その93ー2013年葉月 |
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《A》 Reminiscence :小槍登攀
単独で小槍に挑む半世紀前の仙人 8月4日(日)13:02 雨の晴れ間に 小槍ピーク (槍ケ岳山頂から) 撮影:村上映子 冷たい雨が上がり北西の風が渦を巻き雲を蹴散らす。 その一瞬、小槍が全貌を晒し南面フェースが大凹角を中央に刻み、威風堂々と姿を現したでは。 「ほら、手前の孫槍が手招きしているよ。ちょっと行ってみる。 なーに僅か50年程の時空隧道を遡ればいいだけの話さ。ここからカメラを構えて50年前の画像を撮ってよ。 ・ えっ!登攀者が小さすぎて良く観えないって。 それじゃ、人間だけちょっと大きくしてみて。そうそうこれなら登っているのが50年前の仙人だって判るね」 |
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頂は近いぜ! 撮影:村上映子 右手上方を観てご覧! 岩場の割れ目に黄色い花が観えるだろ。 フェースを登る村上の 左上部の岩の窪みにも咲いてるね。 ・ 深山金梅(ミヤマキンバイ)だ。 鎖も登攀者が打った1本のハーケンも 無いこの静かな岩場で 深山金梅は一生を過ごすんだね。 ・ 突然出現した半世紀前の ちょっと驚きながらも 何だか微笑んでいるようにさえ 観えるんだけど いつもの仙人の勝手な想い違いだね。 ・ あれっ!でもさ 村上の取りついてる岩に 白い矢印が見えはしないかい? このフェースも今はきっと 槍ヶ岳の登頂ルートになってるんだよ。 |
ルートから逸れて大槍に挑む 8月4日(日) 槍ヶ岳頂上直下 何しろその頃の槍穂高の登攀は 現実に手に出来る夢の頂点にあったんだ。 さしあたりヨーロッパアルプスの モンブラン、マッターホルン、アイガー登山なんて 実現出来そうだったけど 当時は外貨持ち出し制限が500ドルで 「渡航費用の支払能力を立証する書類」なんてのが 必要で、外国の山なん夢の彼方。 ・ だもんだから、せめて槍穂高で夢を果たそうと ザックにテントや食料をたっぷり詰めて 奥又白や涸沢の住人となって 槍穂の彼方此方の岩場に通い続けたのさ。 ・ それじゃその頃のお気に入りルートを 教えてあげようか。 そうそうそこの鎖場から左に逸れると だーれも居ないフェースがあるよ。 どうだい、静かな別世界だろう!」 ・ ほら右側の一般ルートを観てご覧! 赤や黄色、青の人の列が 山頂まで延々と続いているだろう。 ・ この雲の晴れ間を見て 槍ヶ岳山荘で登頂チャンスを狙っている登山者が わーっと押し寄せ 更にラッシュとなって交通整理と時間待ちが 必要になってそりゃ酷いもんさ。 ・ 夏に人が居ない槍の頂なんて滅多にないんだ。 《雨ニモマケズ、風ニモマケズ》 登ってきて良かったね! 雨と風と、そうだ序に宮澤賢治にも感謝! |
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フェースを登る村上 撮影:坂原忠清 |
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《B》 Rush :槍ヶ岳山頂(3180m)
槍ヶ岳(右)と小槍(左) |
頂上をアップすると |
更にアップすると人の列 |
《V》新品のザックに、新品の靴 荷物が無いとどんな急勾配も苦にならない。今回も結構な重さのザックである。15キロ近くはあるだろうか。 その重さの多くは食糧なのだ。今回の山行前に長年愛用していた登山靴が遂に壊れてしまい、買い換えたのである。 ヒマラヤを歩き続けた愛着あるシューズだったが、15年以上も活躍してくれたので寿命かな。 同じメーカーの登山シューズだが、慣らし歩きはしたものの、やはり新品の靴は不安もある。 靴を買う時に、登山店の人に、「せいぜい15キロくらいしか持たないですから」と話すと、 「15キロはかなりですよ。最近はアルプス縦走でも水入れても少ない人は7,8キロまでに抑えますから」 とのことで、ソウルのしっかりした靴を薦められた。実際、重い荷を担いで歩くのは年々辛くなっている。 ・ 実は荷物が少しでも楽に担げればと、ザックも最近の性能の良いといわれるものに買い換えた。 新品のザックに、新品の靴、まるで新人登山者みたいだが、それらの道具が上手く体に合っているか、 それも縦走で実験となる訳で、かなりの冒険でもある。結果、靴は合格だが、ザックは思ったほどの効果は無く、 むしろ重荷だと肩に食い込み、腰のベルトも長い時間の圧迫で痛みが出るし、 あまり自分に合った道具とはいえないようでがっかりした。 |
半世紀前のお兄さんちょっとこっち向いて! 8月4日(日)13:05 雨の晴れ間に 小槍ピーク (槍ケ岳山頂から) 撮影:村上映子 実にすっきりするね! 残雪を豊かに蓄えた千丈沢が右の独標沢に連なる小沢を従え涼やかだね。 小槍もこの反対側の小槍尾根(槍ヶ岳西稜)から登ると困難かつ長大で、槍穂高の岩場でも屈指のルートなんだ。 でも孫槍とのコルから登ると2ピッチ程で頂に達することが出来るので嘗ては手軽な人気ルートだったのさ。 |
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ちょっとパッフォーマンス 槍ヶ岳山頂直下 |
梯子登りは退屈じゃな! |
こんなのどう? 槍ヶ岳山頂直下 |
《X》美味しそうな真っ赤なスイカ この高さだと未だ雲が覆っていて、夏特有の朝霧なのか、曇天なのか判然としないが、どうやら上は晴れているようだ。 出発から急坂を登り続けて3時間、遂に合戦小屋に到着。既に大勢の人で賑わっている。 ここではスイカが名物とのことだが、なるほど、お兄さんが切る美味しそうな真っ赤なスイカが次々に売れていく。 ケーブルで運んでくるのだから、一切れ800円でも高くは無いのかも。 よく見るとスイカ売り場のテントが、スイカ模様なのだから凝っている。さすが表銀座、商売上手なんだと感心。 一休みして先を目指す。 ・ もう雲海の上に出たので、真夏の青空の下、強い日差しが辺りを輝かせ、遠く遥かな槍ヶ岳も見晴らせる。 あんまり遠くに聳えているので、自分たちがこれから目指すのがあの槍の穂先だとは、とても信じられない。 あそこまで、歩いて行くんだという実感が湧かないのだ。 あんな遠くまで行かれるのかなという不安を押しやって、重いザックを背負い直す。 それでも、一歩ずつ確実に歩んでいけば、やがて目指す山頂に立つことが可能なのだ。 ・ 小さくとも人間の持つ可能性は限りなく大きいのだから。 燕岳山荘が見えてくる。 まるでアルプスのおしゃれな山小屋みたいな可愛い建物が頂直下に建っている。 燕岳が目標の人も多いらしく、ここから先の大天井岳方向へ向かうと、急に人影がまばらとなり、 雲上のプロムナード散歩は贅沢この上ない静かな稜線歩きとなる。 |
これが大槍、小槍だ! 8月3日(土)16:00 曇晴 牛首山からの大槍,小槍(右) 大天井ヒュッテの目の前にある小さなピークなのに、牛首山は急登で結構疲れるぜ! 見晴らし抜群とのことで頂まで登ったが、あたり一面雲に覆われ眺望なし。 ふと気まぐれに現われる雲の切れ間を待つしかない。
待つこと数十分、眼前のガスが途切れ遥か彼方に 大地と雲で切断された大槍、小槍の黒々としたシルエットが天空に浮かぶ。 望遠レンズで最大に拡大すると山頂の登山者まで見えるでは。この一瞬を逃すものかとシャッターを切り続ける。 ・ 此処から槍ヶ岳まで果たして1日で達することが出来るのだろうかと思うほど、あまりにも遠く遥か。 |
《Y》命の限りとばかりに 駒草の群落があっちこっちに咲き乱れ、今を盛りと可憐なピンクの花房を風に振るわせる。 目を凝らせば、小さな高嶺の花たちが短い夏の間を、命の限りとばかりに精一杯の美しさを示している。 蛙岩のそばではまるでオブジェかと思うような姿で昼寝をしてる若者がいた。 いつの間にか先を行く隊長の姿は見えなくなり、重い荷に喘ぎながら、私の歩は遅々たるものとなる。 ・ 大天荘らしき建物が見える。その分岐への手前で、足が進まず、座り込んで水と行動食を存分に摂った。 これが効いた。再び歩きはじめると、さっきよりははるかに楽だ。エネルギーと水分の不足は山では大敵。 焦らずこまめに口にすべきなのだ。分岐のところで何組かが休息している。 そこから大天井ヒュッテへ向かう道と、登って山頂直下の大天荘へ向かう道とに分かれる。 上って行く人が意外に多い。私は一人ヒュッテ方面を行く。 歩みはのろいので、数人に追い抜かされたが、もう近いだろうと気分は楽である。 |
《D》 燕岳から大天井岳、槍ヶ岳、上高地へのマップ |
実施初日:8月2日(金) 曇
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8月3日(土) 曇晴
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8月4日(日) 曇雨曇雨
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8月5日(月) 雨
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《Z》トンカツが食べたい! しかし、ここから30分と記された小さな道標からが思いのほか長くて、短い梯子や岩場の連続でどんどん下っていく。 こんなに下っていいのと思う頃、ヒュッテの赤い屋根がみえた。 隊長に遅れること50分、本日の宿泊地大天井ヒュッテに到着。 ザックを降ろしてやっと解放された心地で、本日の目標達成に乾杯。 ・ 長い道のりだった。「今夜の夕食はトンカツだけど、我々は素泊まりにして持参のもので晩も済まそう。 少しでも荷を軽くしなくては」隊長の言葉に、一瞬、トンカツが食べたい! と心が動いたが、荷を軽くする方がより大事だと、素泊まり賛同。 荷物の整理して、一休みした後、牛首展望台へと登る。 |