その150の4ー2018年 皐月
崩壊畑に畔波板を張り土嚢袋を積み、さて馬鈴薯の収穫じゃ! 5月27日(日)晴 斜面の西畑は常に土が流れる ≪歓び!≫ 突き刺す様な北回帰線の日差しを浴びて黙々と土を掘る。 西畑から農道に落ちて堆積し雑草を蔓延らせ、農道を原野に帰してしまう大敵の堆積土。 その土を土嚢袋に詰め込んで石段を登り、西畑の南柵の元の崩壊箇所に運ぶ。正しく神話シジフォスの土だ。 作業域は100mにも及び運搬量は膨大で延々と続き汗びっしょりになってただ運ぶ。 過酷な肉体労働でしかないのに、嬉しくて思わずニヤニヤしてしまう。 |
国立国際医療研究センター入り口 |
センター中庭東面 |
東にスカイツリーを望む |
時として歓びが ふとこんな風にやってくるとは 知ってはいたが、肺腺癌に加えて 心臓弁膜症の 宣告を受けた状況下では 歓びの響きが異なる。 |
中央が吹き抜けでゆったり |
実に深甚で例えば 映画「オーケストラ」でジャケ演じる メラニー・ロランが弾く チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、 汗に混じって 全身に響くが如くなのだ。 |
広々とした1階の会計受付 |
2階喫茶室 |
1階薬局と自動精算機 |
目白台の眼下に嘗ての陸軍本病院在り NCGMは明治元(1868)年10月に東京日比谷の山下門内に設置された兵隊仮病院に そのルーツを発し、今年で明治維新経過と同じく150周年を迎える。 平成27(2015)年4月からは独立行政法人の一形態である国立研究開発法人に属し NCGM(国立国際医療研究センター)となる。 目白台の自宅からから金乗院、南蔵院を走り抜け早稲田に向かって一気に下ると、新目白通りの面影橋に出る。 都電荒川線に沿って西進し、高戸橋で左折し明治通りの緩やかなスロープを登る。 面影橋から早稲田通りに直接出て、学習院女子大、戸山公園へと最短ルートで走れば 国立国際医療研究センター病院まで十数分で着いてしまうが、 明治通りの方が広々としていてチャリンコを飛ばすには気分がいい。 大久保2丁目で左折し大久保通りに入ると、数分で国立国際医療研究センターが左に見えて来る。 自動受付機にカードを入れると≪本日のご案内≫がプリントアウトされて出てくる。 9:00 心臓超音波検査 外来棟2階生理検査受付 10:15 循環器内科 医師名西村仁志 中央棟3階Bゾーン/循環器内科受付、などと書かれたプリントに従って先ず2階に上がる。 |
吹き抜けの病院レストラン |
いや、歓びの響きは 外界から齎され汗に混じるのではなく、 全身に張り巡らされた 230万もの エクリン汗腺が 管楽器そのものとなって生み出され、 ヴァイオリンと協奏曲を奏でているんだ。 肺腺癌と心臓弁膜症が ピーンと張り詰め |
ヴァイオリンの弦となり、 ヒマラヤでの哲学瞑想が 仙人の四諦となって弓を成し、 肺と心臓の弦に激しく接触し 肉体を振動させる。 230万もの管楽器をバックに 肺と心臓は肉体そのもので 協奏曲を奏でているのだ。 うーん、そうだったのか! |
病院とは思えない解放感が漂う |
超音波エコー検査室 |
大動脈拡大で現在42,6mm (正常値25~30mm) |
循環器内科 |
≪病は気から≫と何度も 独り言ちてはみるが、 その気を齎したのが5月9日の 超音波検査の診断結果・ 大動脈弁閉鎖不全症であることは 間違いない。 |
セルフ血圧測定 |
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自撮り |
診断以前は全く気にしていなかった 左胸と左心室辺りの疼く様な軽い 痛みがとても気になって、 トレーニング中や読書中、 就寝中にやってくると、 つい話しかけてしまう。 |
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採血室 |
担当医:Dr西村仁志 |
2回目のカラードップラー画像で上行大動脈拡大も新たに! 5月30日(水)曇 上行大動脈が:拡大すると弁尖と弁尖が完全に接着せず、弁尖と弁尖の間に隙間が生じて、大動脈弁逆流を招来 径50ミリで大動脈そのものの交換オペ必須、現在42.6ミリ 「今の疼きは肺腺癌かい、大動脈弁閉鎖不全症かい? なんだか肺と心臓の境目のような両方のような気もするけど、どうなのさ!何かして欲しいことあるかい? それとももう73年間も休みなく働き続けたから、もうこの辺りで終わりにしたいかい?」 診断日から2週間しか経っていないのだから、胸の疼きに大した違いは無い筈なのに、気になるのはやはり≪病は気から≫なのか? と何度も独り言ちては胸の痛みの声に耳を傾けてみる。冷静になって疼きと痛みを見極めようと神経を集中してみると、 やはり診断以前より強い痛みがあると言わざるを得ない。 |
喪服のお玉杓子 |
告別式じゃ! |
となると超音波検査の診断結果の 大動脈弁からの逆流が、 中程度から高度であるのは事実なのだ。 問題は結果を無視して 今までと同じく山トレーニングや畑仕事を 続けるべきか、 心臓負担を軽減すべく運動量そのものを 減らすべきかである。 訊くまでも無く仙人は≪病名宣告なんぞ |
無視して、大いに活動すべし≫と 云うに決まっているのだ。 馬の耳に念仏、釈迦に説法、馬耳東風を 合わせて100倍したような 仙人の反応に ≪ごもっとも、ごもっとも!≫と 頷くしかあるまい。 |
瞳には星々が |
お悔みじゃ! |
錦鯉の死を頭上に載せ竜は黄泉へ飛翔! 5月27日(日)晴 大きな錦鯉が突然死んだ ところで釈迦を登場させるとは大袈裟な! 釈迦は人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家したのではなかったか! 仙人も29歳の頃、家を出て山々を駆け巡り、やがてヒマラヤの奥地に通い詰め悟り擬きを拓いたのは共通しているが、 似て非なるもので並べるのも烏滸がましい。 しかし釈迦の悟りは四諦にあり、仙人の悟りと3つまで同じなのだ。 |
ボン・シルバーと龍に祝福され天空へ で、この4つ目の道諦を釈迦は 8つの実践徳目である八正道によると述べているが、 仙人は八正道をヒマラヤでの哲学瞑想としただけの違いである。 ほら、やはり似ているだろう。 つまり釈迦に説法の比喩も、強ち間違いでは無いのでは! 何を世迷言をグダグダ云ってるんだか! しかし世迷言を独り言ちながら実は昨日も仙人は大活躍。 |
あー、≪したい≫の諦は真実と云う意味なので四諦は 4つの真実と云う意味なんだ。 この世は一切が苦であるとの苦諦、 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執 であるという集諦、無常の世を超え、執着を断つことが、 苦しみを滅した悟りの境地であるとの滅諦、 生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる 涅槃に至る悟りに導く実践である道諦、この4つを指す。 |
3か所に動脈弁を付けた密教仮面 |
先ずは谷水を引く |
元弁を畑と滝に分岐 |
新たな大動脈弁オペで切り裂かれた、 バイク置場の地面に ブロックを敷き詰め傷跡の縫合。 西畑では南柵際の 作りかけゴーヤー壁の工作。 追加購入した畔波シート20mを スチールメッシュ柵の下部に固定。 滝からの谷水を如何に 畑や庭に導くかの試行錯誤を重ね、 最終的にログハウのチベット仮面を 梅の木に固定し 何とか見苦しくない程度の設置。 林檎畑の東柵際の雑草、雑木を伐採して ゴーヤー棚も作らねばと、 鋸と刈込鋏で奮戦していたら突如バキン! |
刈込鋏の柄が折れてしまったのだ。 3か所にビスが捻じ込まれているが、 そのビスのヘッドには ドライバーを差し込む溝が無いため、 新たな柄を取り付けることが出来ない。 捨てるしかない。が、 3つ有る刈込鋏の内、 他の2つは殆ど役立たず。 くそー、何とか修理出来ないかと急遽 窯室に工作台を出して修復作業。 修復に成功した時の歓びが 如何程の大きさであったか、 今朝の夜明けの畑耕作の 熱中ぶりを観れば一目瞭然! |
畑弁は奥庭、葡萄畑、林檎畑へ |
滝弁は竜とボン・シルバーへ |