その86ー2013年睦月 |
1月1週・・・三つ峠から今倉山、菜畑山へ
ゲートの衛兵・アイベックス |
玄関の守護神・獅子 |
謹賀新年2013年元旦 明けましておめでとうございます。 元日は穏やかに晴れました。 チベットから連れてきた山荘の衛兵・アイベックスが初日を燦々と浴びて心做しか微笑んでいるように見えます。 守護神の獅子なんぞ未だ半分しか初日が当たらないものだから捻くれて今にも吼えかかりそう。 さて、それじゃ山荘はアイベックスと獅子に任せて 元旦の朝トレは初詣を兼ねてちょっくら三つ峠にでも行くか! |
どうでい!特等席からの富士は格別だぜ 2013年1月1日(火)9:55 晴 三つ峠毛無の頂にて |
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目の前に迫る富士 三つ峠コースタイム 実施日:1月1日(火)晴 7:55山荘発→三つ峠口8:50着、8:55発→ 9:55稜線(三つ峠山荘)→毛無山→中川碑に黙祷→ 10:55三つ峠山頂着、11:20発、 アイゼン着装するが外れてしまい固定に時間とる。 →12:20峠口着、 12:25発→13:20山荘着。 片道36km。 |
えっ!そんなとこ登っちゃ駄目だって! そんなこと云っても 山の天辺に来てもっと高い処が在ったら 登りたくなっちゃうじゃん。 だって一番高い処が頂上なんだろう? 「僕の上においで!」 って案内板だって云ってるよ。 |
毛無山頂の岩場 |
三つ峠山の頂 さてこの荒々しい富士の息吹に個の何を願おうか! 豊饒なる作物を生み出すことの出来る 壮健なる肉体か、 はたまた長時間の読書に耐えうる 視力と集中出来るささやかな精神力か。 いいや、壮健な肉体や ささやかな精神力よりも穏やかなる終焉を望むべきか。 |
どう、このど迫力! 何処から観てもいつも手前に幾重もの山脈を従え 頭しか見せない富士が 全身を天空の海に曝し迫ってくるね。 その激しい息吹が 雪と氷を巻きあげ獅子の怒号の如く大気を震わせ 新たなる時の到来を謳っているね。 |
雪と氷が風に舞う |
追悼碑 雑草が生い茂りロープが張られ 毛無山の稜線南斜面には 踏み跡の痕跡すら見出すことは出来ない。 この碑を前回訪れたのは 4年前だったろうか? ・ 碑を設置した当事者にも碑への途が 解らなくなるほど 藪に覆われた小さな岩場でひっそりと 静かに眠り続ける中川雅邦。 微かな藪の起伏を目で追い続ける。 富士を真正面に見据え |
中川君の追悼碑 |
眩い陽光に包まれた小さな岩場への途は 確かこの辺りに在る筈。 ・ 2度3度往きつ戻りつ 僅かに見覚えのある窪みを見出す。 ロープを超えて稜線から下ってみると 小さな岩場の頭が見えた。 頭の左を回り込み 岩場に出ると不意に27年前が甦った。 ・ 交渉中の秘境ブータンへの登山許可が 国を閉ざしていた ブータン政府から突如届き 2カ月後にはブータンヒマラヤへ旅立たねば と云う慌しい準備に追われていた あの27年前の日々が。 |
三つ峠からの金峰山(中央)、八ヶ岳(左)遠望 |
新年山行 冬の朝のフルーツラインは晴れてさえいれば、素晴らしい眺望に恵まれる。 この日の朝は格別に美しい南アルプスの展望に出逢え、薔薇色から白銀へと変化しつつある山脈を正面に、 ぴんと張り詰めた新春の大気の中を走る幸運を感謝する。目指すは道志山塊の菜畑山である。 今回は二手に分かれ、隊長は道坂峠から今倉山を経由して菜畑山へと縦走を試み、村上は道志温泉からの道を登って合流しようという計画だ。 ・ 既に隊長は元旦の三つ峠で初登山は済ませているので、今回は未だ登り残している道志山塊の山を選んだということだ。 大月から20号線を逸れナビの案内によって進むが、道坂峠まではかなりの登りである。 途中びっくりするほど大きな富士山が顔を出し、さすがに富士の眺望日本一の大月市である。 道坂峠で隊長を降ろし、更に8キロほど先の道志温泉を目指す。 |
さて次は何処へ 三つ峠 |
三つ峠から 今倉山、菜畑山へ 1月4日(金)晴 |
カリカリの氷道 三つ峠 |
コースタイム 実施日:1月4日(金)晴
標高差 : 道坂峠ー今倉山・・・355m 実際のコース標高差・・・約1200m 片道55km。往復:132km |
そこまで行けば、登山道を見つけるのは簡単かと思っていたが、道志温泉の看板が過ぎてもそれらしい入り口はない。 それどころか、道志温泉そのものもあまりはっきりしないので、初めの話に出て来たヤツグラ沢から登ろうかと、 先まで行ってみたが、全く分からない。 仕方ないのでまた戻り、街道沿いのやっと見つけた雑貨屋で道を尋ねることに。雑貨屋のおじさんは親切に教えてくれたが、 道志温泉から登る道にはどうやら駐車スペースがないらしい。暫く戻った曙橋というところからなら車で入れ、駐車場もあるという。 教えられた曙橋からの入り口も分かりにくく、いったんは行き過ぎてしまいまた戻ってやっと菜畑山登山道方面と薄い字で書かれた標識を見つけ、 急に狭くなる坂道を登っていく。直ぐに二股に分かれまた小さな道標が登山道を示すが、檜林の中の狭い道になるので、 万一を考えて車は此処で止め置くことにした。薄暗い林道をしばらく進むと民家があり、どうやらその周辺に養豚場があるらしい。 ・ 独特の臭いが辺りに漂い、外からは見えないよう覆いがしてあるが豚の鳴き声が漏れる豚舎があった。 農夫がトラクターを運転して坂を降りてくる。とても擦れ違うのは無理そうで、車は置いてきてよかったなと思う。 こんな山奥でも働く人がいるのだと感心しながら、先を急ぐ。途中トランシーバーの交信を何度か試みるが、全く応答しない。 道志温泉で道を尋ねた後の交信では通じていたのに、相手のシーバーの不調かこちらの電池切れか等と思いながら、 もう少し登ってみて駄目なら、電池交換してみよう。斜度は緩やかな林道だが、その分迂回しているせいなのだろう、だらだらと何処までも続く。 NHKの送信塔があると聞いていたが何時まで経っても現れない。 |
今倉山の頂 |
全く人影無し 1月4日(金)晴 そんな馬鹿な! とうとう最後の最後まで 人っ子一人出逢わず。 道志山塊は忘れられた山とは 聞いていたが 太陽が燦々と降り注ぐ好天の正月に まさか登山者0とは! 恐れ入ったぜ。 |
水喰いの頭 |
菜畑山の頂 |
朽ち落ちた道標 |
道志口峠の朽ちた名板 |
稜線が見えてきても交信は相変わらずできない。やがて送信塔が建っている場所に来た。 林道はまだ続き、更に荒れた道を登っていくと何台かの駐車スペースがある林道の終点へ。登山道に入ると、一気に斜度が増し、 葉を落とした常緑樹の林となり、明るい日差しが心地よい。ようやく山登りの気分になれる。 突然シーバーが鳴りだし、やっと交信が出来る。隊長の方の電池が切れたらしい。今倉山を過ぎ、菜畑山へと向かっているとのこと。 「そちらはあとどれ位かかりそうですか?」との問いに「30分から1時間くらいでは」と覚束ない答えを返す。正直見当つかない。 ・ 店のおじさんは送信塔から登れば40分くらいで着くとは言っていたが。木々の幹の向こうに大きな富士山が裾野を緩やかに広げ聳える。 やはり雪富士は優美だ。再びシーバーから隊長の声が、「今菜畑山に着きました」と告げる。 「コールしてみて」とのことで大声でコールを掛けるが、隊長からのコールも聞こえない。やはりまだだいぶあるのだろうか。 隊長は一旦は曙橋への下山コースを降りようかと提案してきたが、そうなると私が山頂に行かれない可能性もある。 そこで、隊長は更に朝日山から赤鞍ガ岳を目指してみる、様子により引き返して合流もありとのことに。 |
静寂に満たされた頂 誰にも出逢わなかった菜畑山 どうです、この空の碧さ! 碧空の真っ只中にポツンと置かれた四阿を さあ、宇宙船に乗ってあの碧い母なる海へ還ろう。 |
それじゃお得意のセルフタイマーだ! |
もう一枚いくぜ! |
太陽の温かさに緩んだ土が滑りやすくなった道を登っていくと、急に山頂に飛び出した。 まあるいテーブルのある四阿が設けられて、見晴らしも良い山頂ではあるが、なんだかあっけなく着いてしまい、拍子抜けする。 交信すると「なんだ、あと5,6分だったんだ」。隊長はそのまま先へ行ってみるとのこと。私はせっかくの山頂を暫く楽しむことにした。 菜畑山という名前は如何にも明るくのどかな印象で、新春の山に相応しい気がする。 菜畑山はその呼び方を「なばたけうら」というのが正しいらしい。 (菜畑という沢の先端であるから菜畑ウラで、ウラは山頂にあたるから、山の字を置いてウラと読ませた。谷有二著「山名の不思議」) 林道の終点からだと結局200m程度しか登っていないだろう。登山というよりは林道歩きが主体だった事になるが、 山頂の景色はそれなりに楽しめる。富士山の姿は見事だ。丹沢の山山も見晴らせ、遠く都心までもが見渡せる。 ・ 高層ビル群の連なりも此処からは小さく可愛いいが、ひと際高いシルエットがスカイツリーに相違ない。 下山はのんびり風景を楽しみ、林道では木の根にぶら下がった大きなつららが太陽の光を弾いて虹色に輝く様に見とれたり、 まだ解けない霜柱の形の美しさに惹かれたりして、思いがけず時間を掛けてしまった。隊長からの交信が入り、 すでに林道まで降りてきていると知り、あわてて先を急ぐ。車を運転して隊長が国道沿いを歩いてくるのに合流、 無事に今日の登山が終了できた。 隊長も私も誰にも会わなかったことを確認、それぞれに全くの独り占めの山だった訳で、それはそれで贅沢な新春の山だったのだろう。 |
今倉山からの南アルプス遠望 |
息を潜める氷の里
1月5日(土)晴 竹森川周辺
西畑のスプリンクラーと賀状 |
山から戻ったら賀状がどっさり。 虚礼と化した賀状には 「近況も記されていない賀状には 返礼賀状は出しません」 と宣言して早10年。 ・ 随分賀状は少なくなり殆どが 教え子・卒業生となり 楽になったがそれでも一度に 数十枚を書くとなると大変。 ・ 燦々と降り注ぐ太陽に満たされ 暑い程の書斎でシャツ1枚になって どうにか賀状を書き終え さて里のポストまで トレーニングを兼ねてひとっ走り。 ・ と里に出てみると 太陽に暖められてとっくに融けていると 思っていた畑の氷も沢の氷も 朝のまましっかり固まっているでは。 里のあちこちでは ヒノキの枝で道祖神に小屋架けし、 わらで大きな男根を突き立てた お仮屋が造られている。 もうすぐ《どんど焼き》 |
道祖神背後の氷結した小滝 |
檜の枝で覆われたお仮屋 |
山影に沈む山荘 |
14日には燃やされるお仮屋 |
枯葉に埋もれた背骨も見える にも拘らず肉片が残っていると云うことは 死して間もないのだ。 秋から初冬にかけて鹿は交尾期。 雌を争っての雄同士の闘いに破れ致命傷を負ったのか? ・ 生殖に自らの生命を賭ける雄。 しかし多くの動物の雄が命を賭けるのはその一瞬だけで その後の妻子には知らんぷり。 そうDNAに仕込んだ巧緻に長けたシステムが 鹿の虚ろな瞳孔で密かに嗤う。 |
麗しき死相 1月6日(日)晴 北峠への森 脚には未だ桃色を留めた肉がこびり付き 顔はしっかり毛皮に覆われている。 立派な角は今にも抜け変わる寸前を告げている。 抜け目ない野生の肉食獣が この獲物を放っておく筈が無い。 |
虚ろな眼孔に去来する宇宙 |
遭難・死者,行方不明13名 年末年始の6日間で、全国の山岳遭難の発生は31件、 死者・行方不明者の数は13人に上り、いずれも過去最多となった。 (1月10日TBSニュース) 北アルプスの西穂高か唐松岳、中央アルプスの宝剣岳、いや八ガ岳でもいいかなと年末から天気図と睨めっこし 登山チャンスを狙っていたのだが連日の西高東低、寒波襲来でアルプスは断念。 でもって、のんびりと三つ峠、道志山塊を歩いていたら予期していた通りアルプスでは遭難続出。 剣岳の小窓尾根に12月30日入山した秀峰登高会らの合同隊4人が尾根取り付きあたりで遭難。 4人のビーコン発信が確認されてはいるが悪天と雪崩の恐れがあり捜索は難航し 10日以上を経た現在、未だ発見されてはいない。生存の可能性は先ず考えられないであろう。 ・ 「1987年1月1日、剣岳小窓尾根ニードル下部2121m地点。チンネを目指していた先発の2名と合流し、7人がテントに集合した」 で始まる風雪の小窓尾根登攀記録(岳人478号、記録:坂原)を久々に読んでみた。 記録冒頭に記された朝日新聞の記事によると12月29,30日と1mを越えるどか雪、31日は雷を伴う大雨、1月2日は30mに近い強風と どか雪、大雨、台風並み強風が年末年始の剣岳を襲った。 この悪天下で多くの隊は撤退し帰らぬ隊もあった。特に同時期に小窓で活動していた水戸隊父子の遭難は大きく報道された。 《水戸さん救援会》が組織され水戸教授の教え子等の関係者が繰り返し捜索したが行方は杳として知れず。 《水戸さん救援会》の要請を受け我々も情報提供等の協力をしたが捜索の甲斐なく雪解けまで遺体は発見されなかったと記憶している。 今回の4人はビーコンで遭難地点が判明しているので天候さえ安定すれば水戸隊のように捜索が長引くことはないだろうが 焦ると救援隊の2次遭難をも引き起こしかねない。状況によっては春の雪解けまで待つべきであろう。 ・ 26年前のその日、増水した剣岳白荻川での渡渉で我が隊は全員が下半身ずぶ濡れになりその後の寒気で衣服は凍て付き入山日から遭難状態。 更に続く悪天にもめげず台風並みの強風が吹き荒れた1月2日に剣の頂に立ったと云うのに、 その夜泊まった伝蔵小屋(早月小屋)で人的被害により 図らずも遭難してしまうと云う自らが書いた小窓尾根登攀記録に笑ってしまった。 恐ろしいのは雪崩や悪天だけではない。山小屋に屯する低俗で性質の悪い輩にもご用心。 幸いにも小屋での遭難は死を免れ、こうして今も山歩きが愉しめるとは何たる贅沢! |
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