仙人日記
 
 その1294ー2016年  葉月

8月4週・・・降り注ぐゆぴてるに溺れる心象のウロボロス

遥かなり山荘 小倉山巓ログからの俯瞰
8月21日(日)曇晴 小倉山頂

この山巓のログハウスに来て山荘を見下ろすと、何故か此処までが山荘の庭だなと思ってしまう。
山荘の所有地は3千坪ほどだったような気がするが、所有者が誰であるかなんて、
全く意味の無い事だと、山荘生活をしていると実感する。
畑に侵入してじゃが芋を喰ってしまう子狸や鹿や猪と同じ気持ちになって、
≪つまりだな、おいらが活動するところはすべておいらの庭なのさ!》
と何の抵抗もなく、心からそう思ってしまうのだ。



【Ⅵ】 心臓が口から飛び出し
                                            吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su)

全天を覆っていた雨雲が途切れ、灰色の空の所どころに水色の澄んだ空間が覗く。
まるで天上の池塘のようだ。
ゴアの上下に長靴、手には傘。完全防備で山荘を出発したのに、歩き始めてすぐに雨は止んだ。
うわ―、こんなに急坂だったんだ!

山荘から玉宮の里へ降りる農道はかなりの勾配があることに、今更ながら気がつく。
そういえば、山荘が出来た当時、隊員が集まるときは何時もK2へのトレーニングで、
扇山を駈け登り、枯れ葉沢を下り、里からは農道を走って登り返すのだが、
最後の農道が苦しくてたまらなかったっけ。
心臓が口から飛び出しそうになり、腿は上げられないくらいに辛くなるのだ。





小倉森の樹木との邂逅


そうですか、8か月も
鉄とコンクリートのジャングルで
暮らしていたのですか!
それじゃ、ゆったり逍遥も宜なるかなですね。
森の緑が強すぎて、
目眩を興しませんか?
おやまあ!お久しぶり。
最近めっきり姿を見せないから心配してたけど、
お元気そうですね。
なんか以前より少しゆったりと逍遥してるような
感じもするけれど。

2016年の小倉山初登頂 



山荘からの小倉山ログ遠望

ズームすると人影が!

山荘と繋がった小倉山頂




【Ⅶ】 深緑の海に浮かぶ小舟
                                             吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su

それでもひたすら頑張れたのは
K2遠征を目前に控え、誰もが強い想いに支えられていたからだ。
さて、今の私はあの頃よりもしかしたら、
気持ちの上では強くなったかも知れないなと感じることがある。
多分それが経験を積み重ねたということの結果なのかもしれない。
(老化によって感受性が鈍ってきたというだけなのかもしれないが。)


ということで、まだろくに曲がりきれない足首だが、
急な斜面を下ること、山道を登ることを試してみたくなった。
多分まだ人からは無謀だと言われそうだが。
其処はヒマラヤ隊員で仙人の弟子、無謀なことに挑戦するのが生き甲斐なのかも。
里に下り、ちょうど山荘の対岸にあたる水晶山の麓の農道をゆっくり巡る。
森の木々に囲まれ、深緑の海に浮かぶ小舟のように、山荘が中空にその存在を示す。




炭流し蝶の偵察

蝉の抜け殻のお出迎え
どれどれ還って来たって!
ほんじゃま、いの一番に偵察じゃ!
おや、なーんも変わらんじゃんか。
ふつー、8か月も
歩けなくなって、食べるだけが
関心事になると、
ぶくぶく、ブクブクと脂肪が着くんじゃが!
どうしたもんじゃろな!
さっぱり太っとらんじゃないけ。
蝉の抜け殻も干からびた鍬形も
ぽかーん!

きっとリハビリに気合を入れて
あんまり頑張るもんだから、
脂肪も吃驚こいて、
取りつく暇も無かったんだろね。

干からびた鍬形もむっくり

使者の褄黒豹紋蝶



小倉山とヒマラヤが同列の存在

6300メートルのK2キャンプ1への登攀中に
直ぐ目の前の氷壁をアメリカ隊員の
スチーブが墜落し即死。

更にウクライナ隊員4名が風雪に呑まれ、
3名が行方不明、
韓国隊員が固定ザイル切断で落下、
我が隊の大神田隊員も落石負傷で
6針縫合と遭難事故続出。
1994年のK2遠征ではK2が、如何に
困難で恐ろしい山であるかをまざまざと、
見せつけられたね。
何だって小倉山がヒマラヤになったって!
標高8611メートルもある
K2峰になったら小倉山の奴、泣いて歓ぶぜ!
2016年8月現在情報で、
冬期登頂を許していないヒマラヤの高峰は、
K2だけだからね。
 
金色の時の欠片が舞う



【Ⅷ】 夏の断片を集めた碧空
                                             吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su

こちら側からはちょうど見上げる形になり、山荘の存在そのものがかなり目立つのだ。
背後の扇山の山稜は、稜線の形に垂れこめた白い雲に半分隠され、その分より大きく見える。
扇山の懐に建つ山荘は、天空の砦ゆぴてる号といった風情だ。

寒風の中で建てたログハウス、薄の切り株と格闘しながら開墾した葡萄棚跡の畑、
ずいぶん様々な労力を注いできたものだが、お蔭でゆぴてる号はますます輝いている。

山荘に関わってきた人間たちは、それぞれに歳を重ね、山荘主もやはり老いてきたが、
それに引き換え山荘そのものゆぴてる号は今まさに、充実した壮年期を迎えているのかもしれない。
遠いヒマラヤの空を想わせる澄んだ空色、
千切れて粉々になりかけている夏の断片を集めたみたいな青空が、雲を掻き分け広がろうとしている。
「富士山が見えた!」と叫ぶ仙人の声に振り返ると、
広がった青空を背景に、真っ青な富士がその姿を半分だけ見せている。





モロッコがってジャングルに 
「愉しい!
畑仕事がこんなに
愉しいなんて
すっかり忘れていたわ」

モロッコの繁っている
葡萄畑の柵側は、
傾斜がきつく動きにくいし、
狭いので、
モロッコの収穫は大変!

それでも愉しいだなんて、
やっぱ、
山荘が大好きなんだね。
赤い血は循環し
永劫に巡り続け、
やがて融けあい消滅する。

そのように生き続け
消えてゆく存在でありたいと、
ゆぴてるの森の
圧倒的な香りの中で、

何時かその森に還って行く日を、
森の香りになって
気中に解け入る日を
夢見ています。

ゴーヤーも南瓜も胡瓜も沢山収穫 



【Ⅸ】 喪われた時間を実感
                                             吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su

意表を突かれた。当然のように真っ白な頂を抱えた富士がいるものだと思ってたから。
そうだ、今は夏の終わり、8月の富士山に雪は無いんだった。
そんなことも忘れてた。
元旦の富士がずっと心の中に居座っていたので
、いつの間にか富士山の心象風景が固定されてしまっていたのだろう。

富士山を目にするのはあの日以来、あらためて8カ月という時間の長さを思う。

真っ白い富士山のように凍てついていた時間がやっと解け、動き始めた。
山荘に着いた時、実はあまりにもすんなりとその風景の中に入り込んでしまえる自分に驚いたのだ。
もっと不在の時間を実感して、懐かしさに襲われるかと思ったのに、
まるでついさっきまでいた場所に戻ってきたような感覚、
何の違和感も無く、雨模様の山荘風景に溶け込んでしまった。
長い夢を見ていて、今目覚めたような気分だったが、青い富士を目にして、
初めて現実の喪われた時間を実感した。





味の濃い枝豆になりました

辛い夏大根は下しが最高

取りきれない隠元とオクラ

生でガブリ、肉厚ピーマン
少し塩して数十分、
沸騰した鍋にぶち込み、
再沸騰してから正確に3分。
これはキッチンの砂時計で計り
3分ジャストで笊にあける。
水蒸気が立ち昇る。

瞬時に、枝豆のあの濃厚な匂いが
キッチンを満たしす。
この噎せ返る様な匂いが何故か、
市販の枝豆には無い。
無農薬、有機栽培の成果かな!


春菊はサラダ&天麩羅に

今夏3回目播種の胡瓜収穫

初めて種から育て収穫したトマト

御免!取れ過ぎて捨ててます


 さあ、それではシェフの出番で-す
8月20日(土)曇雨曇 キッチン

足は思ったよりもずっといい状態みたいです。
痛みもほとんど出ないで済んでいます。
ケアもしっかりしたけど、これからはどんどん使うことで慣れていくのが
大事だと実感しました。

元に戻ることは無いけど、今できる機能をよりよい状態にしていけば、
もう少し高みを目指せそうな気がします。
8か月の時間があらためて、意味のある時間だったと言えるようになれるかもしれない。



【Ⅹ】 奇蹟の美酒・K2遠征出発
                                             吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su

初夏のある日、1994年6月20日と記されたシールが貼られた梅酒の瓶が思いがけずに発見された。
母が毎年浸けていた梅酒が棚の奥深くにしまわれたまま放置されていたのだ。
恐る恐る飲んでみたらめっぽう美味しい。
本物のヴァンテージものだ。
深い琥珀色に醸され、香りも味もたとえようがなく奥深い。
奇しくも94年6月20日はK2遠征へと出発した日である。
その日から、硝子の瓶の中で時を重ねてゆっくりゆっくり熟成され美酒になったのだ。

もし再び山荘に行かれる日が来たならば、
この梅酒をどうしたって持って行かねばなるまいと、奇跡のような出来ごとに希望を抱いた。
一番辛かったリハビリの真っ最中だったから。
22年間の時間の堆積、そのことが私自身をどのように熟成させてくれたのであろうか、
もう一度原点に帰って、これから目指す終焉への道のりを如何に生きていくのか、
梅酒の芳醇な香りに負けない私の歴史を刻んでみようか。





ドアに明かり窓を
下界では台風7号の影響で
大雨注意報が出て、
彼方此方で被害が出ているのに、
降って欲しい山荘では
パラパラとそれらしい兆候を
見せたのみで、相変わらずの水不足。

仕方なく畑に水を
撒かねばと奥庭の蛇口を捻ると、
ありゃ、水が出ない。

このドア金属製穴が開かん!
しまった昨夜来の数度にわたる落雷で
揚水ポンプ室のブレーカーが
飛んだに違いないと、
ポンプ室に駆け付ける。

回復措置としてブレーカーを
一度降ろしてから、上にあげるが、
ポンプはうんともすんとも云わない。
変だな?ポンプ室を開け、
配電盤を観るとランプが総て消えたまま。
つまりブレーカーを上げても
通電してないと云うこと。
 
 
落雷でポンプ停止東電来る

こりゃこの辺り一帯が被雷し
停電になっているのに気がつかなかった
だけなのかと、そく山荘に戻り玄関の
ライトのスイッチを入れると、
つくではないか!

山荘とポンプ室は数百メートル
離れているので、
配電エリアが異なり山荘は
通電していても、ポンプ室に
給電している変圧器は別で
そこが停電している可能性あり。 


先ず本線ブレーカー点検ポンプや屋る

こりゃ基盤交換ですね!

となると福生里会の
全メンバーに報せ同意を取り付け、
収支費用の分担依頼をせなばならず、
問題は費用の支出だけにとどまらない。
先ず急いで甲府の
西嶋ポンプに電話をいれると何と、
本日は葬式で急いでも
明日の出張になるとのこと。

この暑いときに断水となると、
頼るは扇山から引いている沢の水のみ。
しかしこいつも最近の雨不足で
ちょろちょろ。さーてこれから
その専門業者がやってくるのだが、
果たして回復するのか!

しかしこれだから
山荘の自立生活は面白いね。
さーもっともっと、いろんな問題め、
やってこい!
なんでもバリバリ即解決してやるぞ! 

配電盤ブレーカー飛んでる

そこでポンプ室のある地点番号
03-0011-2080-3140-0920-0113
東電に連絡し停電の有無を問い合わせるが、
停電無しとのこと。
しかし現実に通電してないとなると、
近くの変圧器が被雷してる懼れあるので、
急遽職員を派遣すると
小気味よい素早い反応。嬉しいね!

最近パソコンのブロバイダを
so-netからau光に替えたのだが、
詐欺擬きのau光の対応に
怒っていただけに、
この東電の対応には心底嬉しか! 


と、歓んでいる訳にはいかない。
職員が来た結果、
配電盤のブレーカーが飛んでることが解り、
そのブレーカーをいったん下に下げ、
再び上げて回復させると、
今度は電柱のメインブレーカーが飛んでしまう。

つまり配電盤内部が漏電しているため、
過電流が流れ電柱のメインブレーカーが
飛んでしまうと判明。
こうなるともう専門業者に
来てもらって修理してもらうしかない。

 

基盤が落雷で漏電してる

基盤発注し架設配電盤設置




【Ⅺ】 畑仕事・美しい汗
                                            吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su)

早朝の畑は、まだひんやりとした夜の空気を逃さず、働くのにはちょうどよい。
葡萄畑の急な斜面を滑らないようにしながら畑へ入る。
畑の縁にぐるりと植えられ実っているモロッコ豆の収穫を任される。
実りすぎて固くなってしまった豆は種として収穫するのでそのまま放置。
程よい大きさの豆を採るのだが、あるわ、あるわ採っても採っても採りきれない。

結局畑の半分くらいしか収穫できなかったが、
それでも籠から溢れんばかりで、運んで行くのも一苦労するほど。
他の野菜たちの様子を見る暇も無く、所々にトマトの赤が鮮やかに目に映るが、
あとは全面緑に覆われ、どの野菜がどうなってるのかよく分からないほど。

それでも久しぶりに触れた畑仕事はとても充足感がある。
奥庭の果樹たちはそれぞれに大きく枝を伸ばし、元気が良い。
でも林檎の太い幹が折れてしまったのを見ると、何だか切ない。




夜明けの雲海に揺蕩うウロボロス
8月29日(月)曇時々晴 コスモの奏でるカロスキューマ

 
Πυθαγόρας おーなんと云う魅惑に満ちた言語。
当たり前のことだが、ギリシャ人はこれをピュータゴラースなんぞといとも簡単に読むのだ。
サモス島で紀元前582年に生まれ紀元前496年に86歳で死んだ。
ピタゴラスの定理なんぞを教えながら、ヒマラヤに通い続け、生き永らえて来た仙人にとって、
ピタゴラスは云わば仙人の師のようなもの。

このおっさん一派が≪存在者のすべてがハルモニアやシンメトリアといった数的
で美的な秩序を根源としているコスモスなのだ≫
と放った言葉を、このオーストラリアから連れ帰ったモビールが、雲海に揺蕩い風に乗りハミングするのだ。
永劫回帰、永遠の円運動、宇宙の根源、全知全能、不老不死を
象徴するウロボロスは、それを聴きながら2千5百年の時を超え、ピタゴラスの血の律動を呑み込むのだ。



迫りくる雲海
コスモの波動

背後に朝焼け雲海
 

コスモを呑込み

オーストラリアの山ん中の
小さな村・キュランダで
一目惚れし、
山荘に連れ帰ったモビール。
核から広がる波動は、
サモス島の調べを静かに奏でる。


すっかり山荘の住人になり、
雲海と語り合う姿は、
とても未だ
8か月の新人とは思えない。
名前を着けてあげよう。
今日からお前は≪コスモ≫だ!


明ける雲海の里

背後に源次郎岳




【Ⅻ】 贅沢で豊かな行為
                                            吐蕃子བོད་ཆེན་པོBod chen po su)

芝生が新たに植えられ、緑が活き活きとしている。
彼方此方に、仙人がいかに手を入れ、山荘を大切に育てているかを感じさせる何かが見つかる。
山荘は生きているんだなと実感させられる。
どうもこの山荘<ゆぴてる>には人を選んで働かせる魔力が備わっているのでは?
と思わさせられるほど、ここにいると休む間もなく動くことになるのだが、しかし、
動けること働けること汗を流せることは、実はこの上も無く贅沢で豊かな行為なのだと言える。


そのことを、
8カ月もの空白の時間で全身で感じている。
そういえば、ゆぴてるの誘い文句は
汗の美しさ、生命の歓びを創造する絶好のサイトでしたね
新生の夏としてはやや遅いけど、晩夏の出発もまた悪くない。
畑仕事で、山登りで思い切り動いて汗を流せる時間、その後の心からの爽快さをまた得るためには、
まだまだ時間がかかりそうだが、その為の試歩が踏み出せたことは、
ものすごく嬉しい。




降り注ぐゆぴてるにれる心象のウロボロス
8月29日(月)霧雨時々晴 ウロボロスと木星の邂逅

堪らなく惹きつけられるのだ!
山荘のテーマであり守護神でもある木星が、水の星々となった水晶に映し出されウロボロスに降り注ぐ。
自らの心象風景に潜む背景を追っている過程で、巡り逢った木星とウロボロス。
その2つのカオスがレンズを通して光を収斂させると、如何なる像を結ぶのか?
求めていたレンズは、予期せぬフレーズであった。≪天岩戸を開けて、そろそろ出てみようかしら!≫

ガニメデの天窓が開き、天照大神が降臨し、2匹が輪になって相食むウロボロスが褄黒豹紋蝶に導かれ、
木星の大気圏に深く侵入し、コスモスに迫る。
試行錯誤を重ね、レンズが描き出すイマージュを繰り返し繰り返し塗り直し、在るべき輪郭
を探る。
しかしイマージュは焦点を結ぶ気配を見せず、像はピンボケのまま。
そこに突如現れたのが、テラスに巣食う蜘蛛と無数に降り注ぐ天空からの水の星々。
蜘蛛の巣に捕えられた雨粒と木星を背景として、どうですか心象のウロボロスが姿を現したではありませんか!



無数の水晶に

Petrus ApianusのCosmographia
(Antwerp, 1539)に描かれた中世のコスモス
(wikipedia)

水晶がレンズとなり

Petrus Apianus

ペトルス・アピアヌス(1495–1552)
ドイツの数学者、天文・地理学者。
インゴルシュタット大学の数学教授。

彼は古代ローマ時代のギリシャ系地理学者
プトレマイオス(Ptolemaios)の説に従い
天動説を採用、地球を中心に
月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星
その他が回転するものと考え

さらに地球を5気候帯に区分している。
 
 
  本書が同じく、ドイツのルネサンス時代の
地理学者ミュンスター
(S.Münster,1488? –1552)の
„Cosmographia“(『宇宙誌』)と共に、
ヨーロッパ各国の言語に翻訳され、

ヴァレニウス(B.Varenius, 1622–1650)の
“Geographia Generalis”(『一般地理学』)が
出るまで、地理学的知識の普及に
果たした役割は極めて大きい。  
アピアヌス 『宇 宙 学』より)

水晶に宿る木星

虚空への旅立ち



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