仙人日記
 
 その104の52014年文月
7月4週・・蒼穹にかれる一瞬!
 Contents
《A》 片脚のジャンダルム登攀
《B》 肉体に刻まれた氷河
《C》 ジャンダルム周辺まっぷ&行動記録
《D》 岳沢からジャンダルムへ
《E》 ジャンダルム稜線
《F》 山巓の微睡み

ジャンダルム周辺まっぷ

コースタイム
 7月25日(金)晴~27日(日)雷雨
 

山荘、上高地
(登山口)間のアクセス
7月25日(金)
山荘6時→東山梨6:25→松本8:32→8:42発→新島島9:45発→上高地 10:40(昼食)
7月27日(日) 上高地13:40着、14:20発→松本15:15、15:55発東山梨18:25着山荘18:45着

登高コースタイム
 2台のカメラを用いて3日間で約500枚の撮影を行った。撮影をしながらの行動なので実働時間はもっと短い。
行動記録:3日間総計
行動時間:20時間10分 51811歩、38km966m、1220kcal  
 
 7月25日(金) 晴 
上高地 11:30発    
岳沢小屋(2170m)   13:40着
行動時間  2時間10分    
13111歩、9177m、345Kcal    
7月26日(土) 晴曇 
岳沢小屋 5:00発      
天狗沢  7時~7:30(アイゼン装着休憩)   
天狗のコル 8:00着(単独行者2名と遭遇)
ジャンダルム 10:00着(我々2名のみ)  
奥穂高岳 11:30着、11:50発  
穂高山荘 12:15着、14:15発
涸沢岳  14:30着、昼寝、16時発
穂高山荘 16:10着 
行動時間  9時間20分    
  16605歩、11km623m、531Kcal
7月27日(日) 雷雨 
穂高山荘  5:00発     
横尾 9:15着
徳澤 10:20着      
明神  11:30着 
上高地  13:40着 
行動時間  8時間40分    
   22095歩、18km166m、344Kcal




岳沢からジャンダルムへ


上高地で

河童橋で早くも

さあー岳沢へ
7月25日(金) 晴 



びっこ引きひき
冴えない老体 



天然クーラー:風

天狗見ゆ

アキレス腱をし騙しどうにか着いたぜ!


奥明神沢の渓を従えた小屋

小屋の後に被さる天狗沢 



その8 <2日目・天狗沢からジャンダルムへ。>

4時に起床。体は軽いし、気持ちも平静だ。とにかく天狗沢へは行ってみよう。
行動食のパンを食べ、腹ごしらえして出発は5時。
早立ちの人たちが動き始めているが、天狗沢へは誰も入っていないようだ。
天狗沢の下部はお花畑が連なっているが、今年は未だ花が少ない。
咲き乱れるほどになるのはもう少し先になりそうだ。

風も無く、未だ日も昇らないので涼しくて歩くのも楽だ。上部には大きな雪渓が広がっている。

あそこを越えなければならないのかと考えながらも、まずは行かれるところまで頑張ろう。
大きな風景の中を歩むとき、なぜか心も広々と明るくなる。

天狗岩の端にある小さな岩の突起が、太陽の光を受けて鋭い剣のように見える。
やがて我々も太陽の光に照らされ、眩しさと暑さに包まれる。
登るにつれ、崩れやすい岩の堆積する急斜面となってくる。
下部に広がる大雪渓は幸いにも巻き道によって通過できる。



 の光が乗鞍岳を朱に染める
7月26日(土)5時 晴  岳沢小屋



天狗沢に影無し

咲き出したばかりのお

けの天狗沢へ
7月26日(土) 晴 


 

あれ、着いてきたぞ!
重太郎新道は止めたの?



下部渓現る
 
アイゼンがめられない!


 


その9 もうここからは引き返せない


最後の登りの急雪渓の手前でアイゼンを着ける。さあ、もうここからは引き返せない。
急角度に広がる岩だらけの下降を振り返り、気持ちを新たに引き締める。
アイゼン装着に思わぬ手間取ってしまったが、
12本の紐アイゼンは夏の軽登山靴にもしっかりと嵌り、雪渓に踏み込むと心地よいほど効く。

先に取りついた隊長が、「おお!快適だ!アイゼンが良く効くし、団子も出来ない。いいぞ!」と叫ぶ。
「出来るだけ右に寄れ!その方が楽だ。ストックは短くして!ゆっくり登るんだぞ!」

先行する隊長が振り向いては、次々と指示を飛ばす。此処で滑る訳には行かない。

スプーンカットがきれいな雪面へアイゼンをしっかり蹴り込み、一歩ずつ慎重に登る。
露出した岩をアイゼンで乗り越え、最後の雪面へ。
雪面の先には天狗の避難小屋の残骸がみえる。小屋跡地にはゴミが大量に放置されていて、
ちょうど居合わせた単独登山者と隊長が怒っていた。

此処まで登って来た安堵と共に、いよいよ始まる岩稜ルートへの闘志が湧き上がる。
行動食と水分の補給をしていると、西穂山荘を朝4時に出発したという2人組の男性に遇う。
一人が「もうバテバテですよ!」と言っている。





天狗沢第三お

光の産声


そうか、この生まれたての
天狗沢の光に
逢いたくて
締め方も忘れてしまった
大昔の紐アイゼンを
ザックに忍ばせ
やって来たんだな!

蒼黒い闇に微睡む上部雪渓

 何だか、バルトロ氷河の
モレーン(氷河堆積)
思い出して20年前の
1994年K2峰(8611m)遠征
に帰った気分

箱庭のような
可愛らしい赤ちゃん氷河と
モレーンだけれど
バルトロの匂いがする。

でもK2の記憶に
騙されてはいけない。
k2遠征時は未だ40代後半の
過熟してはいたが
鍛えられ肉体。
あれから20年を経て
更に老いた肉体は
過熟を超え
終焉を目前に控えた老身。

「あたしはジャンに行くべき
それとも
引き返すべき?」

下部雪渓を右岸に巻いてモレーンを登り、上部雪渓に



蒼穹にかれる一瞬!稜線近し
する苦痛

苦痛を如何に回避するか!
生命は苦痛と云う
サインによって
危機を察知し
自らの存在を護る。

しかし生きている限り
苦痛から逃れることは
出来ない。
苦痛と真正面から対峙し
乗り越えた時
苦痛は反転し極上の歓び
を生み出す。
 
稜線にき上げる上部雪渓
耐えられる苦痛の
ラインを
何処に引けるか? 
その苦痛ラインによって
その生命の
テリトリーは決定される。

生命はいつも
その苦痛ラインの境界で
死の匂いを嗅ぎながら
彷徨いつつ
じりじりと
テリトリーの拡張を目論む。
そしてもう一人の
自己との邂逅を実現する。

雪面にまれる左アキレス腱の苦痛



ジャンダルム稜線


稜線にました! 天狗のコル

天狗のコル上からの西穂高岳

崩壊したコル避難小屋の散するゴミ

 両側から岩稜のる天狗のコル
後方は笠ケ岳(2898m)

その10 垂直でつるつるな壁には鎖が

いよいよ奥穂までの岩稜帯縦走が始まる。

天狗のコルから先ずは畳岩を登りコブ岩の頭へと一気に300メートルの登りが待っている。
歩き始めれば、岩はしっかりとしている。
天狗沢の不安定なザレ場より明らかに歩き易い。ホールドもスタンスも豊富だ。
白いペンキのマークが付いているので、それを探せばルートも分かる。
ただしこのマークはうっかりすると見逃してしまう。

高度感のある登りもあり、しっかりと3点支持を守りながら慎重に登る。

落石をしないよう、浮石を確認してホールドに力を込める。
それでも一度、動かないと思い体重を掛けてみたら、大きな浮石でぐらりと動いたので慌てた。
狭いルンゼの中を急登する場所があるのだが、そこにペンキ印は無く、ルンゼの左側リッジを攀じてしまった。
「おかしいなペンキ印は見えるか?」上から隊長が叫ぶ。

後ろから来た単独男性にも問いかけるが印は見当たらない。
やがて隊長が「見えた!ルンゼに鎖が固定されてる」と叫ぶ。
私は左側のリッジから引き返してルンゼの壁に取りついた。隊長はそのまま左側リッジを直登。
垂直でつるつるな壁には鎖がとりつけられていたが、何とか鎖を触らず登った。
隊長は左側リッジ上方でルンゼへとトラバースした。

次々と現れる岩の壁を乗り越え、ぐんぐん登ってやっとコブ岩の頭へ到着する。



登って来た天狗沢を見ろす

 
コブ尾根のを超える
眼下に天狗沢、畳岩からコブ尾根への稜線


海へ!
畳岩に踊る



ほら、片脚の
クライマーだって
踊れるんだぜ!

問題は緊急時に
痛覚の麻痺を起こす
アドレナリンや
侵害刺激により産生される
β-エンドルフィンの分泌。

こいつさえ
上手くコントロールすれば
海への舞踏会にだって
出られるんだぜ!
勿論知っているのさ。
この程度の苦痛は
乗り越えられることを。

過去のヒマラヤで
遭遇した苦痛に比べれば
未だ生き延びる術が
充分に有ると
ニューロンが
冷酷に告げるのさ。

この冷酷さを甘授すれば
アドレナリンも
β-エンドルフィンも
全身を駆け巡り
華麗なる舞踏をも
実現してしまうのさ!



ジャンダルムの山に立つ村上

その11 頂上で涙が出ちゃって!

ジャンダルムの基部で
ザックを置いて登り始めると、
西穂からの二人連れが降りて来た。
すれ違う時に、
さっき「バテバテ・・」
と言っていた後続の人が、
「いやー行ってきましたよ!
頂上で涙が出ちゃって!」

頬を紅潮させながら
感極まったという様子で話す。

K2の第一キャンプ6300mの高みへ達した時、
気がついたら涙が溢れて
見下ろすバルトロ氷河も
峻嶮な峰々も
滲んだ景色となっていた。


あの時の何と表現していいか
分からない感動、
途轍もない大きな自然に包まれ
自分という小さな存在を含め
生きているものの総てが
愛おしいと思う感情、
その高みまで自分を
押し上げた長い長い時間の軌跡、
それら総てが涙という形で
湧きだしたのかと思った。

あんなに清々しい涙を流したことはない。
登山の中で感動して
溢れた涙はあのときだけだ。

きっとこの人も長い時間と
努力の果てにジャンダルムの頂に
立つことが出来たのだろう。

「よかったですね!」
と自然と言葉が出た。

痛みにえた左脚に山頂標識を立てて感謝!


 その12 <ジャンダルムの天使>

ジャンダルムの頂は結構広く、奥穂の山頂が目の前にある。遂に登れた。
宿題をやり遂げた夏休みの子どもの気分。
何度か奥穂側から見たジャンの頂上は万歳してる人の姿が多く見れていたが、今日はほとんど独占状態。

写真を撮った後、ふと気づいて<ジャンダルムの天使>と呼ばれるプレートがある筈とあたりを見ると、
何と足元の地面に横たえられてあるのを見つけた。
すっかり錆びて
汚れてしまっているが、
手に持って空中にかざすと、
帽子を被った可憐なエンジェルが
如雨露らしきものを
手にしているシルエットが
浮かび上がる。

ネットを検索すると
このジャンダルムの天使の画像が
幾つも登場して、
どんなものかと
ちょっと興味を惹かれたのだ。


再び基部へ戻り、
今度は幅の狭い岩棚を通り
ジャンダルムの下を巻くようにして
奥穂側へ至る。
まさにすっぱり
切れ落ちた断崖の細い足場。
恐いと思ったら足が
竦んで動けなくなりそうだ。


 
奥穂高岳を背景に天使を翳す村上
  幸いにも
高度から来る恐怖感は
全くと言っていいほど
感じずに済んでいる。

過去幾つも幾つも繰り返した
岩登りの経験が
生きているのだろう。


むしろ体が岩と
一体化してくるような
あの独特の岩登りの感覚が
心地よくさえある。
きっと、
アドレナリンが恐怖心を抑え、
岩への信頼を
生みだしているのだろう。


ここから先に
未だ核心部とも言うべき最大の
難所が待っている筈だ。





ジャンダルムとロバののコル

ロバの耳のルンぜを登る 



残置ザイルのかるロバの耳下降
錯綜する様々な思念が
雲散霧消し
儚い小さな生命の灯が
生きることだけに
収斂される。



収斂され鮮明になった一点に
頼るべき岩の僅かな
突起が映る。
その幽し世界が認識される
宇宙の総て。
この細やかな岩の突起に
掛けた手や足を滑らせれば
羽を持たぬ命の主は
墜落し岩壁に激突し
鮮烈な
一瞬を経て命を失う。

生きることだけに
収斂された生命は
ほんの僅かなミスによって
生きることを失う。

その生と死の狭間に
生きることの意味が
潜んでいるとの囁きを
聴いてしまったのですね。

僅かなミスも許されぬ張が続くロバの耳下降



ロバの耳とノ背のコルへ下る

ガスのき始めた馬ノ背 



その13 ロバの耳・馬の背

このルートのハイライトと言われるロバの耳、馬の背の険しい岩稜帯が控えている。
落ち着いて臨めば、岩にはホールド、スタンスがしっかりあり、恐怖心や疲労感は感じていない。
急な登りを確実に詰め、同じように急な下りを慎重に降りる。
この最後の下降で鎖に遂に頼ってしまったが、無事に下りる。


これから登る馬の背の全貌が目の前に聳えている。

急角度に伸びあがる細く鋭い稜線は、天を目指す巨大な馬の鬣だ。
ちょうどその中間部を過ぎたあたりをザイルを組んで登っている2人組が良く見える。
かなり厳しそうな登りだなと見上げる。



馬ノ背の心部分を登る
左アキレス腱の
痛みと発熱を抑えるには
アドレナリンや
β-エンドルフィンの
お出ましを願うしかない。

左足を敢えて小さな岩角に
置いて大部分を
空中に曝し
危機的状況を生みだし
副腎髄質ホルモンに
呼びかけてみる。

こんな騙しに乗る筈は
無いと
思いつつも微かな
期待を抱く。
どうですかこの左脚の
爽やかな容姿。
痛みも発熱浮腫も
何処へやら!

おまけに、この
能天気な左脚の持ち主。
両腕を高々と
持ち上げたりして
すっかり左脚のことなんか
忘れているに
違い有りません。

「莫迦と煙は高い処に
登る」とか言うけど
こいつ正にその見本。

馬ノ背核心部を抜けて岩角に立つ

最後の難関・馬ノ背をえ奥穂へ
飛騨側から
濃密なガスが
吹き寄せ視界を奪う。
ルート核心部分で
視界を失うと
ルートを逸れ危険な
岩場に迷い込む惧れがある。

2日前も此処でルートを失い
救出された30代の
3人グループがある。
岩場の弱点を見事に突いて
作られたルートで
あるが故に逸れたら
身動きが
取れなくなるのだ。

上高地の長野県警告知板
しかし此処まで来れば
もう奥穂の頂は
目と鼻の先。

振り返ると賽の河原の
様に無数の玢岩(ひんがん)
累々と積み重なり、去来する
ガスと相まって
冥界の様相を呈する。

無数の石を積み重ねても
壊されると
知りつつ営為する山人。
見兼ねて救済せんと
現れる筈の
地蔵菩薩は此処にも
来るのだろうか?

奥穂の頂だ!乗り越えてきた岩稜を景に



その14 岩登りの醍醐味を充分に味わえた

先行する人たちが上部に抜けるのを待って、隊長が登り始めると、私は基部から写真撮影を開始。隊長は速い。
写真を撮るのに夢中でルートどりは頭に入らない。
「手袋は外した方がいい」という隊長の助言に従い、素手で岩を掴む。岩の感触が直に伝わって来て安心感が湧く。
太陽に当たっている面は暖かく、蔭になってる岩はひんやりする。
「飛騨側に足場があるぞ!ゆっくり落ち着いて
!」隊長の声が飛ぶ。
きっと、隊長の方がよほど恐い気分で見守ってくれているのだろう。


高度感は凄いし、狭いが岩そのものが安定して不安はない。鋭い岩角をがっちり掴み、体を上げていく。
下からも良く見えた出っ張りをそのまま跨って乗り越す。
其処はちょっと緊張した。それでも、此処は岩登りの醍醐味を充分に味わえた。
此処を奥穂から来て、下りにやるのはかなり緊張するなと思う。

遂に最難関コースを歩けた。
奥穂へのなだらかな岩の道を嬉しいさと満足感で弾む気持ちで歩いた。




山巓の微睡み


ガスに包まれる奥穂高岳の
巨大なケルンcairnを積み上げて
その上に載せられた花崗岩の祠。
これが奥穂の頂上である。
このケルン、実は賽の河原で
積まれるケアンcairnと呼ばれる塔と同じ。

此岸(この世)と彼岸(あの世)を分ける
境目にあるとされる
三途の川の河原が賽の河原で
そこに積まれる石がケルン。
壊されると知りつつ石を積み続けるのは
親より早く死んでしまった子供達。

登山中に死んだ当隊の登山隊員は
ここ十数年間で7名。
当然だがその誰もが親より
早く死んだことになる。
彼等も又、賽の河原でケルンを
積んでいるのであろうか?
穂高山荘から僅か15分程で登れる
涸沢岳の三等三角点は
最高点の3110mより低い北側の
3103.1mにある。

穂高山荘の庭の様な気軽に登れる
頂であるが、北に涸沢槍を配し
西に切り立った岩稜を従え
侮れぬ山である。
5日前にも山頂から北100m地点で
1人が滑落死している。

しかし三角点と最高点に挟まれた
岩稜帯は広々。
やや傾斜はあるが眺望抜群の
最高級天空ベッド。
さて、それでは一眠りといくか!

ちょっと涸沢岳まで歩!

槍ヶ岳 ジャンから

富士山 ジャン稜線より

前穂高岳 涸沢岳より
山巓からの山々

宇宙の蒼を映した
未明の天空に
星の名残を追いつつ
より高みを目指す。

雲なんて存在しないかの様に
晴れ上がった空も
気温が上昇すれば様相は
一変する。

落日に燃える笠ケ 穂高山荘より
ジャンの稜線に出ると
未だ10時だと云うのに
早くも雲が湧き
槍ヶ岳を覆う。

幸い雷には襲われず
夕刻まで静かに
去来する雲ではあった。
しかし落日寸前には
明日の悪天を告げる
かの様に西の
笠ヶ岳にガスが渦巻く。

北穂高岳 涸沢岳より

明神岳 影は天狗岩

大天井岳(奥) 涸沢岳より


 積雪期の訓練で通い続けた前穂北尾根にご挨拶! 涸沢岳より


白出コルのテント場

先ずワインで乾杯!

常宿にした冬期小屋は何処に?
 山小屋の灯

無人の冬季小屋以外の
穂高山荘に
泊まったことはない。
さて窓に映る
人影の奥にある
夏の山小屋はどうなって
いるのだろうか?

ふーん、ストーブのある
ロビーなんかあって
酒を呑むにはいいな!
呑兵衛の中島修が
突然現れて
「いやー待ってました」とか
云いながら出てきそう。

想い出の窓により 穂高山荘
「えっ!よく冷えた赤ワインが
あるって!
ビアもロング缶があるの」

先ずテラスでワイン1本と
ロング缶を愉しみ
涸沢岳までほろ酔い散歩。
1時間ほど頂で微睡み
山荘に戻る。

誰も居ないロビーの
椅子に座り
「さて修とじっくり呑もうか!」
と更にワインを開ける。

村上はナンガ・パルバット隊員
中島修の25年前の死を
この穂高山荘で
知ったと云う。

穂高山荘

ストーブのあるロビー

奥穂に抱かれる穂高山荘



 山巓の微 涸沢岳の頂にて(背景は前穂北尾根)

一瞬の中にのみ存在する永遠の生命を想う。
雪の穂高を共に駆け巡った中島修は、ナンガ・パルバット(8125m)の山巓直下で
永遠の眠りに着き、28歳の若さのまま私に微笑む。
「隊長!未だそんなところでウロチョロしてるんですか?遅すぎますよ。
もう25年も待っているんですよ。
早く一緒に呑みましょうよ」

夏ですらマイナス30℃の凍てついた8千mの山巓直下で、
修の肉体は氷晶と化し
朝な夕なに光を散乱させ、森羅万象を飛び交う。

≪やっと逢えたな!≫
こうして一緒に駆け巡ったアルプスの山巓で微睡んでいれば
きっとやって来るだろうとの淡い予感と期待。
≪やっぱり来てくれたんだな修!≫


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