仙人日記
   その85の32012年師走


12月3週・・・星が落ちている森

《A》 森の宝石

森の宝石
12月14日(金)晴 竹森川

Ennuiは告げる。
《幻想以前の戯言と知りつつ
それでも敢えて
心ときめく少年なんぞを登場させて
そんなにもお前は
待っているのかい?》
(初雪より) 

待っているのさ。
ほらよーく観てご覧!
谷の奔流が激しくぶつかり合い
宙に舞い上がり
宇宙に捉えられた瞬間だ。

限りなく透明な蒼い光が
ミクロからマクロへ
水滴から宇宙の星へ一瞬にして
位相変換した事実を
告げているのさ。

少年は性懲りも無く
再び氷の花の咲く森を訪れ
そんなにも待っていた
その刹那に
めぐり逢ったのさ。

森の中に《土星の環》が落ちているぞ!
あれっ!
カッシーニの隙間やエンケの隙間、キーラーの隙間も
ちゃんと在るね。
生まれたばかりの銀河や暗黒星雲や
馬頭星雲まで落ちてるね。

Cassini Division

(画像提供:NASA/JPL/Space Science Institute)

時の襞
12月14日(金)晴 森
Cassini Division



ようこそ!
土星からの使者
カッシーニ。

402年前の1610年に
ガリレオは土星に耳を見つけたんだ。
更に50年もかけてホイヘンスはその耳が環であると
発見したんだけれど
森はそんなのとっくに知っていて
よく晴れた寒い夜に
星や土星の環をたくさん造って動物達に宇宙のお話でも
しているのかな?

生れいずる
12月14日(金)晴 竹森川

幾ら眼を凝らしても
切なく身を焦がして待ち続け
想いを一点に
収斂させなければ観えはしない。

宇宙に捉えられ星となった
水滴は蒼い光を
留めながらも朱を帯びているだろう。
底知れぬ深い蒼から
朱への変換は身を焦がして
そんなにも待っていた
少年にしか観えないんだ。

そう、その朱は
落葉樹の死が復活を予言し
森に放った彩なんだよ。
深い蒼に身を染めて星になった
水滴は
蒼く冷たい光の中に
太陽を生み出し
新たな生命を育くもうと
しているようにも観えるね。



《B》 陽だまりピクニック初冬のつるがとや1374m


天からの贈り物かと思うような素晴らしい青空。
雲ひとつない明け方の空に薔薇色の富士が手招きしそうに浮かぶ。
急いで朝食の野菜たっぷりラーメンを作り、出かける用意をして、山荘を出発したのが7時半。
笹子トンネル崩壊の影響で混雑が予想される国道20号線を通ることに少しの不安を持ちながらも反対方面だからと出発。


     コースタイム
実施日:
12月16日(日)快晴 
山荘発
(往25km往復60)
7:30 
船橋林道(700m) 8:10着 8:15発 
稜線 9:30発  
鶴ケ鳥屋山 10:30着 10:50発  
野田林道  11:20 
唐沢橋20号線  13:00 13:10出
計    4時間45分
山荘着     13:50 

標高差
船橋林道ー鶴ケ鳥屋山・・・674m
実際のコース標高差・・・約1000m



連日の寒波から開放され
風も無い暖かな快晴に
恵まれ静かな山行となった。

山荘に戻って14時半には
太陽光風呂に浸かり
テラスで昼下がりの宴。
生姜と梅ジュースフレーバーが
たっぷり効いた
山荘ビアで先ずは乾杯!
この瞬間が
最高の贅沢。



船橋川林道終点

美しい滑滝
今年最後の贈り物
 村上映子

晴れ渡った冬空の下
フルーツラインを走ると、
真っ白に輝く南アルプスの山群が
真正面に見渡せる。
白銀の城砦のようだ。

心ワクワクとさせながら、
朝陽の眩しい20号線に入ると、
予想より空いていて快適に走れる。
笹子駅前をUターン気味に進み、
登山道の林道入り口まで車が入れる。
8時15分に登山開始。
檜の樹林帯は薄暗く、
今にも熊が
飛び出しそうな暗鬱な雰囲気。

水音に誘われるように
船橋沢の渓流に下り、渡渉して右岸へ。
更に何度か渡渉を繰り返しながら進む。
澄んだ水が滔々と流れ、
水量がもっと多いと
渡るのに苦労するかもしれない。
大きな一枚岩を黒々と濡らし
滑滝が美しい形で流れている。
途中で枝に可愛い大きさの
カモシカの頭蓋骨が掛けられていた。

帰りに持って帰りたいと
思っていたのだが、
帰路はうっかり気付かず残念なことをした。
落葉樹が混じる檜林の登りは単調で、
「山荘の裏山と変わらないな」
と隊長がつまらなそうに呟く。
しかし、登るにつれ
葉を落とした木々の向こうに
滝子山の大きな形良い山容が
目前に迫る。
その下には空っぽの
中央高速道が見える。
滝子山はいつも中央線から眺めるばかりで
実は登っていない山なのだ。
対面の山を見ながら、次は登りに行くからね
と心の中で語りかけてみる。

やや斜度のある登りが続き
鉄塔の下からは階段となり、
いきなり舗装された林道に飛び出す。
舗装道を渡ると鉄の梯子段が
架けられた土手を登ったところから
明るい雑木林の道となる。

樹齢を重ねた圧倒されるような橅や
面白い形の倒木などに足を止めながら
しばらく上ると稜線上に出る。
右に進めば本社ヶ丸、
左が目指す鶴が鳥屋山頂へ。
此処にも古い祠になった
枯れ木があり写真を撮る。
歩きだそうとしたら下の方に単独の
登山者が登ってくるのが見えた。
今日はじめて会う人である。

稜線上は一気に視界が開け、
西側には南アルプス圧巻であり、
更に真っ白に輝く八ヶ岳も見え
ダイナミックな景観に
気分も高揚して弾みながら歩く。
高度の割には
なかなか贅沢な眺めの稜線歩きだが、
木々が裸になる冬でなければ
この景観は味わえない。

やがて急勾配を一気に下り、
そこからはアップダウンの繰り返しが
しばらく続き、
こじんまりとした山頂に着く。

富士山が裾野まで美しいラインを見せる。


凄いブナの巨木

朽ちた稜線のブナ

螺旋を描く巨木



風も無くさんさんと降り注ぐ陽の光が溢れる山上は、小春日和の穏やかさであり、ポカポカと暖かくさえある。
遠く晴れ渡った空はどこまでも青く、気が付けば北アルプスまでもが姿を見せている。
こんな穏やかで明るい登山日和がひょっこりと用意されていたなんて、今年最後の山荘からのプレゼントなのかもしれない。
1年前もしかしたらもう山荘に来ることはないかもしれないと暗い思いを抱いたこともあったが、
山荘の自然は大きな懐でまた未熟な人間を受け入れてくれたのだ。

確実に何かが出来なくなっていくことも、そのことに懼れや嫌悪を抱くことも畢竟人間の想いに過ぎない。
人間は老いて再び自然に還っていくものであるという真実を真正面から受け止めるのは、自然の中に坐してこそ可能なのかもしれないと思う。
ささやかな歓びや哀しみが人の一生を彩る。
それもまた自然の中にあってこそ一層輝くのであろう。




木の間越しに南アルプス

笹子雁ケ腹摺山上に聳える甲斐駒ケ岳

御坂山背後の農鳥岳

暖かな山頂で

結局何処にも平仮名やローマ字表記はありませんでしたが
この山頂標識を見て妙に納得。
鷹は夏に鳥屋(とや)に篭って羽毛を抜き代えるけど
この山では鶴が篭って
衣替えをするとの伝説がきっとあるに違いない。
ならば《とややま》と読むのだろう。

どうしてこの変梃りんの標識を見てそう思ったか
本人も解からないのですが
山荘に戻ってから「甲斐の山山」という本を紐解いてみたら
「つるがとややま」と出ているでは。

何て読むんだろね。
「つるがとりややま」ではやとやが重なって
何だかゴロゴロ喉につっかえてしまうし
「つるがとりおくやま」では
意味不明の軟体動物の呟きのようだし。
何処かに平仮名かローマ字表記が出てないかな。

太陽がいっぱい! 

本社ケ丸(1631m)と富士山(左)

やっと観えた間ノ岳(左) 北岳(右)

鶴ケ鳥屋山山頂からの富士山



凍て付いた森に生きる猿の腰掛

あれ!カモシカの骨の道標だぞ
ほら、誰かが黒マジックで
《危険、難路》なんて書き加えているよ。
唐沢橋に出る
唐沢尾根ルートはきっと途中で
道が消えてしまい
何人もの登山者が迷ったんだろうね。
だから頭蓋骨の道標なんかが
置いてあるのかな?
頭蓋骨が象徴するように
酷いルートで
仙人ですら2度も迷い込んだのだから
よっぽど用心しないとね。

松の大木に赤スプレーで記された
矢印なんぞ全く出鱈目で
矢印通り降りたら急峻な谷に出てしまい
戻るのに一苦労。
林道に出てからも目の前の20号に至る
道が無くて畑を横切ったり。
まー面白いと言えば面白いけど・・・。 
 
2か所骨折した2年前の本社ケ丸は隣の山
 
危険難路と記された唐沢尾根



《C》 高村薫の農作業


豊饒な稔りを齎した夏野菜の荼毘だ!

美味しい稔りに唯感謝!
合田雄一郎の畑作

うーんと思わず唸ってしまう描写がごまんとあるにも拘らず
敢えて選んで《畑作&朝トレめも》に初めて載せた
高村作品のフレーズ。

「この実も蓋もない世界は、何ものかがあるという以上の理解を拒絶して、
とにかくあるのだ、と。俺たちはその一部だ、と」


この言葉が帯紙にそっくりそのまま
載っているのを見てめちゃ驚いた。
上下巻で600ページを超える文字の海から
拾い上げられた読者を惹きつけるとは思えないフレーズ。
これを帯封にすることによって
合田雄一郎のファンならきっとこの本を手にするだろうとの
出版社の思惑に脱帽。
何ものかがあるという以上の理解を拒絶して、
とにかくあるのだ」
と、この実も蓋もない世界を認識した
合田雄一郎が始めたのは
読者が逆立ちしても思い浮かばぬ
思惑の彼方に在る畑作。
いや、もしかすると畑作への収束は
雄一郎にとって必然?


この実も蓋もない世界」に敢えて
俺たちはその一部だ」と覚醒して在ろうと
するなら畑作こそ
雄一郎の帰結すべき世界に違いない。

確か「マークスの山」、
「照柿」「レディ・ジョーカー」と続く三部作にも
「太陽を曳く馬」、「新リア王」にも
雄一郎が畑作をやるなんて気配は無かった。
思い違いでなければ11月30日に
発刊されたばかりの今回の「冷血」で
初めて畑作の話が出てきたのでは?

さらば、夏野菜!
登山、読書を趣味とし
更に忙殺される仕事の合間を縫って
早朝、休日に
畑作を始めた雄一郎が高村薫
そのものである
可能性は高い。

雄一郎は千葉の矢切の野菜農場で

作物を摘み畑に農薬を散布しその手で
事件現場の遺留品に触れ
土の組成と肥料の効き具合を考える頭で
心疾患のX線画像の鑑別診断の是非を問い
部下の操作報告をまとめたり
日報や報告書を書いたりもする」

この雄一郎の仕事を
そっくりそのまま高村の著作活動に
置き換えれば
 ほら、こんな画像になるのでは。
この農作業の手で
高村は「冷血」を執筆していたのだ。
そうだったのか!
画像の女性はいつもの村上映子かと思っていたが
じつは高村薫だったのか。
どうもこの画像には合田雄一郎の影が何処と無く
付き纏っているような気配が漂っていたが
高村薫ならさもありなん。

作物を摘み畑に農薬を散布しその手で
パソコンのキーボードをたたき
土の組成と肥料の効き具合を考える頭で
合田雄一郎を生み出したりもする」

さて、大根の干し場が足りないぞ!

大根屋敷と化したログ


《D》 銀河の落ちている森

仙人の宝石箱
12月14日(金)晴 小倉山の森 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


茫漠とした漆黒の宇宙に銀河を振りまく者がいると云う。
救い難き果てしなく深い闇にそれでも一縷の光を敢えて振り撒いた者に私は逢いたい。
その想いをどうしたら伝えられるだろう。

宮沢賢治なら馬車別当を使って手紙を持たせるだろうが、私には馬車別当を雇う程の豊かな感性は無い。
ええい!それならいっそ、森の妖精を騙くらかして森に宇宙を創らせてしまえ。
そうすれば漆黒の宇宙に光を齎せた偽善者に私は逢うことが出来るかも知れない。

 



 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
銀河画像:すばる望遠鏡2012他より



しんしんと寒い夜に、空を見上げるときらきらと瞬く木星がひときわ目立つ。
木星を見上げていると大きな流れ星が天空を横切る。はっとして追いかけてもたちまち流れ去る。

ふたご座流星群のやってきた夜は、見上げる目の隅に幾つもの光の筋が流れた。あの小さな星のかけら達は何処へ行ってしまうのだろう。

寒い寒い朝の誰も居ない森に踏み込んだら、たくさんの枯れ葉の間に瞬くものがある。昨夜の星の小さなかけら達が氷の花になって隠れていた。
地上に墜ちた星屑たちは、地球の命である水の流れに混ざり、やがて水の想いをゆっくりと地上に吐き出し、
それがきっと幾つもの美しい不思議な形の氷の花となって森の奥深くひっそりと咲いたのだ。


森にはたくさんの命が集まっている。森の大地の奥深くに隠れている水にはその命のエキスが詰まっているに違いない。
水に溶け込んだ数多の命の想いが、星の欠片に反応して地上に氷の花を咲かせるのだろうか。
よく晴れた特別に寒い夜、流れ星が地上にこぼれて落ちて来た晩に、地中深くの水の想いが語りだすのでしょう。
そんな翌朝森に迷い込んだ人だけが、ひっそり落ち葉の間に隠れ咲く氷の花に出逢えるのです。
星に恋した水の精の可憐な姿は、だからきっと地上のどの花とも違い、一つ一つが不思議な形をしているのでしょう。



《E》 緩やかな崩壊


あれ、天井が無い
大地に緩やかな崩壊
12月17日(月)曇 上条の森 


床もけているね
今正に朽ち果てようとしている
その古民家は
美しい上条の森を護るが如く
森の入り口に唯一軒
ぽつんと建っているのです。

山荘が生まれた
18年前には既に人の気配は
無かったような気がします。
森を訪れるたび
古民家の前を通るのですが
何しろいつも
しーんと胸を穿つ深い静寂が
漂っているだけなのです。

さあ、ゆっくりおり!
思い切って家の中に
入ってみようとの決意を促したのは
静かな眠りに着いた上条の
森の声でした。

「覗いてごらん!
ほらもう雨や雪を遮る屋根も無いし
大地の冷たい湿気を断つ
床だって抜けてしまった。

2階の床も崩壊してしまい
うち捨てられたTVは
底知れぬ深い闇に廃墟の影を載せ
鈍い光を反射するのみ。
誰かさんの
心象風景と重ならないかい?」

2階が下してる

取り残されたTV

青空天井と貯水タンク



《F》 2012忘却の彼方へ

 来年の賀状はこれにしようかな? 

《思いだそうとしても決して忘られぬ想い出》
唐十郎の芝居のセリフに
そんなのが在ったような気がする。
思い出そうとしても
2012年の1月から12月までは既に
深い忘却の彼方に在る。
にも拘らず
決して忘られぬ想い出と云えば・・・。

確かに在るではないか。
雪深き剣岳で過ごしたあの濃密な3日間だ。
よーし来年の賀状の画像は
こいつに決めよう。

処で忘却の彼方に去ってしまった
思いだそうとしても決して忘られぬ想い出を
HPから拾って以下に記し
改めて弔ってやることにしよう。

1月 木星衛星による光速計算 7月 残雪の白馬岳から不帰の峰へ
2月 入院オペ体験 8月 背黒脚長蜂に刺される
3月 パプアニューギニアDV 9月 南瓜大豊作で皆に贈る
4月 剣岳、奥大日岳に遊ぶ 10月 北岳から農鳥岳への縦走
5月 金環食観察記録 11月 山荘最高の麗しき紅葉に酔う
6月 葉子、陽介一家の滞在 12月 Cassini Divisionとの出逢い

そうだったね。
もう決して逢えぬ小さないとおしい時空達。
さようなら!
安らかに永劫に眠れ。

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