仙人日記
 
 その108の22014年  神無月
11月2週・・よいとまけのが聴こえる

単管パイプにえる夕陽
雨が降ってくると作陶を
中断して
室内にある轆轤陶房に避難。
つまり奥庭陶房は
晴れている時だけ使う
青天井の作陶場である。
それも中々乙。
山荘のスタイルにぴったりで
気に入っている。

しかし轆轤室には
3台しか轆轤が置いてない。
もう1台は屋外陶房の
倉庫に眠っている。
従って轆轤室に避難しても
活動出来るのは3人。

これでは窯オーナーだけで
満員になってしまい
他の会員の活動が出来ない。
そこで屋外作業台に
屋根をつけ
雨音を聞きながらの作陶を
可能にしようと
仙人は土方仕事に着手。

いとまけの屋根
陶房の屋根工事 11月8日

博打に明け暮れ
酒を呑んだくれて生活費を
入れぬ夫と
食べ盛りの子供を抱えた
オッカーは
涙なんか流している閑は無い。

荒くれの土方に混じって
オッカーは
土まみれになり
重い槌の綱を引き僅かな
生活費を稼ぐ。

地固めを行うランマーと云う
機械が無かった
大正時代は、もっぱら
よいとまけによって
地固めは行われたのだ。

よいとまけの薫光祖は強し

そりゃ、どうだこの一で50cmじゃ!

従って昭和19年生まれの仙人が
よいとまけの情景を
目にしたことは
ない筈なのだが幼少の記憶に
くっきり残っている。

いや、残っている筈。
その後昭和41年には国策による
炭鉱の閉山合理化
(スクラップ・アンド・ビルド政策)が進められ
職を失った炭坑夫を
救済処置として道路や公園の
整備など公共事業に駆り出し
よいとまけの唄は
津津浦浦に流れたのだ。

重い槌を引き上げる為に
よいとまけの綱を引き下げる力と
直接パイプを大地に
打ち込む労力は異なる。
だがその一撃ごとに
幼少の記憶と共に
よいとまけの情景が蘇る。

不安定な脚立に乗って
3mもの長さの太いパイプに
重い鉄の掛矢を振り下ろすのは
決して楽ではない。


一撃は強烈

両手で支える鉄柱にビーンと強い衝撃が走る。振り下ろされる鉄槌の一撃は強烈で、
鉄柱は見る見る土の中へと埋まっていく。
鉄梯子の上で、鉄槌を構えては振り下ろす作業を何十回と続けるのだから、
並大抵のことではない。

(これが頭に降ってきたら、、、なんてことを考えるのは、まあ、やめておこう。)
70歳にもなる仙人の何処にそんな力がと訝しくなるが、
それは仙人の仙人たる所以なのだから説明のしようもない。




突然!森に出現した白い翼

作陶作業台の屋根か!

巨大な白銀の蝶だ!



クロスメタルの取り

後ろの房との位置関係はと
不安定な4mの高さで
パイプの小さな先端の的を外したら
振り下ろした重い鉄の
掛矢をとどめることは出来ず
掛矢と共に脚立から落下するのだ。
一撃ごとが緊張の一瞬である。

だがもっと恐ろしいのは
その殺人兵器ともなる重い鉄製の
掛矢の真下で
パイプを支えている、よいとまけの
オッカーならぬ
薫&光君の祖母である。

果たしてこの祖母は
よいとまけのオッカーのように
生活費を稼がねばならぬ
切羽つまった事情が
あるのだろうか?

あれっ!これってどうも
無報酬のボランティアらしいぜ!
ちょっと事情を訊いてみようか?
一撃ごとにパイプを通して
凄い衝撃が走って
そりゃ、恐ろしいもんよ!
あーそれなのに何故無報酬で
こんな危険な
よいとまけ擬きを手伝うかって?

幸い娘は大学の特任教授で
孫の薫や光のお相手を
するくらいで
あたしが必死で生活費を
稼がねばならぬ必要はないの。

残された優雅な時間の一部を
陶芸にでも当てようかと
山荘の窯オーナーになったら
ご覧の通り。
さあ、陶房の屋根を作るぞ
とか云って
手伝うのは当たり前と云わんばかり。

まー仙人の
≪窯オーナーになりませんか!≫
の誘いに騙されたようなもんね。

夕陽がむ、急げ!

金属と体した仙人


全身を使って何かを造り出す

唯弾き飛ばされないようにと両手に全身の力を込めて、鉄柱を支えていると、やがて
力を込めなくても柱は地上に立つのだ。
4本の鉄柱が埋め込まれ、その基礎を元に鉄パイプがジョイントされ、陶房作業所の
屋根が形を成す。新しいジョイント用クランプ・クロスメタルを手に入れた仙人は、
嬉しくてたまらないらしい。

その威力が発揮されると歓声を上げる。
全身を使って何かを造り出すというのは、実際関わってみると、実に面白い。
仙人が夢中になるのも無理ないことと納得するが、もちろんその工程は体力、気力、
根気と知恵が無ければ、ただ無残なことになるだろう。




直交クランプで


土方にしても、あんまり賃金が安いので
やけになって博打や酒に
賃金を使ってしまい、更にシャカリキにオッカーは
稼がねばと云う哀しい現実。

幼少の頃、雨の日に訪ねた明美ちゃんの家。
仕事が休みで飲んだくれている
明美ちゃんのお父さんに訊いてみた。
「今日はどうしてお休みなの?」

土方(どかた)殺すにゃ
刃物は要らぬ。
雨の3日も降ればいい≫
又或る時は方じゃ!

博打や酒に明け暮れず、
せっせと生活費を稼いでオッカーに渡しても
賃金そのものが安すぎて
やはりオッカーは働かねばならぬ時代であったとか。

 
鉄の掛矢でち込む


未だ幼くて、何故雨が
刃物に代わって土方を殺すのか
全く解らなかった。
だが一升瓶と転がった茶碗が
侘しかったのだけが
記憶に残っている。

いや、若しかすると
転がっていた茶碗は雨の意味が
解ってから作られた
作為的画像であったのかも知れない。

白銀ピラミッドじゃ!
あの転がっていた茶碗こそが
土方の生きている現実
なんだと、後になって納得したのかも。
それにしても理解も出来ぬ
酔っ払いの言葉が
何故幼心に焼き付けられたのか?

生きることの哀しみを
充分に知りながら
貧しい現実と真っ向から対峙する
オッカーに対し
賭博し呑んだくれて
現実を回避しようとするオヤジ。
 
風が吹いてきたら飛びそう
 
ほんじゃ、パラグライダーにして
 
完成!よいとまけ陶房

枯葉の絨毯上にニョッキリえた屋根

よいとまけの屋根が完成した。
観るからにペラペラで
一陣の風が吹いたら、あれえよあれよと
空に舞い、消えてしまいそう。

何だか、 いかにも賭博し呑んだくれて
現実を回避しようとするオヤジの
やっつけ仕事。
というよりか、寧ろオヤジの存在そのものを
いみじくも表しているようで
思わず苦笑してしまった。

うーん、もうすこし地に足の生えた
オッカーのような、がっしりした
屋根にせねば!
それにしてもオヤジに較べ何と
オッカーの偉大なこと!
出来たぞ!屋根が!

賭博と云えば格好よく様になるが
せいぜいパチンコか
競馬、競輪、おいちょかぶ程度で
あったろうが、それでなけなしの日銭が
消えて、家族が路頭に迷う事に違いはない。
 
風や雪にったらペシャンじゃな!


驚きと興奮

そういえば、今は当たり前に存在している山荘空中ログハウスを建てた時は、
ほとんど信じられないような無謀な作業だった。
誰の教えも無くゼロから建てたログハウス、しかも倉庫の屋根の上なんて、あり得な
いような突飛な立地なのだから。

丸太を一本一本積み上げて、形が出来上がって来た時の驚きと興奮。寒風の中で、巨
大な屋根柱を通した時の信じがたい労力と歓びは忘れられない。
という訳で、ぐらんまになった今も、なんだか、よいとまけの歌♪が聴こえてくる
と、心が弾んでしまうのだ。



いとまけの


父ちゃんの
ためならエンヤコラ
母ちゃんの
ためならエンヤコラ
もひとつおまけにエンヤコラ

姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた

  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た
 

雲海に漂うボ-ン・シルバー  山荘居間から
ボーン・シルバーの
歌っちゃいかんのか!≪よいとまけの唄≫が放送禁止歌だって?

ほら、良く観てごらん!角が泣いているだろう。
右の角の下にはボーン・シルバーの透明な涙が連なっているのが解るかい?
この偉大なるオッカーを讃えた歌を、「歌っちゃいかん!」と決めた
民放の「要注意歌謡曲指定制度」に
ボーン・シルバーは怒り狂って、それでも何も出来ぬ自分に泣いているんだ。

カキーン、カキーンと森から響いてくる仙人の基礎打ち込みの音に織られて
聴こえて来るよいとまけの唄を聴きながら
ボーン・シルバーは、心底怒っているんだ。

≪土方≫が、≪よいとまけ≫が差別語だって!だから歌っちゃいかんて?
禁止すれば、その貧しい現実が消えるとでも云うのか?
ざけんじゃねえ、おめーら報道陣の認識とはその程度なのか?
阿呆共!今すぐ禁止を解除せよ!
そして大いに歌え!偉大なるオッカーの歌を!


森はえています! 扇山&山荘の森


秋色山荘
     Kiln Owner&Chef 

4週間前には未だ夏の名残が色濃かった山荘は、11月に入りたちまち秋色一辺倒に。
晴れれば赤や黄色の葉っぱたちが、観て見てとばかりに、光りに応えて踊り出す。
それは華やかで、煌びやかでさえある光景。
雨に洗われれば、しっとりと光沢を放ちながらも落ち着いた景となる。
空が鈍色の雲に覆われてさえ、地上の豊かな彩色は他の季節には味わえない独特の落ち着きを醸し、
心を静かに且つ豊饒にしてくれる。



雲海の中の山荘を大してと 座禅峠より


何だか今度は山荘が大きすぎて
扇山が山荘の奥庭に飾られたオブジェに。
雲海なんぞ、山荘をノアの方舟に
演出するための大道具。

こんな風にして天空から
ある日お迎えが来て、山荘を雲海に漂わせ
ラグランジュ点へ向かう永劫の
旅に出るんだね。
雲海の上に扇山!
11月10日(月) 曇晴 小倉山

雲海に覆われて、小さな山荘が消えてしまう。
ほなら
魔法のミクロスコープを使って
よいしょと引き伸ばして、これでどうだ!
 
朝トレルート扇山の北 座禅峠より



心深くに降り積もる

これらの風景の中に在るとき、改めて四季のある国に生まれた幸せを感じるのだ。

どの季節もそれぞれに魅力があり、山荘を訪れる愉しみなのだが、
秋から冬へと一直線に景が変わるこの季節の狭間は特に心惹かれる。

早春から芽ぶきの季節へと移り変わる瞬間も、圧倒的な生命力の爆発を観るようで心躍る時間だ。

しかし、命が鮮やかに燃えつくし、やがて静かな眠りに就く直前の壮大な変化は、
何故か不思議に心深くに降り積もるものがある。

若い頃には秋のもの悲しさが何ともセンチメンタルに、むしろ甘やかに心を揺さぶった。
死は未だ遙か彼方の憧れに近いものであったからなのかもしれない。


大変だ!風呂窓がえている!

夏椿が黄金に燃えて別れを告げ、山法師が切なく風に揺れながら紅を放つ。
その横でイロハ紅葉が未だ闇を含みつつ、真っ赤な炎を燦爛させる日を待っている。
太陽光の温泉に浸かりながら、紅葉狩りが出来るなんて嬉しいね!



命もまた大きな自然に

今自然が見せてくれるのは、紛れもない己が姿である。
その自然の法則に則って、自分の命もまた大きな自然に還っていくのだと思えば、
心は穏やかに、間もなく訪れる真冬への準備が整えられそうな気がする。


山荘の自然が私に与えてくれる最大のプレゼントは、
自らの命への慈しみの想いを育ててくれることなのかなと、この頃思う。

雨の翌朝、小倉山へ晴れを期待して登った。
しかし残念ながら、天気の回復は未だ捗々しくなくて、雲海とも霧ともつかぬ白い帳が森を包む。



雲海とビアは良く合うぜ!

でも、自ら進んでやる土方仕事は
実に愉快だね!
あの緊張の一瞬に
≪よいとまけの唄≫も聞こえて来たし
流した汗の中に幼い日の
画像を映し出すことも出来たし。

今冬の冬将軍の烈風と降雪に
ペラペラのよいとまけ屋根が耐えてくれれば
来春は太陽をいっぱいに浴びて
作陶ができるかな!
それでは陶房屋根完成に杯!

あそこは風の通り道だし
大雪だって降るし
あんな、ひ弱な屋根じゃとても耐えられない。

土方仕事でを流した後のビアは最高 


高倉健が死んで、初めて甦った記憶が1つある。
勿論、仙人が幼少であった頃、
未だ銀幕に高倉健なるスターは存在していなかった。
しかし11月10日に亡くなったとの訃報が
18日に伝えられた今、幼少の記憶が
現在の高倉健に重なり鮮やかになった。

土方(どかた)殺すにゃ刃物は要らぬ。
雨の3日も降ればいい≫
あのセリフは正しく高倉健のセリフだったのだ。

明美ちゃんのお父さん・文七おじさんは
寡黙でありながら、
1つ1つの動作が実に雄弁であった。
一升瓶を持つ手の動き、1点を見つめる目の深さ、
たまにポツンと発する呟きのような言葉。

それらが幼心にビンビン響き、文七おじさんに
いつしか好感を抱くようになったのだろう。


合掌 高倉健
2014年11月10日死去 
83歳


あの雨の日も、きっと文七おじさんが居るに
違いないと思って明美ちゃんの家に行ったのだ。
今になって思えば、
少年にとって文七おじさんは、
未来の、憧れの高倉健であったに違いない。

おじさんが雨で殺されると思ったのは、
単に経済的な困窮だけでなく、
大好きな土方仕事が
出来ないことへの憂いだったのだろう。
社会の底辺に位置づけられた土方をこよなく愛し、
ただ黙々と働く文七おじさん。

明美ちゃん一家の不細工だけど
暖か味のある家も、
文七おじさん自らの手で、
基礎を打ち屋根を葺き独力で建てたとか。
3日も雨が降ったら、
死んでしまう、そんなおじさんが好きだったのだ。



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