仙人日記
   その762012年弥生

3月1週・・・・眠りから醒めぬトランペット 


チューニングスライドは動くか?

女生徒もそう柔ではない。
「ふーん未だへたっぴーだから恥ずかしいんですね。
それじゃ3曲吹いてくれたら黙っててあげる」
うーん、まー、一応レパートリーは
どうにか20曲程まで増えたもののとても
人に聞かせるようなもんじゃない。さてどうしよう。

「1曲でどうだ。あと2曲は借りにしておいてさ」
「まーいっか、それじゃ聞かせて」
そこで思い切って一番苦しんでいた《宵待ち草》を吹いた。
最初のソの音からいきなり1オクターブ上がって
次のソの音を出すのだが
バルブは動かさず唇だけで操作せねばならない。
初心者にとっては中々きつくて
この曲ばかりもう1ヶ月も吹いていたのだ。
40年の眠りから醒める
3月4日(日)曇 ガニメデ&書斎

期末テストの最中で生徒は部活動も無しの残留禁止。
これぞチャンスと
生徒の帰った中庭でトランペットを吹いていたら
女生徒がやって来た。

「先生、教室に教科書忘れてきちゃったんですけど
取りにいってもいいですか?
あれ、先生トランペット吹けるんですか?」
「やべー、内緒だぞ。誰にも言わないと約束すれば
教科書取りにいってもいいぞ」
と教師の権力を丸出しにして女生徒を脅す。


どうにか解体は出来たが?

眠り続けるペット(ガニメデにて)
緊張の一瞬。
思い切り唇を引き締めて高音のソに
つなげる。《出た!》

誰も居ない夕刻の静かな校庭に高音のソが
もの哀しく彗星の尾を引いた。
後はソより低い高音のミが4回あるだけ。
もうこっちのもんだ。
とばかりどうにか吹き終わったものの
冷や汗もんであったことは確か。

あれから40年の歳月が流れたのだ。

教則本もひっそり(2階書架にて)
で、このトランペットどうなったかって?
煩いからミュート(弱音器を付けて
暫く練習したけどそれでも煩くて
近所から苦情が寄せられたり・・・。
それでついに断念。

なぜかその後、眠っていたペットを
樹麗が見つけ吹き始め
高校のブラバンでも吹いていたな。
でも確か定期演奏会では
セロを弾いていたからきっとペットは
見捨てられたのだろう。 
 
バルブ油を塗って(書斎にて)
さてそれからペットは長ーい眠りに
入ってね、今も屋根裏部屋の
ガニメデで世界中の熱帯蝶と一緒に
夢をみながら愚痴ってるのさ。

「どんなに大きな音で吹いても
山荘なら誰も文句は言わないぜ。
それどころか大きければ大きいほど
山荘の森は大喜びさ。
それなのにおいらを放っておくなんて
ちょっと許せないぜ」 




うん、確かこれで音は出る筈?(イオにて)

とまあ、挑発に乗ってペットを屋根裏部屋から取り出し分解し
バルブ油を塗り組み立ててみたものの
音が出ないどころか空気さえ通らないではないか。
再度分解しピストンをよく調べてみると
当然のことながらピストンの3つの穴の位置は
微妙にずれている。

そんなことまで忘れているなんて
恐ろしき40年の星霜、などと歳月に責任転嫁。
ところで3本のピストンの穴の位置とバルブの位置が
何度か試行錯誤したが合わない。
そんな莫迦な! と唯ひたすら焦る。
やっと空気が抜けて先ず一安心。前途多難なり。
さて、音は出るのか?
3月4日(日)曇 イオ&居間
聴こえてはいたんだよ。
ベットで横になっていると屋根裏部屋から
直接ペットの呟きが響いてくるし
望遠鏡を持ってガニメデに登ればペットと目がばっちし合って
「ふん、望遠鏡がどうしたんだい。
望遠鏡なんて覗けば観えるけどおいらはそうはいかんから
逃げているんだろ。意気地無し」と罵られる。

そこまで言われちゃ黙っちゃいられないぞ!

あれ!出ない(イオにて)
永遠に駄目じゃ、こりゃ!
3月4日(日)曇 イオ&居間
空気の通るようになったペットを抱え譜面台を携えて
先ずは眺望抜群のイオの部屋へ。
右の窓いっぱいに森が広がり左の窓からは勇壮な雲海と
その上にそそり立つ雪富士が飛び込んでくる。

イオはペットを吹く為にあるような部屋なのだ。
きっとペットも大喜びして
いきなりあのニニロッソやジョルジュジューバンのような
音色を紡ぎ出すのでは。

レは1,3だったっけ?(居間にて)

部屋を替えても出ないものは出ないのだ(居間にて)

あれ!音が出ないぞ。
まーまーどうしてこうまでおめでたく出来ているのか?
空気も通せぬペットを40年ぶりに抱えて
よりによってなにがニニロッソだ、ジョルジュジューバンだ。
呆れてものが言えないぜ。

折角のペットの為の部屋ではあるがそそくさと退散。
キーボードの在る居間でなら
音程のチェックも出来るし森も富士山も観ていないから
心置きなく練習出来るかな?
ありゃま、またまた甘いこと云ってさ。
あのね、未だ練習だなんて高等な段階ではないのだよ君!
わかっとるのかね。



やっと一輪咲いた紅梅(福生里)

座禅草は雪の下(座禅草公園)

おずおずと蕗の薹(福生里)
 
寒くて堅く閉じていた蕾がびっくらして一輪だけ綻んだ。
山荘の森の彼方から余りにも凄まじい音が聴こえてきたもんだから、紅梅も思わず開いてしまい
座禅草も雪のしたから《ありゃま、いったい何の音だ!》と飛び出し
おしとやかな蕗の薹も《あら、随分凄い音が流れてきたけどどうしたのかしら?》とおずおずと顔を出した。

《わりーわりー未だ眠っていたのに起しちまったぜ。ごめんよ》
と山荘の未熟なる嘗てのトランペット吹きは村里に眠る森の住人たちに頭を下げるのでした。


ポールを立てて屋根点検前庭)
18年目の山荘点検
3月3日(土)晴 

ポールの先にカメラを取り付け
上空から屋根の画像をPCに映しだし
破損個所を調べる。
不良個所は拡大画像にして1枚の
スレートの罅割れすら
見逃さない。

嘗ては職人が屋根に登りハンマーで
瓦を叩きながらチェックしたのだが
今はここでもパソコンの出番。

テラス基礎の水分含有量は?(2階テラス)
驚いたのは建築材内部の腐食度を
調べる新兵器。
テラスの壁に2本の針を突きさすと
使用している木材の水分含有量が
デジタル表示されるのだ。

2階テラスの基礎内部には木材が
使われているらしく
45%もの水分を含み完全に腐食とか。
確かに一部が水分で膨らみ
腐食が進んでいることが分かる。
かなり大きな工事が必要らしい。

次は縁の下に潜って床下点検(キッチン)
最後に縁の下に潜って
建物基礎部の腐食度、歪み等の点検。
浴槽周辺は一部濡れているが
白蟻被害は無く腐食、歪みも無し。

なにしろもう18年も経っているのだから
あちこちがたがきているのだ。
建物だけでなく家電製品、車、バイク
総てが交換時。
そうだな、ポンコツとなった山荘主も
そろそろ交換しないと・・・。
求む次期仙人!



3月2週・・・・あめゆじゅの空の下で 




あめゆじゅの雫と紅梅(福生里)
あめゆじゅに咲く命
3月11日(日) 雨、雪、曇 

雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう


山荘の森では霙であったのに登るに連れて
あめゆじゅは白さを増して雪になった。
「あめゆじゅ、春と修羅の冒頭に出て来るあの詩、
題名が出て来ない。なんだっけ?」
「永訣の朝でしょ」

そうだった。忘れようにも忘れられない筈の宮沢賢治の
あの詩の題名すら出て来ないとは。
でも問えば木魂となって森のあめゆじゅを透かして
《永訣の朝》と還ってくるなんて嬉しいな。
暫く離れていた間に心象はカタルシスされただけではなく
更に細胞の1つ1つに滲みこんで
ついに私自身の肉体になってしまったんだね。

雪も消えて座禅草すくすく(座禅草公園)
3月11日14時46分18秒


 あめゆじゅで
ぐじゅぐじゅになった葡萄畑。
綱を張って畝(うね)とさくを
鍬で作っていたら
小さな里の谷間にサイレンが
鳴り響いた。

遅すぎた蝋梅(福生里)

迎春花も春の悦び(福生里)
死者行方不明19131人

鍬を両手で支え
 《蒼鉛いろの暗い雲から
  みぞれは
びちよびちよ沈んでくる》
と賢治が詠った天空を仰ぎ
イーハトヴに黙祷を捧げた。 




でも未だ高芝山は雪(高芝山)



銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる

3月11日(日) 曇
春は名のみの凍える畑で



雪空の下で果樹枝の剪定する長男氏(福生里)

目にする度に深く心打たれる山荘周辺の情景が2つ在る。
1つは地べたを這って移動しながら畑仕事や庭の手入れをするお爺さんの姿である。
東の森にピンクの山荘を建てて時々やって来るそのお爺さんは
足が悪いのか老衰して動きが儘ならないのか、どうも歩けないようなのだ。
歩けない人が畑を這いずりまわり雑草を取り、鍬を使って畑を耕し種を蒔く姿は実に痛々しくも心打たれる。

立つことの出来ぬ体で鍬を僅かに振り上げ、勢いのつかぬまま振り下ろす。
嘗ての若かりし頃であれば鍬は大地に深く食い込み土は跳ね飛ばされみるみるうちに畝は作られたのだ。
しかし地べたに這いつくばった儘で振り下ろされた鍬は虚しく大地に遊ぶだけ。
その状況に私が在ったなら、その虚しさに耐えきれず大地との交感を諦めさっさとより安逸な世界へ逃げるであろう。
だがそのお爺さんは唯黙々と独り農作業を続ける。
不自由な老化した肉体と堅い大地との苦闘の中に燦然と耀く一粒の真珠が彼には観えるのだ。

一度声を掛けたことが在る。
「大変ですね。畑も庭も手入れがいき届いていて綺麗ですね」
よく聞き取れなかったけれど満面の笑顔から発せられ返って来た言葉は歓びに満ちていた。 
自然と共感し合い不自由な肉体と闘いながら生きることを実践している姿は
痛々しきを昇華させ時には神々しい光さえ発するのである。

もう1つの情景が長年の農作業と高齢でほとんど直角に曲がった腰をものともせず畑仕事を続けるお婆ちゃん。
すっかり耳も遠くなり静寂の世界と対峙し、いつも木々の気配に溶け込んでひっそりと農作業に勤しむ。
深く刻まれた顔の皺が、幾重にも積み重なった星霜の記憶を雄弁に語る。
琥珀に閉じ込められた生命の悠久な時間、数億年前の地層から発掘された化石断面の放つ輝きが
言葉を超えて星霜の記憶を雄弁に語るように、寡黙な三代子さんはぽつりと語った。




甲斐犬連れた里人との語らい(左から母、長男、里人


甲斐犬を散歩させている里人が畑に入って来る。
甲斐犬は飼い主以外には懐かず
よそ者には吼えかかり近づかないのだが
この甲斐犬は寄って来て抱きつきマウンティングすら始める。

三代子お婆ちゃんにも近づき何やらお話。
里人は可愛くて仕方ないと云った表情で笑いつつ嘆く。
「甲斐犬のくせして弱虫でゆんべも鹿か猪が来たら
吼えもせず逃げるずら」

犬との会話でお婆ちゃんの表情が解けてきたけど
最後まで笑顔は観られませんでした。
よーし今度こそ
お婆ちゃんの笑顔を写真に撮るぞ。
甲斐犬のくせして弱虫でこまるけんね
3月11日(日) 曇 

「来年で定年だでこれからは畑仕事に専念出来るずら」
と長男氏が語りかけてくる。
この畑で採れる太陽という品種のソルダムを何回か分けて貰った。
美味いのだ、とにかく美味いのだ。
この畑を母親の三代子さんと家族2人の
週末農業でやってきた長男氏にとってこれでやっと
母親を楽にしてあげられるとの想いが
あるのだろうか、氏の言葉に優しさが滲む。


三代子さんの友達・甲斐犬のゲン



3月3週・・・・早春の演奏会を終えて南太平洋へ 




 雲海をバックに椎茸菌の打ち込み作業
3月18日(日)雨 雨上がりの奥庭で

森の中で鳥の囀りや風の音を聴きながらのんびりと椎茸菌の打ち込み作業をする予定だったのだ。
1年を通しての様々な山荘活動の中でもこの椎茸菌を丸太に打ち込む作業は
最も愉しみにしているものの1つなのだが連日雨。
来週に延すと椎茸菌が弱るし、そうだ来週はパプア・ニューギニアに出張なので今日作業しないと
4月まで出来ないこととなり、結局来年の椎茸を断念せねばならない。
どうあっても今日中に作業を終えねば。

雨が上がったので外作業

よーし、それじゃ外で一緒にやるか。
と始めてはみたものの
グランは退屈を満面に浮かべ時々顔を上げ
「散歩はいつになったらいけるんですかね?」と問う。
愉しみよりも効率を優先してせっせと作業開始。
するとグランがのこのこと犬小屋から出てきて
「雨あがりましたよ」と告げる。
確かに山荘眼下を埋め尽くしていた雲の海は
徐々に開け福生里の村が見えてきた。
じーっと見上げるグラン未だ終らないの?



楢の原木が届いたぞ!

雨だから陶房で作業
早春の
マリンバ演奏会

3月18日(日)雨 雨上がりの奥庭で

「まーまーこの分じゃ終わらんね。
何しろ千個も穴を開け、
そこに千個の椎茸菌駒を打ちこむんだぜ」
雲海に見え隠れする村里をバックに
豪勢な春のマリンバ演奏会だが
グランは初めて。
が、マリンバの妙なる音色も興味無し。
大地讃頌の壮大なステージに立って
独り悦に入り
マリンバを叩き続ける仙人でした。

先ず原木に32個の穴を開ける

次に菌駒を打ち込む



ゲートから前庭の地下に
果たして60mもの光ケーブルを
地下に通せるのか?
3月17日(土)雨 

山荘の電源ケーブルは
ゲート迄は電柱に架けられているが
ゲートから母屋、倉庫、陶房へは
地下経由となっている。

太陽光発電開始と共に
森の美観を損ねる地上ケーブルを廃止。
その為光ケーブルも
ゲートから母屋へと穴を掘り
延々と60m以上に亘る工事が必要。

2週間前に訪れた工事人は
この現状を観て
一目で工事を断念し応援を事務所に依頼。
やっと本日の工事となった。
しかし既存の地下ケーブルの管を
使って光ケーブルが通せるのか
試行錯誤が続く。
悪戦苦闘してどうにか工事成功。

約60mのケーブルを地下から引き出す

雲海に梯子を架けてと

更にケーブルを2階のPCに
雨の降り続く中での工事。
それも地下ケーブルと云う慣れない作業。
梯子に乗る姿も
何となく危なかっしい黒服の青年は
左腕に研修中の腕章。

「未だ2か月目なんです」と
にこにこしながら研修生は答える。
高校生の3人に2人、
大学生の2人に1人が就職出来ないか
1年以内で退職し就職出来ないと
昨日の就職難報道。

やったぜ!面倒な地下ケーブル完成

2人の若者は雨にもめげることなく
呼吸をとりあって。


この雨の中の難しい作業も
笑顔でこなせるのなら
きっとこの青年は今後もこの仕事を
天職とし続けていけるだろう。

そんな思いで工事が終わったPCの
モデムのスイッチを入れ
早速新たなメールのアドレスを取得し
インターネットの接続作業開始。

山荘にADSLを入れPCを入れようと
NTTに連絡した時は
無理でしょうと云われ断念。
が、ついに光ケーブル開通!



小さな山頂標識のみだぞ

間ノ岳(右)農鳥岳(左) 山頂下から
今年初めての高芝山
3月20日(火) 晴 

久しぶりに山頂に出たら
あのいつもの朽ちかけてはいるが
立派な白い山頂標識が無い。
以前から在る木端に記された小さな標識が
桧に打ちつけられているだけ。

どうせ誰も来ない山荘専用の山だ。
今度陶器で山頂標識を焼いて
山顛に着けてあげようかな?

甲斐駒 山頂下から
いつも放し飼いにされていて
半分狼のようなグランだが
この凍った岩場を前に立ちすくみ
登行を躊躇っている。

何度か爪を立てて挑戦したのだが
その度ずりずりと落下。
「おいお前、そんなんでどうする、
体感温度ー30度の八ヶ岳の山頂に立った
あの気迫はいったい何処へ
消えちまったんだ」
5度目にジャンプし辛うじて通過。

登れないよ! 凍てついた岩
だが下山でグラン汚名返上。
山頂から10分程下ると
右の西方向へ尾根が派生している。
この尾根に明瞭な獣道が在り
何度か迷い込む失敗を繰り返している。

気を付けてはいたが今回も
迷い込んでしまった。
リードを解かれ先行しているグランも
きっと間違えたに違いないと
コールしてみたら
左側の正しい南西尾根にグラン発見。
くそ、あいつは下山路を間違えるなんて
決してないのだ。

北岳 高芝山頂下から

高芝山から見た山荘(300mm望遠)

荒川岳(右)赤石岳(左) 山頂下から



何を植えてるの?

遂に咲いたぞ君子蘭

赤ワイン用の葡萄苗だよ
アルモノワール
3月18日(日) 雨 
 
3年前に植えた赤ワイン用苗
カベルネ・フランが枯れてしまった。
もっと丈夫で育てやすく
フルーティで発色の綺麗な葡萄をと
探していたらアルモノワールを
紹介された。

予約しておいた苗が2本届いたので
早速葡萄畑に植えてみた。
山梨県のHPでは右のような良いことずくめの
解説をしているが
果してどうなる事やら3年後まで分からん。
 
金盞花も負けずに
 山梨県果樹試験場が開発した赤ワイン専用ぶどう品種。
品質が良好な「カベルネ・ソーヴニヨン」と耐寒性を有する
「ツヴァイゲルトレーベ」を交雑して育成した。
中生で、山梨県における
収穫期は9月下旬である。
果房重は240g程度、糖度は19%程度で着色は良好である。
寒冷地においても糖度が高く、酸抜けが良いが、
西南暖地では糖度が低く、酒色がやや薄い。また、
北海道において
耐寒性が確認されていることなどから、
山梨県内では平坦地はもちろん、
既存品種の成熟が困難な冷涼地でも十分に
特性を発揮できると考えられる。
ワインは色が濃く
フルーティでタンニンと酸のバランスがとれている。
品種登録されたばかりであるが、
ワインメーカーからの期待が大きい。
(山梨県農政部HPより)




24日からちょっと出張!


世界最大の蝶
パプアの
鳥羽揚羽蝶に逢えるかな


ぱぷあ国旗・極楽鳥と仙人(ぱぷあ大使館内で)
 撮影:勤続20年のスタッフ



南太平洋・ぱぷあ・にゅーぎにあへ 

 好きなのである。
堪んなく好きなのである。南太平洋のパプア・ニューギニアが。

最も多く訪れたチベットを始めとし
ヒマラヤ、アンデス、アフリカと世界の辺境に分け入り
未知の山への旅を続けてきたが
ダイビングが加わり更に辺境の地への旅は広がった。

が、しかしである。
山の辺境と較べると海辺の辺境は無いに等しい。
世界を発見した船は常に新たな文化を流し
地元風土の合理性と美しさを奪い
草葺の家がトタン屋根に代わってしまったり・・。

パプアもその例に洩れはしないが
今まで訪れた中では最も文明汚染の少ない国。
治安も悪く観光客も見かけないが
それだけに海の美しさ、地元民や子供の素顔は抜群!

三度めのパプアで選んだ地は
《蛍の木》の森に囲まれた海・キンベ。
で、ビザ申請にパプア大使館までチャリンコで一走り。
ビザ申請者の影無く大使館はひっそり。

パプアのPizza Viza申請
3月21日(水)晴 パプア大使館

2年前、麻布十番の三田国際ビル内の一室に在った大使館は林試の森前に新築された。
屋上には赤地に黄の極楽鳥をあしらった国旗がはためく。
ゲートのインターフォーンで「ビザの宅配でーす。ではなく申請でーす」と告げると
「Welcome Pizza from the bottom of one's heart」との返事。
やべー、英語で返ってきやがった。

訳すとピザ待ってましたとでもなるのであろうが
透かさずVizaをPizzaに置き換える中々のユーモアに吃驚仰天!
建物全体が余りにも静かなのでついうっかり調子に乗って居眠りしてるに違いないスタッフを
目覚めさせようと飛ばしたジョークに国旗の極楽鳥も囀り出す。

さてその後が大変。Vizaそっちのけで人懐こいスタッフに迎えられあちこち案内され
ロビーに置いてあった本やパンフレットまでプレゼント。
因みに書名は「日本人が見た南太平洋の宝島・パプアニューギニア」、「ソロモン諸島 トラベルガイド」
「A gift from Papua New Guinea」等など。

おまけに大きなパプア国旗と一緒に記念写真までパチリ。
「いい男だから写真もばっちしだね」とのたまう。
おえー、いくら外交辞令とは云えこの老いさらばえた何処からどう観ても救いの無い顔を
とっ捕まえて「いい男」とは余りにも言い過ぎだぜや。
改めて彼の撮った写真を見つめ、そうか余りにも顔が黒いので日本人よりかどちらかと云えば
パプア人に近いと彼なりの感想であったのかと納得。
パプアとはマレー語で(ポルトガル人命名)頭髪の縮毛を意味するが、
そう云えばダイビング用に短くした私の頭髪もパプアに見えなくもない。
よし今日からおいらは《仙人》を改め《パプアのPizza》と改名しよう。


パプア人の踊りシンシン(前回の画像)
2007年8月 マダンにて


ヒラリーとは驚き Viza受領
3月22日(木)曇 パプア大使館

驚いたのなんの!件の大使館のスタッフ氏、ヒラリーと知己だと云うんだ。
ヒラリーと云っても米国国務長官のヒラリー・クリントンではないぜ。
59年前の1953年にエベレストに初登頂し4年前に88歳で死んだ
ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーさ。
ヒラリーが来日した時はスタッフ氏が東京を案内しその時一緒に銀座で撮った写真は
未だ持っているとか。
「えっ本当!そりゃ滅茶貴重な画像だぜや。
そのヒラリーと一緒の写真是非メールで送って!」
と思わず興奮して叫んでしまった。
そもそも何でビザの受領に行ってこんな話しになったのか?

ビザ発給時間の15時より早く着いたので林試の森を散策してからパプア大使館へ。
さて今日はインターホーンで何と言ってスタッフ氏の眠りを覚まそうか?
又同じPizzaでは芸が無いし・・・なんぞと想いつつゲートまでチャリンコを飛ばす。
あれっ!スタッフ氏がニコニコしながらゲートで待ってるではないか。
さては15時前にチャリンコで大使館前を通過したのを目撃していて
手ぐすね引いて待っていたな。

「えっ、今日もチャリンコ、一体何処から乗ってきたの?」
目白と聞いてスタッフ氏の驚くこと。明治通りから駒沢通り、
山の手通り、目黒通りと来ればほぼ直線コースで僅か14km程。
毎日やってる朝トレに較べれば屁の河童だがスタッフ氏の驚きは続く。
「おたく50歳くらいに見えるけど、チャリンコではもうきついんじゃない?
何かスポーツやってるの?」
「とんでもない、へいちゃらさ。もうとっくに60を過ぎたけどヒマラヤに行ってたからね」
と答えた途端Vizaは何処へやらスタッフ氏俄然張り切り
ヒラリーの話しを始めたのである。

パプアに行く前からすっかりパプアモードに嵌り愉快な気分になって
パプアのPizzaは大使館を後にしたのである。



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