1712ー2020年  如月

見事に凍てついた仙人
2月7日(土)晴ー8.4℃ 氷柱に覆われた仙人碑

今冬の最低気温になるだろうとだと云われている今朝の夜明けの山荘気温はー8.4℃であった。
例年山荘ではー10度くらいまで下がるので本格的な寒さには未だ遠いが、各地で100年ぶりの暖冬で1月の平均気温が
3度も高かったとか報道されていただけに、この急激な寒さには震えてしまう。
昨夜は室内が何処まで冷えるか、その冷え込みの中で何処まで耐えられるか試してみようとストーブを点けずベッドに入る。

外気温はー8℃まで下がり室内は1℃になり、布団から出ている顔と頭が寒いのでスキー帽を被ろうと、
ベッド下の引き出しを開けてみたが、どうも昨年片づけてしまったらしく無い。
仕方なく枕カバーを頭から被って寝る。何だかヒマラヤの高所キャンプにでもいる様な気分になり、ちょっと愉しくなり夜明けを待つ。
カーテンを開くと呼気に含まれた水分が、2重の窓ガラスに凍てつき結晶が美しい。
テント内部に張り詰められた氷が不意に甦る。此処はヒマラヤじゃ!



待たせたな!お迎えに来たぜ!
お前は漆黒からの凍結蟷螂・冥府の使者か!

冥府の凍結蝙蝠が、蔦の葉と瀧氷を使って創り出した冬将軍の塑像だなんて先刻承知さ!
お前は予言者なんだって!ギリシャ語で"mántis"と予言者そのもので呼ばれているって!
何でも交尾しつつ雄を頭からむしゃむしゃ食べて、最後には雄の生殖器まで食べ尽くし、
さて身籠った卵を何処に産み付けようかと宙を仰ぐのだとか。

冬将軍の気配を触覚で捉え、≪ふふん、今年の将軍勢力は大したことないな≫とか判断して積雪量を予言し、
積雪より上部の位置にある枝に卵を産み付けるんだって!
つまりお迎えに来たと云う事は、生殖器まで食べ尽くした仙人の遺伝子だけを、冬将軍の脅威から護ろうと
予言者になって、森に産み付ける魂胆か!
そんなら冬将軍の作品でありながら、お前は冬将軍の反逆者なのか!

冬将軍の息吹によって
すっかり凍結してしまった瀧が、
昼下がりの陽を浴びて
融け始め、
再び谷の清水を吹き出す。

妙なる音色を奏でなくなった筧。
谷の清水が、
氷柱から解き放たれ再び
歓びの叫びを挙げる時を
じっと待つ。


昼下がりの陽光に
融け始めた蔦氷柱がマリンバとなって
春の予感を奏でる。
あんまり美味しそうなので、
1本ぽきりと折って蔦氷柱を口に含む。

あれっ、微かに微かに
遠い彼方から仄かな甘さが
伝わってくるでは!
そうだったね、
お前さんの樹液は確か
アマヅラと呼ばれる
昔からの甘味料だったね。


森への回帰を試みる仙人
昼下がりの陽射しを浴びて融ける仙人瀧

冥府の使者であり予言者でもある凍結蝙蝠が、翡翠の翠とラピスラズリの碧を煌かせながら仙人を迎える。
谷の清水が、氷柱から解き放たれ、再び歓びの叫びを挙げる時をじっと待つ。
一期の甘い蔦氷柱の水を味わいながら、仙人は氷結瀧に自らの死を幻想化する。
仙人にとって死は虚空への巡礼であり回帰であり、歓びであり山野を駆け巡ることである。

巡礼、回帰、歓び、山野疾駆が一緒くたになって仙人の日常そのものとなり、連日山や森を徘徊する仙人。
≪舞い散る雪の便り≫を読んで甚く心を動かされ、瀧上の骸骨ジョン・シルバーに呟く。
≪お前さんが点滴200mlを決定してくれたら嬉しいぜ!
そんでもって雪のひとひらにメールを載せて遠ーくまで飛ばしておくれ!≫


仙人の点滴の量を200mlまで減らすことにしました。
月曜日にドクターが来てくれた時に、仙人にも確認の上で決めました。
「もう体の準備は出来ているから、必ずお迎えに来てもらえますよ」と山崎ドクターにやさしく諭すように言われると、
仙人の表情が
安堵に満ち、さらには凛と意志的にさえ感じられました。






岩殿山へ


強瀬ルートの通行止め


  ≪2018年6月24日に鎖場の一部が、
2019年7月27日に岩殿山の
鏡岩の一部が崩落したことから、
現在通行できなくなっている≫


そんな事も知らず
突然思い立って岩殿山へと車を走らせた。
25年間山荘に通い続け見慣れた岩殿山だが、
山では無く観光地としての認識しかなかったので
今まで登山の対象では無かった。
3ルートで通行止め
1月30日(木)晴 岩殿山

山荘発:12時30分→岩殿山円山公園駐車場発:13時10分
→畑倉登山口13時30分
→鬼の岩屋13時40分→畑倉大神
→岩殿山頂(熢火台)14時10分→岩殿城跡14時20分
→駐車場発15時10分→山荘着:16時
(山荘ー岩殿山往復:36km×2=72km)

 
その後岩殿ルート等3かで所通行止め


仙人の200mlの点滴とはこれか!
山荘瀧の仙人碑氷瀑に我が身を重ねる仙人

車窓から見上げる花崗岩のスラブはシャモニーの花崗岩スラブを思い出させる。
クライマーの姿を観たことがないので登攀禁止なのであろう。
許可されていれば当然ヒマラヤ遠征の登攀訓練で通ったであろうが、
登攀禁止で更に頂上まで車道が通じている様な山では無縁である。

で調べてみたら頂上まで車道があるなんて誤解で4つの登山道があると判明。
其のうちの1つ浅利ルート何ぞ、中級者以上のルートと大月観光協会では紹介しているではないか!
で、岩殿山で唯一の駐車場である岩殿山円山公園駐車に着いてみると仰々しい立て看板があり
4つのルートのうち、ふれあいの館経由の強瀬ルートと七社権現経由の岩殿ルートの2つは
落石の恐れがあるため通行止めと記されている。

鬼の岩屋の看板
更に通行可能な浅利ルートも
兜岩の鎖場に危険個所が見つかり
巻き道しか通れない。

≪山頂からは鎖場を経由して
稚児落としを通り、
浅利に下ることが出来ますが
鎖場は2018年6月24日から
危険個所が見つかったため、
2つ目の鎖場トラバース手前より
通行できなくなっています。
ここから迂回路の林間コースへ。

とのこと。

畑倉登山道入り口

頂上の本丸跡

頂上のパラボラアンテナ

畑倉登山道の大神

 つまり無傷なルートは
北面にある畑倉ルートのみらしい。
ま、浅利ルートは
迂廻路があるにしても、
5時間もかかるので今回は
パスするとなると
畑倉ルートから登るしかない。

駐車場から畑倉登山口まで車道を
1.6km20分とあるので
車で行こうか迷ったが、
登山口近くに駐車場が無い可能性が
高いので歩いて行くことにした。
岩殿山円山公園駐車場は
岩殿山の南面にあり
畑倉登山口は北面なので
180度回り込むことになる。

途中に「ゆりケ丘」と名付けられた
大月市の住宅分譲地があり、
数十戸の家が立ち並んでいるが
空地も目立つ。
やがて岩殿山を回り込むと
大月自動車学校に出る。

カーナビで登山口を地点登録しようと
操作したが、何度やっても
岩殿山円山公園駐車は
中央高速道路上になってしまい困ったが、
畑倉登山口は
大月自動車学校の前に在り
此処なら簡単に登録出来たのだ。

畑倉登山口には
大月自動車学校の駐車場の近くにも
2,3台止まれる駐車スペースがあり、
 
山荘より低い634mの頂

此処まで車で来れば
車道を20分も歩かずに済む。
登山道入り口には登山者数を調べる
カウンターが置いてある。

メインの2つの登山道を
通行止めにした後の登山者数の
増減を調べているのだろうか!
このルートは大月駅から観ると
岩殿山の裏側になり、
強瀬ルート、岩殿ルートより
アプローチが
長くなり見晴らしも劣るので
利用者は少ない。

案内図によっては
畑倉登山道そのものが記されていない。
登山道も狭く所々プラスチックの
段差はるものの、
獣道と大差ないルートである。
5分も歩くと鬼の岩屋があり
黒ずんだスラブに水が滴り落ちている。
更に畑倉大神を祀る小さな祠があり、
葉の落ちた急な樹林帯の
つづら折り道を登ると
幹に張り渡した鎖場に出る。

通行止めかと思ったが、
どうやら滑り易い急斜面の
補助ロープの代わりらしい。
山頂にはお店なんかが在るのかと
思っていたが、
パラボナアンテナと烽火台標識が
あるだけで人っ子一人居ない。
そこから西へ5分で
鏡岩の上の岩殿城跡に出る。 

頂からの大月市街と富士



クオリアの瀧に打たれ止揚する仙人
鬼の岩屋にて登攀ルートに我が身を重ねる仙人
1月30日(木)晴 岩殿山畑倉ルート

最後に残るのはクオリアだけ。
形而下は総て消え去り形而下の紡いだ、蓄積された膨大なクオリアだけが、か細い一筋の光となって揺らめく。
優れたクオリアは、時に形而上的な≪深い想い≫を導く。形而下が優れていても≪深い想い≫には太刀打ち出来ない。
その確たる≪深い想い≫がいつも、ビンビンと伝わって来る限り、旅は続けることが出来る。
さあ、もう一度自らに問うてみるといい。
形而下の旅を続ける≪深い想い≫は未だあるのだろうか!



永訣の夜明け
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
  おまへはわたくしにたのんだのだ
   銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
  そらからおちた
のさいごのひとわんを......


の最後のひとわんを含み
2月16日(日) シティーテラスS-4773の夜明け

今朝、母が旅立ちました。
私と雪子が見守る中、母は最期の深呼吸をして静かに息を引き取りました。
その時間、何気なくカーテンを開くと、東の空が薄紅から燃えるような紅へと
見事な朝焼けの雲があらわれ、母を空へと連れ去ったのです。
あまりにドラマティックな時間に、私たちは悲しみよりも深い感動をもらい、母への感謝と生命への畏敬の念を新たにしました。

今も母は自宅のベッドで眠っています。
もうしっかりと旅支度を整えて、ドライアイスに包まれてはいるけど、よい顔です。
まだしばらくは家にいてくれます。
心から母にありがとうです。
(2020年2月16日 6時27分永眠)
()


これ程までに
美しい死があるのだろうか!
東の空を紅く染めた
雲に乗って
やって来た大日如来は
微かに笑みさえ浮かべているでは!

冷たくなった肉体を
大きな胎内に吸い込み
大日如来は微笑みつつ再び
燃える空に旅立つ。
死は祝福すべき歓びなのか!
とさえ思える微笑み。

追 悼
2月17日 扇山


山巓の雪子

天に昇った深い想い

P3峰、P2峰を経て扇山へ至る
冬枯れの稜線を辿って
山巓に立つと
雪子が待っていた。

ピンクのリボンとドレスで着飾り
アイシャドウでちょっと
眼をパッチリさせた顔で微笑む。

≪クオリアの瀧に打たれ
自らを否定しつつ
止揚せんとした見習い仙人さんは、
200mlの点滴を
受けながら、遂に旅立ったのよ≫

そうだったのか、
俺はもう死んでいたのか!



美しい死

2020年2月16日の東雲6時27分の空がめらめらと燃え上がったのと、
94年の生を閉じた瞬間が重なったのは意図されたものではない。
2つの事実がそれぞれに進行し
≪銀河や太陽 気圏などとよばれたせかい≫で遭遇した刹那を、
1つのクオリアが捉えたのだ。

何故そのクオリアは2つの事実の交わりを必然の軌跡として観ることが出来たのか!
そこに2つの事実への≪深い想い≫によって、醸成されたクオリアが潜んでいるのは確かであろう。
燃え上がる東雲と1つの死が美しいのは、
死を看取った者の≪銀河や太陽 気圏などとよばれたせかい≫へのクオリアそのものなのだ。





永訣の夜明け
一条の光が山荘壁画の≪祈り≫を射る
2月17日(金)晴 居間



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