの深遠さと
生命の孤独がひしひしと
伝わってくる。
きっと俺は何処にも
居ないのだ。




如月3週・・不確かな存在


2月16日(金) 晴 奥庭にて

初雪前の春一番

関東では14日(水)に
春の嵐が吹き荒れ
東京は雪の降らぬ中に
春になってしまった。

山荘に戻ったら被害甚大。
風見鶏の羽は折れ
太陽光庭園灯の頭部が飛び
ベランダの陶器が落ち
な! なんと!
陶房の棚まで倒壊し
焼却炉に激突。
焼却炉も壊滅。
山荘始まって以来の被害。

芝生荒らしの
土竜対策を兼ねる
風見鶏を買い替え
棚を造りなおす為の資材購入。

さて陶房は復活出来るか?



2月17日(土) 曇 扇山山頂

華やいだ山頂

登山道の無い扇山
標高941.9mは
奥庭に聳える
山荘の名峰である。

訪れる人も居ない山頂は
いつもひっそり。
山荘のプライベートピーク。

2007年1月の山荘ゲートに
飾られていた松飾り。
どんと焼きで
焼きそびれていたのを
扇山山頂に運び上げた。

枯葉色一色の山頂が
明るくなった。
さて最初にやって来て
歓ぶ動物は誰かな?

猪は泥浴後のタオルに
したがり
鹿は藁を食べたがり
栗鼠は蜜柑を狙い
狸は車座になって
松飾りを囲み宴を開き。
さてさてどうなることやら。



2月17日(土) 曇 扇山山頂

天女の衣

うーん!
なんと繊細で美しい織物。

葉脈の中央を走る太い縦糸。
縦糸から斜めに延びる
中太の糸がカールし
織物を立体化し
斜め糸の間を
細い糸がほぼ平行に走る。
その平行な糸を
更に細い糸が迷路のように
連結する。

この精巧なアートの背後に
潜む《意図》は?
誰が?何のために・・・?

そうか!自然界の現象に
《意図》はないんだ。
従って人間の存在にも
《意図》は無い。
だからこそ
人間は自ら存在の意味を
問い続けねばならないのだ。



2月18日(日) 曇 山荘庭の池

森を飛ぶ魚

池が森になった。
数十mもの大きな木が
果てしもなく天空に拡がり
池を満たす。

氷の下で微動をもせず
寝入っているはずの鯉が
早すぎる春に誘われて
森に彷徨いだした。

造られたばかりの池に
放たれた小さな鯉は
山荘の加齢と共に成長し
いつしか30cmにも。

その白長須鯨のような
森の中の巨体が
悠然と天空に浮かぶ。
数十mに拡がる木々が
次々に巨体とクロスする。

まるで南氷洋の氷の下から
今出てきたような鯉。
その金色の巨体中央を
森の影が貫く。
ミクロとマクロの幻想と逆転。

白と蒼の仲間が現れる。
尾を除いて森の影は
この巨体を透過しない。
もしかするとこいつだけは
幻想ではないのか?

トライアングルを編成し
森を垂直に昇り
2頭を従え
白い巨体は悠然と舞う。

白い雲が天空の底に流れ
森が雲の上に漂い
更に巨体が森を飛翔する。
大きさのみならず
構造そのものまでも逆転。

池が三層の重なりを成し
逆転し存在の
不確かさを露呈する。

存在の背後に
《意図》が無いならば
存在は限りなく自由で
幻想さえも超越してしまう。



2月18日(日) 曇のち晴 東森の麓道から

扇山の落日

訪れたことの無い
森に分け入り
人影の絶えた
見知らぬビラを散策し
夕刻のトレーニングを終え
帰途についた。

桃の果樹林では
農婦が梯子を掛け
枝の剪定作業に余念が無い。

果樹林を貫く小道は
山荘のある西方の森影に
吸い込まれ
森影は頭上に大きな
太陽を載せて
一日の終焉を告げる。

朝《謹賀新年》の飾りを
付けた扇山山頂が
太陽の左に
ピラミダルな影を落とす。

やがてビラも農婦も小道も
存在の総てが影に浸潤され
漆黒に還る。



2月18日(日) 曇のち晴 ログハウスから

ログの夜景

ワインを片手に
長らく放っておいたログの
ドアを開いた。

山荘が北の森の
シルエットに溶け込み
遠い銀河の灯が
辛うじて山荘の存在を示す。

左の三つ峠山塊上空に
光の輪が拡がる。
河口湖の街の灯が
雲に反射し
もう一つの銀河の存在を
告げているのだ。

我々の銀河の隣にある
アンドロメダのようで
妙に懐かしい。

山荘もアンドロメダも
確かに存在するのに
遥かに遠い過去の記憶
でしかないのは
何故だろう?




如月4週・・早春賦


2月24日(土) 晴 前庭にて

早春賦の調べ
山茱萸

春の色が
木陰に輝いた。
この瞬間から山荘の庭には
色彩が戻って来る。

冬将軍の息吹を受けて
すっかり沈黙し
色を失ってしまった
山荘の庭木は
密かに将軍の衰えを
狙っている。

衰えの僅かな隙を衝いて
厳寒2月だと言うのに
『さんしゅゆ』が
黄色い蕾をつけた。

やっぱり君が一番だね。



2月24日(土) 晴 ゲートにて

早春二番咲き
水仙


1月にベロニカ
2月に入って直ぐに
蕗の薹が開き
コロポックルの騒ぎを
聞きつけて
心穏やかでなかった水仙が
フライングした。

庭のそこかしこに顔を
出している沢山の水仙は
いずれも蕾をほんの少し
膨らませたばかり。

ところが
ゲートの小型水仙は
形も色も大きさも
他の水仙に劣るとの
劣等感を抱き
せめて早さで勝負と
無理して開花。

ほら!未だ花弁が
震えているよ。



2月24日(土) 晴 寝室にて

バロックの森
君子蘭


南の窓と西の2つの窓に
囲まれたイオの部屋で
2ヶ月も早く開花した
君子蘭。

こちら東と南の窓の太陽光で
育った寝室アマルティアの
君子蘭は9つも蕾をつけ
何やらハミング。

それもしかして
《修道院のミサ》
「グラン・ジュ」による奉献唱?
どうしてそんな
訳わかんない曲をハミング?

思い当たる節と言えば・・・
そうか《バロックの森》だ。
寝室では朝6時になると
FMの《バロックの森》が
流れるんだ。

君はバロックで育ったんだ!



2月24日(土) 晴 玄関にて


パイプオルガン
紫陽花


いきなりヴィドールの
オルガン交響曲第6番
第一楽章アレグロが
流れた。

オペラシティの広い
コンサートホールが
巨大なパイプオルガンに
支配された。
パイプ総数3826本が
大規模で華麗な交響曲を
奏で始めた。

強烈な和音が鳴り響き
有無を言わせず
バロックの世界へ誘う。

昨日のオペラシティの
バロックを紫陽花の芽が
聴いている筈無いのに
もしかして君は
知っているのかい?

君のパイプのような
芽が余りに美しいので
じっと見ていたら
いきなり
パイプから強烈な
生命の和音が鳴り響くので
驚いたよ。
てっきり君も昨日の
コンサートを聴いていて
それをハミングしてるのかと
思ってしまったよ。

そんな筈ないよね。
君の生命の和音を聴いて
ヴィドールが感銘を受け
150年前に
偶々交響曲を作ったに
過ぎないんだ。
君の早春のアレグロも
中々いいね!



2月25日(日) 晴 前庭にて

オルガン元祖
高砂百合


パイプの下には
風箱があってさ
鍵盤の数だけある箱には
弁が付いてて
鍵盤を弾くと弁が開いて
パイプに風が送り込まれて
音が出るんだ。

つまり誰かが
私のパイプの中に
風を送り込んでくれれば
私も立派なパイプオルガンに
成れるってわけ。

昔はパイプに風を送り込む
ふいご師が居てね
ふいご師が
へとへとになるまで
よく歌ったもんさ。

もう直ぐ発芽して真っ白な
高砂百合になっちまうから
音を出すなら今の内だよ。



2月25日(日) 晴 前庭にて


早春賦

牡丹と浜梨

バロックが
《いびつな真珠》と言う
意味なのは知ってるね。
でも過剰な建築装飾に対して
使われるバロックが
何故音楽に使われたか
本当は誰も知らないんだ。

詩の持つ1つ1つの
語の感性を音で
表現しようと用いた
バロックの劇的表現が
過剰装飾と
イマージュを共有したと
取れなくは無い。

真珠とは生命の輝き
その丸い輝きは
やがて球を打ち破り
真珠とは似ても似つかぬ
牡丹や浜梨に変貌する。

つまり《いびつな真珠》とは
生命そのもの。
決して過剰な装飾
なんかじゃないんだ。

むしろ歪であることが
生命の個々の
叫びであり
ルネッサンス音楽からの
脱却であったんだ。



歪な真珠
陶房の白梅

ルネッサンス音楽の限界を
打破しようと登場した
北イタリア・マドリガーレの
音楽家達のように
古代ギリシャの
音楽悲劇の復興を目論んだ
フィレンツェ・カメラーダの
音楽家達のように
山荘の生命は
歪な生命を高らかに
謳い上げる。

パイプオルガンと
バロックに囲まれた
山荘の早春に乾杯!

さて今度の都会の森の
パイプ演奏会は
いつかな?
3月9日が目白の
カテドラル
15日には池袋の
芸術劇場
オペラシティは23日だ。
我が家目白周辺に
巨大なパイプオルガンが
3つもあるなんて
嬉しいな!


2月25日(日) 晴 
奥庭にて



2月25日(日) 晴 陶房にて

釉薬掛け

早春のバロックを
充分に堪能した後で
窯から
素焼き作品を取り出す。

バケツに入った十数個の
釉薬を陶房に運び
ハンドミキサーで
沈殿した釉薬を撹拌する。

沈殿防止剤のクリスタリンと
不足してる黒織部
乳白釉、油滴黒天目
鉄赤釉を加え
ミキサーを回す。
よし!
釉薬掛けスタンバイ。

あれ、左の白く丸い
ポットミルに黒い点があるぞ。
なんだろう?



2月25日(日) 晴 陶房にて

ポットミルの蓑虫

うわー!
こんな所に蓑虫だ。

木の枝5本で骨組みを造り
枯葉を幾重にも重ねて
暖かそう。

うんうん、分かるな。
陶房は南向きで
ビニールハウスになっていて
温室だから絶好の棲家。

雄は春に蛹になって
夏に羽化し口が退化したまま
活動し交尾するんだよ。

こいつ面白いんだぜ。
蓑を剥がして赤い毛糸屑に
入れると
見事な赤い蓑を
織るんだ。



2月25日(日) 晴 山荘池源流にて

池塘春草の夢

池に注ぐ最初の一滴が
静かな郷愁を帯びた
音色を奏でる。

細い銀の糸が幾重にも
縒り合わせられ
確かな流れとなって
苔むした岩から落下する。

銀の鍵盤にうたれて
大地が微かに呼応し
水滴が飛散し
光を振り撒く。
此処から生命の流れが
始まるのだ。

絶え間なく流れる
銀の糸は時の累積と共に
蘚苔類を育てる。

初めて海から
陸上へ進出した生命は
蘚苔類となって
5億年前の
古生代・シルル紀に登場。

山荘の小さな流れも
5億年の歴史を辿り
郷愁の音色を奏で続け
蘚苔類を育む。

豊かに繁茂する蘚苔類を
囲んでクレソンが繁り
流れは更に下流へと
生命を運ぶ。

池への落下口が
光と影に隈取られ新たな
様相を帯びる。
肥大化した蘚苔類が
5億年の時の累積に
耐え切れず
新たなる進化への途を
模索する。

最早彼らは蘚苔類で
在り続けることは出来ない。
途轍もなく大きな
池と言う宇宙に出逢い
決断を迫られる。
シルル紀は終わったのだ。



2月24日(土) 晴 テラスにて

M82銀河

大熊座近くのM82銀河で
約2千万年前
恒星の一生の最後である
超新星爆発が
約1万回連続して起き
巨大なプラズマの塊が
帽子のように飛び出している
様子を日本のX線衛星
「すざく」が捉えた。

このプラズマは
「M82の帽子」と呼ばれ
M82銀河から
約3万8千光年
離れた所にある。

長さは約1万2千光年で
幅は約3千光年と
ほぼ銀河並の大きさ。
温度が約700万度で内部に
酸素やネオン、マグネシューム
ケイ素など超新星爆発で
つくられる元素が大量に
含まれていることがわかった。

M82銀河は現在も
活動を継続しておりこれからも
大爆発が起きるだろう。

06年12月10日の
朝日新聞夕刊の記事である。
この記事に山荘の写真を
使っても違和感は無い。

この写真が山荘で焼いた
陶芸作品と
冬将軍の氷の合作だなんて
誰が思うだろう?



2月24日(土) 晴 テラスにて

四十雀の囀り

左の枝の真ん中辺りに
見えるだろう。
あれが『しじゅうがら」さ。

テラスで朝食を摂っていたら
横の沙羅の木に突然
群れでやって来て
巣箱を覗いたり
枝を突ついたりしながら
謳い始めてうるさいんだ。

未だ2月だと言うのに
あんまりあったかいので
きっと巣作りの準備を
始めたんだね。
もうすぐ可愛い赤ちゃん
生まれるんだ。








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