173の4ー2020年 卯月
絶景かな!最後の桃源郷に燥ぐ仙人 4月19日日 山荘眼下:黒レザーから豹紋パンツへと衣装替えした仙人 烈しい風雨に煽られ、フラダンスでもしてるみたいに大きく揺すられていた木々が、 夕暮れの光の中で微動だにせず佇み、シルエットになり闇に溶けてゆく。
今日の天気の劇的な変化のように、この閉塞的な状況が明るい希望にとって代わる瞬間がいつか訪れるのだろう・・・と思いたい。
自然のドラマはどんな時も、心の底に届く圧倒的なメッセージを運んでくれるんだと思います。
雨が止み、重い空に水色の隙間ができ始めるころより、なぜかチベットの空を思い出していました。
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翡翠点灯 |
波打ち揺らめく |
碧が潤い流れ出す |
カワセミもオパールも構造色 そう、オパールの碧や、シャボン玉の発色と 同じ原理で構造色と呼ばれている。 色素の碧は紫外線などによって 脱色するけど、 構造色は決して脱色しない永劫の碧。 ケアンズの北西に位置する クランダ博物館にあった碧い石を思い出すね。 イオのパワーストンはニューカレドニア から連れて来たんだけど、 どうも仕入れ先はオーストラリアらしいので、 きっとクランダの碧と同じ仲間だよ。 イオには碧い光で海の匂いを発する硨磲貝や、 イースター島のモアイ像と同じ タムタムと呼ばれる翠の光を放つ 木造仮面が棲み付いて、夜明けの光に潜む、 永劫の碧を待っている。 |
カワセミが碧いのは、羽に碧い色素が 有るからではないんだ。 カワセミの羽毛表面には微細な溝や突起があって、 こいつが光を受けると干渉して 光の波長が変化し碧く観えるんだよ。 |
自我を解放するイオのパワーストーン |
右のクリスタル点灯 |
光は暗渠に満ち |
やがて虚空回廊を結ぶ |
シティーテラスから飛んできた翡翠 4月21日(火)晴 芽吹いた若葉に生命が踊る
夕方、ベランダに出てみると、木々は静まりかえり、空気はきりりと締まり、
静寂が地を覆っているのに、空はゆっくりとしかもダイナミックに色彩の変化を魅せ、 私はいつの間にか時空を超越して、チベットの濃密な時間を取り戻していました。 高地の薄い大気を思い切り深呼吸して、体中に新しい血が巡るような爽やかさと、
若葉の香りが齎す生命力がブレンドされて、老いて病んだ心身が一瞬リフレッシュしたかと思うような不思議な感覚。 |
黄チューリップ |
森テラス東卓で食事をした時、 仙人テラスのテーブルより小さいので ポットや珈琲セットを床に置かざるを得ず、 ちょっと不便。 東卓にはガラスの棚が付けてあるが、 やや高めで既に2つの ガンダーラ金属壺が置いてあるので、 ポット等載せるわけにはいかない。 |
赤チューリップ |
さあ、どうする! 先ず浮かんだのは 折り畳み可能な棚。 しかしこれを作るには 伸縮可能な棚受けが必要になるが、 果たしてそんな部材が ホームセンターに置いてあるだろうか? |
中野椿 |
自分で作るとしたら 2本の角材を交差させ、 中央をボルトで繋ぎ ボルト穴を大きくして馬鹿にすればいいが、 ちょっと難しい。 そこで例によって例の如し、 仙人は寝ながら考えた。 |
錨草 |
山吹と三つ葉躑躅 |
石南花 |
5月末まで延長された非常事態宣言 高尾に向かう中央線の最後尾車両の乗客は仙人一人。 無人駅が在ったり乗降客が少ないので普段、電車ドアは手動なのだが、 非常事態宣言の出されている現在は、自動で開く。 つまりドア把手に触れてコロナウイルスが伝染しないようにとの配慮。 新宿駅に近づき車窓から歌舞伎町方面に眼をやると、多くの店のシャッターは降ろされ、人通りがポツンポツン。 大学時代から慣れ親しんできた歌舞伎町に人が居ないなんて驚き。 ネオンは乏しくすっかり活気の失せた町は正しくゴーストタウン。 ラッシュの始まる18時過ぎの普段の新宿駅改札口は、人が途切れることは無い。 しかし此処も10~30秒に1人が自動改札機を通過する程度。しかしこんな規制に意味があるのだろうか! カリフォルニアでの無作為の抗体検査から、実際の感染者は50倍に達しているとのこと。 |
下段に棚を! |
高芝山が正面に聳える |
森テラス東の棚 |
閃いたのはカリスト出窓の 壊れた折り畳みアーム。 もしやあいつが使えるのではと、 早速試してみたらと 工夫を重ね、 あーだこーだと 試行錯誤した結果、ピンポン! こんな時は本当に嬉しい! 何たって死んでたやつが、 見事息を吹き返し 現役復帰したのだから、 矢鱈目ったら嬉しいのだ。 但し出窓アームは当然ながら 伸ばした時の ストッパーは付いてないので、 |
新たに角材で支柱を作ったが、 こいつも一工夫。 支柱は折り畳んだ時に邪魔になる。 しかし固定せず支柱にしたのでは、 棚にポット等載せた状態で 支柱に触れると外れて、 棚が折り畳まれ 棚のポット等が 落下する懼れあり。 そこで竹はしとリングを使って 取り外し可能な、ピンを差し込み固定。 棚板は張り替えたばかりの 森テラスの廃材床板を再利用。 うーん、我ながらあっぱれ! |
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ログと瀧が観える |
完成した下棚 |
アディオスじゃ、脱自するヴィーナス 4月28日(火)晴雨 生命が踊る最後の桃源郷 痛みの無い自己は閉鎖したまま完結し、自己超越も脱自的存在も意識することは無い。 脱自(エクスターゼ)とは「自己においてであろうと他の何ものにおいてであろうと<おのれ自身の内にある>在り方、 次元・立場の外に出ることに他ならない」ことであり、脱自こそ実存であるとハイデガーは言ったとか! 自己完結してしまった自身に銃を向けて、≪さあ、お前は生きたまま死ぬのか、それとも外に出るのか!≫ とトリガーに指を掛け問うことが、仙人に取っての苦痛の意味だとでも言いたいのかね! 口癖のようにのべつ幕無しに仙人が吼えている他者思考からの脱却が、 壊れた自己の修復であり仙人の実存であるなんてほざいたら、それこそお嗤いだぜ。 とっくの昔にぶっ飛んでしまった仙人が、他者思考からの脱却を志向したら、元の強いられた他者思考に戻るしかないのでは! |
新チェーンソー目立機購入 |
3代目いや3台目か! |
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研ぎ角度、距離が決められている |
中央の丸棒が鑢 |
つまり無自覚、無症状を含め感染者の50人中49人はカウントされていない。 街中には感染者が溢れ、コロナウイルスは蔓延していると云う事になる。 4月22日現在で感染者数は日本で1万1119人、東京で3184人。 この50倍となると日本で50万人、人工1400万人の東京で約16万人となり100人に1人は感染者となる。 日本では交通機関の規制は行なわれていないので、ラッシュ時の電車内はコロナウイルスが飛び交っている。 山の手線に乗ったら1車両に100人以上乗ってるので、確実にコロナウイルスに接触することになる。 寧ろスウェーデンの様に規制せず、個人の判断に任せるのも良い。 自然淘汰として受け入れ、抗体を造り出し免疫を獲得した者だけが生き残る。 増殖し過ぎて地球を喰い尽くそうとしている人類への警告と受け止め、謙虚な想いを懐けばスウェーデン方式も納得できる。 因みに人工1千万人のスウェーデンでは感染者1万5千人、死者1千5百人と 感染者、死者数共に北欧では圧倒的に多く、死者は感染者の10%に達している。 自然淘汰に近いこの厳しい現状を敢て受け入れるスウェーデン人に、万雷の拍手を送りたい。。 |
黄金の花弁が揺れる 葡萄畑も西畑も蕪や白菜、青梗菜、ブロッコリーなどの菜の花の黄金に染まり、実に美しい。 黄金の花弁が揺れるとその下に続く桃源郷が、紅の光で金色とハーモニーを奏で盆地の里が管楽器となり春爛漫を謳いだす。 だもんだから、ついつい見とれていたが、このままでは春野菜や夏野菜の種蒔も移植も出来ない。 だいたい有機栽培をするなら播種の3か月前までに、施肥と耕作を済ましておかねばならない。 つまり2月の段階で白菜も青梗菜、ブロッコリーも総て抜いて、施肥し耕運機をかけねば、5月初旬の播種、移植は出来ない。 そんなことは百も承知なのだが、2月から3月にかけて冬を越した野菜は飛切り美味しいし、その後の春を告げる菜の花の海も観たいし! となると結局遅れて、こうなってしまうのだ。しかし幾ら何でももうこれ以上菜の花を愛でている訳にはいかない。 大決断し遂に菜の花の海に飛び込み、重い唐鍬を振りかざして、 バッサバッサと満開の菜の花を伐り倒し、引っこ抜き無慈悲に捨て去る作業開始したのが昨日。 葡萄畑だけなら今日で終わるだろうと高を括っていたが、どっこいそうはいかず、明日までかけても終わりそうもない。 重い唐鍬を振るっての延々と続く重労働で腰痛は≫酷くなるし、両腕はパンパンになるし、何とも情けない。 日頃鍛えているので、こんな畑仕事はチョロイ筈なのだが、 大きく育った白菜や青梗菜、ブロッコリーの根は大地にしっかり喰い込み、渾身の力を込めて唐鍬を振るっても抜けないのだ。 いやー参ったまいった!未だ西畑、、林檎畑の菜の花も手つかずなので、過酷な闘いはいつ果てるかも知れず! |
スウェーデンの選択! 怖ろしい!怖ろしいのは新型コロナではない。 非常事態宣言の発出と、それを大した抵抗もなく受け入れるマスコミ、倒産の危機を覚悟して店を閉める経営者、 卒業式も入学式も行えず閉鎖し続ける学校、入国禁止措置で運休する航空会社、そして何よりも個人の自由や人権を尊ぶ先進諸国が、 競い合うが如くに実施する国の閉鎖などに対して、仙人は恐怖を懐くのである。 この構造は何処かで目にした記憶がある。新型コロナ下にあってトランプ大統領は自らを「戦時大統領」と称し、 安倍首相がこの状況を「第3次世界大戦」と口走ったのは、 戦争であるなら、同調圧力が有無を言わせず機能し、大衆は如何なる無理難題にも、従うに違いないと踏んでいるからであろう。 マスコミは国の非常事態宣言に同調し、口をパクパク開いては不要不急の外出や手洗い、マスク着用を叫び、 経営者は非常事態宣言に従わず営業してる同業者に圧力をかけ、学校はいそいそとオンライン授業を行い、航空会社は 従業員を解雇したりして欠航を続け、統治者達は「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、戦いに勝つまでは頑張ろう!」 とシュプレヒコールを繰り返す。 家に閉じ込めれた結果生じる虐待やドメスティックバイオレンス、移動が封じられホテルなどの観光産業会社の倒産、 多数の失業者、収入が途絶え食事も儘ならなくなったフリーランス、派遣労働者や学生、母子家庭の子供達。 その真っ只中にあって、感染者の10%もの死者を出しながら ≪、厳しいルールを課さずに、人々が自発的に社会距離を取ることに大きく依存する独特の戦略≫ を展開しているスウェーデンは、非常事態宣言の同調圧力より人々の自発的行為を選んだ、 スウェーデンの死者の多くは、 訪問が禁止されていた老人ホームの入居者であったと云う。 自発的行為の結果、生み出されたのかも知れぬスウェーデンの死者と、同調圧力の結果生じた、 戦争直後の荒廃の如き社会混乱を目の当たりにして、新コロナウイルスから我々は何を学ぶのか! |