仙人日記
 
 その127の12016年  水無月


6月1週・・・れたってりべ L'été est arrivé


左前脚をワイアでめられた鹿
 に捕獲された鹿
6月5日(日)雨晴

梅の収穫を始めようと
雨の中、梅畑に降りたら、
動物の気配。
昨年生まれたらしい
若い小鹿が
左前脚を罠に捕わられ必死で
逃れようともがいている。

血の滲んだ左前脚は
逃げようと暴れまくった為か、
骨折し
完全に折れ曲がっている。
小型カメラは壊れているので、
大きい方のペンタックスK-xを
急いで取りに戻り撮影。
広瀬さんの仕掛けた罠なので
即知らせてやろうと思ったが、
考えたら今日は
卒業生が子供を連れて陶芸に来る日。
子供たちに罠に捕えられた鹿を
見せてやってから
知らせても遅くは無いと考え直す。

左脚に食い込んだ

哀しみすらないあまりにも無邪気な
雨の鉄塔森の逍遥トレーニングを
終えて山荘に戻ると、
「本日は雨なので子供たちは
活動出来ないと思うので欠席します」
とのメールが橋野から入る。
捕えらえられた鹿を子供たちに
見せてやれなくて残念!

それに10人分の食材を揃え
調理準備をしてある。
雨ですからと4人の
ドタキャンを平然と告げるとは
どんな神経しとるんじゃ!

因みに山荘では
午後から快晴に近い碧空が拡がり、
陶芸活動もテラスでの晩餐も
笑顔が溢れる。





作陶小屋で先ずは菊練りから


それじゃ次に山荘の鉄分の多い関東ローム層の
赤土を混ぜて、菊練りをやってみよう。
こうすると灰色の志野土に赤が混じり
菊練りの練り具合が一目瞭然になるだろう。

それに粘土の柔らかさが異なるから、
しっかり練らないと
均質な柔らかさにならず、作陶出来ない。
赤と灰色の縞模様が消え、
更に粘度が均質になったら轆轤室に移ろう。
久々の陶芸活動
6月5日(日)雨晴

各自に1.5kgの粘土を渡し
作陶小屋で菊練りからの指導。
作陶小屋の水道も久しく使っていないので
詰まった枯葉を除去したり、
水源バルブを開いたり、作陶板を揃えたりと
久々の陶芸教室に大忙し。
その後、轆轤室に移動、
したっぷり4時間ちかく轆轤修行に励む。


轆轤にばれてる佐々木さん


先ず円筒形に立ち上げる
綺麗な円錐を作って
底面を轆轤の円に合わせて置き、
先ずはブレの状態を
指で確かめ芯が大きくずれていたら
再度置き直す。

スプレーで円錐に霧を吹き
手を水で濡らし
粘度と手の摩擦を減らし、
轆轤の回転開始。

しっぴき(切り糸)で台座を切る

上縁に凹凸が・・

切り弓で水平にして・・

器の外側にも手を添えなきゃ駄目!

早速昔の勘を取り戻した宮澤君
轆轤に遊ばれている
佐々木さん。
えっ、むかし原宿の陶芸教室で、
お皿やカップだけでなく、
大きな電気スタンドを作ったりと
本格的に活動していたんだって!

それなら直ぐに
手が思いだして轆轤なんて
御茶の子さいさいさ。
何だって、この手には脳味噌が無いから、
思い出すのは無理だって!

それじゃあの沢山の作品は
誰が作ったの?
師匠が芯出ししてくれて、
ちょっとぶれると直ぐ直してくれるから
ぜーんぜーん問題ないって!

そうか、それじゃいつまで経っても
手には脳味噌は着かないね。

ありゃ、凹んだと中川君



大根、春菊の収穫

蕪も大根も葉が美味しいよ

次はじゃが芋



作陶後、春菊、蕪、大根、
じゃが芋、と野菜の収穫をし
晩餐の準備。
メニューは
アスパラのばら肉巻、
スペアリブ、モツ煮込み、
海老サラダ、生ハムで畑の

ブロッコリーを巻き、
採り立ての畑の春菊やレタス、
青梗菜、蕪、クレソン、
大根等をあしらえ、
地元産の赤に近い黄身の
ゆで卵を載せた豪華サラダ。

の最中に馬淵君が到着
レタスに載せられた
さり気ない数の子も憎いね!
なんといっても晩餐の主役は
採り立ての
じゃが芋のから揚げ。
冷たいオイルに入れた
小さなじゃが芋を
180℃まで加熱し、

油切り網に載せ素早く
オイルを落とし塩胡椒を
振り掛ける。
ただこれだけのことなのだが、
実に美味いのだ!


採り立てで先ずビアを飲み乾し

《45歳位から自己を抑え、周りと合わせるようになりました》
と語る中川君。

でも抑えきれない自分が居て、
そいつが徐々に蓄積され、どうしても堪え切れなくなったら、
フルマラソンで肉体を痛めつけ、
精神をぎりぎりまで追い詰め、
もう一人の本当の自分に逢いに行くんだ。
昏い自嘲ぎみの笑顔が、そう語っているような!


《JTのデザイン部門は廃止され今は事務屋で欲求不満です》
と語る宮沢君。
そう云えばタバコの包装紙のデザインをしていた頃は、
しょっちゅう山荘に入りびたり
ログハウスには自分専用のCDを置いて、
酒を酌み交わし語り合い、音楽を愉しんだっけ!

デザイン創造が宮沢君を生き生きとさせていたんだ!
生き返れよミヤジ!

 
いいですねアスパラ肉巻き!


豪華なサラダ

初夏の

しかし今日の陶芸会員たちは
キッチンの勝手知らずで
まごまごし役立たず。
指示するより自分でした方が早いので
忙しく動き回る。

下準備をしてくれた会員は
居たものの調理準備の殆どを
一人でこなさねばならず、
専用シェフの必要性を実感!

作陶手順を整え
野菜収穫をスムーズに行うために
あらかじめスコップで
じゃが芋の根を掘り込み、
各自に収穫袋や籠、移植ごてを
渡しハイどうぞ!

幼稚園児の
芋掘り遠足じゃあるまいし、
此処まですることはないのに・・・。
この畑作の超忙しい時に
己は何をしとるんじゃ!。 

彼らは充分に労働意欲はあり、
時間さえあれば、貴重な戦力として
畑作に勤しむのだから、
これは明らかに仙人の不手際、
作戦ミスによるもの。

まー次回陶芸教室を開くとしたら
時間をたっぷりとって
調理にも畑作にも
しっかり汗を流してもらおう。

アスパラ肉巻き、スペアリブ
 
 
採り立てのから揚げ美味
 
デザートはメロンと葡萄、ブルーベリー 



れてったりべ L'été est arrivé
 
テラス画廊に描かれた今夏初めての豪快な積乱雲
6月3日(金)晴 テラスから

最初の積乱雲が夏を引っ提げて、テラスの画廊に豪快な油彩を書き殴ると
反射的に呟いてしまうフレーズ。
それが何故か、《れたってりべ》なのだ。
自慢じゃないが大学で第二外語として確かにフランス語をとったが、話すは愚か読むことだって出来やしない。
だいたいこのフレーズと、どの本で出逢ったのかすら覚えていない。
《れてったりべ》 発音だってこれでいいいのか実は解らんのだ。

《夏が来た》と云う意味だが、それならば《L'été est venu》と書くべきだが、敢えて《着いた》、arrivé
使うなんぞ憎いな、と思った記憶が僅かにあるだけ。
そんなにもお前は夏を待っていたんだ!
夏は勝手に巡ってやって来るような自然現象ではなくて、心から待ち望んでいた大切な人だったんだ!

 


CMコーナー

右口絵:《御殿女中》(女子美卒業制作・彦乃19歳)
左口絵:《初春》(雑誌・少女の友掲載・彦乃20歳)


笠井彦乃は若しかしたら
竹久夢二よりも優れた絵の才能を持っていたのでは?
そう思わせる力作が《御殿女中》であり
その後に続く《初春》、《春の灯》、《寒牡丹》・・・である。
軸装の1m32.8cm×61.9cmの卒業制作画
《御殿女中》は、彦乃19歳の作で、
期待され第10回文展(文展→帝展→新文展→日展と変わる
官展の流れを汲む総合美術団体)
に出品するが落選。
夢二を変えた(ひと) 笠井彦乃

    著者 坂原冨美代
発行所 論創社
2016年6月25日 初版第1刷印刷
2016年6月30日 初版第1刷発行
          定価 本体2200円+税


右上口絵:《春の灯》(雑誌・新家庭掲載・彦乃20歳)
右下口絵:《寒牡丹》(雑誌・淑女画法掲載・彦乃20歳)
左上口絵:《花散る下にて》(雑誌・少女の友掲載・彦乃20歳)
左下口絵:《こぶし》(雑誌・不詳・彦乃21歳?)
 

昭和38(1963)年、
東京新宿伊勢丹デパートの
竹久夢二展会場は、
夢二ファンで
ごった返していた。

母と17歳だった私は、
そこで夢二の代表作
《黒船屋》と出会った。
初めて出会ったその絵の前で
母と私は
「彦姉さんだ」と、
思わず声を上げていた。

我が家に残された写真、
京都東山病院入院中に
椅子に掛けて撮った彦乃の姿は、
そのまま《黒船屋》の
女性に生き写しだった。


「《黒船屋》との出会い」より



彦乃の絶筆
口絵:《あじさいの女》
屏風画・大藤家への贈呈品・彦乃22歳)
 

 坂原冨美代

1946年5月東京都文京区に
生まれる。
東京学芸大学教育学部卒業後
都立高校の教員として
38年間勤める。
定年退職後、母の収集した
彦乃資料を整理し始める。

「彦乃日記を読みながら、
笠井彦乃と夢二
湯涌の日々を胸に抱いて」
「金沢湯涌夢二館 2014年」
がある。

現在、夢二研究会代表、
現代女性文化研究所理事。

「奥付きより」

【下右ページ】
右上口絵:《七夕》雑誌・少女の友掲載・彦乃21歳)
  右下口絵:《黄菊白菊》雑誌・少女の友掲載・彦乃21歳)
 左口絵:《合作の帯》彦乃と夢二が甲斐絹の帯地に描いた作品)

【上左ページ】
右口絵:《灯篭流し》(竹久夢二筆・彦乃鎮魂の作品)
左口絵:《宝船》
(竹久夢二筆・木版画)

《黒船屋》

夢二の脳裏に焼き付いた彦乃の眼、
京都東山病院の石垣に登って垣間見たあの眼が、
そのまま黒猫を抱く女性に写されているようだ。
その切ない眼差しに、夢二は彦乃への愛の祈りを込めたことだろう。
・・・・・
夢二はさっそく彦乃に《黒船屋》を見せる。
今度のことで、夢二が絵を描けなくなるのを何より
恐れていた彦乃は、立派に立ち直った夢二に心から安心し、
その出来栄えには息を呑む想いだっただろう。

(本文268ページ)
《あじさいの女》

《あじさいの女》は、情熱と強い意志とで
手にした幸せを、静かに噛みしめる彦乃自身だろう。
穏やかな女性の顔には、
愛に満たされた幸せと、生が孕む哀しみも従容として
受け止める覚悟とが映し出されている。

夢二は制作中の彦乃を写真に残している。
夢二もこの絵の制作に立ち合い、
画家としての彦乃の才能を認め、完成を心から
喜んでいたのだろう。

(本文226ページ)


右写真:《入院中の彦乃》(京都東山病院にて)
左口絵:
《黒船屋》(竹久夢二筆・彦乃写真とそっくり)


薔薇の滴る匂いに包まれる残雪富士
6月3日(金)晴 テラスから

 
夜明けに薔薇に包まれると、滴る露に濡れそぼつ富士は大きく息を吸い込み、薔薇の香に染まる。
あーこうして富士は薔薇から命を降り注がれ、活火山であることに思い至るのだ。
吸い込まれた薔薇の香は大地に潜むマグマの真っ赤な血潮と混じり合い、互いの命を加速させ絶叫の瞬間を待つのだ。
さあ、爆発するがいい、そうしてお前は自らの存在証明を果たすのだ。

11歳まで富士に抱かれるようにして育った彦乃は、富士に潜むマグマの真っ赤な血潮に、自らの生を覚醒させ、
存在証明を果たすべき神託を予感したのだろうか。
若しも夢二なんぞと云うやくざな触媒に触れること無く、自らの画才を開花させたなら、
彦乃は自らの生を覚醒させ、存在証明を果たすべきムーサの神託を聴いたに違いない。

彦乃を山と呼び≪山へよする≫と題された歌集出版後、夢二は友人への書簡でこう記している。
≪私は彦乃の愛人としてもやくざな男に過ぎなかったのです≫
夢二は誰よりも誰よりも、よく知っていたのだ。
彦乃の深奥に潜む燃え滾る血潮が芸術に昇華し花開くのを、やくざな男が毟り取ってしまったと。


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