その89の3ー2013年卯月 |
|
4月4週・・・露天風呂から加齢(華麗)なる電撃アタック |
《C》 吹雪のラッセル・・・入山&下山 |
下界は雨で入山をためらう |
雨後吹雪の入山 4月26日(金) 千石尾根 |
駅を出ると雪の壁 |
---|---|---|
吹雪を遮る森の中をラッセル |
ポールを頼りにラッセル |
本日の入山者は我々だけか? |
外れた。 前日まで気象庁の予報では 26日から3日間は晴れる筈だった。 ところがどうだ、 26日は朝からどんよりと重い雲。 ・ 松本あたりから雨が降り出し 平湯、新穂高では本降りの氷雨。 雪ならまだしも 雨となると冬装備が濡れてしまい その後吹雪きになれば バリバリに凍りつき装備は重く固まり 使い物にならなくなってしまう。 |
段々深くなるラッセル |
ロープウエイ駅にある 「ホテル穂高」に聞いてみたら 空き部屋ありとのこと。 「今日はここで停滞し 1日伸ばして明日あがろうか?」 ・ 「いや、上は標高2千㍍を超えてるから 雪に間違いない。 西穂山荘までなら問題ないだろう」 と予定通り西穂山荘を目指す。 |
上に行くに従い吹雪模様 |
上のロープウエイ駅を出ると 予想通り雪。 観光客は建物内には居るものの この吹雪の中に 飛び出す者は当然居ない。 ・ ところが歩き出してみると 森に遮られ吹雪は威力を封じられ 新雪のラッセルも愉しく 下界よりも遥かに居心地いいのだ。 「うーん、吹雪いていても やっぱ、山はいいね」 なんて調子のいいこと云いながら 久々の冬山に浮かれるのでした。 |
遂に膝までの深みにはまる |
雪壁に覆われた山荘本館 |
別館は除雪してあるが本館は雪の中 |
無事到着、先ずは乾杯! |
そのⅣ 下山時も胸までのラッセルに嵌りながら、雪塗れで西穂小屋に帰還した。 小屋の中では停滞の人たちが、お喋りしたり行動食を作って食べたり時間を潰している。 我々は呆れられたり、少しだけ称賛の目で見られたりしているようで、何だか場の雰囲気とはそぐわないことを実感した。 グループできたらしい2組の中年夫婦は冬山はやらないと、言いながら私達にいろいろ質問してきた。 もう一組の初老の夫婦は2度目の西穂トライなのでぜひ行きたいと、もう一泊しようか悩んでいる様子。 ・ ザイルも持参してきているようなので、登る気満々のようだ。毎年正月は冬の山小屋で過ごすらしい。 10時30分頃、ロープウエイで上がってきた1番目の登山者が小屋に入ってくる。 若い女性だ。(彼女も結局小屋から上へは行けず、下山の途中で一緒になった。)相変わらず天気予報は昼ごろ回復とのことで、 松本はもう晴れているそうだ。 ・ しかし窓の外は一向に風雪がおさまる気配は無い。隊長が時々外に出ては、雪だらけで戻ってきて首を振る。 連休の初日だけあって、どんどん上がってくる人が増える。 西穂小屋の人気メニューだというラーメンの注文が次々に飛び交い、いい匂いが小屋の中いっぱいに漂う。 宿泊受付も臨時が設けられ、今夜は小屋も満杯だろう。12時には下山を決定して小屋を出た。 |
再度のアタックを狙って12時まで待機 |
吹雪の下山を愉しむ 4月27日(土) 西穂山荘から千石尾根へ |
しかし吹雪きは激しくなるばかり |
12時吹雪の中下山開始 |
同じルートは面白くないので別ルートへ |
深い雪を求めて森の奥へ |
ここ数年、山の天気図の読みが 外れたことはない。 つまり山で悪天に襲われたことは ないのである。 ・ 当然、吹雪でのラッセルなんて 在り得ない。 となると今回の悪天は千載一遇の ラッキー・チャンス。 ・ 午前中の中途半端なアタックで 体力も有り余っているし 大いにラッセルを愉しもうと 魅力的な斜面を見つけてはラッセル。 |
うわー!腰までのラッセルだあ! |
駅出口の雪の壁の高さから判断すると 千石尾根の積雪は 3㍍を超えていることは確かである。 これに更に新雪が降り積もったのだから 雪崩の懼れは充分ある。 ・ 幸い豊かな森が雪を固定し 千石尾根の背では殆ど雪崩は 発生しない、が ここまで降り積もると表層雪崩には 要注意である。 |
雪崩れそうな急斜面ラッセル |
此処から北へ54㎞に位置する 白馬岳大雪渓では 丁度この日の同時刻つまり 4月27日正午頃に 雪崩が発生し3人が呑み込まれ 2名が死亡し5月10日現在 1名が行方不明。 ・ 春山をすっかり冬山に変えてしまった この2日間の吹雪は その威力をその後も発揮し続け 尾根を雪と氷で装い 次々と登山者を滑落させ総計で 17人死亡1名不明と云う 結果を齎したのだ。 |
森の中の雪崩も侮れないが面白いぜ |
さあ、もう直ぐ駅、ラッセルも終わり |
と、突如現われた傘ピッケルの美女 |
あら!傘をピッケルに、洒落てる |
そのⅤ 相変わらず吹雪いている。樹林帯は大木がまるでモンスターのように白い衣装を広げ立ちはだかる。 危険の無い道なので、途中で何度も登山道を外れ、ラッセルを楽しむ。 新雪に覆われた純白のラインは、美しい曲線を描き、手招きをしている。 ふかふかの新雪に思い切り踏み入り、腰までのラッセルを何回も愉しんでの下山。 ・ 2時間もたっぷりと遊んでから、雪の森に別れを告げ、2時15分の下りロープウエイに乗った。 本日の宿深山荘はロープウエイから1キロほど離れているので、迎えの車に来てもらう。 運転手の若い男性はとても親切で、地元の人と一緒に、笠新道の様子を教えてくれたり、 中崎山への登山道があることを確認してくれたりした。 今夜の予約が無ければもう帰ってしまうところだ。 ・ 明日は何をすべきか、笠新道に入って写真を撮ろうか、しかし雪崩が心配だと躊躇っていたのだが、 中崎山がここから登山可能ならそれが面白そうだと、急遽明日の新しい目標が決まった。 宿は古いが、露天風呂が幾つもあり、川べりの混浴風呂も女性は簡易浴衣が貸し出され安心して入れる。 露天風呂三昧で、自然の中心身ともに解放される。山小屋では味わえない贅沢を堪能した。 |
《D》 露天風呂から加齢(華麗)なる電撃アタック 4月28日(日)晴 新穂高温泉 朝風呂を浴びて |
吊橋の下の混浴露天風呂 |
7つの露天風呂でゆったり 4月27日(土)~28日 深山荘での露天風呂の梯子 夜明けと共に露天風呂に飛び込む。 雪と風をもたらした雲が うっすらと薔薇色に染まり吹雪の終焉を宣言する。 ・ 1016hpaだった昨日の高気圧が1020にまで発達し 遂にアルプスの冬将軍を 追いやったのだ。正に絶好の登山日和。 ・ よし、此処から一気に西穂の頂までアタックだ! |
夜明けの露天風呂は最高! |
飛騨尾根の夜明け 4月28日(日)晴 新穂高温泉より |
ビアで素晴らしい雪山に乾杯! 貸切露天風呂 |
モルゲン・ロートに染まる錫杖岳 4月28日(日)晴 新穂高温泉より |
そのⅥ 早朝4時、目覚めるなり隊長が「西穂に再度トライしていい写真を撮ろう」。 昨夜の星空で今日の快晴を確信して予定を変更。 朝食は行動食で済ませる。ありがたいことに、昨夜、宿の女将が渋るのをお願して5時過ぎに車で送ってもらえることになった。 昨日とは違う人が運転して、ロープウエイ駅まで乗せてもらう。 ・ 未だ人影のないロープウエイ駅入り口には<7時30分臨時便>の看板が立っている。これはラッキーと喜んだのも束の間、 行きあった従業員に確かめてみると、通常通りの8時半始発とのこと。 看板は夏季営業のものらしい。それでは、時間があるので散策へと出発。 蒲田川の左俣へと入り中崎山へのルート偵察も試みる。 歩いてみると思いがけないほどの素晴らしい新雪の山々の景観に圧倒。 ・ 朝の清々しい空気の中、雨上がりの水滴がきらきらと朝陽を弾き、早春の森が硝子細工のように美しい。 中崎山の登山道入り口には教わったように道標が立っている。 少し登ってみたが、檜の樹林帯がずっと続いているだけで、仮に上まで行っても視界が開けているかどうか危ぶまれる。 道標もあやふやで、ルートファインディングに終始しそうだ。 |
ふかふかの新雪、早速ラッセルを愉しむ |
雪煙を上げる素晴らしい穂高連峰 4月28日(日)晴 千石尾根 見てご覧よ。 ほら、西穂もピラミッドも独標も勇ましく 雪煙を上げているだろう。 「ラオヘン」て云うんだ。 ドイツ語で綴りはrauchen。 ・ あの雪煙、山が何かをしているように 見えないかい? そう、ドイツのアルピニスト達は 山が煙草を吸っていると表現したんだ。 ・ 強い風が吹くと稜線の風下は キャビテーション(空洞現象)を起こして負圧になり 小さな風下低気圧となって 雲が産み出され 煙草を吸っているように見えるんだよ。 さて、ラオヘンがあると云うことは 稜線では風が吹き荒れていると覚悟せねば。 |
頂から我が山荘まで 今日はGW連休の初日。 つまり行楽地やその周辺の宿泊施設は何処も満員。 山小屋なんぞは寝返りもうてぬ鮨詰め状態。 ・ 新穂高温泉での定宿・笠山荘も 同じく村営だった氷壁も中崎山荘も廃業して 宿泊施設がホテル穂高だけになってしまった新穂高温泉では 当然、予約がいっぱいで このGW期間に泊まろうなんぞとんでもない。 ・ となると我が愛しの山荘まで戻るしかない。 だが阿房トンネル経由の 松本行きの最終バス平湯発17:05に乗るには ロープウエイ15:15に乗らねば 新穂高→平湯→松本と乗り継ぎ出来ない。 ・ さて始発ロープウエイが朝8:30、登山開始が9時として 登山に許された時間は約6時間。 果たしてラオヘン吹きすさぶ稜線を経て登頂し 6時間で戻れるか? |
でもピークは遥か彼方、登頂を果たして我が山荘まで日帰り可能か? |
|
激しい雪煙 50分で稜線に達するが未だ未だ頂は遠い 休憩するつもりはないが撮影タイムを削る訳にはいかない。 となると松本最終便に乗るためには 6時間から撮影タイム1時間を引いた5時間で 山頂を往復するスピードが必要になる。 ・ 冬時間で計算すると 11時間30分÷5時間=2.3倍のスピードが必要。 夏の標準時間で計算すると 7時間40分÷5時間=1.6倍のスピードが必要となる。 ・ つまり一般登山者の2倍強程度のスピードで登れば 今日中に愛しの我が山荘に戻れるのだ。 そうと解かれば思い切り薄着になって 疲労を加速させる汗を最小限に押さえてさあ、Go! |
迫り来るピラミッド・ピーク 4月27日(土)~28日 西穂稜線 目の前に迫るピラミッドピークを見つめながら 登高スピードを計算してみる。 ロープウエイから西穂山頂まで夏の標準時間は 4時間30分で下降が3時間10分。 計7時間40分だが当然休憩時間は含まれない。 夏より冬ルートの方が難しく時間は掛かる。 1.5倍としても11時間30分が冬の標準タイム。 |
優美なピラミッド・ピークが招く 左奥の僅かに見える白い峰が西穂頂 |
そのⅧ この時間では独標の往復もしていないだろうに、小屋に泊っただけで下山なのかと不思議だ。 西穂小屋に近くなった頃降りて来た単独の若い男性が「あと少しですよ。」と声を掛けてくれる。 「つい30分くらい前にやっと雲が取れて来たところです。 今からなら素晴らしい景色ですよ。」とのこと。 ・ 早々と降りて来た人たちは雲に阻まれ景観を得られず諦めたからかと思った。 一昨日より荷も軽いしトレースもしっかり付いているのに、体が重く感じられスピードが出せない。 しかし、西穂小屋と丸山の分岐に到着したのは10時、前回よりは30分ほど早い。 小屋前には無数のテントが並び、昨日とは別の景色だ。ここからアイゼンを着け、薄手の目出帽を被る。 |
ピラミッド(左)の先に2.3峰が黒々と聳える 50分で稜線に出るが村上は未だ来ない。 2倍の速度で登るには此処まで 45分で来なければならぬが既に5分遅れている。 村上を待つ間に行動食2食分を紅茶と共に胃袋に流し込む。 ・ これで今後の休憩時間を総てカットし動き続けることが出来る。 姿を現した村上と今後トランシーバー交信に切り替え ここから単独で頂に向かうことを確認。 村上は独標を目標に後からゆっくり登って来るとのこと。 さあ、遅れた5分を取り戻し更に スピードアップせねばならぬが独標から先は 岩と氷の世界、慎重で精緻な登攀力が要求される。 |
独標から先は岩と氷の世界 4月28日(日) 独標 |
笠ケ岳(左)、抜戸岳(右) 殆どの登山者は此処かピラミッドで引き返す |
そのⅨ サングラスをしていても、燦々と降り注ぐ太陽を弾き返して、雪面は直視できないほど眩しく輝く。 20分後出発。昨日の腰までのラッセルは嘘かと思うほど、踏み跡がしっかり固められ、何の不安も無い。 隊長からは「独標までは出来るだけ一緒に行こう」と言われていたが、登り始めるとすぐに差が付く。 靴ひもを締めすぎたのか右足頸上が当たって痛い。 マイペースでゆっくりいこうと決め、途中でプラブーツの紐を緩めた。 隊長は西穂山頂を目指すが、私はこの雄大な景色を堪能しつつ、独標迄で引き返そうと考える。 ・ 松本への最終バスに間に合うためには、3時頃までにロープウエイ駅へ戻らねばならぬ。 逆算すれば、仮に体調が良くても、降雪後の状況や、時間的にも西穂山頂まではかなり厳しいだろう。 3月の西穂山頂に立ったのはもう15年以上も前のことだ。雪と風の悪天候の中、ザイルも無く諦めかけていたが、 丸山の先で下山してくるスビダーニエ同人の細田氏に出逢いザイルを借りることが出来たのだ。 ・ まさに奇跡的な出逢いであり、その結果として風雪の西穂山頂への登頂を成し遂げた。 昨日の激しいブリザードの記憶と共に、忘れ難い奇跡の頂の記憶が鮮やかに蘇る。 この好天であれば、頑張れば登頂可能かもしれないという気持ちもあったが、 冬山同様の降雪の後、岩場の状況を考えれば、今の私には独標が相応しいと素直に納得する。 |
ピラミッド・ピークに人影無し そんな処でおっぱじめた彼らの議論に付き合う時間は無い。 悪いが先に行かせてもらうぜとばかり 彼らを追い抜き次のピーク、ピラミッドに向かう。 此処にも足跡はあるが人影は無い。 ・ 雪煙を上げる西穂の山顛を見上げると 山頂直下の雪壁に 連なった小さな4つの点が見える。 遅々とした進み方からアンザイレンして行動していると 察しられるが彼らのラッセルが頂まであるなら 5時間での往復も充分可能か。 |
力に溢れた怖いもの知らずの若者3人と 追いつ追われつ独標までやってきたが此処で 若者3人はピタリと止まってしまった。 ピラミッドに続く岩と雪の鋭い稜線を覗き込み叫ぶ。 ・ 「やべー、こんなとこ降りられねーぜ! でもラッセルの跡があると云うことはこの先に 行ってる奴がいる訳だ。どうする?」 |
あれが頂だ!4峰から西穂高岳頂上を望む |
---|
そのⅩ 白い斜面がごつごつの岩場へと変化して、独標への基部へ到着。 隊長は独標迄はストックで十分登れると言っていたが、 久々のアイゼンでの雪と岩のミックス帯なので、ストックをしまってピッケルを握る。 ヒマラヤ以来かな、ピッケルを使うのは・・。岩を擦るアイゼンのギシギシという耳触りな音が懐かしく感じられる。 慎重にと思いつつも、久々の感触にワクワクしている。下山してくる人たちを遣り過ごし、ガシガシ登るとたちまち独標へ到着。 ・ 「写真撮りますよ!」と若い男性が声を掛けてくれるので、さっそくポーズ。 ガスが切れるのを待って若者が何枚もシャッターを切ってくれる。 振り返ると遠大な景観が現れた。幾重にも重なる白い峰々、白さを引き立てる蒼穹。圧倒的な景観に恵まれる。 溢れる太陽光を浴び思ったよりずっと暖かい独標上である。目の前にピラミッドピークの純白な三角錐が優美に佇む。 そのずっと奥に西穂高の山頂が更に大きく白い三角形を天に向かって描く。山頂に2人の登山者が見える。 ・ 頂上直下にも攀じていく一つの人影がある。 あれが隊長ではないかとカメラを向けるが、濃いガスがやってきてあっというまに白いピダミラルな頂を覆い隠す。 奥穂高は厚いガスが掛かっていてなかなか姿を現さない。 |
《E》 えぴろーぐ・アデオス!雪の穂高 |
ロープウエイで抜戸岳に別れを |
松本行最終便に間に合ったぞ 4月28日(日)晴 ロープウエイ15:15発 |
彼方に焼岳稜線 |
さっき登ったばかりの西穂稜線 |
見下ろしていた焼岳にも別れ |
あでおす!西穂高 |
ロープウエイからの笠ケ岳 |
「一体、新穂高温泉は どうなっちゃったんだい? スキー場は無くなってしまうし 笠山荘は廃屋で村営の氷壁は 駐車場になって中崎山荘は 建て直されたものの 日帰り温泉になってしまったし・・・」 ・ 「お客さん、新穂高温泉に 詳しいんですね。 実は私の父はその笠山荘の 板長をしていたんです。 スキー場の廃止後笠山荘も廃業に 追い込まれ父も退職し 今は平湯近くの本陣で板長を 務めています。 和田といいますので今後も 宜しくお願いします」 ・ 帰りのロープウエイのガイドが まさかあの通い続けた笠山荘の板長の 娘とは驚いた。 うん、うん笠山荘の料理美味しかったよ。 ・ 窓外のガイドなんぞそっちのけで お喋りに興じる若き見習いガイド。 ロープウエイはすっかり様相を変えて しまった新穂高温泉に あっと云う間に到着。 |
笠ケ岳の東壁が迫る |
笠ケ岳も最早、遥か天空 |
ロープウエイ駅からの雪峰 |
そのⅩI 傍らのグループが「奥穂が見えるのをずっと待ている、2時間くらいたつのに・・」と話している。 次々とガスがやって来ては谷間を埋め、視界を塞ぎ、去っていくと白い頂が忽然と現れる。 そんな状況を繰り返しながら、独標からの景観は素晴らしく飽きることは無い。 奥穂高もついにその雄姿を現してくれた。 独標の岩場を下ってピラミッドピークまで行ってみたいなという誘惑にかられるが、 帰りの時間が気になるので諦めた。 ・ 1時前、そろそろ降りはじめようとすると、一斉に下山を開始する人で降り口が混雑する。 アイゼンに慣れない人もいて、なかなか捗らない。 上りより下りの方が危ないのだ。 すっかり全貌を現した白山方面の眺望を楽しみながらの下山、 振り返り振り返り、目にできるあらゆる白き峰々を忘れまいと目に焼きつけながら歩く。 途中で若い女性に写真を頼まれる。彼女は昨日は上高地だったそうだが、テント体験の予定が小屋へ変更となり、 横尾方面は入山禁止となったとのこと。 ・ そう言えば一昨日西穂小屋で一緒だった若い女性も、 翌日は上高地へ向かい涸沢でテント体験のツアーに参加予定とはりきっていたが、 実現できなかったのだろう。眼下の上高地には帝国ホテルの赤い屋根が良く目立つ。 立ち止まって交信していたら、後ろから来た男性が、 「連れの方は西穂高に往復なんですか?凄いですねー!」と感に堪えないという表情を見せていた。 |
何と足湯の上で宴会 平湯足湯にて |
素晴らしい雪の穂高に! 平湯足湯にて |
アルプスを観ながら乾杯! 平湯足湯にて |
さあ、森のレストラン開業だ! |
平湯で足湯して乾杯! 更に山荘の森のレストランへ 4月29日(月)晴 朝トレで扇山登山後 ヒマラヤで履き続けた重い二重靴の 3代目を脱ぎスニーカーに 履き代える。 途端に足に翼が生えたような気分。 ・ 特に3代目はインナーブーツの保温性、 防水性を 高めて作ったので重い。 お気に入りの軽くて履き易い2代目に しようか迷ったのだが 春の雪は湿っているので防水性が 高い3代目を選んだのだ。 ・ まあ、申し分無き性能を発揮し 加齢(華麗)なる電撃アタックを果たして くれたが、脱いでみると 如何に重い靴であったか実感。 ・ さてその重い靴に痛められた足を 湯に浸しながらビアを傾け 優雅にバスを待つことが出来るとは 考えても見なかった。 目の前に焼岳に連なるアルプスが聳え 実にいい気分。 ・ 阿房トンネルが開通する前は ここから高山、名古屋経由で帰京せねば ならなかったが 現在は新宿から平湯行き高速バスで 僅か4時間で来られる。 となると山荘から電車、定期バスを 乗り継いで来るより早いでは。 ・・・・・ つい20時間程前には雪の穂高で ラッセルしていたんだなんて 信じられない鮮やかな山荘の緑。 さあ、雪の穂高に乾杯! |
飛騨牛のウインナと山荘野菜 |
やっぱ山荘は最高! |
石テーブルもいいね! |
|
猛吹雪と光煌く穂高に! |
森の緑と雪山に! |
そのⅩII ・・そうなんですよ、隊長は世界の屋根を登り続けたエキスパートなんですよ・・ 昨日と今日、吹雪と晴天ではこの稜線の世界は全く異なる。 今日再び上がって来て本当に良かった。 見渡せる頂の全てが新雪に包まれ真冬の北アルプスでありながら、遍く注ぐ陽光は初夏の溢れんばかりの眩しい陽射し、 この贅沢な一瞬を心より感謝する。 ・ 昨日のホワイトアウトの丸山も、今日は穏やかで美しく、素晴らしい視界を誇っている。 今日のこの稜線上で、一番美しい景観を目にしているのは私達に違いない。 なぜならば、風雪の記憶が鮮やかであればある程、陽光降り注ぐ白き峰々はより美しく輝くのである。 2時25分出発、予定よりのんびりしてしまったので、分岐からは飛ばす。 きっと隊長は風の様にすっ飛ばして、あっという間に追いつかれるだろう。 ・ 久しぶりのアイゼン下降も楽しく、何組かを追いぬかして飛ばした。ロープウエイ駅直前で隊長が追いついた。 ちょうどいい時間で、ロープウエイの窓から西穂高に最後の別れを惜しむ。 予定通りのバスに乗り、平湯乗り換えで松本へ。平湯で待ち時間の間に足湯が利用できた。 テーブルがしつらえてあるので、足湯に浸りながら、ビールで乾杯! 充実した山行の締めくくりに相応しい、味な乾杯である。 |
気象庁発表の26日からの西穂高の 天気予報は晴時々曇。 3日間は晴天が続くとの予報に決行決断。 ・ で、26日の天気図は1022hpaの 見事な高気圧に覆われ 中部山岳地帯はピッカピカの 晴天になるはずだったのだ。 ところが寒気による雲が発生しこいつが 中部山岳地帯に雨と雪と風を 齎し予期せぬ悪天となってしまった。 |
||
最初のアタック27日は 南西に寒冷前線と温暖前線を 従えた発達中の 温帯低気圧があるものの やや遠く中部山岳には影響なし。 ・ むしろ発達中の1028hpaの圏内に 中部山岳はあり 1016hpaとの2つの高気圧に挟まれ 衛星写真の雲の画像からも 中部山岳は薄雲ないし晴の筈。 ・ しかし実際は朝から夕刻まで 穂高連峰は吹雪いたのである。 |
山岳遭難:17人死亡、1人が不明・・・GW中、8県で
毎日新聞 2013年05月07日 11時59分(最終更新 05月07日 13時02分) 大型連休(4月27日〜5月6日)中に各地で山岳遭難事故が相次いだ。 毎日新聞のまとめでは、長野、山梨、秋田、福島、群馬、岐阜、富山、石川の各県で計17人が死亡、1人が行方不明になっている。 長野と富山両県の北アルプスと中央アルプスでは8件の遭難事故が発生し、計10人が死亡した。 中央アルプスでは6日、空木岳から5日に下山中に滑落した東京都板橋区、会社員、加藤征(まさる)さん(71)の死亡を確認。 |
非情なる冬山の宣告・・・未熟者には死を、老いたる者にも死を 昨年は2つ玉低気圧に覆われ荒れたGW連休となり10人が遭難死亡したが 今年は初日の27日にアルプスが吹雪いたもののその後連休中は比較的恵まれた天候であった。 しかし死者行方不明者は昨年を上回り2倍近い18人に達した。 これが初日、27日の吹雪による降雪の影響であることは一目瞭然であろう。 ・ 先ず27日の降雪中に雪崩が発生し3名が呑み込まれ、その後回復した天候に誘われて多くの登山者が アルプスを中心とした雪山に繰り出し、次々に滑落し命を落とした。 年齢をみてみると相変わらず中高年が多いが昨年よりは若い連中が多い。 岩と氷、雪で武装された穂高連峰や、剣岳、鑓ガ岳では滑落事故は殆ど無く、滑落した場所はどちらかと云えば なだらかなイメージの強い爺ケ岳、立山の富士ノ折立、空木岳、宝剣岳。 ・ 年齢層が比較的若く天候にも恵まれたなだらかな山での滑落事故となると事故原因は自ずと明らかになる。 老化による体力低下、判断力低下でもなく天候悪化によるものでも無く、山の険しさでもない。 単に春山であった筈の山が冬山であったことにある。 春の暖かいべたべたした残雪でなく本物の冬の雪であり、従って冬山の技術が必要であったと云うことなのだ。 で、彼らは雪山の技術が充分でなかったのだ。 ・ 昨年は老化が原因の遭難事故に対して自らの老化を告発し 以下のようなコメントをしたが、今回は老化の代わりに未熟な技術に置き換え 《それを充分認識しての行動ならば、彼らの死を嘆き悲しむことはない》と結ばねばならないのか? ・ いつ崩壊しても不思議ではない老化した肉体の諸機能と精神は 累積するカタストロフィそのもの。 それを充分認識しての行動ならば、彼等の死を嘆き悲しむことはない。 ・ 無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲惨なあり方を隅々まで知っている。 まさにこの無残なあり方を、かれは下山の間中考えているのだ。 |
ピラミッド・ピーク(左)、西穂4峰(右) 4月28日(日) 西穂頂上より |
Index
Next