1593ー2019年  如月

待ち望んでいた早の曙光
南回帰線上の水晶峠から小倉山頂まで移動した曙光

部屋に流れる胡弓の奏でる≪早春賦≫と共に、早春の太陽が昇ってきたと云うのに、
仙人は何やらぶつくさ言いながら、書斎でパソコンのキーボードを叩いています。
どうやら1月から準備していた≪引越し大作戦≫が未だ終わってないのでは!
雪帽子を被った樹上の壺が全身に早春の光を浴びながら、仙人の愚痴を聞いてます。




福寿草見ーつけた!

しかし引越し大作戦を機に
追加していなかったDV記録を入れて転送。
最新のHPのインデックスからは
追加の転送が出来たが、
肝心の山荘日記からの転送は
何度やっても上手くいかず、

ファイル転送ツールを開き編集ページと
サーバーのファイルを具にチェックし、
URLやサブディレクトリーに誤りのないことを

しぶとい!
引越し大作戦は終わりそうで終わらず、
最後の絶対パスから相対パスの決着が
着きそうで着かない。

最初の膨大なファイルを抱えた山荘日記は、
ジオシティーズでは容量が
大きすぎて編集が困難になりここ数年
誤りなど見つけても放置しておいた。

 
まんず咲いた万作


この野原いっぱい!
確認してはアップし、
ウェブへのアクセスを
試みるが4つのフォルダが開かず。
それだけの単純作業を始めて
3日目の朝を迎えた。

「これは閑で閑で
そのくせ何もやりたくない
と云う怠け者仙人に神様が
くれた贈り物」と捉え、
のんびりと構えるべし。


東北方言のまんず(先ず)

こうなったらありとあらゆる
試行錯誤をしてやって
神様の期待に
応えてやろうじゃないか!

と再度アクセス出来ているページの
URLとアクセス出来ないURLが
同じであると確認し、
これは仙人の落ち度ではなく
パソコンの問題と判断。


ピンクの白梅
きっと時々生じるPCの
ヒステリーか気紛れだろうと思い切って
≪前回の転送以後に
更新されたファイル≫では無くて、

≪総てのファイル≫にしたら
一発で転送OK!
アクセス出来たではないか!
くそー!
この3日間は何であったのか!

 
蝋梅のいい香り!
 
和紙の原料三又の蕾
 
春迎花・黄ばい!



冬も咲き続ける大犬のふぐり(殖栗)


葡萄畑一面に咲く誇る青紫の小さな花に
さっさと見切りをつけ仏の座で
勝負することにし、中庭に登り
仏の座群落と睨めっこ!

考えてみたら仏の座の花弁は大犬の殖栗よりも
更に小さくてピント合わせは至難。
右端の紅色の斑点を3つ付けた下唇の花弁に
どうにかピントが合ったものの
とても満足のいく画像にはならなかった。

 小さ過ぎて顕微鏡モードで撮っても、
大犬の殖栗の美しさを捉えられないもどかしさ。
花弁にピント合わせすると、
先端と花芯までの距離が開きすぎて
中途半端に暈けてしまう。

えぃ、と思い切ってシャッターを押したら
花芯の底だけがやや明瞭になった。

 
凍てついても咲く仏の座


こんにちは!蕗の薹さん
背丈が低く、動きがすばやく、
漁に巧みで,
屋根をフキの葉で葺いた竪穴に
すんでいたコロポックル。

今年も奥庭の瀧の下に顔を出し
早春の歓びを謳ってます。


コロポックルだよ

山茱萸もちらり

露を飾りに犬ふぐり

山茱萸の蕾

これ、ぺんぺん草

前庭の山茱萸が
コロポックルの歓びの歌に
導かれて僅かに黄色い蕾を覗かせ、
早春の光に
身を委ね気持ち良さそう。

果実の形が、三味線の撥に
似ているぺんぺん草も
早咲の日本水仙も抑えきれない
歓びに震えています。


日本水仙も蕾が


高砂百合の種

向日葵の乾華

おや、またまた書斎から
仙人の愚痴が聴こえてきます。
すっかり枯れ果てた高砂百合と
向日葵がどうやら仙人の
カウンセリングを引き受けた様です。

樹上に飾られた壺も随分
根気強く愚痴を聴いてましたが、
枯れ果てた老獪な2人なら
仙人を丸め込むのも御手の物。
ふむふむと愚痴を聴いてます。


44nikki.htmlとnikki44.htmlの
2つのフォルダが混じっているなんて!
何処でそうなったか
見当もつかないが、兎に角
現実として編集ページにもサーバーにも
その2つが存在している。

その1つnikki44.htmlの
米国少年合宿日程の枠が
壊れていたのだ。


福寿草の芽

茂木琵琶の花



めり込んだ人参

龍蛇族の伝承滝本院に祀られた龍

しめ縄飾りの船宮神社

それに気づかず、
何度も何度も
44nikki.htmlを修正してはアップし失敗。
そりゃ当たり前だと今では解るが、
この2つの紛らわしいフォルダの
発見以前は
ただただ混乱在るのみであった。

早速フォルダの名前を変更したが、
nikki44.htmlを44nikki.htmlに
変えれば上書き保存されるかと
やってみたが変更されず。
これは既に
同じフォルダ名があるので
上書き保存せず
名前の変更が拒否されたのだ。


そこで仕方なくこの不良nikki44.htmlと
bacを編集ページとサーバーから削除し、
44nikki.htmlに統一し
ドキドキしながら
転送ファイルでチェック。

当然ながらOKだったので
ウェブで確認したら不良のまま。
慌てず最新情報に更新したらばっちり!
3週間も悩み続けた問題が
遂に解決したが、原因が
余りにもお粗末
だったのでショックは大きい。

やや引き攣った嗤いで
仙人はこう述べたとか。
「うーん老化も悪くはないな。
おかげで3週間も楽しめたぜや」


船宮神社の石鳥居

9か月育てた人参



山荘より低い山へ
塩の山553mの初登頂


温泉街の裏径を辿ると頂へ


≪チベットの鳥葬≫現場遭遇の帰りに
向岳寺までバイクを走らせ、
塩の山を西側から登ってみた。
向岳寺山門の奥にバイクを乗り入れると
侵入禁止らしき雰囲気。

がチェーンが垂れさがり如何にも
通れますよみたいな様子。
突破すると10mも進まぬ内に2つ目のチェーン。
山荘より低い山ではあるが
嘗ての塩山市のシンボルでもあった塩の山。
山荘の標高が750mで塩の山が553mだから
197mも低いので、山というよりか
丘であり登る対象ではなかったが、
どんな道が頂へと続いているのか気にはなっていた。

 
塩の山地球のエネルギーが溢れ出る特別な土地・四神相応


西面の休憩処

東面の休憩処
ここでバイクを止め歩き出すが、
山腹を巻く道は一向に山頂を目指さず
いつまでも散歩道で
あろうとしているかの如く。

きっと頂への道が有る筈だと
行ったり来たりしていたら、
温泉街に近い散歩道にしっかり
標識が立っていて、
第一休憩所まで10分とある。

 盆地の中央に臍の様に
飛び出しているのでさぞ眺望が良いだろうと
期待していたが、
赤松の植樹などをしているので
樹幹にちらりほらり
街や山並みが観えるだけ.

山登りでなく森の散歩という感じ。
中々立派な四阿に至ると
次は第二休憩所まで8分とある。
 
山頂の展望図
 
この板を叩くと健康になります


山頂まで21分でーす!


昭和初期に訪れた与謝野晶子の歌もある。
「いにしへの差出の磯を
破らじと笛吹川の身を曲ぐるかな」


暴れ川であった笛吹川の暴れを諫めると云われた
自然の防波堤である差出。
流れに突き出した差出を浜辺の磯に例え詠まれた歌。

 
古今和歌集に詠まれた歌


背後に白銀の峰を従えた塩の山

眼下には塩山の街が
10分登って休憩し
8分登って休憩では休んでばかりで
休み疲れしてしまうでは、
なんぞと
ぶつぶつ言いながら第二休憩へ。
ここもしっかりした四阿で
頂上まで6分とある。

湯治客が温泉に入っては
塩の山を散歩し、
再び湯に浸かり
命の洗濯をする様が浮かぶ。
さて次は東側からの
散策路を偵察してみようか!


山頂から恩若峰を望む

恩若峰からの塩の山


頂に墜ちる静謐の夕陽
武田信玄より7代前の当主、武田信春公の頃より聖地とされた塩の山

≪塩の山≫は食塩の塩ではなく四方が鈍ったもので、四方から良く観える≪四方の山≫の意だと
甲州市観光協会は述べている。

武田信玄が駿河の今川氏真との同盟を破棄したため、今川は相模の北条氏康と共謀し信玄への塩を断った。
山国の甲斐で塩を断たれたら生きてはいけない。
それを知った武田の敵方の上杉謙信は「塩を断つとは卑怯なり」と塩3000俵を送った。
とのエピソードから「敵に塩を送る」なる格言が生まれたそうな。
幼い頃聴いた話では、塩を断たれた信玄は広大な盆地の中央にポツンと突き出た≪塩の山≫を
この山こそ岩塩の出る≪塩の山≫と称し、今川の塩断ちに弱みを見せなかったとか。

夥しい血を流しながら武田の聖地であり続けた≪塩の山≫に静謐の夕日が墜ちる。
 


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