仙人日記
 
 その1341ー2017年  睦月

1月1週・・・元旦富士山巓は、始原と終焉の荒れ狂うカオス

激動の予感・富士山初日の出
2017年1月1日(日)快晴 毛無山頂からの富士

雪と氷の山巓が時空円錐の頂点に重なる。
あれは自らの始原と終焉。

肉体は時の呪縛から逃れることは出来ない。
精核と卵核の融合によってビッグバンを生じ、 円錐の頂点から減数分裂を繰り返し肉体は精緻な時空円錐を形成する。
時に操られるがままに肉体は進化を続け、円錐の底面を拡大し、やがて死への途を驀進する。
肉体は決して戻ることは出来ず、希薄化する底面を拡大し続け、
唯ひたすらに機能喪失へと、終焉目指して直走る。

一方、精神は
肉体の築き上げた円錐の
時空間を自在に飛翔し、
誕生と死の狭間を瞬時に結ぶ。
 
時空円錐
  時空円錐の頂点に
強風が吹き荒れ、
風下にキャビテーションを生じ、
低気圧が生まれ
雲が渦巻き荒れ狂う。


元旦富士山巓は、始原と終焉の荒れ狂うカオス。



昨年元旦にヶ岳から三つ峠山へ向かったが


取り残され喪われた自分が、
地上に置いてきぼりになっているような気さえした。
ある意味限りなく死に近い感覚だったのかもしれない。
あの蒼穹が忘れられない。
このまま異次元の蒼穹の中に浮かび、
地上の自分を喪失してしまっていいのか。

吐蕃子

昨年の元旦、救助のヘリに助けられ空へと運ばれながら、
限りない蒼穹の中へ飛翔す
るような錯覚を抱いた。
宙に抱かれる、ほんの一瞬そう思った。


さあ、び出せ! 


登り続けた山巓たち
白銀の南アルプスと前衛の黒い御坂山塊

2017年1月1日(日)快晴 三つ峠山頂から


辛くても、みっともなくても、もう一度、そこから出発して、本当に自分の足で歩くことを獲得しなくては・・・
山頂を踏みしめて、蒼穹と対峙しなくてはいけない。蒼穹に今も浮かんでいる自分を、
もう一度地上の自分に取り戻せるだろうか。

一旦気持ちがマイナスに振れると、何処までも針が下がる。恐いのだ。
また、自分の力の及ばない形で、事故を起こすのではないか・・・
ならば、山に登ることを止めればいいではないか。





 農鳥岳(左)  間ノ岳(右)

 北岳(中央)  仙丈ケ岳(右)

甲斐駒ケ岳

赤石岳(左) 小赤石岳(右) 
ふかふかの新雪は無理としても、
氷に覆われ凍てつた山稜には
逢えるだろうと
愉しみにしていたのに、
登山道は勿論標高1700mを超える
稜線にも雪や氷の気配無し。

悪沢岳 
霜柱が彼方此方で
土を盛り上げているだけで、
山荘の庭と大差無し。
寧ろ山荘の庭の方が、
滝の作る氷柱のアートがあるだけに
余程冬山らしい。 
登山者の中にはスニーカーで軍手、
荷物も背負わず、
 
聖岳(左) 赤石岳(右)
明治神宮にでも初詣に行くか、
てな雰囲気の者もいる。
アイゼンをザックに入れ、
本格的冬用ダブル登山靴なんぞを
履いて登っているのは
仙人だけなのでは、と
恥ずかしくなるくらいの夏山状態。 



昨年元旦の竜ヶ岳夜明となる太陽
2017年1月1日(日)快晴 毛無山頂展望台

昨年の竜ヶ岳は何の不安もないほど易しいハイキングコースのルートであり、実際に多くの人が登り、
中にはブーツくらいの軽装で登っている人さえいた。
その何でもない筈の下山路で滑って転倒、左足首の脱臼骨折などという思いもよらぬ、重症の怪我を負ってしまった。
自分で感じているつもり以上に深いところでトラウマになっているのだろうか。

事故を起こした瞬間の記憶がほとんどないのだ。
危険だという場所でもないし、無理な体勢をとったわけでもない、にも拘らず転んだ。
転ぶことは別段驚くことではないが、その結果が何故重症の怪我に繋がったのか、そこがどうしても納得がいかない。
あまりにも不意打ちに、不条理な結果になった。




ひっそりと遭難碑 

何じゃと猿出現 

あの日から30年 



登山道も寒さで凍てつき
硬くはなっているが、
土が凍っているだけなので滑らず、
山荘周辺の
滑りやすい落葉道の方が遥かに危険。

のんびり夏山気分を味わいながら、
こりゃ初詣にぴったりと、先ずは
中川碑のある毛無山を目指す。
頂の大きな標識板をオブジェに、
雪富士を背景にして写真を撮り、
中川碑迄下り
ご無沙汰を詫びながら
30年前の中川君とお話し。




貴公子のような中川君 



1986年5月25日、
ヒマラヤ登攀を想定し
岩登りには不利なアイゼンを
敢て装着し、ザイルも結ばず
岩壁の下降中に墜落。

ブータン遠征出発の
僅か2か月前であった。
話しかけると
人懐こい笑顔の貴公子が、
ザイルの先端を差し伸べ
「それじゃトップをお願いします」
と答える。
とても30年もの星霜が
流れたとは思えない。




御巣鷹山から山荘が観える筈と御巣鷹山へ

三つ峠山頂 

御巣鷹山から清八峠への途


失われた8人のヒマラヤ隊員を偲ぶ
2017年1月1日(日)快晴 毛無山頂直下の中川碑

ブータン未踏峰隊員・中川雅邦(岩壁墜死、30歳)、
第2,3回ナンガ・パルバット峰&レーニン峰隊員・中島修(頂直下で墜死、28歳)
K2峰&第3回ナンガ・パルバット峰・隊員・成田泰樹(雪崩圧死、24歳)、第5回ナンガ・パルバット峰隊員・大宮秀樹(氷壁から墜死、26歳)
第2回ナンガ・パルバット峰隊員・大谷均(落石直撃死、32歳)、第5回ナンガ・パルバット峰隊員・高橋敏雄(クレバス落下死、37歳)
第5回ナンガ・パルバット峰隊員・小口順史(岩壁墜死、32歳)、第4回ナンガ・パルバット峰隊員・望月泰彦(凍死、47歳)

もうすぐ逢えるぜ、待ってな!

勿論、死は認識の消失を意味し、死後に失われた8隊員に逢えるなんぞと仙人は思ってはいない。
あの輝かしく眩いばかりの熱情を放ちつつ、命を絶った8隊員は死と共に
認識の存在しない永劫の虚空に還ったのだ。
新たにその永劫の虚空に、仙人の虚無が加わったところで奇跡の認識の復活が起こることは決してあり得ない。

そう、有り得ないと解っているからこそ、今こうして碑を抱くのだ。





高川山


日本山岳会 山梨支部より転載 


男坂女坂分岐点

1年ぶりの復帰

高川山のてっぺん

2017年の新年登山として
高川山を選んだ。
というより選んでもらった。

三つ峠へ元旦に登ることで、
昨年喪われた時間の続きを取り戻し、
新たなる出発再生
へと繋げようとの試みを提案されたのに、
どうしても
その勇気が出なかったのだ。
迫ってくればその高川山でさえ、
とても不安に思えてくる。
小倉山や扇山、何度も
登り慣れた山ならともかく、

初めて入る山は
たとえ低山であっても、
あれこれと最悪な場面ばかり
想像してしまう。


傾いだ表札

竜ヶ岳の悪夢を超えて!



地図すら持たずに

隊長は用意しておいた地図を置き忘れて来たという。
私も不安ばかり先行してるくせに地図すら持たずに来てしまった。何か変だ。
幸い道標はすぐ見つかり、高川山新コースへの登り口からゆっくり登り出す。
歩き易い良い山道だ。既に登り始めた人の気配ももうせず、静かな道は心地よい。
雪や氷の気配もなく長閑で春の山のようだ。

中央高速からの音が良く響くので、なかなか賑やかだ。盆地の地形が音を反響させてせり上がって来るらしい。
山荘の裏山みたいだと言いながらも、気持ちよく登れる。
「速いじゃないか」と隊長からは意外だと言わんばかりに声を掛けられる。


2日前の三つ峠山から見下ろした高川山の頂にて
2017年1月3日(火)晴 高川山頂から南西の富士山を望む

もちろん頑張っているからだが、実際心配していたよりは足運びはいいような気がしている。
31日に家族たちと高尾山に登ってきたのが、功を奏しているのかもしれない。
昨年山荘の裏山以外で登ったのは高尾山ばかり、いつも混雑した山で、来る人来る人に先を越され、
のんびりを目標に登っていたものの、時には悔しささえ覚えたものだ。

人と比べるつもりはなくても、あまりにも人の多い山ではつい余分な気持ちが湧く。
静かな山は自分のペースで歩けるし、語らうのは心の声と圧倒的な自然だから、自ずと内省的な思考も生まれる。
自然や自分の心と対話するような山が好きだ。




山荘では君子蘭咲き出す
一山登って、未だ午前中に山荘に到着。
なんだか朝トレ気分だったが、
最高の眺望で富士に挨拶出来たので、
新年登山としては満足だ。

早速新年宴会。
新潟から持参した日本酒を味わい、
今年こそは山荘にもっと来られますようにと
秘かに富士に願う。

負けじと蝦蛄葉仙人掌も花盛り



倒木の森は原始の森


朝トレに小倉山を登る。
歩きながら改めて小倉山もなんていい山なんだろうなと感じてしまう。
以前より倒木がかなり増えた印象がある。
多分何年か前に稜線手前の林が切り開かれ、植生が少しずつ変化してきている結果なのではと思われる。
倒木の森は原始の森を思わせて、なぜかワクワクする。

その開けた斜面には、霜柱の花が増えているのを知っていたので、注意して眺めたら、
小さいけれど氷の踊り子たちがひっそりと隠れていた。
山頂の四阿からは、真っ白に輝く南アルプス連山が当たり前でしょと言わんばかりに勢ぞろいして、
新年のご挨拶の顔観せ公演。
天空を飛翔出来るなら、ちょっとだけその頂へ降りてみたくなるような美しい山稜。
それぞれに思い出が詰まった山々に心の中で手を振ってみる。
こういうささやかな幸せが、今年は少しでもたくさんありますように・・




復帰祝いを兼ねて
 
グラステーブルもいいね!

中央に山茶花を


風が強くなってくると、
窓辺のオブジェが猛烈に揺れ、
光と風に乗りくるくる舞って
涙の形の美しい軌跡を描いてみせる。
あまりに不思議な美しい動きに
呆然と見とれてしまう。

山荘の風見計だと隊長は言うが、
まるで此処に吊るされる為に
創られたような不思議な造形物だ。
ずっと柔らかな薔薇色の富士が、





今年はきっと良い年になるよ
とでもいうように、
穏やかな姿をみせている。

蒼穹と対峙することはできたか
どうかよく分からないが、
少なくともささやかな新年登山が
出来たことが、純粋に嬉しい。
良いことも悪いことも含めて、
新しい年が確実に
始まったことを実感する。


 
光を呑もう!
 
越後の銘酒も勢ぞろい



自らの意思で新しい枠を創り上げ

暮に青山でダウン症の女性の書の展覧会を偶然鑑賞した。
書の上手下手は私にはよく分からないが、その人の書の伸びやかな明るさ優しさは、人の心に響くものがある。
会場の隅の目立たぬ壁面に<自由>と書かれた書を見た時思わず立ち止まった。


自由とは、唯縛られない無制限の野放図さではないということ。他者から押しつけられ、
他者によって護られた価値ではなく、自らが何かを壊し、自らを律し、
自らの意思で新しい枠を創り上げていくことなのかもしれない。
そのことを彼女は本能的に知っていて、自ずとその書の形が生れたのではないのかと想像が膨らんだ。

山荘活動もまた、自由を求める活動であればこそ、自らの怠惰を打ち破り、自らを律して、
大地の囁きや歌声に耳を傾け共に歌い汗を流すことで、新しい可能性を切り開く行為なのかもしれない。
そのようにして、ようやくあの小さくても力強い《自由》の2文字が手に入るのかもしれない。
自由が手に入れられれば、世界はもっともっと広がるのだろうか。
それとも案外窮屈なものかもしれないし・・・
なんだかとりとめもないことを思いながら、大地を眺め青空を見上げて、その大きさ広さに安堵した。



 誰も居ない照の山巓
1月3日(火)晴 サングラスを掛けた扇山頂

夕方は早めに稜線散歩へ出かける。鉄塔山への登り口から入り、稜線へ出た途端強い北風に煽られた。
夕陽を追って歩き福生里方面へ降りかけたが、時間は未だ早い。
山荘裏山コースで一番厳しい急登を目の前に一瞬迷ったものの、今日は足の具合がいいような気がして、
目の前の斜面を登りたくなった。
強い角度の斜面は足首のリハビリには持って来い、とばかりに張り切っていたのは半分くらいまで、
こんなに長かったんだっけと思いながらも後半の傾斜を何とか克服、最後は這うように稜線へ
。 

隊長はとっくに姿を消した。金色の光が眩しくて目を細めながら、贅沢な夕陽散歩を堪能。
途中で隊長の吹く熊への警告笛の音が聴こえたものの、影も形も全く見えない。
扇山の手前で暗くならないうちに森の道を下ることにした。
降りながら、この3日間で歩く感触が格段に良くなったことを実感した。
長い距離は難しいと思うが、ゆっくり焦らず自分の山を登れたら・・・いくらなんでもアルプスは高望みかなと思いながらも、
夢だけは持っていてもいいですか?と夕焼け色に染まった富士山に問いかけてみた。



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