仙人日記
 
 その1322ー2016年  霜月

11月1週・・・どうだ、これこそ原始時代からの正統礼服じゃ!

喜びは2倍に・・・悲しみは半分に
11月3日(木)快晴 メイヤー・ライニンガーでの披露宴

姉とは何でも話せる親友のような関係だと思っています。
もちろん姉妹喧嘩も多かったですが、大学生の頃あたりから、2人で買い物に行ったり、カフェに行ったり、
社会人になってからは二人とも平日が休みだったので、休みの日に
1日遊んでなど、本当に友達のような関係です。

仕事、恋愛、友人関係など姉とは色々な話をして、毎回的確なアドバイスをもらっていました。

悩んでいても、姉に話すと身内だからこそ、嘘やお世辞のない、真のアドバイスをくれます。
時には厳しい言葉もありましたが、姉の方が人生経験が豊富なので、
後でお姉ちゃんの言っていた通りだと気付く事が多かったです。




堵列の彼方に

式を終えた2人登場
チャペルから
披露宴への歩み

そのアドバイスのお陰で
前向きにもなりましたし、
それが無ければ
今の私はいないと思います!

いつでも親身になって
相談に乗ってくれる最高の姉です。
私達は性格が真逆です。


だからこそ姉の意見に
そんな考えもあるんだと思ったり、
最近は姉にもこうゆう考えの人も
いるんだよって伝えたり、
お互い、
ない所を補っていると思います!
妹というのは
姉のやる事が気になります!!



フラワーシャワーを浴びて

披露宴会場まで百メートル程



大学時代バレー部仲間の花吹雪


今までありがとう!
これからもアドバイスよろしくね!!
いつまでも仲良し姉妹です
(^^)
ゆきさん、
お姉ちゃん、
改めてご結婚おめでとうございます。

小さい頃から、姉の真似ばかりしていました。
化粧こうした方が良いんじゃない?とか、
服装変とかボロクソに
言われたこともありますが、(笑)
姉に言われると直さなきゃと
焦る自分がいたのを覚えています!!

でもそう、言うべき事を
ちゃんと言ってくれる、親身な姉が大好きです!!



講師時代の同僚からも


親友のような姉  翔子の妹 
左:舞  右:翔子


結婚式当日は気にしていた天気も良くなり、
Hawaiiの空も2人の結婚を祝福してくれたような気がして、ホッとしました。
友達の結婚式は何回か参列した事がありますが、
身内、しかも血の繋がりがあるたった
1人の姉の結婚式は、
自分の事のように朝から緊張してしまいました。



あら、フォアグラのポアレだわ!


他の姉妹より仲が良く、
姉とは色々な話をしてきた間柄なので、
心から幸せそうな姉を見て、
自分の事のように嬉しく感じました。
姉妹の絆を改めて感じた瞬間でした。


今まで、ありがとう!
これからもよろしくお願いします!

ゆきさん、姉を一生幸せにして下さいね!
優しいゆきさんなら安心です。信頼してます!

姉をよろしくお願いします!
 
ウェディングドレスに包まれた姉は、
今まで見てきた中で
1番綺麗で輝いていました!
もちろんゆきさんのタキシード姿も素敵でした

姉が式の終わりに、振り返った時、
泣いていた姿を見て、その涙は幸せ過ぎて泣いているのを、
すぐ感じ取り、
私ももらい泣きしてしまいました。

 
大学時代の仲間と


披露宴に集う貌、面、顔
 悠樹の兄 

今はもう跡形もなくなってしまった
おばあちゃんの家の2階の,
通りに面したやや床の傾いだ部屋は,
とにかく日当りがよく,
置いてある本などは
ほとんど日に焼けて背表紙など
読めないものも少なくなかった。


その強すぎる日差しを一身にうけ,
むきだしのおしりを
健康的な褐色に染めながら,
嬉しげに
手足をばたつかせていたのが,
まだ1歳に満たない頃の
ゆきだったと思います。
とにかく日差しがすきで,
陽にさらされてさえいれば
ニコニコしていたような気がする。

ゆきと一緒に,
なにをするともなく,
ただ無防備に緩んだ時間に
身を委ねることは,
当時のぼくにとっては,
息をするように自然な
(そして必要な)営みだったと思う。

いつまでも続くかのようにも
思えたそんな時間を供にする機会は,
(あたりまえのことだが)いつしか
減りはじめ,いまでは
いつが最後だったのか
思い出すことすら覚束ない。

そして,そのような機会が
訪れることは,この先も
そう多くはないだろう。

久しぶりにゆきの頑丈な体躯を
目にしても,これがあの
弱々しかったおしりの持ち主で
あったことを俄には
信じることができない。

ややもすれば,当時の面影を
無理にでもそこに見いだそうとし,
実際なにかを見つけた気にさえなり,
そっと胸をなで下ろしもする。

でもそれはやはり,
都合良く見いだされたまぼろしの
ようなものなのだろう。

ゆきがいまどのような
時間を過ごしているのか,
これからどのように過ごしてゆくのか,
いまのぼくは(幸いにも)
知らずにいる。

にもかかわらず
(あるいは,であるがゆえに),
よく知りもしないはずの
(現在の,そしてこれからの)
ゆきの幸せを,勝手に願ったりもする。
その願いには当然,
いつまでもあの小さな頃の
ままでいて欲しいという,
身勝手な願いが
紛れ込んでしまっているだろう。

(そう願うときに思い浮かべるゆきの姿は,
きまって小さな頃のままだ)。

それは,率直に言って
はた迷惑なことであるかもしれないし,
鬱陶しくも感じられるだろう。

しかし,そのように思わせた
責任の一端はゆきにあるのだから,
それは運命だとでも思って
諦めて欲しい。

 
ケーキ入刀
 
2人の生誕時と同じ重さの熊
   
     
 
ふと気付けば,窓からは暖かい陽が
差し込んできている。
まばゆい光に包まれ,
ゆるく握られた,
あの小さな手が目に浮かぶようだ。

いまではぼくよりはるかに力強い
拳にそのイメージを重ね合わせるのは,
なんとも愚かしいことだ。

しかし,そんな愚かな人間が
たしかに存在することを,
心の片隅に留めておいてほしい。

翔子さんとふたりで,
豊かな時間を
紡いでゆくことを願っています。
 
 


仙人ものろーぐ・4

しきたり、伝統、形式が体験に基づいた知恵や長い年月の踏襲によって、
徐々に形作られてきたことは確かであろう。
従って新参者はその過去の異物を先ず理解し、受け入れ素直に実行する。
そうすることによって組織にすんなり溶け込み、組織は新参者を受け入れる。

居場所を固め自らの存在意義を不動のものにした後に、
初めて新たなる視点、創造的能動は意味を持ち胎動を可能にする。





高校大学とバレーを共にした荒原貴生君


お兄ちゃん待望の弟でした。

弟が欲しかったお兄ちゃんの樹麗でしたが、
流産でがっかりした経験があります。
悠樹も切迫流産で危なかったのですが、
何とか誕生! 

切迫流産を抑えるために私がしばらく
入院していた間も樹麗は
お父さんと家で待っていてくれました。

 悠樹の母

生まれた時から体育会系?

1980(昭和55)年1029日 
御茶ノ水三楽病院で誕生。
体重3160グラム
元気な産声でした。
お兄ちゃんの樹麗が瞑想する哲学者ような
顔つきで誕生したのに比べ、
悠樹は真っ赤な暴れん坊

といった感じのパワフルな登場でした。
 あまりに元気の良い泣き声に、看護婦さんも、
力いっぱい頑張って誕生して来たんですよね、
と褒めてくれました。


写真家の友人Mrリチャード・ミランダ 




神聖さを象徴する白一色から真紅へ
披露宴のお色直しで再登場

9歳半年下の弟の誕生は本当に嬉しかったようです。
保育園にはおばあちゃんが連れて行ってくれますが、おばあちゃんの家まで、
ねんねこでおんぶして連れて行ったり、自転車の後ろに載せて
連れて行ってくれたりしました。

近所でも評判の弟思いのお兄ちゃんでした。
半分保護者のようでしたが仲の良い兄弟でした。
一緒に育ててくれた千代おばあちゃんに翔子さんを紹介できなかったのが何より残念です。
さぞ喜んでくれたことでしょう。



綺麗なお嫁さんと


スキーは2歳から始め、
すごいスピードの弾丸直滑降がお得意で、ゲレンデの人たちが
思わず振り返っていました。
中学では体操部、高校ではバレーボール部、大学でも
体育会のバレーボール部でしたから、練習は大変だったと思いますが、
高校でも大学でも良い仲間に恵まれました。
なかなか遊ぶ暇がなかったようですが、友達は沢山いました。

名前の由来

二人だけの兄弟だからと、名前にそれぞれ「樹」を入れて、
3月生まれの樹麗は「山に霧が立つ頃」と
「麗しい木」という意味を込め、
10月生まれの悠樹は「山に雪が降る頃」と
「時を超えた木」の意味を込めてあるそうです。
二人ともお父さんの命名。
笑って走

悠樹が走っている写真は、どれを見ても笑っています。
走ること、体を動かすことが嬉しくてしょうがない
という感じでした。

近くのプールは親の付き添いが必要でしたが、
4年生になると一人で
来られる資格を取ることが出来ます。
チャレンジした悠樹の泳ぎが大変キレイで、ギャラリーから
拍手がわきました。
それからは一人で良く泳ぎに行っていました。

 
式に感動して泣きました!とか




仙人ものろーぐ・5

もしや愚息と思い込んでいる悠樹は、
そんな風に社会や常識を捉え、実は虎視眈々と
自らのオリジナリティーを爆発させる場を伺っているのではと、
これまた親ばかチャンリン蕎麦屋の風鈴的思考に陥る仙人。

黒革のスーツが結婚式では禁忌だなんて実はチャンチャラおかしくて、
内心捧腹絶倒しながらマジな顔して 
「結婚式には殺生した黒革のスーツは駄目なんだ!」なんぞと抜かしているに違いない。





相手の家に染まるという意味をこめて
翔子の母

翔子の小さい時はいたずら大好き、
なんにでも興味があってね、
沢山怒った事もあったけど
自分から進んで何でも
やりたい子だったから余り手が
掛からなかったのよ~


舞が生まれた時、
お母さんが入院している
病院へお婆ちゃんと来た帰り際、
「お母さんがいい」
「お母さんがいい」と泣かれた時は
母は涙、涙で病室に戻っても
涙が暫く止まらず出産より
翔子との別れの方が
辛かったのを覚えています。


海へ遊びに行った時、
お父さんとお母さんが
砂浜にシートを敷いている間に

よその家族が楽しそうに
砂で山を作ってると、
その家族の中に入ってチャッカリ
遊んでいる翔子~。

ホントに楽しい所が大好きだったね!
小学校に入ると、
ドッチボールが大好きで、
監督をしていた父さんが
ちょっと力を入れ過ぎて翔子の指を
骨折させてしまい
試合に出られなくなってしまった事が
あったよね~あの時は
辛かったね~。

後から「父
  反省」してたよ!
家で飼っていた犬が
死んでしまった時、
最後にモモタロウのお下の
お世話をしてくれたのが
翔子だったね~あの時は感心したよ!

色打掛に衣装を着替えるとか



生誕時の自分をテディ・ベアに託して母親に


二人から両親へレイのプレゼント
とても嬉しかったよ~ありがとうね。
坂原家と岩﨑家がずっと
仲良くして行けたら最高だね。
ビーチ撮影、一番頑張ったのは悠樹さんだったね。


翔子に日蔭を作ってくれた優しい悠樹さん!

フラワーシャワー、花びらを拾いだす新婦父

皆で拾ってそんな光景
をシャッターに納める新郎父!

皆の暖かさ、ホッコリ感じました
(^^)

挙式当日、新郎の父が
プロカメラマンのように
2人の写真を
撮っている姿に感動!
新婦父がバージンロードを行く時に
足ばかり気にしていたけど、
悠樹さんへ手渡した瞬間は
やっぱり寂しそうだったね~


壇上で誓いを済ませて、翔子が
こちらを振り向いた時のあの涙は、
世界一幸せ者の涙だったね!



熊の足裏に誕生日と体重が記されている 




仙人ものろーぐ・6

そう思わせる出来事があったのだ。
107人の披露宴の招待者の中に、どうも最近愚息が就職した
KPMG
(創業者在籍者4人のパートナーの名の頭文字クリンヴェルド、ピート、マーウィック&ゲルデラー)の同僚が
見当たらないのである。

KPMGと云えば、Wikipediaによると≪
オランダを本部とする世界148か国にわたる
グローバルネットワークに、113,000人のスタッフを擁する
プロフェッショナル・サービスファーム
(知的専門家集団)≫とか。
世界4大会計事務所 (Big 4)の一角を占め、Universumが調査した
「世界で最も魅力的な企業」ランキングでは2010年、2011年、2012年と3年連続で2位に選ばれた、とある。





受付スタッフ
翔子の父

翔子の容姿はなぜか
父親と同じくたれ目で、
何とも憎めないものの、
性格はけっこうな頑固者、
総体的には元気な女性に
育ってくれたと思います。


会場を走るシャンパン
悠樹さんに
横浜のレストランで
初めて会った時の印象は、
我々夫婦が大好きなアスリート!
体育系の男性でした。

性格も容姿も好印象で
ご両親の愛情を沢山受け、
育ったんだなと実感しました。

屋上からは次の花嫁へのブーケが 
聞くと
バレーボールを長く経験し、
今も継続中と聞き、
更に嬉しくなった事、
そして縁を強く感じました。

お台場のビーチバレーの試合を
見に行った時の印象は、
相手との身長差を補うために、
沈み込んでからの

次の花嫁は誰かしら?

ブロックを工夫をしていた姿は
まさしくアスリート。
感動しました。

翔子が選んだ人に
間違いはありません。
是非今後もよき夫婦生活を
送ってください。
応援し続けます。

あたしたちでーす!


送り出しにも会話が弾む


ほとんど家に居ることが無く、子育ては女房に任せきりとなり、
苦労を掛けたことなどが思い出されました。

 式が始まり、入場時に翔子と腕を組んだ時は緊張MAXで、
正直足の左右を間違えないようにと
足元ばかりを気にしていたものです。
当日の朝は我々夫婦と舞も緊張していました。
チャペルに入り二人の姿に感動、
綺麗になった翔子を見て改めて本当に良く育ってくれたと
女房に感謝しました。

幼少時代は、平日は仕事、休日はラグビーにと、
 


車椅子のおばーちゃんも来てくれました 



仙人ものろーぐ・7

就職して2ヶ月足らずの新参者ではあるが、
これほど世界的に名の通った会社の正社員が、華やかな結婚式にぴったりの、
同僚を招待しないのは裏があるに違いない。
結婚式では新郎勤務先としてKPMGの説明と、そこで外国人相手の会計コンサルタントを
新郎は担当しているとの司会者の紹介があっただけで、同社の同僚の祝辞は披露されていない。





終わった、次の2次会は目白駅前のTrad


しかしながら二人に対する気持ちは
一緒だと思いますので、
これからも両家が良きお付き合いを続けられるよう、
今後ともよろしくお願いします。

縁あって二人が出会い、結婚し新たな人生を歩んでいくことになり、
親として幸多かれと祈ります。
出来れば早めに孫の顔も見たいな・・・と思います。


ようやく親としての役目を
果たせたのかな?などと感じつつ、二人の更なる船出を
見守っていく覚悟をしました。
 
岩﨑家は平凡なサラリーマン家庭ですが、坂原家はお二人が揃って
教員として全うされ、今もアクテイブな生活を
送られていることに、ただただ圧倒されました。

 
それでは最後の一枚


結婚式を終えた夕闇迫る神学校
自宅へ向かうチャリンコの母

まー云ってみればこの神学校は目白自宅のお隣さん。
散歩を兼ねて歩いて行きたいが、まさかチンドン屋じゃあるまいし、モーニングを着て散歩と云うのも。
そっか、モーニングをパックしてチャリンコの買い物籠に載せ
革スーツを着て行って、神学校で着替えればいいじゃん!

てな訳で、2台のチャリンコを連ねて颯爽と神学校に向かったのである。



仙人ものろーぐ・8

単なる過去の踏襲では外国人相手の会計コンサルタントが務まる筈はない。
 ははーん、愚息め、実は仙人の思惑を遥かに超えた次元で虎視眈々と
自らのオリジナリティーを爆発させる場を伺っているのだなと、≪直感≫したのである。

それと結婚式の殺生の革スーツ禁忌と、どう関係があるんじゃ!
≪直感だって!≫ あれ、これじゃ再び親ばかチャンリン蕎麦屋の風鈴的思考に陥っているだけでは!
ま、親と云うものはいつでも子には甘くて、仙人も例外ではなかったということか!
呆れたもんだ!失望したぜ!





黒革スーツで2人を迎える仙人

原始時代、人類は自らの唾液で皮をなめして革にしていたというから、
この革を黒に染めたレザーこそ、正に人類の知性を象徴する格式高きスーツ。
≪どうだ、これこそ原始時代からの正統礼服じゃ!≫


ところがどっこい!
失望されたとあっては、例え見習い仙人であっても仙人の名が廃る。
とばかり、仙人は黒革スーツを着て新郎新婦を迎えんと現れたのは、何と現存する電波塔では世界一の高さを誇るスカイツリー。
て、云うか若しかすると例の仙術とやらを使って、神学校をスカイツリーに変えたのかも!

ここ目白神学校から押上のスカイツリーまで直線距離で東へ僅か9,3km、
毎日行っている仙人修行のジョックでなら、30分もあれば楽々行き着ける近さ。
未熟な見習い仙人であってもなんとか術の届く範囲とか。



≪チャペル扉5

≪チャペル扉6

≪チャペル扉7≫ 

≪チャペル扉8≫ 



黒革スーツのモノローグ

展望回廊に拡がる天空を見つめていると、雪の降る季節には些か早いのに、一転俄かに雪が舞い始めたでは!
絡み合いぶつかり合う雪片は離合集散を繰り返し、60兆もの集積を成し、見る間に人型のフォルムに!
新たなトルネードが更なる60兆のフォルムを形成し、
あれよあれよと思う間もなく、タキシード姿の新郎と雪のドレスを纏った新婦が出現!

迎えるは、黒革スーツを着た仙人であることは、云うまでもない。
おや、展望回廊が何か囁いているでは!
【仙人の着ているプリミティブな黒革スーツのモノローグに、耳を澄ましてごらん】


 




子羊して黒革スーツを造るんじゃ!
黒革のスーツ
を造るには先ず、子羊を!

とばかり、茶髪の鬘を着け
一張羅の黒革ワンピース姿で、
森に出陣した仙人。

しかしこの調子では黒革スーツが、
着られるのは
いつのことになるやら!


どりゃ又がしたか!


 嘆きしむ仙人

何じゃと!
≪愚息、愚息とそれじゃ悠樹が余りにも可哀想じゃありませんか!
それに皮を咬み解しなんぞ穢多非人のすることで、今の若いもんは不快に思うだけですよ≫

若しや間違っていたかと慌てて≪愚息≫を調べてみる。
「愚息」とは、「おろかな息子」という意味ではありません。
 「愚かな自分」の息子という意味で「親の自分をへりくだって」いう意味です。
(yahoo知恵袋)

やっぱり間違ってはいなかった。冨美代は高校の国語の元教師、知らぬ筈はない。
となると、「私は知っているが、息子の悠樹は知らないに違いないから自分が愚かだと云われていると思っているのだろう、可哀想に」
となるのか?
となると実は自分の息子を愚かだと思っているのは、冨美代では!




それに革工芸から穢多非人を連想し、だから不快に連なるとはまた何と哀しいことであるか!
毛皮を衣服とし文明への一歩を踏み出した、誇り高き我らが祖先・原始人は、
遥かなる末裔に穢多非人と呼ばれたら哀しむしかないのだ。

いつも一陣の風を靡かせて颯爽と歩む、スポーツ万能でイケメンの息子を仙人がどれほど、そう、正しく愚かなまでに眩しく思っているか、
HPの行間、画像に滲み出ているのに、誰にも伝わらないなんて、そんなのありか?
と、唯ひたすらに落ち込む仙人でした。


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