1532ページー2018年  葉月

経鼻胃カメラで探検に出発じゃ!
8月1日(水)晴 鶉山医院院長・大塚大輔ドクターは山好き

目を疑った。そこにあった真新しい本のタイトルは何と「アルパインクライミング」。著者は山岳同志会の保科 雅則。
カトマンズで仙人と一緒に呑んだくれた小西政継がボスであった、あの山岳同志会の会員が著者なのだ。
因みにその呑んだくれた3週間後に小西はマナスルで死んだ。
内容は氷の滝を登るアイスクライミングを主にした本格的登山技術書である。
ここは鶉山医院の待合室。診療は午前中だけで午後は訪問診療、となると患者の多くは老人になるのでは。
誰が読むのだ。このミスマッチは何を意味するのか?

「坂原さんどうぞ!」と呼ばれ、診察室のドアを開けた途端、謎は解けた。
あの本、患者用ではなく院長の愛読書だったのだ。
どうですドクターのこの眩しい様な生命力に満ち満ちた若さ、内側から溢れ出さんばかりの生命力!
ヒマラヤ遠征に隊員として同行した京大、慈恵医大の医師はいずれも山岳部出身で、医師以前にクライマーであったので、
普通の医師には感じられない生命力に満ち溢れていた。
目の前の若い医師から発散される生命力は、確かに彼等と同じオーラでは!



ここが検査室でーす

ここ数年トレーニングを途中で
中止するようなアクシデントに
見舞われたことは無かったので、
やや不安を覚える。

だがガスターを呑めば、
直ぐ治るであろうとの確信はあった。
ガスターというのは強烈な胃潰瘍治療剤で、
何度か私はこの薬に救われている。
この薬の出現で米国の潰瘍手術は20%に激減。

私が最初の胃の激痛と
めぐりあったのは,
ブータンの未踏無名峰を
初登頂した7年前の1986年であった。
飲まず食わずの
登頂後の胃は、ベースキャンプでも
一切食物を受け付けず、

3日間胃液を吐き続け、
遂にヘリコプターによって救出され、
ブータンの首都チンプーまで運ばれた。

この時以来、十二指腸潰瘍との
おつきあいが始まり、
ガスター登場となった次第である。

経鼻胃カメラ内視鏡
【1】 鷲掴みされ激痛走る
25年前の経口胃カメラ初体験記
 1993年3月25日(木)東大分院へ車椅子で
≪’94年K2峰遠征の前哨戦として
’93年は4度目の
ナンガ・パルバット峰を選ぶ。
その隊員養成合宿は明日から・・・≫



雪の北アルプス合宿出発の前日、
3月25日朝5時の
トレーニング中に、それは
突然やって来た。
胃袋を鷲掴みにされ、
強く引っ張られるような痛みが、
一定のリズムを保って襲ってくる。
目白の4つの坂道を
走り終えたところでトレーニングを
打ち切り、家に戻った。


カメラは5.3ミリよ!



噴門胃底部

胃角部大弯

噴門見上げ部

 【2】 保健室ベッドに倒れ込む

ガスター呑めば1時間以内に
痛みは和らぎ、初期の潰瘍は
治ってしまうのが常であった。
少なくとも3月24日までの
7年間はそうであったのだ。

25日の朝の痛みは
ガスターの敵にしては余りにも
強烈であった。
ガスター呑んでも痛みは一向に衰えず、
時と共に勢力を増し、
6時間後の午前11時には
 
耐え難い痛みとなり、私はついに
保健室のベッドに倒れ込んだ。

この日、学校では3学期の終わり、
つまり1年間の締め括りの修了式であり、
次の新学期準備に追われていた。
新一年生の名前を
発表用の巻紙に書きながら、
観念しつつあった。

「こりゃ明日からの
北アルプス合宿は99%だめだな」
ガスターを更に1錠追加し呑み、
ベッドに倒れ込んでからは、
唯ひたすら胃痛との闘いに終始した。
 

胃食道接合部

十二指腸



ふんふん、此処が胃角部大弯か!
8月1日(水)晴 今度富士山に行くんですけど高山病に効く薬は?と看護師

【3】 拷問マッサージの試練

北海道のトドと秘かに呼んでいるオバタリアン先生が心配してやってきて、背中のマッサージをしてくれる。
「だめだめ、胃がやられてるよ。ほら右側がこんなに凝っているよ。ここをほぐさなきゃだめよ」
恐ろしいオバタリアントドが全体重を掛け、背中をマッサージする。
私の体重は57kg、トドの体重は推定で80kg。背骨の折れる恐れが新たに加わり、私は最大のピンチに陥ったのである。
3分間試練に耐えると、痛みが逆転した。マッサージの痛みが胃痛に勝ったのだ。

これ以上マッサージをやられると、どうなるかわからないので、必死になって効果を強調し、マッサージの中止を訴える。
「うわー、良くなった。もう大丈夫。ありがとう」
普通このありがとうは、単にお礼の意味だけでなく中止要請の意味も含まれているのであるが、
「だめ、上を解したら下までやらないと反対に疲れがたまるんだよ」
とか何とか言って一向に止める気配は無い。「痛タタタ、お願いもう止めて」 グリグリ、ギシギシ、バキバキ。
こうなるともう拷問である。




朝一番の収穫

茄子に太陽が映ってる

生でガリリ!

【4】 東大分院へ

学校から生田駅までいつもは走って3分、
それを5倍の15分かけ、
拷問から逃れてやっと駅に到着。
生田から新宿、更に目白へと激痛を
堪えながら乗り継ぐ。、

目白からタクシーで自宅マンションに
着き管理人に車椅子を出してもらい
部屋まで運んでもらう。



 無花果は天牛にやられぬうちに

痺れ痛みは更に酷くなり、
喋ることさえ難しくなってきたが、
行きつけの東大分院の急患診療が、
可能か否かを確かめ、
再び車椅子に乗り東大分院へ直行。

「点滴と痛み止めの注射を
うって下さい」
「そうしますが、それは医者の判断
することですよ」
「それで多分回復すると思います」


収穫1日遅れるとデブデブに!

小玉西瓜だけは超甘に

バジル効果でトマト大収穫!


「点滴の最中、
良くなったからと云って
病院から抜け出しては
いけませんよ」

これには参った。
この医者は心理学を
学んでいるのだ。
まるで明日からの私の
北アルプス合宿を
見抜いているかのセリフ。 

医者は駄目押しを
するかのように
「オー、ラッキー!
今日は胃カメラ検査日に
なっているから
予約しなくても今から直ぐ
胃カメラ呑めますよ。
すぐ調べましょう」
と宣うでは。


となれば医者の次の
セリフなんか私にだって読める。
きっと胃カメラ検査の後は
「オー、ラッキー!
1つだけベッドが空いてますよ。
入院出来ますね」
に決まっている。

いつだって医者は
自らを強制収容処の番犬に
仕立てることにより、
職務遂行の歓びに浸るのだ。


2匹目の真っ黒くろ介も吃驚!
 その手に乗って堪るか。
強制収容所に入る必要が
あるかどうかは、
私が決めるのだ。
ヒットラーとは断固戦うぞ!

こうなると完全に
シッチャカめっちゃかである。
胃痛は遂に脳に及び
医者とゲシュタポの区別が
出来なくなってしまった。

ゲシュタポに太い
胃カメラを呑まされたて、
食道から出血した話を
幾つか聴いたことがある。
ここは何としても
ナチスの陰謀を粉砕せねば!

鎮痛剤ボルタレンの効果で
口の自由が効くように
なり必死の反逆を試みる。
「ここの胃カメラは
何ミリですか?

東大は金が無いから古くて
太いカメラでしょ。
どうせ呑むなら他の
病院にしますよ」
しかしこのセリフは当然ながら
まずかった。



完全に逆効果で、東大とゲシュタポの面子にかけても胃カメラを呑ませる作戦が、看護婦との間に交わされ、私の右腕に点滴の針が差し込まれた。
「あら、うまくいかないわね」 2度、3度針が刺され血がドバドバと床に落ち、私のサンダルを血に染める。
「アララ、拭かなくちゃ!」 やっと針が固定されたと思ったら
次は点滴チューブを針にセット出来ない。チューブが床に落ちること3回。「駄目ね、どうしたのかしら?」
落ちたチューブを、拾った飴玉でも拭く様に、申し訳程度にガーゼで拭く。

やっとチューブに針が入ったと思ったら、今度は注射器に空気が入っているでは。
さてはゲシュタポめ私を殺す気気か!こりゃ私の反逆に対する意図的、合法的な報復だな。ひでえ奴等だ。
この看護婦がゲシュタポとグルになっていることは確かである。
思わず看護婦の名札を睨みつけると何と「飛騨」。明日からの合宿の下山地は≪飛騨≫である。 
槍ヶ岳の山頂から飛騨沢を下って、新穂高温泉に出るのだ。これは何を暗示しているのか?




倒れぬ様支柱を立て
台風13号襲来
8月9日(木)

台風13号に耐えたぜ!

ボン・シルバーの向日葵も倒れず!

【5】 胃カメラ

点滴チューブを着けたまま車椅子で胃カメラ室へ向かう。
産まれて初めて、9ミリもある胃カメラを呑まされる。喉に吹きかける麻酔薬キシロカインが3回やっても効かず。
「ゲーゲー」と凄まじい音を立てて、胃カメラが吐き出される。
「駄目ですねー。吐き出してはいけません。ゆっくり呼吸して!」 権力を手中にした者は、何と理不尽な事を云うのか。
食道の入り口が食物で無いカメラを拒否するのは私の意志ではない。

吐き出そうとして吐いているのではない。異物の侵入を防ぐ食道の防御反応なのだ。
どうにか検査を終え、点滴が終る直前にゲシュタポがこう云った。
「明日から4日間安静に出来ますか。仕事のストレスが原因でしょうから、精神安定剤と胃痛止めの薬は一応出しますが」
もちろん即、素直に私は頷いた。
ゲシュタポにとってベッドの1つや2つ、その気になれば直ぐ空けられるのだから。


林檎は無事

梨もどうにか落ちずに!

今年の林檎は大きいぜ!



第一、安静にする場所が、北アルプスではいかんとはゲシュタポは云っていないのだ。
99%の絶望と1%の希望との闘いの決着が、どうにか着きそうである。
だが確かにゲシュタポの診察は当たっているかも知れない。
今の私には仕事が集中し過ぎている。学校の仕事以外に、期日に追い詰めれらたプログラムが幾つかあり、同時進行を
余儀なくされているのだ。

ヒマラヤの241ページから成る報告書「ポベーダから未踏無名峰へ」の4回目の最終校正。
本年度のナンガ・パルバット峰計画と冬のアコンカグア計画の推進。

これはNHK等からの取材申し込みもあり、隊員選考の他にマスコミとの対応もありメチャ忙しい。
それらの間を縫って、国内での山岳実践講習会の立案と指導があり、土日は総て塞がり、休日と云うものがない。



美味い!大黄玉西瓜

仮面と友達になった夏水仙
その上、10数年來の計画である
山荘建設の場所が決定し、
資金調達と土地造成、
山荘建設が始まり、

頭と体が幾つあっても
足りない状況なのである。
だがそんなものにはめげない。
≪8千メートル峰短期速攻の

チャンスは、
常識の打破から生み出される。
四面楚歌、絶望の中からこそ
真の未来は生み出されるのだ≫

とか言いつつ翌日3月26日、
新宿発7時のあずさ1号で、
私が北アルプスへと
旅立ったのは云うまでもない

(当隊報告書:「K2へ」から抜粋)

何と云う甘さ!



懺悔の値打ちも無い

25年ぶりに再読して吃驚!
マッサージしてくれた胡獱(とど)とニックネームで呼ばれたオバタリアンにしても、
東大分院のゲシュタポなんぞと記された医師も看護婦の「飛騨」さんにしても、この文章では全くの悪役になっているでは!
その頃の仙人としては、ユーモアの裏に感謝の気持ちを隠したつもりでいたのだが、
何処にも隠れていないでは!こりゃ酷い。
救い難き知性の低さ、拙い文章力を上げるまでもなく、どう考えたって、こりゃ酷い。
今更懺悔したところで≪懺悔の値打ちも無い≫ことを重々承知で、敢て阿久悠をパクって懺悔せねばと当HPに再掲した。

鶉山医院の山好きドクターにしても優しい看護師さんにしても、医療技術、人間的な対応には大いに感謝し、
その気持ちを表すつもりのHPが何故か、初めての胃カメラ体験記の再掲になってしまった。
仙人見習いを目指して活動し始めた25年前と較べ、何にも進歩してない自らをK2報告書に見出し猛省。
仙人への熱望を抱いたまま挫折し、混沌への回帰をせねばならないのか!



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