159の3ー2019年 如月
待ち望んでいた早春の曙光 南回帰線上の水晶峠から小倉山頂まで移動した曙光 部屋に流れる胡弓の奏でる≪早春賦≫と共に、早春の太陽が昇ってきたと云うのに、 仙人は何やらぶつくさ言いながら、書斎でパソコンのキーボードを叩いています。 どうやら1月から準備していた≪引越し大作戦≫が未だ終わってないのでは! 雪帽子を被った樹上の壺が全身に早春の光を浴びながら、仙人の愚痴を聞いてます。 |
福寿草見ーつけた! しかし引越し大作戦を機に 追加していなかったDV記録を入れて転送。 最新のHPのインデックスからは 追加の転送が出来たが、 肝心の山荘日記からの転送は 何度やっても上手くいかず、 ファイル転送ツールを開き編集ページと サーバーのファイルを具にチェックし、 URLやサブディレクトリーに誤りのないことを |
しぶとい! 引越し大作戦は終わりそうで終わらず、 最後の絶対パスから相対パスの決着が 着きそうで着かない。 最初の膨大なファイルを抱えた山荘日記は、 ジオシティーズでは容量が 大きすぎて編集が困難になりここ数年 誤りなど見つけても放置しておいた。 |
まんず咲いた万作 |
この野原いっぱい! |
確認してはアップし、 ウェブへのアクセスを 試みるが4つのフォルダが開かず。 それだけの単純作業を始めて 3日目の朝を迎えた。 「これは閑で閑で そのくせ何もやりたくない と云う怠け者仙人に神様が くれた贈り物」と捉え、 のんびりと構えるべし。 |
東北方言のまんず(先ず) |
こうなったらありとあらゆる 試行錯誤をしてやって 神様の期待に 応えてやろうじゃないか! と再度アクセス出来ているページの URLとアクセス出来ないURLが 同じであると確認し、 これは仙人の落ち度ではなく パソコンの問題と判断。 |
ピンクの白梅 |
きっと時々生じるPCの ヒステリーか気紛れだろうと思い切って ≪前回の転送以後に 更新されたファイル≫では無くて、 ≪総てのファイル≫にしたら 一発で転送OK! アクセス出来たではないか! くそー! この3日間は何であったのか! |
蝋梅のいい香り! |
和紙の原料三又の蕾 |
春迎花・黄ばい! |
冬も咲き続ける大犬のふぐり(殖栗) 葡萄畑一面に咲く誇る青紫の小さな花に さっさと見切りをつけ仏の座で 勝負することにし、中庭に登り 仏の座群落と睨めっこ! 考えてみたら仏の座の花弁は大犬の殖栗よりも 更に小さくてピント合わせは至難。 右端の紅色の斑点を3つ付けた下唇の花弁に どうにかピントが合ったものの とても満足のいく画像にはならなかった。 |
小さ過ぎて顕微鏡モードで撮っても、 大犬の殖栗の美しさを捉えられないもどかしさ。 花弁にピント合わせすると、 先端と花芯までの距離が開きすぎて 中途半端に暈けてしまう。 えぃ、と思い切ってシャッターを押したら 花芯の底だけがやや明瞭になった。 |
凍てついても咲く仏の座 |
こんにちは!蕗の薹さん |
背丈が低く、動きがすばやく、 漁に巧みで, 屋根をフキの葉で葺いた竪穴に すんでいたコロポックル。 今年も奥庭の瀧の下に顔を出し 早春の歓びを謳ってます。 |
コロポックルだよ |
山茱萸もちらり |
露を飾りに犬ふぐり |
山茱萸の蕾 |
これ、ぺんぺん草 |
前庭の山茱萸が コロポックルの歓びの歌に 導かれて僅かに黄色い蕾を覗かせ、 早春の光に 身を委ね気持ち良さそう。 果実の形が、三味線の撥に 似ているぺんぺん草も 早咲の日本水仙も抑えきれない 歓びに震えています。 |
日本水仙も蕾が |
高砂百合の種 |
向日葵の乾華 |
おや、またまた書斎から 仙人の愚痴が聴こえてきます。 すっかり枯れ果てた高砂百合と 向日葵がどうやら仙人の カウンセリングを引き受けた様です。 樹上に飾られた壺も随分 根気強く愚痴を聴いてましたが、 枯れ果てた老獪な2人なら 仙人を丸め込むのも御手の物。 ふむふむと愚痴を聴いてます。 |
44nikki.htmlとnikki44.htmlの 2つのフォルダが混じっているなんて! 何処でそうなったか 見当もつかないが、兎に角 現実として編集ページにもサーバーにも その2つが存在している。 その1つnikki44.htmlの 米国少年合宿日程の枠が 壊れていたのだ。 |
福寿草の芽 |
茂木琵琶の花 |
めり込んだ人参 |
龍蛇族の伝承滝本院に祀られた龍 |
しめ縄飾りの船宮神社 |
それに気づかず、 何度も何度も 44nikki.htmlを修正してはアップし失敗。 そりゃ当たり前だと今では解るが、 この2つの紛らわしいフォルダの 発見以前は ただただ混乱在るのみであった。 早速フォルダの名前を変更したが、 nikki44.htmlを44nikki.htmlに 変えれば上書き保存されるかと やってみたが変更されず。 これは既に 同じフォルダ名があるので 上書き保存せず 名前の変更が拒否されたのだ。 |
そこで仕方なくこの不良nikki44.htmlと bacを編集ページとサーバーから削除し、 44nikki.htmlに統一し ドキドキしながら 転送ファイルでチェック。 当然ながらOKだったので ウェブで確認したら不良のまま。 慌てず最新情報に更新したらばっちり! 3週間も悩み続けた問題が 遂に解決したが、原因が 余りにもお粗末 だったのでショックは大きい。 やや引き攣った嗤いで 仙人はこう述べたとか。 「うーん老化も悪くはないな。 おかげで3週間も楽しめたぜや」 |
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船宮神社の石鳥居 |
9か月育てた人参 |
温泉街の裏径を辿ると頂へ ≪チベットの鳥葬≫現場遭遇の帰りに 向岳寺までバイクを走らせ、 塩の山を西側から登ってみた。 向岳寺山門の奥にバイクを乗り入れると 侵入禁止らしき雰囲気。 がチェーンが垂れさがり如何にも 通れますよみたいな様子。 突破すると10mも進まぬ内に2つ目のチェーン。 |
山荘より低い山ではあるが 嘗ての塩山市のシンボルでもあった塩の山。 山荘の標高が750mで塩の山が553mだから 197mも低いので、山というよりか 丘であり登る対象ではなかったが、 どんな道が頂へと続いているのか気にはなっていた。 |
塩の山は地球のエネルギーが溢れ出る特別な土地・四神相応 |
西面の休憩処 |
東面の休憩処 |
ここでバイクを止め歩き出すが、 山腹を巻く道は一向に山頂を目指さず いつまでも散歩道で あろうとしているかの如く。 きっと頂への道が有る筈だと 行ったり来たりしていたら、 温泉街に近い散歩道にしっかり 標識が立っていて、 第一休憩所まで10分とある。 |
盆地の中央に臍の様に 飛び出しているのでさぞ眺望が良いだろうと 期待していたが、 赤松の植樹などをしているので 樹幹にちらりほらり 街や山並みが観えるだけ. 山登りでなく森の散歩という感じ。 中々立派な四阿に至ると 次は第二休憩所まで8分とある。 |
山頂の展望図 |
この板を叩くと健康になります |
山頂まで21分でーす! 昭和初期に訪れた与謝野晶子の歌もある。 「いにしへの差出の磯を 破らじと笛吹川の身を曲ぐるかな」 |
暴れ川であった笛吹川の暴れを諫めると云われた 自然の防波堤である差出。 流れに突き出した差出を浜辺の磯に例え詠まれた歌。 |
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古今和歌集に詠まれた歌 |
背後に白銀の峰を従えた塩の山 |
眼下には塩山の街が |
10分登って休憩し 8分登って休憩では休んでばかりで 休み疲れしてしまうでは、 なんぞと ぶつぶつ言いながら第二休憩へ。 ここもしっかりした四阿で 頂上まで6分とある。 |
湯治客が温泉に入っては 塩の山を散歩し、 再び湯に浸かり 命の洗濯をする様が浮かぶ。 さて次は東側からの 散策路を偵察してみようか! |
山頂から恩若峰を望む |
恩若峰からの塩の山 |
頂に墜ちる静謐の夕陽 武田信玄より7代前の当主、武田信春公の頃より聖地とされた塩の山 ≪塩の山≫は食塩の塩ではなく四方が鈍ったもので、四方から良く観える≪四方の山≫の意だと 甲州市観光協会は述べている。 武田信玄が駿河の今川氏真との同盟を破棄したため、今川は相模の北条氏康と共謀し信玄への塩を断った。 山国の甲斐で塩を断たれたら生きてはいけない。 それを知った武田の敵方の上杉謙信は「塩を断つとは卑怯なり」と塩3000俵を送った。 とのエピソードから「敵に塩を送る」なる格言が生まれたそうな。 幼い頃聴いた話では、塩を断たれた信玄は広大な盆地の中央にポツンと突き出た≪塩の山≫を この山こそ岩塩の出る≪塩の山≫と称し、今川の塩断ちに弱みを見せなかったとか。 夥しい血を流しながら武田の聖地であり続けた≪塩の山≫に静謐の夕日が墜ちる。 |