1572ー2018年  師走

富士には枯露柿がよく似合ふ
12月4日(火) 柿簾の山荘と雪富士

老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあったのだろう、
ぼんやりひとこと、「おや、枯露柿」さう言って、細い指でもって、山荘の一箇所をゆびさした。
さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらりとひとめ見た黄金色の実ひとつ、
果肉もあざやかに消えず残った。

3778米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力果とでも言ひたいくらゐ、
けなげに光り輝くあの枯露柿は、よかった。
富士には枯露柿がよく似合ふ。

(ぱくりDazai)




水晶峠からの曙光(8日7:22)
「牛の心臓弁付けとるんじゃよ」
 快晴の小春日和の柿の木に登って、
背を幹にもたれかからせて
お婆ちゃんと語らっているのは仙人。

午前中に足を引きづった
お爺さんがやってきたが、
仙人とお喋りしてるのはどうやら
そのお爺さんの連れ添いらしい。

5人の子供(後日の話しではは4人になってる)
が居て長男は
地元塩山のホンダオートに勤めていて、
次男は群馬のダスキンで
大勢の部下を指示して出世しているとか。

3人の女の子は嫁に出て
今は広い2軒の家に爺ちゃんと
婆ちゃん2人だけで住んでいるが、
爺ちゃんは心臓の手術してから

脚も不自由になり畑仕事も儘ならず、
この鈴生りの8本の柿の木も
手が付けられないので、
どうぞ大きいのを選んで採れるだけ
採っていって下さいと語る。

トイレに籠って長男が泣いてるだ。

初冬の風物詩・居間の柿簾



書斎テラス下が枯露柿子宮

40日間で子宮から出るんだ!
塩山ホンダの社長を
その子供が引き継いで、
地元のお得意さんが来たんで
螺子を付けてやったんだが、
螺子の1本ぐらい唯でいいよと
長男が客を帰したんだが、

その後で新社長が
長男にそれじゃ商売にならない、
例え螺子1本でも金貰わなきゃ
と云ったんだとさ。


僅かに枯露柿が見えるね

それを苦にして家に帰ってきて
トイレで泣いていたんさ。

そう云えば数年前に
フォイールの螺子が馬鹿になり
ホンダオートで、螺子を
着けてもらったことがあった。
値段を訊いたら唯で良いよとの返事。

若しかしてあの時の笑顔に
満ちた優しい修理工のお兄さんが、
このお婆ちゃんの長男だったのか
とも思ったが、きっと誰にでも
優しい長男なのであろう。

太陽をいっぱい吸って甘くなれよ!

テラスの首飾りでもあるね



ガラス窓に流れる羊雲と一緒に
後日の再訪談

「4個のうち次男は
あっしの弟にくれてやっただ。
弟は群馬の太田で
ダスキンの会社を作って
400人も従業員を使って
社長しとったが、
子供がおらんで
次男を養子にして社長を継がせ、
自分は会長になっているだ。

次男は185cmもの大男で
嫁さんが社長の事務をやってるで
会計も安心だし子供も3人居て、
この間は資産残しても
しゃーないとか云って、
あたしら親戚に
100万ずつくれたんよ」

話しは取り留めも無く
延々んと続く。
子供を1個、2個と数えるのが
何とも新鮮で話に聞き惚れる。
柿畑の主は
澤登代六さん84歳で、
不整脈で苦しんでいたが
3年前に原因が
大動脈弁閉鎖不全、
つまり弁が完全に閉まらず
血液が逆流することにあると解り、
県立甲府病院で
6時間かけて手術したのだ。

仙人にとっては他人事ではない。
まさか同じ大動脈弁閉鎖不全のオペを
迫られている仙人
の前に、
オペ体験者が
突如現れるとは絶好のチャンス
とばかり体験談を
根掘り葉掘り訊く。

お礼に持って行った
お萩を食べながら、
3日前の柿の木での
お喋りの続きを愉しむ。

地元の人とこんなに長く
じっくり話し込むなんてことは、
この25年間
一度も無かったことで
仙人自身も吃驚!

剥いた柿山

澤登柿の海

牛弁着けたけど柿仕事は出来ん!

これだけ採っても澤登柿は未だどっさり

競い合う柿と山茶花


踊場の錦秋

駐車場に置いた車に
忘れ物でもあって岩崎夫妻は、取りに戻るところと
仙人は判断。
フィオレンティーナに行く前に何か用事を
たしてから2人は合流すると判断したに違いない。

携帯のスイッチを入れると
今何処に居るのとの電話。
トラッドじゃなかったのと問うと、トラッド前の
ホテル1階のレストランだとのこと。
従ってビリケツになってフィオレンティーナの到着。

何故か樹麗がごく短い最初の言葉を
敢てメモ用紙を読み上げる
形式を強調する意表を衝く方法に出た。
大動脈弁閉鎖不全のオペを
られている仙人

目白駅前トラッド内のフィオレンティーナと聞いていたので、
1階から4階まで探し回ったがそんな店無し。
目白駅前で信号待ちしている
岩崎夫妻に出逢ったので後ろから肩を叩いて、
お先にと云うつもりで追い越して
トラッドに行ったのだ。

 
黄金にシルエットを刻む絃



前庭の森とタージマハルの皿!

2階トイレの黄葉

仙人、悠樹、舞の3人の誕生会を
兼ての≪混沌仙人回帰の抄≫伝達式は
こうしてスタート。
8ページの回帰の抄が8人に配られ、
冨美代さんが序を朗読し、

≪混沌仙人現況と対応控≫の
「A・回帰プロセス進行状況」を途中まで
悠樹が読み、えっ、これ最後まで
読むのと予想通りの弱音を吐いたので
3行でストップ。

B・回帰までの対応を飛ばして
「C・墓標としての山荘」を
樹麗が朗読。


夜の山荘小径は鹿、猪の走り回る彼らの専用道路(左:扇山) 

11時40分に始まり13時半には
仙人のみ途中退出して山荘に
向かう予定であったが
気がついたら最早13時50分。

これでは予定していた高尾
14時59分発には乗れそうもない。
これを逃すと
次の乗り換えなしの電車は
1時間後の15時53分で
山荘到着は完全に真っ暗.

山荘に至る小径は鹿、猪の
走り回る彼らの専用道路と化す。

2段に展開する黄葉

イオのテラス森と皿の語らい



狂った様にったキウイ
豊穣の結果の
凶作か!


気が狂ったように実を連ね、
大きく育つことが出来ず
3分の1程は
未熟のまま冬を
迎えてしまったキウイ。

小さくても完熟していれば
追熟の結果極上の甘味を宿すが、
未熟では甘くはならない。
この豊穣の結果の
凶作を防ぐには、結実した段階で
異常な稔りに気づき
摘果する必要があったのだ。
昨年は逆に不作で
果実数は少なかったが、
1つ1つの実は大きく稔り、
甘さも抜群で大いに愉しんだ。

小さいのも幾つかあり
棄ててしまおうかと思ったが
追熟させてみたら
これが又美味しくて嬉しい不作であった。


成り過ぎで小さい実も多数
 
石垣の至る処に鈴生り

大豊作で75kgの収穫

で、今年は豊穣の結果の凶作じゃと、
追熟後の味に期待せず
追熟用ワインセラー に梱包せず
ぶち込んで置いた。

期待してなかったので
キウイをセラーに入れて置いたのすら
忘れていたが、
セラーの在る西畑に出て
ふと思い出す。

どうなってるかと1個食べてみて
ニンマリ!
しっかり甘くなり香りも抜群!
豊作の凶作ではなく豊作の豊作じゃ!



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