仙人日記
 
 その106の22014年 長月
9月2週・・・・ようこそ大正浪漫の美術館へ
今年は夢二生誕130周年
≪夢二の詩&セノオ楽譜≫展
ミニコンサート
(ピアノ:小ノ澤幸穂&ソプラノ:松原典子 演目:宵待草、風の子供、ふるさと、たそがれ、春のあした)

9月1日(月)~6日(土)  於ギャラリーゆめじ

竹久夢二は詩人としても、日本を代表する「宵待草」を始め、たくさんの詩を残しました。
その中の24編に山田耕筰などの作曲家が曲をつけ、セノオ楽譜として出版されましたが、
夢二が描いた表紙絵の素晴らしさもあって大変な評判を呼んだそうです。
(展示会パンフレットより転載)



装のギャラリー内部
目白通りのギャラリーゆめじ 
 
「夢二の詩&セノオ楽譜」
ちょっと、目白鬱仙人の歴史お散歩
星霜95年の鬱色のくすみとのお遊び

≪泳ぎ続けていないと鰓呼吸が出来なくなり、仙人は死んでしまうんだって!
おいおい、いつから仙人は鮪になったんだ?
大体、泳ごうにも目白には畑も、森も山もないし、例え山の鮪にだって、なれる訳ないじゃないか!≫
そんなことをブチブチ言ってるのは、どうやら仙人の目白書斎のパソコン。

パソコンのブチブチが聞こえたのか、キッチンから超忙し女史のセリフ。
「午後からギャラリーゆめじの展示会当番なの。
ちょっと顔出してみない?まあ、歩いても1分だから鰓呼吸の助けにはならないけど」
運動にはならぬが、若しかすると展示された絵画が
何か鰓呼吸に代わる刺激を齎してくれるかもと、カメラを引っ提げてノコノコ出かけたのです。
95年間の鬱を蓄積したかのようなくすみに覆われ、夢二の絵画は死に体。

こりゃだめじゃ!これじゃ精神的にも、とても鰓呼吸の助けにはならんと思った途端
書斎のパソコンがテレパシーを発したのです。
「そりゃ畑や森、山での活動の代わりにはならんが、その95年間の星霜のくすみを取ってみたら!
おいらを使えば簡単に出来るだろ」

まー、目白で死んでるより増しかと、早速パチリ、パチリとシャッターをきって
パソコンに入れて絵画をリフレッシュ!
その夜の夢に、夢二が出て来てこう宣ったのです。
「莫迦め、余分なことしやがって。あの95年の星霜のくすみの良さも解らんなんて言語道断!」

 

以下の画像は≪竹久夢二「セノオ楽譜」表紙絵大全集≫より転載し画像処理
たそがれ

作画:1922年(大正11年)
作詞:竹久夢二
作曲:土屋平三郎
サイズ:222×310mm


巷の雪
(ラブス オールド スヰート ソング)

作画:1922年(大正11年)
作詞:竹久夢二
作曲:土屋平三郎
サイズ:223×308mm
深い河

作画:1923年(大正12年)
作詞:ウィルヘルムミューラー
訳詞:妹尾幸陽
作曲:バーリ
サイズ:225×310mm



宵 待 草


待てど
暮らせど
来ぬ人を
宵待草の
やるせなさ
今宵は
月も出ぬそうな

  

ふるさとの海

ふる里の海による波
ゆたゆたといまもなお
思い出の胸にさしよる
ほの青くやわらかき
母の乳房に
頬よせてきく子守歌
いや遠く遠くなりゆき
涙ながれき

ジプシーの歌
(歌劇カルメン)

作画:1919年(大正8年)
訳詞:堀内敬三
作曲:ビゼー
サイズ:193×264mm


宵待草

作画:1918年(大正7年)
作詞:竹久夢二
作曲:多忠亨
サイズ:229×310mm
ふるさとの海

作画:1926年(大正15年)
作詞:竹久夢二
作曲:藤井清水
サイズ:225×310mm



大正浪と大正モダン

云ってみりゃ大正は、日本が長い幼児期の眠りから覚め、自我の存在に気づき、新たな世界を認識した悩める青年時代。
大正と云うだけで無数の言葉が溢れ出し氾濫し、勝手に叫び出す。

先ず個が抹殺された長い封建時代を突き破って、個人主義、理想主義、自由恋愛が声高々に叫ばれ
耽美主義、ダダイズム、アナキズムが台頭し、退廃的、虚無的なるものに魅かれる若者が出現。
心中、自殺、アールヌーボー、アールデコから世紀末芸術へと
僅か15年間に、一気に薔薇色の希望から出口なしの絶望へと脈動し、青年時代の希望と絶望を描いた大正。
その中で何故、大正浪漫と云えば、竹久夢二と云われる程、
夢二の美人画は多くの人々を魅了したのか?



薔薇の花

作画:1926年(大正15年)
作詞:川路柳虹
作曲:関屋敏子
サイズ:228×306mm


野薔薇

作画:1926年(大正15年)
訳詞:近藤朔風
作曲:ウェーベル
サイズ:232×305mm
パラダイス
維納(ウィーン)の古歌)

作画:1926年(大正15年)
解説:妹尾幸陽
編曲:クライスラー
サイズ:230×310mm
袂の風を
身にしめて
ゆふべゆふべの
   ものおもひ.
 野ずゑ
はるかにみわたせば
  
忘れな草

袂をだいて
木によれば

やぶれて落つる
文がらの
 またつくろはむ
 すべもがな.
 
わかれて
來ぬる窓の灯の
なみだぐましき
光かな.
わすれな草よ
なれが名を
 なづけし人も
 泣きたまひしや.
わすれな艸

作画:1920年(大正9年)
作詞:竹久夢二
作曲:藤井清水
サイズ:225×306mm


愛の古き歌
(ラブス オールド スヰート ソング)

作画:1920年(大正9年)
作詞:ビンカム
作曲:モルロイ
サイズ:228×310mm
菩提樹の歌

作画:1926年(大正15年)
作詞:ウィルヘルムミューラー
訳詞:妹尾幸陽
作曲:シューベルト
サイズ:232×307mm



眠りからの覚

仏国、英国が血眼になって植民地を漁り、世界地図を塗り替えていた頃
日本は未だ、狸おやじ徳川家康の催眠術にかかり、時を止められトローンとした眠りに在った。
300年の眠りの後に、颯爽と竜馬が登場し、明治維新への途が拓かれ
以後の45年間に絹織物を資金源に工業化を進め、動脈とも云える鉄道網が敷かれ、汽船による水運が世界に延び
日本は長ーい眠りから覚めた。

明治27年(1894年)に日清戦争、その10年後、明治37年(1904年)には日露戦争をおっぱじめ、
世界の植民地戦争に加わり勝利し、大正時代を迎える。
大正7年(1914年)に第一次世界大戦が始まり、日本も参戦し戦勝国となり、3つの戦いに連続勝利。
この3回の戦争勝利によって日本は長ーい幼児の眠りから一気に覚醒し、
青年となって世界の檜舞台を垣間見、大正を迎えたのだ。



想い出

作画:1923年(大正12年)
作詞:川路柳虹
作曲:藤井清水
サイズ:228×311mm


子守唄

作画:1923年(大正12年)
作詞:竹久夢二
作曲:藤井清水
サイズ:225×310mm
おつた

作画:1924年(大正13年)
作詞:竹久夢二
作曲:宮原禎次
サイズ:225×308mm


青年はをする

恋をすれば鳥のように囀り歌わねばならぬし、麗しい衣装を纏い飾らねばならない。
折しも大正5年(1916年)には国産の円盤式蓄音機が製造され、
電気吹き込みレコード(電蓄)として販売が開始され、青年はより高らかに囀り歌う術を手に入れた。
日本全体が青年になって恋に陥ったのであるから、
竹久夢二と妹尾幸陽の美人画と音楽は、歴史の必然と云ってもそう言い過ぎではないかも。

大正2年、
芸術座が結成され松井須磨子の「カチューシャの唄」が流行り、翌3年には
宝塚少女
歌劇団の初演があり、5年には日本初のアニメ「サルとカニの合戦」が制作され
9年には松竹蒲田
撮影所が設立される。
青年は絵画、音楽に加え、映像芸術をも手に入れ、益々青春を謳歌することに相成るのだ。
そして大正末期の14年には、
ラジオ放送が開始され、15年には日本放送協会(NHK)設立と
青年は忍び寄る恋の終焉にも気づかず、大正モダンに酔い痴れる。



かひなき小夜曲

作画:1926年(大正15年)
作詞:堀内敬三
作曲:ブラームス
サイズ:226×304mm


死と少女

作画:1924年(大正13年)
訳詞:堀内敬三
作曲:シューベルト
サイズ:225×308mm
ナアマの歌
(有島武郎作「大洪水の前)

作画:1926年(大正15年)
作歌:水野田無
近藤秀麿
サイズ:229×309mm


新時代を
げる序曲

食べるものも満足に無く、病と闘う術に乏しい幼稚な医療事情が描いた美人は健康第一であった。
体型はふくよかで、顔はしもぶくれ気味なオタフク顔であご先は丸く、
顔は大きく引目と呼ばれる細い象眼
が美人として好まれ、描かれてきた。
太っているのは食糧不足でない豊かな生まれの証であり、細い一重の眼は砂塵の侵入を防ぎ眼疾を防ぐ
営々と受け継がれてきたモンゴロイドの風との闘いの成果。

さて、この平安時代から描かれてきた美人条件を、真っ向から否定し、
すらりとせて、なよなよと弱しく、眼のパッチリ開いた女を描いて登場した竹久夢二。
3回の戦争勝利によって長ーい幼児の眠りから一気に覚醒し、
世界の檜舞台を垣間見た日本青年にとって、その夢二の描いた女こそ新時代を告げる序曲であった。
(とまあ、鬱とは思えぬけたたましい進軍ラッパを吹きながら目白鬱仙人は何処へ行くのやら?)



晩餐

作画:1919年(大正8年)
作詞:竹久夢二
作曲:妹尾幸陽
サイズ:115×188mm


秋田おばこ

作画:1926年(大正15年)
作曲:関屋敏子
サイズ:228×303mm
春夜夢
(二部合唱)

作画:1920年(大正9年)
作詞:惟一くらぶ
編曲:メンデルスゾーン
サイズ:222×307mm



の終焉

質の高い音楽や絵画と、自由に接することが出来るのは、古来権力者、金持ちの特権であった。
それがこの「セノオ楽譜」さえ手に入れれば、洋楽ですら自分の楽器で演奏し、愉しむことが出来るのであるから
その人気たるや半端ではなかったろう。
電気吹き込みレコード、トーキー映画、ラジオ放送がその人気に拍車をかけ、夢二の美人画と共に「セノオ楽譜」
新時代を告げる序曲として大正に鳴り響いたのだ。

しかし拍車をかけたこの3つは同時に、「セノオ楽譜」にとって,,恋の終焉を企む天敵でもあった。
レコードが普及し、映画やラジオで簡単に音楽が聴けるようになると、
態々楽譜を買ってきて長い時間をかけて練習し自ら演奏する必要がなくなったのである。
こうしてあれ程熱狂的に受け入れられた「セノオ楽譜」は、青年から見放され、
更に政党政治を葬り去り再び軍靴の響き渡る昭和の足音に呑み込まれ、消え去ってしまう。

「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月もでぬそうな」
今宵の月はもう2度と、決して出ることはないのだ。



椰子の葉

作画:1920年(大正9年)
作詞歌:平井晩村
作曲:平井晩村
サイズ:115×187mm


けふ

作画:1919年(大正8年)
作詩:竹久夢二
作曲:竹久夢二
サイズ:114×189mm
雪の夜

作画:1920年(大正9年)
作詞:竹久夢二
編曲:竹久夢二
サイズ:117×179mm

蘭  燈 


和蘭屋敷に提灯つけば
ロテのお菊さんはいそいそと
羞恥草は窓の
玉虫色の長椅子に
やるせない袖うちかけて
ミンサセ弾けばロテも泣く
  
草 の 夢 

とけてきえゆく露ならば
恋も忘れてありしもの
おもいみだるゝ人の子は
ながれのきしのしのゝめに
昼はひるとて草の夢
心やり

作画:1920年(大正9年)
作詩:竹久夢二
作曲:妹尾幸陽
サイズ:118×177mm

蘭燈

作画:1917年(大正6年)
作詞:竹久夢二
作曲:本居如月
サイズ:220×310mm
草の夢
(維納の古歌)

作画:1919年(大正8年)
作詞:竹久夢二
編曲:妹尾幸陽
サイズ:116×188mm


大正めらんこりー

華々しい文明の進歩を高らかに謳う豪華客船タイタニック号が沈んだのが大正1年。
血や死をもって個を平然と抹殺することも時には厭わない、新たな政治形態となるとは夢思わじの、
労働者の理想社会を目指すロシア革命が起こったのが大正6年。
その翌年に「宵待草」がスペイン風邪と共に大ブレークし、芸術座を結成した島村抱月がスペイン風邪と共に去りぬ

大正10年には人類史上最大の殺戮者・アドルフ・ヒットラーが、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の
党首となり未曾有の大量殺戮を開始。
10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる関東大震災が大正12年9月1日に発生、
その2週間後の9月16日にはアナキストの大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一(6歳)の3名が
不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で殺害され、遺体が井戸に遺棄される。
そして政府批判はすべて弾圧の対象とする、恐るべき悪法・治安維持法が大正の終焉を告げるかのように大正14年に公布。



ちちのみの

作画:1920年(大正9年)
作詞:永田龍雄
作曲:藤井清水
サイズ:225×308mm


庭の千草

作画:1920年(大正9年)
解説:妹尾幸陽
作曲:トーマス・ムーア
サイズ:224×305mm
夢見草

作画:1921年(大正10年)
作詞:服部嘉香
作曲:藤井清水
サイズ:228×315mm



光球の如きから火の鳥

あのね、【氾濫する激情のカオス】ってなんなのさ!
解ったようで解んなくて、
あっぱらぱーで、仙人の独り善がりには、とてもじゃないがついていけないぜや。
そうか、実はその呟きを待っていたのさ。

昭和のピカドンで死んでしまった24年後の焼野原に、あの網膜を焼き尽くす光球の如き炎から火の鳥として
忽然として現れた≪状況劇場≫と≪天井桟敷≫。
(あー焼野原と云っても、もう既にかなり復興してたので、その焼野原は24年経ても変わらぬ心象風景だよ)

あの日、昭和44年(1969年)1月3日新宿西口公園、唐十郎は
東京都の中止命令を無視し、ゲリラ的に紅テントを建て、『腰巻お仙・振袖火事の巻』公演を決行。
200名の機動隊に紅テントが包囲されながらも最後まで上演を行ったんだ。
これが世に知られる「新宿西口公園事件」として語られる、ピカドン後の新生日本のアングラ神話さ。
勿論上演後、唐十郎、李麗仙ら3名が「都市公園法」違反で現行犯逮捕。


氾濫する激情のChaos
ジャケットに描かれる戦後青年の恋人達
現代美人画作家・林静一(現在69歳)の作品
同棲生活をテーマにした漫画『赤色エレジー』で知られる。
その繊細で叙情的なタッチはしばしば
竹久夢二の系譜を受け継ぐと評される。
以下参照資料:wikipedia


この唐十郎に昭和44年(1969年)12月5日、状況劇場のテント興業を祝して葬式用の花輪を贈ったのが寺山修二。
当然黙っちゃいない唐十郎。
一週間後の12月12日、劇団員を引き連れて天井桟敷を襲撃、大立ち回りを演じて、
乱闘事件を起こしたかどで、唐と寺山を含む双方の劇団員9人が、暴力行為の現行犯で逮捕されたのだ。

まあ、元はと云えば唐が寺山の天井桟敷の旗揚げ公演の際に中古の花輪を送った事への
意趣返しだと云うのだから餓鬼の喧嘩そのものである。
その状況劇場は韓国、バングラデシュ、レバノン、シリア等で現地語の公演を行い
天井桟敷は、ベオグラード国際演劇祭で『邪宗門』がグランプリ受賞。
忽然として現れた≪状況劇場≫と≪天井桟敷≫は、硬直した世界の土手っ腹に
反体制の風穴をぶち抜いたのだ。

あーそうそう、それが彼等とほぼ同時代を生きて来て、彼らの劇場(激情)通い続けた仙人にとって
【氾濫する激情のカオス】として、捉えられたと云うだけのことなのさ。


林静一の作品

紅犯花

黒ゆりの花

黒百合は 魔物だよ
花の香りが しみついて
結んだ二人は はなれない

邪宗門

 渋谷での『邪宗門』上演中は、観客から野次と罵声がとび、それだけでなく、観客の一人が
舞台に駆け上がり、マイクを奪うということも起こった。
出演中の天井桟敷の小野正子とマーブルは、この観客をけり飛ばし、この男は、
観客席まで四、五メートルふっ飛んだ。

公演中に乱闘もどきも起こった。寺山修司は、このとき、
名古屋の中京福田組の高橋組長
興行中に呼ばれたことがあった)からもらったドスをふところに入れて
舞台裏にいたのである
(拳銃もご用意できますが、と言われて、さすがに冗談だろうと思った、と寺山は語ったことがある)
寺山修司は生演奏中のシーザーにいった。
「音をたやすな。音がなくなると演劇でなくなる。ただのケンカになる」。

役者たちは、自分の出番が終わると、乱闘に参加し、また出番になると、また舞台に出ていた。
乱闘に参加したのは、親交のあった演劇集団・日本の俳優や、血の気の多い若い観客たちであった。
唐十郎は、この乱闘の時、演劇集団・日本の三原四郎に、一緒にやりましょうと、いわれたと語っている。

『邪宗門』は、そうした中で上演されていった。
ラストシーンで、佐々木英明が「舞台に上がって、なにかいってみろ!」という頃には
もう舞台に上がる客はいなかった。
寺山修司は、この時、舞台監督にも「ドスを持て!」ともいっている。
◆「寺山修司 過激なる疾走」高取英著(平凡社新書)から引用◆



中村佑介(現在36歳)の作品
父は建築家、母はファッションデザイナー。
幼少から絵を描いていた。小学4年生の頃、女性の体に興味を持ちエロ漫画を描くことに目覚め、
女性のM字開脚の絵ばかり大学ノートに描いていたところを母に見つかり、
「そんなに興味があるんだったらお母さんの見せてあげようか?」と言われ、それ以来女性が苦手になってしまったという



Pink(セイルズ)
 
M字開脚
 
女性が苦手?


「世界の涯てとは、てめえ自身のことだ」と気づいたら、思い出しておくれ。
おれは出口。おれはあんたの事実。
そしておれは、あんたの最後のうしろ姿、だってことを。

「突然、宇宙の爆発がやむ。銀河が何万光年の逃亡をやめる。そして新たに凝固しはじめる。
という想像」の方が、一夜の夢にたよるより、ずっと簡単なんだ。
だまされるな。おれはあんた自身だ。
(寺山修二の戯曲5扉より)



林静一の作品
少年時代から漫画好きで、1960年の中学校卒業後、絵に携わる仕事をしたいとデザインスクールへ進学。
1962年にアニメ制作会社東映動画にアニメーターとして入社、同期には宮崎駿、芝山努がいる。


黒髪編

赤色エレジー

一ばんみじかい抒情詩
寺山修二

なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です

万葉恋歌



初めて世界を目にした青年は、夢二の美人画に恋をし、
耽美主義、ダダイズム、アナキズムの洗礼を受け、退廃的、虚無的にならざるを得ない負の体験を繰り返し
やがて死を迎える
4度目の植民地戦争へとひた走る昭和に、舵を切っていくのである。

とどめの2発の
原爆投下で一瞬にして24万人を殺され、日本は4度目の植民地戦争に敗れ、
大正青年にまで育った
日本は死んだ
あの死から70年、新たな戦う青年を育てようと安倍政権は策動。
平成青年は、再び愚かな過ちを冒すのか、
はたまた昭和の死から何かを学び、氾濫する激情のカオスから、
国家や巨大組織の利権を超越した知のコスモスへと、途を切り拓くことが出来るのか?

おんどりゃ、試されておるんじゃ!
そんなことをつらつら思いながら目白鬱仙人は、≪ギャラリーゆめじ≫を後にしたのであった。
鬱仙人は果たして、美人画の追想を通して
鰓呼吸を再開出来るのであろうか?


Index

Next