その149の22018年  卯月

美しききドナウ
4月8日(日)快晴夜明け 山荘池の早春の産卵
ウィンナ・ワルツ:ヨハン・シュトラウス2世1867年作曲

人差し指で弾いた弦を中指に替え、更に薬指に移すトレモロで音色を引き出せれば、
指は≪美しき碧きドナウ≫の冒頭を奏でることが出来るのでは!
視覚の無い人差し指が弦を求めて閉ざされた虚空を彷徨う。
遠い昔、音色を紡ぐ使命すら知らなかった2本の弦に指先が触れる。
ヴァイオリンの様に指を弦にあて続ければ、持続音は出るのだろうか!

それともギターの様に触れた人差し指で弦を爪弾き、そのまま中指を楽器に滑り込ませ早いピッチで
人差し指が出した同音程の音色を弾けばいいのか!
音色が聴きとれぬまま薬指を送り2本の弦を爪弾く。
するとどうだろう、弦のトレモロの奥から生命の歓喜を高らかに謳うホルンが響き始めたではないか!

弦の奥に潜むホルンは弦の音色を受精し360cmもの最奥部F管から、生命の卵を送り出す。
受精卵はバルブの操作によってB♭管で響き、
更にF管より1オクターブ高いHigh F管で美しい高音となって震える。



池は枯葉でいっぱい!

熊手で枯葉を掬い揚げると
2本の弦は自らの使命に覚醒し、
ホルンを呼び寄せ
≪美しき碧きドナウ≫を奏でる。

弦と指とホルンの
アンダンティーノ、イ長調、8分の6拍子が、
山荘の快晴の夜明けの光を
躍らせ、仙人の裸体を光で包み
生の昇華へいざなう。

混沌仙人回帰の抄への
ページは捲られたのだ。

沈んだ枯葉の間から

次々と蝦蟇の卵が



ツァラトゥストラはかくりき
4月9日(月)快晴夜明け 山荘池の早春の産卵
交響詩:リヒャルト・シュトラウス1896年作曲

勿論ツァラトゥストラとはニーチェそのものである。
20歳年下のR.シュトラウスはニーチェと同じく哲学を学び、ニーチェの著作に傾倒し正真正銘のニーチェ主義者となった。
シュトラウスは交響詩≪ツァラトゥストラはかく語りき≫作曲後、
山に篭ってツァラトゥストラを産んだニーチェを追うように、自らも同じ山村シルス・マリア(スイス)に篭り活動拠点とした。

「自然のテーマ」と呼ばれるトランペットが吹くテーマは「2001年宇宙の旅」の冒頭で高らかに鳴り響く。
可聴限界(32~819ヘルツ)に近い8ヘルツの超低音のパイプオルガンが黙(しじま)から忍び寄り、
(いや、若しかすると限界そのもの32ヘルツかも)
トランペットがミを除いてド、ソ、ドと緩やかに上昇し、長和音、短和音へと移り、突如ティンパニーが
激しく鳴り響き混沌からの目覚めを告げる。




恰も決して解決されない自然の神秘と謎を示かの如く、蝦蟇の産卵は雄蕊と雌蕊を爆発させる。
こんな演奏会が山荘の庭では日々展開されているんだね!




ニーチェとRシュトラウス

牧師の父の跡を継いでニーチェも牧師になると期待されボン大学の神学部と哲学部に籍をおくが、ニーチェは著書≪ツァラトゥストラはかく語りき≫で
„Gott ist tot“(神は死んだ)と述べ、神学より哲学を選び牧師を捨てる。
超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立せよ≫と永劫回帰を唱える。
山に篭もっていたツァラトゥストラは、神が死んだことを知り、絶対者がいなくなった世界で、超人を人々に教えようとするが理解されない。

ツァラトゥストラとは、Zarathustra(ゾロアスター)をドイツ語読みした名で≪ ツァラトゥストラはかく語りき≫の語り部。
ニーチェが45歳で発狂する4年前、1885年に「 ツァラトゥストラはかく語りき」の最終巻第4部が執筆された。
これは引き受けてくれる出版社がなく私家版40部が印刷され、その一部が親戚や知り合いに配布されただけであった。

 ≪ツァラトゥストラはかく語りき≫の作曲は、ミュンヘン大学で哲学を学んだR.シュトラウスが32歳の時。
それから、一連の交響詩が完成し、世に評価されるころ、彼は作曲の活動拠点を、山へ移す。
 その後の作曲のほとんどを、ニーチェが滞在し 「ツァラトゥストラはかく語りき」の永劫回帰の思想の啓示を受けた村、
海抜1800メートルの高地、シルス・マリア(スイス)で取り組むようになったのだ。
 R.シュトラウスは、政治や戦争、民族運動を「下方の出来事」として遠巻きに見ていたい人間だったようだ。
山にこもり悟りを開き、下方の人々にそれを説いたツァラトゥストラ。それに対しR.シュトラウスも、山で作曲し世に(下方に)問うた両者は、
単なる偶然の一致として片づけられない何かがある。
参照:The New Symphony, wikipedia)





熊手を2つ使って

間に挟んで
昨日に続き
山荘の最低気温はマイナス。
ある程度寒さに強いブロッコリーや
スナップエンドウ、ピーマン、
サニーレタスの苗は、
どうにか零下の寒さを耐えたようだが、

トマト、茄子なんぞは
かなりのダメージを受けたらしく、
最早ピンと立つことは出来ず
枯死を目前に
生きてる素振りを見せているだけ。

一輪車に載せて

花壇に運んでと!




オイラの棲家を掻き回して!

この子宮とシンクロナイズすべく、
カーテンを全開し寝室を太陽の光で満たす。
光に向かって瞼を閉じると
昨日の夜明けと同じ、歓びを
爆発させるプロミネンスが
動脈の流れに載ってやって来る。

静かにプロミネンスに身を委ねているだけで、
生命そのものにプログラムされた
悦びが見え隠れする。
今朝の最低気温は
夜明けの4時52分、曙光が6時7分だったので
太陽が出るまでのこの1時間15分間が
苗の生死を決定する。

最初の光が届けば、地温は
グングン上昇し昨夕たっぷり散水して置いた
濡れた大地は熱を帯びる。

単なる土塊から
生命を孕む生き生きとした子宮へと
目覚めるのだ。

 
どげんばすっと!


指にまれた遥かな記憶
4月10日(火)快晴夜明け 山荘壁画の早春

6時1分に待ち焦がれていた太陽が、最初の光を高芝山の稜線から放射した。
閉じた瞼に動脈の赤血球を透過したプロミネンスが、バーミリオンの宇宙を描き出す。
星々を背景にした胎児が両手の指を折って今まさに口に咥えんとする画像が、
剥離された硝子体の画像と交わり指に刻まれた遥かな記憶を呼び覚ます。

胎児は、剥離された硝子体から飛び出し母に抱かれる。
小さな幼い指は乳房から離れた母の背に回され、より柔らかな乳房を求めてゆっくり背から胸へと蠢く。



三つ葉躑躅(石卓)
  
麓に達し、そこから
優しさに満たされ
俄に張り出した乳房へと、ゆっくり
ゆっくり指を這わせる。
重さも力もない小さな小さな指を、
愛おしむように
豊かな乳房が抱き込む。

山吹(池畔)
そうだった、しばらく前までは
こうして乳輪の中央にある
乳首を口に含み
乳房に含まれる母の白い血液を
呑んだのだった。

石楠花(奥庭)

梨の花(葡萄畑)
幼児の指は
柔らかな脂肪組織に迎えられ、
その柔らかな感触を
愉しみながら
初めて母と云う概念を指に刻む。
更に乳房の丘を登り詰め
色彩に深みを増した乳輪まで進み、
小さな指は
足踏みをするように
乳房を押してみる。

 
チューリップ(奥庭)
 
初めてのい仏の座(中畑)
 
(林檎畑)




山頂の三つ葉躑躅(扇山の頂森)

指の間にこれほどまで敏感な
センサーが仕組まれていたことに気づき、
幼児はそこにも母が居ることを知る。
やがて乳首は、他の指を巡り幼児に
安寧と静謐を齎し眠りへと誘う。  
親指と人差し指で乳首をそっとつまむ。
少し硬いけど、触れているだけで安らかな気持ちになる。
次に人差し指と中指の間に乳首を滑り込ませ、
2本の指をすり合わせる。


青梗菜の菜花と眼下の桃花(林檎畑) 



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