仙人日記
   その92の22013年文月


7月2週・・・ 道無き道を切りいて遂に頂へ

ヒグラシの啼く頃
早朝と夕べにはヒグラシの啼く声が山荘を包みこむ。

その音色は何処までも遠くへ遠くへと透き通るように響き渡る。
未だ夏が始まったばかりだというのに、その声を聴くと夏が終わることを想わずにはいられない。
あまりにも美しく澄みきった音色は、どこか諦観を感じさせられる。

現世よりは彼岸へ向けての憧れか。
長い歳月を土の中で過ごし、光を浴びると同時にその生を終える、そんな宿命を持つ蝉だと思うから、
なおその命の限りを捧げるような哀切を、朝な夕なのカナカナカナ・・・
と響き渡るあの鳴き声の中に聴きとってしまうのかもしれない。


 下さいよとやって来た画眉鳥さん
7月13日(土)曇 山荘奥庭

えっ!そんなに沢山の桃どうしたの?
「朝の畑仕事を終えてからね、さてそれでは朝のトレーニングでどの山に登りましょうか?
と胸に熊避けの笛を下げ、ストックを突いてのんびり里を歩いていたらね
桃の収穫をやっていた村人が、《撥ね出し桃だから金なんかいらんよ》と云ってくれたんだ。

あっそうそう昨年も桃を分けてもらった深沢さんなんだけどそれじゃ幾らなんでも悪いので
少ないけどと云って千円渡そうとしたら受け取らないんだ。



仕方ないから千円札を
桃の収穫箱に入れて帰ろうとしたら、
もっともっとたくさんの桃を持ってきて
ほら、こんなに桃だらけになっちゃったんだよ。

よく冷やした桃はワインにぴったりで、
早速冷やしてご馳走になったんだ。
美味かったかって?
そりゃ採りたての完熟桃が
どんなに美味しいか・・・・・
あー教えてあげたいね。
 

これ完熟桃、右側が傷む寸前でしょ、これが甘いの!



ヒグラシの音色に耳を傾けていると、我が心までもがカナカナカナ・・
と遠く遥か彼方の透き通った世界へと吸い込まれていくような気がする。
そこは哀しさと歓びとが()い合わされ、寂しさと豊かさが交差している。
心は静まり、広がり、形容のし難い心地よさ、柔らかくしかも硝子のような張り詰めた透明感を感じることが出来る。

いつの日にか還って行く、遠くて近い遥かな場所をヒグラシの歌は思い起こさせてくれるのかもしれない。
ヒグラシの啼く頃、山荘の庭に佇んでいると不意にわかる。
森と空と山と、小さな生き物たちが、互いに侵すことなく求めあい受け入れあっている。
この空間にあるとき、人もまた自然の一部となって、自らの行うべきことをまっすぐに感じ取れば良いのだと。




深沢さんちの 福生里

丸々った茄子 葡萄畑

ーマンもそろそろ 葡萄畑

大きな完トマト 葡萄畑
夏野菜の収始まる
西畑、葡萄畑

失敗ばかりだった
トマトの栽培に昨年は成功し
大きくて美味しいのがどっさり。
そこで気を良くして
今年も西畑、葡萄畑に苗を植えた。

で、トマトの無い中畑の草取りを
していたらにょきにょき
勝手に芽を出しているのは
正しく昨年育てたミニトマトでは。

早速支柱を立て固定し剪定し施肥。
嬉しいね。
トマトの種からの栽培は難しくて
いつも市販の苗を育ててるが
今度種蒔きからやってみようかな?

だが今年の茄子は育ちが遅くて
枯れてしまった苗もありさてどうしよう。
最初に成った実が
苗の発育を妨げるので小さくても
摘んでしまうべきなのだが
どうも可哀そうで摘めないのだ。

これは週あたり 葡萄畑

モロッコ元豆 葡萄畑

待ってました枝豆 葡萄畑
 
収穫は少ないが味いぜ! 葡萄畑
 
り高き落ち梅 福生里
 
作なキウイ 西畑
 
、大根、小松菜・朝採り野菜 西畑
小倉山から下りてきたら
畑一面が橙色に染まりいい香り。
誰からも見捨てられた落ち梅。
勿体ないから拾っていこうかな?

和歌山と言えばやはり梅!
その中でも南高の落ち梅は最高級品種です。

完熟して自然に落ちるのを待って
収穫する落ち梅=B
この梅で作った梅干しは、
皮が薄くて、果肉がトロトロ!
味は酸味だけでなく、
ほのかな甘みを感じることもできます。 
(NHK Online)
 
の花開く 林檎畑





最高気温は甲州
猛暑
甲州市4日連続39度超
NHKニュース(Web)7月12日 18時3分

東日本と西日本を中心に12日も各地で猛烈な暑さになり、
山梨県甲州市では4日連続で気温が39度を超えました。
13日は東日本の太平洋側を中心に猛烈な暑さが続く見込みで、熱中症に十分な注意が必要です。
気象庁によりますと、東日本と西日本を中心に12日も強い日ざしが照りつけて気温が上がりました。
日中の最高気温は、山梨県甲州市で39度1分と4日連続で39度を超えました。

熱中症>7月東京都内で40人死亡
 うち35人は室内で



 最後の6番目の山頂標識・鈴庫山
7月12日(金)晴 夕方の山荘テラスより

→山荘から バイクで高芝峠へ  




鈴庫山
早い梅雨明け後の昼下がり、眩しく熱い太陽が真夏の森を包む。
天中からの暑い日差しに照らされ、急な斜面を攀じ上ると、待っているのは背丈以上に生い茂った笹の海。
担ぎあげた鋏で笹の茂みを手分けして切り開く。
これが思った以上の難作業で伐っても伐っても終わりが見えない。

斜面いっぱいを覆って生えている笹は根元を切ると、倒れた後にその奥の笹がまた覆い被さるので、
歩けるようにするためにはかなりの範囲の笹を切り倒す必要がある。
しまいには鋏を握る手の感覚がおかしくなっくる。
数分で抜けられる笹道を一時間近くかけて手入れした積りだったが、帰りに歩いてみたら、
ほとんど効果を感じない程度でしかないことが分かり、がっくりというよりは、自然の大きさに納得させられる。



 2丁拳銃ならぬ2丁鋏で鈴庫山へ出発だ!
7月12日(金)晴 高芝峠にて

甲州市が日本での最高気温を記録するなんて聞いたことも無い。
7月9日から4日連続で39℃を超え遂に39.4℃にまで達したと云うのだからびっくらこいて腰抜かしてしまう程。
幸い山荘は標高が高いので明け方など20℃前後となり過ごし易いが、日中の熱射は凄まじい。
しかしこの素晴らしい真夏の晴れ間を見逃す訳にはいかない。

そう、6月中に立てる予定であった最後の6番目の山頂標識を鈴庫山に立てに行く絶好のチャンス。
ルートを覆う笹を伐り払う為に切れ味抜群の刈り込み鋏を新規購入し
2丁拳銃ならぬ2丁鋏をザックに忍ばせ、いざ出陣じゃ!


もの凄い 高芝峠登山口

迷わぬよう印を 高芝峠登山口

伐ってもに進めず 柳沢ノ頭

やっと登山道へ 柳沢ノ頭

と此処までは元気がいいのだが
歩きだしたら
全身が痺れ気持ちが悪く成り
ふらふらして今にも倒れそう。

むかし2日間呑まず喰わずで
登り続ける真夏トレーニングでしょっちゅう
罹った脱水症状と熱中症だ。
ここ20年程はそれほど過激な
トレーニングはしていないのですっかり
忘れていた熱中症、脱水症状。

まさか断食もしていないのに熱中、
脱水症状に陥るとは思いもよらず面喰う。
どうも原因はバイク走行中に
被っていたヘルメットの
オーバーヒートにあるらしいのだ。

帰路はヘルメット内部に濡れタオルを入れ
走行し、何とか山荘に着いたが
やはり全国での最高気温を記録した
甲州市の山は侮れないのだ。 

人影き頂 鈴庫山頂


 道無き道を切りいて遂に頂へ
7月12日(金)晴 鈴庫山の頂で

登山中には滅多に飲むことのない水と山荘特製の梅ジュースを摂って脱水症状を押え、
一面笹に覆われた鈴庫山へのルートに踏み込む。
この高芝峠から柳沢の頭までのルートは地図には無く、
一部のマニアが偶に訪れる程度で常に笹やぶに隠されルートは判然としない。
だいたいこの高芝峠にしても呼称がないと不便なので、仙人が勝手に着けた名であってまー云わば此処は山荘専用エリアなのだ。

切れ味抜群の筈の買ったばかりの刈り込み鋏も堅い笹は手強い相手。
どうして中々簡単には伐れず悪戦苦闘。
笹の密集度も凄いが高さも2mを超えているので全く視界が利かず、その上ルートは延々と続く。
30分も伐り続けると右腕は馬鹿になり、さっぱり力が入らなくなる。

ルートを切り拓くには笹を根元から伐らねばならず、腰をかがめると鼻の穴や目に笹が突き刺さり危険この上ない。
うーん、こんな風にして昔の人は手作業で一歩一歩登山道を切り拓いたんだな。
その後をすいすい登ることの何と楽なことか!



この木にけてあげよう 鈴庫山頂

藪とのいだったぜ 鈴庫山頂

今までのさな標識も 鈴庫山頂



誰もいない真夏の森に、モリアオガエルの大合唱と時折混ざるカナカナゼミの哀愁を帯びた歌声が響く。
鈴庫山の頂に陶板仕上げの山頂標識を取り付けるのが今日の目的。
なかなかぴったりな取り付け場所が見つからなかったが、木の幹に着けられた陶板は辺りの風景を見事に味方にしていた。
山荘周辺の主な頂に、山荘仙人手作りの陶板標識が掲げられた。

高芝山を始め幾つかの山頂では一緒に取り付け作業を行ったので、愛着を覚える。
山荘から望む度に、それぞれの頂にある小さな標識が目に浮かぶ。
目にした人が、この標識に込められた作者の想いを汲みとってくれるといいなと願いながら、、



 6番目の山頂標識を立てる
7月12日(金)晴 鈴庫山頂・山の神石板

頂には《山の神》と掘られた花崗岩の石碑があり、小さな木の標識がその下に置いて在るのみ。
最近白いプラスチック板にマジックで《鈴庫山 1600m》と間違った標高の書かれたペラペラ標識が、
山頂の木に掛けられたが侘びしい限りの頂である。

さて陶器で作った半永久的な見易いこの標識、何処につけようか?
石と陶器は相性がいいし石碑に着けるのが一番なのだが、花崗岩に穴を開けるドリルは持参してないので無理。
となるとやはり、木に木螺子で留めるしかないかな。

 鈴庫山からの山荘周辺
7月12日(金)晴 鈴庫山頂

1.5の視力をもってしても鈴庫山頂からの山荘は余りにも小さくて、辛うじて認識出来る程度。
朝な夕なに眺めているのだから鈴庫山から山荘が観える筈だと思ってはいたが、これ程までに幽し像だとは!
さあ、これでやっと山荘をぐるり取り囲む6つの山頂に標識を立て終わったぞ。
この画像の左外には高芝山、右外には滑沢山が聳えているので、この画像位置の鈴庫山を含めると
6つの頂が此処から総て見渡せることになる。

残りの課題は鈴庫山から西へ延びる未踏稜線を経て坂脇峠へ出るルートにマークを着けること。
森の葉が落ちて見晴らしの良くなった晩秋にでも再び来て、マークを着け
全ルートが完成したらこの6つの山を扇山→滑沢山→鈴庫山→高芝山→上条山→小倉山と1日で踏破してみたいな。





其処かしこに顔 圃場工事現場周辺

里では山百合きだす 福生里バス停

の木の花 竹森川
カンゾウ(萱草)の意味は
この美しい花を見ていると
物も忘れると言う故事からの漢名で、
忘れ草とも言う。


野カンゾウは一重で
夏のこうげんに咲く日光キスゲに
よく似ている。
藪カンゾウは八重咲きで
高原では観られない。


八重咲きの菅草の群落 扇山麓
何度かこのHPに登場した
カンゾウは一重の野菅草だが
こんな処に藪菅草の
群落があるなんて気が付かず
当HPには初デビュー?。

花に囲まれて
古今集の歌人は詠う。

 「忘れ草 種とらましを
 逢うことの いとかたきものと
知りせば」

オクも咲きだす 葡萄畑

鬼茸かな? 小倉山頂

驚き!未だ咲き続けるンネ 奥庭






進む畑の 圃場工事現場 
 び寄る過疎化・放棄農地・廃屋
7月14日(日)曇 福生里

テラス眼下に広がる里に異変が起きている。
里の中央を区切る竹森川左岸で
大規模な工事が始まり大型のユンボ(油圧ショベル)が数台で
左岸の幾つもの小さな畑を潰し
排水溝や土手を築き広大な畑を造り始めたのである。

1年近くも工事は続き昨年暮れにやっと終わったと思ったら
今度はより山荘に近い右岸でも始まり
「ほ場工事現場」なる立て看板が現われた。
農家の子供達が都会に出たまま戻らず、
継ぐ者無き放棄された農地を、
統合しての
大規模農業への試みが始まったのだろうか?
で、朝トレ序に
その「ほ場工事現場」に
行ってみた。
朝早いので
未だ誰も居ない。
でっかーいユンボに
乗って山荘を見上げる。

扇山の深い森に
抱かれてひっそりと
佇む孤独な山荘。

過疎化が進み里にさえ
人影が無いのに
よりによってあんな山の上に
家を建てるなんて
きっと里人は
呆れているに違いない。
山梨中心部の甲州市ですら
あちこちに放棄農地、
廃屋が目立つのだから
きっと山梨県全体では
もっと過疎化が進行している
のだろう。

調べてみたら
中央線の走る上野原、大月
甲州、山梨、笛吹、甲府
甲斐、韮崎、北杜と
過疎化は免れているが
山間部では
当然だが過疎市町村と
なっている。
 2300万円の家が
750万円にダンピング! 


富士に向かう意の向嶽寺の横に
昨年から売り出されていた2階建ての庭付きの家がある。
山荘と駅駐車場を結ぶルート上にあるので
往復の度に売値を記した看板が否応無く眼に入る。

町の中央に在りながら閑静な住宅地で
メンテ済みの2階建て庭付き70坪で2300万なんて
とても東京では在り得ぬ価格で心が動く。
これが売れないらしく徐々に看板の値を下げ続け数ヶ月で
750万にまで下ったのには心底驚いた。
しみじみ過疎化を実感。
最も750万まで下げた数日後には即売れてしまったが。

さて崩れて穴だらけのこの土蔵、正に過疎化のシンボル!

土蔵ち果てた土壁 村の廃屋


甲州市人口動態・表 
 年度 人口数(7月1日現在)  出生数
(4月〜翌年3月)
前年比増減   死亡数 転入数   転出数 前年比増減 世帯数 前年比増減 備考 
8年間の計  ー3038人  1936人 ー100  4002人 7227人 8712人 8.8%(13年との人口比)  +373戸   +2.8%(13年との人口比)  
2013年 3万4334人  43人
(4月〜6月)
×4:
172人
ー9  120人
(4月〜6月)
×4:480人 
159人
(4月〜6月) 
×4:636人
219人
(4月〜6月)
×4
:876人 
ー366人 1万3195戸 +16世帯  
2012年 3万4700人 181 人  ー35  492人  763人 949 人 ー469人 1万3179戸 +27世帯 東北大震災で流入した筈? 
2011年 3万5169人  216人 +27   426人  771人  852人 ー346人 1万3152戸 +19世帯   
2010年 3万5515人  189人 ー23   439人  757人  967人 ー347人 1万3133戸 +54世帯   
2009年  3万5862人   212人 ー16   431人 779 人  951人 ー347人  1万3079戸  +4世帯   
2008年  3万6289人   228人 ー16   440人  791人 965 人 ー427人  1万3075戸 +167世帯  後期高齢者制度を有利活用か? 
2007年  3万6590人   244人 +6   428人  915人 1063 人 ー301人  1万2908戸  +48世帯   
2006年  3万7025人  238 人 ー18  457 人  784人  1016人 ー435人  1万2860戸  +38世帯   
2005年
(11月1日) 
3万7301人  256人    409人  1031人  1073人  甲州市発足  1万2822戸    塩山市、勝沼町、大和村
が合併して甲州市発足 

甲州市人口動態 ・グラフ

摩訶不思議
世帯数がえてるのに 
人口がってる!

さてこの問題に貴方は
答えが出せるだろうか?
脳味噌を絞って
答えを探り出してみませんか?

甲州市が発足してから
8年間で3038人も人口が減り
反対に世帯数は
373戸も増加している。

甲州市の人口の8.8%
減少し現在も
減り続けていると云うことは
同じ減少数で計算すると
更に8年後は3万1296人となり
16年後は2万8258人と
3万人を割ってしまう。
 出生数の2倍もの死亡
甲州市への転入より転出の方が
常に多いことから
人口減少は肯けるが、
それじゃ一体世帯数の増加は
何を意味するのか?

そう、そろそろ気づいたかな?
子供達は例え地元に留まったとしても
老いた両親とは
一緒に住まず新たに家を建て
別居するのだ。
現代姨捨山バージョンであろうか。

核家族化は田舎であっても例外ではなく
寧ろ活発な面もあり
豊かな自然に囲まれた里人も
都会のマンションでの
孤独死を嗤っている訳にはいかない。
明日のいや今日の我が身?




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