その89の2ー2013年卯月 |
《A》 風雪の猛烈ラッセル
Contents | |
《A》 | 風雪の猛烈ラッセル |
地図 | 穂高連峰周辺Map |
《B》 | 荒れ狂った風雪後の西穂高稜線 |
《C》 | 風雪のラッセル・・・入山&下山 |
《D》 | 露天風呂からの加齢なる電撃アタック |
《E》 | えぴろーぐ・・・アデオス雪の穂高 |
《F》 | 非情なる冬山の宣告 |
4月27日(土)吹雪 7時30分ラッセル開始 |
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腰までの猛烈ラッセル開始 山荘の窓の外で繰り広げられる雪と風のドラマに 目を釘付けにされた登山者は 誰もが押し黙り、暗く湿った時の底に横たわる。 ・ 淀んだ澱に耐えきれなくなって呟く。 「瞬間最大風速30m程かな、動けないこともないだろう。 よし、ちょっと出てみよう。 西穂丸山かうまくすれば独標あたりまで 行けるかもしれない」 |
雪が真横に激しく流れる。 あまりにも動きが速いので雪は点として留まらず 無数の直線となって視界を奪う。 確かに存在していた筈の世界が雪の飛跡によって 無数に切断され掻き消されてしまう。 ・ 飛跡は荷電粒子の足跡であり粒子の見えぬ存在を 明らかにする。 にも拘らず雪の飛跡は存在そのものを掻き消そうとしている。 敢えてその世界に飛び込む意味はあるのだろうか? |
急な雪壁では胸にまで達する雪 |
そのT 目が覚めても窓の外は横殴りの風に細かい雪が飛んでいる。 昨日の出発時、好天は望めないまでも、風雪で行動不能になるほどとは予想していなかった。やはり1日延期すべきだったのか。 山小屋の朝は早い。ゆっくり朝食を摂ってもまだ7時前。信州大の大学院助手の人が今朝も天気予報を伝えてくれるが、 「予想より回復は早いようで昼ごろには晴れてくるでしょう」とのこと。全く晴れてくる兆しは見えないが、小屋で所在なく過ごすのもつまらない。 ・ 「丸山まで偵察に行こう」との隊長の一声で、7時半には小屋を出発した。 行動する人は誰も居ない中、アイゼンを着け完全装備で小屋を出る。小屋を出たところは思ったほど風は強くない。 目出帽を被れば良かったのにそこで油断した。一晩中降り続いた雪ですべての踏み跡は消え、純白な新雪に覆われまるで真冬の山だ。 初めからラッセルが続く。深いラッセルを余儀なくされ、急な雪の壁を登り、ようやく稜線に出た途端、風雪は激しく叩きつけつけるような勢いで、 下からも地吹雪が容赦なく襲う。横殴りの雪がビシビシ当たり頬が痛い。 |
くそー!こんな雪壁は無い筈だぞ |
見えない。 直ぐ目の前に連なる筈の稜線はもとより 数歩進むと山荘も吹雪に掻き消され 怒号する白いカオスの真っ只中に見えぬ認識だけが 鮮やかな存在を点滅させる。 |
視界数メートルで迷い込んだ雪壁 |
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右とか左とかの判断力が先ず失われ 天地が白いカオスに掻き乱され しっかりと森羅万象を支えている筈の大地が 重力の呪縛から解放され 最早登っているのか下っているのかさえ定かでない。 ・ 不意に20年前の3月鑓ガ岳の暴風雪が甦る。 この日は首都圏でも 死者2名を出す春の暴風が荒れ狂ったのだ。 |
腰までのラッセルは更に続く 吹き飛ばされそうな身体を支えながら、 飛騨乗越の道標の周りに集まり最後の確認をする。 ・ 「いいか、一気に飛騨沢を下るぞ。遅れるなよ。 モタモタしてたら雪崩にやられる。やられたら泳いで上に出ろ。 止まったらザイルをたぐり、直ぐ仲間を掘り出せ。一刻を争うぞ」 ・ アンザイレンしたまま飛騨沢に飛び込む。 身体がふわっと浮く。乗越に集中した凶暴な風が、 肉体を吹き飛ばそうとしているのだ。 |
・・・・・ 激しい飛雪に直撃され目があけられない。 目を閉じると凍りついた睫が瞼をふさぎ、更に開眼を困難にする。 このホワイトアウトの中では、目を開いていても 閉じていても大した違いはないのだが、やはり不安である。 ・ 手で顔を覆い風をさえぎり、一瞬の隙をついて目を開き 足元を確かめ前進を続け飛騨乗越へ出る。 飛騨乗越は風の通路である。 鑓穂高の山塊が受けた風を一か所に集めたような 凄まじい風雪が怒号する。 |
どうにか雪壁は脱出したものの |
そのU 目出帽が無いと何時間もこの風雪に曝され続ければ頬は凍傷になる。 しかしこの状況下では最早ザックから目出帽を取り出す気にはならない。フードを深く被る。 昨年のゴールデンウイークに白馬で大量遭難したグループのことを思い出す。恐らく猛烈な吹雪に襲われれば、 ザックの中のものを取り出して着るという行動さえ上手く出来なくなる。他人事ではないと実感しながら歩く。 ・ 進むにつれ天気はますます悪化。一瞬にしてホワイトアウトになり、数メートル先の道標の竹の棒も見えなくなる。 強烈な風が襲ってきて、耐風姿勢を取った。 歩き始めようとしたら、この僅かの瞬間にもう隊長の足跡も完全に消え去り、白い闇の中で方向感覚を失い立ち尽くす。 眠っていた白い竜が唸りをあげて襲いかかって来たかのようだ。尾の一振りで激しい風が起こり、視界のすべてを奪う。 雪の礫は横からも下からも激しく叩きつけ、目が痛くて開けていられないほどである。 完全に視界が失われ、真っ白な闇の中に閉じ込められた。ただっぴろいこの地形では、うっかり動けば却って危ない。 ただ、荒れ狂う風雪の中で立ち尽くすしかない。全てが冬山の状況だ。 |
全く見えなくなったホワイトアウト 腰までのラッセルをしながら、雪面を注視するが激しい風の為、雪面と大気の境界が失せ、雪面の動きがつかめない。 雪面は停止しているのか流れているのか。 このような悪条件下では、急な雪壁に積もった雪は緩やかに流れ続けていることが多い。 特に登山者がラッセルし雪を蹴散らすことにより、雪が流れ、断続的に表層雪崩が発生する。 ・ 45mいっぱいに延びたザイルシャフトのラストから流れ落ちる表層雪崩が、 トップの私を通過する時の速度と量を正確に把握せねばならない。 判断の一瞬の遅れが死につながる。 ・・・・・ (当隊報告書:「K2へ」の《思索のザイル》より抜粋) |
風雪激しくこの先の独標までは前進不能 |
顔面凍結しつつもどうにか丸山に到達 |
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この激しい風雪でザイルを結ばず行動すると一瞬にして相手を見失う懼れがある。 ザイルを結んでいない村上の遅いペースに合わせてゆっくりラッセルしたが それでも気づいた時には村上は消えていた。 ・ 飛ばされそうな吹雪に抗い待ち続けるが村上は姿を見せない。 怒号する風雪に恐れをなし登高を断念し下山を始めたのか、あるいは方向感覚を失いリングワンデルングに陥ったか? 丸山から引き返そうと振り返ると数b間隔に立てられているポールが最早見えない。 更に吹雪は激しくなり広い尾根のルート・ファインディングを困難にしている。 と、白いカオスの中から村上が忽然と現れたのだ。 |
吹雪で出入口の穴が埋まりそう |
雪の壁に覆われた西穂山荘 |
閉ざされた山荘前の出入口 |
西穂稜線 4月28日(日)晴 千石尾根上部より 昨日の風雪が嘘みたいに綺麗に晴れ上がった。 2日前の天気図からするとこの晴天はもっと早く訪れた筈であったのだが、どうも寒気を伴った雪雲は ひどく穂高連峰をお気に召したようで昨日は結局終日荒れたのだ。 ・ で、連休で超満員の山小屋に詰め込まれるのは御免だし、新穂高温泉には露天風呂が待っているしで 一旦山を下り露天風呂三昧に浸り、今朝再び登り直してこの麗しい雪の穂高にお目見え出来たのだ。 |
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《B》 荒れ狂った風雪後の西穂高稜線 4月28日(日)西穂高頂稜 |
3日目の4月28日(日) 深山荘から日帰り登頂し我が山荘へ |
荒れ狂った風雪後の西穂高稜線 西穂独標,ピラミッドピーク、西穂4峰(左から) 4月28日(日)西穂高頂稜(2909m)より 登山者がうようよしているのは独標まで、ちょっと腕に自信のある奴も精々ピラミッド・ピークまで。 その先はアルピニストの世界でしーんと静まりかえっている。 誰も居ない山頂からトランシーバーで村上を呼び出すと現在、独標の頂に居て単独で登る私の姿を目で追っているとのこと。 ダイナミックな雪山の左のピークにどうにか判別出来る5つの人影が見える。 そのどれかが村上なのだろう。 ・ 恰もヒマラヤであるかのように、つーんと澄ました可愛いらしい穂高の雪稜が横たわる。 独標から見上げた西穂高の迫力ある雪稜が足元にひれ伏しているなんて愉快。 昨日の怒号するカオスを体験した後だけに、総てが明らかになったこの白銀の峰々がとても眩しい。 |
ピラミッドを超えると登攀者は僅か4名 |
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カメラマンが居ないので愛用のピッケルでも立てて乙に澄ました西穂のピークを撮ってやろうかな。 うーん、ヒマラヤと見紛うばかりの雄姿だな。 おや、人影が見えるぞ。 アンザイレンしてゆっくり、ゆっくり下っているようだな。きっと今朝、西穂山荘からアタックした連中に違いない。 これなら山頂直下の200b程の雪壁もトレースが着いているので雪崩の心配も少ないかな。 |
頂へのラッセル あと3メートルで頂 西穂山頂直下 4月28日(日)西穂高山頂(2909m)より撮影 さて折角の山頂なので人物を入れた登高写真を撮りたいが誰も居ない。 登って来たルートを見下ろしても全く人影は無く人物撮影を諦めて、唯ひたすらに望遠用一眼レフで雪山を撮り続ける。 30分間も夢中になって2台のカメラを操作していたら構えた望遠レンズに人影が。 おーラッキー!これで人物画像が撮れる。 ・ だが迫力ある画像を撮るにはラッセルルートから外れた急な雪壁に人物を置きたい。 その危険なポーズを見ず知らずの登山者にお願いするわけにはいかないので自らがその役を実演し 安全な山頂からシャッターだけを押してもらうようお願いしてみよう。 「あのー済みませんがシャッター押してもらえませんでしょうか。 これからこの雪壁の下に回り込んで頂に登り返しますので、登っている処を何枚か撮ってくれませんか?」 ・ これがその内の1枚であるが後方の鋭利な雪稜が人物と直線上に並んでしまい 迫力とは程遠いのんびりした長閑な画像になってしまった。残念! |
誰も居ない頂 4月28日(日)12時30分登頂 ジャン、涸沢岳、大喰岳、鑓ガ岳(右から) |
2台のカメラで撮りまくる 4月28日(日)12時30分登頂 西穂頂上 |
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急な雪壁を越え小さな雪のドームに出ると見慣れた西穂高岳の山頂標識が、「いらっしゃい!」と云わんばかりに迎えてくれる。 標識の豪華な背景に思わず目を奪われる。 やっぱ、穂高には雪と氷の衣装が似合うな、と恰も初恋の人との邂逅であるかのように胸をときめかし見とれてしまう。 |
最も雪の多い3月に 明神岳の東稜から登ったり 冬合宿の定番となっていた北尾根より 何度もトレースした前穂高岳が 雪煙と去来するガスに阻まれて 姿を見せない。 ・ 待つこと35分、諦めて下山し始めた時 遂にガスの合間に 前穂高が山顛を覗かせた。 前穂から奥穂へのたおやかな吊尾根も 全容を現し呼びかける。 |
やっと顔を見せた前穂高岳 |
「まーそう下山を急ぎなさるな、 これから明神岳もお見せするから も、ちょっと待ちなさい。 そうそう確か3月の明神東稜合宿では 前穂を超えて吊尾根を渡り 奥穂に差し掛かった時 仲間の1人が奥穂南壁を滑落し ヘリでの救助活動をしたりと 大変だったんじゃな」 |
前穂と奥穂に架かる吊尾根 4月28日(日) 西穂頂上より ・・・・・ コルから衝立岩左のアイスガリーに入り、グズグズに腐った雪壁を登る。 全身ずぶ濡れの急雪壁のラッセルは苦しい。 50分で凹角に出る。 凹角は明神東稜の核心部で愉しみにしていたのに、何と細い固定ザイルが1本残置されている。かなり古く信頼出来るものではない。 凹角左のクラックには氷が詰まっているが、凹角のスラブには全く雪は着いていない。 岩本にジッヘルを託し凹角に入る。 ・ 5b登って3本目のハーケンにカラビナを掛け、上半部のスラブを登る。 アイゼンの懸るスタンスが無いので、大きなザックを背負っていると動きがとれない。 2,3度スラブにアイゼンを乗せてみるが、体重を掛けると何の抵抗も見せずスリップする。致しかたない。 最後の手段として左のハーケンにテンションを掛け、強引に身体を持ちあげアイゼンがスリップする前に、体重移動を行う。 間一髪でバンドに手が届き凹角から出る。 |
雲間から姿を見せた明神岳(右)から前穂、奥穂吊尾根 4月28日(日) 西穂頂上より ・・・・・ 「アッ」 と鋭い叫び声が響いたのはその時である。 何故か殆ど平らな雪面で新井が転倒したのだ。仰向けになり岳沢方向へ、ゆっくり滑り出した。 「オイ、ピッケルを打ちこめ」 緩斜面なので充分に止まると思ったが、止まらない。やや焦って2度目のコールをかける。 「止めろ。ピッケルを打ちこめ」 ピッケルを打ち込まず、仰向けになり足を下にし安定した姿勢のまま、一度も反転せず新井は加速した。 そして一瞬にして南壁に消えた。 (当隊報告書:「Pobeda 1991」の《奥穂南壁の奇跡》より抜粋) |
大喰岳の上に屹立する槍ヶ岳 4月28日(日) 西穂頂上より |
笠ケ岳、弓折岳稜線 4月28日(日) 西穂頂上より |
そのV ただし、真冬に比べれば気温が幾分高いのは幸いだ。それでも帽子からはみ出した前髪はバリバリに凍って額を叩きつける。 白い闇の中で進むべきか戻るべきか、瞬間迷う。にも拘らず、久しぶりで味わう風雪の感触は体中を熱くする。 次々に呼び覚まされる、幾つもの厳しい山行。心の中に吹雪を孕む、とでも云ったらいいのか、絶望的なこの白い闇の記憶が心の中で何かを叫ぶ。 うっすらと視界を取り戻すと、灌木の重なりが人の形に見え隊長か!と目を凝らす。 ・ 必死に近付くが動く気配も無く、やっぱりただの木の影だ。ようやく見つけたポールを頼りに方向を定めて慎重に進む。 白い霧の中から「トーオッ!」と確かに声がして、幽かに人の形が浮かぶ。今度は間違いなく隊長だ。心配して戻ってきてくれたのだ。 さすがに嬉しかった。平時であれば20分程で登れてしまう丸山だが、結局辿り着くのに1時間もかかってしまった。 以前は無かった新しい標識の前で、写真だけは撮った。下山も離れないよう、ポールを探しながら下る。 竹の棒がびっしりとエビの尻尾で埋め尽くされ真っ白なのだから、これでは遠目では雪に紛れて見えない。 |
鷲羽、樅沢稜線 4月28日(日) 西穂頂上より 1週間以上も山に入ってやっと風呂にありつき もう山にはうんざりし、 頭も体もすっかり街バージョンにと思うのだがとんでも無い。 この岩風呂に入って大いに酒を呑み 翌朝になると街バージョンは すっかり山バージョンに逆戻り。これぞ岩風呂の成せる効能。 ・ 朝一番の露天風呂で酒を酌み交わしながら 「ほんじゃ、西穂にでも挨拶してくるか」 なんてことになってほろ酔い気分で 3月の深い処女雪を蹴立てて独標やピラミッドピークを駆け抜け 西穂に登り上高地へ下ったもんだ。 ・ まー、高山経由で新幹線を使って帰京するより 上高地へ下っての松本経由の方が 安上がりだったこともあったが 雪の西穂はいつも合宿打ち上げの山だったな。 |
追想の西穂高岳 大きなザックを背負って 薬師岳から雲の平、水晶岳、鷲羽岳、双六岳、樅沢岳と テントを張って長い縦走を果たし 左俣谷に入るともう頭にあるのは新穂高温泉のことだけ。 ・ 受付ももどかしく笠山荘の大きな露天岩風呂に いつものように飛び込む。 (あー、そうそうこの笠山荘、 笠ケ岳の麓にあるのでカササンソウと読みたくなるが リュウザンソウと読むんだ) 冬の鑓ケ岳の北鎌尾根や硫黄尾根での合宿後にも 必ず立ち寄り通い続けた笠山荘の 露天岩風呂には摩訶不思議な効能が秘められている。 |
笠ケ岳(左)、抜戸岳(右) 4月28日(日) 西穂頂上より |