仙人日記
 
 その104の42014年文月
7月4週・・片脚のジャンダルム登攀
 Contents
《A》 片脚のジャンダルム登攀
《B》 肉体に刻まれた氷河
《C》 ジャンダルム周辺まっぷ&行動記録
《D》 岳沢からジャンダルムへ
《E》 ジャンダルム稜線
《F》 山巓の微睡み

片脚のジャンダルム登攀

片脚のジャンダルム登攀
7月26日(土) ジャンダルム畳岩 撮影者;村上、登攀者:坂原

傷んだ左足を岩角にそっと乗せ、右足にいつもの登攀より2倍以上の力を籠め
一気に左脚を重力の呪縛から解放する。
左脚に体重を残さぬよう、懸命な右脚登攀を続けるが、スラブの小さなスタンスでは
力が掛けられずしばしば失敗する。
その一瞬が怖い。

左脚に掛かった痛みを回避しようと瞬間的に身体が捩れ、本人の意志に反して、バランスを失ってしまうのだ。
岩壁に在る肉体がバランスを失えば、どうなるかを脳が認識する。
その一瞬、ニューロンに火花が散る。
火花は太陽の灼熱の朱に交わり、肉体に潜む生命を劫火で炙り出す。
儚くも愛おしい生命が、朱の氾濫に呑み込まれつつ
鮮やかな影を心象に刻む。



西穂高岳(右)からジャンダルム、奥穂高岳(左)への稜線
左下は穂高山荘 涸沢岳頂より

Gens d'armes 
(フランス)
国家憲兵隊

雪と氷に覆われた
ジャンダルムの
トラバースは難しく
頂からアップザイレンで
北側(右の稜)
下ることが多い。

冬にはヒマラヤの訓練で
使うこの山も
夏には訪れた記憶が無い。
でも何故か高校時代に
畳岩尾根を
登った覚えが微かにある。
多分その時に
ジャンも登った筈なのだが
これ程目立つ
ジャンが心象風景に
記されていないとは・・・?

頂きへの夏ルートは
(左の稜)の飛騨側にあり
ドーム基部から10分程で
達することが出来る。

ジャンダルムの命名者は
慶応大学山岳部の
三田幸夫だと云われている。
記録を観ると
「1937年12月
極地法で西穂高岳より
奥穂高岳を登る」
とある。
この山行記録で
命名したのであろうか?
 
ジャンダルム下部のトラバース
撮影者:坂原 登攀者:村上


ジャンダルムが護るは
北アルプスの盟主
奥穂高岳であることは
云うまでもない。
峻険な北アルプスに
魅せられた者は
この頑強な憲兵の護りを
突破して
3190mの山巓に
立たねばならないのだ。

頂から下り
小さなスタンスの
トラバースを始めると
岩が被さってきて
身体が外側に浮き出る。
村上にコールする。

「上のテラスは駄目だ。
ハングしてるから
下のテラスを詰めろ」
「解りました!」
声の響きに不安や怯えが
潜んでいないか
瞬時に判断する。

明るく弾んだ声からは
憲兵に対する
僅かな怯えも感じられない。
怯えは
筋肉を委縮させ
登攀を危うくする最大の敵。

この調子なら村上への
心配は杞憂。
ルート核心部馬ノ背を超えて
3190mの山巓に
立てるであろう。

夕映えのジャンダルム北壁と心部
ガスの晴れ間にやっと観えた全景 涸沢岳頂より


2014年・夏山 ジャンダルム  村上映子
<穂高岳山荘にて>


その1

「3週間前から狙って、ようやくこの天気です!」
「実は15年くらい前から行きたいと思いつつ、やっと実現できました。
岩登りの訓練も必要だと3年ほどやりました。」

「いやー私も準備に何年も掛けましたよ。大キレットが鼻歌交じりで遣れるまで、5年くらい通ったしね。」
奥穂岳の穂高山荘で同室だった2人の単独男性登山者の会話だ。

(長野県警の推奨で近年はヘルメットを被る登山者が多いらしい。そのことが話題になって、
「だけど、落石多いのはロバの耳の一部だけ、滑落したらヘルメットがあっても先ず助からない可能性高い。
ヘルメットより根本的な登山技術や、万一滑落したらどう対処するかなどの知識の方がよほど大切じゃないかな?
メット被れば安全みたいなのはなんか変だ。」との疑問が呈されて、上の話題へと話が進んだようだ。

私達は会話には加わらなかったが、彼らの意見には同感だった。)





登攀後痛み止めと湿布 穂高山荘

どの靴にもれた足が入らず 山荘

象足になってが消えた左足 テラス

≪片脚のジャンダルム≫ まさか左脚が使えない状態で槍・穂高連峰の
最悪の縦走コースと云われているジャンダルムを登ることになるとは!
20年前のアキレス腱手術後、慎重にストレッチとケアを重ね、痛みの再発と闘いながらも、何とか登山を続けてきた。
その成果が出てここ数年来休火山であったアキレス腱が、こともあろうか登山前の松本駅で突如噴火爆発。




へのルート 畳岩下部

松本駅前のバスターミナルは
駅から離れているので、
10分間での移動はかなり厳しい。
東山梨駅ではキップが買えないので
松本駅で清算せねばならない。
ジャンダルムへの岩稜

 
松本駅8:42発が噴火爆発の引き金になるとは、
どう考えても想定外であった。
ネットで上高地行のバス時刻を調べたら、
松本駅前発8:42があり東山梨からの接続電車は
その10分前、8:32に松本駅着。
 
縦横にクラックが走る岩 畳岩上部



落石のの様な壁が続く 瘤尾根下部

間に合ったと、
ほっと一息ついて8:42の乗車券を求めると
「次は10;10発までありません。
8:42の松本電鉄で新島島まで行ってください」
との返事。

焦った!あと2分しかない。
今来た道を駅に向かって走る。
突然左のアキレス腱に鋭い痛み。
「しまった。やってしまった!」 

その時間をカットする為、
車内清算しようと車掌室に行って交渉したが、
忙しいので松本駅で清算してくれとのこと。
こりゃ益々時間が足りない。
そこで下車するや否や、
重い荷を背負ってホーム階段を駆け上がり、
清算を澄ませバスターミナルへ走る。

剃刀のの様な馬の背 馬ノ背下部


馬ノ背でザイルを結んで登る先行登山者
 10時半、早くもガスに巻かれる馬ノ背上部




その2 最も難関な縦走コース
 

ジャンダルムを頂点とする西穂から奥穂への岩稜ルートは国内では最も難関な縦走コースとして知られる。
それだけに、多くの岳人を魅了してやまないのだろう。

今日このコースを登って来た二人の会話には、
長い時間を掛けて憧れのジャンダルムを制覇した歓びと感慨が溢れていた。

私もまた、しみじみと充実感を噛み締めた。

登山地図上もこのルートは破線で記され、一般ルートと区別されている。
このルートを踏破しようとすれば、西穂からなら10時間、逆コースなら9時間近くを必要とする。
途中に水場もビバーク可能な場所も無い。唯一エスケープルートとして天狗沢があるが、
非常に急峻な谷で雪渓があれば安易に使える下りではない。
(実際、先週もこの天狗沢で滑落死亡事故が発生している)

しかし、この天狗沢を詰めて天狗のコルから登ることが出来れば、岩稜帯はほぼ半分の距離で済む。
体力的に10時間の緊張する岩場の連続はかなり厳しい。
そこで、我々の今回の計画は岳沢小屋から天狗沢に入り、
そのまま上部を詰めて天狗のコルへ出て、ジャンダルムへ向かうというものだった。


肉体に刻み込まれた氷河

急峻な谷の雪渓
天狗沢下部より


氷河となったニューロンが
隆起と堆積によって形成された
大地の膨大な
記憶の累積に食い込む。

46億年もの膨大な記憶の中から
一体、お前は
何を探そうとしているんだい?
天狗沢上部の雪渓
背景は天狗岩


唯ひたすらに天空をめざし
蒼穹に突き刺さる2つの岩峰に
ニューロンは至る。

膨大な累積は
そこで唐突に断ち切られ
永劫の闇を予感させる蒼穹に
為す術もなく怯える。

2つの怯える
岩峰を凝視するニューロン。
断ち切られた断片が
蒼穹に解体され
カオスへの回帰を始める。

お前が探しているのは
若しかして
記憶の累積が開始される以前の
在りもしない
カオスの記憶かい?




その3 出発までの葛藤

「今年はジャンをやろう!」と隊長からの呼びかけがあった時、
「やはりそうか」という思いと「私には無理なのでは?」という内心の声との葛藤が始まった。

私の不安などお見通しとばかり
「不安なら7ミリザイルを持参してもいいが、登る意欲はあるかい?」と問われる。

難ルートとは云え縦走路である。

ガイド登山のつもりはない、ザイルが無ければ行けないと思うなら、
実力が無いのだからこのコースには参加できない。

この数年、隊長との山行でもマイペースで登って来た。秋・新雪の穂高では私は奥穂で泊り、
隊長はバンバン飛ばして北穂迄足を延ばし、翌日涸沢で合流下山。
南アルプスでも、春の風雪西穂高でも途中で別行動しながら、それぞれに満足する登山が出来た。

考えれば、ヒマラヤでの登山スタイルは基本的に、それぞれが自分のペースで行動してきた訳で、
そう言うベースがあればこそ、
トランシーバーを利用しながら各自が自分の登山を愉しむことが可能なのかもしれない。

ところが、今回ばかりは途中でリタイアやコース変更は許されない。
岩稜に出てしまえばもはや完遂する以外生き延びる術は無い。



こんにちは!ちゃん氷河
天狗沢上部の雪渓

2月の豪雪が真夏の穂高の谷に氷河を描き出した。
まーまー、よくぞ描いてくれたね。

真夏の激しい陽射しを浴びると、連年40年近くの遠征登山で肉体に刻み込まれた氷河の記憶が甦り、
堪らなく逢いたくなるんだ。
氷河の下を流れる激流が厚い氷塊を震わせ、奏でる音色が迫ってきてね。

ヒマラヤやアンデス、アルプスに行かなくても真夏の穂高で氷河の赤ちゃんに
逢えるとは嬉しいぜ。




その4 残雪多くピッケル、アイゼンは必携


多くの登山者と同様、私にとってもジャンダルムはやはり憧れの山である。
2011年秋に奥穂からジャンダルムを見たとき、改めて行きたかったなと思った。
宿題が残っているような気分でもあった。
10年前なら何の躊躇もなく行かれたであろう。
年齢のハンディは大きい。膝を怪我して以来、いつも付き纏う何処まで行動可能かという不安も大きい。

岩場が恐いというよりは、長時間行動に自身の体力がついて行かれるか、
右膝がどの程度動いてくれるのか、正直確たる自信が無いのだ。

迷いながらも、ジャンダルムへ行くためのあらゆる準備は怠れない。
気休めかもしれないが、ジョグや階段登りに時間を割く。
しかし、山トレのつもりで20年ぶりくらいに登った塔ノ岳でショックを受けるほどノロノロ登山、
おまけに下山で膝や腰が痛くて。改めて体力の低下にガッカリさせられる。


せめて荷物を最小限にして軽量化を図ろうと、とことん余分なものを減らし、行動食も最小限に抑える。
それなのに、山小屋に情報を聴くと、天狗沢上部は残雪多くピッケル、アイゼンは必携とのこと。
昔使っていた12本爪の紐アイゼンを引っ張り出す。これで、1キロは重くなる。

なんだか「遣れる!」という意欲を引き出すより、どんどんやめた方がいいんじゃないかと弱気になる。




天狗沢雪渓のシュルンド
天狗沢雪渓の上端部




その5 1日目・岳沢小屋へ・思わぬハプニング

天気図と相談の上、何とか3日間の好天が見込まれそうだと、
岳沢小屋に予約を入れたが、すべて出発の用意を終え、
夜の最新天気図を確認したら、なんとアタック日が雷雨の可能性高くなっているでは。
結局小屋にキャンセルの電話を入れ、改めて天気待ちとなる。

それから更に2日間、所在なく天気図ばかり見て過ごすので、気分的に疲れてますます意欲が失われる。

木曜日の晩に翌日からの出発を決定。
金曜朝、6時25分東山梨発の電車で甲府乗り換え。
吃驚したのは甲府からの電車が通勤列車らしく山手線みたいな長椅子タイプの座席なのだ。
何だか旅の風情が出ない。おまけに車内で精算してもらうつもりが、
忙しいとかの理由で駅で精算してくれとのこと。
乗り換え時間が無いのに、焦る。
松本からバスのつもりでバスターミナルまで走る。
何ということか、直通バスは10時過ぎまで無いので、電車で新島々へとの案内。

今来た道を又走って駅へ。かろうじて8時42分発の松本電鉄新島々行きへ乗車できた。

しかしこの往復ダッシュで隊長はアキレス腱を痛めてしまったという。
何というとんでもないハプニング。
これから向かう先は、あのジャンダルムだというのに、アキレス腱負傷とは、あり得ないではないか。

まあ隊長のことだから、実際に動けなくならない限り、
どんな悪条件も逆にやる気に火をつけて益々燃えるんだろうが・・



崩壊寸前の危険な雪氷の終わり
緊張のアイゼン登高が続く




その6 アキレス腱の具合を気にしながら

夏休みの週末という割には電車もバスも予想に反して空いていた。
ゆったり座って上高地まで、緑濃い車窓の風景を楽しむ。

11時前、上高地での早目の昼食は、
持参のポテトサラダと畑のもぎたて野菜でサンドイッチを作り美味しく食べる。

梓川の清冽な流れの畔をゆっくり歩き出す。
秋に来た時に昼食を食べた切り株がそのままあり、「あの時のおにぎりはうまかったな!」と思いだす。


隊長のアキレス腱の具合を気にしながら、岳沢小屋へと向かう。
隊長曰く「この足の具合だと、一緒に登るのにちょうどいいペースだな。ジャンに行けるよ。」
ああ、なんと前向きな・・・

出発時から私は重太郎新道にすると予防線を張ってあるのだ。いや、かなり本気でそう思っている。
だから、ヘルメットも置いてきた。

アイゼンだけは涸沢を下る場合は必要らしいので入れて来たのだが。

隊長の故障があれば、ますます私が足を引っ張る訳にはいかない、自分の事は自分で責任持たねば・・
途中に天然クーラーの風穴がある。汗ばんだ体に冷たい風が気持ちよくて、涼んでしまう。
奥穂から下山してきた老年グループが豪快に笑いながら、穂高山荘の弁当を食べていた。




慎重に雪氷を砕き下降点を探す
真夏の雪氷の崩壊予測は難しい



その7 朝食なし、夕食のみ

秋には紅い実が可愛かった御前橘の群れが、今を盛りと可憐な白い花を咲かせている。
下山してきた可愛い女性と、背高のっぽの男性はスイスから来たそうだ。
すれ違う登山者も多くない静かな登りである。
アキレス腱の痛みを抱える隊長に遅れること5分くらいで岳沢小屋に到着。
朝食なし、夕食のみで宿泊手続き。


御前橘の群れ

岳沢小屋は改修をしたのかとてもきれいになっていて、
部屋もゆったりと5人で使用でき快適であった。

父と娘だと云う同室者は明日は重太郎新道を途中まで行くつもりとのこと。
高齢の父親と、「家族は付き合ってくれないから」と笑いながら話す中年の娘のペア。
「昔はよく連れて行ったから」と父親。
「それがきっと貯金だったんですねー!」と隊長が応じる。
きっといい思い出の登山になるのだろう。





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