1522ページー2018年  文月

のたうつ恐竜の角を切り落とすと巨大な尾を振り上げ反撃!
7月2日(月)晴 24年間、前庭に君臨した楓の断末魔

切断した角の下をよく観ると小さな黒い眼が輝いているでは!
ナナフシを巨大化したような楓恐竜は、切り裂かれて剥き出された白木をピーンと天空に突き立て叫ぶ。
≪忘れたのかい!夏の終わりには翼を付けた果実を風に舞わせ、ヘリコプターの様にくるくる回し輪舞を披露し、
秋には緑から黄褐色へ、更に深い紅へと彩を変え、あれ程までに仙人を愉しませてきたではありませんか!
それを何の因果で、この酷い仕打ち!≫




盆地を見下ろして伐採開始!
天誅、ぎっくり腰じゃ!

最悪の7月スタートとなった。
2階のイオにバルコニーを付けて
広さと解放感を作れないかと、
昨日4社に見積依頼。

展望抜群の南側に付けるか、
前庭に面した南西側に付けるか?
南西側にすると
太陽光給湯ボイラーの真上になるので、
雨除けになり好都合。
だが大きな糸杉が邪魔になる。

糸杉の梢をカットして
その上にバルコニーを設置すると、
光と水分不足で枯死の惧れある。
ま、どちらに設置するにしても、
西畑の大きな杏と
前庭の巨木となってしまった(ゆずりは)
眺望を妨げるので朝一で伐採。

二俣の右枝を伐採

断末魔の叫び!

西畑に落下
 地上3mで二俣に分かれる
楪の幹は直径40cmもある。
この部分を伐採すると
切断面に何かオブジェが造れるかも!
そこで敢て難しい
高位置での伐採に挑戦。

高所での伐採が
如何に危険で困難であるか欅の伐採で、
嫌という程体験してる。
慎重にやらんと大怪我、下手すれば
死亡事故にもなり兼ねない。

2mの脚立の最上段に立つことは、
禁止されているが、
立たねば伐採位置に届かない。
ザイルで落下防止の
ビレーをとり切断開始。

右枝だけで森を成す
 ところが2台のチェーンソウとも不調。
新しい方は
先週にはエンジンが掛からず、今回は
どうにか始動させたが
チェーンがガイドバーから外れ動かなくなる。

その都度カバーを外して
チェーンソウを掛け直すと云う
面倒な作業を強いられる。
旧チェーンソウは
切れ味が悪く切断に時間が掛かり、
太枝を伐ることは出来ない。

何度もチェーンソウの
掛け直しを繰り返しながら
伐採と伐採後の太枝伐りを続ける。

搬出可能に切断を重ねる



二刀流で勝負!


さてさて、伐採はどうにか出来たが、玄関前に落下した巨木を
更に切断して運ぶことが出来るのか?
椅子から腰を上げようと
試みるが痛みが激しくて出来ない。

先ず卓に両手を付いて腕に力を掛け腰の負担を無くし、
ゆっくりゆっくり腰を浮かせる。
腰の中央から垂直に太い鉄が背骨に突き刺さり、
歩行の動きは完全に封殺される。
チェーンソウをガイドバーに嵌め直し、
小さな折りたたみ椅子から立ち上がろうとした途端、
腰に猛烈な痛みが走り、立ち上がれない!

ヤベー、ぎっくり腰だ!
何度もぎっくり腰は体験してるが今度のは半端じゃない。
痛みを堪えて動き出せば何とかなるが、
一旦椅子に座ると立ち上がれない。

重くて片手操作は無理!




細枝も伐らねば運べぬ
為す術も無く暫し佇む。
1歩、2歩、痛みを無視して足を
出してみるが、とても歩けそうにない。

腰を徐々にツイストしてみたり、
曲げられる範囲で
前後屈してみたりして様子を伺いながら、
3歩目を踏み出す。


迷路を潜って伐採

10歩まで歩ければ
耐えられる痛みとなり、その後
立って動いてる限り、弱い痛みは
続くものの、充分に活動出来そう。

だがこんな状態で果たして
扇山の頂上直下の急斜面を
登ることが出来るだろうか?


何度も外れるチェーンソウ
伐採後の巨木を運べる大きさに切断し、
さてご褒美の夕刻トレーニングをと
考えたが、理性は≪山登りだなんて、
とんでもない。

未だ活動不足なら畑の野菜に
水でも撒いてあげなさい≫と宣う。
しかし感性だけで息してるような仙人は

太枝を数回伐ると刃毀れ酷し

≪こんな時こそ、
何処まで登れるか試す絶好のチャンス!
扇山に登るべし!
散水なんて太陽が落ち始める
登山後にやるべし。≫
と肉体を煽動するでは!


足元に広がる盆地





毛牛(ヤク)のロープで引くがピクリとも動かぬ幹


たかが枝1本ではないかと甘く観ていたが、
地上1m30cmで二股に分かれた右枝は太さ30cmに近く
左枝より太く伐採は大仕事。
切断面を水平にすれば面は
オブジェの棚として使えるが、横に伸びたこの太枝を
水平に切断するのはかなりの危険が伴う。

そこで切り落とす感じで上から下へと切断したが、
切り口は醜く、とてもオブジェを試みる余地なし。
いや醜いからこそオブジェ作製すべき!
頭では解るが一先ず
伐採後の森のような大量の枝葉を処理せねば。

森奥まで運ぶには重くても
1つ20kg以下になるよう細かく切断し、
その後えっちらこっちら森の上まで引き上げる。
ぎっくり腰を庇いながらの作業なので遅々として進まず。

確かに太陽の出て居るうちに散水しても
即、蒸発してしまい野菜の根まで水は届かない。
それもそうだ。

そんなら仙人の挑発に乗って扇山登山にチャレンジじゃ!
と登り始めたが、涼やかな森の冷気に包まれて
1歩1歩と登るにつれ、理性がチョロチョロ顔を出し囁く。
≪今なら間に合う選択肢は4つ
、このまま森の冷気を堪能してから山荘に引き返す。
、せめて稜線まで達し風の奴と戯れながら稜線を西へ辿り、
そのまま扇山西ルートを下る。

、西ルート分岐点迄登って腰の痛みが酷くならなければ、
山頂直下急斜面の途中まで歩を進め、途中で引き返す。
、痛みなんぞ死の準備の一環と捉え、
これぞ死へのトレーニングと積極的に最後まで頂上に迫る。
さてどうする?≫ 

どうしたかって!仙人め、扇山のてっぺんで
ニンマリしながら「やったぜ!」と大得意だったとさ。
 
直径40cm以上の(ゆずりは)



山荘は白蘭繚乱
甲府盆地では猛暑日となり
標高の高い山荘と云えども、
炎天下の日差しは激しく全身に突き刺さる。

畑の野菜もげんなりし息たえだえ。
散水せなば枯死してしまうが、
今散水すると逆に水分が熱せられ
野菜は茹でられてしまう。


君が代蘭花芯

日の暮れるまで散水を控えるには
散歩と散水を逆にすればいいでは!
これ以上の伐採作業を続けると
注意力も散漫となり
危険度が増すので中断し、

森の奥へ避暑散歩に繰り出そうと
鉄塔山林道へバイクを飛ばす。
森へ入るや静けさと日差しを遮る樹陰が、
優しく全身を包み込む。


凌霄花花芯

早朝一番で昨日の楓太枝を
切断し直しオブジェ作製。
酷使に耐え兼ね4本のチェーン総てが
歯零れし切断能力がた落ち。

チェーンソーの刃研ぎは簡単には出来ず、
伐れないチェーンソーと
悪戦苦闘しどうにか観られるまでに
漕ぎつけたオブジェだが・・・。


紫陽花受難、伐採楪落下

凌霄花の上に伐採楓落下

陽当り抜群になるからね!




朝焼け富士に屹立する前庭オブジェ!
7月9日(月)晴  
西日本豪雨災害広がる

今回の記録的な豪雨で、8日午後6時半現在、全国で73人が死亡し、7人が意識不明の重体になっているほか、少なくとも63人の安否が不明 (NHKニュース)

今朝になって死者が11人増え88人、行方不明者58人、心肺停止が4名となり西日本豪雨の被害状況が明らかになりつつある。
梅雨前線の齎した豪雨だけでこれだけの被害が出たのは観測開始以来初めてなのでは!
それも≪数十年に一度有るか否かの豪雨となりますので早めに避難を!≫と早くから呼びかけていたにも関わらずの大惨事となったのだ。
気象衛星からの正確な観測結果が無かったら、被害は数倍以上に達したことは間違いない。
100mもある橋が流され家や車が流され、土砂崩れで道路が寸断され、氾濫した川が街を湖に変えてしまう。

二重の山脈に囲まれ日本で最も雨量の少ない山荘周辺であっても、今回の様な梅雨前線の停滞による豪雨は避けられない。
豪雨の体験がないだけに地盤には水路となる逃げ径が形成されていないので、
今回の様な豪雨に襲われたら一溜りもなく一気に地滑りが生じ、山荘も押し流されてしまう恐れ大。とても他人事ではない。



風で折れた柿の木(林檎畑)
しかしそのようにして豪雨が
山を削り取り平野を成し、人々は
そこに家を建て畑を耕し住み着いて
きたのであるから破壊によって
齎された恵であったことも確か。

破壊=創造 
改めて存在そのものが対称系を成し
森羅万象を司っていると実感!

風で倒された唐黍
(林檎畑)




山体崩壊が生じ扇山諸共、山荘は押し流され
7月10日(火)晴

昨日≪豪雨が山を削り取り平野を成し、人々はそこに家を建て畑を耕し住み着いてきた≫と西日本豪雨災害に関連して書いたが、
そうだ広大な甲府盆地も豪雨による繰り返された破壊の所産なのだと気づき資料を調べ驚き!
1907年(明治40年)8月22~28日の6日間で、甲府で315.4mm、山中湖で469.2mmの豪雨を記録し、
甲州市塩山(東山梨神金)では山体崩壊が生じたとある。
死者233人に達し翌1908年から北海道への移住が始まり、計650戸・3130人余りの住民が移住したとの事。

羊蹄山を蝦夷富士と名づけ移住者は故郷・山梨を偲んだと記されている。
甲州市塩山と云えば正に山荘の在る場所。
つまり今度の梅雨前線がもう少し南にずれて山梨県上空に在ったなら、西日本と同じ豪雨に見舞われ山荘周辺では、
山体崩壊が生じ扇山諸共、山荘は押し流されていたかも知れないのだ。
なんぞと思いながら相変わらず雨の乏しい空を睨みながら、せっせと畑に散水する仙人であった。




ソーラー灯をせて完成!

さて昨朝88回で痛みに耐え兼ね挫折した朝の筋トレ腹筋であるが、
昨朝の傷みがかなり厳しい警告で
あったことは確かなので、実行すべきか否か一応仙人は悩んだ。
長椅子に寝転び負荷を増す為、
両手を後頭部に回し1回目。あれぇ!上がらない。

昨朝出来たのだから回復の
深まっている翌日に出来ないなんてあり得ない。
そこで再度ゆっくり、腰を上げる。
30度くらいで最初の痛みに襲われ、
無視して60度まで上げると痛みは頂点に達し、その後は
肘が膝に着くまで曲げられる。

ゆっくり、ゆっくり回を重ねいくと、25回目で
警告の鋭い笛が吹き鳴らされる。
一瞬迷うが聴かなかった振りをして50回、70回・・・
そして運命の88回をクリアーし、遂に通常の103回まで達成。

その歓びを全身に漲らせて森に飛び出し、
雑草で通行出来なくなりつつある径に
カルサーを繰り出し轟音を立てて草刈。

畑、庭、作陶場とカルサーを操り2時間ほどで
山荘は生まれ変わったぜ!感謝、感謝。
何にかって!そりゃ、
復活を齎した生命の営みの神秘に決まってるじゃろ!

前庭オブジェ

ゴボゴボ、歓びが音を立てて湧き出す。
失われていた機能が戻って来つつあると云うだけのことなのだが、
椅子から立ち上がる時の傷みが和らぎ立てるようになり、
更に立ち上がった直後から
歩けるようになったのだ。

老衰と共に復活能力はメキメキ崩壊音を発し、衰えていく。
従って老いてからは、一度失われた機能が
再び復活するとは限らない。
その認識が復活を意識した時、生命の営みの神秘に触れ、
歓びを深化するのだろう。

庭の木々を伐採しオブジェを造ったり、畑作に汗し、
生育した薩摩芋苗を移植したり山荘を飛び回っていると、
嘗て嬉々としてヒマラヤの未踏峰に挑んでいた時空が、
そのままそっくり再現される。

どちらもこの上ない贅沢な刹那であるが、最近は
ふとヒマラヤ登山よりも山荘活動の方が
豊穣な時を生み出しているのではと思ったりする。

 
未熟仙人が焼いたてられた壺復活



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