奥穂南壁の奇蹟・・・3月の明神岳東稜
  ポベーダ(7439m)訓練合宿
                                                                記録: 坂原忠清


 そして一瞬にして南壁に消えた。

 傾斜の緩くなる岳沢ヒュッテまで標高差千mある。
このアイスバーンでは、たぶんノンストップで千mを滑落するであろう。

 命だけは取り止めてくれという願いさえ虚しくする深い絶望感に襲われる。

彼の肉体が止まる為には、そのショックの総てを肉体が吸収せねばならない。

 ショックを吸収した肉体が激しい損傷を受け、機能を停止することは言うまでもない。
原型を止めないかも知れない。


国内登山記録

Contents  
《A》 小窓尾根・・・風雪の剣岳 12月~1月 1986年~87年
《B》  鹿島槍北壁&東尾根・・・冬の鹿島槍集中 12月~1月 1990年~91年
《C》  最後の白馬主稜・・・ナンガ・パルバットに消えた中島修 3月  1990年 
《D》  奥穂南壁の奇跡・・・明神岳東稜 3月  1991年 
《E》  ナンガパルバット合宿・・・風雪の槍ケ岳北鎌尾根 3月  1989年 


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(1)  最悪のラッセル

 下部岩壁を左にトラバースしてから、最悪のラッセルになった。霙が全身を濡らしゴアの手袋の中を水が流れ指が猛烈に痛い。
                  

冷たさに痺れた手は握力を失い、ザイル操作を不可能にする。しかもセカンドの岩本はザイルにユマールを咬ませ、全体重をかけてザイルを引く。

いい加減なザイル操作をするわけにはいかない。ジッヘルの僅かな時間を縫って、たっぷり水を含んだ手袋を絞る。

ジャパジャパと水が出る。ゴアのオーバーミトンが霙や雨に対して、いかに無能であるかもっとアッピールせねばならない。

いつもなら絞った後の数分は、ゴアの内側にはめている毛糸の手袋が保温効果を発揮し、指の痛みを和らげてくれる。

だが今回は毛糸を使っていない。ゴアの内側にボアをつけたミトン1つで行動している。このボアは毛糸より保温効果が落ちるので、絞った後すぐに猛烈な指の痛みは復活するのである。

岩本が落ちた。ザイルを握る手の痛みが耐え難い。ザイルを握ることによって指の血管が圧迫され、血流が止まり凍傷の痛みに拍車をかけるのだ。

最後のスペアミトンを使うべきか否か迷う。登攀は始まったばかり。これから明神、前穂、奥穂、北穂を登り滝谷へ入るというのに、最後のスペアミトンを使うわけにはいかない。

 

しかしこのままでは、明らかに凍傷になる。ザイルを固定しザックをおろし、天蓋から最後のスペアミトンを取り出しはめる。

 指に間隔が戻る。指が動く。この歓びも20分は続かないであろう。再びミトンが水浸しにならぬうちに、急な雪壁を抜けねばならない。

 だが20m下の雪壁に沈み込んでいる岩本は、先程から一歩も前進していない。絶妙なトラバースで私が乗り越えた雪の断裂壁に、岩本は捕らえられてしまったのだ。

 蟻地獄に落ちた蟻のように、?けば?く程岩本は雪壁に沈み込み何度かユマールに宙吊りになる。雨と霙の為、雪壁は大量の水分を含み融けかけたシャーベットとなり、ラッセルを拒むのだ。

 雪壁は右の奥又白谷へも左の宮川谷へも急峻に落ち込んでおり、いつ雪崩れても不思議はない。私の直感だけを頼りに行動しているのだ。

私の直感では、この条件下では表層雪崩は起きない。雪崩れるなら底雪崩である。だが底雪崩が生じるには。雪壁の下部が氷化しすぎている。プラス2度Cの霙下ではまだ暫くは、氷化した雪壁の下部が緩むことはないであろう。

 この雪壁の右で昭和33年、早稲田大学の4名が奥又白谷に流され、6年前の昭和59年には川崎市役所パーティーの3人が左の宮川谷へ流され死亡している。明神東稜の下部岩壁周辺は稜ではなく、急峻な雪壁となっている為雪崩易いのである。一刻も早く抜け出さねばならない。

 

 

(2)ラクダのコルへ

 岩本がユマールをザイルの最上部まで延ばし、ザイルに全体重をかけ断裂壁をついに乗り越えた。

岩本義廣、36歳、今夏アルプスの三大北壁でのトレーニングを計画している。体力、技術共にベストコンディションにある。

 私より僅か10歳年下でしかないのに、その若さは眩しいまでに輝き、私を圧倒する。豊かな経験と程良い年輪がうまくミックスし、エネルギッシュな輝きを発しているのだ。

したがってその輝く若さには、若さに付きものの不安感がないのである。私は安心して岩本とザイルを組み、自由奔放に登ることが出来る

ラストの新井をザイルで引き上げるよう岩本に指示する。トップとラスト同時のジッヘルは難しいので、私はジッヘルなしで雪壁のラッセルを開始する。

 この危険地帯から一刻も早く抜け出す為には、逆に危険を甘受せねばならないのだ。だがその危険も岩本がセカンドに居る限り、何の不安もない。

 不運にして雪崩と共に落下しても、岩本なら何も恐れず、自分のザックを固定してからザイルをたぐり、猛烈なラッセルを行い逸早く私を発見するであろう。

左上方に向かって胸までのラッセルが始まる。スペアミトンは最早ぐっしょり濡れ、ピッケルとパイルの金属部分に触れている指が、凍傷の痛みに襲われる。ミトンの中を水が流れぬ限り、この寒さでは凍傷にかかることはないのだが、ミトンの指先からはポタポタ水が落ちている。再びミトンを絞る。

 




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 やっと下部岩壁のトラバースを終え姿を見せた新井も、ジッヘルしている岩本もミトンを替えている。二人も指の痛みに耐えかねているのだ。

ラクダのコルへ着いたのは、下部岩壁のラッセルから5時間後。朝、宮川のコルを出てから8時間半も悪雪と闘い続けたのである。ゴアの雨具上下を着ていても、長時間の霙には何の役にも立たず全身グッショリ。背中や胸に水路ができて水が流れる。

 パンツもびちょびちょ、ブラブーツの中は水が溜まり、チャプチャプ足が泳いでいる。ヒョウタン池から岩本に代わり、私がトップでラッセルを続け、ルートファインディングしてきた。しかしここがラクダのコルであると確認出来ない。

 視界が悪く足元の雪面の傾斜と白いガスのヴェール以外には何も見えないのだ。ここがコルであると信じようとした理由の1つは時間である。かつて下部岩壁から1時間ちょっとのラッセルでコルに達した記憶がある。

 いくら悪雪のラッセルが続いたからと言って、その5倍もの時間をかけてまだコルに達しないということはありえない。
2番目の理由として、長い登り一方の雪稜のラッセルが終わり、初めて30m程の下降ルートを通ったこと。コルに至るには下降せねばならないのだから、下降終了点がコルである可能性は高い。

 

 第3の理由として、ヒョウタン池からの東稜上で初めて幕営可能な緩斜面に出たこと。そんなことを、つらつらと考えていると一瞬ガスが晴れ、上部岩壁が見えた。

 右側に衝立状の岩、その左に雪と氷のガリーが見える。ガリーの中央で固定ザイルの一部が氷の上に露出している。ガリー上部には明神東稜の核心部、スラブの凹角があるのだ。
 そこから左の2峰側にトラバースすると明神主峰に至る。ここがラックだのコルであることはまちがいない。
時刻は13時40分、行動を打ち切るにはまだ早いが、濡れた衣服や装備を乾かすには丁度良いタイムである。

 遅れている後続の2名にコールをかけ、1人で雪面を削りテントサイトを作る。フォエーブスを空焚きし、パンツ一枚になって濡れた衣服をひたすら乾かす。テントの外では相変わらず風が吼え、霙が激しくテントを叩く。

 前線が停滞している為、明日も1日中雨か霙であろう。衣服は乾かないし天候は最悪だし、明日は前線と同じく我々も停滞すべきである。だが我々の目標は8千m峰の短期速攻登山にあり、この程度の悪条件で停滞するようでは、何の為のトレーニング合宿なのか意味がない。

 明日も予定通り行動し、奥穂高岳まですすむことにする。
入会後初めての山行参加となった新井が、しきりに上部岩壁のルートを心配し、テントの中で質問する。

 「凹角の出口がやや悪いが、そこで苦労するのはトップだけでセカンドやラストは、ザイルを頼って登れば何でもない」

 

 

と話すが凹角の意味がわからず、岩本が説明する。

 新井裕司37歳、地元山岳会で活動し、群馬県岳連救助資格を持ち、長いキャリアがあると判断していたがやや不安になる。

 トレーニング不足の中年程怖いものはない。新井のフルマラソンのベストタイムは3時間を切ったとのことであったが、それにしては余りにも体力がないのだ。

今回の荷は岩本が30㎏を越えているだけで、私と新井は28㎏程度である。

 ラッセルの負担を軽くする為、ラストを歩かせているがそれでも常に遅れ、我々は新井の遅いペースに合わせ行動しているのである。
新井にとっては今回の山行は、今までに体験したことのないシビアな登攀であろう。彼の動きによく注意し、危っかしい行為が見られたら、即アンザイレンして保護せねばなるまい。

(3)漆黒の瞳

 数時間努力したが結局乾いた物は何も無かった。生乾きの衣服を着て翌3月28日霧と霙の上部岩壁へ向かう。コルから衝立岩左のアイスガリーに入り

、グズグズに腐った雪壁を登る。全身ずぶ濡れの急雪壁のラッセルは苦しい。

 50分で凹角に出る。東稜の核心部で楽しみにしていたのに、何と細い固定ザイルが1本残置されている。かなり古く信頼出来るものではない凹角左のクラックには氷が詰まっているが、凹角のスラブには全く雪は付いていない。

 

 





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 岩本にジッヘルを託し凹角に入る。5m登って3本目のハーケンにカラビナをかけ、上半部のスラブを登る。アイゼンの懸かるスタンスがないので、大きなザックを背負っていると動きがとれない。

 2度、3度スラブにアイゼンを乗せてみるが、体重を懸けると何の抵抗も見せずスリップする。致し方無い。最後の手段として左のハーケンにテンションを懸け、強引に身体を持ち上げアイゼンがスリップする直前に、体重移動を行う。

 間一髪でバンドに手が届き凹角から出る。岩本、新井を上げる。岩本は綺麗なフォームで階段を上がるように登ってくるが、新井はいくらザイルを引けども登って来ない。スラブでスリップを繰り返しザイルに吊り下がってしまう。

 東稜の核心部を終え、左へトラバースぎみに進む。明神Ⅱ峰がすぐ頭上に見えるはずなのだが、霙と深いガスで何も見えない

 11時40分、明神山頂、山頂には小さな赤いマークがポツンと立っていた。ホワイトアウトの中で記念写真を撮る。

「さて前穂はどっちだ」

 と言いたいぐらい何も見えない。

「こっちのはずだ」

 と勝手に決めて岩稜を下り始めると一瞬ガスが晴れ、眼前に前穂の大きな岩が見えた。

「ヤッター」と思ったのも束の間、再びホワイトアウトとなる。奥明神沢のコルまで下りザイルを解く。

 

 

 2時、前穂頂上。明神から奥穂までで唯一のテントサイト。新井はここで幕営したいらしい。だが冬の前穂山頂が安全でないことは言うまでもない。

 強風と雷、これは避けようがない。その上全身が濡れているのだから、ここでの幕営は体力消耗が激しい。奥穂まで飛ばすことにする。新井のペースに合わせてゆっくり行動する為、新井をサンドイッチにして吊尾根に入る。涸沢側の雪庇の踏み抜きにさえ注意すれば、技術的に問題になるところはない。新井の技術でもアンザイレンせずに歩けるであろう。

 途中雪壁を1ピッチアップザイレンしコルに下ると、真白な雷鳥が近寄ってきた。今頃の雷鳥は数本の羽が色付き、春を告げているのだがまだ純白である。穂高の山稜で初めて目にする命の輝きが眩しい。それにしても何という瞳の優しさだろう。底知れぬ深遠な宇宙の闇を宿した小さな黒い瞳が、たまらなく優しいのだ

 この優しさは雄雷鳥の瞳にはない。雄の瞳には生き抜く為の闘いの険しさのみが光っている。雌雷鳥の瞳は命を自ら生み出し、未来へ投擲する者だけが持つ独特な優しさを秘めているのだ。

 30年もの昔、初めて雌雷鳥とめぐり会った時から、私は限りなく優しい漆黒の瞳の虜になった。生命の存在を拒否する宇宙の闇のような瞳が、どうしてこんなにも愛らしく優しい生命に満ちているのか。漆黒の瞳には何があるのか。何を意味しているのか。

 

 

 その疑問が突然、復活した日があった。ブータン遠征の初登頂後、胃を痛めヘリで運ばれた首都チンプーで療養の日々を過ごしたことがあった。回復しつつある日プナカまでドライブに出かけた。

 プナカの城(ゾン)に棲む鰐の瞳を見た時、その瞳の余りの黒さに慄然としたのである。雌雷鳥のような優しさは微塵もなかったが、確かにそれは宇宙虚空への連なる何かであった。

 ブータン遠征の報告書「マンデガンは初登頂」の第一部、密教宇宙への9章に私はこう記した。『理解不可能な苦痛が強いたヨーガは、疑問のみを増幅させ、スートラに近づくことを許さなかった。私の肉体はヘリコプターによって、ベースキャンプから一気にブータンの首都、チンプーに運ばれた。

 一進一退の苦痛と対峙しつつ、なすこともなく、私は各地のゾンの中にある寺をたずね、曼荼羅や仏像に語りかけた。

 1637年、ガワン・ナムゲルが築城したプナカゾンのマチン寺礼拝堂は訪れる人も無く、午後のけだるい陽光の中に深い影を落としていた。かって首都であったプナカの城、プナカゾンは、チンプーやバロや、トンサやプムタンのゾンよりも不幸な生い立ちを秘めている。

 18世紀から19世紀にかけて3回の火災におそわれ、ブータン密教の貴重な資料のほとんどを失い、1897年には大地震に遭い、連年氷河の融解による洪水惨
禍にみまわれている。

 

 




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 ポー川(男川)とモー川(女川)の合流点に立つ、性のシンボルのようなプナカゾンは幾多の危機にさらされながらも、350年の歳月を経て尚何かを待っている。

 ゾンの危機を救うためか、ゾンの堀には守護神のようなワニが放たれている。2つの目玉だけを水面上に出し、たった1人の訪問者である私を見つめつづける。

 何の意志も示さない無機質のような目玉は、作られたガラス玉よりも、もっと長い時間を存在し続けるかのごとく、微動もせず私を見る。私は意志を送る。

 「俺はお前の守るラカン(寺)にやってきたぞ、お前を無視してここを通るぞ。それでも良いか」

 もちろんワニの目は何も答えない。しばらく見つめ続ける。目玉に意思表示のない理由が突然わかった。ワニの目の焦点は私の肉体を刺し貫ぬいて、遙か彼方の虚空にあるのだ。

 わずか10m程の距離にある私の肉体は、虚空をのぞくためのピンホールにしかすぎないのであろう。肉体の彼方にある極空を見つめる目が、ガラス玉よりはるかに長大な時をかけ抜けることは確かだ。あの何も示さぬ目は、時と空間を超越しているのだ。

 ブータンに生息できぬワニを、敢てプナカに連れてきたのは、プナカの標高が低く亜熱帯に近いからだけではない。雷龍の国の住人は、守護神であるワニの目玉に雷龍を見、大日如来を見、宇宙を見出そうとしているのだ』

 プナカの鰐の冷徹な瞳は。反射的に雌雷鳥の優しい瞳を想起させた。宇宙は生命の揺籃の時空であるのか。

 はた又生命を拒絶する深遠なる虚空でしかないのか。密教徒はその解答を求めて曼荼羅を描き、梵我一如を願望したのだ。深遠な虚空であるにもかかわらず、菩薩のような限りない優しさを湛えた雌雷鳥の瞳は梵我一如を告げているのかも知れない。

 雪の白に同化して羽を純白にし、広大な白い空間そのものに変身する雷鳥こそ、宇宙からのメッセージであり、その漆黒の瞳はメッセージを解くキーワードなのであろう。

  (4)一瞬にして消えた

 南稜の頭に至る雪壁は硬く凍りつき、快適な氷壁になっていた。夕刻の訪れと共に気温低下が始まり、ラッセルの徒労から解放されルートはベストコンディションになったのだ。雪壁が氷壁になれば重労働から逃げられるが、逆に一歩のスリップが生と死を分けることになる。

 急峻な氷壁を200m左上する。新人の新井の動きに目をやる。ここで滑落したら即死である。アンザイレンの必要があるか否か、新井の疲労度とアイスバイルの使い方を観察する。氷壁ではピッケルのシャフトを刺しこみ支点を取ることは出来ない。氷が堅くてシャフトまで叩き込むことは不可能である。

 ピッケルとアイスバイルのピックを浅く打ち込み、2ヶ所でバランスをとりながら、ダブルアックスで登らざるを得ない。ピックの氷への食い込みが少ない為、慣れないと不安でバランスをとることが出来ず、かえって危険なのだ。しかしスピードが遅いが、確実な足取りで新井は登ってくる。

 

 ダブルアックスの動作も不安定ではない。アンザイレンの必要はないと判断して登り続ける。南稜と吊尾根との合流点は雪庇となり、氷壁が覆い被さっている。右へ逃げられるが良い写真が撮れそうなので、直上することにしラストの岩本に撮影を頼む。

 オーバーハングした氷壁を抜けると奥穂の頂上が目の前に現れ、右手に北穂や槍ヶ岳まで見える。ガスが晴れ視界が効いてきたのだ。

 これで明るいうちに奥穂の小屋へ入れることはまちがいない。危険な場所は総て終ったのだ。のんびりと穏やかな広い稜線を奥穂のピーク目指して進む。奥穂手前のピークを左に巻き、5時50分奥穂頂上に立つ。白出しのコルへの下降ルートを確認する。

 吹雪いているとこの下降路がわからず、意外と苦労するのである。数年前奥穂集中登山をやった時も、松井は下降路で迷い奥穂山頂に戻りビヴァークしている。今回は視界は効くのでルートファインディングには問題ない。ガリーに下りる急峻な雪壁をアップザイレンすれば、おとは鎖場で小屋まで10分程である。

 ザックを降ろしラストの岩本に声をかける。

「写真撮るから新井より先に来てくれ」

30㎏を超える荷を背負って新井の後にピッタリ着き、新井をフォローしてきた岩本が軽い足取りでピークに立つ。斜面は緩やかで何の危機感もない。岩本も安心して新井を抜いてきたのであろう。




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 新井は立ち止まり不要になったアイスバイルを右のホルダーに刺しこみ、ピッケルを左手に持ち歩き出そうとしていた。その時である。

 「アッ」

 と鋭い叫び声が響いたのは。何故か殆ど平らな雪面で新井が転倒したのだ。仰向けになり岳沢方面へ、ゆっくり滑り出した。

「オイ、ピッケルを打ち込め」

 緩斜面なので充分止まるかと思ったが、止まらない。やや焦って二度目のコールをかける。

 「止めろ。ピッケルを打ち込め」

 ピッケルを打ち込まず、仰向けになり足を下にし安定した姿勢のまま、一度も反転せず新井は加速した。

  そして一瞬にして南壁に消えた。

 傾斜の緩くなる岳沢ヒュッテまで標高差千mある。このアイスバーンでは、たぶんノンストップで千mを滑落するであろう。命だけは取り止めてくれという願いさえ虚しくする深い絶望感に襲われる。彼の肉体が止まる為には、そのショックの総てを肉体が吸収せねばならない。

 ショックを吸収した肉体が激しい損傷を受け、機能を停止することは言うまでもない。原型を止めないかも知れない。

 数年前、20mの滑落で墜死した中川の検死中の遺体が浮ぶ。ヘルメットの一部が割れ、頭部に僅かの裂傷を残したのみの美しい裸身であった。私には眠っているようにしか見えなかった。にもかかわらず、確かに彼は一瞬にして絶命してしまうのである。新井の生還は奇跡を願う意外に術はないのか。

 

 

 今為すべき最善の行為を考える。まず現在置かれている2人の条件を客観視する。2日続いた霙の登攀で全身が濡れている。

 視界は良くなりつつあるものの、相変わらず天候は不安定である。ザイルは新井のザックの中にあり、新井と共に落下してしまった。夜の闇が目前に迫っている。

 この条件下で即、南壁を下降するのは極めて危険であり、二重遭難の可能性がある。その上、下降を開始し岳沢側へ入ると下界とのトランシーバー交信が不可能になる。つまり救助要請が出来なくなる。

 白出の小屋に一刻も早く入り、トランシーバーで下界と連絡をとり救助隊の編成を行い、新井の生存の可能性に賭けるべきであろう。山頂より50m下の新井の転落地点に岩本を立たせ写真を撮る。何故ここで転倒したか2人で考えるがわからない。

 アイゼンをスパッツに引っかけバランスを失い転倒したことぐらいしか考えつかない。しかしよく考えてみると新井は確かに止まっていたのである。新井の転倒の原因はミステリー である。

 次に滑落停止が不可解な程クラストしていたかどうか、岩本を使って実験し写真を撮る。ピイケルは容易に雪面に刺さり簡単に停止する。この緩斜面では南壁に落下するまで、滑落停止のチャンスは何回もあったはずである。

 となると心臓発作か、急激な肉体的ショックに突然襲われ転倒したとしか考えられない。新井が生存していれば、ミステリーは解けるであろうが、最悪の場合謎は残されたままになるであろう。

 

 

 「今何時だ」

 「6時です。したがって事故発生時間は5時55分頃でしょうね」

 「よし。すぐ白出のコルに下り救助要請をしよう」

 私の貴重なザイルパートナー中島修がナンガパルバット山頂直下で死んでから、まだ7ヶ月しか経っていないと言うのに何ということだ。

 せめて岩本だけは何としてでも事故に巻き込まぬようにせねばなるまい。ガリーに下降しながら、慎重にステップを刻む。アンザイレンしたくてもザイルがないのだ。私の心配をよそに、岩本は安定したバランスで下りてくる。鎖場に至る急なガリーで再びためらう。

 フリーで下降するには傾斜が強く、氷が堅すぎるのである。更に事故を起こしてはならぬという気持が必要以上に慎重を強いる。左の大きくトラバースし、鎖場と水平な位置まで下り逆に右へトラバースし鎖場に出る。

 闇が穂高山塊に忍び寄り。白出のコルを包む。雪と闇の醸し出す霧のような薄明の中に、小屋の赤い屋根が見えた。

 6時半、コル着。冬期小屋の入り口を開け、狭い入り口のザックを押し込み中に入る。予期せぬことに、小屋には先客が居た。

 富山薬科大学山岳部6人パーティーで悪天の為、3日間停滞しているという。我々の事故を告げ、今夜遅くまで交信することになり、迷惑をかけることになりますがよろしくとお願いする。

 





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  (5)救出作戦開始

 槍ヶ岳硫黄尾根隊を周波数1444MHZで呼び出す。今日あたり槍の肩の小屋から北穂に向かっているはずである。北穂で我々明神隊と合流し、一緒に滝谷に入る計画なのだが、まだ一度もコンタクトがとれていない。

 昨日まで我々と硫黄尾根隊は槍、穂高山塊を挟んで行動していた為、交信不可能であった。しかし今夜はお互いに稜線上に出ているので充分に交信できるはずである。硫黄隊が北穂まで入っていれば、明日我々と一緒に岳沢に入り捜索することができるのだが。

 暫くコールを続けるが応答がない。周波数を変え下界とのコンタクトを計る。少しづつ周波数をずらし根気良くコールする。数人と接触できたが誰でも良いというわけにはいかない。まず相手が労を惜しまず救助連絡を引き受けてくれる好意の持主であること。

 次に救助連絡が正確に出来る事務能力のある者であることが要求される。生死にかかわる問題だけに、僅かの連絡ミスが致命的になる恐れが充分にあるのだ。最初の相手は酔っているらしく呂律が良く回らず、内容が正確に伝わらないので断念。二番目は長距離トラックの運転手らしく電話連絡が出来る条件にない。

 次は地方の訛がひどくて相手の意味を正確に聴き取ることが出来ない。しかしとても好意的な人で、同じハム仲間に連絡をとり仲間を紹介してくれる。事故発生の為、暫く15360MHZを使わせてもらう旨を、同回線使用の無線家に詫びて交信開始。

 

 東京と川崎の当会事務局、豊科警察署と奥穂を中継し夜中まで交信を続ける。当会の第一救助隊が今夜東京を発ち、明日カッパ橋で我々と合流し岳沢に入ることになる。同時に明早朝、ヘリを出動させ空からの捜索も行うことになり、朝5時から交信再開を確認して短い眠りにつく。

長い1日であった。

 3月29日7時、朝の交信を終えヘリ出動を確認して、トランシーバーをオープンにしたまま一気に快晴の涸沢に下る。2日間続いた雨と霙で雪面はアイスバーンとなり、雪崩の心配は殆どないが、新しいデプリが至る所で危険を告げている。もたもたしているわけにはいかない。

 白出のコルを300m程下ると、トランシーバーは沈黙してしまった。涸沢に入ると飛騨側はもちろん信州側も山脈に遮られ、交信で出来なくなるのである。豊科署の強力な発信だけでも傍受出来ないかと期待したが、トランシーバーはプツンと押し黙ったままである。

 昨夜、奥穂南壁を下降したら昨日中に下界と連絡をとり、救助隊を編成することはやはり不可能であったのだ。

 10m以上の雪に覆われた涸沢は巨大な凹面鏡となって、3月の強烈な太陽光を集める。サングラスを通してさえ眼が痛む

 凍てつき堅くクラストした雪面は、やがて太陽光によって緩み、体重を支えることが出来なくなり、深く没し足を捕える。表面のみクラストした雪面のラッセルは、足を引き抜く時の体力消耗が激しい。

 疲労だけでなく時間も数倍かかり、最悪のラッセルとなる。太陽光がクラストを軟化させる前に何とか横尾まで達せねばならない。横尾の橋まで雪と格闘しながら降りてきたら、突然静寂が破られた。

人影の絶えた広大な穂高山塊を、暴力的な機械音が支配した。
低空飛行で梓川を這うようにしてやって来た減りヘリコプターは、出現した次の瞬間には私の横に着地した。

 ヘリのクルーが飛び降り、私に岩本の位置を問う。騒音に負けぬ声を張り上げ問い返す。

「岳沢の新井はどうしましたか」

「救助され病院に収容しました」

「重体ですか」

「検査中ですが、極めて元気です。命に別状はないでしょう」

「骨折は?」

「それもないでしょう。本人はヒュッテ近くを歩いていましたから」

「ヤッター。ありがとうございました。岩本は2,300m後にいます。」

 ヘリは一瞬にして再び飛び立ち、あっという間に遅れている岩本をピックアップし戻ってきた。ヘリに乗り込むと岩本が狐につままれたような想いを、緊張した顔に宿し座っていた。

「よかったな」

爆音に抗し声を上げて岩本に怒鳴ると、

「そうですね、これで予定より早く岳沢に入れますね」

とトンチンカンな答えが返ってきた。

 





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 「オイ、新井は無事救出され、もう病院に収容されたんだ。元気なんだ」

「えっ、本当ですか。良かった。良かった」

 岩本が身体を震わせ、泣きながら抱きつ

いてきた。何度も何度も「良かったな」を連発しながら、暫く2人は肩を抱き合い涙に咽んだ。

奇跡が起きたのだ。標高差千m近くを滑落し新井は生還したのだ。絶望は瞬時に歓喜となり、激情の波に襲われる。今から1時間前の9時14分に新井はヘリによってピックアップされたと言う。事故発生からわずか15時間で救出作戦は成功したのだ。

  一体、奇跡を演出したのは誰だ?

   (6)   奇跡の演出

 ヘリは穂高の山塊を舐めるようにして飛び豊科へ向かった。雨と霙の中で悪戦苦闘した明神東稜が、足元に迫る。下部岩壁、ラクダのコル、上部岩壁、そして前穂、奥穂が箱庭のミニチュアとなって展開する。

 小さな命が生の限りを尽くして、あのミクロの世界で闘っていたのは僅か数分前なのだ。ミクロの小さな意志は、一刹那にして天空に舞い上がり、マクロ宇宙へ拡散し理性の行方を追う。

 生命の存在を拒絶する岩と氷の世界で理性は何処へ旅立とうとしているのか。ヘリによって天空に上昇し、仮宇宙を得た私の意志が私の理性に問いかける。

 小さな生命体に宿された理性を、壮大な天空から宇宙はいつも見つめているのだ。

 宇宙が知的存在の母体であるならば、そのまなざしは母親の慈愛のように限りなく深いものであろう。 

                  

 小さな意志は透徹した理性を獲得することにより、なパストとなり宇宙に育まれ、いつの日か天空に回帰するのだ。

 そして自ら宇宙となり、知的生命の旅立ちの檄を送るのだ。檄は累積され壮大な時空間に星々となって散り、良く晴れた夜に微かなメッセージを囁く。

 中島修も自ら宇宙となり、星々の光となってメッセジを囁いているに違いない。7ヵ月前ナンガパルバット山頂直下で死んだ中島の強烈なパストは、今私が浮遊している天空にあるのだろう。

 天空に舞い上がった瞬間から、私の心象にパルスを送り始めたのは中島のパストであったのだ。天空に拡散した彼のパストが、透明な淡い光となって私の心象と融合する。新井の奇跡の生還と中島の死がオーバーラップする。アイスバーンの南壁で滑落していく新井に降り注いだ天空の光を、突然実感する。

『そうだったのか。中島は遙かなる高みで、新井の滑落を見ていたのか』奇跡は天空の意志によって演出されたのかも知れない。

 より過酷な条件下でヒマラヤの絶頂を追い続ける我々スビダーニェ同人の理性は、ここ暫く天空の中島が追い続けるであろう。ヘリは穂高山塊を飛び越え、高度を落とし安曇野に入った。中島修と私の天空での一瞬の邂逅は終った。

 修はナンガ・パルバットの山頂直下メルクルシャルテに再び8000mの高みで絶えることのないパルスを送り続けるのだ。               

 ポベーダ(7439m)、ガシャブルムⅡ

(8035m)、ナンガ・パルバット(8035m)と続く8000m峰短期集中速攻登山の為の第2回国内合宿は、こうして終った。新井の滑落原因は初歩的なミスであった

 クラスとした雪面を踏み抜き、その足を引き抜こうとして転倒。ピッケルによる停止が出来ず、そのまま落下というお粗末な原因であった。
8000m峰の短期速攻登山には、強靭な意志と肉体が要求される。当然これまでのように国内でのトレーニングは、冬の北アルプスの岩稜や壁を使い、重荷を背負って行う予定である。

 今後も若手新人隊員の参加を大いに歓迎するが、この種のミスを犯さぬよう充分反省せねばなるまい。3日間も一緒に行動して新井の技倆を見抜けなかったのは、私の不覚である。

 30年以上も岩と氷の登山体験を積みながら、何たる失態。私はもう老いたのだ。老いたクライマーに現役のリーダーの資格無し。若手にバトンタッチし、ザイルのラストをのんびり着いていくのが相応しい。

 さて救助費用は総額162万を越え、山岳保険の上限を62万円もオーバーしてしまった。その上納入済遠征費の全額返還を新井に要求され、当会始まって以来の資金難に陥った。

 何とそのピンチを中島修の妻が救ってくれたのだ。

やはり奇跡は中島によって演出されたのかも知れない。(1991年3月)                             

              




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