仙人日記
 
 その125の32016年  弥生


4月3週・・・仙人が999の駅長だった頃のメッセージ

目白散策 細川越中守の下屋敷


花吹雪が川面に舞い花筏となって流れる(神田川撮影4月6日(水)

不可能
著者:松浦寿輝

いやー参った!
面白さのレベルが格段に高いでは!
あんまり惚けの度合いが
酷いので読み直してみても
いいかと思ったのと、
「未だ生きてる三島由紀夫を
書いていて浦の着く
作者の作品なんですが、タイトル、
作者解りませんか?」

と図書館員に訊いておいて、
その本を借りない訳には
いかないとの理由で
松浦寿輝の「不可能」を
再び借りた。
「新カラマーゾフの兄弟」と
「バラカ」を読んでる最中だが、
ページを開いた途端一気に
引き込まれ改めて松浦寿輝の
豊かで鋭い感性と
発想に畏れ入った。

亀山郁夫は勿論
桐野夏生なんか足元にも及ばない
のではと、嬉しくなって
読みかけ中の亀山、桐野の
2冊を放り出し、
5年前に読んだ「不可能」を再読。

最初から読むのでは
芸が無いと適当に開いたページが、
何と驚いたことに5年前に
強烈な重力波を放った
センテンスの潜む124ページ。

三島の首とその首を切り落とす
刃との「距離の庇護からの
脱出こそが、生涯を通じての
俺の賭け」
と述べる
≪5章竹林まで≫の124ページには
こう書かれている。

両岸から迫る染井吉野櫻花の川(神田川)



光が花弁の流れを切り裂く

受精を終えた花弁が散る

距離は俺を庇護してくれるのだ。距離さえあれば安全なのだ。
俺の矜持も自己愛もことごとく距離をどう保持するかにかかっていたのだ。
そしてそんな自己保全の安息を、ウロボロスの自意識の迷宮への引き籠りの幸福を、俺は心底憎んでいたのだ。


まさかすっかり忘れていた筈のあの重力波を放つ124ページに、のっけから襲われるとは!
距離があるからこそ生きていけるのに、距離の庇護からの脱出に生涯を賭ける平岡(三島)は、
生の空間の歪みを切り裂き、零にせんとばかりに重力波を発する。
重力波を発すれば発するほど生の空間は歪むだけなのに!


 
伯爵夫人
著者:蓮實重彦

片山杜秀の文藝時評を
読んでしまったら、
蓮實重彦の「伯爵夫人」を
読まずには居られない。
発注すればいつも即
手配してくれる塩山図書館には
文藝時評を読み終わるのも
もどかしく、速攻で発注したが
月刊誌なので1か月後でないと
貸し出しは出来ない。

それまで1カ月も
待っているなんて残酷物語。
そこで神田川の
お花見を兼ね外出し、
細川越中守の下屋敷を散策し
目白台図書館を覗いてみる。

「新潮4月号は
此処には置いてません。
お取り寄せしますか?」との返事。
仕方なく本屋に出向き
訊いてみると「売り切れました」。

それじゃ最後の手段と
豊島区中央図書館に
愛車を走らせる。
やっと巡り会えたぜ!
とばかり読みだした途端、
あまりの面白さに即中断。
これは自分で買って
じっくり愉しむべしと在庫探し開始。

塩山ならきっと
手に入るだろうと塩山図書館近くの
本屋・一三堂を訪ねるが
売り切れ。
お馴染みの天真堂に電話すると
「1冊あります。
とっておきますか?」とのこと。
「はい、これから直ぐ
伺いますので宜しく!」
バイクを走らせ  
やっと手にした「伯爵夫人」。
現在80歳(1936年生)
元東大総長・蓮實重彦は
何を語るか?

天空を映した川面に流れる花弁銀河
喪失感の昇華

肉体機能の喪失は、
失われたものが
明確であるが故に、
失うことによって得られる歓びも
具象的で目に見える。

日毎の遅々たる僅かな回復に、
湧き上がる新鮮な歓びを
見出すことが出来る。
積極的にその歓びを
追い求めるなら、
肉体機能の喪失以前には、
決して得ることの出来なかった
生命の新たな可能性や歓びさえ、
手にすることが可能となる。

一方クレバスに落下し
致命的な負傷は
しなかったものの
救出を求める通信手段が絶たれ、
脱出不可能の
窮地に追い込まれたダメージ。

激しい雷と風雨に襲われ
飛ばされそうな稜線のテント内で、
為す術なく
刻々と迫りくる死と対峙した時の
出口無き絶望。

それらによって損傷した
精神機能の喪失は、
何を齎すのであろうか?

更には共にザイルを組み
生死を共有にした8人もの
ヒマラヤ隊員の
遭難死による喪失感。
仙人のそれらの体験によって
失われたものの対極に
得るものはあったのか?

徐々に回復していくならば、
肉体機能の喪失と同じ様に
生命の新たな可能性や
歓びを見出し
喪失感の昇華へと途が
開かれるのだろうか?


神田川畔にある細川越中守下屋敷

池面には櫻花弁
精神機能の喪失

そんなことを考え乍ら
壊れた鹿威しを修理し、
今にも雨が降りだしそうな
扇山に向かう。

外れてしまった鹿威し支柱の固定、
テグスが切れてしまった鐘の
振り子の修復、
いずれも根本的な解決策が
見出せなかったが
扇山の森で突如解決策が閃く。

こんな単純なことが滅法嬉しい。
この歓びが畑の耕作や
収穫と同じ素朴な大地讃頌の
歓びと同質であることに改めて驚く。

そして実はこれが
損傷した精神機能の喪失と密接に
繋がっているとの予感しきり。
果たしてこの喪失感と大地讃頌の
歓びの結びつきを
言語化できるだろうか?

 
仙人専用露店書斎 

この細川越中森の下屋敷は、
仙人の目白の庭。
原稿用紙と鉛筆を持って
朝からこの庭の高台にある
お気に入りの露店書斎に篭り、
ヒマラヤ遠征の原稿を書いたり、
読書したり。

合間には台地を山とし、
池を海として
立体的眺望を愉しみながら
散策路を歩き回る。
たっぷり高低差があるので、
全コースを巡ると
汗ばむ程で筋肉が嬉しそうな
悲鳴を上げる。

江戸末期に徳川三卿の清水家の
下屋敷となり一橋家に転じ
その後肥後熊本54万石細川家の
庭となったが、
まさか仙人に乗っ取られるとは!

目白台地からの湧水が小滝を成す 

左奥から小池、中池、大池と続く

右手前に水琴窟


細川越中守下屋敷の池泉回遊式庭園
(新江戸川公園)

読書スポット:
細川越中守下屋敷(新江戸川公園)、椿山荘、江戸川公園、
小石川後楽園、六義園、
小石川植物園、新宿御苑、明治神宮、赤坂御苑、目白庭園、
江戸城址、不忍池

 


文化スポット:
東京芸術劇場パイプオルガン、演劇、コンサート)、サンシャイン演劇、コンサート)
カテドラル
(パイプオルガン)、オペラシティ(パイプオルガン、演劇、コンサートオペラ)
東京文化会館
コンサート絵画展等)、目白窯陶芸、各大学講演、演劇、コンサート等)

画廊・ギャラリー
 
①目白ギャラリー
(有名作家作品)、②ギャルリ・ラビ(アンティーク、レース、ガラス、バック)
③ギャラリーゆめじ
(竹久夢二、ミロ、シャガール、北斎、広重)④ポターズポット(伝統、工芸、クラフト、英国陶芸)
⑤アーチコレクション
(アジア布、民族衣装、古布)⑥望美楼(絵画、陶芸)
⑦ギャラリー・ひこぼし
(古布、着物、駄玩具)
⑧花よろず
(花と緑、古い物、新作
⑨千種画廊
(陶芸、彫刻、絵画、染色、人形、織物:赤い鳥の鈴木三重吉旧宅跡)
⑩新樹画廊
(絵画、版画、陶器、工芸)⑪三春堂ギャラリー(現代陶器、ガラス、漆、テキスタイル)
⑫ゆうど
(自然素材、萬生活文化具) 
 


松聲閣の2階

2階山茶花の間
幼児に還った蓮見重彦 

80歳を目前に蓮見重彦が
おちびさんに戻って、お母さんから
「そんなはしたない言葉を
口にしてはいけません」
と云われた日々を思い出し母無き今、

思い切り禁句を叫び、
「どうだ子供に戻って性交不能となり、
俺はこんなに自由だ」と
叫んでいるような作品で、
実にほほえましい。


片山杜秀は「優れたポルノ小説にして
反ファシズム小説でもある」
と云っているが、
このでもの意味するところに
片山の忸怩たる思いを

垣間見ることが出来る。
本当は「熟れたまんこ」を連発する
勃起不全となった老人の性的妄想
でしかないのだが、

1階菊の間

2階回遊庭園展望所



船着場

表情豊かな巨木


名編集長怒る!

まぁ、呆れた!
こんなはしたない言葉使って!
もしも子供たちが、
仙人はどうしてるかななんぞと、
このページを開いたら
どうしましょ!

そう嘆くのは嘗て
「良い子タイムズ、UHURU、週刊アンデス、
阿修羅と続いた学級新聞999」の
初期編集長として
敏腕を振るった
今は3児の母・葉子さんでは!

十三重の塔

性的妄想だけでは
さっぱり面白くないので
ちょっぴり反ファッシズムの調味料を
振り掛けただけの作品。
と云ってしまっては
身も蓋もないので
右翼的思想家、佐藤通次を狩りだし
性とファッシズムを敢て対比させ、
片山杜秀は
「ポルノとファシズム 
危うい空気に抗する砦」と題して、
見事に自らの心象風景を
描き出したのだ。

勿論この反ファッシズムの調味料が、
飛び切り美味しくて抜群の効果を
発揮しているので、
素材である「熟れたまんこ」が
更に生々しく迫る。


周りを不幸に陥れる運命の女
ルイーズ・ブルックスを
「魔羅切りのお仙」に仕立て、
満州で活躍した諜報機関の
一員である「金玉潰しのお龍」を語り、
伯爵夫人は自ら「金玉潰しのお龍」
となって大佐の金玉を潰し、
伯爵夫人の仲間であった高麗上等兵の
金玉をも潰したり。

二朗はばふりばふりと重そうに
回る回転扉を小走りにすり抜けて行く
伯爵夫人の
「熟れたまんこ」に触発されながら、
なんども虚空に精液を迸らせ
開戦前夜を過ごし、
伯爵夫人の生んだ一朗とは
若しや自分のことであって、
伯爵夫人は
母親なのではなんぞと思うのだ。

 

松聲閣の庭

目白台地に登る森



仙人が999の駅長だった 頃のメッセージ

 脱走事件 真相を追及
記者:木下宏純 1984年1月17日(火)晴 6校時社会科

そんなことが有りました。脱走した少年Kは確か記者本人の木下宏純君、(3)とあるからにはおそらく前科3犯なのでは?
少年Eは常習の前科8犯の江口充倫君、Iは初犯の伊東昭規君、あれ、伊藤君の方だったっけ?そしてGは原始人の加納原君。
4人とも坊主になってますが、これ担任の仕業。
親の承諾も得ず、勝手にバリカンを持ち出してきて問答無用、ばりりん、バリリンと丸坊主にしてしまったのです。

バリカン片手にどうも担任は実に嬉しそうだったとか!
≪よくやった!俺だって6時間目に自習で補欠の先生が居なかったら、当然脱出していたさ。
澄ました顔して帰りのホームルームには帰っていたんだから、
見つかりさえしなければ、当然クラスではちょっとした英雄だぜ!≫
どうもそんなことを想っていたらしいのです。

その夜、保護者から電話があった。
「先生お世話掛けました。ありがとうございました。坊主になって本人もさっぱりしてます」
今、こんなことやったら人権問題で即、教師はクビ間違いなし。

冬休みにサファリガイドの夢を実現する為、アフリカのナイロビに出かけた鈴木留奈さんの記事も懐かしいな!
その後ナイロビでガイドの夢を実現させ大活躍しているとの便りがあったけど、
今はどうしているのかな?

≪UHURU≫
1982年10月9日発行開始
題字のUHURUというのは
スワヒリ語で≪自由≫と云う意味です。
今年、坂原先生が登った
キリマンジャロの最高峰だそうです。
この題字のように
素晴らしい新聞にするよう
新聞班全員で頑張ります。
ヨロシクお願いします。
(編集員:武田、杉本、前田、山口)



≪阿修羅≫
1983年4月19日発行開始
このタイトルは
「百億の昼と千億の夜」と云う
作品からとったものです。
≪阿修羅≫とは
インド最古の神のことで、
本来は善神であったが、
仏教の修羅に影響され
悪神に変わったと言われています。
また、「阿修羅のごとく」とか
「修羅場と化す」のように
残忍、苛酷の形容としても用いられます。
(編集員:大森、木下、加納、石毛、竹川、西沢)
そうそう思い出したぜ!
音楽教師に合唱の譜面を起こしてと
頼みに行ったが断られ、
それでも「傷ついた翼」を自由曲に選び、
試行錯誤を繰り返し猛練習。

合唱コンクールの当日を迎え、
ハプニング。
≪阿修羅≫のライターでもある
西沢真一君が
ピアノ伴奏を務めたのだが、
なんと伴奏途中で
間違えてしまったのである。

間違えた伴奏をものともせず
歌い続けたものの、
当然順位は9位、つまりビリ。
退場したが、西沢君の姿が
見えない。

西沢君が居なくなったのに
直ぐ気づき舞台下の奈落に直行。
泣き崩れる西沢君の
後ろからそっと近づき、
何も云わず、肩を抱いてやった
ことを思い出した。

哀しかったな!
自分のこと以上に哀しくて
一緒に泣いてしまった。


いやー、相変わらず支離滅裂ですな。
亀山郁夫、松浦寿輝、蓮實重彦と
迷走を続け何処へ行くのかと思いきや、
銀河鉄道999ですか!
嘗ての999編集員達も駅長の
あまりの脱線振りに驚いているでしょうね。
そういやー数学の授業も、山の話や、
宇宙やトトロの話ばっかで、脱線しどうしでしたね!

ひょっとすると、
先週も当HPに登場した馬淵君からの情報を得て、
999駅長が脱線呆け仙人になったのを知り
「さもありなん!」と頷いているか!
それにしても学級新聞のタイトルが≪阿修羅≫だったとは驚き!
何故≪阿修羅≫だったのか?




仙人が999の駅長だった頃のメッセージ

1年9組、2年9組、3年9組。「スリーナインの3年間が一瞬の瞬きの内に終わってしまいました。
もっともっとたくさん山に連れて行きたかったのに、もっともっと
たくさんのことを考え、新聞を発行したかったのに、もう終わってしまいました。
決してやり直すことの出来ない3年間。

君達にとっては音を立ててぐんぐん成長した3年間でした。
しばしば私は耳を澄ませてその音を聴き楽しみました。遠い過去から遥かな未来へ走り続ける生命の鼓動。
広大な時空の中で、たった3年間の生命の鼓動は、銀河の幾億の煌めきの1つにも相当しませんが、
確かに壮大な生命の過去と未来を結んでいます。
成長の音を聴き映像化し、スリーナインの乗客となって君達と一緒に3年間の旅をしました。

もう私は下車しなければなりません。
銀河ステーション№2134891は白鳥座の横で、私を待っています。
君達はそこで乗り換え、オリオンやアンドロメダや琴座のベガや、それぞれの星を求めて旅を続けるのですね。
≪4つに折った葉書きぐらいの大きさの緑色の紙≫は
不完全な幻想4次元の銀河鉄道の何処までも自由に行ける切符です。

でもそんなに大切だった切符を無くしたり、捨ててしまった人が居ます。
或る日突然、その切符がどんなに必要になっても、もう取り返しがつきません。
3年間に発行された85枚の切符は、もしかすると新たな星への旅に必要な≪緑色の紙≫を
生み出してくれるかも知れません。
是非、そうなることを願いつつここに≪999≫の古い切符を総て集めました。
それではジョバンニ君、カンパネルラ君、いつまでもお元気で!

1984年2月27日 スリーナインの1人だけ途中下車した乗客




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